この時間まで研究室にいても、一向に発表資料作りが進まない。修論もどきは既に渡してある(期日までに改めて提出する必要はあるが)。発表中に首をかしげられても、いくら恥をかいたり叱られたりしても、約30分壇上で堪え忍べば取り敢えずは大きな山を越えることができる。一応発表練習はしてアドバイスもいただいたので、あとはそれに応じてスライドを修正すればいい。ただそれだけだ。でも、そのあと一歩の作業が進まなくて、ひとり背中を丸めてスマホで文を打っている。かれこれ5時間は作業が止まっている。こんな時間なのに眠気はない。なんか知らないけど涙と鼻水が止まらない。たぶん、ろくに寝てないから体がおかしくなったのだろう。
昔から人に頼るのが下手だった。言わずもがな、友達を作るのも壊滅的に下手である。
だから、自分で問題を解決しようとしすぎてしまう。ストレスを溜め込みがちなのも割と自覚している。自分の嫌いなところはその他にも色々あるけれど、特に「自分に甘くて他人に厳しいところ」と、「やらなければいけないことを先延ばしにする癖」は大学に入ってから悪化した気がする。
対人関係のストレスで勉強が手につかなくなり、センター試験はまあまあ悲惨な成績だった。センターの結果にあわせて出願した大学に後期試験でなんとか合格した。学費を出してもらっているし、入学を決めたのは他でもない自分なので、講義はしっかり出席した。選択科目はいくつか落としたものの、卒業に必要な単位はしっかり取った。1年生のときは将来なりたい職業もあまり考えていなかったので、取り敢えず何となくで教職課程を取った。教職科目は思いのほか興味深くて、教員になることも一度は考えた。でも決めきれず、向いていないことは薄々気付いていたものの、大学院に進学することを決めた。そして迎えた教育実習だが、これが本当につらかった。この仕事は自分に向いていないとはっきり分かった。加えて実習中には色々あって、精神的に追い詰められてしまった。正直、人生で初めて死を考えたほどである。2年半経ってもこのときのことを考えようとするだけで涙が出てくるので、極力思い出さないようにしている。暫くはベッドから起きれなかったし、泣きながら親や相談センターに電話した。見かねた親がはるばる新幹線でやってきて、ごみ屋敷と化した部屋を片付けてくれたこともあった。幸い研究室の活動は週1のゼミのみで負担は少なかったし、大学院進学も運良く推薦をいただけたので、進学のこともなんとかなった。でもこんな調子だったのと、先生が厳しく言わないのをいいことに卒研の開始は先延ばしになっていった。徐々に体力も回復してきた頃にはかなりギリギリの時期だったが、なんとか卒論発表には間に合った。ただこの頃から、先延ばし癖はどんどんひどくなっていった。
大学院に進学してからの生活を振り返っても、研究にきちんと取り組んだとはお世辞にもいえない。授業やTAの仕事、アルバイトには人並みに取り組めていたから、おそらく自分で規則や締切を考えてタスクを片付けるという作業が嫌だったのだろうと思う。卒論発表を終えたときには「修論は反省をいかして頑張ろう」と思っていたのに、気がつけば立派なダメ院生になっていた。趣味は楽しめていたから、たぶんただの甘えだと思う。
そんな私だが、義務教育時代は大きな問題なく過ごすことが出来ていた。未だに「どこで間違えたんだろう」なんてことを考えてしまうのは、この頃の成功体験によるものだろう。そんなこと振り返っても仕方ないが、あの頃の全能感や将来への期待感みたいなものを思い出すと、現状にひどくがっかりする。ただ、今思えば部活でもちょっと浮いた存在ではあったと思うし、友達からお祭りに誘われなくて落ち込んだこともあった(自分から誘えばいいのに)。多分、人からの悪意にはめちゃくちゃ鈍感なところがあるので、それで自分の身を守っていたのかもしれない。今はちょっと人の目が気になるようになった。
ああ、どこで間違えたんだろう。
ああ、どこでなら取り返せたんだろう。
色々思い当たる節はあるけど、悩んだときにいい子ぶらないで親や先生に相談していれば、事態は変わっていたと思う。「誰にも言いたくない」というわがままは、きっと自分を苦しめる。自分ではSOSを出していると思っても、相手がそれを受け取っているとは限らない。「言わなくても気付いてくれる」というのは、ある種の甘えかもしれない。
と、誰にするわけでもない言い訳を並べている。