はてなキーワード: 一喜一憂とは
俺はずっとあなたのことが好きでした。信じられないかもしれないけど、ほんとうに好きでした。どうしようもないくらいすれ違ったし、致命的に合わないところもいっぱいあった。でもずっと好きでした。死にそうなくらいあなたのことが好きでした。あなたにとって俺が束の間の代替品でしかなくも、あなたがかけてくれる愛の言葉に俺はずっと一喜一憂して、何もかも飲み込もうとして、ずっと一緒にいました。
この感情はもしかしたら逃避とか、手に入らないからこそのものなのかもしれない。でも理由はなんであれ、俺はあなたのことが好きでした。本当にどうしようもなく。あなたを愛していました。
あなたが二人で遠くに逃げようと言うなら、俺はどこにだって行ったでしょう。言葉の通じない異国でも、既に終わった田舎町でも、どこだっていい。あなたと一緒にいられるなら、肉体労働でも物乞いでも、俺はなんだってすることが出来たと思います。あなたのためなら、俺は何を失っても惜しくなかった。
きっとあなたはこんなこと言われたら迷惑でしょうね。わかってます。俺はずっとスペアでしかないのに、あなたに迷惑ばかりかけてきました。でも、あなたと過ごしたあの時間は俺にとって本当に幸せでした。あなたに与えられたあの暖かさがあれば、例えそれが仮染めのひとときでしかないとしても、あの暖かさだけで俺は生きていけそうです。
ありかとう。さようなら。
人間関係は消して嫌じゃない。優しい方々だと思う。だが、自分が休みなく査定されているような気がして、昔から苦しくなるくせがある。
人格、仕事の出来具合、気遣い、時には容姿や面白さなんて所まで、あらゆる項目で通知簿や面接のように点をつけられている気がして息が苦しい。
もし不合格を突きつけられたら自分は受け入れられないだろう。受け入れられなければ…負の感情に晒されながら自分はここにいなければならないだろう。どこに行っても同じなことは、色んなところに行き続けてきた自分がわかっている。
人に値段が付けられたらいいのに。
そしてその値段が不変的なものであればいい。
たとえ駄菓子と変わらない値段が着いても、そうか駄菓子かと思って駄菓子なりに振舞おう。
値段が上がったり下がったりしなければ、他人の評価に一喜一憂することも無いのだ。
他人からの査定に、上司が持つ値引きシールに怯える暮らしが辛い。
それ自体は被害妄想だとしても、人は他人を査定すること、案外査定は簡単に変わってしまうことは事実だろう。
好きだった人が嫌いになったり、嫌いだった人を好きになったり、尊敬していた人を軽蔑したり、軽蔑していた人の意外な一面を知って見直したり、
人の価値や評価とはなんと曖昧なものだと思うが、その曖昧なものがなければ人の価値は証明できない。
だから思う。不変的で、誰が見てもそうだと思えるような数字が欲しい。値引きも値上げもしない類の商品になりたい。これ以上一喜一憂なんてしたくない、と。
なにか不幸があるたびに
みたいなことを思ってしまったり言う人って
自分の向上で得点?を上げたときに同じことを思えたら捗るのにね
次々と新しい対象が前を走っていくだけだよ
まぁ私のことなんですけど
アニメーターは、愚痴愚痴言いながら、自己否定のループにはまっていく人間が多い。周りから能力の高さを買われていても、全く評価されていないと嘆いていることが珍しくない。
感受性ばかりが高まって絵を描いているうちにアニメーターになってしまった。しかしアニメーターは下請け業務である。自己管理能力が問われる職業である。彼らはえがいていた仕事像と必要とされる能力とのギャップに驚きつまずく。
その言動をよく観察してみると、家族関係に問題を抱えている人間が少なくない。要するに、愛着障害によって、自己嫌悪と承認欲求の無限回廊に閉ざされている。
まずもって彼らは自分が嫌いなのである。理想の自分像があって、そこから外れると減点評価。当然、他者をも認めることができない。批評家になる。本人は目指すべき場所を目指しているつもりだが、実際には様々な外的評判を内面化しているに過ぎないことに気づかない。内省する力が残っていない。
彼らには大丈夫感が足りない。いつかやればできる。失敗しても次はなんとかなるだろう。その次失敗しても自分は成長している。そういった楽観を描くことができないし、自己効力感も得られていない。だからものごとに一喜一憂するしかなく、日々のちょっとした不幸を大げさに嘆いてみせたり、ほんのわずかな間だけでも自分を楽しませるためにゲームにのめり込んだりする。
彼らは自分の本当の欲求に目を背ける。理解されたい。愛されたい。しかし理想の自分がこれを許さない。自虐、自嘲。わたしも傷ついているから周りの人間を非難しても許されるはずだ、と他責も辞さない。それがまた内面に対する攻撃になってしまう。
必要とされたい。だから多すぎる仕事を引き受けてしまう。頑張れば褒めてもらえる。自分を褒めてあげることができる。そういう過去の体験がある。
過大な期待を自らに課す。期待は未来の報酬を予測したものである。つまり発生した時点でこころの借金になっている。支払うことができなければ、失望という形で清算することになる。
彼らは自己の能力を冷静に分析しないまま仕事をはじめる。ほんのわずか努力すれば届く目標にすべきである。しかし理想の自分がこれを阻む。伝説的な先人に自らをなぞらえて物語を作ろうとする。先人は目の前の仕事を終わらせ続けただけである。
人生は現在の連続である。人生の物語を先に綴ってしまうのは、資本が十分にある人間がやればいいことである。資本というのは、金融資本、物的資本、社会資本、すべてである。
彼らに必要なのはカウンセラーなのかもしれないが、それ以前にやるべきことがある。
自分の能力を遥かに超えた仕事に着手しないことである。身に付けるべき能力がないなら身に付けることである。仕事はあなたを成長させてくれるものではない。期日までに終わらせるものである。
自己実現は目的である。金融資本はその必要条件にあたる。条件を満たさずに走り出すのは愚かである。自分が嫌いだから、安すぎる報酬でも満足したふりをする。自分を愛していれば、そのような仕事を請ける道理はない。
過大な期待、経済的圧力、惰性。これらは仕事を続けるうえでのモチベーションを下げこそすれ上げるものではない。大切なのは、作業そのものに喜びがあること、仕事に意義を感じること、その先に描く未来に可能性を感じることである。これら内発的動機を、外的要因に振り回されないように用心しなくてはならない。気がつけば、日銭を稼ぐために生きがいを殺している場合もある。
繰り返すが自他問わず過剰な期待には要注意である。評価の前借りは認知の歪みを生む。自分は褒められて当然の仕事をするべきだと考えはじめる。名声欲である。認知が歪んでいると肯定的フィードバックを当然のものだとみなしてしまう。よって脳は報酬を受け取ることができない。得られた場合にも期待はさらに膨らむ。麻薬と同じである。
謙虚さが必要である。謙虚さは自己否定ではない。驕りがないということである。謙虚さは内省なくして存在し得ない。内省は自己像と現実の一致にある。つまり現実の自分を受け入れるところからはじまるのである。
作画は大変な能力の要る仕事である。能力不足であれば、仕事を請けている場合ではない。街に出てスケッチでもしているべきである。生活していくだけの金銭的報酬が得られないならば、趣味に留めるべきである。
ところで、精神が不安定になる原因は睡眠、運動、食事、社会的繋がりの欠如が上げられる。
まず寝ることである。睡眠を削ってでも対応しなければならない仕事などアニメには無縁である。放送が落ちても人が死ぬわけではない。救急外来で働く看護師ではない。業務内容は、決められた期日までに自分が請けられる数のカットを納品することである。睡眠不足で仕事に臨んでも成果は下がる一方である。
スケジュールを立てる際に、1日から睡眠時間を引くことを忘れてはならない。寝る時刻になったら、どれだけ惜しくても寝る習慣をつけることである。
寝るために必要なのが運動である。全身に血液を巡らせる習慣がない人間は精神虚弱になって当然である。本当なら1日2時間は日の光を浴びて運動するべきなのである。人間という生き物は部屋に引きこもっていると具合が悪くなっていくものである。
水泳、散歩、ヨガ、プランク、スクワット、リングフィットアドベンチャー。なんでもよい。座り込んでいるよりマシである。
もうひとつ、精神虚弱の原因として血糖値の乱高下が考えられる。
まずカフェインを絶つことである。白砂糖を控えることである。血糖値が急速に変化すれば精神的変化に見舞われるのは当然である。おなかがすいてないている子どもと変わらないのである。
3時間毎に低GI食品を摂取すればよい。おやつにケーキやシュークリームをやめて、おにぎりとチキンにする。コーヒー、緑茶をやめて水か麦茶、ハーブティーなどを飲むよう心がける。依存性のあるものを遠ざける。食生活を根本から見直さない限り、健全な精神は得られないであろう。
最後に、社会的繋がりは人間の本能である。相手が制作進行だけで、しかもそれが精神不安を煽ってくるような未熟な人間なら、たちまち追い詰められてしまうだろう。
大切なのは成熟した人間と多くの繋がりを持つことである。他人を利用したり平気で嘘をついたりする人間と付き合ってはいけない。
仕事が全てではない。趣味を増やすのもよい。ただし寝ている間を除けば1日の半分以上を費やすことになるのだから、わずらわしい思いはできるだけしないに限る。仕事仲間は互いに理念があってそれを語り合える人を選ぶべきである。寂しい人間同士が集まっても何にもならない。求めていないことを互いに共有することはできないのである。
また仕事以外の時間を大切にすることができれば、業務上のトラブルに立ち向かっていくだけの精神的体力を確保できる。
1日中仕事に溺れるならそれだけの信念と根気が必要である。仕事ばかりしている人間は大抵仕事自体が好きである。情熱が桁違いである。うつになるアニメーターには無縁の話である。
はじめに、私はIZ*ONEオタです。
PRODUCE48ではじめてプデュシリーズを知りました。だからI.O.Iもワナワンもすべて、プデュ48を観ていなかったら知らない・興味ないままだったと思います。
Xは事務所別評価までと最終回だけ観ました。もちろんIZ*ONE目当てに。そのくらいのIZ*ONEオタが書くのだということを頭の片隅に置いてもらえると嬉しいです。
この記事をご覧の皆さんは既にご存じだと思いますが、PRODUCE101JAPANというオーディション番組についてwikipediaより引用しました。
「韓国のPRODUCE 101シリーズと同様に、番組開始までに練習生101人が選ばれ、日本国民(国民プロデューサー)の投票によって最終的に11人が選ばれ、グローバルに活躍するボーイズグループとして2020年春にデビューする予定。なお応募資格は日本在住であれば外国人でも参加できる。2019年9月26日未明に第1回(1時間の短縮版)が放送され、同日夜から配信開始された」
私の好きなIZ*ONEというグループも、このPRODUCEシリーズ(以下プデュ)から生まれたガールズグループです。プデュは元々韓国の番組なので、本放送の前にMnetという音楽専門チャンネルで番組テーマ曲が先行発表され、順次YouTubeなどで動画配信が行われ、韓国国内外から視聴することができました。
韓国版プデュは韓国の芸能事務所に所属する練習生が番組に参加するのに対し、日本版練習生は特定の事務所に所属していない、いわゆる素人さんや一般の人が練習生対象です。ですから、今までプデュを追って来た方々は特に期待もしてなかったのではないでしょうか。
そんな中、日本版PRODUCE101(以下日プ)も本放送前にテーマ曲である「ツカメ」がYouTubで発表されました。韓国版プデュに劣らないクオリティに驚いた人は多かったのではないでしょうか。もちろん私もその一人です。と同時に、女の子アイドルが好きで、ガールズグループばかり追っていた私が、はじめてボーイズグループを好きになれるかもしれないとドキドキしました。本当に日本のアイドル界を変えてくれるのではないかと期待は膨らむ一方でした。
第一話が始まり、第二話、第三話と回を重ねるうちに私はどんどん日プにのめり込んでいきました。毎週木曜はすべての予定を断り、ずっと続けていた英会話レッスンの曜日を変更してもらい、配信が始まる前までにすべてのことを終わらせ、パソコンの前で正座待機して楽しみにしていました。番組が終わるともう来週木曜に思いを馳せ、私の考えた11人に毎日投票し、推しの情報をSNSで検索し、友人知人にも投票をよびかけていたらすぐに木曜が来るという具合です。こんなにプデュのことを考えていたのは48ぶりでした。いやもうほんっと楽しかったんです。国民プロデューサーを満喫していました。
しかしSNS上では、練習生や番組に対してポジティブなものばかりではなく、ネガティブな意見も数多くありました。例えば、元youtuberの練習生や韓国でアイドルをしていた練習生といった、いわゆる他の子より知名度のある練習生がよく非難されていたように思います。中には「確かに……気持ちわかるかも……」といったものもあれば、「はい?????」と言いたくなるような、到底納得できない、意味のわからないようなものもありました。後者は捨て垢や愚痴垢と名乗っているものが多く、自分の推しを隠して気に入らない練習生を攻撃していたので、簡単に言えばアンチでした。
更にこのプデュシリーズには、悪魔の編集と呼ばれるものがあり、番組をよりドラマティックにする意図があるのかもしれませんが、練習生の咄嗟の表情や発現を切り取って悪く見せたり、失敗したパフォーマンスを事あるごとに繰り返し放送することがあります。この悪魔の編集をされた練習生は放送終了後に一気に炎上し、結果的に順位をガクッと下げるので、推しが悪魔の編集の餌食にならないことを祈るしかないのです。
もちろん日プも見ていて「これはきっと悪編だろうなあ」というものがありましたし、悪編の的になった練習生は叩かれましたが、悪編をされていないのに叩かれ続ける練習生もいて、「48の時はこうだったっけ?」と首を傾げることが多くなっていきました。
直接投票できない、つまり国民プロデューサーになれなかった今までのプデュシリーズとは違うということもあると思います。今までのプデュシリーズであれば、私たちは飽くまで外野の立場だから、ただ見守るしかありません。だからきっと、当時の韓国内では今回の日プと同じような雰囲気だったのだろうと。
ですが11月の終わり、日プ第10回の放送日のことです。デビュー圏内を維持し続け、上位四人にも入ったことのある韓国人練習生が辞退したのです。プデュ48しか観ていない私にとっても衝撃的でしたし、異例の事態だったと思います。運営から辞退のアナウンスが出ましたが、辞退の理由は明記されず、一身上の都合ということでした。元々兵役の問題やYouTube配信動画の発言が叩かれていた練習生でしたが、韓国でデビューしていたことがあってファンも多く、練習生からも慕われていた印象があったので、まさか辞退するとは誰も思っていなかったのではないでしょうか。
辞退が発表されてからも、彼に対する心無い発言をする人もいましたが、それ以上に彼が辞退したのはアンチのせいだという意見が多くなり、練習生に対するアンチの声は小さくなったように感じました。
しかし私の中でこれを機に日プに対する熱がだんだんと引いていきました。こんなに悲しい言葉を投げる人が、ライブ会場で隣にいるかもしれないと思うと、以前のように夢中になって番組を観れなくなりました。
この辞退騒動から1週間後、某練習生の妹と名乗る人が「残りの韓国人練習生二人も辞退する。他の日本人練習生も辞退したいと言っている」というリークが国プの間に駆け巡り、そのリーク通り、韓国人練習生二名が辞退することを運営が公式に発表しました。第11回放送日のことでした
この二人は先に辞退した韓国人練習生と同じグループに所属してましたので、やはりアンチのせいだとか、先に抜けた彼の後を追ったのだろうとか様々な憶測が飛び交いました。
リークの通りになってしまったのが悲しく、悔しく、やるせなくて、私は日プを観るのをやめました。
前述しましたが、日プはこれまでのプデュシリーズと違い、一般人だった人が練習生です。だからその家族や友人知人も、「身内が芸能人になるかも」という意識しかなかったと思います。
だからと言って、簡単にリークしてもいいのでしょうか。練習生の身内がリークしたということは、練習生自身が漏洩させたとも考えられます。
口に出すのは簡単です。でも、本当にその覚悟が本人にあったのでしょうか。周囲も、本人の本気を受け止めて、心から信じてあげていたのでしょうか。
リークをしたのが身内じゃなくて、制作関係者だとしたなら、なおさら私の大切な一票を、推しを不信感溢れる運営に渡したくありませんし、デビューするグループを追い続けていけません。
ひどくわがままかもしれませんが、何も知らずに番組を観続けて一喜一憂していたかったし、推しのデビューを見届けたかったです。
SNS観なきゃいいじゃんとこれを閲覧している方は思われるかもしれませんが、推しがどう思われているのか、他の人は誰を推しているのか、気になってしまってSNSを見ずにはいられませんでした。
最後になりますが、今回デビューを勝ち取りJO1となった11人の皆様の活躍を祈っています。ファンの皆様は、アンチの声なんか聞こえないくらい推しを愛してほしいです。
そして、私の大好きな大好きなIZ*ONE。一日も早く12人のパフォーマンスが見たいです。
ここまで閲覧ありがとうございました。
私は、今まで「良いファン」になれたことが一度もありません。今後もなれそうにありません。
何を好きになっても良いファンになれなくて、対象に申し訳ない。
ずっとそう思ってきたけれど、そう思いながら応援するのに疲れてきていて、今の気持ちをどこかに吐き出したくて、ここを使います。
私は、ヴィジュアル系バンド、男性アイドル、女性アイドル、舞台俳優、ニコニコ動画の投稿者、YouTuber、二次元のキャラクターを好きでいますが、全く良いファンになれません。
まず大してお金を使いません。よく見かけるような痛バ等を作ることに関心が無く、チェキやブロマイドや写真集の類しか買わないのです。
イベントやライブも不定休の昼職では日程が上手く合っても半通程度しか行けません。
更に、行ったイベントやライブもあまり楽しそうに振る舞えません。
そもそもノリが悪いのです。私の行くヴィジュアル系バンドでは前に体当たりをしに行くノリがありますが、絶対に行けないので、邪魔にならない後ろでしか参戦できません。
また、ファンサ、レス、営業というものが嫌なのです。当然接触イベントは参加できませんので、握手会では握手する前に帰り、チェキ撮影は撮影する前に帰り、お渡し会では渡される前に帰ります。
キャストの方々のお見送りがある舞台では、上演後、退場アナウンス前にお手洗いに行って、そのままお見送りをされずに帰ったこともありました。あの時のスタッフさんには大変申し訳なかったと思っています。
ファンサービスが、こちらの喜ぶ顔が見たくてやっていたとしても、金になるファンを釣りたくてやっていたとしても、最高に興醒めな反応しか返すことができません。
布教もしません。良さを分かってもらい同士が増える楽しみよりも、相手の地雷を踏む恐ろしさが勝ります。同時に、対象がメジャーでも、自分の好きになるポイントがマイナーなので、好きなポイントを分かってもらえると思っていないのかもしれません。
私は、大して金も使わず現場にも行かず、ノリは悪く布教もしないのに、文句ばかりは一丁前です。
今回の衣装はダサいし安っぽい、歌割りやMVで抜かれる回数に偏りがある、会場のキャパが合っていない、事務所の後輩や他のチームの方がお金をつぎ込んでもらっている。SNSやアンケートで言うことはありませんが、新しい発表される度、頭をよぎるのは文句ばかりです。
最近太った、ライブでこの曲をやると毎回リズムが走りすぎている、この曲の間奏のダンスで手を抜きがちなのをやめて欲しい、似合わない役をやらないで欲しい。
ファンレターやリプライでは大絶賛しながら、心中穏やかではありません。
もっと極端に、ある化粧品やアパレルブランドのプロデュースやコラボが発表されたときは、本業は音楽であって、あれだけライブでミスをするのになんでそんなものにかまけていられるのだろうと思ってしまったこともありました。それでも評判が悪ければ悲しむだろうと思い買いましたが。
全肯定するファンが偉い訳でも、良いファンな訳でもないのかもしれません。
でも、対象を全肯定できるファンの方が、ファン本人の精神衛生だって良好なのではないかと思うのです。
本当は、良いファンになれなくて申し訳ないなんて思いながらファンを続ける必要などないのです。
しかし、「あの時の誰々がとても格好よかった」「あのコンサートが信じられない位楽しかった」と思い出すと、やめることが出来ません。
お金も使わず参戦数も少ないけれど一回一回の発表に一喜一憂していた時は本当に楽しかった。
次の新曲や現場が、あの時の楽しさを甦らせてくれるかもしれないません。
惰性で通ってた時期があった、という話は耳にしますが、これは惰性ではなく未練だと思います。
そもそも並行していくつもの沼に浸かっているから、手が回らなくてこんな思いになるのかもしれませんが、もう何のファンにもなりたくないとずっと思っています。
マグロは全国的に魚の王者という扱いを受けているように見える(特に関東)。
実際、取引される価格や、魚体の大きさから言っても王者たる風格は十分である。
一方、タイは西日本を中心にウオサーの姫的な唯一無二の地位を確立している。
タイは、マグロが下魚とされてきた古の時代から常にリーディングフィッシュとして魚介シーンを牽引してきたのだ。
確かに生マグロの中トロの刺し身や、タイの昆布締めは、うまい。すんげえうまい。これ食っとけば間違いない感じがする。
だが、最強食材としてこの二種がそのままワンツーフィニッシュしてしまうのは、どうも納得がいかない。
海は広いのである。
海のポテンシャルにもっと賭けたい。そう思った。きっと海は応えてくれる。
そこで、魚介類最強の食材を決めるため、一度、王者も姫も抜きにして、食材として公平に魚介類をジャッジしたい。
最強を選ぶには、食材の持つ「味」が争点になってくるだろう。ついで「他にない魅力」も外せないな要素だ。
この2点がずば抜けていれば、希少で高価であっても仕方がないと思う。
一般に高級食材といえば、マグロ・タイの他に、トラフグ・ウニ・ウナギ・イクラ・アワビ・カニなどがある。
もう少しつっこむと、キジハタ・ノドグロ・キンメ・シマアジ・ヒラメ・アオリイカ・カキ・オコゼ・伊勢エビ・車海老・アユなんかが挙げられるだろう。どれもうまい。
これらの希少性と需要のバランスは、高めの価格で折り合い、世の中で「高級食材」として流通している。
しかし、最強食材が必ずしも希少で高価である必要はないのだ。安さも魅力であり価値である。
では、一般流通している"大衆魚"と呼ばれる魚介の中で特にうまいものを挙げてみよう。
タチウオ・サンマ・カワハギ・イサキ・アジ・ブリ・鮭・マダコ・メバル・マイワシ。
他にもサワラ・アンコウ・カツオ・穴子・シロギスなど挙げればきりがないなこれ。
・タイ
・サンマ
・ノドグロ
・ウニ
・ブリ
タイは実は敷居の高い魚ではない。ウオサーの姫ではあるが、会いにいける姫なのである。
もちろん高価なブランド天然鯛も存在するが、基本的には養殖技術によって通年安定供給されている大衆魚だ。
タイの魅力はこの供給力と食べ味の良さのバランス、そして料理の多彩さだろう。
最強に限りなく近い食材だと思う。
次にサンマである。日本の秋といえば、国民全員がサンマを求めて大挙してスーパーに押し寄せ、豊漁不漁に一喜一憂する光景でお馴染みである。
刺し身もジューシーでうまい。新鮮なサンマが手に入る当たり年には、ぜひ試してほしい。
続いてノドグロ。言わずとしれた高級干物の王者。大きさによっては1枚数千円することも。
食べたことがある人ならわかってもらえるだろうが、あの脂、その量もさることながら、くどさの全くない異次元の質の良さを備えており、食べている間はずっと快楽中枢が刺激され続ける。
ウニの濃厚なうまみと磯の香りは食べた人を魅了し、ウニなしでは生きられなくさせてしまう。
最終的には痛風になる。
ブリは、安価かつ安定的に供給されており、華はないが攻守最強レベルの食材である。
季節の移り変わりによって味が大きく変わるのもまた良い。
またブリは出世魚として古くから愛されてきた。地方名まで含めれば、数多ある魚種の中でもっとも多くの名前をもつ魚ではなかろうか。
さあどうだろう。
この5種の中に、または他に"最強"と呼ぶにふさわしい食材はあるだろうか。
推しへの愛を聞かせてほしい。
あのさ、
事務所と家の部屋も
もう隅から隅まで探しマクリマクリスティーばりに探したんだけど見つからなくって、
一応さ金券だし危ないかなと思って、
紛失処理をしたのね。
よかったとりあえずモヤモヤしたものを解決できたわと思いつつも、
いや絶対鞄の中とかに私の身近なところにあるはずなんだけどなぁと
もう細かいことは気にしないってことでクヨクヨしないでお洗濯始めましょう!って思った矢先中の矢先!
もう紛失の電話して切ったばっかりなのに、
一度止めたら見つかってももう使えませんからね!って釘を刺されたばっかりなのに、
そんでもって再発行の手続きも一緒にしてもらったばっかりなのに、
なのになのによ。
探し物をやめたとたんに見つかるマーフィーの法則の井上陽水さんだわ!しかも斉藤由貴さんバージョン!
本当に笑うと言うより、
と言うわけでむしゃくしゃしちゃったから思いっ切り野菜切って切って切りまくって、
そこは野菜切りマクリマクリスティーじゃないのかよ!ってツッコまれそうなんだけど
煮てさ焼いてさ食ってさ、
それを猟師さんが鉄砲で撃ったのを木の葉で隠したりなんかしてさ、
鶏のいい出汁も出てるので、
これもうちょっと煮て水分詰めてカレー粉入れてカレースープにジョブチェンジしてもいいかもしれないわね。
そんな沢村一樹さん違う違う一喜一憂して振り回されちゃいました。
うふふ。
いつものお気に入りのパン屋さんのハムサンドとウィンナーサンド。
ハムサンドは固定であと1種類を違うのに組み合わせて2つ買うのが楽しみだったりするわ。
このぐらいは迷っても良いわよね。
なんか本格的に寒くなって北っぽくない北の国から。
ホッツ麦茶もいいけど
なんか冬場はこれが多くなっちゃうわ。
でも本当に身体を温めるために
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
報道や各種メディア、個人が様々な媒体で伝えているこのイベントに対して、私個人のごく私的な見解など、どうしようもない話の一部になるのだろうけれど、今年の事を書いてみる。
この条例は報道以上に効果があったと実際に現地にいると感じる。しかしこの条例は単に仮装者が羽目を外しすぎないようにするという印象とは異なり、数年来発生していたある問題を解決できたことが大きい。それは①酒の無許可販売②警備がなくなる深夜~早朝帯の乱痴気騒ぎ問題であった。
① 酒の無許可販売は2016年頃から見られるようになる。2018年のハロウィン当日には20名ほどの人が、テキーラやウオッカなどを販売していた。個人が勝手に販売する方が多いが、飲食店に雇われた売り子も、年齢など見境なく度数の高い酒を販売するのはよろしくなく、またルールなしの状況下では、酒の品質低下はもちろん、密造酒販売の可能性も発生する恐れがあるので、2019年に歯止めがかかったのはとても良かったことだった。
しかし2019年10月30日でも数名、31日当日では確認しただけで少なくとも5名が販売していた。仕入れたビールサーバーを背負い、仮装で隠した売り子は、マスコミのカメラの前で「規制の事実は知らなかった」と笑顔でのたまうずぶとさで、このような場でどうしても鬻ぎたい山師と企業は今後も出てくるだろう。
② 警備している警察官や警備員も人間なので、夕方から翌朝まで全力で雑踏警備を行うのは不可能である。大多数の方が帰宅した終電以降は警備人員もほぼ撤収するので、その時間帯に騒ぐ人々に酒を与えないという目的があった。2018年の軽トラックを横転させる事件は、深夜2時~3時に発生し、動画をよくよく見ると、トラックの周りで騒いでいる人は、誰も仮装をしていないという事が確認できる。毎年ネット上に上がる喧嘩の動画もそうだが、現地に行ったことのある人は「その喧嘩が起きている場所は、ハロウィンが発生している時間帯は人がすし詰めで、殴り合うだけのスペースはなく、これは人が少ない深夜に発生している」と直感として把握できるのだが、ネットや報道だけで情報を得て想像を膨らませている人々にとっては、四六時中喧嘩と乱痴気騒ぎが起きていると解釈になっている。
警察は「将棋倒し」への対策に苦心している。過去何人の人が圧死しているこの現象は、起伏が少ない渋谷の底である宇田川の上に集まった人々にも起こることで、仮に発生した場合は目も当てられない大惨事になる。2016年にホコ天を設置したのも、これが理由である。今年の警備は警察官と警備員が協力して、センター街に集まった人が撮影や雑談で滞留しないように、しつこく動くように声をかけ続けたことが大きな変化であった。結果は当日の19時までの人手であればこの方法が有効に機能していた(対応する人員の疲労は目に見えて明らかだったが)。当日に渋谷に集まる人々はすさまじく、19時には路上の収容人員がパンクしてしまい、そこから全てのホコ天が開く21時までは非常に苦痛な状況であった。
実は渋谷区としては、昨年の騒ぎがなければホコ天の先や、別にサテライト会場を用意し、混雑の分散や、「共感」という目的のために来た人々の一部マインドを消費に回すことを少しながらも実行に移せていた状況であったが、上記3点の安全のためと、マスコミのネガティブ方向への報道癖がついている状況下で、前進する対応が取れなかったのは彼らにとっても残念なことであっただろう。
ゴミ問題について毎年思うことを今回書こうと思う。今回はコンビニと名指しするが、自動販売機を除き、他にめぼしい外に持ち出せる飲料や食事を販売する店舗が見当たらないのにも関わらず、自店舗で出したゴミを回収させる為のゴミ箱を設置しない上に、
店舗の目の前で飲食した客が路上に落としたゴミを、「街が汚れたのはマナーのせい」で、
後始末を行政とボランティアに全て丸投げする納得できない状況が毎年続いている。
明け方でなく、ハロウィンのコアタイムにセンター街のコンビニの前で、コンビニから出たゴミを拾う警備員と、それを眺めるコンビニ従業員の様子をネットに上げてもいいぐらいである。普段から責任を全て若者と行政のせいにしている姿勢の店が一定数あるからの行動なのだろう。新しく出店しているケバブ屋やタピオカ屋にはあり、関係ないのにわざわざゴミ箱を出す店もあるので、そういう店の姿勢に客も合わせてやっているんだなと感じる。
今年の特徴は「ダイバーシティ」である。昨年は日本のあらゆる立場の人々が集まるヤミ鍋状態と表現したが、今年はその鍋にラグビーW杯の観戦に来た欧米の観光客が大量に押し寄せた、日本文化にリスペクトしてわざわざ来日したわけでない欧米文化圏の人、更に増え続けるアジア系技能実習生と、中国の大型連休が重なり、当日でも3割~4割は外国人の様相で、欧米文化における「ハロウィン」なる文化と日本の「はろうぃん」、アジア圏の方々が更に解釈した「ハロウィンのようなもの」の3つ巴の衝突が起きた。記号に頼らない私の考えるハロウィンの仮装だらけである。
ギャラリーも酒が入っていないので、それでも人が多いが、仮装した人同士で盛り上がる場に割り込んで、観光欲を満たす行為は多少減ったように見られる。
コスプレは、衣装やメイクを作りこみ、撮影による仕上げにより、世界観を作り上げる一連の行為とした場合、仮装は世俗における一瞬のなりきり、又は社会を風刺していく行為で、その出自がかなり違う点を理解したい。
参加した人々を傍観する人々
カラーギャングの時代から街の浄化作戦を街頭で行ってきた商店街からすれば、深夜に“ボボボ”とやってくるヤンキーは「またかよ」という気持ちだろうし、当時精力的に活動していた方々の年齢問題もあるだろうから、マスコミに叫ぶ気持ちはわかる。ヤンキーも、地域社会に受け入れられず、持っている力と金を余らせている上に、承認欲求が人一倍強いので、入り込める余地があれば求められなくてもやってくる。しかしヤンキー同士のコミュニティが強固な為、仲間を差し置いて仮装している集団に入れないし、クラブに行って踊ることもできないジレンマがある。さっさとコミュニティ変えろとしか言えない。パンチラスポットでパンチラを見ているような、下半身の欲求で来ている輩と存在感がどっこいなのに気づいていない。
ネットや報道で分かったフリをしている人々も厄介である。2018年に渋谷区へ来た抗議数百件の内、ほとんどが区民でない人の抗議であったという報道が示すように、自分の知らないところで楽しそうにやっている人を嫉妬する傍観者も多くいる、ニューヨークやロンドンと同列にして問題を語っているような国際的な街と、あなたが住んでいる町が同じでないのは当たり前で、そこで起きているイレギュラーな問題を必死に解決している人と、その大小様々な果実を受け取っている人をあざ笑っても、仕方がない。芸能界の恋愛事情に一喜一憂するぐらい不毛な事柄である。
現地にいると、さも当然のように、さまざまな人種・民族が、さまざまな年齢・性別が、
さまざまな社会的背景を持つ人が、それぞれの文化背景を元に、又はそれらから開放されるための仮装をしている。
資本主義が求めるダイバーシティである、(金をより稼ぐために)優秀な様々な立場の人が活躍(生産)できる都市ではないかもしれないが、実はその概念が最も実現できている環境がいまの渋谷ハロウィンにあるのは非常に面白いことである。都市は、生き物のように変化していき、日本の首都である東京でさえ、不意に訪れた雑踏の流れ、物事の速さに追いつけず、傍観者を大量に生み出しているのはとても味わい深い。
完全なにわかなんだけどラグビー面白いなって思っていろいろ記事も読むようになった。
でも戦術のゲームだっていうわりにはチーム戦術の基本を教えてくれたり分析をするような日本語記事ってほとんど見かけない。
ルールは分かってきたし、選手の活躍に一喜一憂することができるようになってきたけど試合の見方がよくわからない。
で、Redditのラグビー板覗いてたら紹介されてたのが下の記事で、これを読んで少し見方がわかるようになってきた。
日本の攻撃の1-3-2-2フォーメーションの特長についての記事なんだけど、こういうのがもっと読みたい。
ラグビーの戦術も面白そうだなと思ってYouTubeでも探してみたら主流の1-3-3-1についてわかりやすく説明してる動画があった。
The1014っていうニュージーランドのYouTuber?らしい。https://youtu.be/sssR2YbQAQM
ラグビーの試合全体での戦術についてはhttps://youtu.be/KqYFiQU-WRIを見ておくと流れみたいなものが見えやすくなる。
食堂のテレビでワイドショーが垂れ流しになってなんとなく眺めていると吉野氏のノーベル賞受賞のニュースを取り上げていた。
その番組は吉野氏が旭化成で研究をしていることにフォーカスを当てて「民間企業に研究者が籍を置けば、直接実用化に繋がるようなより社会的に有意義な研究を進められる。科学立国を立て直す契機はそこかもしれない。」というようなことを言っていた。
挙句司会の恵俊彰が「今の大学のランキングで東大とか京大の順位見てると腹がたってくるんですよね。『もうちょっと上行ってくれよ』って思いますよね。」とかぬかす始末。
「てめらみたいな世間様が地道に基礎研究やってるとこに圧かけていくからぼろぼろになって言ってるんだろアホか」と他人事ながら暗澹たる気持ちになると同時に、この受賞が「大学機関なんて自己満足の道楽で民の財を食い潰すだけの所だ。」だと基礎研究にかける予算を締め上げていこうという世論を余計に強固にするきっかけとなるのではないかという危機感を覚えた。
しかしながらそもそものところ、なんで日本人が日本の研究機関で結果を出すことにそんなこだわるのか僕には理解できない。
各分野で最先端の研究をしている機関は世界に散らばっているはずなので、その恵まれた環境に優秀な日本人をより多く送り込もうという方が真っ当な考えだと思うし、日本人が評価を得るという目標からすればその方が近道なのではないか。
反対にノーベル賞が取れればいいのなら世界中の優秀な研究者を国家ぐるみで金で釣って日本人にしてしまってもいいのではないか?
アメリカが抜きん出て権威的な賞受賞者が多いのは、あの2人の元日本人ノーベル賞受賞者を含む多数の研究者を、潤沢な研究資金と生活費を与えることで国に取り込んだからだ。無論それはアメリカという社会がやったことで国家が行ったことではないが。
考えてみればノーベル賞受賞者の数で一喜一憂すること自体、本質に目が向かない人間のしょうもない態度なのではないかというような気がしてきた。
労働者1人の給与総額 8月は27万6000円 で0.6%マイナスだそうだ。計算すると去年は277953.776円となった。
僅差すぎてどうでもいいし、一日休んだらそれ以上にマイナスだろ。こんなしょうもない金額で一喜一憂するようなバカ乞食は将来自分の蓄えも努力しない年金だけで生きてゆこうとしてる怠け者くらいだろう。学生時代に学歴や資格などあらゆる努力をしてさえいれば所得ってのはいくらでもあげることができるんだよ。つまりガキの頃の自分が悪いということだ。むろんそれがすべてじゃないけど。才能があったり実績を若いうちからつくってきたものはいくらでもヘッドハンティングなんてある。仕事がないというのは本人の問題だ
明治は、平成7年からの5年間の、芸能界やダイエーが巻き起こした若者文化、特にプレステの一人勝ち、1000本以上の名作を産み
凄まじいものがあった。エアマックスやたまごっちなのも懐かしい。まさに古典化して腐敗した昭和国家を一掃した革命だった。
昭和は、平成10年以降の受験競争。全国の勉強の猛者が、都会を目指し、三大予備校の模擬試験の成績ランキング表の席次で一喜一憂したり
優勝劣敗や自慢、歓喜、熱狂、嫉妬、発狂、など、もろもろあった。東大に受かった日には、昭和時代なら、事務次官にでもなったかのごとく
最近までも飛ぶ鳥を落とす勢いがあって、正義も愛もあったが、こういう悪質な時代になるとは思わなかった。
平成7年からのあの芸能界旋風、テレビゲーム革命、そして、模擬試験冊子のランキング表の席次で一喜一憂する昭和、そして一度失敗し腐敗しつつも
平成23年までは何もかもが素晴らしかった。その後に、お前らみたいな平成のゴミ悪党が暴れたせいで、平成のいいところは何も無くなった。
平成時代も明治や昭和があったし、中世ののびやかないい時代など色々あった。
新しいコンテンツが生まれゆく傍ら、命を落とすコンテンツもある。
オタク同士が推しコンテンツを勧め合い、アクティブユーザーという名の陣地を広げる。
そして、コンテンツのサービス終了はソシャゲを嗜む者ならば1度は考えたことのある悲しい未来ではないだろうか。
これはとある国で林檎をもぎり、スマホをタップする戦士の悩み。
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1年前、私生活が辛くて仕方がなかった私は死にたいと毎日思っていた。
当時大好きだったコンテンツは流れが早くてついていけず、心の安寧のためにコンテンツから離れた。
でも、根っからのオタクだった私は何かしらのコンテンツに触れていたくて何百回と聞いたアニソンをイヤホンから垂れ流していた。
新しい情報を体内に取り込む気力は無かった。アニソンは耳とイヤホンがあれば良い。
毎日のログインに追われることも無いし、ストーリーを読む必要も無かった。ガチャの結果に一喜一憂することも無い。
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イヤホンからアニソンを垂れ流す引きこもりだった私は、某アイドルプロデュースコンテンツの男性アイドルver.(以下M国)に出会う。
耳とイヤホンがあれば良い。
iTunesで気になったユニットの曲を片っ端から購入して、朝から晩までM国の曲を聞いた。
楽しかった。新鮮だった。未来への希望に満ちた歌。届けたい言葉がある。前を向くための理由がある。
背中を押されるってこういうことなんだって思った。コンテンツを詳しく知らなくても楽しめる歌は素晴らしいなと思った。
歌を聞く余裕しか無かった私に、この歌を歌うキャラクターを知りたいという気持ちが遅ればせながら湧いた。
そこからは早かった。
歌からコンテンツに入ったので音ゲーを先にインストール。引くほど簡単な音ゲーを何度も練習してユニットと歌をイコールで結んだ。ユニットを覚えてからは、ストーリー重視のゲームをインストール。雑誌をたくさん読んでキャラクターの内面を知っていった。
担当ユニットが出来た。ファンとして応援したいキャラクターが出来た。
冬を迎える頃、引きこもりは外に出た。
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私には、学生時代大好きだったソシャゲがサービスを終了した経験がある。
課金戦士になり得る力を持ち合わせていなかった私はオネーサンたちのおこぼれでゲームをする無課金ユーザー。働き始めてやっと課金が出来る。恩返しが出来る。と、思った矢先のサービス終了。
サービス終了は呆気ない。
それまでに貯めたダイヤも、ゲーム内で使えるアイテムも、私に向けて笑ってくれたアイドルも今じゃ開かないただのアイコン。それでもアンインストール出来ないからオタクの恋は難しい。
どんなに製作会社が大きくても呆気なくサービスが終わることを私は知っている。
始まりがあれば終わりがある。でも、その終わりを長引かせることは出来る。
でも、このままM国で林檎をもぎりながらスマホをタップする未来に不安を覚えたので今筆をとっている。
もう少し話は続く。
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M国の課金戦士になった頃、心に余裕が生まれた私に友人がとあるゲームを勧めてきた。奴は陣地を広げるつもりであった。
勧められたゲームは、潰れかけた劇団を再興するために役者たちと苦楽を共にするストーリー(以下A国)でフルボイス。
繊細に描かれる役者たちの人生。フルボイス。耳とイヤホンがあれば良い。
ちまちまと画面をタップして話を読み進める行為が好きになれなかった。それならいっそのこと音読してくれといつも思っていた。
だから、A国のメインストーリーがフルボイスなのは大変助かった。
何より演者の芝居を耳で実際に感じることが出来る経験が新鮮だった。
このキャラクターはこの脚本を、言葉をこんな風に感じ取ったんだ。傷ついたんだ。泣いたんだ。笑ったんだ。演者の息遣いひとつに"生"を感じた。
そして、A国ではキャラクターが歌を歌う。
アイドルコンテンツでは無いけれど、公演にちなんだ歌を披露してくれる。ソロ曲とグループ曲、全体曲もある。
歌に命を救われた私がハマらないわけが無かった。
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ただ一言、凄かった。
ビックリした。歌に合わせて用意されたキャラクターと同じ公演衣装。めくるめくバックモニターの映像。歌毎に装飾が変わるトロッコ。火も上がった。スモークもでた。
"課金"が活きていると思った。
目に見える形で課金の成果が出ている。
M国のライブはどうだろうと思った。
M国のライブも映像でしか見たことが無いけれど、M国のライブはどうだろう。
前のライブ映像でも聞いた歌、見覚えのある振り付け。作りの甘いモニター映像。布まで安っぽく見えてきてしまう。
私がした課金はどこに活きているんだろう。ゲーム?ライブ?アニメ?コラボ?なんでも良いから演者に気持ちよくステージに立ってもらいたいと思った。悔しかった。
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それでも、この国の作物が少ないことは分かる。大母体は肥えた土壌のはずなのに実らない作物。水をあげてもあげても干からびたままの大地。水をあげすぎて根が腐ったのかも知れない。
痩せた土地で立派な実は実らない、と誰かが言ったけどコンクリート出身の強い果実に最終的には負けてしまった。
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課金が活かされる日は来るのだろうか。
後発組のアニメが作られる日は来るのだろうか。もっとスムーズな踊りを画面越しのアイドルが披露してくれる日は来るのだろうか。差別無く商業コラボを行える日は来るのだろうか。
コンスタントにユニットとしての曲が出る未来はあるのだろうか。
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A国は2期に分けてアニメを放映するらしい。1人1人にしっかりスポットを当ててストーリーを進めるのだろう。ゲームのストーリー3部の配信も発表された。
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