食堂のテレビでワイドショーが垂れ流しになってなんとなく眺めていると吉野氏のノーベル賞受賞のニュースを取り上げていた。
その番組は吉野氏が旭化成で研究をしていることにフォーカスを当てて「民間企業に研究者が籍を置けば、直接実用化に繋がるようなより社会的に有意義な研究を進められる。科学立国を立て直す契機はそこかもしれない。」というようなことを言っていた。
挙句司会の恵俊彰が「今の大学のランキングで東大とか京大の順位見てると腹がたってくるんですよね。『もうちょっと上行ってくれよ』って思いますよね。」とかぬかす始末。
「てめらみたいな世間様が地道に基礎研究やってるとこに圧かけていくからぼろぼろになって言ってるんだろアホか」と他人事ながら暗澹たる気持ちになると同時に、この受賞が「大学機関なんて自己満足の道楽で民の財を食い潰すだけの所だ。」だと基礎研究にかける予算を締め上げていこうという世論を余計に強固にするきっかけとなるのではないかという危機感を覚えた。
しかしながらそもそものところ、なんで日本人が日本の研究機関で結果を出すことにそんなこだわるのか僕には理解できない。
各分野で最先端の研究をしている機関は世界に散らばっているはずなので、その恵まれた環境に優秀な日本人をより多く送り込もうという方が真っ当な考えだと思うし、日本人が評価を得るという目標からすればその方が近道なのではないか。
反対にノーベル賞が取れればいいのなら世界中の優秀な研究者を国家ぐるみで金で釣って日本人にしてしまってもいいのではないか?
アメリカが抜きん出て権威的な賞受賞者が多いのは、あの2人の元日本人ノーベル賞受賞者を含む多数の研究者を、潤沢な研究資金と生活費を与えることで国に取り込んだからだ。無論それはアメリカという社会がやったことで国家が行ったことではないが。
考えてみればノーベル賞受賞者の数で一喜一憂すること自体、本質に目が向かない人間のしょうもない態度なのではないかというような気がしてきた。