はてなキーワード: 一喜一憂とは
キモいだろう。
分かってる。キモいさ。でも、その子と会話していると、ファンタジーが溢れて止まらないわけ。
こんな女の子と一緒に青春時代を過ごしたかった。中学校でなんとなく知り合って、最初は何気なく、でもお互い少しづつ意識しだして、友達になって、恋愛未満の付き合いから発展してナントカカントカ。妄想がはかどってしょうがない。
こっちは40代既婚男。子供二人。二人を私立大学に通わせても何とかなるレベルの収入がある。妻とは家庭内離婚。子供らとは仲がいい。外見は平穏。
相手は20代の子。趣味の場で出会った。もちろん独身。育ちが良い。年収には不満があるらしい。清潔で服のセンスがいい。それなりにモテそうな外見だ(地味目ではある)。
職場では偉そうにしてるオッサンが、娘に近いような年齢の子におずおずと話しかけて、ポーズ取りながら、話題を一生懸命見つけて、会話に一喜一憂してるわけ。
でもまあ、所詮ファンタジーだし、別に誰にも迷惑かけてるわけじゃないからいいかな。これも人生の楽しみだ。とか思ってたんだけどさ。
この間、その子が同年代の男と話しているのを見てたら、愕然ですよ。
お互いのLINE覗きあって「こいつどうなの?」「27歳だね」「上だけど、ありっちゃあアリだね」とか話してるわけ。
だいたい俺、その子とLINEでつながってすらいないし。(そういうことよ)
40の既婚おっさんが、20代の女子との間を、半年から数年かけてようやく縮められるかどうかという距離を、同世代の男は一気に詰めてるよ。当たり前だよな。
40超えたおっさんの出る幕じゃねーよ。と思った。パパ活?そこまで小遣いに余裕はないぜ。
密かに恋心を持って生きてやろう。キモい?知るか。墓場まで持って行ってやる。
あるいは、30代、40代女子に改めて恋をすることもあろう。その方がいいね。
逆に、何かが始まったということかな。
そういうことにしておこう。
「コーチおやじ」というものが存在する。主な生息地は動画サイトに若者が投稿した演奏動画のコメント欄で、そこによく出没する。
主な生態としては基本的にダメ出し。やれ「ピッチが」だの「モタる」だの「音の粒が揃ってない」だの具体的な計測方法のない切り口でダメ出しをする。そして主に若い女の子がギターやベース、ドラムを演奏している動画に現れては、そう言ったダメ出しをすることを好む。
(あと最近気づいたのは、街角で弾き語りをやっている女の子にも何やら延々と喋ってるおやじもよく見かける。これはダメ出しなのか何だかわからないが、腕を組み得意げに何やら喋ってる。女の子は片付けをしたいらしく困惑した笑顔で対応するのだが、彼女のその困惑には気づかず笑顔にだけ気をよくしてペラペラ喋ってる。CD-Rを買ってあげてるのかはわからないが買ってなさそうだ。)
またコーチおやじは、女の子が習得する楽器に関してステレオタイプの先入観を持っているだめピアノ、シンセ、エレクトーンなどの鍵盤楽器の投稿動画にはまったくと言っていいほど姿を見せない。そこにも稚拙な演奏が相当あるにも関わらずである。だからロック系の曲を演奏するギター、ベース、ドラム専門に出現する。とにかく女の子がこれらの楽器がうまいことを許せないのだ。
たまにそのダメ出しに対して誰かがコメント欄で反論をすると「批評も許されないのか」「慣れ合ってヨイショコメントしかしちゃいけないのか」的な開き直りを見せる。ひどい場合はコーチおやじのダメ出しコメントばかりが動画に並び、いつしか投稿主は動画を削除してしまう場合もある。
コーチおやじの本質、それは「尊敬されたい」「愛されたい」である。「なるほど!わかりました!これからも指導お願いします師匠!」と言われたいのだ。とっくの昔に現役でなくなってる、もしくは現役時代そのものが存在しなかったかもしれない自分にだ。空想の、虚構の、眩い白日夢はこの上なく心地よいのだ。また相手が女性動画主だったらあわよくばねんごろになりたいってのもあるって言ったら邪推し過ぎだろうか。
だがコーチおやじの願望が叶う日は決して来ない。なぜならば若者たちが動画を公開するときに期待するものは「賛辞」と「励まし」だけなのだから。コーチおやじの「尊敬されたい」「愛されたい」とは対極の、はるかに青く純粋な衝動だ。コメントでもっともらしいダメ出しなんかもらわなくとも、彼らは再生数という言い訳の出来ない評価と対峙することになるのだから。こういうとコーチおやじは「再生数がすべてなのか」と半笑いで反論しようとするだろう。そうだ、すべてだ。
ここまで読んだ人は気づくと思うが、俺がまさにそのコーチおやじだった。
ここは「だった」と過去形で言わせてもらう。何故ならば俺はその空想の中の自尊心を、よりによって自分の息子に剥ぎ取られ、丸裸な状態の滑稽な初老の男である自分を突きつけられ、激しい屈辱と自己嫌悪とともに目が覚めたのだ。「コーチおやじの滑稽さ」に。(ちなみに息子は音楽はやっていないのだが、どう突きつけられたかは本題とそれるので省略する。ただ、涙ながらに訴えられ目が覚めたとだけ言っておく)
80年代に成毛茂という70年代のギタリストがやっていた深夜番組は、その骨太の説得力に薫陶を受けた何人かの門下生が凄腕ギタリストとなり、副産物として有象無象の門前の小僧を生み出した。ようするに「薫陶」ではなく「受け売り」止まりの奴らだ。俺はまさしくこのクラスタの人間。
そして90年代から00年代にかけてE〇Pとかの音楽専門学校に入ったはいいが、バンドやるでもなく真面目に授業受けるでもなく、身に付いたものはと言えば出会い系サイトのサクラのバイトによる昼夜逆転の生活習慣というだけの奴ら。
両方に共通しているものは、何ら後進が手本とできる見本となる演奏音源や映像を残すことも公開することもなく(そもそも今で言うところの「なろう」だったので存在すらしないかもしれない)、ただ曲と楽器と半端な受け売りの楽典の知識だけを元に、投稿動画をあれこれ批評と称してこき下ろす。全員が全員そうだとは言わないがコーチおやじの本質はおおむねこれだと思う。
あのな、ご同輩。今は時代が違うんだよ。まず機材が違う。昔のようにMDやテープを何度も聴き直して音を拾わなくてもコピーができる。アンプだってライン録りで遜色ない音もできる。8トラックでピンポン録音なんてアホらしいことだってする必要もない。だけど彼らはそうやって楽になった分のリソースをどこに注ぐと思う?彼らはやっぱりその分純粋に練習に注ぐんだよ。彼らは試行錯誤の必要がない分まっすぐに練習するんだよ。俺たちよりも合理的なやり方で、何よりも当時の俺たちと同じくらいの熱意でもって。今の若い子たちの演奏が(女の子のそれも含めて)抜群にうまいように聴こえるのは錯覚じゃない。本当にうまいんだよ。
だから彼らが、あなた方やかつての俺がかすかに期待する「尊敬」や「愛情」をお前らに向けることは未来永劫あり得ないんだ。とっくに現役じゃないかそもそも現役だった時代すら存在しなかったおやじたちに。だからコメント欄で偉そうなダメ出しするのはやめよう。気に入ったらlikeをクリックして、気に入らなかったらdislikeすらクリックせずに二度と観なければいいだけの話だ。
とは言えやはり俺もいまだに「尊敬」と「愛情」が欲しいことは否定できないので、
DTMと呼ばれるものに手を出すことにした。つまり若い連中が群雄割拠する世界に、かつて打ち込み専門の誰かが言った「楽器が弾けるというのはデカい」をわずかな希望として胸に秘めながら、ひっそりと足を踏み入れることにした。pro toolを始めとした機材を大人買いした。使い方を早くマスターするためにインストラクターに素直に教えを乞うた(オヤジは金があるんだよ)。これで俺も再生数に一喜一憂する奴らの仲間入りだ。指がすっかり動かなくなったというより広がらなくなって難儀してはいるんだが、まあコーチおやじよりは健全だと思ってる。
8/26で広告がとめどとなく出てたので久々に起動したらいつの間にか2日立っていた。
とりあえずアカウントを消す。
育成系のゲームは古来から色々あったけど、サクセスはかなり洗礼されている。
何時初めても面白いはずだよ。
ストーリーもここまで来ると色々な所に伏線が散りばめられていて、世界が一層深くなっている。
パワポケと違って時間経過が存在しないから横に広がってるだけだけど、それでも、同時期に色々な高校がそれぞれの目的の元に
デザインも上手い
1つのシナリオをクリアするのにかかる時間は1時間以内で終わるけど、
野球ゲームやアドベンチャーゲームに見えて、本質はローグライクのような面白さがある。
当時は、妊活なんて言葉もなかったから、大変だったんだろうなと思う
新学期が始まり、一人一人自己紹介カードを書いて発表する時の事だった
「将来の夢」の項目に皆はなりたい職業とか書いてるの
まぁ、当たり前だよね
そこで、将来の夢に「先生の夢は、お母さんになる事だよ」って、みんなの前で話していた
クラス中がシーンってなった
中学生にもなれば「お母さんになりたい」って、どう言う意味か理解出来るもんね
特に夏休み開けとかに「家族でどこどこに行った」って、クラスメイトが先生に家族旅行の話すと突然泣きそうな顔になるんだもん
とにかく、「子供がいる幸せな家族」の話に敏感になっているように感じた
紫耀くんを認識したのは、2017のJOHNNYS' YOU&ME ISLANDだ。
私の小学生の頃からの付き合いの親友は事務所担とも言えるほどのガチのジャニオタで、幾度となく推しの映像を見せられたり何かと協力させられたり夜通しその魅力について語られたりしていた。
しかし私の食指が大きく動くことはなく、情報局って本当に変な名前のファンクラブだなネーミングセンスな、くらいで、コンサートには付き合いでたまーに入っても舞台は行ったことがなかった。
同行者がキャンセルになった回で彼女に連れられて行った夢アイだが、そのオープニングで紫耀くんがフライングで挨拶する演出があった。
サラッと書いているがかなりの衝撃だった、まさに度肝を抜かれた。
イケメンが…?吊るされて挨拶してる…???どういうことなの…。
後ろにはたくさんの若い子が蜂の巣みたいにぎっしり詰まってて(ジャニーズマンションと呼ばれていることを後々知る、ネーミングな、)展開も演出もトンチキ…もとい奇抜で、本当にカルチャーショックだった。
そのあとも「吊るされて挨拶の彼」が気になって仕方なくて目で追っていくと、身体能力の高さ、単純な動きでも分かるダンススキル。
親友のガチの防振(8万、3回払い)で覗くと幼いのか男っぽいのか掴めない顔。
えっ……?かわいい…!そしてかっこいい!吊るされて挨拶の彼…!なのにトンチ…奇抜!
前述の親友は筋金入りのジャニオタで、受験があろうが彼氏が出来ようがうまく(ゴリ押しとも言う)愛をジャニーズに注いでいた。
かたや私は学生時代ミーハーにダフトパンクから入りダンスをかじって所謂パリピとなり、暇さえあればクラブに1人でも通い、筋トレを崇拝し、大型フェスも1人で余裕ウェイの全く可愛げのない女になっていた。
なので「吊るされて挨拶の彼」…紫耀くんを応援するようになってからというもの、ジャニーズ、その特殊性と文化に衝撃を受けまくっている。
何度となく語られてきたことだろうが、以下新規の戯言と思って読んでいただけたら幸いです。
これは親友からなんとなく聞いてはいたものの、SNS等でその概念を肌で感じて驚いた。
とにかく新しいファンは大人しくしておく、ファン歴が長いほど強くて、なにかと新規のくせにとかだから新規はとか、逆に古株はこれだからとかそういうのが飛び交っていた。
ちょっとぉ〜あんた生意気なんだけど、放課後体育館裏来いよ!1年がしゃしゃってんじゃねーよ!
の世界じゃん。
コンサートでは量産系とかいってあんなかわいいお洋服着てたりしてるのに…。
ジャニオタはお菓子研究会のフリした体育会系マインドなのでは?とこの辺で気づく。
・供給量の多さ
これはもう、ジャニーズがダントツなんじゃないかってくらい。雑誌、CM、歌番組、バラエティ、舞台にコンサート、これだけでは収まらず、webやブログ、youtube、そこにリリースが挟まってきたらオタクは休む暇がない。
そりゃあこれだけ供給されたら日常生活がオタク中心になるよなと感じざるを得ない。
以前は基本週末にクラブに行き、推しの海外DJなんてほんっとたまにしか来ない私からしたらありがてぇありがてぇと言うほかない。
奥さんのジャニーズ愛が原因で離婚したという話を聞いたことがあるんだけど、あながちありえなくもないなと思って震えた。
やはりこれが一番、もうありとあらゆる売り出し方、やりかたに白旗、完敗、両手を上にあげて降参、である。
Jr.になりたい男子が何万といて切磋琢磨しながら成長し、根性と実力と才能を兼ね備えた極々一部の人たちが表舞台で活躍できていると思うのだけど、こう書くと天上人であるし実際そうなのに、そう感じさせない戦略は本当にすごい。
時に学校の先輩、近所の幼馴染、ペット感覚のかわいい弟、まっっったく己の人生と交わることのない彼らなのに、ふとした瞬間にそう錯覚させるのだ。
おそらくきちんと練られたインタビューの内容、誌面では絶妙なバランスでプライベートを想像させ、リア恋とかガチ恋なんていう言葉もある。衝撃の世界。
出どころが定かではない目撃情報やアイドルが付ける新しいアクセサリーひとつで女子たちはキャァアアア!!となり、共演女優のSNSに特攻、アップされた画像を検証、一喜一憂、すごいとしか言えない。(正直引いてる)
紫耀くんが朝の情報番組で指輪をしていたことが発端となりSNSがザワザワしていたことが数ヶ月前にあったが、それの回収の仕方が白旗500枚だった。
彼はファン向けのブログで、プライベートなLINEで使うような砕けた文体で 騒ぎすぎな、等とさらっと否定したのだ。
……彼氏じゃん。
何あの指輪!見たことない!ねぇ誰かとお揃いなの?えっ、なんでもない?ファッション?なら、なんで隠すみたいにしたの!?ねぇ!答えてよぉ!
ていう彼女のやきもちを、圧倒的な顔面のパワーと包容力溢れる言葉で言いくるめて最終チューでもして(してない)唇ふさいで黙らせる彼氏じゃん。
言っとくけどあれ、LINEじゃないから。ガチガチ公式のブログだから。画像も彼氏からの自撮りじゃないから。
分かってるが絶妙すぎてLINE感が拭えない。(永瀬くんのもそうだ)
そしてそのたびに癒される女子。落ち込んでもすくわれ、上がったり下がったり、胸キュン、少し(錯覚)遠い恋、まさに青春のそれ。シーブリーズの世界。
彼らが指一本動かす、笑顔ひとつつくる、そのたびに何億が動くと言っても過言ではない世界、その中心にいるめちゃくちゃ遠い遥か遠い人なのに、この精神的近さ。
…すげえよ、ジャニーズ。
他にもたくさんたくさんあるんだけど、もう今2477文字なのでいい加減もうやめておく。
俺らみたいな鈍感で身勝手な賤民に、罪悪感とか内省みたいな高尚な心機は似合わないからやめようぜ。
せこい罪にいちいち悩んで罰を期待してみたり、浅い内省をして心を知った気になったり、いったい何のおままごとをしてるんですかね。
内省なんてものは河原でひたすら砂を数えるようなものだと思いませんか。一万粒も数えてみれば達成感は得られるでしょうが、ほとんど何もできてないんだってことは顔をあげて、だんだん狭く閉じられてそれでも視力の先へと続いていく川の上流を見れば分かるでしょう。
砂粒を拾うたびに小さな罪を見つけて一喜一憂するなら、そんなものとっとと川の増水に流されてしまえば良いじゃないですか。どうせ、すぐにどこに流されたか見つけられなくなってしまうような罪だ。見つけようにも紛れてしまって、形すら忘れてしまっているような罪だ。
罪の意識と内面への探求の下に自己陶酔が滲みだしてるぞ。対象に観測者が入れ込んでいる。俺たちは砂粒を数えてるんじゃなくて、砂粒を数える自分を見てるんだ。砂粒は無限だが、目は二つしかないんだ。どっちが簡単で、どっちに気を取られやすいかは、瞭然だ。
だから、馬鹿みたいに笑って生きてればいいだろ。頭を空っぽにして罪のない笑顔で欺き合ってればいいだろ。見なかった振りをするくらいなら、見るのをやめればいいだろ。その方がむしろ誠実だろ。俺たちが見下してる馬鹿で粗野な人間みたいに。
どうせ、そんなことしても、やっていることは今と何も変わらない。それこそ砂粒一万ほどの誤差しかないのだ。
一喜一憂なんてしねえよ
倦怠感まみれの堕落した日常。起きてるのか寝てるのか生きてるのか死んでるのか夢なのか現実なのか現実ならこんなクソな事はないが、夢ならばこんなものはいらない。怒りや憎しみを感じるだけマシさそれさえ無くしてしまったらもう終わりさ。伽藍堂の仏様。うろつく廃人薄汚いアイツらがクスクス笑ってるクソみたいな人間に笑われる人間そうなったら終わりさ。怒りや憎しみを忘れたら終わりさ。アイツらは俺たちを何も感じない廃人にしてしまおうと企んでる。俺を終わりにしようとしてる。そうならないように怒って怒って憎んで憎んで憎んで。そうしなければ終ってしまう。うろつくゾンビさお前にも感染させてやろうか?お前も終わりにしてやろうか?アイツらがしたみたいに俺もお前にしてやろうか?
いや、どうすればいい?
いや、もう、ほんと、どうすればいい?
花男は10年くらい前に読んだ。面白かったけど内容は忘れ気味。登場人物はわかる。
6/29(土)、ライブビューイングにて宝塚歌劇団花組「花より男子」を観覧した。
そもそもの発端は6/26(水)、友人の誘いで同じく宝塚歌劇団花組「恋するARENA」をこれもライビュで見たことに始まる。
横浜の名曲にノリ、パロディに笑い、楽しくライブを見ていた私は、中盤に差し掛かった頃登場したある人物を見て衝撃を受けた。
え、このイケメン、誰?
そう。その人物こそが、現在「花より男子」で主演を務める柚香光さんだった。
「花より男子」の休演日に特別出演しにきたという彼(彼女か……)は、トップスターの明日海りおさんと軽妙なトークを繰り広げ、チームを引き連れ躍動する。
黒髪の映える華やかな顔立ち、様になって響く気障な台詞、キレッキレのダンス、キラキラの笑顔、跳ね回るような軽快な動き。
なんだ、この人は、と思った。
ぶっちゃけると、黒髪の柚香光さんのルックスがツボすぎた。この魅力的な人をもっと見てみたいと思った。できれば黒髪のうちに。
何と言っても彼女はタカラジェンヌ。多分この機を逃したら、また役に合わせて金髪に染めたり茶髪に染めたりするだろう。勿論彼女はどんな髪の色でも素敵だろうが、でも黒髪の彼女がめちゃくちゃかっこいいと思った、それも事実。
だったらどうする。
今見に行くしかない!
当日券に並ぼうにもトライできるのは土日のみ、そもそも観劇初心者にいきなり当券並びは厳しい。
諦めかけていたところ、6/29(土)にライブビューイングが行われるという情報が入ってきた。
そ れ だ!!!!!
即座にライビュのチケットを購入。ぼっちが三度の飯より得意なので一人で映画館へGo。上映が始まると、
いや、あのね、
すごいイケメンがいた。(語彙)
幕が開くと、イケメンだった。
学園ハンサムにしかねえと思っていた事態が現実に起きている。脳が混乱する。というより今でも混乱している。なんなの、あれ?
柚香光さん演じる道明寺司、のっけからパンピが着たら服に着られすぎて溶けそうなバチ強い服(語彙)を着こなして現れる。
強力な服が似合いすぎる。やっぱり思った通り黒髪が映えすぎる。顔がよすぎる。顔が小さすぎる。背が高くて足が長すぎる。手が大きくて綺麗。何?
もう、一目見た時点で大混乱である。
だが勿論、この混乱は序章にすぎない。
F4のリーダー。超大金持ち、超イケメン。気に入らない生徒をいじめては学校から追い出して遊んでいる。改めて書き出してみると酷いな。
この設定の通り道明寺くん、最初はやることなすこと酷い。しかし爆発的にいいルックスと、気障な悪役じみた演技のかっこよさで受け入れられてしまう。見かけと演技の案配の勝利だと思う。
そして彼は徐々に自分の思うようにならないつくしちゃんに心惹かれていき、一幕のかなり早い段階で、恋に不器用な青年が現れる。
このさ!!!!!!!つくしちゃんに恋をしてからの道明寺司がさ!!!!!!!!!!!死ぬほどいいんだなあ~~~~~~!!!!!!!!!
恋した道明寺司は、等身大の男の子だ。バカで、不器用で、意地っ張りで素直じゃなくて、俺様でわがままで、でも一途に深くつくしちゃんを愛している。
その全ての感情が、柚香光のひとつひとつの立ち振舞いからガンッガンに伝わってきた。
つくしちゃんの一挙動一倒足に一喜一憂してみせる、表情の移り変わり、小さな挙動、台詞。的外れなことではしゃいだり強がったりして、F4のみんなに宥められる絡み。要所でマシンガンのように放たれる女心殺しのキラーワード。なにより、つくしちゃんを「こんなに愛しい女がいるものか」とでも語りたげな眼で見つめる、その視線と、蕩けそうな笑顔。
恋を知った男の人の、カッコ悪さやダサさも含めた魅力、全部載せ。私は柚香光の作った道明寺司を、そういう風に受け取った。
あんなに、あんなに、ルックスがかっこいい人が。その演技・歌・ダンススキルを存分に用いて、男の人の魅力全部載せを全力で見せてくれる。こんな凄まじい興業がこの世に存在するのか? 私はこれを見ていいのか? マジで? 見せられているものの余りの素敵さに、私は本気でパニック寸前になった。
途中で道明寺の余りの魅力的さに、涙が出てきた。更に途中からは萌えがオーバーヒートし、最早訳がわからなくなった。
もう一幕前半時点くらいで、前菜とスープが美味しすぎて既に満足してしまったフルコースのような感じだった。まだ!!! まだメインもデザートもある!!! 美味しい!!! 美味しい!!!(混乱)
一幕ラストのキラーワードの連続(それまでの演技の積み重ねがあるから、殺し文句の破壊力がヤバイ)、二幕のこっちまで胸が痛くなるシリアスな演技、それが解決してからはまたフル回転で恋するソワソワ男子、……
万華鏡のような柚香光=道明寺司の魅力を堪能し、フィナーレの頃には「もう助けて!!! これ以上ときめかせないで!!! 死んじゃう!!!」状態になり。
フィナーレの柚香光さんのキレッキレのダンスと、デュエダンでの愛おしいものを見る蕩けそうな笑みに止めを刺され。
上映が終了した頃には、無事アラサーオタクの抜け殻が完成していた次第である。
あらゆるオタ友に「死んだ」「助けてくれ」「息してない」とLINEを送りまくり、語りまくり、それでも整理がつかずにこの記事を書いている。
花より男子の原作は面白く読んでいたが、あまり魅力的だとは感じなかった(私は西門さん派)道明寺に、見事に恋をさせられてしまった。
同じ作品を目撃しているはずなのに、原作を読んでいたときと、全く違う世界が見えた。舞台演劇って、宝塚って、すごい。
そして、「チケット一枚じゃ足りない」ってこういうことか! と実感している。足りるか!!!!!!!!!!! あんなすごいものを見せられて一度で理解できるか!!!!!!!!!!!
既にもう一回見たい。だがもう無理だし、おとなしく円盤発売を待つことにする。次からは、もっと真面目にチケット戦争に参戦するんだ……
まとめる。
柚香光の作り上げた道明寺司という、あんまりにも凄まじいものを見せられてしまった。
早くもう一度見返したい。また死ぬことになるとしても。
そして、柚香光さんご自身についても、これから演じられる役を注目して見ていきたい。あれだけのものを作られる役者さんだ。また素敵なものを見せてくださるに違いない。あとお顔がとても素敵です。
他の演者の皆様も本当に素敵だったけど、如何せん道明寺に殺されすぎてライフがゼロなのでちょっとまだ言語化ができない。許して。いつかどこかでやる。まだ人の形っぽいゾンビくらいまでしか回復できてないんや……
無駄なことをやったり、何度も同じミスをしたり、興味を惹かれると横道にそれたり、誰もやらないようなことをやって裏技見つけたり、だらだらプレイして惰性でクリアーしたり。
勝ったら喜び、負けたら悔しい。下手だが全力で出し尽くす。あー楽しかったってゲームが終わる。
ところが、こんなゲーム下手な自分が目標を定めてうまくゲームをやったことがあった。
効率とコスパを追求し、フォームを体に染み込むまで繰り返し練習、戦略座学、合理的にポイントを稼ぎ、ランクを上げていく。
勝った負けたで一喜一憂せず淡々と勝率向上とフィードバックを確認しながら課題解決を繰り返し上達の上昇が落ちないようにプレイを続ける。
やった結果、上達したが、上手いを目指すとゲームを楽しむ感情が失せるからゲームが続かず、自分はゲーム下手なのかもしれない。
やっぱり増田の言う通り、ゲーム下手は人生下手なのかもしれない。
こんな自分でも淡々と人生ゲームをプレイすれば、いい人生送れたのだろうか。
上手い人たちは何が楽しくてゲームやってるのか。
人は生まれ育ち、やがて愛する人と出会い、子をもうけ育てる。そうやって命を次の世代、さらに次の世代へとつないでいく。
人類は生殖活動という凡庸な行為によって歴史をつむいできたし、他の動物もまた同じだ。
現在、この地球上に存在する生命は数え切れない生殖活動の産物なのだ。
あなたもわたしも生殖活動によって今ここに存在している。それを否定できる人はいないだろう。
しかしふとむなしくなる。その先に何があるのか。
思えば自分は小学生のころから宇宙の限界を感じてよく発狂していた。
というのも、人は必ず死ぬし、人類は間もなく滅亡する。地球はいずれ死をむかえ、太陽も役割を終え、宇宙もそう遠くない未来に消滅する。
そんな世界において我々人類の生にどれだけの意味があるのかよく悩んでいた。
これは時間上における宇宙の限界だが、小学生のころから空間についてもまた悩みを抱えてきた。
宇宙の外の話だ。宇宙がどこにあるのか自分はわからなかった。今もわからない。宇宙はどこにあるのか。
宇宙がどこかにあるのだとしたら、宇宙は何か他の容れ物の内側にあるということになる。
仮にこれを超宇宙と名付けると、今度は超宇宙がどこにあるのかが問題になってくる。
超宇宙がどこかにあるのだとしたら、超宇宙はさらに何か他の容れ物の内側になければならないからだ(「なければならない」という発想が凡庸な人間の限界なのかもしれないにせよ)。
そうやっていくと、空間、場所というもののよりどころがどこにあるのかがわからない。一体ここはどこなのか。小学生のころからずっと悩んできたし今もさっぱりわからない。
もし完全な外側というものがあるのだとしたら、それは一体どういったことなのか。
そんなこんなで考えてしまう。竹達彩奈さんの結婚は宇宙に対して一体どれだけの意味を持つのだろうかと。
オタクは声優の結婚で一喜一憂する。最近はそういう風潮もなくなってきたが、やはりショックを受けたファンはいるだろう。
しかし、そういった感情にどのような意味があるのだろうか。すべてが無に収束するこの世界で。
たしかに竹達彩奈さんと結婚したかった。しかし我々オタクにはそんなのはノーチャンスだった。まず会ったこともない。
それじゃあ仮に会ったことのある女性となら結婚できたのだろうかと考える。
それもまた不可能だろう。世の中の女性にはすでに恋人がいて、出会った時点ですでにチャンスはない。
すべての人間的な社会的な行為は我々の外で行われている。気付いた時にはすべて終わっていて完全に手遅れだ。
しかしそういった我々に隠された行為も一体どれほどの価値があるというのだろう。あるいは我々がいちいちショックを受けて自分の人生を嘆く、そういったことに一体どれほどの価値があるというのだろう。
もしわたしやあなたが美男(あるいは美女)に生まれて、お金持ちになり、健康な体で、適齢期になれば周囲がうらやむ美女(あるいは美男)と結婚して幸せな家庭を築いていったとする。
それが一体どれだけのものだというのだろう。
宇宙には限りがある。時間的にも空間的にも。この内側の世界はすべて幻想のように見える。
たしかに竹達彩奈さんと結婚できたらよかったかもしれない。悔しい思いをしたファンもいるだろう。しかしどれほどのものだというのだろう。もし仮にわたしやあなたが竹達彩奈さんと結婚していたとしても、誰も死からは逃れられない。いずれ死ぬし、愛し合った結果生まれた子供もいずれ死ぬし、その子孫もやがて死ぬし、遠くない未来に人類は滅ぶ。宇宙は消えてなくなる。もう誰も覚えてはいない。超越した観察者の視点には立てないのだ。
人は生殖活動をして命を次の世代につないでいくことくらいしかできない。だからおめでたいことではあるのかもしれない。そういうことにしておかないと人間は正気を保っていられない。
確固としてものはなくすべては幻想で、今そこに「ある」ように見えるものもすべて究極の根拠を欠いたままだ。それでもそこにあるように見えるからそれでいいではないかという人もいるだろう。それでいいのかもしれない。美人と結婚して生殖活動をしてかわいい子を育てればそれでいいのかもしれない。そう思える人は幸福だ。
自分には何もわからない。ただ、竹達彩奈さんの代表作が『絶対防衛レヴィアタン』だということは主張しておきたい。お元気で。