アニメーターは、愚痴愚痴言いながら、自己否定のループにはまっていく人間が多い。周りから能力の高さを買われていても、全く評価されていないと嘆いていることが珍しくない。
感受性ばかりが高まって絵を描いているうちにアニメーターになってしまった。しかしアニメーターは下請け業務である。自己管理能力が問われる職業である。彼らはえがいていた仕事像と必要とされる能力とのギャップに驚きつまずく。
その言動をよく観察してみると、家族関係に問題を抱えている人間が少なくない。要するに、愛着障害によって、自己嫌悪と承認欲求の無限回廊に閉ざされている。
まずもって彼らは自分が嫌いなのである。理想の自分像があって、そこから外れると減点評価。当然、他者をも認めることができない。批評家になる。本人は目指すべき場所を目指しているつもりだが、実際には様々な外的評判を内面化しているに過ぎないことに気づかない。内省する力が残っていない。
彼らには大丈夫感が足りない。いつかやればできる。失敗しても次はなんとかなるだろう。その次失敗しても自分は成長している。そういった楽観を描くことができないし、自己効力感も得られていない。だからものごとに一喜一憂するしかなく、日々のちょっとした不幸を大げさに嘆いてみせたり、ほんのわずかな間だけでも自分を楽しませるためにゲームにのめり込んだりする。
彼らは自分の本当の欲求に目を背ける。理解されたい。愛されたい。しかし理想の自分がこれを許さない。自虐、自嘲。わたしも傷ついているから周りの人間を非難しても許されるはずだ、と他責も辞さない。それがまた内面に対する攻撃になってしまう。
必要とされたい。だから多すぎる仕事を引き受けてしまう。頑張れば褒めてもらえる。自分を褒めてあげることができる。そういう過去の体験がある。
過大な期待を自らに課す。期待は未来の報酬を予測したものである。つまり発生した時点でこころの借金になっている。支払うことができなければ、失望という形で清算することになる。
彼らは自己の能力を冷静に分析しないまま仕事をはじめる。ほんのわずか努力すれば届く目標にすべきである。しかし理想の自分がこれを阻む。伝説的な先人に自らをなぞらえて物語を作ろうとする。先人は目の前の仕事を終わらせ続けただけである。
人生は現在の連続である。人生の物語を先に綴ってしまうのは、資本が十分にある人間がやればいいことである。資本というのは、金融資本、物的資本、社会資本、すべてである。
彼らに必要なのはカウンセラーなのかもしれないが、それ以前にやるべきことがある。
自分の能力を遥かに超えた仕事に着手しないことである。身に付けるべき能力がないなら身に付けることである。仕事はあなたを成長させてくれるものではない。期日までに終わらせるものである。
自己実現は目的である。金融資本はその必要条件にあたる。条件を満たさずに走り出すのは愚かである。自分が嫌いだから、安すぎる報酬でも満足したふりをする。自分を愛していれば、そのような仕事を請ける道理はない。
過大な期待、経済的圧力、惰性。これらは仕事を続けるうえでのモチベーションを下げこそすれ上げるものではない。大切なのは、作業そのものに喜びがあること、仕事に意義を感じること、その先に描く未来に可能性を感じることである。これら内発的動機を、外的要因に振り回されないように用心しなくてはならない。気がつけば、日銭を稼ぐために生きがいを殺している場合もある。
繰り返すが自他問わず過剰な期待には要注意である。評価の前借りは認知の歪みを生む。自分は褒められて当然の仕事をするべきだと考えはじめる。名声欲である。認知が歪んでいると肯定的フィードバックを当然のものだとみなしてしまう。よって脳は報酬を受け取ることができない。得られた場合にも期待はさらに膨らむ。麻薬と同じである。
謙虚さが必要である。謙虚さは自己否定ではない。驕りがないということである。謙虚さは内省なくして存在し得ない。内省は自己像と現実の一致にある。つまり現実の自分を受け入れるところからはじまるのである。
作画は大変な能力の要る仕事である。能力不足であれば、仕事を請けている場合ではない。街に出てスケッチでもしているべきである。生活していくだけの金銭的報酬が得られないならば、趣味に留めるべきである。
ところで、精神が不安定になる原因は睡眠、運動、食事、社会的繋がりの欠如が上げられる。
まず寝ることである。睡眠を削ってでも対応しなければならない仕事などアニメには無縁である。放送が落ちても人が死ぬわけではない。救急外来で働く看護師ではない。業務内容は、決められた期日までに自分が請けられる数のカットを納品することである。睡眠不足で仕事に臨んでも成果は下がる一方である。
スケジュールを立てる際に、1日から睡眠時間を引くことを忘れてはならない。寝る時刻になったら、どれだけ惜しくても寝る習慣をつけることである。
寝るために必要なのが運動である。全身に血液を巡らせる習慣がない人間は精神虚弱になって当然である。本当なら1日2時間は日の光を浴びて運動するべきなのである。人間という生き物は部屋に引きこもっていると具合が悪くなっていくものである。
水泳、散歩、ヨガ、プランク、スクワット、リングフィットアドベンチャー。なんでもよい。座り込んでいるよりマシである。
もうひとつ、精神虚弱の原因として血糖値の乱高下が考えられる。
まずカフェインを絶つことである。白砂糖を控えることである。血糖値が急速に変化すれば精神的変化に見舞われるのは当然である。おなかがすいてないている子どもと変わらないのである。
3時間毎に低GI食品を摂取すればよい。おやつにケーキやシュークリームをやめて、おにぎりとチキンにする。コーヒー、緑茶をやめて水か麦茶、ハーブティーなどを飲むよう心がける。依存性のあるものを遠ざける。食生活を根本から見直さない限り、健全な精神は得られないであろう。
最後に、社会的繋がりは人間の本能である。相手が制作進行だけで、しかもそれが精神不安を煽ってくるような未熟な人間なら、たちまち追い詰められてしまうだろう。
大切なのは成熟した人間と多くの繋がりを持つことである。他人を利用したり平気で嘘をついたりする人間と付き合ってはいけない。
仕事が全てではない。趣味を増やすのもよい。ただし寝ている間を除けば1日の半分以上を費やすことになるのだから、わずらわしい思いはできるだけしないに限る。仕事仲間は互いに理念があってそれを語り合える人を選ぶべきである。寂しい人間同士が集まっても何にもならない。求めていないことを互いに共有することはできないのである。
また仕事以外の時間を大切にすることができれば、業務上のトラブルに立ち向かっていくだけの精神的体力を確保できる。
1日中仕事に溺れるならそれだけの信念と根気が必要である。仕事ばかりしている人間は大抵仕事自体が好きである。情熱が桁違いである。うつになるアニメーターには無縁の話である。
コピペっぽいけど全部書いたの?アニメーターは他の仕事にも置換可能だな。
思った。 どうしてアニメーターなのか不思議
アニメーターになることを歓迎する親なんてそうそういないだろうしな 「いつまでもマンガなんて描いてないでちゃんと就職しなさい」ぐらい言われてそう
なるほど睡運瞑菜
謎の目線の怪文書だな
むしろアニメ監督やん 少なくとも演出に踏み込んでる段階のクリエイターの話じゃん 過剰な自己顕示欲抱えてる人は自分でオリジナル創りたいと思うし 作画職人に徹してたらそんな悩...
生来ネガティブな人が潰しの効かないクリエイティブな仕事を選ぶと詰むという話としては一般性がある。
できるものなら
ブコメとトラバの温度差が人と動物の差って感じだ
ちょっとでも自己承認をしようと思えば「天狗!」「高飛車!」「うぬぼれ!」「ブス!」と声が飛んできて 嫉妬でいじめられる世界にしか生きてこなければこんな人間ができるだろう...
実力的になんとなく不信感のある新人がいつの間にか一線級で仕事するようになっててその姿に打ちのめされるまでが定期