はてなキーワード: ノベライズとは
ブックオフでエロゲのノベライズを見てて、痕が100円だったから買おうと思ったら、2300円だよみたいなプレミア価格言われて、えっって思って買うのやめた
そのあとエレベーターに乗って帰ろうとしたら、ドラクエのマルティナが先に乗ってたから、もうチャンスはここしかない、ダメでもともとだと思って、土下座して、パンツ見せてください!!!!!って頼んだ
でも、ダメ元っていう考えがあったせいか、マルティナのキャラだとそういう感じだろうという想像からきたものか、冷たく一瞥されただけで当然みせてもらえなかった
ちなみになぜ土下座してるのに冷たく一瞥されたかがわかったのかってのは、夢の中だからどげざ してる自分とそれを見てるマルティナを天井あたりから見てる視界があったから
ちなみにドラクエはまだやってないし今後やる予定もいまんところはない
youtubeでマルティナの動画ばっかりみてたせいでこんな夢みたんだと思う
どうせならパンツみせてくださいじゃなくてそのままむしゃぶりつけばよかったのに
あ、ここでいうpixivの小説は二次創作、主に腐向け作品だと思って読んでほしい。
pixivの小説って評価が相応じゃない。とても面白くて「人に読ませる」文章なのに、ブクマ数が極端に少ないとかザラにある。
もちろん人気ジャンルかそうでないかに差があるのは分かってる。
ブクマ数が多いなって思う基準が50なら1桁は少ない。基準が100なら20前後は少ない。
私もミーハーな人間だから、ブクマ数が多い小説に手を伸ばしがちである。しかし、冒頭数文で(あっ、この人は書くのが下手だな)だと悟って読まなくなることや最後まで読んでも(何が何だか分からなかった)とブクマせずに終わることも多い。
二次創作だから下手な人がいて良い。むしろそれを排除しようなんて思ったら二次創作という文化が健全ではなくなってしまうと思う。
文章構成が上手くできていなくても、ネタが良ければブクマしたりする。二次創作だから!商業じゃないから!
でも、下手なのに面白くないのにブクマ数が多い、過大評価されている、と感じるものが多すぎるのだ。
こんなに上手いのに何故評価されないのか。作者の宣伝が足りないのか。タグ付けの問題か。
でも、pixivでは匿名っぽく小説を上げている人も多い。タグも腐向けタグとカプ名だけの人も多いし、タグを何もつけていない人も多い。そういった人たちだけが極端に評価されていないわけではないしその人たちの作品のブクマ数はむしろ多い傾向にある気がする。
では、何が下手で大して面白くもない小説がpixivで評価させてしまうのだろうか。
私としては仮説が3つほどある。
一つ目
R-18。単純にエロがあるとブクマ数は伸びる。たとえ(なんだこれめちゃくちゃだ)と感じるような文章の構成のものから、"原稿用紙の使い方"自体から間違っているようなもの、キャラクターの解釈を大きく違えているもの、でさえもR-18というだけでブクマ数は大きく伸びる。
これは人間の三大欲求に則しているから理由としては間違っていないだろう。
ただ、それだけで評価されてしまうのは気味が悪いと思ってしまうのは私だけだろうか。そうか、私だけか。
表紙がある。
pixivでは小説に表紙が設定できる。pixivの提供しているシンプルな数種類のものはもちろん自作のイラストやら写真やらを表紙にすることが可能だ。大半の書き手たちは主にpixivの提供しているものをそのまま使用している場合が多い。
その中で自分の撮った写真や同人誌の表紙よろしくフォトショ等で自らデザインしたものを表紙にしている人たちもいる。そういった人たちは小説自体に深いこだわりが多い人が多い。故にそのような表紙を使う人のブクマが伸びるのは大いに理解することができる。
大手の絵師のイラストを表紙に使っている人だ。身内だとか交流があるだとか、それは理解できるし表紙を描いてもらうのも理解できる。けれど、イラストが表紙のものは内容に関わらず初動のブクマ数が異様に多い。イラストをブクマするかのごとくブクマ数が伸びる。
これが怖いし、気持ち悪い。これで初動のブクマ数が多いためにランキング入りしてしまうのも気持ちが悪い。
もちろん絵師のイラストを表紙に使うな、とは言わないしそういうコネクションがあるのは素敵なことだろう。
しかし、内容に関わらずブクマをつける人たちには憤りがある。内容を読んでから評価しろ。
装丁は大事だ。しかし何よりも大事なのは中身である小説だ。それを読まずして評価するのは首を傾げざるを得ない。
三つ目
一度面白い作品を書いた人はそのあとも一定以上のブクマがつく、評価がされる。もちろんファンがついたということもあるのだろうが、一回面白くて上手い作品が書けたとしても、次があるかなんて分からない。しかし、内容も見ずにブクマをしている人間がいるように感じる。
これに少しばかり関連して、ブクマ数が多いものにしかブクマしない人間がいる。ブクマする理由はただブクマ数が多いから、そう言わんばかりに読む小説に傾向なく、ブクマ数だけで小説を読んでいる人間がいる。
まあ、それで"当たり"は掴みやすいんだろうけれど気に入らない。
取り敢えず、いま思いつく3つの理由を考えてみたけれど他にも理由はあるはずだろう。SSみたいな短い話だけが良いだとか、会話文多めの方が良いだとか、ギャグの方が良いだとか。
もちろんSSが悪いなんて言ってないし、会話文多めの小説を見下してるわけじゃない。ギャグの小説をシリアスな小説の下位互換だと思ってるわけでもない。
ただ、実力よりも評価数が多かったり少なかったりするpixivの小説が謎だと思うという話だ。
あと一つ、最後にもう少しだけ私の仮説を聞いてほしい。これはいろいろなところから怒られそうだから、読み飛ばしてくれてもいい。怒られること覚悟でこの仮説を示そう。
もちろん、文学作品を親しむ人間が多いのは分かる。私も実際文学作品をよく読む人間だ。オススメはオーソドックスっていうかこんなこと書いたら逆に「お前それしか読んだことないんだろ」と言われそうだが夏目漱石だ。一番好きな話はこれまたド定番にこころだ。現代の作家なら村上春樹で、鏡という話が一番好きだ。他には山田宗樹の書く話も好きだったりする。でも、彼らの書く話は「人に読ませる」文だし面白い。
少し話は脱線したがオタクは意外にも本は読まない。読んだとしてもライトノベルやマンガ・アニメのノベライズだ。そもそもオタクに限らず本を読む人間というのは少ない。自分が読んでいるからと言っても隣の人が本を読む人間とは限らない。学生時代はそれなりに嗜んだけど、今はさっぱりだという人も多いはずだ。必ず月一冊は読んでいるというだけの人間ですら探すのは難しい。
オタクが読んでいる本は、小説は、文学ではない。実は読んでいるようで、真に本を読んでいないのだ。「ライトノベルを見下しているのか!」と怒られそうだが、怒られることを覚悟で書いている。批判もどんとこいだ。ライトノベルでも面白いものもあるし上手い文もあるが、基本的には似たり寄ったりだし、何よりラノベ独自の文章の使い方がダメだ。あれはあれで文化として存在しているのだろうけれど、小説に求められているものって本当にソレなのだろうか。
又吉直樹の火花という本がある。芥川賞を受賞したあの本だ。あれは個人的には素人に毛が生えたレベルだと思っている。でも、話題になったし売れたし何故か芥川賞も獲れてしまった。
何故だとお考えだろうか?
それは"小説を読まない"人間が手を伸ばしたからだ。普段小説を読まない人間だからこそ、なんとなく「凄い」と思わせたら書き手は勝ちなのだ。小説を読まない人間というマジョリティに話題になってしまえば書き手は勝ちなのだ。
どんなに小さなジャンルであってもマンガは投稿されてなくても小説は存在しているなんてことがある。供給に飢えているオタクはそれを読む。小説を読まない人間の勘違いの「凄さ」「萌え」によって実力不相応のブクマは増えていく。
"小説を読まない"人間に評価は難しい。小説語に慣れていない人間に評価は難しい。知識が足りない人間に評価は難しい。
絵については散々文句が言えたりするオタクたちも小説の評価に慣れていない。
私は小説に対する知識と教養が少ないオタクたちがpixivの小説に対する評価を歪めていると思う。
もちろんこれは原因理由の一部であって全てではないと思うが、確かに理由だと思う。
この意見に批判があるのは覚悟しているし仕方がないと思うが、私はこれを事実だと考えている。
もしも、これを読んで必要以上に怒りに狂った人がいるならば、考えてほしい。
あなたは小説が読めるのか、と。評論が読めるのか、と。国語ができるのか、と。
なんなら、学生時代まで遡って現代文の成績を考えてみるといい。読解はできたのかと。
まあ、私の書いている文章が読めているあなたは、自分が文章を読める力があっても周りの人間は、想像以上に読解力が無かったことを思い出せるだろう。そういうことだ。
冷静に考えた上で、この意見に批判があるなら聞かせてほしい。私は純粋に不当な評価のpixiv小説が存在することが不思議なのだ。その理由が知りたい。私の考察に至らないことは沢山あるだろうし、あると思っているから臆して匿名でこの文章を書いている。でも、できればこの文章をキッカケに理由が解明されればいいと思っている。純粋に知りたいから。
さて、最後に私は何が言いたいかと言うと、pixivで人に読ませる素敵な文章かつ面白い作品を書いている人の小説が不当に評価されているという事実が悲しい。
pixivで下手な小説かつ面白くない文章が不当に評価されているという事実に憤りを感じている。
下手な小説も上手い小説も面白い小説も面白くない小説も存在していていい。それが二次創作の良さだ。
※Amazon、及びKindleのサービスが続くことを前提に文章を書いています。サービスが終了したら苦笑とともにこの文章を読み直したいです。
どうなるんだ?
いま、ざっと確認したところによると、自分名義のアカウントで550冊ほどのアイテムが登録されていた。
チャンピオンの電子化に併せてKindleタブレットを購入し、本格的に電子書籍を利用し始めたので、およそ一年ほどの間にこれである。
このペースで行けば生きている間に少なくとも数千、おそらく万の単位で本を買う。
これが何万冊でも部屋が狭くはならないし、床も抜けない。これは電子書籍のメリットで、僕はかなりその恩恵を受けている。
その大半は格安、あるいは無料のマンガであるのだけど、それなりに高価な本もある。
生涯で数百万円をKindleの本代として支払うだろう。
これは将来的に子供ができてもタブレットを買い与えて共有の本棚として活用したいとは思っている。のだけど、僕が死んだらどうなるんだろう。
僕が死んだとしても、Amazonさんには関係ないはずだから、アカウントは維持できると思う。
しかし、登録のクレジットカードは使えなくなるため、妻なり子供なりのクレジットカードの登録でいいのだろうか。
弾言するが、僕はAmazonのアカウントの管理ルールについて一切調べずにこの文章を書いている。
マニュアルを読むよりも適当な文章を書き散らす方が好きだからだ。
例えば、僕のアカウントをどこかで子供名義にして、登録カードも子供名義の物にできるのだろうか。
そうすれば、子孫累代、一つのアカウントを誰かに引き継いで、膨大な数の本を電子書籍で読めるようになる。
最終的にはそこらの図書館くらいの蔵書を誇る“我が家文庫”が形成されるにつれ、このアカウントの継承権を巡って子供同士で暗闘が繰り広げられたりするのだろうか。
ある意味では積み重ねられた文化資本の継承とも言えるので、これの有無で子供の将来が……
ていうか、膨大な数の本が詰まったアカウントを売買する問題もいつか出てくるのでは……
アカウントの統合ができないので、一つのアカウントを継承していかないとかつての本が買い直しになるのでこういう問題が起こるのであるので、Amazonには是非、アカウントの統合徹底禁止を貫いて欲しい。
冲方丁によるノベライズ、小川一水・九岡望・飛浩隆・酉島伝法・野﨑まどによるアンソロジー、という超豪華メンツによる小説版が待ってるぞ。>BLAME!
色んな媒体で作品化された際、どういった順序で見るのが一番楽しめる(個人の感想です)のかを紹介。
何を根拠に並べているのかというと表現技法と情報量について、だ。
小説→アニメだと原作との突き合わしによる矛盾とかが出てきてしまい、視聴の障害になりやすい(個人の感想です)。
これがアニメ→小説だとアニメで語られなかったことやアニメとの相違点を素直に別作品として受け入れられる(個人の感想)。
よく原作組はアニメの出来にイチャモンや難癖を並べているのも、自分の中で膨らました小説のイメージが再現されなかったからである。
これがアニメ→小説なら最初から別物であると割り切って門をくぐるので余計なぶつかり合いが無い。
その間に漫画があるのは、消化しやすいとか、アニメという絵が付いた媒体から音を無くして入り込む段階とかそんなところ。
本当は最後に持っていきたいところだが、映画は現在公開されていくのが観に行く正義なのでやってほしい。
特に映画公開時期で話題が高騰しているので時間的制約からアニメと漫画くらいしか消化できないだろう。
ドラマCDは本編と関係ないサイドストーリーが多いので一番予備知識いると思う。
なので最後に消化するのが一番よい。
というわけで2017年公開予定、弐瓶勉のSFアクション漫画作品の映画「BLAME!」をよろしく!!!!
BLAME!は小説、ドラマCDがないから漫画だけで予習できるぞ!
ちなみに新装版も発売されているがぶっちゃけ古い方がオススメだ。違いはちょっとした書き直しや表紙の書き直しだが旧版の方が味あっていいです。要らん。
あと次の情報も要注意↓
2月16日(木) ”ツトムの日”に、『BLAME!』劇場アニメ化記念「シドニアの騎士」一挙放送が決定!
↑シドニアの騎士は有名だろうが、BLAME!はまさに人を選ぶ作品だ。
この面白さを理解できるやつと酒を飲んで喧嘩して絶交する。ドン!弐瓶勉ワールド。
追記:
>冲方丁によるノベライズ、小川一水・九岡望・飛浩隆・酉島伝法・野﨑まどによるアンソロジー、という超豪華メンツによる小説版が待ってるぞ。>BLAME!
ようするに迷宮をひたすら潜る話が好きなんです。
と、いうわけでまだ読んでいないそんな本が知りたいのです。
現代的に言うならVR版の『ウィザードリィ的な』ゲームに興じる主人公達を描いた話し。
ちなみに、システム的に盗賊は弱いが、中身の意思が強いので、作中では異様なタフさを見せつける。
地下の深くに学校があって、当然魔物が徘徊しているし、トラップも存在する。
自然、通学する為には悪意あるダンジョンを通らなければならない女子高生の話。
街の住民である担任は忍者、友人は気闘者、剣士などだが、主人公は引っ越してきた為、普通の女子高生である。
現実では国亡の危機が近づきつつある一方で、夜ごと語り部は物語を紡ぐ。
マンガの方はWIZ的な、というかTRPG的な世界を飛び出して彼岸に走り去ったので、WIZ的成分は小説版の方で。
ちなみに、実はニンジャマスターガラは主役ではなく、表紙の女の子剣士(種族は獣人)の方が主役である。
ガラはあくまでオブザーバー的な立ち位置を堅守している(強すぎるから)。
あれ、意外に少ない。
なんかいっぱい読んだ気がしてるのにな。
WIZのノベライズは当然抑えているンだけど、実は迷宮シーンより登攀シーンの方が好きなのは秘密だ。
他にあったら教えてください。未読なら多分きちんと読むんで。
Twitterで「小説・君の名は。」発売前後のツイートを検索してみると(小説 "君の名は" until:2016-06-19)、
中高生っぽいアカウントで「『君の名は。』を買った/買いたい」って言ってるのがめちゃくちゃ多い。
「新海監督が映画を先に見てって言ってるから小説を読むか迷う」みたいな。
発売三日で10万部で即重版っていう売れ方からしても、宣伝や店頭で売れたって感じじゃないよね。
(参考:たちまち18万部! 映画公開の期待をふくらませる新海誠最新作ノベライズ『小説 君の名は。』 | マイナビニュース)
あとは神木隆之介ファンとRADWIMPSファンも関係してくるけど、
「アイドリッシュセブン」、通称「アイナナ」をご存知だろうか。
iOS、Androidで一年ほど前から配信されているソーシャルゲーム、それがアイドリッシュセブンだ。
近年人気ジャンルの一つになった「アイドル育成ゲーム」であり、そしてそのアイドル達が実際に歌う曲をゲーム中でプレイする、俗に言うところの音楽ゲームとして宣伝されてきた。
豪華声優陣が演じるフルボイスストーリーも売りの一つで、着実に人気を得ていたアプリゲーム。
この記事を書いている私も配信当初からプレイし、アイドル達の物語に一喜一憂し、トラブルにも負けずに前を向く姿を応援していた。
グッズは購入しないけれどその分アプリに課金して、とにかくハマっていた。
最初は暇潰しに丁度いいや、と軽い気持ちだった。それがフルボイスのストーリーに触れ、追加されるカードイラストが見せる表情や動きに次第に傾いて行き、気付けば暇潰しどころか毎日の空き時間や睡眠時間までも削るゲームになっていた。
「でも、楽しいし推しのイラストは可愛い。ゲームも楽しい。睡眠時間もお金も惜しくない」、そう言ってゲームを続け、何かあればゲームに逃げ込んだ。
推しは運営にも愛されている。だってカードを定期的に追加してくれるし、ストーリーでキャラを崩されないし、誕生日だって祝ってくれた。
アイナナにはキャラの誕生日ガシャというものがあって、そのガシャでは「誕生日のキャラのカードしか出ない」という仕組みだ。アイナナのガシャは普段なら候補生といって、所謂モブのRカードが平気で排出される。
他のゲームでいえば、フレンドポイントなどで回せる無料ガシャで出てくるようなカードが課金で回すガシャで出てくるといった具合。
それが一切出てこない上に、大好きなあの子のカードしか出て来ない。日々課金しては出てくるモブに辟易していた私にとって、まさに「神のようなガシャ」といえた。
そうすればユーザーは「運営ありがとう!」と感謝するし、確実に欲しいキャラを手に入れられて苛々は霧散して、自然と好感度が上がった状態になるのだ。
仮にその後のガシャを回しモブが出て来ても、ユーザーは「また次の誕生日ガシャがある。もしかしたらその前に何か特別なガシャがあるかもしれない、あんなガシャを開催してくれるんだから希望はある」と勝手に自分で自分を納得してくれるのだ。
言い聞かせ続ければユーザーはいつの間にか思考を停止するし、そこにトドメのように事あるごとに課金アイテム(石)を与えておく。
アイナナは同じSRを特訓(合成)すれば、上位レアのSSRになる。更にSRもRの合成で持つことが出来るカードがある。故に他のゲームより、課金が出来ない学生の割合も多かった。
そんな中課金アイテムを多く配布したらどうなるか? 簡単だ、優しい運営を崇拝するようになる。
課金している人にも石の足しになり、当然文句を言う人は少ない。
CDを出せば必ずランキング、CDTVの話題などを公式アカウント――それもゲーム中に実際に出てくる大神万理というキャラが言っているようにツイートすることで、更にユーザーはいかに運営がアイナナを大切にしてくれているのか!と感動する。
不定期だがプロデューサーレターというものもあり、ユーザーはより一層「このコンテンツは私たちが育てた」と優越感に浸れる。
私もそうだ。日々の仕事で疲れ果てていたのを、そんな気持ちを抱くことで誤魔化すことが出来た。
アイナナは最高だった。曲追加もストーリー追加も遅く、待ち飽きる時間だって楽しみになった。推しのカードが出るならそれくらいいいとさえ思っていた。
私はTwitterもやっていて、そこではアイナナ好きの人とも他ジャンルの人とも繋がっていた。布教はしなかったが毎日何らかのスクショをアップし、公式からの告知をRTしては「可愛い!」と言う。
アニメ化も決まった。冗談抜きで泣き崩れたし、フォロワーと喜び合った。楽しかった。
その日も仕事帰りの疲れの中、Twitterを開いた。私は電車の中で思わず声を出しそうになったくらい驚いた。
アイナナが炎上している。他ジャンルメインの人が特に苦言を呈しており、カードのキメラトレスや構図パクだと訴えかけるツイートが回ってきた。
更にキャラの設定パクを纏めたwikiまで出来ている。恐る恐る覗いてみると、そこには私の大好きなキャラの被り点を指摘する記述が並べ立てられていた。
私は何とか空いた席に座ると、スマホを片手にしばらく放心した。身動きが出来なかった。
ソシャゲ以外に疎かった私は「そのジャンルはアイナナの後に出たんじゃないのか」と、怒りで頭を真っ赤に染め上げてすぐに検索を掛けた。
……もう5,6年は続くジャンルだった。対するアイナナは一年。おまけに原案は、その長寿ジャンルの同人誌を書いていたこともあるらしい。
設定であげられていたジャンルだけじゃない。某アイドルゲームが好きなフォロワーさんが怒っている。
アイナナ繋がりの人は皆黙するか、知らぬ存ぜぬという素振りでツイートをするか、「こんなのありふれてる!」と言う人がほとんどだった。情けないことに、私も運営を信じてしまった。
するとひとりのフォロワーさんがこういった。
「私がこの子をずっと応援してきたのは、その子がアイドルとして輝く姿を見る為だ。最初は出番が少なかったけど、必死に出番を貰えるようにお金を入れてきた。全てはアイドルとして未来で笑って欲しかったから。
このゲームのカード制作の手間を減らしてやるためでも、素材を提供してやる慈善でもない。ステージで輝く姿を馬鹿にしないで」
輝いてほしい。アイドルとしてステージで誰よりも素敵になった姿を見たい。だから応援するし、お金も入れた。
…………それじゃあ、今私の手元で笑顔を見せるこの子のカードは何だ?
見れば見るほど似ていた。この笑顔もステージ上の姿も、この子であるはずなのに決してそうではない。あろうことかキャラを構成する骨組みでさえ、よそからつぎはいだものだという。
私の大好きだったアイドルは、他のジャンルの人達がずっとずっと応援してきたアイドルを平気で横取りした材料で生み出された?
ぐるぐるする頭で考えていた私の元に更なる衝撃が飛び込んできた。根岸綾香の問題だ。
アイナナに登場する如月あると。それが根岸Pが自己投影しているキャラクターだ、というツイートだった。
アイナナで「あると」と言えば、「如月あると」という人気女性アイドルという設定のキャラクターだ。
この「如月あると」は、2(キャラ名は一応伏せておく)とゲーム内ストーリーで共演し、公式ノベライズでは撮影現場でも仲良くしており、「ある坊」と呼ぶ程親しい仲なのだとも言われている。
根岸PのTwitterアカウント名が「あると」であること。アイナナ関連の(恐らく製作に関わる重要な)情報をツイートしていることから裏付けが出来ると、スクリーンショット付きで流されていた。
なんで?私がお金を払っていたものは他の人がたくさんの愛情を込めたコンテンツを平気でパクったものなの?ゲームプロデューサーの夢小説ってどういうこと?
グッズについても言及する声があった。やはりそちらも類似しており、眩暈がした。
それでもツイッターのアイナナ好きは意見を変えない。寧ろおかしいと声をあげることを赦さない、異様な雰囲気のままTLが流れていた。私は先ほどの訴えと根岸Pの件を耳に入れ、ようやく決心した。
アイナナに課金するのは様子を見よう。そして一度運営に問い合わせよう。
大丈夫だ。あれだけキャラに愛を持っていた運営だ。ユーザーに優しいツイートを流し、プロデューサーレターまで用意する様な彼らなら、誠意ある対応で今後も安心して遊ばせてくれるはず。
そんな期待もあった。私は運営にメールを送り、調査を待った。何の根拠もなく調査してくれると思い込んでいた私の元に、翌日返信が届いた。
内容は典型的な挨拶、それから「そのような事実はない」という否定。
……調査は?と思った。ツイッターを開き検索すると、同じような内容が返ってきたというツイートを見かける。おまけに課金していないのに勝手に代金を請求されるという「課金エラー」も起きており、早急な対応をするべき問題にノータッチ。
愕然とした。どうして?なんで?あんなにキャラを、ゲームを大切にしていたなら、ちゃんとするべきじゃないの?
「本当に大切ならその子固有のポーズや表情を考える。その子だけの煌きの一瞬を切り取るはずだ。アイナナは、そうじゃなかった」。
私はあれだけ熱に浮かされ、運営を信じ込んでいた頭が一気に冷えて行くのを感じた。本屋でアイナナが表紙になっているのを見かけ、コンビニでアイナナの商品があると知らずのうちに嫌悪感を抱いていた。
キャラは好きだ。ストーリーも応援していた。運営も好きだった。なのに対応は杜撰、根岸の自己投影。何よりもパクリ問題や他の俗に言うラレ元ファンの人を踏みにじった。
ツイッターを見るとアイナナファンはみんな口をそろえ、「アイナナは悪くない」「どこにでもある」「他のゲームも被ってる」という。傷付いた人たちのことは顧みない。どこにでもあるという構図は、そのゲームの運営やイラストレーターがきっと必死になってそのキャラの為に考え生み出した一枚だ。
私自信、彼らのこともゲームも良く知らない。けれど彼らがアイナナのための素材集ではないことくらい分かる。
それでも諦めきれずだらだらとゲームを続け、罪悪感や苛々、ファンの言動への嫌悪を募らせていた時。ついに公式が声明を出した。私は藁にも縋る思いで読み、乾いた笑みを零した。
要約すると「パクじゃない。これからもオリジナリティを追求し頑張る。」問題の根岸に至っては、まるで怒られて不貞腐れた子どものそれだ。
第三者機関への調査依頼さえせず、違うと言い張る運営。絶望だった。そうか、彼らはアイドルを大切にしていない。他のゲームもファンも、自分のコンテンツのキャラクターさえ「金になる存在」程度にしか見ていなかった。
私はアプリをアンインストールした。グッズを購入しないタイプだったので、何も手元には残らない。でもそれで良かったと安心した。
ツイッターは相変わらず「嫌なら辞めろ」「アイナナを叩くな」と盲目的な意見で溢れている。一歩間違えば私もああだったのかと思うと、今回の件で傷付いた人やクリエイターさん達に申し訳ない気持ちでいっぱいで、トイレに籠り思いっきり泣いた。
辞めた人達にもアイナナが好きで、運営がまともな対応をしてほしいと思う人だっているだろう。実を言えば私もそうだ。
そんな人たちの意見さえ許さない。肯定しか受け入れない。まるで今の擁護派は宗教の信者のようで、日々誰かを傷付けていることに気付かない。
彼らはいつになったら気付くんだろう。存在しているだけで不安と怒りを与えるコンテンツを擁護する自分達という姿を、一度見つめ直してほしい。
アイナナが今後も誰かの大好きなキャラを素材にするかもしれないのだ。標的は自分の大切なあの子かもしれない不安を、きっと他のユーザーは抱き続けないといけない。
ストーリー中で、アイドリッシュセブンの楽曲が盗作されるというものがありました。盗作されたアイドリッシュセブンの子達は、喜んでいましたか?
それが答えです。ストーリーだ!創作だ!というなら、もう何も言いません。
消費者にはこの件について言及する権利があります。私は気持ちの整理をするためにこれを書きました。
終わって問い合わせ可能な時間になれば、調べてから然るべきところへ問い合わせます。もうアイナナをプレイすることはないでしょう。アニメも観ません。
でもきっと一緒に成長したかったあの子だけは忘れられないし、これから好きな気持ちと、好きになってしまったのが悪いことだと言う罪悪感も持ち続けるんだと思います。
ついさっき一縷の望みをかけて公式サイトもツイッターもみました。でもやっぱり、なんにもない。
残ったのは色んな感情と、このコンテンツを応援し続けたという一年間だけ。なーんにもない。あの子は運営から愛されていなかったし、きっとあの子にしか無い煌きも本当はどこにもなかった。
まだ課金エラーにも対応していない運営。彼らがいつかまともになっても、私は今回のことが頭を過ってしまうから、きっともう戻りたくても戻れない。
アイナナの人達はみんな切った。私がお金をかけて生み出していたのは誰かの憎悪と、哀しみと、不安と、傷だった。一年間情熱を注いで愛を抱いて笑って楽しんで、手元に残ったのは途方もない罪悪感と虚しさだった。
これでおしまいにする。アニメショップにももう行かないし、ツイッターも消すだろう。アイナナを見ればどうしようもなくなってしまうから。
でもあの子が成長する姿や煌くのをもっと見たかった、どうなるのか一緒にはらはらして笑って泣いて前に進みたかった、あの子がいれば毎日頑張れた。私にはあの子が必要だった。でもあの子は演じている人さえ、規模は小さかったけどやってはいけないことを起こしていた。怒ってる人がいた。だからもうだめだった。
さようならアイドリッシュセブン。これを書いている時点で未練も何もかもたらたらなんだろうけど、私は元ユーザーとして、せめてもう誰もこんな気持ちを抱く人が出ないことを祈っています。
官能小説の出版社はそんなに多くないんだけれども、今回のKindle Unlimitedの対象になっている本が多すぎるのです
既刊数:164冊
Kindle発刊数:132冊
Kindle Unlimited対象数:128冊
既刊数:361冊
Kindle発刊数:307冊
Kindle Unlimited対象数:302冊
既刊数:398冊
Kindle発刊数:145冊
Kindle Unlimited対象数:115冊
既刊数:65冊
Kindle発刊数:65冊
Kindle Unlimited対象数:65冊
全巻対象
既刊数:465冊
Kindle発刊数:355冊
Kindle Unlimited対象数:344冊
既刊数:26冊
Kindle発刊数:26冊
Kindle Unlimited対象数:26冊
全巻対象です
既刊数:240冊
Kindle発刊数:117冊
Kindle Unlimited対象数:25冊
ここは少ないですね
既刊数:146冊
Kindle発刊数:52冊
対象の本無し。残念ですね
既刊数:41冊
既刊数:?冊
Kindle発刊数:481冊
Kindle Unlimitedのエロラノベ系の充実度は異常です
官能小説のレーベルは昔から電子でも販売しているところがありましたが、実本より高値で販売しており、値下げをしないことが有名でした
それを考えると今回の大盤振る舞いはおかしいと言わざるを得ません
また、一部作家さんが「読み放題対象になるなんて聞いてない」とTwitterで言及していることもあり、今後取り下げられる可能性もあります
なにはともあれ、現状では内容の10%まで読むと、購入した場合と同じ配当があるそうなので、読みまくって作者に利益還元するのもありなんじゃないですかね
やばいくらいハマっているあんさんぶるスターズ!がサービス開始してはや1年。どうにもこうにもメインストーリーのラスボス的キャラである天祥院英智くんのことがいつまでたっても苦手でした。
原因を考えつつもしっくりこないまま今回のイベントまで流し読みしていたのですが、今回のイベスト読んで少なくとも自分がアプリで遊ぶであろうあと2年だか3年だかの間に天祥院くんというキャラクターを好ましく思うことはないかなと思ったのですぐ言葉にできる範囲で苦手なポイントを覚書しておきます。
今回の七夕イベントのストーリーでやっと無理だなって理由が言葉にできるようになったので結果としてValkyrieやRa*bitsを引き合いに出していますがこれ書いた増田はマジでどっちの担当PでもないのでValkyrie担やRa*bits担が英智叩きの増田書いているわけではないことはご理解ください。
ちなみにサービス開始からプレイしてるのでサーカスも読んでいますし、ノベライズ版である革命児の凱歌巻末の書き下ろし『Daydream』も読んでいますがどっちも読んでいても苦手なものは苦手なので、その二つを読めば天祥院くんのことを理解できるはず(ないしは好きになるはず)みたいなおすすめの仕方は必ずしも妥当ではないと思います。
言われたけどいや読んでるんで…みたいな顔することがすでに数回ありましたし、逆に全キャラクター好きにならないといけないわけでもないと思うので合わなそうなキャラクターだなと思ったら触れずにそっとしておくほうが無難。
Valkyrieを七夕祭に引きずり出すため、パフォーマンスをさせるために斎宮宗くんを挑発する一連のやりとり。
天祥院くんてなんかアイドルを愛してるみたいな話してませんでしたっけ?Trickstarの革命以降は夢ノ咲学院のアイドルを愛して育てるみたいな話してませんでしたっけ?記憶違いか?もっと先の時系列であって今はまだ残虐な皇帝のままなの?
アイドル愛すとか言ってる口で奇人を舞台に引きずり出したいっていう天祥院くんの欲望のためにRa*bits犠牲にする気満々やないか!!!!
別にエゴの為にRa*bits利用して斎宮くんを引きずりだすのはいいんだけど、表向き学院のアイドルを愛して育てる気がありますみたいな建前がありつつRa*bitsのこと省みる気もないのが無理。生理的に無理。
Ra*bitsみたいな結成したてで実勢もない無価値なアイドルなら奇人のために潰しても全然よさそう。無理。
もしかしたら天祥院くんを好きな人は、天祥院くんは人の気持ちを読んで動かすのが得意だから、Ra*bitsを囮に使った時点で斎宮くんと影片みかくんがくるのは決まっていた展開でRa*bits自体に危害を加える気がなかったとかそういう解釈なのかもしれないですね。
そういうキャラクターへの信頼に基づいた深読み解釈は一度横にどけておいて、七夕ライブのあの場でValkyrieが来なかった場合どうしてたか想像してみてくださいよ。
わたしの想像の中の天祥院くんはfineで鮮やかにRa*bitsを屠りました。みなさんの中の天祥院くんはいかがですか?
天祥院くんは同じfineに所属する姫宮桃李くんのことを猫っ可愛がりしてますね。
天祥院くんは姫宮くんの前でだけは美しく輝かしいアイドル然としています。自分の過去の振る舞いや、今回のイベストで斎宮くんに揺さぶりをかけたり過去斎宮くんにしたような人格を分裂させるような揺さぶりかける自身の性質は見せないし話しません。
つまりは幻滅されるような、人間としてどうかという行いである自覚があるんだと思うんですが、天祥院くんは残り少ない命でやりたいことをやるためという大義名分で姫宮くんには見せられないような人間性を特に正すでもなくそのまま生きていますよね。
好きな人はそれが命を削って自分の目的のために全てを投げ出す美しい姿に見えているのかもしれないですけど、好きでもない人間からすると別に命かけてるからってなにやってもいいわけじゃないじゃん!?って思うし、都合よくやりたいように振る舞うために自分で自分の命を盾にして周りの人間に全てを容認させてるように見えるので生理的に無理だなって思います。
これが生理的に無理だなと思うのはあんさんぶるスターズの作品内に置いて、そういう天祥院くんの姿勢に文句をいうキャラクターがほとんどいなくてマジで外のキャラクターが英智くんの命がけのわがままに付き合っているようにしか見えなくて気持ち悪いというのもあります。
表立って天祥院くんを否定するのってそれこそ斎宮くんくらいで、他のキャラクターってその姿勢に関してはほぼ容認してるんですよね。ここは天祥院くんが無理であると同時に作品世界が気持ち悪くて無理なところでもあるのかもしれません。
命がかかってようが好意的に見ることができないキャラクターのわがまま放題が通りっぱなしなのを見ていると夢ノ咲学院はお前のための介護施設じゃねえ!!!!って気持ちになります。
マジで自分に憧れている可愛い後輩に見せられないような人格破綻の自覚があるのに命が短くて時間がないからって真っ当に振る舞う努力の優先順位を下げるのは甘えでしかないと思うんですよ、なんでみんな付き合ってやってるんだよ……
・ファンがきつい
今回の七夕イベストを読んだ感想でよく流れてくるのが、それでこそ英智ゲス最高!!!!(意訳)とか斎宮くんごはんになってくれてありがとう!!!!(意訳)みたいなのばっかなのも個人的に見ててすごいうわキッショって思いました。もちろん感想は個人の自由というのは存じております。
もしもわたしがRa*bits担だったらうわ英智うわって5回くらい思ったと思うけどさすがに大っぴらにそういうdis書けないじゃん!?
たぶん見えないように鍵垢で英智無理マジ無理って言うと思うし、なんかそういう負の感想があることを前提で、こういう英智すごい好きなんだけどやっぱ嫌な人は嫌なのかなあ…?みたいな感想とか見かけるのも天祥院くんの行いに対するネガティブ感想をマウント取って牽制してるように見えてうわあって思いました。フォローしてる範囲は狭いので局所的感想です。
でも冒頭でも書いた通りサーカスイベストとDaydreamを読んだら好きになるよ!!みたいなことは冗談じゃなく複数回天祥院くん担に言われていて、いや読んでるけど普通に好きになれなかったんだごめん…って感じなのでマジでごめんなさい。
30分弱で形になったマジ無理の理由が今のところこれなんですけどほかにも理由はあると思う。
キャラクターとして成立はしてるんだろうけど本気で一切好きになるポイントが見いだせないくらい苦手なキャラってはじめてなので理由を考えたくなりますが、結論としては今のところマジ無理。
今週も何もなかったがとりあえず今を生きている。
趣味に時間をつぎ込み、精神的に追い込まれたので誰も得しない自分語りでもしよう。
12歳で人間不信になった自分は、ただ家にいることと学校に行かなければならない苦痛の日常であった。
だが、そんな自分でもその時期に人間関係以外で救いになったものがある。それは「特撮」という存在だった。
それは8月の夏休み、東北地方の田舎でいつも通り帰省していた時であった。
自宅にいる時のように家庭用ゲームがある訳ではないので、携帯ゲーム機は外出時の出需品だった。
好きなようにやれるが、両親がいるので止めるように言われるのが嫌でセーブしている。
そして、暇でテレビを見ようにも関東ローカルの再放送番組が多いので結局籠っていることに変わりない。
日曜日の朝はニュース番組だったりとつまらなかったので、その時はテレビ朝日系列のチャンネルを回していた。
そこで最初に衝撃を受けたのは、8時に放送されていた「仮面ライダー電王」だった。
ただ普通になんとなく見てはいたが、自分は「今まで見ていた仮面ライダーとは何かが違う」と感じた。
当時放送されていた電王という作品はこれまでの平成ライダーにはなかった「コメディタッチ」の部分が多かったからだ。
ヒーロー作品は生まれて間もない頃から見ていて「テレビマガジン」や「てれびくん」を定期購読していた程だった。
子供ながらにハマっていたのは「激走戦隊カーレンジャー」という作品だった。
この作品も電王同様にコメディシーンがいくつもあり、借りてきたレンタルVHSを最後まで見終わってはもう一度最初から再生するので、父親がビデオデッキ内蔵のブラウン管テレビを半分壊したレベルだった。
2000年代に入り平成仮面ライダーシリーズが放送されたのだが、当時の内容としては人間ドラマを重視していたのと同時に一般人を殺害する描写が生々しかったからである。
アギトの頃から始まった夏の映画では、そのような部分が規制もなく突然始まるので特に龍騎やファイズの序盤のシーンは衝撃的だった。
テレビの本放送はライダーだけは知っていて、ストーリー自体はあまり覚えていなかった。
その為、2006年に放送された「仮面ライダー響鬼」はこれまでのライダーの風潮を一新とした作品であったため子供ながら理解しがたいものであった。
そこから2年程完全にヒーロー番組とは卒業し、当時流行っていたポケモンなどに時間を費やしていた。
その後久々に見ていた電王は自分が想像していたものとはかけ離れていた。
「ライダーなのにあんなに飛んだり跳ねたり、仰天するものなのか」と思った。
そして、帰ってきてからも戦隊までは見ていなかったが電王だけは最終回まで見ていた。
当時の自分はお正月のお年玉を貰うと電王関連のグッズにつぎ込み、「さらば電王」までのものは何でも買ってしまっていた。
しかし、翌年のキバで電王ロスが始まり、1話から最終話まで見ていたが微妙な反応であった。
それが「仮面ライダーディケイド」であった。
ディケイドは平成ライダー10周年作品として制作され、最新の映像技術で再び歴代のライダーが登場するというお祭り番組であった。
平成ライダーはあくまで全体的な内容でしか記憶していなかったので、昭和ライダーまでの作品は把握しきれてない。
だが、当時のライダーが再び現代で蘇るというこの企画には正直嬉しかった。
この頃から戦隊シリーズも再び見始め、夏と翌年に始まった冬の劇場版も見るようになった。
幸いにも部活以外の友人で話の話題として使えたのがこの特撮ヒーローの話だった。
その友人も当時はダブルにハマっていてハットやジャケットを着ていたことを覚えている。
そこからは、東映作品だけではなく円谷や東宝作品なども少しずつではあるが廉価販売していない作品だけレンタルしていき、サントラや円盤も買って個々の作品の世界観などを知ってきたつもりである。
それは今も変わらず同じではある。
少し愚痴をこぼすと、今の特撮ヒーロー作品が、段々歴代の登場人物が当たり前のように登場する演出をよく目にするようになったと思う。
それは近年始まったことではなく、昭和作品である設定の理由から、何度か出てくる客演シーンが存在していたことには変わりない。
それが現代になると、これまでの歴代のヒーローが大勢で登場するようになり、演出も以前よりも派手になったというだけの事であると感じている。
もう一点は仮面ライダーがばら撒いた伏線を回収しきれていないまま物語が進んでいることである。
昔であれば謎とされていた部分を本編内で解決することがあったのだが、後日談、物語の補完としてVシネマ作品やノベライズ展開などで別の主役にスポットを当てるスタイルが増えてきた。
これはファンにとっては悪いことではないが、本来あったはずの個々のキャラクターの設定が生かされずに抹消されてしまっている部分があったりすると感じている。
そして、話の進展が細かく丁寧に描かれている時と何も起こらないまま進んでしまっている時があるなと時々思っている。
これはあくまで視聴者としての意見であり、アンチなどを助長している訳ではない。
しかし、以前のように殺人を彷彿とさせるものやクウガや響鬼、電王などのそれぞれの違った見せ方というのが減ってきているような気がしている。
これからも死ぬまではライダー問わず特撮作品を見届けようと思うが、子供番組と同時に今まで見てきたものとは違う新しいギャップは生まれるのかどうか期待している。
ラノベとエロゲの歴史的関係 - Togetterまとめを受けて、富士見ファンタジア文庫のテレビアニメ化作品をベースに、マイルストーン的にラノベ、エロゲ(ギャルゲ)、ラブコメ漫画を並べたものです。あくまでラノベが軸です。太字は富士見Fから刊行されている作品。
追記:あとからいろいろ追加したり変更したりしています。スマホの人はページの最下部にある「PC版」というリンクをクリックしてください。発売月まではちょっと面倒なので。すみません。
単純に「有名なラノベ」「有名なエロゲ」を知りたいなら他のリストを見てください。
統計表 ゲーム中央値/平均値順 ErogameScape-エロゲー批評空間-
エロゲが原作のアニメ作品の一覧とは (エロゲガゲンサクノアニメサクヒンノイチランとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
はじめに言っておくけど、キャストに罪はない。
ほぼ。だいたい。
だけど映像見返して「自分演技下手だな…」って思ったら、サニワ女子にちやほやされたまま調子乗らないで、良い演劇たくさん見てほしい。
それか演技指導のワークショップ参加して、2.5出るときは原作研究めちゃくちゃしてほしい。それだけ。
刀ステはわりと楽しみにしてた。推し出るし。
ストレートプレイだっていうから、ちゃんとキャラクターとキャラクターが会話して、そこに『存在』してくれるもんだと思ってた。
でも、舞台終わったあとは悲しみと怒りとやるせなさしかなかった。
周りのサニワは「よかったね〜!!」「○○やばかった♡♡♡」しか話してないの。
ツイッターでもフォロワは「刀ステ最高だった!!」しか言ってないの。
っていう気持ちをどっかに吐き出したくなったので刀ステめちゃくちゃ良かった!って人は見ないほうがいい。少しネタバレもしてる。
個人的に良かったところは所作指導入ってたところ(特に三日月)、
鈴木三日月・北村薬研がちゃんとキャラクターで居ようとしてくれたところ。
カテコでもいらんこと言わんし。キャラクター像を崩さないんだよ。ザ・2.5俳優って感じでした。ありがとね。
あと衣装。特に山姥切の頭巾の、程よく重くて柔らかなドレープの綺麗な布。走ったとき一番自然になびいてた。
殺陣がんばってた。多すぎたけど。
なんで歌った?
演出に必要不可欠かな?えらい人に「CD出そうよ!」って言われたのかな?知らないけど。
謎ダンスじゃだめ?殺陣しながら静止、名前文字バババン!でよくない?充分すぎない?
カテコの歌もよくわかんないし。なんで歌った?
不動はなんで謝らないの?
謝って、「力を貸してくれ!」って皆で共闘シーンって流れが王道じゃないの?
薬研は巻き込まれ、長谷部は散々蔑まれ、挙句宗三は刺されたんだけど。山姥切は歩み寄ろうとしたけど何もかえってこなかったんだけど。
不動ってこんな子なの?違うよね。
原作だと刀剣男士から『審神者』への信頼や好意が少なからずあって、それで互いの関係性が築かれてるところがある。
固定の『審神者』が出せない分雰囲気しか出せなかったのはしょうがないね。難しいもん。
でも話の中で本丸の皆と不動の信頼感は築けなかった?
ただ、まあここの本丸じゃ築けないのも無理ない。
山姥切はがんばってた。でも彼の頑張りは自分の『近侍』としての自信を抱くための頑張りなんだよ。
不動のことなんてこれっぽっちもみてなかった。
不動は反発しかしてなかったし前の主に未練たらたらだけど、そうかもしれん、だがうちの主もいい主だぞ!ってならない?ならんか。
長谷部は長谷部で否定しかしないし。そりゃあんだけ否定されたら不動も噛みつくわ。噛みつくしかなさすぎて怒りの演技も怒鳴り散らす一辺倒になる。
だれもかれも不動の話を一度もまともに聞いてあげないんだよ。
審神者の考え「強くあれ」って何?どういうこと?何理解した気になってんの?
織田組の子たち、いつ乗り越えて強くなった?どこにレベル上がる要素があったんだ。心身共にボロボロだわ。やるせねーわ。やってらんねーってスト起こす勢いだわ。
キャスティング、どうにもならんかった?これ好みの話かもしれないけど。
喋るし脱ぐのにあのキャスティングはちょっとどうなの。ゴリラはネタじゃねーから。
真剣必殺の時笑ってごめんな。
キャラ解釈は箔かよってくらい薄っぺらくて、そんなんだからキャラとキャラが会話してないし、話の中でキャラクター像が構築されてないから、演技もうまくいかない。
どうしてそういう考えになったの?こっちきて。ちゃぶ台はさんで議論しようか。手がでたらすまんな。
原作の本編ないから作るの難しいよね。だったら、ちゃんとキャラクター解釈ちゃんとしてて、発展させてストーリー組める人でノベライズして、それ舞台化してくれたほうが全然良かった。
高名な演出家さんか知らんけど。別にあなたの作品観に来たんじゃないんだ。推し応援しに来たんでな。すまんな。
公式側がチェック入れてたのは互いの呼び方と喋り方だけなのわかった。(長谷部が尊敬語使ってたらどうしてやろうかと思ってた)
何より一番悔しくて悲しかったのが「キャラクターがないがしろにされてる」っていう点。
原作があれだけキャラクターも関係性もこだわって作っているのに、今回舞台では『このキャラクターでなければ駄目だった』って要素を一切感じなかったんだよ。
人気キャラだから?織田組の子たちとの関係性考えて手っ取り早くぶっこんだだけ?
だったらその子が、その子たちが、話の中で織田組の子に与えた影響は?
『乗り越えられた』のは周りのおかげ……ってわけではないんだな。
何もないんだもん。いなくてよかったよね。
漫画とかアニメと違って、ゲームからの舞台はキャラクターが動くことではじめて吹き込まれるいのちなんだけどな。
ビジュアル推しでもないし、演技推しでもない。
かといって話が完璧だったわけでもない。
何がやりたい舞台だったんだろう。
(動いた金については考えないことにする)
そのまま純粋に観れる人が羨ましい。楽しめなかった。悲しい。
私だって「推しサイコーだった♡♡♡舞台よかったー♡♡♡」って言いたかったし言おうと思ってたよ。
あまりにも悲しすぎて何も考えられなかった。
逆に何が「最高だった♡♡♡」んだろう。
今後もこういった原作に愛を感じない舞台ばかりが増えていくのかな。
観て「お母さん産んでくれてありがとう…この子とおんなじ世界にいる…ありがとう…生きてるって尊い…生きる…………」
ってやつじゃん。
でもレンタルビデオ店なんかもう行かないから見る機会もなくずっと悶々してた
ノベライズがあることを数日前に知って矢も盾もたまらず図書館で借りて読んだ
今夜は月がきれいですがとりあえず死ねってマンガ読んだあとだと、自分が無意識的にこのタイミングでキュアを読んだことがすごく恐ろしくなった
あらすじは首筋にXの傷がつけられる殺人事件が起きるけど、犯人たちになんの関係もないように見えて、でもなんかあるはず!で実際あったって話
設定は面白いし、映画で見れば違うんだろうけど、少なくとも小説で読む限りでは、微妙だった・・・
これは映画でみたほうがよかったな
でももうネタバレも見ちゃったしなー
良くも悪くも
この前母が、友達から「子供の国語力を上げるにはどうしたら良いか」という相談を受けたと話してきた。詳しく聞くと、母のその友達は某英数国教室の先生で、小学生の国語の教え方について悩んでいるらしい。母は本を読ませることを勧めたが、友達曰く「子供は中々読んでくれない」とのこと。
まぁ母との会話は結局ここで終わったのだが。
その後、私はふと「読書が億劫ならその前段階として漫画を読みまくれば、少しは読書のハードルが下がるのでは?」と思った。
何故なら漫画で「描かれてない部分」を想像することに慣れれば、本の文章を元に1から物語を想像することも出来るようになるかもしれないからだ。
何言ってるか我ながら分かりにくいので詳しく説明する。本は全て文章で構成されているのに対し(挿絵などの僅かな絵はあるが)、漫画は絵とセリフ(文章)で構成されている。しかし漫画の絵は全てを説明しない。例えば『「俺のせいで負けたんだ…」という台詞』と「キャラクターの握り拳だけが描かれている」コマの場合、読者はセリフと拳の絵を元に、読者はキャラクターの苦悩の表情や感情を想像する。また、スポーツ漫画にも想像力は必要だ。漫画はアニメみたいに動かない。そのため試合場面も静止画と効果音で表現される。それをあたかも実際に躍動感ある場面(球技のパスの攻防とか)として読めるのは、読者に「スポーツの知識」と「静止画から動きを想像する力」があるからである。読者にどちらかが欠けていると、その人にとっては「ただ人がいっぱいわちゃわちゃしてるだけのよく分からない漫画」となってしまうだろう。その辺は作家の表現力にも左右されるが。
書いてて思い出したが、2005年くらいのジャンプでハンターハンターのキメラアント編を読んでいた時も、ほぼ下書き状態の絵とコマに散りばめられた文章から物語や情景を想像していた。コミックスで美麗な絵になっていた時は感動した。
まとめると漫画を読む時、読者は自然に書かれていない部分を想像しているということである。
実写ドラマやアニメなどの映像作品だと、漫画と違い文章は読まない。漫画の方が本を読むことには近いため、読書の前段階には相応しいやうに思う。しかも漫画なら読むことに抵抗のない子供も多いのではないか。0から読書に興味を持たせるのは難しいが、漫画から読書に興味を持たせるのはまだマシな難易度だと思う。漫画のノベライズとかあるし。そうして徐々に小説の名作にも触れていってくれるのが理想だ。日本には漫画も小説も面白いものがいっぱいある。
特にジャンプなんかは今なら遊戯王もハンターも載るし良いと思うぞ!
後漫画って雑学や普段使わない言葉が覚えられるからその点でも子供の時読むのいいと思う。
小学校の頃、図書館にあったこち亀で初めてGIジョーとかベーゴマとかGショックとかときメモとか酒の密造方法とかの存在知ったなぁ懐かしい。
原作のある映画を観に行くので、その原作本を観る前に読んでおくという行為の意味がわからない。
物語を頭にいれておきたいの?
でも原作と映画とで同じ物語であるとは限らないし、表現にズレがあるとそれが気になって集中できないんじゃない?
だいたい映画って物語以外にも受け取るべき情報がたくさんあるから、映画体験の邪魔にならないようになるべくまっさらな状態で臨むというのが良いように思うんだけど。
もちろん映画化される前から知ってたり読んだりっていうのは別だよ。
先に原作読んだ方が、物語を良質な体験として読めるという場合はわかる。
それから事前に映画だけでは物語が全くわからないという情報がある場合もしょうがないかなとも思う。
最近では神々のたそがれとか。
2001年宇宙の旅もそう。
でもこれらの作品って、物語が理解できない状況で体験する映像それ自体のパワーみたいなのもあるから、難しいところではある。
昨日の記事で伝わり難かったようなので補足しとくん。
商業的な視点で二次創作をした場合、別に二次創作だから楽だっていうことはないんだよ。ある作家が、オリジナルの作品で漫画を一冊描く小説を一冊書くにくらべて、(オリジナル展開の)コミカライズ、ノベライズをしたほうが楽かって言うと、別にそんなことはない。
展開がオリジナルである以上、借りてこれるのは世界観やキャラくらいであって、エピソードや物語そのものを作る手間は変わらないし、実際それを組み立ててまとめる手間も変わらないんだよ。キャラや世界観を借りれるから楽になるアドバンテージだって、その世界やキャラを読み込んで把握し、原作サイドに許可を得たり監修受けたりする手間と相殺だ(人によっては、二次のほうが大変だと思う。自分がそうだ。ノベライズは相手によってすごく大変)。
「読者は世界観やキャラを知っているので説明しなくていい」っていうのは、書き手の誠実さの問題であって、一冊の商品として考えた時、二次だろうがスピンオフだろうが、前提知識なしで楽しめたほうがいいのに越したことはない。多くの商業二次は、そういう工夫をした形跡があると思う。「二次創作だから説明しなくていい」なんてルールはないんだ。それはただ単にそのコミュニティ(いまの同人)の常識であって「二次創作のルール」ではない。
その証拠に、単巻で成立するような誠実な小説同人を書く人は存在するし(多分漫画同人でもそういう人はいる)、前回の記事は「そういう視線の人にとって二次創作は別にそんなに大きなアドバンテージじゃないよ」って言う指摘だったんだよ。
じゃあ、なんで二次創作は敷居が低い、という話になっているのかって言うと、二次創作と、同人作品(原作者に監修を受けていない)と、断片作品(それ単体では成立してなくて、ある情景や関係を切り出して作品化してみたもの)と、コミュニティチケット(作品を書くことそのものではなく作品ファンのコミュニティ参加が目的である作品)みたいないくつかの動機や作品を、ざっくり「二次創作」というキーワードで並列に話そうとしているせい。
「二次創作」そのものには、創作を楽にするような要素なんて、特にない。
どちらかというと「今のファンコミュニティでは、単体成立していない情景や関係性に絞ったような掌編作品も大いに許容されていて、そういう文化は敷居が低い」ってのが正確だと思うんだよ。
そして、それ自体はすごくいいことだと思う。参加して初めて実感できるお祭りの良さってあるもんね。それで褒められたら欲が出て「いつかは単巻で成立する作品を!」って思うかもしれないし!
今、皆ラノベについて語ってるんでしょ?
ほら、そうなっちゃうと僕も一家言あるって言うか、血管にラノベが流れてる人間として言っておかないとってさ。
僕ぐらいのラノベオタになっちゃうと、もう息を吸うようにラノベを読んでる。
当然涼宮ハルヒも五巻くらいまでは読んだし、龍盤七朝ケルベロスも読んだ。大久保町シリーズも読んだし、銀英伝も読んだ。
あとは、皇国の守護者も読んで、餓狼伝も読んでる。トーキョーウォーも。
あとバスタードのノベライズも読んだ。冬の巨人も、ケイオスヘキサ三部作も読んださ。
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冗談はさておき、読書量はいろんな物につながるから、まあ普段からできるだけ鍛えておけば、魔法書の解読成功率が上がって魔法のストックを得やすくなるし、古文書も収集しやすくなって、魔法使いギルドにも入りやすくなる。