はてなキーワード: コメディとは
この部分は私の読解力不足が多いと思われる。
2話時点ではプリンセスと入れ替わる作戦。プリンセスにスパイとばれたことから背後関係が謎めき(プリンセスにバレている=背後の組織にバレている)、提案を受け入れプリンセスと協力関係に。プリンセスはスパイ活動で共和国を利してかつ王国の女王を目指す。実質的にチェンジリング作戦は棚上げ。
終盤、チェンジリング作戦は再始動。理由は共和国が画策した王国側のテロの主導者に仕立て上げ王国を揺さぶる。作戦後、プリンセス(に成り代わったスパイ)は不要。
………?入れ替わって主導者宣言させておいて入れ替わったスパイは処理するの?かなりもったいなくない?現場の判断じゃ事前に殺して弔い革命扱いでもOKと言ってるし。
「コントロール」が採算度外視な行動を取るようになったことは理解しつつも自組織スパイのあまりにも贅沢な使い捨てにクラクラしてしまった。謀略でプリンセスが主犯のように見せかけて殺すだけの方が手軽でリーズナブルに思えてしまった。
プリンセスの死後、チェンジリングの主人公は替え玉としてはたしかに不要だけれど替え玉をさっぴいても世代最優秀のスパイなんですが……
ストーリーを動かすために知能を落とすのはお約束として納得していますが、落としすぎるとダメなラインがあって、今回はかなりギリギリのラインでセーフでした。「止まるんじゃねぇぞ」レベルじゃないですが気になったかな。たぶん自分の見落としがなにかあるはず。
2重スパイ容疑の同期を探る話。終盤、容疑が確定し同期を撃ちたくないドロシーに対して目の前で自殺する同期だが、外では狙撃ポジションを維持するアンジェが。
スパイとしての正解は「自殺を阻止して身柄を拘束する」だと思うがドロシーはともかくアンジェがスルーは意外。話もスパイ露見時点で成功のようで死んだことが低評価にはなってないみたい。
自分がアンジェの人情深さを見誤ったかな。露見したスパイの末路はいつも悲惨だ。恐ろしい恐ろしい。死なせてあげるなんておやさしいこと…?最初は確保しようとしてましたけど……
しかし天才たちのスパイ頭脳戦なら自分より優秀なアンジェが安易に罠に引っかかるのか?と慎重に動いてほしかったところ。そこまでするとやりすぎでお話が動かないんだけどね。
ちせ登場話。
列車で移動中の日本の要人を暗殺者が狙う…という話。序盤でちせが顔見せし停車駅でのアンジェとちせのやりとり。
ちせ「仕掛けてくるならここか」
あのー、ちせさん走行中の列車に飛び乗り進入しましたよね!それに気づいたのもアンジェさんでしたよね!ちせさんと同等くらいの暗殺者を警戒するのなら停車中かは関係ないですよね!ギャグかと思ったら普通に進行して結構もやった。案の定襲撃は走行中だったし。
ギャグかと思ったと言えば3話。飛行船に乗り込み原盤奪取な特攻野郎話ですが、敵が自分たちの船に向けて銃撃しまくりで、比喩でなく船外でも船内でもバカスカ撃ちまくりで流石に笑ってしまった。強度的に大丈夫だとしても私にはわからなかったのでね。銃弾は当たらないのはお約束なのでそれはヨシ。でもアンジェの拳銃狙撃でピタゴラスイッチは…。
硬派なスパイアクションにしたいのか爆発でアフロになるコメディにしたいのか。ストーリーはシリアスなだけにところどころの不自然さが浮き立つ。その中で3話は一番ギャグしていると思われる。
ありえない場所に人が立ってることが幾度かあり気になった。ありえないと言っても塔の先端などではなく、「そこに立つまでに気づかれないのは変だろう」レベルの瞬間移動のような人のあらわれ方。たとえば尾行訓練に失敗したときの背後の取られ方。船で背後に着地して横に走り兵士が振り返ったときにはその背後に居るような超高速(ちせの超人範囲内?)、列車上でちせの背後に立つアンジェ(気づいていたけど声をかけられるまで無視?)、何人も居る狭いボロ屋の中に唐突に現れ男の腕を掴むアンジュ。ドアを開けた形跡はなし。もしくは開けて閉めたか。
ここまではほぼスパイ対素人。ちょっと過剰演出かな程度の感が、後半ではアンジェたちに気づかれずまっすぐな廊下を早足で移動していた最後尾の背後を取るアンジェに劣る万年二位委員長に極めつきは最終回。一瞬?で窓から部屋に入り背後から殴るアンジェからのそのアンジェの背後に立ち銃を掴み取るドロシーさんwithアンジェの驚き顔つき。いくらあせっていたとはいえ一流スパイの背後に唐突にあらわれるこのドロシーさんは瞬間移動でっせ…
やりたいよねーわかるー。だけどできれば一瞬でいいので近づく動きを入れてほしかった。
男が愚鈍。
はい。時代的に男ばかりなので敵役のモブが馬鹿でもいいです。いややっぱり男?最初は声優の演技が下手っぽかったり悪ノリが過ぎているのかなとスルーしていたが、だんだんとあ、これキャラクター設定時点でアレだわ。変なキャラにしてるんだわ。と気づいた。相手の文化に合わせず土下座しまくる日本外交特使。過剰に露骨に過ぎる借金取り(監督曰く「美味しいキャラに仕上がった」)。思慮が浅い父親。ステレオタイプすぎるジョック。典型的無能軍部のジェネラル。そこで絆されたそぶりを見せるとそりゃ殺されるよというイングェイ少佐。少佐!?そしてモブがハニートラップに引っかかりまくる。一般人やプライベートならわかるが職務中の衛兵や軍人がガンガン引っかかるのは頭を抱えた。船上に突如現れた不審者には見惚れねえよ…。リアリティラインなりレベルなりはルパンレベルでいいのんか?そりゃ攻殻機動隊でも色仕掛けはあったけどさあ。ハガレンのラスト(ボイン)みたいな方向がよかった。安易なハニトラ演出に引きづられてドロシーへの好感がやや下がる。
すべての男が悪し様に描かれているわけではなく王国・共和国組織のトップ二人は非常に知的に描かれていると思うし、主人公たちの見せ場にはなるものの変声に対してカマをかけた機転がきく軍人もいた。1話の兄さんやモルグのおじいさんなど光るキャラもいる。しかし全員優秀な主人公チームに対してところどころポンコツな人物たちという構図はやりとりが浅くなりがちでシリアスや緊張感といったものがガシガシ削られていった。スパイの悲哀や政治への夢を語られたところでなんかもうそういう作品じゃないしなあと乗り切れない自分がそこにはいた。
スパイという基本、上からの命令が絶対で自己決定権がないような立場でどう自分の意思を実行するのか。命令違反すればもうスパイではなく排除対象で不可逆であろう。オムニバス形式の作品で上からの指示を受け行動するスパイというのはわかりやすく毎回異なった展開が用意されていてよかったが、主人公たちのやりたいことをどう実現するのかは気になっていた。
結果、自分の意思で動くスパイを作るための終盤はその原因や免罪符含めて司令部の「コントロール」の指揮権簒奪、暴走という形で表現された。司令部に逆らったけど悪い司令部だったからお咎めなし。なかなかいい落としどころだと思いました。軍部の暴走や短慮ぐあいはもうそういうものと受け入れるしかなかったけれど。ラストの収まりはよかったです。
ふたりの再会時にアンジェが語ったゆめかわファンシーな逃避行の実現性も不明ですが、叶うと素敵そうでしたね。叶わないんでしょうけどね。
プリンセス・プリンシパルは「敵側のコメディ」に失敗した作品な気がする。主人公側のそれは良く出来ているものの、それ以外の「崩し方」といったものかなにかが私と相性が非常に悪かった。とくにこの作品を「硬派」とみていた自分には。これを女の子のかわいいスパイアクションアニメとしてみていればぜんぜん許容範囲で自分の落ち度とも言えなくもない。
「まじめな敵(組織)だけど滑稽なシーンもある」作品は浅学ながら少しは思いつき、どちらも漫画だけれど「ドロヘドロ」は初見怖い存在の魔法使いだけれどどんどん愛着がわいていくし、それでいて強さ感や怖さは保っていた。最近の作品だと同じく分断もので暗躍組織対政府組織モノの「東独にいた」は敵役?の政府側のキャラクターがいい感じにコメディしていて好きだ。それでも緊張感は保っているし、スイッチの切り替わりがギャップとして機能し緊張感が増しているすらあるかもしれない。
オムニバス形式でモブやゲストが多いプリンセス・プリンシパルと比較するのはやや違うかもしれいないがそういった両立できている作品を知っている身では「両立できなかった作品」ととらえてしまった。全体を通して不自然と思う部分もあり、後半戦はなんとか我慢して完走できた作品だった。俺は12話だから我慢できたけど24話だったら我慢できなかった。だから劇場版はたぶんごめんなさい。
最近、推し界隈での誹謗中傷が多い。SNSの発達でいろいろなものが可視化されるようになったのは、いい意味でも悪い意味でも作用している。
あまりにも最近頭が痛くなるような誹謗中傷(コロナ関連だったり仕事の偏りだったりその他あれこれ)が多いので、ちょっとした昔話をしようと思う。特にこれからデビューするユニットを推してる人やいつかデビューしてほしいと思ってる推しがいる人……というか何かに推しがいる人はぜひ、読んでほしい。
これは、推しがしたい仕事をファンが奪っていたかもしれないと知った時の話だ。ただそう考えた時のきっかけのことも振り返るので相当長文なので、無理だと思ったらUターンしてほしい。
私には10年以上推しているアイドルがいる。一時期は彼の仕事が生きる糧であった。その推しは所属するグループで一二を争う人気で、彼と同世代である小中学生の女の子に人気が高かった。
私が彼を応援していると同級生に言った時に印象的だったことがある。
同担拒否。同じ推しのファンを拒否する言葉。実際私の推しのファンはそういう他人が多い印象だった。当時ネットがつながっていない、家に住んでいた私でさえ知ってたのだから結構いたのだろう。少なかったのかもしれないがその同担拒否さんたちが強烈だったのか…。まあ私が当時よくつるんでいた子が同担拒否(他担である。なお○○担は基本嫌いだけど私は別という…)だったのも、よく言われる理由になっていたのかもしれない。
そして同担拒否が多かったゆえに起きたのかわからないが、推しがデビューした一年目の夏にとある騒動が起きた。
推しのことを好きだと言った子役を、一部のファンたちが袋叩きにしたのだ。ネット掲示板にはその子役に対して消えろ、死ねという誹謗中傷が羅列され、ネットニュースにもなってしまった。小学生の女の子に無数の人間が殺害予告を羅列するという異常事態。その子役は推しのことを好きと言わなくなった。
その他にも似たようなことは続いた。
推しと同級生になって付き合っているという噂が流れた女優さんを嫌がらせし、転校をよぎなくさせるという騒動。
たまたまスタジオにいて手を繋ぐことになった先述の子役さんとは別の子役さんに対して殺意を向けているネットの書き込みも見たことがある。
そんな感じだからか、あそこのファンは怖いとよく言われるようになった。実際私も怖いと思っていた。いい人の方が多い。それは分かっている。ただ、やばい人は数が少なくても目立ってしまう。推し界隈は常に民度が悪いと言われていた。私は推しが女優さんとの共演が決まるたびに、あぁまた一部の人たちが袋叩きするんだろうな、と思うようになった。
いつか落ち着くかも、と思っていたがあまり変わらないまま気づけば推しのデビュー10周年が近づいていた。私はそこで気づいてしまった。
私の推し、アイドルなのにラブストーリーをやっていない。両片思い状態の幼馴染がいる役はやったことがあるが、ラブストーリーと銘打ったものを彼はやったことがなかった。
彼はとても早くデビューしたから、子どもなイメージが強かったというのも大きいとは思う。身長も人より小さかった。だが、人気アイドルであるはずなのに彼の過去出演作にはラブストーリーが一切ない。
頭に数々の過去の騒動がよぎった。行きすぎた誹謗中傷がきっかけで自殺する芸能人のニュースも見たことがある。彼と共演したらやばい、と各事務所に認識されているのかもしれない。なんともいえない絶望感があった。
が、予想を反してその後彼は初のラブストーリーと銘打たれたドラマをやった。美しい彼が綺麗な女優さんを抱きしめたり熱っぽい目線を向ける姿は大変眼福だった。ただキスシーンは本当にしてるのかわからないものだった。だが、デビューから10年近く経ってようやく見れたそれらしきものは大変大変衝撃的だったらしい。TLは喜んでる人と阿鼻叫喚な人と混ざり合ってカオスだった。
それから数年、相変わらず彼はラブストーリーが少ない中定期的にいろんな演技仕事を重ねていた。コメディドラマの中で恋人ができる話もあったがキスシーンはうまいこと隠されていた。あ、そこ隠すのか。まあ本筋とそこまで関係ないもんなと思っていた。
彼もデビューして10年を超え、売り上げも安定しつつあった。ファンも比較的落ち着いてきて居心地が良くなってきた頃、彼のとある雑誌でのインタビューがTLをざわつかせていた。
ざっくり言うとこんな内容だった。その頃、彼の後輩たちが制服姿でラブストーリーをやる仕事が次々と決まってニュースになっていた。ちょうど私自身が制服姿の彼のラブストーリーを見たかったなと思っていたゆえ、余計に苦しかった。
彼も、やりたかったのか。普通のラブコメや甘酸っぱいラブストーリー。そりゃやりたいよな、ザ・アイドルっぽい仕事だし。…私だって見たかった。同世代の女の子や少し年上の女性に憧れる制服の彼を。きっと絵になったことだろう。いつか見てみたいとずっと思っていた。
なんで来ないのかと思っていたけれど、そう考えるたびに先述した子役の女の子とモデルさんの騒動が浮かんだ。またあの人たちの時みたいに叩いたらどうしようと。彼の仕事の中で共演女優さんに対しての『横に立たないでほしい消えてほしい』とかいう書き込みを見かけたらやめるように書き込んでいた時もあった。倍になって返されて疲れて、辞めてしまった。
いつかいつかと思っているうちに、彼はもう、アラサーになっていた。見た目はぜんぜん見えないけれど、やはり貫禄や雰囲気は高校生くらいの後輩たちと比べると圧倒的である。
過去の回想で制服を着ることがあっても、制服メインの話はもう彼には来ないだろう。
彼がリアル制服だった頃に転校したのは彼と同じクラスのモデルで、その少し前に彼とドラマで共演していた。仕事の都合とか、表だった理由はいろいろあるのかもしれないけれど、古くからのファンに深くその騒動は刻み込まれている。
美しくて可愛らしくて、年齢よりは若く見られる彼は長く制服の仕事はしていた方だ。でも、ラブストーリーが来なかった一端は過激なファンの動きが大きいと私は考えている。
思っているより、現場の人たちはファンのことを見ている。ここ数年それを感じさせることが他界隈でも増えた。勢いのある後輩グループは感染症に罹患したメンバーへのひどい誹謗中傷が目立ち、事務所が声明文を出した。自殺したとあるスポーツ選手に対して誹謗中傷を行なっていた人間を逮捕したりと、動きが大きく出てきている。
昔からよくあることではある。でも、その誹謗中傷は大きく推しの仕事を左右する。
DeepL訳
サイモン・ウィーゼンタール・センターは、東京オリンピック開会式のショー・ディレクターを務めるお笑い芸人の小林賢太郎氏が過去に行った反ユダヤ主義的なジョークや、障害者に対するいじめを非難します。
報道によると、小林氏は1998年に、ナチスによる600万人のユダヤ人虐殺をネタにしたコントを披露しました。その際、"Let's play Holocaust "など、悪意に満ちた反ユダヤ的なジョークを飛ばしていました。小林氏は、障害者に対しても不快なジョークを飛ばしたとされています。
「どんな人でも、どんなにクリエイティブな人でも、ナチスの大虐殺の犠牲者をあざ笑う権利はありません。ナチス政権は、障害のあるドイツ人も虐殺しました。この人物が東京オリンピックに関わることは、600万人のユダヤ人の記憶を侮辱し、パラリンピックを残酷に嘲笑することになります」とSWC副学部長兼グローバル・ソーシャル・アクション・ディレクターのラビ・アブラハム・クーパー氏は述べています。
詳細については、malkin@wiesenthal.com のグローバル・コミュニケーション・ディレクターであるミッシェル・アルキンにメールでお問い合わせいただくか、フェイスブックでセンターにご参加いただくか、@simonwiesenthalをフォローしていただければ、最新のニュースをツイッターで直接お届けします。
サイモン・ウィーゼンタール・センターは、40万人以上の会員を擁するユダヤ系の国際人権団体です。国連、UNESCO、OSCE、欧州評議会、OAS、ラテンアメリカ議会(PARLATINO)の協議資格を有しています。
↓現在
https://www.wiesenthal.com/about/news/swc-condemns-anti-semitic-1.html
サイモン・ウィーゼンタール・センターは、東京オリンピック開会式のショー・ディレクターを務めるお笑い芸人、小林賢太郎氏が過去に行った反ユダヤ的なジョークを非難します。
日本の報道によると、小林氏は1998年に、ナチスによる600万人のユダヤ人虐殺をコントの台本に使用しました。小林氏は、1998年にナチスによる600万人のユダヤ人虐殺を題材にしたコメディーを演じ、"Let's play Holocaust "などの悪意ある反ユダヤ的なジョークを披露しました。
"どんな人でも、どんなにクリエイティブであっても、ナチスの大虐殺の犠牲者をあざ笑う権利はありません。ナチス政権は、障害を持つドイツ人にもガスを浴びせました。この人物が東京オリンピックに関連することは、600万人のユダヤ人の記憶を侮辱し、パラリンピックを残酷に嘲笑することになります」とSWC副学部長兼グローバル・ソーシャル・アクション・ディレクターのラビ・アブラハム・クーパー氏は述べています。
詳細については、malkin@wiesenthal.com のグローバル・コミュニケーション・ディレクターであるミッシェル・アルキンにメールでお問い合わせいただくか、フェイスブックでセンターにご参加いただくか、@simonwiesenthalをフォローしていただければ、最新のニュースをツイッターで直接お届けします。
サイモン・ウィーゼンタール・センターは、40万人以上の会員を擁するユダヤ系の国際人権団体です。国連、UNESCO、OSCE、欧州評議会、OAS、ラテンアメリカ議会(PARLATINO)の協議資格を有しています。
このところ常に死にたいとうっすら考えているような感覚で生きている
楽しいことがあってもふと「そういや死にてえな」と思い返して楽しさが冷めていく感覚。
そしてそれは大体みんな同じような感覚を抱いているんだろう、死にたいと思っていない奴はむしろ相当の楽天家か馬鹿の少数だけと思っていたが、どうやらむしろ死にたいと思っている人の方が少数派らしい。
別にいじめられているとかブラック労働がとかじゃない。それなら別にそうじゃない人は死にたいと思わないだろう。理由はSNSを始めとする社会に蔓延する憎悪があまりに重苦しく苦痛だからだ。
最初に断っておくとこれから出てくる加害者たちを擁護する気は無い。
もちろん悪い事をした人が悪いのだが、ことある事に槍玉にあげてその都度完膚なきまでに叩く多数をみて「ああ嫌だな」と何となく感じた。
スキャンダルに対してその当事者がネットで槍玉に上がったことはそれまでにもいくらでもあった。
思い返せば小保方氏や野々村議員もその例だろう。ただ彼らは音MADにされたりクソコラを作られたりと、もちろん本人してはたまったもんじゃないだろうが、スキャンダルをコメディとして消化しようとするものだった。
もちろん、ひき逃げの加害者を音MADにしろという訳では無い。こちらは明確に被害者がいる以上そんなことが許されるわけが無い。
それでも、一人の人間が憎悪の対象として消費されるのを見て擁護はなくても同情はしてしまう。
あまつさえ、上級国民とかいうこれまでなかった言葉まで使って高齢者富裕層まで主語を広げて叩く日には、「フランス革命でラボアジェを処刑した国民はこういう人達だったのかな」と思った。
オリンピックの諸問題の方々、金メダルを噛んだ市長それがし、不倫した芸人なにがしや声優なにがし等々。取っかえ引っかえの回転寿司状態だ。そしてその度に地獄のようなコメントが溢れる。これを書いてる途中に声優それがしが死にかけているらしい。書いている途中に知ってめちゃくちゃ偶然だが、遅かれ早かれそういうことが起きるのは明白だっただろう。
なぜそんなことになったかといえば、これらの人達は「わかりやすい自分と関係ない悪」だからだ。
家族や上司などといといった簡単には解決できない問題、更にはウイルスなどといった実体のない敵によるストレスは人類全体に重くのしかかってくる。「正義をもって悪を誅す」というのはそのはけ口としてとてもよく働く。自分のストレスや不安から目をそらすことに精一杯な人達はますます想像力が欠如して盲目になり、ましてや、加害者の心情なんて想像しない。
要はストレス解消のために叩いてもいい大義名分を持った人が求められているのだ。
こういう人達が活動を自粛したり降板したり表舞台から退いたり、ましてや自殺したら「責任を果たせ」だとか「逃げるな」だとか言われる。
そして決まって「被害者を思うと…裏切られたファンを思うと…」とかがくっついている。その綺麗事、大義名分になんの意味があるのか。
「次の悪者が現れるまで後腐れなく叩かせ続けろ」って言え
大体そういう人たちは何を以て責任を果たしたと認めるのだろうか。謝罪しても当事者でもないのに「誠意が足りない」だの「被害者には許さない権利もある」とかいうくせに。じゃあ目に見えればいいかといえば「金で解決しようとしてる」とか「上級国民が」とか言い出すくせに。
そして死んだら「責任から逃げるな」とかいう。むしろ自分が死の遠因になったという責任から逃げているのはそっちだろう。
開会式のいじめがどうとかいうミュージシャンそれがしを集団で叩くといういじめの構図をもって成敗した気になっているのは、悪趣味すぎるコメディかと思った。
もちろん自分が知らないずっと前からこういうことはネット、リアル問わずあっただろう。でもそれはメインストリームではない。
しかし、一億総発信社会/コロナ禍となってユーザーが生成するメインコンテンツが憎悪になってしまった。
そこに需要が存在すれば当然供給も発生する。メディアも問題があった人たちが如何に極悪人であったかを強調するために過去を漁って露悪的な記事を量産する。
もう現代においてピカソやワーグナーのような人はもう出てこないんだろうな。そして悪事はバレたら社会的に抹殺されるのだからますます陰湿になるか一撃必殺になるかのどちらかだろう。
膨れ上がった憎悪は関係ない人をも蝕むようになる。こんな社会に耐えるくらいなら消えた方がいい。いわんや当事者にしては想像を絶するものだろう。
こういうことを言うと起こりそうな意見に先に返しておく
・「悪いことをしたのは向こうなのだから当然だろう」「報いは受けるべき」
別に自分は「誹謗中傷はやめよう」とか「加害者にも人権はある」とか道徳の先生みたいなことを言うつもりは無い。これは絶望の言語化であって啓蒙ではない。
そもそもそんなことずっと言われ続けているのに悪くなる一方なのだから無理なのだろう
個人的にその原因は、歴史的に人類は「罰する」と「赦す」を神に丸投げしてきたからじゃないかと思う。
シャリーアを引き合いに出すまでもなく、法とは神が定めた道徳を人間にわかりやすくしたものだ。神の代弁者・執行者として悪人は裁かれ断罪された。逆に言えば、刑期を終えるとは「神が赦したのだから私達も赦そう」という理屈だろう。私刑が許されないのは、同じ理性の範疇内の人間が人間を捌くこと自体傲慢で歯止めが聞かないからだろう。
それが現代になって神が死に、ネットによって「罰する」と「赦す」が急に個人個人の人間の与えられたら上手く使いこなせるはずがない。何を以て許せば良いのかも分からない。だからこそ憎悪はどこまでも増幅し、終わりがないのだろう。
・「確かにクソなことはあるがネットにもリアルにも善意や楽しいことだってあるだろう」
それは確かにそう。実際自分もある程度いわゆるオタクなので「次のイベントが生きる糧」だの「2期を見るまで死ねない」だの思っていた。
でも最近ふと、なぜそれらが好きか理由を考えたら、自分は死にたいという感情を麻痺させる麻薬に過ぎないと思っていたことを悟った。一回そう思ってしまったらもうその麻薬は直ぐに効き目が切れるようになった。
これも確かにそう。ジャコモ・レオパルディという人も「世間とは立派な人間たちに対抗する悪人どもの同盟、あるいは寛容な人たちに対立する卑怯者どもの集まりだということである。」とか言っている。その通りだと思う。でもネットをやめたとてこの社会に逃げ場なんてあるのか。分断と対立・不寛容が加速するこの世界でネットのような憎悪が現実にも染み出していることはキャンセルカルチャーなんかを見るまでもなく明らかだろう。情報自体から隔絶された世界で仙人のように生きればいいのか。そうしたら確かに死ななくても良いかもしれないが、憎悪を撒き散らす人達が野放図に暮らして、そうでない人が隠れていきなければいけない世界ならますますこの社会はクソだろう。
・「この恨みにまみれた投稿だって憎悪を増やしているだろうブーメランじゃないのか」
その通り。だけど今更ネットにデブリがひとつ増えたとて誤差だろう。
繰り返すがこれは現実への諦念であって啓蒙ではない。だからこそ聞きたいのは、どうやってこの憎悪の中死にたいとも思わずに生きていられるのだろう?
濡れ衣を着せられて追われる身となった元特殊部隊の兵士4人組が、追っ手MPの目をかいくぐりながら人助けの便利屋稼業をする痛快アクションドラマである。市民からの依頼で司直の手が及ばない悪を懲らしめるという意味では「仕掛人」や「ハングマン」などに近いが、もっとカラッとしていてコメディタッチのアメリカンテイストなドラマである。
Aチームの魅力を語り始めたらきりがないのでやめておくが、小田急線の通り魔事件にからんでAチームの中で私が大好きなとあるエピソードを思い出したので書き留めておく。
敵のアジトがある埠頭だか倉庫街だかで今、Aチームの面々は捕われている。そこに至るいきさつは忘れた。Aチームは一話完結の番組なので毎回ストーリーは独立していて、いちいち覚えていられない。とにかく物語の山場でだいたいAチームは絶体絶命のピンチに陥る、そういうものなのだ。
敵の前で縄で縛り上げられ自由を奪われながらも、Aチームのリーダー・ハンニバルは余裕の笑みである。焦るメンバーたちの前でもハンニバルはいつも泰然自若として頼もしい。そして実際にたいていのピンチは彼の知略で切り抜けられてしまうのである。ちなみにハンニバル役のジョージ・ペパードは『ティファニーで朝食を』でヘプバーンの相手役をやった俳優である。落差がすごい。
ハンニバルの余裕の笑みは内心に勝算があってのことである。現場に積まれたドラム缶のひとつから可燃性の油が漏れ出し、Aチームの面々のほうへ流れてきつつあるのを視界の片隅で捉えていたのだ。敵は勝利を確信してすっかり油断している。勝ち誇る敵の頭領に、ハンニバルは「最期の一服」をせがむ。葉巻がハンニバルのトレードマークなのである(ちなみに俳優としてのジョージ・ペパードも愛煙家で、1994年に肺がんで亡くなっている)。
最期の一服くらいいいだろうと、敵はハンニバルに葉巻をくわえさせ、火をつけてやる。
不敵にほほえみながら葉巻を愉しみ、敵に軽口を叩いたのち、やおらハンニバルは火のついた葉巻をプッと吹き飛ばして、流れ出ている油だまりに落とした。
ジュッ
消えちゃった。起死回生になるはずの一手がずっこけである。爆笑した。
あてがはずれたハンニバルの表情が忘れられない。たぶん羽佐間道夫も「あらっ…?」みたいなとぼけた吹き替えをあてていたはずである。
もちろんこのあとAチームはピンチを逃れて勝利するのだが、どうやって勝ったは覚えていない(こういう場合は別働隊として動いていたクレイジー・モンキーが救援してくれることが多い)。
ロボ系 | 「動いた!」とかパーツに既視感がありすぎ。 やりようは全然あるとは思うんだが今は相当元気がない |
魔法少女系 | パイオニアと言っていいスタジオぴえろの元気がなくなってしまった。 王道はもう擦りすぎて味がしないガム。 亜流はまどマギみたいにジャンル混ぜることでまだ活路ありそう |
鎧モノ | 聖闘士星矢、テッカマンブレード、シュラト、バブルガムクライシス。 わざわざ鎧モノをやる意味がもう無いか? |
ファンタジー | いくらでもやりようはある。自力が求められる。 最近だとこのすばは厳密には異世界転生ものだけど、内容はファンタジーコメディと言ってもいいと思う。 今年の無職転生もなろう異世界転生だけど中身はいい意味でファンタジーしてて掘り出し物だった。 |
セカイ系ヒーロー物 | エヴァに続いた00年代初期あたりの雨後の筍。 これこそ一過性だけど、そのうちどーんと大物が出そうでもある |
ハーレムモノ | 天地無用とかの古き良きものではなく、ネギまとかセングラ、シスプリみたいな爛熟期のやつ。 このジャンルは今は変質してきららにシフトした感あり。 |
ラノベ学園モノ | ハルヒ(セカイ系)もそうだけど、有名ヒット作は複数のヒット要素を内包してると思う。 直近の学園ラノベアニメってなんだっけ…? |
日常系 | 癒やし系に煩悩を加えたもの。純粋な日常系は最近は少ない…? |
美少女動物園 | ここでは「男キャラが特段描写されない、可愛い女の子がキャッキャウフフするだけのアニメ」と定義。 きららがネタ切れ起こした時点で流石にもう下火感あり。 |
趣味萌え系 | 今名付けた。ググってないから、もしかしたらもうなにか名前が付いてるのかも知れない。 可愛い女の子がなにか特定のホビーに興じる作品。 日常系であり美少女動物園だったけいおん!の亜流から派生したと思う。 |
あとなんかあったっけ
ふらっと見たロボとーちゃんが期待より面白かったからまだたくさんあるしなんか見たい。
見たことある作品とか書いとくので暇ならおすすめ映画あげてくれい。
大人向けのわかりやすいパロディとコピー人格にありがちな葛藤がほぼなくとーちゃんに対しても終始自分がとーちゃんだと張り合ってたロボとーちゃん、しんちゃんとみさえの対比とかがよかった。
ホラーとコメディのバランス、同居感がすごい好き。世代で録画してたから一番見てて好きな映画。
ラストバトルのぼんやりとした記憶しかないけどオカマが好きだった気がする。
パラダイスキングと猿のキャラクター、格闘シーンがとてもよかった。
あと小桜エツ子が好きなのでミミ子くんが出ると加点です。
大人がいなくなったときの子供だけの無政府状態感とひろしの無声演出?が好き。
タイムスリップと戦国時代は好きだけどしんちゃんで見たい話じゃなかったな。
ストーリーにヤキニクロード関係ないなこれ…ってずっと気になって終始ノれなかった。
並べると思い出補正っぽいけどリアタイはたしかヘンダーとオトナ帝国ぐらいか。
雲黒斎とブタのヒヅメはよく話題にあがるから見ようと思いつつずるずる見ないままに…
カスカベボーイズは当時かすかべ防衛隊がメインっぽいから避けてて、あとのタイトルはキービジュアルもわからない状態だな。
内容に抜けが多すぎると叩かれているが、井内秀治さんの名前を久しぶりに見ることができたので感謝したい。
魔神英雄伝ワタルは本当に良かった。小学生の男の子(精神年齢が中学生ぐらいに見えなくもないが)が異世界に連れて行かれた上で伝説の勇者だと云われて、変な格好させられておかしな面々と魔王退治のための旅をするという今ではテンプレの一種になってる感じのストーリーだが、東洋的な竜というファンタジー的存在がなぜかドラグナー風ロボットに化身して主人公を乗せてくれて励ましの言葉をかけ続けながら(基本的には)圧倒的な強さで敵を撃破してくれるチュートリアル戦闘を全編の8割ぐらいの話数でやっていつつ、ことあるごとにそれは主人公の力だと言い、傷つき戦線離脱して仲間に助けてもらう必要性も示した後にパワーアップして戦線復帰(これは玩具販売上の事情からサンライズアニメの定番だが)して涙ちょちょぎれる展開を見せてくれるのに、最終的にはロボットボディを捨てて白兵戦(これもなぜかガンダム以来の伝統かも・・・)で決着させることでロボットが強いだけでなく主人公は本当に強くなったと示す上手さ。いやもうホント最高だった。龍王丸の変形に魔神フィギュア拡販以上の意味を見いだせなかったことだけが残念だった。あとフィギュアの変形時のフォルムの微妙さと。同じようでも邪虎丸はまだ許せる。
魔神英雄伝ワタル2では、もう最初から同じパターンで行きますと宣言しているようなメタ台詞を言わせながらも、細かくチューニングし直されたデザインや演出で別物感いやむしろ最初からこっちが「ワタル風」演出で前のはちょっと違っていたんじゃないかとさえ感じさせる仕上がり具合。そしてそこかしこに前作を踏襲ではなく引用する形で引っ張り出してきていたので、時々「超」の方ではなく「2」が無印の10年後のリバイバル作品だったかなと思ってしまうことが今でもある。ストーリー的には敵のエピソードを含めて無印よりまとまりがない気もするのに見ていると謎の説得力で納得させられる不思議。広井王子マジックか。同様に龍王丸よりはるかに必然性の不明な展開でパワーアップした龍星丸も意外としっくり来てしまう。ただし龍星丸の派生型はダメだ。あと変形を期待していたのに結局しなかった新キャラ魔神と、変形時に搭乗者が機外に放りだされる設計の新星邪虎丸もだ(もしかして少しでも長く顔を見せる方が良いという判断があったのだろうか……)。achi-achiがいないことに気づいたのはもう終盤になってからだった。高橋由美子も凄く良かったけど(本人にとっては黒歴史なんだろうか…)温泉双子には負ける。歌詞・作曲・編曲の時点で負けている気もしなくはないので歌い手の問題だけではないが……。
スピンオフ小説の虎王伝説は意外と楽しめた。龍神丸のいない無力なワタル(中学生)に謎の平安風世界で何ができるのか……。正直設定に無理がある気はしたが、翔龍子様より虎王がいいという一部の屈折したファンに応えるためなのか、それとも井内さんの書きたい何かにキャラ嵌めして世に出しただけなのか今となっては判断つけようもないが、翔龍子様のガワには虎王の中身は収まらないだろうという感覚には共感できる。ちなみに魔界皇子・虎王伝の方はラジメーション途中断念組の身にはだいぶキツかったことを申し添えておく。
個人的にいまだに気になるのは魔神山編のOVA。当時もの凄く見たかったことを覚えているが流石になかなか小学生が買うには至らないし、近所のレンタルビデオ屋にも入荷しなかったので見れなかった。10年近く経ってレンタル店で見かけるもつい二の足を踏んでしまい、更にそこから10年以上たって無料で見る機会を得るももやや怖くて再生ボタンを押せなかった。最初のレンタル店で見た時点でそれほど評判がよいわけではないらしいとだけ知っていた。
あと、上で書いたラジメーション、すなわち「ワタル3」と「ワタル4」について。だれかマジでなぜあの企画がスタートするに至ったのかを教えてください。絵がないと自分にはファンタジックコメディーはキツいという知見を得たのみに留まってしまった。。。
それと、「超」について。「2」がリバイバル作品だっけ?と記憶の捏造が行われていることからも分かるとおり認識外になりがちである(放送が決まった時にはアレほどに歓喜したというのに……)。「2」で次回予告の時に超って言いまくっていたんだからもう「2」が「超」だったことにしても良いんじゃないかな。惣流アスカ役で一躍時の人になった宮村優子がどういう演技を見せてくれるのかと思えば。。。さらに何かゴリ押し感を覚える歌手(そもそもTV放送前にやってたラジオ番組の時点で酷かった)。あともう全般的に適当だろお前らと言いたくなるアレコレ……。Wikipedia見ると打ち切られずに4クールやったことになってるんだけど何故あれで・・・と思わざるを得ない。何かのセールスが意外と堅調だったのか、TV局か制作側のどこかの面白マジカル政治力学が働いた結果・・・?いや、声優ファンの支援だった可能性もあるか。終盤一応見届けようとした記憶があるが途中に(あらすじを追っかけても理解が及ばない)超展開があったことが感じられただけだった。メカデザインは良かったと思うんだけど。龍神丸の初期形態デザインはシリーズで一番好きかも。
最後に、無印TVシリーズ放送最終話直前ぐらいから同級生女子の一部が薄い本を買い集めていることを察知していたが自分では探す事もついぞなかったこと(そしてそれを今では幸運だったと感じていること)と、ただしアニメイトにグッズを買いに行くぐらいのことはするようになったということを白状しておきます。
少しずつ少しずつ読者の予想を外していって最後に意外な結末に至る。
つまり起・転・転・転・転・転・転・結みたいな構成が好ましい。
元増田で言えば「増田にありがちな自分語りか?」と思わせるところが出発点で、
しかし冒頭を読んで「どうもフィクション度が高いようだ」とわかるところでひと転がり。
次に「今年はキャンプをうちの庭でやる」というあたりでひと転がり。
明らかに無理だ、という状況が提示されつつ、しかしどうやら強行されてしまいそうでもある。
「いったいどうなってしまうんだ?」と読者に思わせる。
その次は「リーダー」の登場でひと転がり。
謎の新キャラの登場でどんどん話が変な方向に進んでいく。
家族の単なる内輪の喧嘩から「謎の組織が絡んだトラブル」に発展する。
おバカな兄のリアクションで話が中断した、といった「くすぐり」も効いている。
その次に「メグの進学」の話題でひと転がり。
最初は「たかがキャンプのことで喧嘩するのが面白い」だったのが
これ以降は「たかがキャンプだったはずがどんどん大変なことになっていく」という
サスペンスじみた展開になり、結末の不穏さを予感させる。
1日ごとに話が転がって、どんどん酷さが増していく。
家庭は順調に崩壊していき、ネットでバズったことで話も大きくなっていく。
キャンプ当日。キャンプは滞りなく行われる。嵐の前の静けさのように。
リーダーが溶けるところで、ついに「自分語り」から転がり続けた物語は「SF」に至る。
読者の混乱はピークに達し、「どうしてこんなことになったのか?」と解説を求める。
で、種明かし。
読者はすっきりした気持ちで読み終えるというわけだ。
つまりアップダウンの激しさによって読者の感情を揺さぶることが目的で、
「所詮この一連の裁判の正体は、嫌われ者を吊るそうという国民的イベントに過ぎないんですから。己のつまらない人生の憂さ晴らしのためにね」
これはリーガルハイのシーズン2第9話、安藤貴和の裁判で古美門先生(堺雅人)が言うセリフだ。
自分はずっとリーガルハイが好きで、何度も何度も繰り返し見ている。もちろんコメディドラマとしてもその面白さは破格だが、それ以上にリーガルハイが示す善悪・人間に対するメッセージが好きだ。
人間は気高くもなれば卑しくもなれる。この言葉がドラマで使われたわけではないが、私は大方このような解釈をしている。十人十色、見る人によって色んな解釈があるだろうが、自分は気高さも卑しさも両方持ち合わせている所に、人間の奥深さを感じる。絶望的な災害の最中で他人と協力できるところも、同僚の成功が羨ましくて足を引っ張りたくなるところも、どちらも人の性であり、また同じ人間の中にすら両者が存在しうると思う。シーズン2最終話で古美門先生が羽生君(岡田将生)に向かって最後に言う「醜さを愛せ。」というフレーズも好きだ。
それゆえ何が怖いと感じるかと言うと、自らを気高く、正しいと信じて疑わない善良な市民が暴走する時の歯止めの利かなさだ。もうそのゾーンに入ってしまうと(自分も含め)自省などできない。これは個人の性質で制御できるものではなく、誰でもその時々の心理状態や環境によって暴走する善人になりうると思う。
現在新型コロナによる惨状の中、国民的どころか世界的イベントが行われている。体制然り、政治然り、あらゆる面で崩落が起き、それらに対し現場では想像を絶するような働きを強いられている方がいると思う。改善していくどころでは済まない状況だと思う。一方で自分がそれらを批判する時、これは己のつまらない人生の憂さ晴らしのためなのかと内省出来るくらいの心理的な余裕は持っていたいとつくづく思う。
オリンピックの開会式批判派の方、7年間準備して165億円使ってあんなしょぼい出来で、全体の流れやテーマも意味が分からない。
なんでタップダンス?なんか俳優とか芸人もいるけど?なんでイマジン?なんでボレロ?過去最低の演出だった。
ホロコーストを題材にした笑いでユダヤ人大量殺害ごっこをしようと言った小林賢太郎じゃなくて元のMIKIKOや椎名林檎が良かった。と言っている皆さんへ
私はどうしても思っている、言い切りたいことがあったので、つらつらと駄文を吐き捨てていきます。
まず、開会式で165億円を使い切った訳ではありません。
オリンピック、パラリンピック開閉会式合わせて165億円(うち延期だけで使った費用が35億円)ですよね?私が今まで見てきたニュースではそうなっていたのですが、どうでしょうか。
開始早々のタップダンスについて。
江戸消防記念会の方が歌を披露し真矢みきが棟梁となり、五輪を完成させた一連の流れです。
で、江戸消防記念会は小池百合子知事とつながりがあるそうですね。
江戸消防記念会をうまく輝かせないといけないためにどうしたらいいでしょうか。
大きな動きのあるダンスが良いですが動きを持たせるためには大人数が必要になりフォーメンションを組んだダンスも欲しいですね。
また音楽も必要になります。大勢の大太鼓なども相性がよさそうですね。
ただどうしましょう…音に踊りそんな人数コロナとお金の関係で呼べません。
では歌わせるだけ歌わせときますか?そうもいきませんよね。そこで音と踊りを掛け合わせたタップダンスです。
組み立てていくというストーリーにも音による視聴者へのわくわく感も出すことができます。
団体でのダンス練習も少なくて済むのでコロナの中ではかなり優れたダンスだと思います。
ただMIKIKOがいなくなった今、多くのダンサーが一緒に去ってしまいました。
これから新しく人を呼ぶにも誰も来てくれませんし練習時間もないのである程度タップダンスの経験がある人が欲しい、
そこで小林賢太郎は必死に自分身ひとつで交渉し演者をあつめたんじゃないでしょうか。
イマジンにつて。
あの映像ものすごく見覚えがあるんですが…本当にこの時のためだけに作られたのでしょうか。
もともとは、KIMONOプロジェクトが本当は入る予定だったシーンですね。
残念ながらコロナのための延期の中、代表が変わり保存されていた会社のお金がない状況になり、着物は貸し出せないとなったため着物自体、映像も流すことができませんでした。
小林賢太郎はどちらにもかかわりがないため、どうすることもできませんでした。
ボレロについて。
本来は音楽を担当されていた小山田圭吾がほかの曲を入れる予定を立てていたのではないでしょうか。
ラーメンズのバッハのボレロの~という話は絶対にデマです。小林賢太郎は内輪ネタをしません。ラーメンズファンが勝手に言っているだけです。
ファンがファン同士で身内ネタをしているだけなのに、なぜそこに小林賢太郎は駄洒落をしたファンサービスを最後に持ってくる人間だというんでしょうか、意味が分かりません。
2020年12月に前チームが解散し2021年3月に佐々木宏も辞任。
さぁ、7年前から準備してたってなんの話?2021年3月ですべて白紙、全てやり直しです。もちろん資金は増えません6年半の間に一体何十億使われたのか、想像もできません。
小林賢太郎はいろんな偉い人たちにちぐはぐにこれをここに入れろあれをああしろ子供をだせ着物はなしだと言われ続けたであろうなか世界に楽しんでもらえる演出を必死にやってきました。
前チームが言っていたように最後に2020の東京を映し出せるように敬意を払ってまとめ上げました。あとはリハーサルを重ねるだけのところまで持っていきました。
そうした中、音楽が使えなくなり、その調整に追われたのち、解任です。
ホロコーストを題材にした笑いでユダヤ人大量殺害ごっこをしようと言ったそうですね。
ネタは見ましたか?あれはVHSでしか販売のない彼がアルバイトをまだしていた時代の貴重なネタですが皆さんは一体どうやってみたんでしょうね。
不適切ではあったのは絶対として、ネタの概要を言うと、当時NHKで放映されていたゴン太くんとのっぽさんが出てくる子供向け番組をコメディーとして利用して、
「できるかな」というのを背景に通常やってはいけないことを並べ、最終的に『ユダヤ人虐殺ごっこで使ったあれをつかおう』というセリフとして出てきます。
それも絶対にやってはいけない(できてはいけない、できるかなじゃねーよ)というものの代表例として出されたもので、とださんにあれめちゃくちゃ怒られたよねといって締められます。
けっしてLet’s play!というノリではないんです。でも海外にはもうそのように報道されてしまいました。20年以上前の話で、彼はこんなこと指摘されるよりずっと前に誰も傷つけない笑いを追求して結果クリエイターになっていたにもかかわらずです。
そう変わってからのネタはYouTubeで公開されておりそこでの収益はすべて寄付へとあてられているとも知らずに。
彼は、決められた箱で決められたルールの中最大限の力を発揮する天才です。
本来の演出とはそぐわないお達し、すでに使い果たされた資金、使えなくなった版権もの、使えなくなった音楽、出演されなくなった演者たち、それに伴い裏方の人々がごっそりと抜けた中、
彼個人が持っているコネクションから演者お願いし、ちぐはぐの上からのお達しをパッチワークして、なんとか見せられるものにした時点で私はすごいとしか言えなかったです。
断ってもよかったのにと思いますがこれを断った後個人で活動されている彼を守るものが何もないので、しっかりと仕事を果たされたのだと思います。
その上で実際の発言に少しのスパイスを加えられた報道でクレジットを消されたなんて、言葉が出ません。そうして最低の演出だったと言われてもこれから彼が何か発言することも許されないでしょう。
何よりも残念なのは、彼の演出は最低だったと言っているクリエイターがいることです。
明日は我が身だと思った方がいいと思います。実感されていると思いますが、この国はクリエイターを大切にする国ではないです。今回クリエイターを殺す国だというのが分からないんでしょうか。
どんなに頑張ってクライアントのいうことを聞きつつ多くの人に楽しんでもらえるようなものを作ってもクレジットを消され作ったものは消費されそれをあいつのせいだと個人を非難されるんですよ。そしてそれは違うとは決して言ってはいけないのです。明日は我が身です。たたくなら個人ではなく組織や国を叩いてください。
もし、ここまで読んでくださった方の中で開会式のここはよかったという点がすこしでもあったらいいなと思います。
老若男女国籍を問わず多くの人に刺さるものを散りばめるのも彼の才能なので、なにかあると嬉しいです。
彼の五輪関連の仕事はまだ残っています、どうなるのかはわかりませんが少しでもいい方へ行ってほしいです。
最後になりましたが、本来開会式を担われる予定だった皆様、本当は参加したかったのにできなくなってしまった皆様、参加したくなくて断った皆様、参加したくなかったのに参加して下さった皆様、全ての働く大人たちに敬意を払って。
This looks like the rehearsal! Hard to watch !
[FOX SPORTS] ‘Like attending a funeral’: Fans slam ‘worst ever’ Opening Ceremony
USAトゥデイ 「それは奇妙な、時には気まずい、そして非常に不協和な4時間のプレゼンテーションでした」
But in another – especially considering the controversy behind the Games and the toll they are taking on Japan and the world – this lackluster ceremony is a huge letdown. What's the point of all the risk, all the testing and quarantining and masks, if this is the best emotion and spectacle we can muster?
(しかし、大会の背景にある論争や、大会が日本や世界に与えている影響を考えると、このつまらない式典は大きな失望です。これが私たちが集めることができる最高の感情と光景(スペクタル)であるならば、すべてのリスク、すべてのテスト、隔離、マスクに何の意味があるのでしょうか?)
[USA TODAY] Review: The Tokyo Olympics opening ceremony was more of a whimper than a bang
他もこんな感じ
● 2008年北京 <チャン・イーモウ>
代表作
『紅いコーリャン』
『初恋のきた道』
『HERO』
● 2012年ロンドン <ダニー・ボイル>
代表作
『127時間』
● 2016年リオ <フェルナンド・メイレレス>
代表作
『ナイロビの蜂』
『ブラインドネス』
● 2021年東京 <小林賢太郎>
代表作
※開催前日に解任