はてなキーワード: コメディとは
This looks like the rehearsal! Hard to watch !
[FOX SPORTS] ‘Like attending a funeral’: Fans slam ‘worst ever’ Opening Ceremony
他もこんな感じ
私は父親から虐待と言えるレベルに理不尽で厳しい叱責を受けてきた
そのためサザエさんで波平がカツオを怒鳴りつけているシーンを見ると当時のことがフラッシュバックして傷つくし、
だから長谷川町子は即刻サザエさんの作者から解任されて謝罪すべきだ
これは私にだけ謝罪して済む話ではない
父親から虐待を受けた世界中の人々に長谷川町子は謝罪する必要がある
どれだけ創造的な人物であろうと、父親による虐待の被害者をあざ笑う権利はない
また、私はADHDを持っている上に知能が低いのでMr.ビーンを見ているとまるで自分のことが笑いものにされているようで傷つくし、
だからローワン・アトキンソンは即刻Mr.ビーンの作者から解任されて謝罪すべきだ
これも私にだけ謝罪して済む話ではない
世界中のADHD持ちの人々と知的障害者にローワン・アトキンソンは謝罪する必要がある
さらに、ADHD持ちや知的障害者の親兄弟などにはMr.ビーンのことを聞いて傷ついた人もいるだろうから、
ローワン・アトキンソンがコメディに関与することは世界にいる1億人を超えるであろうADHD持ちや知的障害者の現在を侮辱することになる
虐待被害者や障害者をネタにすることが不謹慎で人を傷つけ言語道断であるのなら、
長谷川町子とローワン・アトキンソンは解任されて謝罪すべきだ
単純な話で、日本は枢軸国側で、ナチス政権ドイツと同盟国だったのだから、ドイツのホロコースト(ショアー)をコメディのネタにする資格が無いと、国際社会から見做されているだけの話だと思う。例えば、刑事事件や人身事故の加害者の親族が、その事件や事故を笑い話のネタにしていたら、被害者の親族も怒るでしょ?
それに対して英国は、ドイツと戦っていた連合国側だから、たとえモンティ・パイソンでコメディのネタに使っても、暗黙の了解で「批判的な立場からネタにしている」と解釈されるのだと思う。
とはいえ、モンティ・パイソンだって、全く批判されていないと云う訳ではない。ただ、英国は長年に渡る実績を積み上げて「ジョークの為なら命も惜しくない、頭がおかしなライミーたちの国」と云うイメージを構築しているし、英国王室から貧乏な庶民まで万遍なくネタにするからね。
それに比べれば、日本の自称・毒舌お笑い芸人は忖度だらけだから「笑い」に掛ける覚悟が英国と日本では月とスッポンだと思う。ギョウカイの偉い人を「流石ですねえ!」とか持ち上げて、接待ゴルフみたいな真似してる奴らばかりじゃん。
まあ、私は野村萬斎・椎名林檎・MIKIKOの演出を観られなくなったと知った時点で、東京五輪は観ないと決めたので、この機会にモンティ・パイソンのDVD-BOXを観て過ごそうと思う。
The Simon Wiesenthal Center condemns past anti-Semitic jokes as well as reported bullying of disabled individuals, made by Japanese comedian Kentaro Kobayashi, who is the show director of the opening ceremony of the Tokyo Olympics.
サイモン・ウィーゼンタール・センターは、すでに報じられている障害者に対するイジメに対してと同様に、日本人コメディアン小林賢太郎(東京五輪開会式ディレクター)が過去に行った反ユダヤ的ジョーク発言に対して非難します。
According to Japanese media reports, Kobayashi utilized the mass murder of six million Jews by the Nazis in a script for his comedy act in 1998. In his act, he made malicious and anti-Semitic jokes including “Let’s play Holocaust.” Kobayashi is reported to have made distasteful jokes about disabled individuals.
日本語メディアの報道によれば、小林は、ナチスによる600万人のユダヤ人の大量虐殺を、1998年に彼が行ったコメディ公演の台本の中で用いました。この公演で、彼は"ホロコーストごっこをしよう。"と云う内容を含む、悪意のある反ユダヤ的ジョークを発言しました。小林は、障害者に関する不愉快なジョーク発言を行っていたと報じられています。
“Any person, no matter how creative, does not have the right to mock the victims of the Nazi genocide. The Nazi regime also gassed Germans with disabilities. Any association of this person to the Tokyo Olympics would insult the memory of six million Jews and make a cruel mockery of the Paralympics,” stated SWC Associate Dean and Global Social Action Director, Rabbi Abraham Cooper.
"どのような人間であれ、どんなにクリエイティブな人間であろうと、ナチスによる虐殺の被害者を嘲笑する権利はありません。ナチス政権は、障害を持つドイツ人もガスによって殺害しました。どのような形であれ、この人物が東京五輪に関与することは、600万人のユダヤ人についての記憶に対する侮辱であり、パラリンピックに対して残酷に嘲笑することです。"と、ラビ=エイブラハム・クーパー(SWC Associate Dean and Global Social Action Director)は声明を出しました。
これが本当ならアメリカのスタンダップコメディとか皮肉るコメディ全部アカンってことじゃんね。
京本が亡くなった世界にも元々京本自身が四コマを描いてて、だから風が吹いて窓に貼った四コマが京本の部屋から流れてきたっていう解釈も出来るんだよな
京本が大学に行ってやりたかったことが背景の画力向上とかだけじゃなくて、藤野に追いつきたかったっていう部分だったんじゃないかと思う訳で
話を最初の方に戻せば藤野の四コマに感動して、その隣で四コマを連載し続けた京本はその画力の凄まじさで藤野を圧倒したけれど、本人が言う通り遅筆気味で、
それでも藤野と並んで学生新聞に四コマを投稿し続けたあの頃が京本にとっても原動力で、そして何より藤野が人間とセリフでコメディを描いていたのに京本はずっと引きこもった生活から見える景色しか描いて来なかったから
学生新聞に横に並んで四コマを描かれていた状態を原動力とするならば、卒業式の日にもらったあの四コマへ回答を出したいだろうから。
だから、少し進歩した自分なら描けるかなと思って亡くなった世界の京本自身が亡くなる日の何日か前に描いたのかもしれない。
だから、卒業式の日に引きこもりな自分を揶揄して、引きこもりすぎて骨になった自分をオチに描いたあの四コマへのお返しに、あの日、「背中を見ていろ」と言った藤野の背中にピッケルが刺さってて「お前の方が背中を見ろよ」と言いたかったのかもしれない。
そしてタイトルも「背中を見て」なので、これは京本自身の「必ず大きくなって帰ってくるから、むしろ追い抜いてやるから」という気持ちが乗った四コマ漫画とも解釈できる。
そういう現実の視点と希望的解釈の出来るSFの悲しい到達点が合流する部分があるから、あの作品はとても面白いのかもしれない
そして何より全て藤野の幻覚で、最後に貼ったあの紙も本当は何も描かれていない、もしくは全く別の四コマが載っている、かもしれないのも面白さな訳で
どちらにしても藤野はあの四コマを見上げて誰かの背中を見続けるんだろう。景色を見続けるのだろう。思い返すのだろう。
父から引き継いだバラ園を経営し、かつては優秀なバラ育種家としてフランス全土に名をはせていたエヴだが、いまや愛するバラ園は倒産寸前。今年も新種の白バラを携え、世界最高峰のバガテル新品種国際バラ・コンクールに挑むものの惨敗に終わる。
そんな彼女の前に現れたのは、経費削減のために職業訓練所を介して雇われたド素人の3人の男女だった。前科者のフレッドに、定職に就くことしか頭にないサミール、そして自信のなさゆえに声が小さく、コミュニケーションもままならないナデージュ。バラのことなど何も知らない3人は、助けになるどころか足を引っ張る失敗ばかり…。
https://eiga.com/movie/94392/special/
自己中心的な/パワハラ体質のいけ好かない中年女性主人公と、元犯罪者のナイーブな青年の二人のそれぞれの変化(成長)がお約束通りの映画。それを期待するなら見て損はない。
主人公が一発逆転を狙って、新種作成の交配用に、敵が独占している希少なバラを盗もうと警戒厳重な温室に侵入するシークエンスがありまして。
どう考えてもオチは新種作成に成功してコンクールに勝利する展開なはずなわけですよ。コンテストに負けて人生の苦さをかみしめる・・・って映画じゃないのは明らか。
で、これコメディだと(コメディ系なんです)、ハラハラドキドキしてドタバタがあって結局は盗みには失敗する、というのがお約束だと思うんですが、盗みに成功しちゃうんですよ。「え?マジで?」
【5月30日 AFP】中国で配信された米人気コメディードラマ「フレンズ(Friends)」の特別番組において、ゲスト出演した米歌手レディー・ガガ(Lady Gaga)さん、カナダ人歌手ジャスティン・ビーバー(Justin Bieber)さん、韓国のボーイズグループBTS(防弾少年団)の登場シーンが検閲でカットされたことに、中国のファンから怒りの声が上がっている。
問題の作品は27日に中国で三つの動画サービスが配信した『フレンズ:ザ・リユニオン(Friends: The Reunion)』で、過去に中国共産党の怒りを買ったことのあるガガさんらの出演シーンが削除されていた。
ガガさんは2016年、中国政府が独立派とみなすチベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ(Dalai Lama)14世と面会し、中国でのコンサートツアーができなくなった。
ビーバーさんは2014年に靖国神社(Yasukuni Shrine)で撮影した写真をSNSに投稿。以降、中国での公演が禁じられている。
またBTSは昨年、朝鮮戦争(Korean War)について語った際に戦死した中国兵に言及しなかったとして、共産党の怒りを買った。
【5月30日 AFP】中国で配信された米人気コメディードラマ「フレンズ(Friends)」の特別番組において、ゲスト出演した米歌手レディー・ガガ(Lady Gaga)さん、カナダ人歌手ジャスティン・ビーバー(Justin Bieber)さん、韓国のボーイズグループBTS(防弾少年団)の登場シーンが検閲でカットされたことに、中国のファンから怒りの声が上がっている。
問題の作品は27日に中国で三つの動画サービスが配信した『フレンズ:ザ・リユニオン(Friends: The Reunion)』で、過去に中国共産党の怒りを買ったことのあるガガさんらの出演シーンが削除されていた。
ガガさんは2016年、中国政府が独立派とみなすチベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ(Dalai Lama)14世と面会し、中国でのコンサートツアーができなくなった。
ビーバーさんは2014年に靖国神社(Yasukuni Shrine)で撮影した写真をSNSに投稿。以降、中国での公演が禁じられている。
またBTSは昨年、朝鮮戦争(Korean War)について語った際に戦死した中国兵に言及しなかったとして、共産党の怒りを買った。
心が弱ったりストレスが溜まったりした時に見ると落ち着く映画とかを探してた。
笑えるコメディ、弱い立場からのサクセスストーリー、ボーッと観れる爽快なアクション、このあたりで満足していた。
でも私が求めていたのはなろうにあった。
なんとなく今置かれてる状況でググっていたら、なろうの小説が何故かヒット。数行であまりに陳腐な文章にげんなりしたけど、目が離せなかった。
そこには葛藤と成長も、リアリティも、因果応報も、教訓めいた話もなにもない。
ただいきなり主人公にスーパーパワーが備わって、ムカつくやつをボコボコにするだけ。
いたぶりまくって、ボコった相手が最初はイキり続けるが途中から謝ったり泣いたりする様をとにかく丁寧に描く。
主人公はどれだけやっても何の罰も受けない。
これを求めてた。
原作改変したことでアニメ版を見た身からも途中が飛んだことがはっきりわかる印象に。
ハードSFらしいかったるい説明と、学者だけで全て済ませてしまう展開はどっかの小説で見た印象。小説家が脚本を描くとSFを使ったサスペンスに終止してエンタメを考えない悪例として刻まれたと思う。基本有川と銘だけが事件を解決してゆく形式で、ほかがおまけ、という雑な配分もハードSF小説くさくて正直ある意味では小説の作法を無視しまくってる。都合の良い狂言回しの人間を使い捨てて無駄に字数を増やすのがハードSFの作法に見えて仕方がない。加藤侍とかいらんでしょ、狂言回しにすらなってないし。SFの解説をサスペンスに仕立て上げる、という手法は古典SFで見られる手法だけども、映像分野に合わないんですよ。ずーっと地味なやり取りが続くだけだから。
ゴジラじゃなくても成立しただろ、という印象を受けた人が少なからずいたはず。
個人的には好きです。オールマイトからエンデヴァーに移り変わったあとの一戦も熱く、オールマイト不在の隙間を埋めてくれましたし、潜入捜査しているホークスや隠された能力に目覚める未だ成長途中のデクくんなど普通に面白さが継続できてるのが良い。今期はきのこがかわいかった。
前回よりも惰性で作っちゃった感じ。過去に思いを残した人々が精算し、狭っ苦しくて制限だらけの今に戻るという普遍的なテーマ。
SFカテゴリで見ちゃだめです。少なくともはてなでは。ただし物語としてはリゼロの作者だけあって過去改変や世界の変容をテーマ化していて、タイムリープものとしては(同一人物と遭遇するシーンの記憶がないのでリープかな)まあまあだったんじゃないかと思う。この作者の肝は熱血と涙にあるので、そこを受け取りたかった人は刺さったと思う。筆者はおっさんだし壮大なヒロイズムに自己同一視できるほど夢は抱いていないので、若い人が感動してくれたら宜しいかと。こういうナウシカみたいな壮大な世界を一人で背負う、ってことに聖女性を見いだせません。だって増田だってクズばっかなのに人を救いたいと思いますかって話。
ちなみに物語的になんで人を救いたくならないかって、Vivyとその周辺にいるのがAIばっかだからです。AIに対する人権とか、Vivyが苦しかった際に救ってくれた人間とか、そういう感情移入させるシチュエーションがない。だからVivyやマツモト博士が勝手に一人で戦って死んだ話にしか見えない。物語を作る際に思い入れる「環境」を作れてない。Vivyが救うトァクのメンバーの実情もスピンオフにしなきゃならないほど語られない。そんな意味では24話構成にしてもいいくらいなんだけど、削りながらでももっと感情移入できるキャラを増やせたとは思う。トァクなんて敵対してただけなのに救いたくないですよね、あんなもん。感情移入と逆のことやってんですよ。
仕組みに振り切るのか、人間ドラマに振り切るのか作者も配分に頭を悩ませたんじゃないかな。
ぐちゃぐちゃ言ってますが悪感情はないんですよね。ただ佳作感しかないというか。
途中まで見て予約がかぶって潰れちゃったのでそのまま放置。このすばよりパワーダウンしてるので見逃してもいいかな感しかなかった。なんかぼんやり見てても頭に入ってくるタイプじゃなく、他のことしながら見てると頭に入らなかったのでそれもまずかったなと。要するにこのすばを期待した層をある意味で裏切った感じがするというか。ほんとよそ見しながらなので的はずれなこと言ってる可能性あり。
ダークホースじゃないか。とぼけたドラゴンと飄々とした魔王、アホの姫が物件を買い求めながらじんわりと旅する。騒がしすぎないのもいい。力を抜いて見られるコメディで、深夜アニメの本道だと思う。
単なる男子よしよしアニメかと思いきや、実は子育てアニメだった件。誰もが途中で「あーもういいからやっちゃえば?」と思っただろう。でも実のところ、このアニメは男のナイト気取り欲求を満たす効果を持っていて、安易なヒロイズムに酔いやすいやつがハマるアニメの一つだと思います。普通はあんな女子高生みたらヤバそうだから関わらないほうが良さそうだ、という思考が最適解として頭をよぎります。
ちなみに、ヒロインがエアーズロックもまっぷたつに割れるレベルのブスだったらどうするんでしょうか。これはもう無理でしょう。成立しません。何が成立しないかって、物語的にブスでも通用するかってこととルッキズムは別問題だからです。
国の上層部が作り出した金剛鉄兵と、別に組織された零機関。そして物語中に挿話される舞台、サロメなど。これらの話はキャラクターの背後にある一人の女の話に絡んでいて、デフロット君と前田義信の奇妙な縁など明らかになる。
丁寧な作りなんだけどいかんせん小粒な感じがある。サロメや他の挿話を十全に知らないと理解できない気もする。原作知ってる人なら言いたいことが山ほどあるんじゃないだろうか。
天スラはキャラが楽しいので日常系に耐えうるのもわかるものの、延々とやられると中だるみするんだなという話。
マインが司書やるあれの空気感をなんとなく感じつつ視聴。かなり王道少女漫画的で、イケメンのあれと仲良くなってゆく過程でうつむきながら逃げ回るなど、まあそりゃ受けやすいと思います。ただしひねくれた女子以外。イケメンに気に入られない自分と比べてしまって辛いらしいね。なんでそんなところに自分が登場するのか謎ですが。おっさん的にはありだと思います。
地味だけど今期で一番人情に振り切った作品じゃないかと。時代劇を意識した作り、子連れ狼などのモチーフ、復讐と許しの葛藤という普遍的テーマ、古典的ながら骨太だとは思います。ただ、名作かって言うとそうじゃなくて、今となってはなくなった形式を今やってみたという作品かと。
中身がニコニコ、旧2ch的。ヤンデレとクズ、陰謀家など嫌な感じのキャラをやり尽くしてんだけど、嫌な性格って実はテンプレ化しやすいな、という印象。話自体はおバカ系なんだけど、それ以外に感想は出てこない。エンディングの「だいだいだい好き」の部位はおそらく「Die」だと思います。
なんか良さげだと持って見始めたら、作者が炎上して延焼すらせず燃え尽きて終了した悲惨なアニメ。二次絵もどういうわけか自分の周辺では見ません。渋のランキングにもあまり見なかったような。中身も深みがありそうでなにもない作風で、原作の文体も正直うまいとは到底言えない文章力なので、「増田カブ」というふざけた二次創作がはかどりました。これは単なる雰囲気アニメでしょう。礼子と小熊がでかいカブを引っこ抜いて、や~ん大きい、などという下らない同人誌が出ることを期待しています。あと、恵庭が嫉妬のあまりコーヒーのプールを作って小熊の殺害を企てるエピソードも見てみたいですね。
うーん。安定しちゃったかな。はっちゃけてほしかったですね。メディアミックスとかスケベ心が出たんでしょうか。
普通です。面白いともつまらないとも言えない。リーゼントの回くらい毎回ふざけてほしかった。
見た。普通。例のヒールみたいにエロに振り切っちゃったほうがいいのでは。
メタネタやパロディが減りすぎててあんまり。もともと大人用じゃないのだな、という厳しい現実がのしかかる。
ロジックが画作りと構成に追いついてない。キャラ原案がありむー岸田メルなんだけどまるで原作絵を再現するつもりがない。やりたいことは明らかにまどマギ系やゆゆゆの類似品。駄作だったアサルトリリィ以下。こうなると何がやりたいのかわからない。低予算が透けて見えるのが悲しい。
この系は絵面さえ良ければだいたい面白いと相場が決まってんだけど、これは本当につまらない。前回の魔女の旅々を思い浮かべたり、その他日常系を思い浮かべるとその退屈さに驚く。退屈なのに驚くってどういうことなんですかね。
もう一つのVivy枠。作者に失礼なんだけど、多分原作の方はもっと悲壮感溢れる感じなんだろう。
日本人の大好きな悲観的なメロドラマで、みんなと心が通じてるのに世界のシステムが許さなくって、という内容。ちなみにこれを男女の恋愛に置き換えると不倫ものになりますし、断絶をボーイ・ミーツ・ガールに置き換える事もできます。ロミオとジュリエットがその原型です。そして断絶と死はとても相性がよく、実際レーナさんたちと86スピアヘッド部隊は出会えません。あとはそれにハマるかどうかという話です。
一話だけ。これは糞だなと思ったので取りやめに。SFとしても中途半端、少年漫画としても王道を履行しすぎてなにもない。
画作りがすごい作品。まあ、あの人監督なら当然でしょう。内容はびっちり西尾節なのでそれ以外に感想はない。やってることが怪異か普通の探偵かの違い。
新宿スワンの作者なのでヤンキーバリバリになるのはやむを得ないでしょう。ただ、キヨマサくんの本物感は声優ともどもよくできてんなと思います。他のヤンキーがいなさそうなのに、あれだけ田舎にいた感じというか。たちの悪そうなボス感もよく表現できてますね。マイキーくんは完全に創作です。あんなヤンキーもいるにはいますが可愛がられる立場で、トップはったりしません。せいぜいトップの腰巾着です。そして連絡係程度のチビは背後の権力を傘に来て偉そうな態度を取ります。なんでそんな事知ってるかって、もともと田舎者だからです。
タイムリープものというより、キャラものとして見るのが正しいかと。なぜなら彼女だけでなく、ドラケンとマイキーの二名に死んでほしくないタケミチ、というラインがしっかり描けているから。
原作よりわかりやすく、かつ原作を踏襲してるのでおすすめ感はあります。ただ原作は大作感のある無味乾燥とした物語なので、見続けることによって激しく感情を揺さぶられるとか、涙が流れすぎてトイレの便器から離れられないといった現象に見舞われることはありません。それはまあ、二期三期と続けてみればこの意味がはっきりわかると思います。作者が感動させに走ってないので。フシというサーガではなくフシという歴史を通した群像劇という立場なんでしょうね。
もうこういうのはいいかなと思ってさっさと切った話。一話目も覚えてない。むしろ見たつもりで見てないかもしれない。
まあこういうもんでしょう。だって他になんか言うことありますか?
単なる雰囲気アニメと言われた一期ですが、二期も割とそうです、ただし、音楽、美術センス、造形どれをとっても渋くて、昭和テイストを残しながら現代的という良い意味での線引を果たしている佳作だと思います。エンディングテーマのマリアッチを思わせる歌声は郷愁を誘います。OPのベンチャーズ的なギターサウンドも良い。肝心のボクシングシーンがしょっぱいと言われた前作ですが、少し改善してます。むしろボクシングを通したジョーの人生を描く作品なので、ボクシングシーンこそおまけかも知れません。
追記:NOMADはノマド以外に「俺はマトモさ」という意味が込められていると思います。
実は零と同じ轍を踏んでいる作品。要するにストーリーの骨組みはちゃんと考えてあるのに、舞台が同じ場所の繰り返しだったり、キャラが多い割に話に広がりがなくラスト二話程度で一挙に情報量が増えるという、昔のアニメにあった悪いパターンが戻ってきている印象です。舞台と勢力、そして敵と味方両方を映し出すだけでちょっとは面白くなったことでしょう。
視聴者をお舐めになってるのでしょうか。
久々に俺節風の人間ドラマが見られる傑作かなと思いきや、いきなりトーナメント化してしまい、某カルタ漫画か! と手に持ったバチを画面に投げつけた思い出。いえ、実際には投げつけてません。三味線持ってませんし。ハイセンスなお母様の全く方言が抜けきってないのはやりすぎじゃないだろうか。自分の音を鳴らせ、じっちゃんのコピーになるなで終わったので二期あるんですかね。
これですね、個人的に好きなんですけど増田でボッコボコだったのでまあいいかなと思って書きませんでした。個人的には見れば面白い類で、キャラに馴染みが必要なので1期からおすすめしたい感じ。トリックスター役の凜雪鴉(リンセツア・鬼鳥)の奇っ怪さが今作の面白さの一つだと思ってる。どうも虚淵玄って名前出すのがいかんらしいですね。
地方でAT-Xに入ってないんです。おわかりください。ちなみに超絶低速回線です。お察しください。
うーん。この手のいわゆる勘違い成り上がり系って80年代からあって、ある意味では普遍的なものなんだよね。でもこの入間くんはその古典芸を古典芸としてでしかやれてなくて、一期の一話目から俺は真顔で見ました。終始真顔でした。それでも頑張って一期の4話まで見たんだけど、どうしても真顔でした。これは二期も真顔に違いないと思ったので見ませんでした。
幼少期編……三浦先生も死んじゃったのにこっちも酷い扱いにしてはだめでしょう……。
中島かずきの脚本で、ガイナックスを忘れられなかった中村が再びガイナックスをやりたがった作品。この人のテーマ性はBNA以外、底辺の場所から天を目指す、という部分に集約されていて、そのモチベーションが「人の持つ無限の希望」にある、と本人の中で解釈されてんですね。しかしこれって彼の最も得意とするところなので、ある意味最も保守的な作品になっちゃった感じがします。細胞の一部っていう仕掛けもありきたりでもありますし。
用語が超わかりにくい。あとコンテの構成(シーン)がバンバン過去と現在を交差しまくるので今何が起こっているのか飲み込みにくい。カメラワークと効果音と演出などは映画風で大変高度だとは思うんだけど、とにかくわかりにくさで損をしている。メモ取らなかったのを後悔しました。絵は美しいし、中国がアニメの本拠地になりかねない別の意味での恐怖を感じさせる作品かと思います。
これ面白いんだけどアニメは知名度ゼロ過ぎて悲しい。基本的に作りは古いです。何しろポストアポなんちゃらで少女漫画のSF黎明期の匂いを強く残している。サバイバルといえばさいとうたかおのサバイバルや自殺島などでも既出なので新規性もありません。ただ、女性作者ならではの繊細な人間関係の描写や、ほんの些細な出来事から気づきを得て成長してゆく姿は、無人島生活ものと相性がよく飽きにくい構造かと思います。作者の目線に人間の身勝手さを越え、人間の暖かさを信じる気持ちが伝わってくる点も良いかと思ってます。
これ語っていいんだろうか。なぜなら1期見てないから。この期に限って言えば運営側の陰謀と陰謀に立ち向かいながらも自らのアスリートとしての矜持を貫こうとする女性たち、という組み立てで、よくよく考えると一番フェミ枠なんじゃあるまいかと。やんなくてもいいのに時代に機微な気がします。なぜならおそらく一期はそういう作品じゃなかったであろう予測がつくから。
ともかくね、尻がエロい。それだけですよ。尻のために全話見るのが正解です。
今敏、内田けんじ はわいもすこ。コメディだと思ってるのあげてく
L ル・アーヴルの靴みがき Le Havre(2011年)
L 希望のかなた Toivon tuolla puolen(2017年)
L 浮き雲 Kauas pilvet karkaavat(1996年)
L 街のあかり Laitakaupungin valot(2006年)
L 地球は女で回ってる Deconstructing Harry(1997年)
L 恋のロンドン狂騒曲 You Will Meet a Tall Dark Stranger (2010年)
ギミック系は、メメントとかシックスセンスとかミストとか他にも有名どころは語り尽くされてるので
誰も触れて無い系だと、デビッド・フィンチャー監督、マイケル・ダグラス主演の『ゲーム』がすこ。小説版も好き
○ご飯
○調子
むきゅーはややー。お仕事はひまひまー。
復刻イベントマジでデイリーしかしてない。流石にあと2日で20箱は厳しいなあ。妥協ラインを作るか…… 5箱ぐらい?
マルチボスピックアップマジでデイリーしかしてない。流石にあと一週間で取り切るのは厳しいなあ。妥協ライン作るか…… 限定素材取得ぐらい?
機械反乱編のルナルート、ユリアスルート、ユアンルートをクリア。
ガラクタを自称し家族と会えるのに会わないエンネアと、悪い子を自称しもうパパとママとは会えないルナという、家族に対する関係の違いが面白かった。
ルナがギルド争乱編を経て友達の大切さを知っているからこそのお話で、マンマル1号とエンネアの3人で楽しく遊ぶシーンや綺麗な1枚絵のシーンも日常のほんわかしたお話が多くて好き。
特にマンマル1号は今までのストーリーにいないコメディキャラで、明らかに死亡フラグが立ってるのが悲しくなるけど好きなキャラだ。
機械反乱編ユリアスルート改めユリアスモノラブラブルート。と茶化したくなるぐらいには、ユリアスとモノがイチャイチャするストーリーだった。
闘争を求めるユリアスに休息を与えようとするモノの健気さ、回想の中で自分をネジに例える詩的なモノ、姉妹を助けることを生きる意味でその後の事は知らないと言い切るモノの強さ、ファーストワンアンロック時のモノの格好良さ、とにかくモノにまつわる良い演出が多くて最高だった。
そんな魅力的なモノがいるからこそ、ユリアスの闘争バカっぷりの裏にある悲しさが際立つ。
モノはストーリーもだけど、カードのデザインもこれを踏まえたフレバーが組み込まれてて素敵なカードだ。リノセントクロニクルでの新しいモノも使ってみたいな。
機械反乱編ユアンルートは、ジェイツーを通じてユアンのキャラクタ性が伝わるいい話だった。
ユアンが機械に宿った心や意思を尊重し見た目は違えど同じ意思を持った人間だと認めるくだりや、死にそうなジェイツーに優しい嘘を付くところなど、怒りの復讐者ユアンのそだれだけじゃ無い優しいところがたくさん見れて面白かった。
https://anond.hatelabo.jp/20210617085455
これは本当にそうで、「Jホラーの傑作」ということになっている『リング』や『仄暗い水の底から』ですら主役の演技が酷い。
公開当時はそれらの大根芝居が散々叩かれたものだが(当時は人気映画でもきちんと悪い部分を批判する文化がまだあった)、時間が経つにつれてそこが忘れられて「これだけ低レベルの演技でもオッケー」な扱いになっていることも要因かも知れない。
松嶋菜々子が誰の目にも大根なのはもちろんのこととして、黒木瞳も宝塚?の大袈裟な演技をやるから、(日本ホラーご自慢の)「些細な怖さ」とやらがぶち壊しである。
狭い団地の一室で、一生懸命に両手を振り回してパニック演技をする彼女はシュールだ。
何より、黒木瞳とあの娘じゃ親子って年齢じゃねえだろなんなら祖母と孫の年齢差だろ、という部分も違和感が拭えず、「邦画って…本当にそっから駄目なんだよな」となるのであった。
香川照之や西島秀俊が好演していた最近の某ホラーサイコパス映画でも、観客側に最も近い立場のはずの女優が形式的な演技しか出来なくて、非常に残念な雰囲気だった。
この女優も黒木瞳式に「肘を立てて両手をパタパタさせて金切声をあげる」感情表現を繰り返すのだ。
それな、アメリカのコメディドラマですらベタなギャグなんだ。笑いになるぐらい大袈裟な芝居なんだ。
サイコパスがテーマの映画で、一般人役の女優がサイコパスよりも不自然な演技をしてたら、それはもう本当に台無しである。
話題になった『来る』も、妻夫木聡の演技がはっきり言ってゴミもいい所であった。
世間では謎に褒める声もあるが、繰り返す。あの演技はゴミである。
とにかくすべての場面で演技のレベルが低い。不自然だ。幼稚だ。表面的だ。過剰だ。明らかに周囲から浮いている。何よりマクドナルドのCMと同じクオリティの演技をホラーでしている。常識的に考えてゴミでしかない。
ネット上では柴田理恵を褒める声が多かったが、それを見る目があるならなぜ妻夫木のゴミ演技を見逃すのか意味が不明である。
『ウォーターボーイズ』ならまだ許されただろうが未だにこれで演技派扱いって、一体どんな特権を持っているのだろうか。後続でもっとイケメンでもっと演技の上手い人間なんて沢山いるのだが。
まあこの映画に関しては、内容を考えれば監督の演出でもあると思う。それにしても酷いが。
そもそもなんでこんなに役者の演技の話をするかというと、それが作品の本質に関わるからである。
Jホラーというものは、実話怪談ブームの流れで生まれたものだ。
(超大雑把な説明だが、一応これで済ませておく)
実話風なので、大袈裟なショックシーンや劇的な恐怖ではなく日常的で地味な怖さを追求することで「日本独特」と言われるホラー表現を作り出した。(できたのは90年代、割と最近)
エピソードも撮影方法も派手にせず、登場人物も何処にでもいそうな個性の薄い人間にする。
少なくとも、Jホラー制作の当事者たちは、そのような意識で作品を作っていた。
当然、演技の方も自然なものが求められるはずだし、制作者たちもそういう話を事あるごとに語っているのだが、実際はJホラーではなぜか大袈裟な大根芝居、形式的な恐怖演技、棒読みのカタイ演技で溢れかえっている。
これが本当に謎なのである。
「人間は本当に怖い時に叫んだりしない、だから登場人物に叫ばせてはいけない」とまで語っているJホラー脚本家が、ヒロインに「キャー」と叫ばせる作品をいくつも残しているのだから、根深い問題である。
しかし、当時はJホラー自体が時代の最先端、画期的過ぎて作品の本数も少ないわけで、質が内容に追いつかないのは仕方なかったのかも知れない。
未だにそれを引きずっているのは困った事なのだが。
バイリンガルの人間からすると、日本の映像作品は英語圏の国に比べてやはり演技が大袈裟、いかにも芝居っぽく感じるらしいという話を聞くので、もはや映像業界というか日本文化そのものの問題なのかも知れない。
露骨に「作り物っぽい」アメリカンエンターテインメンツから見ても作り物っぽい日本人の演技って、実は結構深刻な話ではないかと思ったりもする。
(と言いつつ『ヘレディタリー』の女優などは、内容を加味してもあからさまに演技過剰の域に達して暴走していたので、ホラーに関してはお互い様かも知れないが。