はてなキーワード: 歓楽街とは
昔、大好きだった女の子が居て、なんとか付き合うところまでは辿り着けた。もちろん初めての彼女だった。
彼女はセックスが嫌いだった。「あなたの事は好きだけど、エッチな事をするのが嫌だから、付き合いますと即答できない」と言われたので、そっちがその気になるまではそういう事しなくていいから付き合ってくださいって言った。もちろん男としてセックス出来ないのは残念という気持ちもあったが、当時の俺は処女厨だったので「むしろこれくらい堅い子の方がいい」なんて馬鹿な事を考えていた。
とはいえハグやキスくらいはさせてくれた。ハグは向こうからしてきてくれた。大好きな女の子の呼吸を身体全体で感じられたのは幸せだった。キスは恥ずかしすぎてよく覚えていないが、特に何もしてないのに舌を入れようとしていると勘違いされたのは相当恥ずかしかった。
しかしそんな幸せな日々も終わりを告げる。彼女が自分に内緒でデリヘルで働いていたのだ。処女厨だった俺の発狂ぶりは想像が付くだろう。今思うとわざわざデリヘルで働くなんてなにかあったのか?と彼女に寄り添うところなのかもしれないけれど、当時の精神状態でそれは無理だった。彼女は別のバイトを頑張っていて高校生ながら月10万くらい稼いでいたし、家庭に金を入れてる感じでも無いし、ジャニーズのコンサートに全通するような子でも無かったから、何のためにデリヘルでバイトをしていたのかは今でも見当がつかない。
それから俺は何も信じられなくなった。一応自殺をせずに生きているが、ずっと空っぽで生きてる気がしない。あれから六年くらい経つが、未だに誰かを好きになる事が怖くて、彼女を作ろうという積極的な行動が出来ないし、大学では四年間で誰も好きにならずに卒業した。もちろん未だに童貞である。
デリヘルや風俗にも強いトラウマがあって、歓楽街なんかで看板を見るだけだしんどくなる。というかそれ以前にラブホの看板を見るだけで身体を売る彼女を想像して吐き気がする。
童貞はソープに行けとよく言われるが、気持ち悪すぎてソープに行けない。トラウマを解消するきっかけも何もない。時間はなかなか解決してくれない。俺は一生童貞なんだな、と思う。そして増田のような人間に馬鹿にされる。辛い。
俺はアラサー男だけども、男性向け成人誌だけじゃなくもっとやればいいと思う。どの事業者も。
世の中の表側からはアダルト(性的かつ下品、淫蕩的なもの)はぜんぶ撤去するべき。ティーン誌とか青年コミックも含めてね。厳しすぎるくらいでいい。
コミケなんかのイベントでもエロ同人での参加は禁止して、エロは通販やDL販売に完全移行したらいいと思う。
同好の士との触れ合いの場がほしいならまず外で話せるレベルの、健全なものも作ってから話してくれ。エロでしかコミュニケーションが取れない人間はネットから出てくるべきじゃない。
実店舗を持つ同人ショップからもエロ同人アイテムは撤去。公共の場には存在しちゃダメだ。
とはいえ、厳重にゾーニングされ、入店時にピピっと成人認証されるアダルト専門ショップ、といった感じなら商業・同人問わず実店舗もあっていい。あと現状のように歓楽街に隔離された形の風俗店も問題ない。
要するに、現実世界では非エロとエロが混在する空間があってはならない。健全なものを求める人間(未成年含む)がアダルト方面に迷い込むのが問題。
ただし、ネット上ならそういった類の迷い込みがあってもいい。もちろんフィルタリングなどの必要性を否定するわけではないが。
根本的にネットというのは、ほとんど精神世界だ。精神に歯止めは掛けられない。だから強い意志があれば未成年でもフィルタリングを抜け出せるくらいで構わない。
そういう空間と、現実の空間との区別は厳格であるべきだし、その分別を誰もがつけられる国民性を志向するべきだと思う。
誤解されそうだが、成人向けコンテンツの流通を縮小させる意図はない。むしろ、厳格に分ける一方で萎縮が起きないように気を配るべきだ。
アダルトを含めたあらゆる表現を手厚く守って、エロアイテムの流通は倍増させるくらいの勢いでいいとすら思う。
ただしその流通は、パブリックとは隔離された場所で、プライベート空間に直送される感じでやってください、という、一言で言えばそれだけの話だ。
中国じゃないんだから、アレなモノからソレなモノまで、公共空間にごっちゃ混ぜで陳列する必要はもう無い。
日本はもうカオスでいられる時期を過ぎた。もっと洗練されたスマートな社会のありようを本気で考えて、変えていかなくちゃならない。
平たく言うとみんなネット通販を活用しろって事だ。ついでにドローンとか無人トラックの認可を急げってね。
既存の流通からの変化を促すと、それについていけない人への配慮を~という批判が来る。
だが思うに、ネットも使えないような、コンピュータ音痴の年配というのは、大概知ろうとしない、学ぼうとしない。
必要に迫られてもできるだけ避け続ける。たとえば高性能なスマホを息子に見繕ってもらい、教えてもらっても、
難癖をつけるばかりで最低限の通話やメッセージング以上のことを断固としてしようとしない。興味を持とうとしない。
使っているモノの事をなにも知らないまま使い続けるような、恐ろしい感覚を持っている。
コンビニでエロ本を買っていた人間のうちで、撤去されたから焦って他の入手手段を調べ出せる能力のある人はまだマシだ。
そうでない人はきっと先に述べたような気質の人だ。入手を諦めてまた別のもの(風俗とか)に流れるのかもしれないが、
いずれにしても、自ら賢くなろうとしない人間が取り残されることまで配慮していては、人間をダメにし、社会をダメにする。
何か事情があって取り残されてしまう人の保護ならともかく、健常な人間は生きている限り常に賢くあろうとし、学び続ける姿勢がなければならない。
さもないと、資本主義・自由主義経済下の社会ではうまく生きていけないのが当然だし、なんならカモられハブられるの致し方ないことだ。
ダス! イスト! デア! トロプフェン! デス! アルラウネ!
アイネ! クライネ! ナハト! フランケンシュタイン!
イッヒ! リーベ! ナツィオナル! ソシアリスティッシェあわわわわわ! この辺で。
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“幻想芸術集団 Les Miroirs(レ・ミロワール)” という豪快な源氏名を名乗っているが、つまりは都内の小劇団だ。
んーむ、どういうことなんだろ、また芝居を観に来てしまった。
これまでの人生で演劇なんて片手の指にあまるくらいしか行ったことないのに。
ひょんなことから、とある小劇団の芝居に行ったのが先月。
劇場でダバっと大量のフライヤー(チラシ)を渡されるので、眺めているうちに妙に気になって今回はこの劇団の演目『アルラウネの滴り -改訂版-』を観に行ってきた。
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観劇後の印象がなかなか良くて、それで妙に語りたくなったので記録の意味でレビューを残しておくことにする。
当方、舞台観劇はズブの素人なので、マニアから見たら噴飯モノの印象がバンバン飛び出すことと思われるが、そこはヌルく見逃してほしい。
あと、上演も終わっていることだし、ネタバレ上等で書くので、そこは4649!
それでは、行ってみよー!
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■全体として
先入観が無かったといえばウソになるわけで。
幻想芸術集団という大迎なプレフィックス。
おフランス語の劇団名でミロワール(鏡たち)というのは、つまりキャスト達のことだろう。
豪奢な近世ヨーロッパ風衣装。
中央には男装の麗人。
「これはきっと、『ベルばら』風にお嬢様たちがキラッキラにやりたいことだけをやりたおした豪華絢爛、欧州絵巻だろうな」と。
それで、「どれ、どれだけ背中とオシリが痒くなるか、いっちょ見てやろう」くらいの気持ちで足を運んだのだが。
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これが。
開始10分で背筋を伸ばして、
脳を総動員して、
つまりは本気でストーリーを追いかけることになった。
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近世ドイツを舞台にしたバリバリに骨太なサスペンス/スリラーになってる。
そりゃそうだよな。
単なるキラキラ少女漫画ワールドだけで、旗揚げから10年以上も劇団が存続できるワケないもんな。
幻想的な要素は “アルラウネ(マンドラゴラ)の美女を集めた娼館” というキー・ガジェット一点のみ。
あとは細部まできっちりと整合したダークなクライムストーリーで。
(このへん、『スリーピー・ホロウ』(ティム・バートン)に通じるものがあるな。
あれも超現実はデュラハン(首無し騎士)の一点だけで、あとはストレートな推理モノだった)
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そして、今さらながら。
自分がなんで演劇を面白いと感じるか、分かった。
右から左から、見ても見ても、どこまで見ても情報量が尽きることがない。
これはフレームで切り取られた映画にはない楽しみであって。
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この舞台にしても。
ブリンケン伯爵が実に俗物らしくロゼマリー嬢を相手に大笑しているときに、うしろでフローラが嫌悪感をまる出しにしていたり。
カスパルが客前で気取った口上を並べているときに、後ろでオリヴィアとペトラがクスクス笑っていたり。
ふとカスパルが来歴をほのめかすときに、バックでアルマがアラベスクをキメていたり。
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どこに視線を固定しても、漏れる情報がある。
これが脳にすごい負担がかかる。
決して不快ではない負担が。
これが自分的な芝居の楽しみだと、劇場を出るときに気がついた。
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作劇について、もうちょっと書くと。
衣装がキラッキラなのは舞台が娼家だからであって、ここを誤解していた。
実際の登場人物はというと、全員が第三身分。
それも、ドラマにしやすい貧民でもなければブルジョアでもなく、中間層の知識人というのがニクい。
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そしてデカダンス。
スパイス程度の頽廃なんてもんじゃない。超頽廃。超デカダンス。
なにせ純愛がまったく出てこない。
娼館。
仮面夫婦。
父を求めて得られなかった少年は長じて若いツバメ(愛人)となる。
例外はアルマとカスパルの気持ちが通じるところ、それにヘタレ青年が主人公に想いを寄せるところだが、どちらも一方通行に近い。
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さらに設定考証がすげぇ。
神聖ローマ帝国時代のバイエルンの片隅にある架空の歓楽街、というか売春窟を中心に時代と風俗をガチガチに作り込んである。
おそらく、俺の気が付かないところもガチガチだろう。
唯一、気になったのは
「あれ、ドイツ語圏ならネーデルランドじゃなくてニーダーランドじゃね?」
ってところくらいで、これも観客のアタマへの入りやすさを選択した結果だろう。
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うん。正直に言うと、作り込みすぎじゃね? っていうところもあった。
具体的に言うと、ダイアログが文語中心で、若干だけど苦しい。
当方、語彙力にはそこそこ自信があるオッサンだが、それでも、
「じい(侍医)」とか、
「せんていこう(選帝侯)」とか、
会話をトレースして理解するのにアタマを総動員する必要があった。
かと言ってなぁ。
そこを「侍医」→「お付きの医者」とか、「選帝侯」→「偉大なる領主さま」とか言いかえるとテイストがどんどんボヤけるしなぁ。
時代のフレーバーとして、いたしかたなしか。
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ほかにも上に書いた「若いツバメ」とか、娼館ではロウソクがタイムチャージに使われていたりとか。
ともかく文学的で含みのある表現を多用していて、ターゲット年齢が高いか、あるいはマニアックな層か、ともあれコレくらいのレベルが普通なのかな?
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あと、要求水準の高い批判をすると。
“階級社会の不条理に対する怒り” というのを冒頭に打ち出した割には、通底するというほど通底していない。
21世紀の今から見て付け足した感じ。
フレーム全体の仇役としてエーヴェルス先生を立てて、カール殿下の誅殺を5分のエピローグとしてサラっと流したので余計にそんな感じがする。
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もう1つ細かいことを言うと、カスパルとエーヴェルス先生がクライマックスに対峙するまでハチあわせしないのは、苦しくないか?
それを言うのはヤボというものか。
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ま、ともかく。
全体として、チケット代以上に大いに楽しみ、没入し、満足した。
見て損はなかった。
ほかの演目については保証しかねるけど、再演のときには是非とも足を運んでみてください。(繰り返すけど、俺は関係者じゃないよ)
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以下は、キャストと演出について
※普段は「役者は顔じゃない」というのがポリシーなんだけど、ここまでビジュアルにこだわった劇団と演目に対しては、しゃーない、キャストのビジュアルについても言及させてもらいます。あしからずぅ。
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■男優3人
劇団と演目を全体として俯瞰すれば。
耽美で退廃的なテイスト。
きらびやかな衣装と意匠。
おそらく女性中心の運営で女性中心の企画立案で女性中心のキャスティングをしている集団だと推察するけど。
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自分にウソはつけない。正直に言う。
観劇後の印象は男優三人組が大部分かっさらって行った。
全員が客演。
おそらく、3人が3人とも、キャスティング担当者が選びに選んで一本釣りで連れてきたのだろう、と、思う。
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エーヴェルス先生の狂気、
フランツの怯懦と勇気、
ブリンケン伯爵の俗物さ。
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多分それは、つまりこういうことだろう。
女性陣、主人公2トップをふくめ、大部分のキャラクターは何らかの葛藤や二面性を抱えていて、心理に微妙な綾があるのに対して、男性陣3人は完全にバイプレイヤーとしてストーリーの進行装置以上のキャラクターが割り振られていない。
あとはそれを渾身のパワーで演じれば良いだけで、結果としてものすごい強烈でシンプルな印象をこっちに叩きつけてくることになる。
これが観劇初心者の俺みたいな人種にはビンビン来るのよ。
ある意味、三者三様にヨゴレで良い役をもらってるとも言えるわけで。
こればっかりは、しょうがない。
こういう観客もいるということで、ひとつ。
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■高山タツヤ(エーヴェルス先生)
いやしかし、悪役ってオイシイよな。
自分的には今回の演目でこの人がNo.1。
最初はシャーロック・ホームズ的な近代合理精神の尖兵として事件に切り込んでいくのかと思いきや。
途中からどんどんマッドサイエンティストの素顔が出てきて、終盤すべての黒幕という正体が明らかになって、最後はムスカ大佐みたいに天誅がくだる。
宣伝スチルでは “生に倦み疲れた貴族” みたいな立ち位置かなーと思っていたら、もっとパワフルだった。
理性的で狂人、策謀家で紳士、もうテンコ盛り。
唯一の難としては、演技とキャラクター作りが設定より若干、若く感じた。
そのせいでカスパルとの対比が弱い。
しかし、それにしても、実験体のときにカスパル13歳、エーヴェルス24歳。
最後に対峙した時点でカスパル31歳、エーヴェルス42歳か。
これまた描写の難しい年齢差を持ってきたな、とは思う。
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■谷英樹(フランツ)
普段は剣戟主体のアクション俳優さんらしい。もったいない(と言ったら失礼か)。
ねぇねぇ、性格俳優やりましょーよ。
できますって絶対。実際できてたし。
高い鼻筋、シュッとした輪郭ともあいまって、ヨーロッパのダメダメ青年を完全に演じきっていた。
迷い、失敗し、バカにされ、それでもフローラへの思い一徹。
というか、この劇中、唯一の未熟者役で、これは配役としてよいポジション。
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■杉山洋介(ブリンケン伯爵)
たぶん、この人はただの色ボケ爺ぃじゃないよ。
宮廷の権謀術数、
複雑な典礼プロトコルの知悉、
家門の切り盛り。
そういったシンドイ大事や雑事を乗り越えて、やっとこさトレッフェン通りで馴染みの嬢を片手に思いっきりハジけているところに腹上死。
涙を禁じえません。
そういう想像が働くところが、杉山氏のキャラクター作りのなせる技かと。
いや、たんなる家門だよりのアーパー伯爵っていう設定かもしれないけどさ。
ともかく、そんな感じがした。
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ストーリーも半ばを過ぎたところで、ハタと気がついた。
「カスパル、フローラが客から評価をもぎとってくるフォワードだとしたら、オリヴィア、ペトラ役のこの2人が失点を防ぐディフェンダーなのね」
アルラウネだけじゃない、葬儀の席のゴシップ婦人、伯爵家の侍女と、早着替えをしながら、縦横無尽に八面六臂。
よほどの高能力者じゃないと、こうはいかない。
逆に言えば。
ストーリーのスケールに比してジャスト10人という少数精鋭のセッションで。
もしもこの2人が「私たちモブよ、モブよ、モブなのよ~」と手を抜いたり段取りが悪かったりしたら?
それこそ目も当てられないほど悲惨なことになるのは想像できる。
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この芝居を観た人がいたら聞きたいのだが。
ストーリー展開のつなぎが悪かったところがあったか?
会話のリズムと展開がギクシャクしたところがあったか?
状況の説明が足りないと感じたところがあったか?
少なくとも、俺にとっては無かった。
これ全部、彼女たちの仕事であって。
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こうも言える。
「観客を40人と仮定して、80個の目玉とその批評眼の猛攻を、2時間近くの上演中、ゼロ失点でしのぎきった」と。
しかも、それだけじゃない。
「それじゃ、ここはカスパルを見ていよう」と視線を切ったままにしておくと、いつの間にか “弱気なオリヴィア” と “地味に辛辣なペトラ” がシャドーストライカーとしてヌッっと認知の前景に割り込んでくるから油断がならない。
専属キャストがスポットを浴びて歌い踊る後ろで、 “舞台成立請負人” として劇団を渡り歩くって、ックーッ! シビれるっすねぇ(想像のしすぎか)。
特にオリヴィア役の武川さんはホームチーム無しのフリーランサー。
次にどこで会えるかもわからないという、この西部劇カウボーイ感。
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■マリコ(伯爵夫人クロリス)
夫に先立たれ、あとは家門を守る化石となりつつある中、若いツバメとともにふと訪れた春。
でも心の底では彼が自分を利用しているだけと気がついていて、寂しさがつのる人生の晩秋。
っていうメロドラマ的挿入話を、たった1人でゴリゴリ成立させてしまった。
オフショットを見たら、周囲に負けず劣らずの美人さんなのに、哀切よろめき婦人にサクッと変身するあたり、地味にスゴいよ、この人。
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■中村ナツ子(ロゼマリー)
加東大介(『用心棒』)といい、中村梅雀(『八代将軍吉宗』)といい、馬鹿キャラってオイシイよな。
と、思いつつ、可愛い子チャンで馬鹿キャラってのは失敗例が山ほどあるワケで。
美人馬鹿キャラ、厳密に言うと “短慮と衝動、それに浅知恵で状況を悪化させるキャラ” っていうのは、全世界のホラー/パニック映画ファンが怒りまくってることからも分かるとおり劇薬であって、書くのも演るのも本当に難しくて大変で。
(フィクションで最近の成功例だと、『デスノート』の弥海砂とか。自分の中では『ウォーターシップダウンのうさぎたち』のネルシルタとか)
その中でも彼女ロゼマリーの配役と演技は大成功と言っていい。
シナリオ、人物造形、演技の巧みさ、3つが合体して、ストーリーを停滞どころかグイグイ展開させる存在として実に効いている。
アルラウネたちが、それぞれどこか華美な中にもダークさを感じさせる装いの中、ひとり明るい髪色でキャるるンッとしたバービー人形のような出で立ちも良い。
彼女を舞台で見るのは実はこれが初めてではなくて、かなりの美形なことは知っていたけど、作りようによっては、なんというか、 “こういう美人” にもなるのか、と今さら驚く。
(彼女の第一印象については、
https://anond.hatelabo.jp/20170925212923
の中村ナツ子の項を参照のこと)
というあたりで。
最後に。
あー、業務連絡、業務連絡。中村さん、編集者やってみる気はありませんか? 原稿ライティングができてAdobe製品が使える最強のマルチ編集者になれますよ。その気になったら、いつでも当方に声をかけてください。
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■麻生ウラ(アルマ)
うー、うーうーうー。モゴモゴ、わかった、言う。
えー、強烈な声優声なのは、演出上の要請か、それともそれ以外の発声メソッドを持っていないのか。前者だと信じたい。
さて。
最古参のアルラウネ、そしてカスパルの右腕として気持ちを交わし、動き、嘆き、そして踊る。
ちょうどキャプテン・ハーロックにおけるミーメみたいな立ち位置。
キレイどころ揃いのキャストの中でもアタマ1つ抜けているビジュアルとダンスを買われての登板か。
(「ビジュアル充実で演技とダンスが良いなら文句ねーだろ」という方は、この項の2行目を参照のこと)
休眠状態の彼女のポーズを見て、開場のときに舞台においてあったオブジェの意味がやっとわかった。
それにしても。
とんでもなく整ったマスク。
スレンダーで柔軟な身体は恐ろしく妖艶に動く。
世を忍ぶ仮の姿はバンドヴォーカル兼ヨガ・インストラクターとのこと。
ドュフフフフ、オジサンに勤務先教えてくれないかなぁ。
(この6行、後でカット)
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■乃々雅ゆう(フローラ)
アイライナー(と、おそらくカラコン)を差し引いても深い情熱的な眼、意志の強そうな頬からおとがいのライン。
なんというか、豪華欧州絵巻を演るために生まれてきたような。
実際、ブルボン王朝の末席にいて、ベラスケスが肖像を描いてそうだ。
その意味では、この劇団の申し子みたいな雰囲気。
立ち上げからのメンバーかと思った。
そのくらいピッタリの所属先を見つけたと言えるんじゃなかろうか。
宣材写真を見たときはもっと毒のある雰囲気で、「ふむ、このヒトが超々々毒婦をやったら面白そうだ」と思って劇場に行ったんだけど。
なんというか、キャラクターもご本人も想像より瑞々しい感じの人だった。
“運命と戦うヒロイン” という、もう本人の雰囲気そのままの役回りを手堅く好演。
娼館の女主人のときはもっと毒々しくても良かった気がする。
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■朝霞ルイ(カスパル)
どんなに声のトーンを落としても客席まで声が届いていたのは彼女だけだった。
ベテランの風格。
打ち棄てられた実験体児がどこでどうやって成長すれば、こんな艶やかでピカレスクなトリックスターに育つのか、そこを見てみたかった気もするが、そこを書いたらタダでさえ2時間ちかくある上演時間がさらに伸びるので、いたしかたなし。
この俳優さん、眉頭にいい感じに険が出ていて、男装の麗人からリアル美丈夫への過渡期にある感じがする。
男役としては、これからが一番いい時期なんじゃなかろうか。
カスパルがどんな人物かというと。
ん。
待てよ……整理すると!
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1)娼館の影のNo.1として女主人をウラからあやつり、朗々と艶やかな口上を述べるトリックスターで、
2)火災その他のカタストロフから巧みにサバイバルし、言葉巧みに未亡人の情夫におさまる冷徹ピカレスクで、
3)非人道的な実験の結果として対アルラウネ耐性を有する厨二病キャラで、
4)それでいて不幸な幼少期から、どこかはりつめた脆さを感じさせ、
(それは例えて言うならば、ラインハルト・V・ローエングラム的な)
5)そして、こころ疲れた時には情を交わす女アルマが影に寄り添い。
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なんてこったい! 男装女子の演りたいこと、全部入りじゃねーか!
どうなってるんだ朝霞さん! アナタの配役が一番オイシイよ!
観劇前はフローラとカスパルが互いのカウンターパートをつとめるセッティングかと思ったら、終わってみれば伯爵から先生からアルラウネ達からフローラから、もうもう全員が彼との関係性を軸に話が展開するという、まさにザ・主人公・オブ・ザ・主人公!
しかし考えてみれば、そのぶん舞台上でも舞台裏でも負荷は並大抵では無かったはずで、本当にご苦労さまでした。
良かったっす。
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■a-m.Lully
あの役がオイシイ、この役がオイシイ、と書いていて気が付いたが、
全者全様にオイシイ役ばかり。
調べたら当然のごとく、当て書き脚本だった。
この辺が座付き作家、というか作家が率いる劇団の最っ高のアドバンテージだよなぁ。
と、同時に。
「このストーリー、映像化してもイケるんじゃね?
というか、ヨーロッパあたりに売り込んでもいいんじゃね?」
と思ったのだが。
脚本、キャスト、演出のケミストリー(化学反応)による名演と脚本単体のポテンシャルの見分けがつくほど、俺は観劇に強いわけではないので、この印象は保留しておく。
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■大道具・セット
背景と大道具がすごい。なんてったって “何もない” んだから。
物理的に必要な長椅子が脇においてあるだけ。
これ、大英断だと思う。
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メインの舞台となるのは近世ヨーロッパの娼館で。
自分がイメージできるのは『ジェヴォーダンの獣』(クリストフ・ガンズ)くらいだけど、あれを雰囲気だけでも匂わせるには1千万円あっても足りない。
その後の場面展開を考えたら、そこはバッサリ切り落として、そのかわり衣装と装飾品にガッツリとリソース(金と時間と手間)をかける。
少なくとも自分はそう思った。
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で、板の上には何もない代わりに、ステージ背面全体を三分割して並んだ3つのセル(部屋)。
ライティング次第で中のキャストを浮かび上がらせて、複数のストーリーラインを同時に進行できる空間なんだけど、これが実に効いてる。
回想、視点の移動、娼館の部屋それぞれ。もう大活躍。
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白眉はエーヴェルス先生が娼館に潜入するシーン。
ライティングを目まぐるしく切り替えて、それこそ『ミッション・インポッシブル』か『オーシャンズ11』かっていう高速カットバックを実現している。
(いや実際、照明さんは胃に穴が空いたんじゃなかろうか?)
実を言うとアタマのスミでは「それをやりたいなら映画でやったら?」と思わないでも無かったけど、映像作品と舞台の良いとこ取りをした意図は買うし、実際、効果的だった。
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と、同時に。
こうも思った。
「ああ、そういうことか。エイゼンシュテイン以降の変革は舞台にも及んで、自分はいま変革後の作品を見てるのね」と。
MTV以降、ライブコンサートに巨大モニターが導入されて各種フレーミングが可能になったように、舞台も律儀に単一フレーム(場の一致)なんて守ってる場合じゃないよね。
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■最後に、気がついたこと、気になったことをまとめて
・会場の音響が悪すぎ!
卓かアンプが、どこかでバチバチに歪んでる。
せっかく古典派の交響曲でストイックなまでにかためた選曲が台無し。
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・キャパ、狭すぎ!
ねえねえ、次はもっと大きい小屋でやりましょーよ。
大丈夫。大丈夫だって。
連日満員でエクストラシート用意するくらいなんだから。
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・ハッキリとした開演ベルが欲しかったところ。
カスパルがおもむろに登場してアルラウネのオブジェを撤去して暗転ってのは、演出としてどうかと思った
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・プログラムの誤植。
コーヒー愛飲の習慣のところ、 “嫌遠” は “嫌厭” の間違い。
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・余談だけど、今回の上演『改訂版』の前の上演回をみんな『祈念』と呼んでいる。
理由を調べようと思ったけど、まーいーか。
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・キャスティングの軽重に関係なく、みんな多かれ少なかれセリフが飛んだり、噛んだりしていた。
最終日の最終回、疲労のピーク。
ステージハイっていったって、限度があるわね。
その中でもディフェンダー2人(武川、小川)は、自分が見る限り
挙動とセリフに一切のミスがなかったことを記録しておく。
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……んー、こんな感じか。
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ともかく、まとめとして言うならば。
幻想芸術集団レ・ミロワールの『アルラウネの滴り -改訂版-』良かったっす。
きっともう彼女なんてできそうにないし結婚なんて一生無理だし不養生が祟って四十路越えた辺りで倒れて逝く未来しか見えないから、せめて童貞という軛ぐらいは捨ててから逝こうとようやく一念発起した。
何事も下調べが重要だから風俗と一括りにされる業界を調べて、ようやくサービス的に優れている方からソープ>ヘルス>その他という序列を把握。ここまではいい、ここまでは順調だった。しかし、だ。
は???なんだそれ???梅田とか十三とかの歓楽街にあるようなのはソープじゃ無かった?むしろ飛田新地とかいう、大阪市民でも近寄れない一角があるじゃん。まさかまた橋本のせいか?
料亭で食事をしていたら給仕をしてる従業員とたまたま密室で恋愛関係になっていちゃいちゃしてしまうらしい。なんだこれ。その論法なら場末のブックオフでたまたまレジ店員と恋愛関係にだってなれるだろうが…。いやロジックは正直どうでもいい。問題は料亭だからシャワーもなく、ソープでもないからいちゃいちゃのみで、時間は15分~程度で済ませてしまうという趣も何も有ったものじゃない風情の無さだ。幾らレベルが高いとか言ってもそりゃ、することしないならそうなるだろうよとしか思えん。花博のせいで大阪のソープが全滅したらしいが、馬鹿じゃねえのか。
ソープのあるまともな近場は何処かとGoogle先生に聞いたが、福原だそうだ。近くも無いし神戸は好きでもない(神戸と大阪は一緒にされるのを互いに嫌う)がやむを得ない。Google先生に聞くと多数有るらしいが、問題はここからどうやって夢を叶えてくれる店を探すか、だ。
私には夢がある。それは、島風コスのスレンダー女性に騎乗位で童貞を奪われると同時に射精し耳元で「はっやーい♡」と囁かれ最後の自尊心を打ち砕かれる夢である。この信念を抱いて、私はソープへ行く。この信念があれば、絶望の人生から希望の一瞬を得ることができると信じて。
またもやGoogle先生を頼りソープを標榜する店のサイトを一通り見てみたがどれもこれも「システム」のページには時間とその価格のみ、何を何処までやって良いのか全く書かれていないという不親切極まりなさで、ここでもまた童貞は小馬鹿にされる運命なのかと身につまされる。ごく希にコスプレソープを発見するも、バニーやセーラー服で私の夢とは全く異なる。店に島風の制服が無いなら自分で用意する程度の気概はあるが、そもそも持ち込みが可能かすら怪しい。
だがGoogle先生は何でも教えてくれる。「ソープ コスプレ 島風」と打てば確かにあるのだ。福岡、岐阜、千葉であることを除けば。
各店の価格を見ていくうちに、価格帯に上下があることに気付き調べてみるとやはり6万程度のは高級だそうだ。サービスが高級ということはつまり、NSやらNNやらのぐぐらないと知る由も無い隠語も含まれる暗黙の了解なのだと。0の数が1個足りないのでは?と思ったがこの辺が相場らしい。
信じられない。ご理解(※9万円の俗称)にも満たない端金だぞ。5回行けば10時間分だ。3000円払えばタダで10連回せる人理修復なら30分で使いきり何も出ないやつだ。自分の童貞はご理解や★5にも満たない価値だったことに絶望を覚える。
姉はイケメンだ。かなりぶっとんでるし、ちょっとどうかと思うような行動に走ったりもするけど、総じてイケメン。性格は姉妹で正反対。私は人見知りで、基本的にいつもおどおどしている。今までいろんな局面で何度も姉に助けられてきた。そんな姉への感謝の気持ちを綴りたい。
うちは母が早く亡くなってる。私が5才になる年に喉頭癌でこの世を去った。姉は私より11才上で、私が小学校に入った年にはすでに高校生だった。
そんな姉が、私の入学式に母の代わりとして参加してくれたのだ。その時のスーツ姿がとても素敵だった。人指し指に緑色の翡翠の指輪をはめていて、それは母の形見だと教えてくれた。入学式の時の写真を見返すと、やはり姉は保護者の中で一人だけ幼げに見える。
姉は高校ではかなり目立っていた。たまに雑誌にも出てた。エルティーンという十代向けのファッション誌で、モデルみたいなことをしてた。私はまだ小学校に入りたてで、そんな姉を芸能人だと思い込んでいた。そのうちテレビにも出るんだと思ってた。その予想はのちに別の形で実現するんだけど、その話はあとに回そう。
姉はふだんはあまりエルティーンを読ませてくれなかった。小学生にはふさわしくないエロい特集が多かったのだ。そんな雑誌にちょくちょく載る姉の姿に、私は幼いながら、妖しい憧れのような感情を抱いていた。
父は土建業を営んでいたが、この頃には経営が苦しくなっていた。それまではずっと絶好調で、姉は何の疑いもなく「うちは金持ちだ」と信じ切っていたらしい。でもそんな幸福な時代はあっけなく終り、父は一気に萎れてしまった。母に先立たれて、経営も傾き、悲嘆にくれる日々。父がお酒に溺れ始めたのはこの頃だ。それでも父は姉を私立の大学に入れた。娘の教育は疎かにしない、それは母の遺言でもあったそうだ。
当時、私がまだ9才の時。姉が私をあるイベントに連れて行ってくれた。姉の大学の友達の中に、ひとりだけ9才の私が混ざるという、かなり無茶な形だった。野外で開催されるテクノパーティ。でもそんな詳細はすべてあとから知ったことで、当時は右も左もわからないまま、姉に連れられて、ただついて行った。そこはまさにカオスな空間だった。広大な森林のいたるところで人々が踊り狂っていた。真夜中にトランス状態で踊り狂っている大勢の大人たち。あの光景が私の音楽の原体験になってしまったのは、なんかちょっとまずい気もしている。
夜、私は姉と並んで芝生に寝転んだ。遠くではドンドンという無機質なテクノのビートが鳴っていた。私と姉はふたりで夜空の星を眺めながら話した。その時に姉がとつぜん言ったのだ。
「ママはもういないけど、私がお姉ちゃんとお母さんの両方をやるから」
後年、姉にこの話をしたら「そんなくさいドラマみたいセリフ言うわけない」と全否定した。でも私は完全に覚えている。ありがとう。あの言葉にどれだけ支えられたかわからない。
三つ目は、話自体がかなりぶっとんでる。
私が中2の時、父の会社が潰れた。全てを整理しなければならなくなり、家族は家も失った。私たちはアパートに引っ越した。父はもはやアル中の一歩手前みたいになっていた。
姉はすでに大学を卒業していたが、就職はしていなかった。なんと、カリスマキャバ嬢になっていたのだ。当時の某歓楽街ではかなり有名な存在で、テレビの取材も受けていた(冒頭に書いたテレビ出演の話はこれのことだ。ちなみに姉はこの後にもまた別の形でテレビに出るのだが・・・)。姉は客に媚びないSっぽいキャバ嬢という設定で、何度か深夜番組に出ていた。それはけっこうサマになっていた。
姉は家では父にハッパをかけ、とりあえず一労働者に戻って建築現場で働くことを勧めた。父は最初は経営者という立場にこだわり、かたくなに拒んでいたが、やがてしぶしぶ従った。
ここから急展開が訪れた。カリスマキャバ嬢としてのブームが一段落して、父もどうにか社会復帰できたというタイミングで、姉がいきなり海外に留学してしまったのだ。なぜこのタイミング?と思ったけど、どうも男絡みのようだった。色恋沙汰なら、もう誰が何を言っても無駄だ。姉の留学先はコスタリカだった。
姉は私に銀行のカードを託した。「本当にやばくなったらこのお金を使いなさい」と姉は言った。さらにもう一点、「絶対に父には秘密にすること」姉はそれだけ私に言い残して、さっさと異国へ旅立ってしまった。当時、私はまだ中2だった。おいおい、母親の代わりをするって話は?
預金は600万円だった。コンビニのATMで残高を見た時、足が震えた。私はこわくなって、すぐにカードを机の引き出しにしまい、鍵をかけた。それは中2の私に背負える額ではなかった。
そのまま中3になり、受験の時期を迎えた。姉がいなくなってからというもの、家の中はめっきり暗くなっていた。父は働いてはいるものの、お酒の量がどんどん増えていた。親子の会話もほとんどなくなっていた。学校でも、私の家が落ちぶれたという噂がうっすらと広まっていて、なんとも言えない惨めな気分だった。姉の600万だけが心の支えだった。まだ大丈夫、うちにはこれがある、そう言い聞かせながら日々を送っていた。とかいいながら、カードからお金を引き出す勇気なんてまるでなかった。私は根っからの小心者なのだ。大金を前にして、完全に怖気づいていた。どうしても心細くなって、ひとりで布団をかぶって泣く日もあった。勉強にも身が入らず、だんだん授業がちんぷんかんぷんになっていった。高校に受かる気がしなかった。この時期は私の人生でいちばん苦しかった頃かもしれない。
そんなときに、姉が帰ってきた。まるで私の危機を察するみたいに。姉は予告もなく、いきなり家に現れた。あの時、姉を見た瞬間、私の全身にぐわーっと広がった強烈な安堵感が忘れられない。自分がいかに姉を頼りにして生きているのか、骨身に染みて分かった。
姉のコスタリカでの日々は、それだけで一冊のルポルタージュが書けるぐらい強烈だった。でも私がここに書くのはちょっと無理だ。筆力が足りなすぎる。姉はコスタリカで日本人の恋人と暮らしていたのだが、やがてその男と別れて、現地でスペイン人と付き合うことになった。交際から数日後に、ふたりでパナマに小旅行に行ったら、国境を渡るバスから彼がいきなり逃亡してしまった。理由はわからない。ともかく姉は一人にされてしまった。それから姉は執拗な警察の取り調べを受けたりしつつ、どうにか事なきを得て、家に帰りついた。後日、彼が麻薬組織の幹部だということが発覚した。姉はそんなこと何も知らなかった。彼がなぜ逃げたのか、どこに逃げたのか、全てが謎に包まれていた。
そういう話が他にもたくさんあるんだけど、とても書ききれない。とりあえず姉は無事に日本に帰ってきた。そしてコスタリカでのエキサイティングな日々を迫力満点に語ってくれた。私はなんだか自分の悩みがバカらしくなってきた。受験が不安だとか、ほんとに小さなことって気がしてきた。姉に相談したら「勉強しろ」と言われた。2秒で話が終わってしまった。銀行のカードをいちども使わなかったと言ったら「あんたらしいね」と笑った。姉が相変わらず人差し指に翡翠の指輪をしていたので、私は「お母さんの指輪だ」と言った。姉はそっけなく「あれウソだよ」と言った。「蛍火の墓を見て、適当にでっちあげた」「マジで!?」「うん」私は脱力した。
それから受験勉強に身をいれて、私は無事に第一志望の高校に受かった。姉は父の酒浸り生活も、きびしくたしなめた。父は何だかんだ言いながら、姉には従う。酒の量を控えるようになり、少しずつ生気を取り戻していった。やがて昔の仲間と一緒に、また小さな会社を発足させた。最近は土建以外にも手を広げて、高齢に鞭打ちながら、建物管理の資格の勉強なんかをしている。
姉はコスタリカで築いた人脈を駆使して、某国の大使館でアルバイトをするようになり、そこで能力を見込まれて、正規の職員になった。大使館について詳しく知っているわけではないけれど、私は漠然と「超エリートの仕事」だと思っていた。姉のイメージとはどうしても結びつかなかった。最初に聞いた時は、女スパイが組織に潜入しているような姿が頭に浮かんでしまった。
姉の最後のテレビ出演は、この大使館がバラエティ番組の取材を受けたときだった。姉は有名な芸人さんにおいしくいじられていた。姉は完全にキャラ変して、シャイで生真面目な妙齢の職員を演じていた。「あなた、かなりの箱入り娘でしょ。男性経験も少なそうだな」芸人さんがそんなようなことを言って、姉をからかっていた。姉は恥ずかしそうに両手で顔を隠した。『かわいぃ~』みたいなテロップが入った。いやいやいや、と私は全力でテレビに向かってつっこんでしまった。
そんな姉も、長く勤めた大使館をやめて、今はスペインバルのオーナー兼マネージャーとしてバリバリ働いている。ほんとはここにお店のサイトのリンクを貼って、微力ながら宣伝したいんだけど、それをするには姉の許可を得なくちゃいけない(というか、こんなの宣伝にならないか)。
ちなみに私は普通に高校を出て、短大を出て、今はOLだ。ほんとに波風のない人生。何から何まで姉とは対照的だ。そのうち私にも、めくるめく冒険の日々が訪れるのだろうか。
結局、姉への感謝はたくさんありすぎて、とてもここには書ききれない。何でこんなことを書こうと思ったかというと、このあいだ何気なく実家で昔のアルバムをめくっていたら、幼い頃の姉の写真を見つけたから。3才ぐらいで、まだ私が生まれる前。姉は母の腕に抱かれていた。泣き出す直前みたいな、絶妙な仏頂面。姉を抱く母の人差し指には、緑色の翡翠の指輪が光っていた。なんだ、やっぱり形見じゃん。本当だったんだ。きっと照れくさかったんだろう。いかにも姉らしいと思い、うれしくなってしまった。それで姉への気持ちをまとめてみようと思ったんだけど、うまくまとまらなかった。無理もない、姉自身がまとまってないんだから。
全国展開してるケーキ屋チェーンで販売のバイトしてる。ペコちゃんではない。
20歳女。
仕方なくアルバイトの女の子(19)が電話でお客様の事情をヒアリング。
(販売員はマニュアル通り、お客様が注文したケーキが間違っていないか4度も確認をする。それなのにオーダー間違いのクレームが入るというのは、だいたいはお客様の勘違いの場合が多い。)
まぁでもあなたが間違ってますよとは言えないので、私たちはへこへこしなければならない。
通常なら、クレームが発生したら店長がお客さんのもとまで商品を持っていかなければならない。
示された住所は明らかに風俗店街のど真ん中。
時刻は22時も回っている。
店長に電話して指示を仰ぐと「私たちアルバイトうち誰か1人が菓子折りもって謝罪に行け」...とのこと。
いや、危なくね????
夜も遅いし。10時回ってもう街の雰囲気がガラッと変わってるよ。
と私は思った。でも仕方がないので、行った。1人では危ないと思ったので2人で。
正直、超絶怖かった。ここ住所的にやばいでしょ、とは思ってたけど実際行ってみると本当に怖かった。なんかうす暗いし。ネオン輝いてるし。女の子ケバいし。めっちゃ酒飲んでるし。夜遊びとかあんまりしないのでとにかく恐怖だった。
何かあったらどうしようと思って携帯をすぐに110番できるようにしてポケットに隠しておいた。
クレーマーのおっちゃんは、女の子にええかっこしたいみたいで、私たちにやけにエラそうな態度をとった。
私たちクレーム対応の研修とか受けてないし、たどたどしい謝罪でさらにクレームがヒートアップしたらどうしようかとヒヤヒヤした。
結局、まあとりあえずその場はおさまった。
私たちは全力ダッシュで店舗まで帰った。歓楽街で立ち止まるとやばいと思ったから。
でも、ことがおわってみると、これっておかしいんじゃないかと思い始めた。
私たちは真面目に言われたことをやり、お客様に満足していただけるような接客をするのが仕事だ。
しかし、それ以上のことはできない。
責任なんて取れない。
「申し訳ありませんが本社の人間が謝罪に向かいますのでお時間かかりますがお待ちください」
とかそういうのが普通なんじゃないの?
バイトに行かせるか?
しかも、明らかに危ないところに、夜遅くに成人もしてないバイトの女の子を。おかしくない??
正直すごく疑問で不信感を覚えた。
後日店長に抗議した。
「私たちすごい怖い思いをしました。バイトなのにそこまでしなくちゃいけないんですか?会社の決まりなんですか?」
と聞いたら、店長の回答は
「あーそうなんだw怖かったよねーw ぶっちゃけうちは社員も足りてなくて場合によってはバイトさんにもクレーム対応してもらうからw 怖かったと思うけど従業員の安全よりお客さんの都合が優先されることもあるからw」
だそうでした。
非常に納得いかないのでコンプライアンス担当の部署に問い合わせようと思ってる。
でも不思議なことに、バイト仲間はこの出来事を普通のことだと思ってる。
とか言われる。
それおかしいって誰も思わないの?
まるで私がぴーちくぱーちく騒いでおかしい人みたい。
でもこれってすごく問題だとおもんだけど。
社員が少ないとかそんなの関係ない。それはあなたたちがなんとかすることでしょ?
どうしてその尻拭いを私たちが時給1000円ぽっちでしなきゃいけないの?
もし私たち非正規雇用のアルバイトにクレーム対応させたいなら、事前にちゃんと研修とか受けさせて、時給もあげなさいよ。
それができないんだったら、もう構造として破綻してるんじゃないの?
どうして誰も声をあげないんだろう。
ドリア好きなのだけど、気軽に入れるところがあまりない。その上、ドリアだけでお腹いっぱいにならない。
なので、誰でも気軽に入れて、ドリアだけでお腹いっぱいになる感じのお店にしたい。
ベース(マカロニ、ホワイトソース、チーズ、たまねぎ、とか)に対してトッピングを選ぶイメージ。
ベース600円
肉/魚介類200円
野菜類100円
客単価800〜1000円くらいを想定。質と満足感は重視しつつ、あまり安くはしたくない。
ホワイトソースとマカロニは事前に仕込んでおき、オーダー毎にトッピングを盛り付けて、スチームコンロやオーブンで焼き上げて提供。
ある程度事前の仕込みが可能で提供時の手間が少なめな割りに、味もキープできるのではないか、という想定。
従業員は自分1人+パート1名(ワンオペも想定しておく。人が採れない、金がない、などの場合を想定)、日曜日定休。
場所は東京23区内でオフィス街や歓楽街。家賃などを考慮の上、場合によっては、ローカルっぽい場所も検討。
2ヶ月は赤字想定、3ヶ月も最悪仕方ないけど、4ヶ月目には黒字化したい。
1〜2年で店が軌道に乗ったら、営業はパートだけに任せて、自分は何か他のことをしたい
(企画・開発・マーケティングなどに専念する、複数店舗展開する、他ビジネスに手をだす等)
やっていけそうですかね?^^;
グラタン好きなのだけど、気軽に入れるところがあまりない。その上、グラタンだけでお腹いっぱいにならない。
なので、誰でも気軽に入れて、グラタンだけでお腹いっぱいになる感じのお店にしたい。
ベース(マカロニ、ホワイトソース、チーズ、たまねぎ、とか)に対してトッピングを選ぶイメージ。
客単価800〜1000円くらいを想定。質と満足感は重視しつつ、あまり安くはしたくない。
ホワイトソースとマカロニは事前に仕込んでおき、オーダー毎にトッピングを盛り付けて、スチームコンロやオーブンで焼き上げて提供。
ある程度事前の仕込みが可能で提供時の手間が少なめな割りに、味もキープできるのではないか、という想定。
従業員は自分1人+パート1名(ワンオペも想定しておく。人が採れない、金がない、などの場合を想定)、日曜日定休。
場所は東京23区内でオフィス街や歓楽街。家賃などを考慮の上、場合によっては、ローカルっぽい場所も検討。
2ヶ月は赤字想定、3ヶ月も最悪仕方ないけど、4ヶ月目には黒字化したい。
1〜2年で店が軌道に乗ったら、営業はパートだけに任せて、自分は何か他のことをしたい
(企画・開発・マーケティングなどに専念する、複数店舗展開する、他ビジネスに手をだす等)
やっていけそうですかね?^^;
人の群れが歩いている
夜の繁華街で花が咲いて
歓楽街で楽しんでる
働く者が生きてる
娯楽の匂いがあふれてる
大人たちは何かのために
今日も働き続けている
だけど全てが変わってしまった
全てが変わってしまった
住人の声も消えちまった
観光客の声も消えちまった
大人の声も消えちまった
国民の姿も何もかもが
気違えてしまった人たちの
瞳をどうやって見つめればいい?
俺たちが歩いてきた道は正しかったのか?
したたり落ちてく命の
外国人に突きつけてみた
今一度問いかけてみた
僕たちが歩いてきた道は 本当に正しかったのか?
だらしなくなった客層達
命の音が聞こえない
全滅していた生活の中
俺はただ立ち尽くし空を見上げて泣いた
来る日も来る日も毎日
疲れては働いて疲れては働いている
「これ以上生きられないかもしれない・・・」
あの電気街で
も一度電気を楽しみたい
あの公園で
も一度自然を楽しみたい
あのビアガーデンで
ウマ酒を飲み交わしたい
夜の街を照らす街灯に
も一度抱かれて歩きたい
生きたいと叫びながら
生きたいと叫びながら
消えてった外国人
生きたいと叫びながら
消えてった高橋まつり
瞳をどうやって俺は見つめればいい?
ビルの向こう
何も知らずに開かれている
空の下で今年の夏冬も
壊してくれ日本を
壊れてくれ今すぐ
大人として生を受け
瞳をどうやって俺は見つめればいい?
行きたいたいなあ
戻りたいなあ
行きたいなあ
命の音を抱きしめて
公園で 足速く
速く 速く 速く 速く 速く
走ってくれ
若い頃病でなくしたおじいさんが
神様に導かれ
転生したわが友の
瞳をどうやって俺は見つめればいい?
この二つの市、同じくらいの人口の県庁所在地だが、街の中心の賑わいが全く違っている。
はりまや橋の辺りからひろめ市場まで、それなりに人通りもあり、新しくできた現代的な店も多い。
イオンモールにおされているというが、まだまだ活気があると思った。
かたや、和歌山市。
「ぶらくり丁」という中心街がある(あった)が、駅から離れていることもあり、完全に寂れてしまっている。
JR和歌山駅前に新たな繁華街ができているかというとそうでもなく、駅ビルや百貨店に人が集まっている程度で、近くの商店街はやはり寂れている。
同じくらいの規模の市なのに、何故これだけ差があるのか。
和歌山市は、近くに大阪という大都市があるから、そこに人がどんどん吸い取られているのに対し、
高知市は、近くに大都市がないから、人を集める「求心力」を持っている、
そんなところだろうか。
先に言っておきますが、これは別に地方の方を馬鹿にするような意図などは含まれておりません。
予めご了承のうえ、興味を持たれた方はお読みください。
ちなみに書いている人間は東京生まれ東京育ち、親戚もみんな東京という生粋の江戸っ子です。
東京の人は冷たいっていうし……
水道水はまずいし……
とか、いろいろあると思います。
確かに東京はひとがめちゃくちゃ多いです。
朝の山手線(特に池袋・新宿から渋谷・品川方面に向かう電車)や、
そのせいで買ったばかりの鞄の形が思いっきり崩れたり、
乗降客の押し合いへしあいでバッグの取っ手部分が壊れたこともあります。
同じく新宿の靖国通りをまたぐ交差点なんかもひとがたくさんいますよね。
こんなにたくさんの人間がどこから出てきたんだー!! と思ったりもします。
麻布で一人暮らしをしている友人は、9畳ワンルームの部屋で家賃が12万だと言っていたので驚きです。
だけどひとつだけ物申したいのです。
いわゆるメディアに出ている「東京」って、23区のなかでも本当に一握りで
「渋谷区」「新宿区」「港区」「千代田区」「中央区」辺りだと思うんですね。
そこは本当に人も多くてごみごみしていて、確かに慣れていない方なら歩くだけで疲れるような場所でもあります。
「杉並区」「練馬区」あたりは住むにはもってこいとも言われるのんびりとした場所です。
メディアによって切り取られた一部しか見ていらっしゃらないような気がするんです。
さて、話は変わりますが。
以前私は仕事の関係で数か月間A県はB市の某ビジネスホテルで暮らしていたことがありました。
一応伏せてはおりますが、このB市とは
福岡県で言うところの博多市のような場所です、といえばニュアンスが通じますでしょうか。
もちろん出張ということで、A県支社の方々と触れ合う機会もあり、楽しく過ごしておりました。
そして初めてのB市、有名ないわゆる歓楽街でも楽しい思いをさせていただきました。
A県はごはんもお酒もとても美味しいし、B駅周辺はすごく栄えていたので、
このままA県で暮らすのも楽しそうだなあ~なんて思っていました。
そして出張が終わる直前、会社の方々に送別会を開いていただいたのです。
数か月という時間でみなさんと懇親を深め、緊張や遠慮もなくなってきていたため、私を含め周囲の方々みんなが結構酔っぱらっていたときに、ある言葉を言われました。
よくよく話を聞いてみると、
その瞬間、飲んでいたお酒がすーっと身体から抜けていく感覚がしました。
私は東京が大好きだし、自分が住んでいる都市を誇りに思います。
それは他の県にお住いの方も変わらないことでしょう。
だけどどうして東京だけ、面と向かって馬鹿にされることが許されるのでしょうか。
例えば私が東京を馬鹿にされたときに「A県も住むとこじゃないですけどねw」なんて言ってしまったら総叩きにされていたことでしょう。
東京の人は冷たい? そうかもしれませんが、優しい人だっています。
東京は住む所じゃない? 実際に住んでいる人が1,362万人もいます。
東京には緑がない? 新宿御苑や浜離宮など、都心の方が緑豊かな場所もあります。
他県の方となにも違わないんです。
他県の方がご自身の住んでいる県、あるいは市区町村に郷土愛を持っているように、
それを否定されることはとてもさみしく辛いことです。
少し考えていただければわかることかと思いますが、東京なら悪口を言っても良いという風潮、これはいったいどうしてなのでしょうか。
東京を崇めろなんて言いません。
何なんだよ日本。
昨日見事に酒切れたわ。
どうすんだよ私酩酊出来ねーじゃねーか。
酒を呑んで酩酊して歓楽街に出て呑んで酒税納めてやるって言ってるのに日本は何が不満なんだ?
何がノンアルコールだよクソ。
酒呑んだはいいけど予定通りに終電乗るのほぼ無理だからwって言ってて酒呑むやつなんかいねーよ。
不倫してもいいし賄賂受け取るのもどうでもいいから居酒屋増やせよ。
有名なデザイナーに払う金あるなら酒蔵作れよ。
どうすんだよ酒やめなくちゃならねーだろ。
ふざけんな日本。
居酒屋も増やせないし酒代も数千円しか払えないけど若者の酒離れなんとかしたいんだよねーってそんなムシのいい話あるかよボケ。
国が酒呑ませないでどうすんだよ。
金があれば酒呑むってやつがゴマンといるんだから取り敢えず酒出すか酒にかかる費用全てを無償にしろよ。
交差点の中心にレンズを向けながら、一体どうしてここに自分の心が動いたのかを考えていた。
わたしはただ、自分の芸術性に向かい合い耳を傾けていたにすぎない。
しかしふと、レンズに向けられる視線がどれも訝しげなものだということに気づいた。
わたしは写真に写る個人なんかに興味はない。しかし、考えてみれば道行く人間にしてみれば見ず知らずの人間のカメラに収められることに何のメリットもないことも理解できた。
わたしは黙ってカメラのストラップを背中に回し、その場所を後にすることにした。
その後は人目の少ない場所を探しては、渋谷という街が抱えるジレンマに向けてにシャッターを切っていた。
東京の、つまりは日本の最先端でありながらも、歪なものを抱えたままの街並みはいくつもの面白い顔を見せてくれた。
そうして誘われるがままに路地を進むと、わたしは歓楽街の中にいることに気づいた。
そこにはレンズを向けるべきものは何もなかったが、すれ違う人間は一様に首からカメラを下げるわたしを嫌うように避けていった。
わたしに悪意があるわけではない。
しかし、もし街中に拳銃を携えた人間が歩いていたらどうだろう。
きっと人々は訝しげな視線を送り、できれば関わりたくないと避けて通ることだろう。
今の世の中において、すでにカメラの地位とはそういうものなのだ。
7,8年前だったと思う。友人に誘われ徳島へ阿波踊りを観に行った。
早めに出発したので、まだ始まっておらず時間潰しに駅周辺を散策することにした。
何も下調べをせずに徳島に来たので、特に目的もなくとりあえず名物の徳島ラーメンを食べたり、商店街を歩いたりしていた。
その特に気になる通りがあった。歓楽街を抜け、住宅地に入り、公園の少し先だったと思う。古い長屋が並んでおり、何軒かの軒先に中年の女性が座っており、こちらを見つけると手を振ってきた。
その時は阿波踊りが始まる時間が近づいていたため、気になりながらもその場を去った。
阿波踊りを1時間ほど観たが、有料の座席でないと本物の阿波踊りは見れなかったので(思い付きで来たので有料席があることも知らなった。)、飽きてしまい気になっていたあの通りもう一度行った。
中年女性の座る軒先が増えていた。誘われるがままに話を聞いてみるといわゆるちょんの間だった。おおよそ検討はついていたが。
同じ徳島市民が阿波踊りという県民の一大イベントであろう行事に熱狂しているそのほんの少し離れた場所ではくたびれた女性たちが体を売っている。他県からも人が押し寄せるので客が増えるそうだ。
ちなみに抱いた。
俺はさいとうたかを版(漫画)しか知らない。中村吉右衛門版(テレビドラマ)は再放送で何度か見た程度。