2016-02-06

きょうび、カメラはすでに凶器なのだと思った

渋谷スクランブル交差点

交差点の中心にレンズを向けながら、一体どうしてここに自分の心が動いたのかを考えていた。

わたしはただ、自分芸術性に向かい合い耳を傾けていたにすぎない。

しかしふと、レンズに向けられる視線がどれも訝しげなものだということに気づいた。

わたし写真に写る個人なんかに興味はない。しかし、考えてみれば道行く人間にしてみれば見ず知らずの人間カメラに収められることに何のメリットもないことも理解できた。

わたしは黙ってカメラストラップ背中に回し、その場所を後にすることにした。

その後は人目の少ない場所を探しては、渋谷という街が抱えるジレンマに向けてにシャッターを切っていた。

東京の、つまり日本最先端でありながらも、歪なものを抱えたままの街並みはいくつもの面白い顔を見せてくれた。

そうして誘われるがままに路地を進むと、わたし歓楽街の中にいることに気づいた。

そこにはレンズを向けるべきものは何もなかったが、すれ違う人間は一様に首からカメラを下げるわたしを嫌うように避けていった。

わたしに悪意があるわけではない。

しかし、もし街中に拳銃を携えた人間が歩いていたらどうだろう。

きっと人々は訝しげな視線を送り、できれば関わりたくないと避けて通ることだろう。

今の世の中において、すでにカメラ地位とはそういうものなのだ

SNSの普及によって、撮られた側はもちろん、撮った側でさえその写真の使われ方がコントロールできない世の中なのだ

もうすでにカメラ自由表現の道具である時代は終わった。

これから写真を志す人間は、あらかじめこの絶望は知っておくべきである

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