はてなキーワード: 極悪人とは
ハリポタのスピンオフ?シリーズの新作で、ヴォルデモート卿の愛蛇、ナギニが、アジア系女性が呪いによって姿を変えられたものであったことが判明
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ハリポタワールドではアジア系の存在感は薄い。やっとアジアが出てきたと思ったら極悪人の奴隷役!と炎上
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作者のJKR「ナギニという名前はインドネシアの神話(注:インドと間違ったと思われる)に出てくる半身蛇半身人間の神様から取った。アジア系女優が演じるのは妥当。良い一日を」
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・これはオリエンタリズムだ!
・アジアは東アジア、南アジア、いろいろあるんだよ!ひとまとめにすんな。インドネシア神話からとったなら南アジア人でないとおかしいだろ!なんで韓国系女優?
・インドネシアではなくインド神話では?元ネタのナーガは邪神ではなく良い神様なのにナギニのような極悪キャラにするのもおかしい!文化へのリスペクトがない!
という感じ
みんな善人なんだよ。
家族と友人など大事な人以外は、誰であれ、いつ死んでも全く構わないと思ってるし、人の命には明確な優先順位があると思っている
それが普通でしょ
俺が助けたいのも、助かって欲しいのも、俺にとって大事な人たちだけ
国がいざという時に国民に優先度をつけて、力のある人を優先的に救うのが現実的な判断だろうとも思う
自業自得的な行動をして命の危機にある数人のゴミを救う為に、100人の自衛隊員が命の危険にさらされるとしたら、俺なら救助活動に許可は出さない
自分が救われる人間の選から漏れても構わない、そうなっても困らない様に自分で自分を救う努力をするのが人間だ
嫌いな人間が死んでも涙なんて出てこない
自業自得で死んだクズの死になんて、ほんの僅かにでも心は痛まない
宮崎勤のような、コンクリ事件の犯人たちの様なゴミなら、一刻も早い死を望む
極悪人でなくても、死んでほしいと思ってる奴がいる
それが普通だろ
みんな善人なんだよ。
俺がコンクリ事件の犯人の様な、存在するだけで再犯のリスクと不快感しか与えないゴミは、さっさと死刑にしておくべき
と思っている様に、気に入らない考えの人間を、どうやって叩くかって事に腐心してるコメントばかりじゃないか
家族やごく少数の友人を除いたら、気に入らなければ排除してもいいと考えているのが、いかに"普通"の事かを教えてくれているだろ
認めろよ
お前らも"普通"の人なんだよ。
本質的には、気に入らない存在を排除して生きていたい癖に、誰もを受け入れられる様な振りをするなよw
id:sakuragani 追記ではっきりしたけど単なる頭の悪いお子様だな。これで変な癖付かないと良いけど
id:shinichikudoh 増田も偽善者だよ。「家族と友人など大事な人以外は、誰であれ、いつ死んでも全く構わない」と言いながら「宮崎勤のような、コンクリ事件の犯人たちの様なゴミなら、一刻も早い死を望む」って君は被害者の何なんだ?
いざって時の為に国に税金を納めている様に、自分の為に、他人に優しい振りをして生きてる系のコメントなど
だいたいの反応は理解できるものだけど、☆が付いてるブコメの中で、これだけは全く理解できんな。アホだろお前w
被害者の遺族じゃなければ、生きてるだけで胸糞悪い上に、再犯する可能性が極めて高い(実際に罪を犯している)
アホだな、死んどけ
id:kubodee 2つ目の追記がアホさを露骨にしている、矛盾を指摘されているのにそれにすら気づいていない。
赤の他人なんぞいつ死んでも構わないが、コンクリ事件の犯人の様な害にしかならない奴は積極的に死んでほしいと考えている
と書いても、書いても、こうして自分の妄想で突っ込んだ気になる奴が湧いてくる。
※これは特定の漫画家を批判するような書き込みではありません。
そして、その動画を撮っている連中はロリコン達にとっての同好の士なんかではなくて単に金が欲しいだけのヤクザなんだよ。
そして、そうやって儲かることが判ればヤクザは次の被害者を生み出し続ける。
金の流れちゃんと分かるか?
児童ポルノ買うやつが払った金がヤクザのポッケに入って、ポッケにお金が入るからヤクザは新しい動画を取る。
そういうループが出来上がっているんだぞ。
既にこの世界に生まれてしまった被害者の動画を見ているだけだからセーフじゃないぞ?
新作が作られるんだからな。
好きなアーティストの作品を買う時に「これからもこの人が作品を作ってくれる経済的、精神的な原動力になってくれればというお布施みたいな所もあります」って言う人がいるだろ?
それと同じことをしているんだからな。
それを分かってそれでも自分の性欲を満たすために手を出すなら極悪人だ。
もしも分かってないならただのバカだ。
もしもお前が「違う。俺はただ子供のアソコがどうなっているのか知りたかっただけだ。学術的興味だ」と言い訳するなら小児関連の医学の本でも買え。
どっかにそれっぽいのが載ってんだろ。
つうか金払わなくてもYOUTUBEで検索すればそういうの出てくるんじゃないのか?
なんでわざわざヤクザにジャギジャギの画質の児童ポルノを見てんだ。
二次元だったら別にヤクザが漫画家の卵を端金でこき使って描かせまくった所で、特に被害者が出るわけでもないからそれでいいわ。
先日、麻原彰晃(松本智津夫)をはじめとする複数のオウム幹部の死刑が執行された。
それに関して死刑制度の是非がまた論じられるようになっている。
まあ死刑制度については人によって考えがいろいろあるのだろうが、ここでは個人的な考えを纏めたいと思う。
一つは「報復のため」だろう。目には目を歯には歯を、とばかりに、極悪人には死で償ってもらうというものだ。
二つ目は「スカッとするから」だろう。悪い奴、嫌いな奴、憎い奴が殺されるのは気持ちがいい。もし俺が被害者遺族の立場に立ったら、加害者は殺したいほど憎むと思う。
三つめは「犯罪抑止のため」だろう。だが、これには疑問が残る。もし死刑に犯罪抑止効果があるなら、死刑を廃止した国は、死刑廃止後に犯罪数が激増しているはずだ。だが、そのような話を聞いたことがない。これは話半分に考えておくべきだ。
では、死刑反対について話をしよう。死刑反対の理由はいくつかあるが、
一つは「冤罪の可能性がある」だろう。冤罪の人間を殺してしまっては取り返しがつかない。もっとも、これは冤罪そのものの問題だし、殺さなければいいというものではない。そして、冤罪でないことが明らかな相手には無関係な話だ。
二つ目は「人を殺してはいけない」に説得力がなくなる点にある。国は市民に殺人を禁止しているのに、国が殺人を行うのが許容されるのは、明らかに矛盾している。という理屈だ。「正式な手続きに則っているのだから良い」という意見もあるが、その「正式な手続きを経れば殺人が許容される」という考えがおかしいと批判されているのだから、ここは平行線だ。
さて、死刑反対の話を出すと「欧米ではテロリストを射殺することが多々あるが、現行犯を射殺するのはいいのか」という意見がたまに見られる。
断言するが、このケースは許される。
こういうことを書くと「人を殺してはいけないんじゃねーのかよ」と言われそうだが、これには例外がある。それは「現在進行形で他者の生命や安全が脅かされているとき」だ。
これは正当防衛の論理と全く同根だ。もしあなたの家に刃物を持った強盗が押しかけてきたとして、その強盗に反撃して殺してしまっても、基本的には正当防衛が適用される。
だが、この強盗をひっとらえ、手足を拘束し、身動きを取れないようにするなど、無力化した場合はどうか。相手が自分を殺しに来るような悪人であっても、無力化された人間を殺したり、危害を加えるのは(情状酌量の余地はあるにしても)許容されない。
これが死刑反対三つ目の理由であり、そして最も重要なロジックだ。
「無力化された人間は、いかなる理由があろうと殺してはいけない」
逮捕され、拘束され、刑務所に入れられた人間は、明らかに「無力化された人間」に他ならない。だから、そのような人間を殺すのは許されない。
一方、逮捕されてもいない、武装した強盗やテロリストは、いつ人を殺すか、危害を加えるかわからない。「無力化されていない、かつ他者の生命を脅かしている存在」だからこそ、逮捕せずに射殺が許される。
さて、死刑に賛成の人間が、これに太刀打ちできるロジックを立てられるかというと、不可能だ。だが、死刑賛成はロジックでするものではない。
死刑を望む理由は二種類ある。「悪い奴は殺されるべき」「極悪人を許せない」という義憤や正義感と「悪い奴を、嫌いな奴を殺したい」という欲望だ。
どちらも人類が持つ感情として普遍的なものであり、この感情を否定するのは絶対に不可能だ。
なぜ死刑が肯定されうるか、それは人類にとって普遍的、かつ自然な感情に訴えかけているからだ。
ここまで並べればわかるだろうが、死刑反対派と死刑賛成派は決して交わりえない。
愚痴らせてくれ
今本屋に行ってきたんだけど、店員が数名明らかに自分が行くところ行くところついてくる。これは目をつけられたかなーと感じた。
なぜなら最近自分の好きなバンドが雑誌に多く載っていて、全部の雑誌を買うと破産するのでよくこの本屋で記事を物色していたからだ。だからって何時間も居座ってる訳じゃない。物凄く客が多い訳でもないので覚えられたのだろう。
それはわからないでもないけど、行くところ行くところ店員がついてきて、本を読んでなくて背表紙物色してるだけでもやな音を出したりして追い立てようとする。
あまりに頭にきたので雑誌一つ買って出たんだけど、思わず「客追い立ててどうすんだよ」と独り言を吐き捨ててしまった。
その雑誌も900円くらいするけど、自分の好きなバンドのページは4ページくらいだ。随分不経済だなとは思うけど、いい記事だと思ってさ。普段はその本屋へのお礼も込めてできる限りは本は買ってるつもり。
音人
Talking Rock!
Player ×2
音楽雑誌って高くて500円以下のはほとんどない。千円弱って感じ。自分にしちゃ同じ本屋でよく買ってるほうだと思うけど。むしろ中身見ず全部買うならネットで買う方がいい訳で。
何の正義なんだか、自分がどれだけこの本屋に損をさせた極悪人か知らないけど、随分腹が立った。本を買った回数と本屋に行った回数は極端に違わないはず。そこまで通ってる訳じゃない。
でも他にも立ち読みしたのは確かだし、その点においては責められるだろうなと思って、でも怒りが収まらないのでとりあえず増田に書いてみることにした。
年上の彼氏と別れた。
同棲をしている間、生活費の4分の3以上を私が出していた。それなりに節制をし、貯金はないわけじゃないが、あるわけでもない。私の給料はそんなもんだ。子どもを作ろうと言われたがこの経済状況で自分が産休育休の間の生活費はどうするんだろうと思った。
彼はお金がない。仕事はしているが一人暮らしをするのが難しく感じる程度の手取りしかない。能力がないとは思わない。知的で教養があると感じることは多かった。なのになんでこの人はお金が稼げないんだろうと思っていた。
経済的な理由の他にもいくつかの出来事が重なり別れることになった。理由は1つではないが一番大きな理由はなにかと聞かれたら金と答えるだろう。私は1人で暮らしていく分には大丈夫だろうと思える程度の稼ぎはあるが、2人分またはそれ以上の人生を背負うとなると話は別だ。私にはその責任は重過ぎた。
私はあまり過去に興味がないので出会う前の職歴についてはよく知らなかったのだが、彼はいわゆるロスジェネと呼ばれる世代だった。この世代は大変苦労しているらしいとなんとなくは知っていたが、彼が該当することは別れてから気付いた。
ロスジェネ。彼らは社会から見放されチャンスすら与えられなかったらしい。彼がどうにかして掴んだチャンスが私だったのかもしれないと思うことがある。それを振り払った自分が極悪人のように感じることがある。幸せにしてあげたかった。たまにハガキが届く。メールではなく、ハガキ。今どこにいるんだろうか。リターンアドレスくらい、書け。
今まで3年ほどエアビをやって来たけど、率直な気持ちは「今エアビまでありがとう」ってこと。
留学帰りの友人が、自分が住んでるマンションでエアビ使って赤の他人と一緒に暮らしてて、自分もできるなって思って始めた。
その友人曰く「寮生活でルームメイトと住むの慣れてるし、東京で家賃全部払うなんてバカらしいでしょ」ってことだった。あ、なるほどなと。
ちなみに自分は、一人暮らしはやっていたが、海外旅行行かないしもちろん留学経験もない。英語もダメ。
1泊2000円で安すぎてヤクの売人とか来るんじゃないの?って思ってた。
それでも、まあいいやと思えるくらいの楽観も持ち合わせてたのは事実だが、普段は差別しちゃいけないって頭の中で思ってる自分が、最初に来る人が香港人だとわかった瞬間に「本当にヤクの売人くる」って思ったのには参った。
日本人だからなのか?人間皆そう思うのか?はたまた自分だけなのか?
で、最初に来たその男は、待ち合わせの駅で会った瞬間「あ、コイツ絶対いいヤツ」とわかるほどの好青年だった。
「こんばんは」と綺麗な日本語で挨拶され、あとから聞くと英語もマンドリンも日本語も韓国語もできる超高学歴なヤツだった。
ご飯食べに行って、家帰って一緒に64でマリオをやった。すぐ友達になった。
でも、まあそんなのビギナーズラックだろって思ってたんけど、次に来たのは、台湾からの女子大生2名。可愛かった。その次はドイツからバックパッカーの大男3人組が土産持って来た。その次はタイからの新婚のカップルなどなど、とにかく来る人来る人が礼儀正しくフレンドリー。
もちろん全くトラブルがなかったわけではない。鍵をゲストが持ち帰っちゃったとか、自分がゲストが来る日を間違えていた、とか。
そういえば、3人で来るって言ってたのに6人で来た人たち(しかもおばちゃん6人)がいて、拙い英語同士通じなかったし、心の中では怒っていたが、黙って泊めた。
よく言われる近隣とのトラブルは本当に少なくて、同じマンションの人に一度「君のウチガイジン来てるよね」って言われたくらいかな。
でも「ガイジンと日本人って何か違うんですか?」って言ったら、「いや、ほら肌の黒い人とかさ…(これより先は自分の口からは言いたくない)」
と言われて、あ、これが日本人の感覚なのかと愕然としたこともある。まあ、自分もエアビやってなかったら、その発言のクレイジーさに気づけなかった側だったと思うが。
敢えて一つあげるなら、家に来るまでに迷うゲストたちが一定の確率でいて、それはいくら詳細に案内しても間違う人は間違う。率直に言って全く準備してこない本人たちのせいなんだけど、赤の他人に道聞きまくって、挙句の果てには家まで一緒に連れて来てもらったりする。それは連れて来てくれた人に対して申し訳ないなって思ってた。
でも、こういう時って日本人ってとても優しいんだなって思う。相手が外国人で何も知らないことは明らかなので、逆に騙すことも簡単だと思うんだけど、そんなことされそうになったゲストは一人もいなかった。日本って、やっぱりいい国なんだなって思った。
と、まあこんな感じで3年間ほど都内の2Kマンションでエアビ使って楽しんでた。旅人だけじゃなく企業インターン生や大学研究者とかもくる。経済的にもめちゃくちゃ助かった。家賃分くらいは収入になるし(都心2Kなのでそこそこいい収入)。
なぜ「いい人」だけが来るかってのは、もう途中からは気づいてた。
わざわざ個人宅に泊まりに来るような人って、原則として相手を信じられる人たちばかりだから。コミュニケーション能力高い人。だっていきなり他人と住むことになるんで。なので、コミュ障ななんて絶対に来ない。
まあ、あるとしたら善人の顔した極悪人が怖いな。まだ会ってないけど。
でも、とりあえず一旦終了。
6月以降の予約分が強制キャンセルになっちゃった。(もしくはなる予定)
自分は黙ってやってたわけでもなく、大家さんから同居人の許可もらってやってた。でも、これからは国に許可もらわないといけない。知ってたけど、自分はあまりに気楽にやっててのんびりしてた。いつか許可もらえばいいかくらい思ってたんだけど。
まあ、でも本当に楽しかったな。「今までエアビありがとう」って言いたい。
そして、これからもよろしく。ちゃんと国にお伺い立ててやります。
作品中で大量虐殺をしてる人物を主人公にした作品を批判する←うーん?
「日中戦争で中国人を大量虐殺した人間を主人公にした作品」はヘイト表現に当たるのか?
日中戦争じゃないとか殺害対象は中国人とは限らないとか言われてるけども、仮に日中戦争で殺害対象が中国人だとしてもこれはヘイト表現に当たるのだろうか?
仏教徒を大量虐殺した織田信長を主人公とした作品は仏教徒に対するヘイト表現に当たるのか?
ヒトラーを主役とした作品はユダヤへのヘイト表現に当たるのか?
主人公を肯定的に書いたらNG?信長を肯定的に書いてる作品なんて山ほどありますがな。
はてなでは作者と作品は分けて考えるべきとよく言われているから、「ヘイト表現をした作者がこういった作品を書くのはNG」といった理屈も首をかしげざるを得ない。
以前犯罪者が犯罪行為に関する手記を出版した時も出版するという行為それ自体に対しては擁護の声が大きかったはず。
アニメ化中止も営業的に利益がないと判断したという理由でまぁ理解できる。
でも、既刊も含めて出版中止、そしてそれが当然という声が大きいのはちょっと首をかしげざるを得ない。
この先にあるのは中国人に悪役をさせてる作品に対する抗議、味方で善人である中国人をストーリ上殺した作品に対する抗議などではないだろうか。
そうなると中国人は面倒だから作品に出さないという形になるのではないか。
ちょうど日本国内が舞台であるにもかかわらず在日韓国・朝鮮人が登場する作品が希少である現状のように。
そういったタブー化は創作の幅を狭めるし、相互理解の妨げになるのではないか。
私には「中国人を極悪人のキャラとして出演させる」と同程度には保証されてしかるべき表現の自由の範囲内の表現だったように思う。
だから出版社が出版差し止めの判断をしたことを残念に思うし、今後過去の中国人が登場している作品への延焼が起こらないことを切に願う。
中国を代表する超人であるラーメンマンの辮髪とか細い目とか、らんま1/2の中国人娘のシャンプーの語尾とか、それらが中国人に対する偏見を助長するという批判が起こったときどう対処すればいいのか。
これらの作品は偏見は助長するものではないと主張するのか、偏見は助長するがヘイトを煽るものではないと主張するのか。
ニーメラーの詩のように作者がネトウヨだから抗議に対して声を上げなかったら、作者がネトウヨじゃない作品にまで抗議が及んだ時すでに手遅れになってしまうのではないか。
過去の名作がそうやって葬り去られることがないよう祈るばかりである。
ネット上で引用された部分のみを参考にして書いただけであるので作中で主人公が明確にヘイトスピーチなりアクションなりをしているのであれば出版停止も当然と考えていることは明記しておく。
現代日本で政治に間接的に関与するのは,馬鹿な人間になるのでやるべきではないというのが事実だ.
テレビを見ていると,基本的に時の政権が極悪人であるように考えるようになり,普段の会話でも政権批判をするように改造される.実際は,良い面も悪い面もありまたどうにもならない制約の下で政治が運営されているにすぎないのに,私利私欲で動いているように誤解してしまう.その辺の友人に自分の考えを語っているうちはまだ生暖かい目で見られる程度だがだんだんエスカレートして,デモに参加したり集団に属するようになると,もはや論理の飛躍と視野狭窄を抱えたおかしな意見を言っている獣となる.
テレビを避けネットに染まると,今度はネトウヨになる.これも行き過ぎると差別主義者になる.ネトウヨへのあまのじゃくからサヨクになると,言動のひどさは変わらないが思想が違う獣になる.
というわけで政治に対して間接的に関与すると,本来の政治の実務ではなくて思想面のみにとらわれるようになる.難しい問題だ.かといって関わらないと若者の政治への無関心が良くないとか言われる.
だから結局日本人の多神教みたいな感じのスタンスでいるのが一番良い.理想を求めると新興宗教にはまった人間みたいになるから.
https://anond.hatelabo.jp/20180518014637 の続きです。
2018/5/12に開催された「THE IDOLM@STER MR ST@GE!! MUSIC♪GROOVE☆」の如月千早主演公演第3部に参加してきました。この公演では如月千早が体調を崩し、歌うことが困難になるというトラブルが起きました。ここでは、その公演で私が感じた感情とその後考えたことを整理するためにまとめた文章を公開します。
レポートや感想というよりは感情の吐露です。また、如月千早は私が一番好きで応援したいと思っているアイドルです。そういった人間が書いたということを念頭においていただけると全体のめんどくささを予想、納得いただけるかと思います。
・公演の詳細に触れますので内容を知りたくない方はご注意ください。
・基本的に自分の千早観丸出しなので独善的解釈を多く含みます。
●公演の概要
●感情の整理。
●少しだけ理性を取り戻して。これから出来ること。
注意:ここから先は今井麻美さんについても必要な場合は言及いたします。
1.如月千早の約束をかなえる⇒リベンジのMR公演を実現させる
2.今回のようなことを防ぐ⇒アイマスイベントで体調を押して演者が参加することを防ぐ
基本的に後遺症が残ったり、長期間の治療リスクを発生させるようなことは、たとえ可能性が低くても絶対に避けるべきです。
どういう理由があってもです。
何よりこんな思いはもうしたくないのです。
だからこそ、何か防ぐために出来る事があるならやっておきたいと思いいろいろと考えてみました。
それはそれとして、私は今回の公演を否定しません。如月千早のやったことを否定しません。
彼女の何を思って舞台に立ったのか、それを考えれば考えるほど、その選択をした彼女はまさに私が応援してきた如月千早そのものであり、私が支えたい、応援したいと思ったアイドルの選択として痛いほど苦しいほど納得できます。
公演が成功だったとは口が裂けてもいえません。
が、それでも私は、「避けるべきリスクを避けずに行われたあげく、結果製品レベルのサービス(すなわちちゃんと歌えるソロパート)が提供できなかった」という理由をもってして、「今回の公演はすべて失敗でありあらゆる判断は間違っていた」と結論付ける事は絶対にしたくありません。なのでしません。
これはこの章においてなお理性の1000倍存在する感情の判断なので、理性に欠けておりいろんな意味でよくない判断だと思います。
それでも私は如月千早が舞台に立ったこと、そしてその決断をした背景と意思を否定したくありません。
結果、第三部は互いに傷ついてぼろぼろになりながら何とか最後までたどり着くというかたちになりました。
多くの部分で良くも悪くも感動があり、大きな心の動きがありました。
私はより如月千早を好きになり、応援したいと思い、支えたいと思いました。
でもこんなライブは二度とごめんですし、絶対に繰り返してほしくないですし、繰り返させないようにしたいです。
その上で、がんばった千早とその思いは否定したくないのです。絶対に。
なので私の中でこの公演については例外として扱います。唯一無二の例外です。
これ以外は絶対にもう二度と同じようなことは認めません。というつもりで生きていきます。
目的は3つです
今回の件のリスクの重大さを理性的に判断するには今井麻美さんにも注目する必要があります。
なぜか。今回のような無理をしてリスクを背負うのは如月千早と今井麻美さんであり、実存存在は今井麻美さんだからです。
今井麻美さんは声優であり歌手です。したがってのど・歌声というのは命と同じぐらい大切なものです。
そこにリスクを負うということが今回行われました。これは大変なことです。
今井麻美さんは如月千早役だけをやっているわけではありません。
一個のコンテンツが、ひとつのイベントが、その人の人生を左右するようなリスクを背負わせていいのか?
一般的に言えば「コンテンツ側の都合だけで持たせるのは絶対NO」です。
以上が(1)の確認です。アイマスを長く続けるためにはコンテンツ全体でこういった事態を招かないような仕組みを保持し、信頼を獲得する必要があるようにも思います。
このことから今回の件については、今井麻美さん自身も少なくない割合で「如月千早を舞台に立たせる」という判断をとったのではないかという推察が出来ます。
リスクを負う本人の意思はまったく考慮されず、ライブ制作側(バンダイナムコ)からの強要だけで強行ということは考えにくいからです。
あくまで推察であり、経緯の詳細が判明することはありませんが、少なくとも今井麻美さんの判断0で決まったということはないでしょう。(そんなことしてくるような極悪人集団と10年以上辛酸をなめながら同じコンテンツを作るなんて到底無理です。)
これは逆も言えることで、演者が無理を押して出たいといっても主催側がOKを出さなくては舞台が始まらないはずです。
1つ前の公演の終了が会場時間の1時間半前ということも考えると、主催側としても公演の中止や内容変更についてかなり厳しい状態で判断する必要があったであろう子とも想像できます。
では、今井麻美さんは何を思いあの舞台に如月千早を送り出したのでしょう?(ポエム開始)
今井麻美さんにとって如月千早が大切で特別な存在であるということは随所のインタビューやコメントなどで知ることが出来ます。
今回はその如月千早のMR公演の初回であり、現実世界における初めての舞台でした。
私はおそらく世界で一番如月千早のことを思う今井麻美さん自身が、少なからず今回の公演を予定通り実施することにこだわった可能性はあるのではないかと思っています。
千早を最もよく理解し、千早とともに悩み、歩き、喜びと苦しみを分かち合ってきた今井麻美さんだからこそ、ゆずれないものがあったはずです。
自分の負担とか不利益とかそういったことを超えて、如月千早にとっても、今井麻美さん自身としても、逃したくないもの、失いたくないもののために、今この時をどうしてもゆずることができない。
そういった感情があったのではないでしょうか。
如月千早は絶対にやりきるはずだ。やりきってみせる。彼女の志を、積み重ねを嘘にしないために。
そういった思いがあったのではないでしょうか。
そういう妄想です。
(3)について。
ポエムでもちょっと触れましたが無茶をする背景には演者と舞台主催側両方の都合があるはずということです。
ではどっちかを説得できれば今回の事態は避けられるということで、そこにヒントがありそうです。
ポエミーおおめの前置きが長くなりましたが、私としては
といった意見です。
上記を踏まえ取り組んでいくとよさそうなことを考えてみました。
最近ではもう前時代的な感覚になってきていると思いますが、スポーツ競技、特に若年層の部活動などでは怪我や不調を押してチームに貢献しようと試合に出たりそれで結果を残したりする選手が居ると、美談化され感動物語としてもてはやす風潮がかつて見られることがありました。
「その選手が自分の意思でやってんだからいいやろ!」というのが有りますがそういう問題だけではないです。
どちらかと言うとその選手の周り、コミニティの価値観が作る空気のほうが問題になってくると考えます。
コミニティの中で上記のような行動がもてはやされていると少なからずそれを強制する力が働き、場合によっては逃げられなくなります。
チームの柱、そいつが居ないとどうしても戦えないような試合でエースが限界を超えて延長戦に永遠に出場し続ける。
そうするとほめられる風潮がそれを後押ししている可能性は大いにあります。
そして一番厄介なのがその風潮のせいで「そうしないといけないのでは?」「そうしなかったら私は薄情ものになるのでは?」と言う気持ちを選手に抱かせる可能性があるということです。
「みとめてやらなくちゃいけないのでは?」「こいつの意思を踏みにじるだめな大人なのでは?」という迷いを監督や指導者に抱かせる可能性があるということです。
アイマスの元祖である765ASの歌姫、蒼の系譜の如月千早が行った今回の公演が美談化され神格化されたとしましょう。
そんな中、ほかのアイマスアイドルの演者達が似たような窮地に立たされたとしたら。
今回の事はあってはならぬこと、深く反省し戒めるべきことだとコンテンツ消費者側が認識していることを表明する必要があります。
皆さんお気づきの通り私はこれを行うことが出来ません。
私は先ほど自分勝手な感情論で「今回の公演を絶対に否定しない」と決めたからです。
ですので皆さんが私の代わりに、今回のような体調不良を押して、後に影響が残るかもしれない健康的身体的リスクを演者に背負わせる公演はダメ!ということをコミニティの共通認識にしてください。
「プロデューサー達はアイドルの健康について大変関心が高く、無理をすることを好まない」
私はその動きに参加も貢献も出来ませんが、邪魔は絶対にしません。
意思決定機関の内の一方、舞台主催側であるアイマス制作陣営に「消費者は演者の体調が優れない場合は、公演強行よりも中止や代打、演出変更での対応を高く評価する」といった認識を伝えるということです。
これが最も直接的で効果的だと思います。そしてそれ以外ほとんど手がないようにも思えます。
どうやったって当日現場でまさに今判断のとき!となっているところに私達は口を挟めないです。
ですので、中止や代打や演目変更が妥当で最善だと判断させるための材料を事前に送っておくしかないでしょう。
私は、今回のMRのアンケートにはかなり強めに複数個所「今後はもう絶対にやめてほしい」と意見を書きました。
これは私にとって直接第三部公演を否定しない行為だったので何とか実施できました。
5/17の深夜(正確には針はてっぺんを越えているのでもう5/18です)、果たして明日の公演はどうなるのか。
はじめはネットに散らばる色々なプロデューサーの記録を拝見することで感情を整理しようと考えました。
色々な意見や見方、捉え方が有り、千早へのアイマスへの愛がありました。
そして多くの方の思いに触発され、私はよりいっそう色々と考える結果になりました。
そんな中、自分の感情を整理するために怪文書をしたためたわけですが、いまだに様々な感情の渦が心をめぐり、落ち着きません。
結局、元気に力強く歌を歌う千早に再び出会うことでしか整理できない何かを感じているのかもしれません。
彼女の窮地に手を差し伸べることが出来ず、逆に彼女に救いを求めているというなんとも情けない状況です。
情けなくても何でもいいので私は心から如月千早に元気になってもらいたいです。
2018/05/18に開催された千早主演公演に参加してきました。
結果、彼女はこの日の公演をすべて歌いきってくれました。
参加した1部、2部公演の感想をレポートにまとめました → https://anond.hatelabo.jp/20180518235241
ガキの時には勿論全く気付かなかったけど、
どう見てもシン撃破・ユリア奪還にて物語終わらせるつもりだったろうに
人気拡大による集英社からの延命指示で無理矢理引き伸ばしてる感丸出しだな。
当初の北斗神拳と南斗聖拳はどう見ても一対一の関係だったのに、他派の南斗〇〇拳が次々出てくる。
取り残されたシンだけが大枠の「南斗聖拳」なのが笑える。帰ってきたウルトラマンみたいだ。
今は「南斗孤鷲拳」と名称が付いているらしいがさっき初めて知ったよ。
で、ケンシロウ以外の北斗兄弟は全員極悪人にしようと思ってジャギを出した。
同じパターンで暗黒面に堕ちたトキを出してみたものの、同じプロットになるのを
避けるために「実は偽物のアミバだった!」という後出しジャンケンで無理矢理軌道変更。
これに則って幾多の強敵やラオウも深みのある人物設定にしようぜ、ってなったんだろうな。
極め付けが南斗五車星、この辺りになってくると設定的にかなり厳しくなってくるが
ここに至ってもジュウザやフドウという名キャラを生む。なんたるファインプレーだ。
その場しのぎの後付設定連発で世界観に異様なまでの奥行きが出て
結果的に大河ドラマの様相を呈してくるあたりが名作と言われる所以だな。
人気もみるみる失速して行き、ガクッと息絶える。栄枯盛衰だな。
そですね。正直、どれも天使ではないし極悪人でもないかなと思うのと、自分は若輩者ですがわりとストレス耐性高めだと思うので、選択できる中で好みで決めればいいかなーみたいのはあります。
身体の関係を持つなら、自分も独占欲があるのでギブアンドテイクというか、結果的にはそれなりに一途に好きになっちゃいますよ。
美容師お姉さんはビビりました。たぶん痴女ですよね。最近の美容院ってシャンプー台が暗くとざされたスペースで癒やしの空間みたいになっているんですよね…。ただ、ちょっと前に比べるとラクな体勢のままシャンプーできるようにシャンプー台も進化してて、ボディコンタクトしづらくなったなーと思ってたんですけど。リズミカルに左右にゆれながらスリスリしてましたね。
反出生主義の主張はある種の理屈として正しいかもしれないけど、
たぶん産みたい人は産みたいように産むだろうね、これからもずっと
それをどうやって減らしていこうと考えてるの?
具体的に、どういう手を打って、産みたい人を説得して、産まないようにしていくの?
もしかして、これを書いたことで一人でも産みたい人が減ったらいいとか思ってるんだとしたらそれは考えが甘すぎるよ
おそらく、この文章によって反出生主義に寝返った人はただ一人もいないと思うよ
現実にいる一人の人間をイメージして。その人にどうやったら反出生主義が伝わるか真剣に考えて
論理的な追及や、罵倒や煽りが最適解なのかどうか、本当によく考えて
「こうするのが正しいのにー!みんななんでこうしないんだー!」
とだけ喚き散らしてそのまま消えていった思想家は過去にいくらでもいたよ
もしかしてここに書き散らした程度で満足したりしてないよね?
こんにちは。エルサレムのアイヒマン警察です。上司がインフルエンザで休んで暇なので、大好評炎上中のはあちゅうセクハラ告発について調べてたら id:plagmaticjam 氏の「はあちゅうとヨッピーとナチスドイツと経験主義~ハンナ・アーレントは何を語ったのか~ - メロンダウト」という記事を発見。
タイトルからして地雷臭がヤバイと思ってたら案の定トンデモだったので、おうちにあった『エルサレムのアイヒマン 新板』を読み返しつつ反論したいと思います。
炎上の経緯はハゲ子大先生 id:hagex のまとめが鬼詳しいのでこっちを読んでください。→はあちゅうのセクハラ告発大炎上まとめ(追記あり) - Hagex-day info
件の記事でブログ筆者は、アイヒマンとはあちゅうの類似性を下記のように定義しています。
はあちゅう氏=「自分が被害者になったら告発する。いっぽうネットで実際に被害者が見えないなら加害者になれる凡人」
「アイヒマンが命令によって思考と行為を切り離し悪人になれたように、はあちゅうはネットをかませ被害者を特定しないことによって思考を切り離しているように見える。」
「ヨッピーも童貞いじりが誰を傷つけているのか、と擁護していたが「誰がわからない」から傷つけてもいい、なんてアイヒマンが「名前を知らない」から業務的に虐殺したのと構造的に同じだ。」
ブログ筆者は「思考と行為を切り離すがゆえに、無自覚な悪人になる」構造があるとし、類似性を下記のように指摘しています。
ですが、前提にしているアーレントの読みがそもそも間違っています。
アーレントが指摘したのは「アイヒマンが何も考えていない=無思想性」ということでした。
「俗な表現をするなら、彼は自分のしていることがどういうことなのか全然わかっていなかった。」
「彼は愚かではなかった。完全な無思想性−−これは愚かさとは決して同じではない−−、それが彼があの時代の最大の犯罪者の1人になる素因だったのだ」(p.221)
アイヒマンは相手が匿名だから虐殺したわけではありません。知っているユダヤ人も知らないユダヤ人も等しく虐殺しました。
彼は「善悪を弁別する能力をまったく欠いている」(p.20)のであり、「彼は自分の義務を行った。命令に従っただけではなく、法律にも従った」(p.107)のです。
アイヒマンの特徴は「自分の思想がなく、善悪の区別がつかず、ただ義務と命令と法律に忠実な男」であり「自分よりも権威のある立場の人が『正しい』と言ったなら盲目的に従う男」であるということです。
アイヒマンには、反ユダヤ主義の思想も教育もなかった、とアーレントは指摘しています。
好き嫌いがあるゆえに行動するのではなく、一切の好き嫌いがないからこそ、自分より高い立場の権威から命令されたことをマシーンのごとく忠実に実行しました。
実際、アイヒマンは「良心の問題については、命ぜられたこと(筆者注:虐殺)をしなかった場合にのみ疚しさを感じた」(p.20)と述べています。
アイヒマンのような「無思想で、法律や義務、命令に忠実である」人は、平和な時代であれば、上司の言うことを忠実にこなす「優秀なサラリーマン」、法律など絶対に破らない「良き市民」として一生涯をまっとうしたでしょう。
アイヒマンはあまりにも「普通のおっさん」であるという事実について、アーレントは<悪の凡庸さ>と指摘しました。
「アイヒマンはきわめて凡庸な一般人」であるというアーレントの見解は、「ナチスは、ユダヤ人を絶滅したくてたまらない極悪人・狂人」という世間の見解とはまったく違うものだったので、多くの反発を招きました。
一言でまとめると、アーレントが語る「悪の凡庸さ」とは、「平和な時代ならあまりにも普通のおっさん、ただし無思想で善悪の判断がつかないから、彼が従う権威や法が狂えばなにも考えずに極悪人になれる」ということです。
以上の経緯から見ると、ブログが「悪の凡庸さ」を誤用していることがわかると思います。もう一度、ブログで言及されていた構造をおさらいしてみましょう。
「思考」と「行為」が個別にあり、それらの連結を切り離す「X」があるという前提です。
しかし、アイヒマンはそもそも「思想」がありません。だから自分に注入される命令や義務を己のものとして実行します。
そもそも、はあちゅう氏はアイヒマンのような「無思想」ではありません。むしろ自己主張が強く、自分を良く見せたいタイプだと思います。
善悪の判断力はわかりかねますが、盲目的に命令や権威に従うタイプではありません。
「はあちゅうは凡人」と言うとなんとなく納得感ありそうなんですが、アーレントが言った「凡庸な悪」とは意味が違います。
「ネット」とか「不特定多数の他人」とかも、アイヒマンにはまったく関係ありません。
「凡庸な悪」というパワーフレーズはすさまじいものがありますし、引用したくなる気持ちもよくわかります。
しかし、なんとなくキャッチーな単語やフレーズだけを使って独自理論を展開するのは、引用源にも読者にもどちらに対しても失礼ですし、誤解を与えます。
名著や歴史的パワーワードを換骨奪胎して持論を展開するのはやめてほしいです
ぜんぜん引用源を正しく参照してない記事内で、ナチスドイツという激烈ヤバイものと名前を同列に並べられたはあちゅう氏とヨッピー氏、さすがに流れ弾すぎるだろ…と思います。あとブログで言及されてる「経験主義」も「違うだろ…」て感じなんですが、続きは経験主義警察の方々にお譲りします。
参考文献:ハンナ・アーレント、大久保和郎・山田正行訳『エルサレムのアイヒマン 悪の陳腐さについての報告 新版』(みすず書房、2017年)
エルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告【新版】:Amazon.co.jp:本
(所要時間:45分)
※もちろん「書籍を読む」行為に、明確な正解はありません。私の読解もまたひとつの意見にすぎませんから、別のハンナ・アーレント警察の方から「違う!」とおしかりの言葉を受けるかもしれません。とはいえ、いくらなんでも適当すぎる読みだと思うんで反論を書きました。
アイドルマスターsideM、TVアニメ化おめでとうございます。ファスライのチアリングから現場に参加するようになり、セカライLVで発表の瞬間に立ち会ったのがついこの前のようだ。正直アニメ来年の冬だと思ってたよ。それどころか本家の他にもう一つゲームがリリースされるなんてびっくりだ。セカライでのガミPの挨拶を思い出しつつ先行上映会行ってきました。(エントリー投稿は関西圏でのTVでの放送終了を目処にしてます。)
sideMからこのアイマスの世界に触れて、ほかはデレステをゆるゆるやってるくらいのまったりしてる身なので、正直765のアイドルの子たちを殆ど全く知らなかった。(さすがに天海春香の名前は知ってたが)それでも皆が可愛くてかっこよくて、映画始まってすぐに、キラキラした春香さんたちに惹かれた。(数日前にやっていた一挙放送を一部見ていたので、「頑張ります!」って言葉を聞くと卯月ちゃんを思い出して心配で胃がちょっと痛かったし、雨で濡れた窓ガラスが春香さんの涙の代わりとなって流れるあのシーンにだいぶやられた。見事な演出だったが彼女らの事を思うと思わず変な声が出そうだった。当時劇場で見た先輩Pたちの心境は想像を絶する)
こんなに頑張ってる765の子たちの前にライバルとして現れた男性アイドル。そりゃあ、なかなか受け入れてもらえないだろう。当時のことは調べて出て来るページを読むことしか出来ないが、良くは思われないだろうな、とは想像がつく。だけど、Jupiterを諦めないでいてくれた関係者の方、そして先輩Pたちのおかげで今に繋がった。Jupiterがいなければ315プロダクションのアイドル達はきっと日の目を見ないままだっただろう。大好きな担当と出会えたのも、7年前から今へと繋いでくれた人がいるから。だから彼らは特別だ、と、個人的には思っている。
そんな3人の移籍までを描く、ということもあって、「輝きの向こう側へ」に感動し泣きながらエンドロールを眺める傍ら、緊張で喉も乾いていた。しんどい。アイドルしんどい。でもカッコイイ。
そして始まった「Episode of Jupiter」。40分とは思えない密度に制作陣の本気を感じた出来の良さだった。運良く2回先行上映に行けた中で、冬馬と「おとな」たちについて(記憶のある範囲で)書いておきたい。
※以下ネタバレ含む
1)冬馬と北斗
…Jupiterの3人は翔太(14)、冬馬(17)、北斗(20)と3つずつ歳が離れているので、必然的に冬馬は「こども」(翔太)と「おとな」(北斗)の真ん中になる。Jupiterのリーダーとして二人を率いる姿は非常に格好良くて頼もしいが、まだ出来ない事もある。懲りずにやってくるスカウトマン達の対応や事務関係の窓口は北斗が主に請け負っていたが、冬馬の表情はそれを良しとしていないのがありありと伝わってきていた。
業界大手の事務所で結果を出していたJupiterは、恐らく結構な収入があった筈で、インディーズになっても資金の方では困っていなかったのでは、と思っている。何故なら彼らは「お金に困って」活動をしていたのではなく、「自分たちを応援してくれるファンのために」動いていたから。「年齢」がネックになって思うように動けない冬馬は、「3人の中で俺が一番年上だからね」と、なんでもないことのように(そしてスマートに)面倒な仕事を引き受ける北斗に対して、恐らく多少なりとも申し訳無さを感じていただろう。「出来ることならなんでもやるから言ってくれよ」と、やや切羽詰ったような表情と声音の冬馬からは、自分たち3人の誰か一人が重荷を背負う事になるのを絶対に良しとしない、リーダーとしての意地も感じられた。
(ところでこの3って木星の環にかけてるのかな。黒ちゃん結構ロマンチスト…)
…この項目は個人的な推測を多く含むので、過去アイマス2を筆頭にゲームをプレイし、今までの刊行物を網羅している先輩Pからすれば間違っている箇所もあるかと思う。どうぞお手柔らかにお願いしたい。という前書きは置いといて。
アニメの黒井社長はやり過ぎだったけど他媒体ではあそこまでひどくないんだよ、と幾つか話を聞いたのと、コミカライズにて「天ヶ瀬冬馬は頂点に立つ価値がある」と父親を説得したらしいことなどを踏まえての話。先に離反シーンを見てしまっていたのでどうにも悪い人の印象が拭えないが、エムステで冬馬をデスクにした際のセリフや、そもそも3人が961でJupiterとして活躍している時でもあまり天狗になっていなかった辺り(※ドラマCD聞いた)、根っからの極悪人ではないのか?と。媒体によって「悪人」度合いに結構な差があるそうなので一概には言えないが、父親と離れて暮らす冬馬にとっては、「親代わり」とまではいかなくても、「認めてほしい大人」のひとりだったのではないだろうか。だから裏工作の件も、単純に許せなかったのは勿論のこと、「そんな事をしなくても自分たちは実力をつけてきた(し、それを認めてくれ)」という気持ちもあったんじゃないかな、と思う。実際、自分が見つけてきたアイドルの原石を何が何でもトップに、というのは、マネージメントする側としては間違ってるとは思わないので(手段がダメだが)。
ただ、自分の事を見つけてくれた人間と決別しなければいけないというのは、やはり何かしら精神的に傷が残ってもおかしくないんだな。ということで次。
…961を辞めてからJupiterは1年(!)もインディーズ活動をしていた事が物語冒頭で明かされる。ライブに協力してくれたスタッフたちを労うシーンのすぐ後、充実感・達成感をぶち壊すように現れるスカウトマン達の群れ、一方的に告げられる待遇や金銭の話。
正直、劇中でスカウトマン達をあしらうシーンが見ていて一番辛かった。なるべく荒立てないように言葉を選んでいる北斗と、そんな事など気にも留めないまま話を進めてくる人々。「一線」を越えてしまった後、何の合図もなしに現れて無邪気な笑顔のまま拒否を示す翔太、そしてダメ押しで追い返す冬馬。この1年、数え切れないくらいこんな場面があったのだろう。3人でJupiterを守ってきたのだろうなと思わせる、熟れてしまった連携プレイ。…胃が痛い。
冬馬の周りにいる有象無象の「おとな」は綺麗に二分されている。自分たちを食い物にしようとする汚い「おとな」と、協力してくれる「おとな」。Jupiterのリーダーとして、きたない「おとな」には真っ向から対峙する事で対処できるが、個人的には、協力してくれる「おとな」に対しても、どこか申し訳無さはあったように思う。というのも、味方になってくれるスタッフたちが「格安で」仕事を引き受けてくれているのだと翔太との会話で出た時、冬馬の表情はあまり明るくなかった。間違っても「安く済んでラッキー」とは思っていない。
思うに、961時代に良い環境でアイドル活動をしていたのだから、スタッフの質と、もしかすると「見合った賃金」くらいは分かるようになってたのではないだろうか。いい仕事をする人間には相応に対価を支払うべきである、と、学んでいたのではないだろうか。それを「Jupiterのファンだから」との一言で気前良く引き受けてもらっている現状は、金銭よりも「パフォーマンス」と「信頼」が勝っている関係だ。ただ「プロ」である以上、満足はしていなかったと思う。(勿論、翔太と北斗も)
以上の事に加えて、冬馬は一人暮らしである。母親とは死別し、父親は四国に単身赴任中。当然、家に帰っても誰もいない。これは相当キツかったんじゃなかろうか。甘えられる人が傍に居なかったのだから。
…齋藤社長の登場から、3人は一気に表情の幅が増える。絵に描いたような神出鬼没っぷりと、ゲームで知っていた以上にパワフルさ溢れる社長に北斗でさえもたじたじだ。しかし社長は他のスカウトマン達と異なり一切金や待遇の話をしない。それどころかライブ準備を手伝い、3人の仕事現場へも顔を出す。「Jupiter」のネームバリューと生み出すお金に惹かれた有象無象のスカウトマン達とは異なり、きちんと仕事内容を見た上でスカウトを続けた。
(余談。いつもシルエットの社長だけれど、そういえばこのポロシャツどこかで見たな…?と思ったら、本家のスーパーライブ・フェス2015の雑誌で出てた。気づかなかった…)
最初こそ戸惑っていた冬馬も、社長が他とは違うことを感じて真摯に向き合う。「あんたは悪い人じゃない」。それでも冬馬はどこにも所属しないのだと告げる。
単なる意固地ではない。リーダーとしての責任やファンへの思い、これからの活動など沢山の要素が絡み合っている中で、また誰かを「信じる」ことが怖かった筈だ。3人が互いを支え合うことで表面化していなかったけれど、傷ついていなかったはずがない。
社長がそこまで見抜いた上でスカウトを続けていた事に驚いた人、多かったのではなかろうか。そして、その後の315Pにも。
今回のチアリング上映で、何故「輝きの向こう側へ」と同時だったのか。勿論あのシーンがメインだと思うが、この場面でも大いに意味があったと思う。劇マスがアイドル達の「ただいま」から始まり、最後また日本に戻ってきたバネPに対して「おかえり」と出迎える所で終わる。対してライブハウスで活動を続ける冬馬たちは、時間がきたら場を去らなければならない。いくら「いつも使わせてもらってるライブハウス」であっても、そこは拠点にならない。改めて自分たちの現状を確認した上で、帰る場所のない事は重く響いていただろう。
だけど、そこに315Pがやってきた。それも遅い時間、全速力で息を切らして。齋藤社長と315Pだけは、Jupiterをスカウトする上で「誠意」「誠実さ」を忘れなかった。この7年、Jupiterを信じて待ち続けた「こちら側」のプロデューサー達を劇中に投影させるなら、これほどぴったりな性格はないだろう。
Jupiterのために扉をあけたシーンがあったのは、315Pただ1人だ。
…物語の終盤、渋滞に巻き込まれた為315Pの到着が遅くなることを聞かされた冬馬が「しゃーねーな」と言う横で、翔太が彼をからかうシーンがある。
「冬馬くん、ほんとあの人のこと好きだよね」
「! お、お前だって妙に懐いてんじゃねーか」
「うん、あの人いいよね」
素直に好きだと言う翔太に対して、冬馬は指摘された時に顔を真っ赤にしている。けどその前に、Pの姿が見えない、と、3人で事務所内をキョロキョロと見渡す箇所がある。たぶん、この前日譚で3人が自分たち以外を探したのはここが初めてだ。探す相手ができたこと、帰ってくる事務所ができたこと。
信頼できる「おとな」と出会った彼らの物語は、ここからまた始まる。
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961時代、王者でなければ生きている価値がない、と教えられてきた冬馬は、315プロダクションに移り、そしてソロで「HAPPY×HAPPYミーティング」を歌った。「meet」(知らない人と出会う)も「meeting」(会議・集会・大会)も1人では出来ないことだ。「向き合ったみんな」が手にする輝くサイリウムに導かれるまま、冬馬は、Jupiterは、そして315プロダクションは、未来へと進んでいく。