はてなキーワード: 松本とは
美味しんぼの内容について肯定とか否定とかって話ではないです。
「美味しんぼ」叩きに「疑問」の声 茂木健一郎「特別視する理由がわからない」松本人志「漫画家さんが神」
とあってちょっと思ったので。
知名度もある有名な漫画でそれをやってるから特別視してるんだろうよ。
同人誌でやっても誰も注目しねーよっていう。
普段美味しんぼに何の興味無い人でも情報入ってくるわっていう。
漫画の内容に国が口をはさんでくるのが問題とか言ってるけど、国が数年かかってようやく見かけだけでも何とか今の状態にしてきたのに、
それに対して「知名度ある漫画」が福島に人は住めないとか言い出したらそれは国も動くでしょうよと。
松本も何か言ってるけど、
例えば誰もが知ってるような漫画で、せっかく何年もかけてイメージも若干回復してきたところなのに
「売れてるのに家族には生活保護受けさせるクソみたいな芸人がいます!」
みたいな漫画書いたらよしもとは抗議しないの?っていう。
「松本さんってすごいんですよ」とか
「松本さんの前でミスはできない」だとかを発言する若手、中堅芸人が多いんだけど、
そういう発言を聞く度に、興ざめしてしまう。
http://www.menscyzo.com/2014/05/post_7692.html
この記事によれば、ジュニアやロンブー淳をゲストで出演させたらしいが、
松本太鼓持ち芸人をいくら並べられても、少しも見る気がわかない。
浜ちゃんだって同じ芸歴で、同じように恐れられているのだろうが、
松ちゃんのような“天才”という椅子に座らされている感がない。
後輩芸人たちが「天才だ」「すごい人だ」と持ち上げて言うので、
実際に松ちゃんのボケを目にする時には「さぞかし面白いのだろう」という
結果、「それほどでもないかも?」という感想を抱くに至る。
松本人志自身が実際に天才だとか、面白いとか、はたまた昔ほどじゃないだとかは関係なく、
崇め奉ってる周りの芸人のせいで、フィルターかけて見られてるんじゃないかと思うのだ。
そういう振る舞いはやりやすいのかもしれないけど、最終的には首を締める結果になりはしないか。
むしろ彼らはそうとわかっていて、真綿で首を締めるように、息の根を止めようとしてるのだろうか。
http://anond.hatelabo.jp/20140508022218
松本放送室という、松本人志のラジオで、「出産に立ち会うのにお金がかかる」ことに対して不満を言ってました。あなたの結婚式と同じような論理で起こっているので、一度見ると良いと思います。
http://www.huffingtonpost.jp/p/huffingtonpostjp-about-us.html
長野さんが根っから悪質な人とは思えないんだけど、自分の所の記事を適当に読んでみて、何か思う所は無いもんなんだろうか?と。
フィナーレに関する目に留まったいくつかの……多くの記事と多くの部分におよそ三十年分の記憶との齟齬があり、明石家さんを軸に百字で収まらぬあれこれを書き留めておこうと。
文字起こしではなくライブで関西ローカルラジオを全国の明石家さんファンが聴けば、おそらくその数は激減すると思う。伊集院のラジオを聴きスタッフの馬鹿笑いにたちまち拒否反応を起こす関西人よりも多かろうと。
「笑っていいとも!」へのたけし乱入はたいした事件ではなかった。登場でいきなり出演者の首を締め上げるのは当時からのお約束。たけしが人選を間違えて変になった。「お笑い論を偉そうにぶっていた康夫にカチンときた」といった経緯もない。そもそも初期のいいともはアングラ芸人タモリを始めとする監督や芸術家、作家、アナウンサーら文化人が時事風俗を斬る、社会風刺を主とする番組であったのだ(田中裕子回必見の安産祈願を巡る宗教団体の抗議等々により、観覧客だけでなく視聴者にもタモリは恐怖感を抱いてしまい、ゆるいお笑い路線となった。最終週の後説で安産祈願ネタをタモリがややムキになって話していたのが感慨深い)。ほぼ初対面で髪をぐしゃぐしゃにされた康夫がむくれたのはたけしのミス。後のインタビューで「あそこで俺の首を締めかえしたら成立したのに、これだから作家はダメ」とたけしが語っていたが、芸人矜持を偉そうに語るなら当時毒づいていたタモリに(大橋巨泉なぞに認められる奴はそろって贋物だとか)いけよと思った。たけしオタクを自負する太田ならこのインタビューも当然読んでいたはずだが、フィナーレでは反撃を恐れて放りっぱなしで逃走、康夫は仕方なく傍の田中裕二に組み付いたが本気で抵抗され、諦めて壇上を降りる康夫の背中に裕二は蹴りをかます(当たってはいないが)。「あいつは、テレビの前の皆様に向けてじゃないんですよ。あれは俺に向けてやりよったんですよ」は明石屋さんの自意識過剰だと思われ。あと、いいとも降板は選手権で笑いを取ったことを責められせいではなく、制限時間オーバーで失格と裁定されたのが気に入らなかったため。
鶴瓶のヤンタンも聴いたが、同じく最初に読み上げられたリスナーのハガキが「師匠の引き際に感嘆した、素晴らしい」だったのが象徴的。共演NGが本人よりも外野、スタッフの死活問題に帰するという見解は正しいのではと考える。さんまの毒舌というより真正面からの他者批判を聞いていれば、共演を避けるよう周囲が動くのも仕方ないなと。さんまはNGが多いタレントという印象。徳光とのNGは徳光側の意向もあるのだろうが、「次番組に呼んだら俺は降板する」とからくりTVのスタッフに伝えた野村克也のケースは異例だろう。ひょうきん族にとんねるずが出演した際、石橋に今後の相談を受けたさんまは、お前らなぞ眼中にないとばかり、そのままでええんちゃうと軽くいなしてやったと得意げにラジオで語っていた(のりおは石橋はともかく木梨なんて竜介レベル、すぐに消えると言っていた)。石橋が関西芸人敵視になったのも仕方ない。夕ニャンが終了した際は「フジテレビとしてはとんねるずよりおニャン子が惜しい、大事」と素人の私も首を傾げる業界事情を報告していた。松本に関してはさんまのまんま登場時の松本へのスカシや、最近も「すべらない話」なんて掲げる自体がお笑い失格、恥ずかしいと語っていたが、吉本芸人同士、両者に重なるスタッフもいてあからさまな共演NGとはならなかったのだろう。後輩の松本が配慮していたというのもある(まんま出演後は自らの失敗と反省していたし、「まだまだ売れるわー」の連呼もそう)。浜田に関しては先輩である寛平の頭を叩く行為に怒っているという噂も聞いたが、フィナーレでミニコントしたり、太田への浜田の苛立ちを腕を抑えて笑いにしたりと決して険悪な関係ではないのだろう。
太田は談志の後継者らしく政治的に動く人という印象(談志と揉めた後、業界の偉いさんらに悪口言い触らされたとたかじんがぼやいていた)。タモリ、さんま、石橋があの芸風を好んで許容しているのかはなはだ疑問。ファンには「プロレスをせず、真剣で戦っている唯一の芸人」なのだろうが、もしも浜田のツッコミを振り切り、例の客席、視聴者へのつまらぬアピールをやったら、浜田は加減なしでケツを蹴り上げる。今田も東野も宮迫もその覚悟を持ち共演しているが、怪我でもしたら社長が吉本に大人の申し入れをしそうでなんとも。土下座事件は噂の真相で事実のように書かれていたがこちらもはなはだ疑わしい話。たけし後継に勝手に名乗りを上げるなとプロレス好きの弟子の水道橋が乗っかっただけのように思われる。太田が著書で松本批判をしたのは確かなので、ライバルとしてではなく、何が面白いのかわからぬ後輩の売れっ子がこっちにからんでくるなと、俺らウンナンとは違うからなという程度だろうと(太田は「笑いの殿堂」でメインのウンナンの悪口陰口を石塚英彦と一緒にくっちゃべっていた)。
たけしに「男気」を感じたことは一度もない。その類のエピソードが語られるたびに、正月のフジヒットパレードでの松村との初顔合わせのVTR、どこかに残ってないかと思う。最終回いいともの辞もありきたりのベタ。「似非インテリの集団」に担がれたが自虐ネタになってないのは辛かった(山下や赤塚、浅井慎平や高平哲郎に比べ高田文夫やテリー、高信太郎はいかにも山師っぽい。筒井康隆はタモリを小説に登場させたほどだが、たけしについては俺の毒舌の二番煎じ、ぐらいに考えていた節がある)。
ナイナイも当初は太田批判をANNなどで話していた。とんねるず世代で、舞台や漫才ではなく、あくまでもテレビに出たい人。芸人にダメだしするなと中居批判、下駄を履いたジャニーズ批判もやっていて、めちゃイケ共演までははっきりと敵視していた。いいともへのレギュラーが決まった際は「見つかってもうた」と嘆き(有吉のバカに見つかっちゃったの先行事例)、その「タモリ愛」もジャングルTVから始まったものだといえる。ちなみに東野のツボ芸人は「さんまのスポーツするぞ」で会話に割っていけず泣きくれたナイナイ矢部、いいとも後期の森脇健児、どSの中川礼二、現在の爆笑太田。
鶴瓶はやはり怖いという印象。関西時代はたけしの何が面白いのかわからないと問うていた(問われた相手は爆笑こそしないがニヤリとはすると答え、そんなん笑いなら爆笑させんとと)。たけしのANN開始前に鶴瓶ラジオを参考にしていたと聞き、さらに「東京進出失敗」もあり「たけし兄さん」と呼ぶように。メインではなくサブに回るのには抵抗もあったはずだが、タモリに諭されいいとも出演を続けた。タモリとは深い親交を結んだが、さらに古いさだまさしとの親交は話さなかったらしくジャングルTVゲスト出演の際の交友フリップを見て初めて知ったタモリが「え、あんた友達だったの?」と仰天していた。いいとも出演よりもさんまの「覚えてるでえ」が東京での起爆剤になったと思う。
タイトルにした香取慎吾のスピーチは印象に残った。それぞれ良かったのではないか(石橋の発言は馬鹿にしたものじゃなく本心だと思うので、タモリの反応は可哀相だった)。これ以上の盛り上がりはない、スピーチは余計という声もあるが、芸人祭りで締めればそれこそ「バラエティーのフジテレビの終わり」で終了してしまう。
駆け足が長くなった。ここでおわり。
http://anond.hatelabo.jp/20140327163556
他人のチューに耐えられないのなら電車内で赤ちゃんの泣き声とかにも耐えられないんじゃないの?
「キスと泣き声は違う!」とか言わないでくれよ。俺にとってはどっちも同じだ。
よく妊婦に対して
「お前の好き勝手でSEXして妊娠したんだから俺に迷惑かけるな。電車で妊婦に会っても俺は優しくしない」
って言ってるアホがいるけど(サイコパスだよ。ありえんよな)
松本人志とか松本の子分がよくするクレーム話とかも俺は一切理解できない。
あいつらは「俺の意図を読めや!」「俺に気を使えや!」と一般人に対して悪口をよく言ってるけど、
一般人は彼らの奴隷でもなければ、彼らの心を読むエスパーでもないはずだ。
日本人がよくベビーカーにブーブー言ってるのがすごく不思議だったんだけど、
やっぱそういうことなの?「公の場で好き勝手するな!俺に気を使って(俺の地雷を踏まないように)行動しろ!」ってことなの?
俺はそういうことは他人に強要できないな。
たとえばカップルがキスをすることなんて、それはカップルの世界で行われている行動であって、
そこに俺が割り込めるとは微塵も思ってなかったんだけど、はてブを見ると、カップルの関係性の間に自分が入り込めると思ってる人が多くて驚き。
だいたいカップルのチューなんて赤ん坊の泣き声よりよっぽど楽でしょ。顔そむけりゃいいんだもん。
それをジーっと見つめて自分から不快になっていくことに俺は怖いものを感じる。
http://cards.hateblo.jp/entry/hatena-blog-yomimono002/
エレベーターにあとから乗ってきたのに、先にお店に入る方、やめてください
http://b.hatena.ne.jp/entry/cards.hateblo.jp/entry/hatena-blog-yomimono002/
これとかもわけわかんなかった。たまたま乗り合わせた見ず知らずの他人と競争してるんだぜ。もう全くの理解不能。
つまり俺が言いたいのは、関係性を築いていない人に何でそこまで執着するの?という素朴な疑問。
これはガキの使いで松本人志がよくやる「街でムカつくやつ話」に持った疑問と同じ。
「いやいや松ちゃんはその一般人さんと友達でもなんでもないでしょ?」と。
何でだろう、俺なんかは現実世界においては「みんなが好き勝手に生きられるなら俺も好き勝手に生きられる!」と思って嬉しくなるんだけど
普通の日本人は「お前好き勝手に生きるな!」ってなるのかな。それはすごく悲しいというか、後々になって自分の首を絞めることにならないんだろうか?
俺は逆にインターネットでは気に入らない奴(好き勝手に動いてる奴)を抹殺しようとして、その度に「その行動は理解できない」って言われるんだけど、
そういう俺のインターネットでの行動を、みんなは現実世界でしてるんだよね。その逆転がおもしろいとも思う。
まぁどっちにしろ、他人のキスくらいは許容できないとほんとに移民大流入不可避だよ(そんなにキーッってなってたら稼げるもんも稼げない)。
別にこれは外国人差別とかじゃなくて、移民流入による苛烈な競争によって日本人がものすごく削り取られちゃうんじゃないかっていう心配。
それに本当に移民が流入したらもっとあちこちでブッチューブッチューやるからねw
そのときみんなは舌打ちできるの?できないでしょ。外国の男は彼女を守るよ(すぐゴング鳴るよ)。
だから俺は他人のキスを認めます!というか、認可不認可の権限は俺にはありません!以上!
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STAP論文問題で、「小保方さんはむしろ被害者だったのだ」と思うようになった。ここまでコピペが常田研で蔓延していたのを見ると。ランキングから分かるように、小保方さんは明らかに氷山の一角。
きっと、「論文とは、図画工作のように切り貼りして作るものだ」と、そういう文化の中で研究生活を送ってきたのだろう。小保方さんも高い学費を払って大学院に通っていたはず。それなのに、これまで、まともな指導を受ける機会がなかったのだろう。
STAP論文問題の中核は理化学研究所や笹井氏ではないと思う。博士を出した当該研究室の指導の問題。
もちろん、論文の広報をした理化学研究所や共著者の笹井氏の責任は、もちろん、ゼロではないと思う。しかし、博士の学位を持つ研究者に、ここまで豪快な剽窃や画像操作をする人が存在するとは誰も想像できないでしょう。当該研究室で博士課程院生の指導が普通に行われていたら今回のような不正も起こらなかった訳です。理化学研究所を集中的につるし上げるのは筋違いだろうと思います。
また、笹井氏は世界をリードする研究者であり、理化学研究所も世界をリードする研究機関なわけで、こんなことで研究が停滞すると日本(世界)の科学にとって大きな損失だろうと思います。
博士論文の画像はNature論文にも転用されているし、小保方さんに学位を出してしまった早稲田大学が、早く、今後の対応の方針だけでも発表すべきだと思う。「調査中」って何を調査しているんだろう。博士論文の剽窃については11jigenさんが既に徹底的に調べてくれていると思いますが。タイミングとしては、新しい学生たちが入学する前までではないでしょうか?対応が遅れれば遅れるほど、早稲田大の他の学部の学生・教員たちへの影響が出かねないし。
なお、小保方さんは、研究以外の世界では生きていけないと思うし、別の大学の大学院に入り直して鍛え直してもらったら良いと思う。日本では顔が知られすぎているから、海外の大学院が良いでしょう。ただし、バカンティ以外のところで。
ハーバード大のバカンティ教授が「小保方の博士論文、もらってないし読んでない」と言っていたという報道がありました。http://www.j-cast.com/2014/03/20199793.html?igred=on
しかし、バカンティさんは博士論文審査の副査だったはずですよね?バカンティさんの主張が本当だとすると「小保方氏博士論文の審査報告書は偽造」だ、ということになります。博士論文自体の剽窃の問題よりも遙かに大きな問題。早稲田大は直ぐにでも反論した方が良いと思いますが。
このエントリでは、11jigen氏のブログ http://stapcells.blogspot.jp/ の情報をもとに博士論文のコピペ量のランキングを作って掲載していました。しかし、11jigen氏自身が分かりやすいランキングを掲載なさっていて、ここに同じものを書く意味もないので、このエントリからは削除しました。
仙台:シュミット・ダニエル、二見宏志、藤村慶太
浦和:-
大宮:-
柏:-
甲府:若杉好輝
広島:-
鳥栖:藤嶋栄介
水戸:岡田明久、鈴木雄斗、二瓶翼、吉田眞紀人、内田航平、白井永地、田向泰輝
東京V:高木大輔、菅島弘希、前田直輝、澤井直人、楠井圭史、杉本竜士、安西幸輝、吉野恭平、キローラン木鈴、田中貴大、安在和樹、舘野俊祐、キローラン菜入
湘南:遠藤航、福岡将太、中川寛斗、白井康介、前田尚輝、吉濱遼平
岡山:石原崇兆、小林秀征、松原修平、清水慎太郎、藤岡浩介、幡野貴紀、寄特直人、田中宏昌、千布一輝、加藤健人、板野圭竜、田中雄輝、飯田涼
讃岐:-
福岡:酒井宣福、野崎雅也、牛之濱拓、金城クリストファー達樹
北九州:山之内優貴
昔、大竹まことが松本小雪(夕焼けニャンニャンの司会や糸井重里との不倫で有名な
元祖サブカル?タレント)の事を、「あいつわざと見えるように小脇にサリンジャーとか
抱えてるんだぜ」と悪口言ってた
のを思い出した
ちなみに20歳ぐらいの頃の郷ひろみも、常にわざとらしく小脇に英和辞典を抱えてたらしい
(彼は知的コンプレックスが酷く、当時のアイドルとしては珍しく日大(二部)に入学したり
今だったらいちいち小脇に抱えずとも、ブログとかでアピできるのにね
ジャニーズ山下智久とダウンタウン松本の筋トレ前と筋トレ後を見れば分かるとおり、筋トレをすると鼻が太くなる
また、顔の骨格が肥大化する為パーツが真ん中に寄る
筋トレ前は山下智久は白人にしか見えなかったのに今はただのアフリカのマサイ族にしか見えない
これは筋肉を落としても一生治らない
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また筋肉はムダ毛の増加や頭髪の抜け毛、ニキビ、毛穴の広がり肌のきめの粗さ、皮脂の増加、体臭の増加を引き起こし寿命も7年縮める
筋肉の恐怖↓
イギリスの大衆紙「The Sun」に「筋トレが脱毛を促進する」という記事が出た。
「45分間の筋トレを週三回、2年以上続けると男女ともに若ハゲになる」のだとか。
記事ではテストステロンの影響にも言及しており、女性でも筋トレをすると抜け毛を引き起こすことがあるとしている。
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↓記事はこちら(英語です)
http://www.thesun.co.uk/sol/homepage/news/article1092628.ece
これで今まで保守系学者が「筋肉はテストステロンだけが増えるのでDHTにしなければ大丈夫」とうそぶいていたものが完全に崩された
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助け舟じゃないけど一言だけしゃべって笑いを取りたい気持ちならわかる。
高校の中盤くらいまではそれが出来てたんだけど、自分の言葉のセンスのハードルが自分の中で上がり過ぎて何もしゃべれなくなる。
そんな状態がしばらく続いた後ようやく「俺って全く面白くないんだ」ってことに気付く。
だけど、会話のキャッチボールのスキルが無いから普通の会話が出来ない。
しばらく普通の会話の練習をしてやっとキャッチボールが出来るようになったら、今度は「俺ってやっぱり面白いんじゃね?」って思って松本ポジションに戻る。
周りは絶対面倒くさいだろうし。
何とかしなきゃいけないな。もはや依存症だ。
タイトルの部分について監督が映画をつくっているわけではないというのは大阪城を立てたのは大工さんというクイズみたいな理屈です。
本文は「つくっているものは映画またはそういうジャンルのものではない」というものだと理解しています。
監督というものが何をしているかというと、見て楽しんだりダメだししたりする仕事です。ポケットマネーで作っているわけでなければ「作った」のが誰かという所在には諸説でてくるものです。
美術、撮影、演技、その他各監督が監督が何をしたいか伝え聞いてそれを纏めて現場に指示して成果を監督に献上してご意見を伺いOKであれば作品として追加されるという流れです。
つまり監督のお気に入りをつくるために多額の資金と大勢のスタッフが動いて一品つくります。
他の商品も「芸人○○完全プロデュース弁当」とかコンビににあったり化粧品やその他アイコンになる芸能人を掲げたものがあるでしょう。
つくったのは製作スタッフです。資金提供したのは大企業です。商品を「作った」ということに関しては掲げた看板芸能人のものになります。
まったく同じ内容の商品で他の人間やタイトルであれば売れないかもしれないという点を補って一つの製品化をしています。
企業の形も同じです。社長がなにをしているかといえば自分のしたいことを人に指示して結果に満足したりダメだししたりするだけです。
その社長のお気に入りを作るためにお付きの人がその下に指示を出しています。
松本氏が動画を取って映画界で評価を受けたという構図について「この著名人が笑った」というタイトルを冠する動画を「撮りたい」と願ったスタッフが集まりその案に資金提供し企業アピールもできるのではないかという会社が後押しし「完全プロデュース」みたいなタイトルのかわりに「監督作品」となっているだけです。
動画が長編でスポンサー形態や発表場所を「映画と同じ陳列にしよう」という結果映画とジャンル分けされているまでで、そこに流入してきた対象に映画界が評価を下し始めるのは自然な流れでしょう。
「映画としては異例のユーチューブ配信」とかになれば単なる長編動画俗称「映画」になっていたかもしれませんしそれでも映画界は評価をしてくるかもしれません。
各種媒体もその完成した製品を取り扱って部数や売上を伸ばしたいと考え陳列するでしょう。
松本氏の感性はすぐれているしかしそれは映画むきではない、という話だと思いますが「なんで松本おまえ映画なんてとるんだよ」という質問では「そりゃみんなが撮りたいって言ってきてくれるから」という回答に帰することになるんじゃないかと思います。
映画という結果についてであれば「なんであの人の脳のなかを映像化しようとかおもったの。それ撮り方とか発表や媒体の選び方が別にあるでしょう?」と製作スタッフ一同もしくはスタッフ内の有力者について苦言を呈すべきものじゃないでしょうか。
酢豚にパイナップルいれてパイナップル本人に「なぜ入ってきたの」と問い詰める図はおもしろいですが、酢豚について考えるならそれをつくった料理人に問うのが筋でしょう。
松本氏が映画を撮るという松本氏としての人生の一部でおきるイベントについて問うなら本人にでしょうけれども、作品ひとつについてどうしてこうなったと問うのは「松本氏がこれなら満足するんじゃないか」と思案して提示してきた内容を「実際につくった担当」でしょう。
料理人、つまりスタッフが「酢豚にパイナップルを入れるのは料理界では定説だ」としていたとしても監督、役割としては店主的な人間が「それはなしだ」または今回だけは、その客には等と指示をだして「酢豚にパイナップルをいれないという作品」を作ることも、料理人が店主と交渉して「かならず入れる」という結果、最終的に映画や料理といった結果が世に出ることになるでしょう。
「これ、おもしろいんじゃない?」といってくる松本氏に「それいいっすね、絵にしましょう」というスタッフと「松本さんこれどうっすか」と提示してくるスタッフのじゃれあいの結果が収録された長編ビデオが、映画界でいまいちだったということでしょう。
パイナップルの入った経緯がいろいろあって、それを商店街で出したとき酷評だったとかそういう話です。銀座の一等地ならヒットしたかもしれないとかそういうことはあるでしょう。
社長や監督は赤子でも中学生でもできます。それを中心に「その人を満足させるため」と動く実働員に実績があり交渉において信頼があり決定について実際に動かせる経験、蓄えられた実力や資金がある人が動くことで計画が前に進みます。
ただ大人もバカじゃないので商品として「その社長が売り出したもの」という冠を使って商品化したときに価値がでるものに就いていきます。話題の中学生社長が雑貨を扱っていたとして、その雑貨の購入者が「これ中学生社長の」ということで商品価値を上げることができるものであれば、その案にのる大人もいるでしょうし、それならおっさんが売っても一緒だろというのであれば資金力を目安に支持する人間を選ぶでしょう。
映画について内容がとか評価がというのは、いじり方を間違えたプロデューサーが「監督役をミスキャストした」という話です。
まとめて、松本氏は自然にしていると面白いのに仲間内で面白くいじろうとすればそれを収録した絵はいまいちだったり、いまいちと大勢から評されることがあるという話じゃないでしょうか。
独裁者1人を倒したとしても、それを支えて構成していた人間の行動力を挫かないと第二代三の指導者がでてくるのと同じでアイコンは挿げ替えできるし、アイコンを挫くことでそれに連なる行動力を低下させることができるようなものでしょう。
同じ絵はおそらく他の誰かでも撮れたかもしれません。ただ今回据えたトップに批判が集中するのは「評価は下されたが撮影技術など他の実力を否定されずに延ばし続けることが出来るよう」監督が一身に受けることで現場を保護し「作成したけど評価されない」という立場の人の、作ったというメリットと批評というデメリットの集約点でもあるし、何百人というスタッフが作ったのに「ボクの作品」と言う特権と責任でしょう。
かわいい女子は、撮影するだけで絵になりますが、あたまのなかがかわいいおっさんはいまのところどう撮影してもバラエティ番組であいかたのおっさんに突っ込まれなければその絵がとれないという現状なんじゃないでしょうか。
ああ、何か分かるような気がする。
横山やすしさんに『そんなモンは漫才やない。街のチンピラが喋ってるだけや』
的に否定されたって話を聞いた事がありますが、
『面白い奴が面白い事をするだけ』で成立するのかもしれないけど、
映画で同じ事をやろうとすると
どうしても深みを感じなかったり、退屈してしまったりするのかも。
良いモノ(映画)を創るのは、まずそれ(映画)を深く理解する事が必須なのかもしれませんね。
そして、生き方、考え方、創り方を見る限り、
最新作「R100」について、いわゆる松本信者、松本人志の初期の天才性を高く評価している人ほど酷評をしているようだ。
わたしも松本の天才性を認めるにはやぶさかではないし、今でもその根本的な特異な才能は初期のころとそれほど変わってはいないのだと思う。
なのに何故今は往年の信者にすら見放されているのか。
彼にとっての不幸は、キャリアの初期において本来ならば理解困難なそのユニークな感性が浜田という相方の存在により広く「革命的に面白い」と認識されてしまったことにあるのではないか。
彼の特異性は、その驚異的なまでの無知さにある。
ベストセラー「遺書」を読んだことがあるかたはわかると思うが、彼は全くと言っていいほど「引用」「参照」ということをしないし、そもそも何かを学ぶという意識が皆無なのである。
彼が面白いと思うこと、新たに生み出しているギャグというのは、全て彼自身が見ている範囲、彼自身のみから考えられる範囲でのみ構築されたものであり、すなわち常にゼロからひねり出しているものなのである。
それゆえ初期のお笑いの活動においては全くもって斬新なネタ・コントを繰り広げていたのであるが、これはたまたま彼の感性が作り出すものが、浜田の存在により、たまたままだ笑いとして理解可能な範疇であったからである。
松本の感性は、人を笑わそうとしてしてのものではなく、あくまで自分が面白いと思えるものに対しての探求であり、それが世に受けていたのはたまたまに過ぎない、というか相方やブレインなどによるものだ。
彼が映画に手を広げたのは、単に表現手段のひとつとしてであり、テレビ・舞台・ラジオ・漫才・コントといったバリエーションのひとつに過ぎないのであろう
しかし残念ながら映画というものは単なるいち表現手段としては完結しない。映画はひとつの作品として存在するためには、その背景に膨大な参照と引用が必要で、そもそも映画という形式自体が映画文法そのものによってなりたっているのである。
北野武が映画監督として確固たる地位を築いているのは、北野は彼なりに映画というものをとことんまで理解し、その理解の上に自分なりの映画というものを構築し、時にはあざとくも映画の文法を逆手にとって鑑賞者に媚を売ることすら厭わないからである。
松本人志は既存の映画を映画として観ていない。初期のネタづくりのように、自分の感性に対して何か生み出してくれる材料としてしか観ていない。しかもそれすら自分にしかわからない理屈によるものだ。
繰り返しになるが、映画というのは膨大な引用と参照によってなりたつものである。既存の映画と全くの連続性がないとしたらそれは既に映画ではなく、実験映像であり百歩譲って実験映画である。
松本の、自分の得意な感性によってのみ構築された映像は、そういうわけで映画ではない。しかも独自にひねり出してきたのであろうそのコンセプトは映画の中では陳腐なもので、車輪の再発明にすらなっていない。
映画を名乗りたいのであれば、まずは映画を知らねばならないのだが、残念ながらそれは彼の唯一の天才性である無知と完全に相反するものなのだ。
自分は旅行が趣味だが、定年を迎えた後、「東京から各地へ1泊2日のワンショット旅行を繰り返す」というのは、
極めて非効率な気がする。
例えば北海道であれば、札幌のウィークリーマンションに腰を落ち着けて、そこから日帰り旅行なり1泊2日旅行を繰り返す、という方が、
もっとも、定年を迎えたら体力も衰えるから、毎日旅行するのはツライし、そんなにカネも続かない。
だから例えば
てな按配で、1ヶ月程度札幌に滞在すれば、札幌200キロ圏は概ね旅行し尽くして、
体力も温存でき(荷物移動がないから)、費用もそんなに掛からない、という気がする。
「休み」の日も家に閉じこもるんじゃなく、適度に札幌市内の近場を楽しむ。
「土日」は混雑するから、定年後の身分としてはなるだけ外出は避けたいが、
「土日しかやってないイベント」の類もあるから、その辺は適宜。
「ウイークリーマンション」の類は、調べてみたら、県庁所在都市レベルの大きさの町だと存在しているようなので、
それを「ハシゴ」する。
ということで、65歳定年迎えてから、74歳になるまで、9年間で、概ね日本・世界都市の主要スポットを訪問できるような
65歳になって、カネと健康に恵まれていたら、実践してみたいものだ。
A期間=4月10日~4月25日
B期間=5月15日~7月15日
C期間=9月1日~10月31日
D期間=11月15日~12月15日
E期間=1月15日~3月15日(この期間は春節に注意!)
65歳D期間:下関を拠点に山口県制覇した後、熊本へ行って、熊本を拠点に熊本県制覇
66歳C期間:釧路を拠点に道東制覇した後、旭川へ行って、旭川を拠点に道北制覇
66歳D期間:神戸を拠点に兵庫県制覇した後、大分へ行って、大分を拠点に大分県制覇
67歳D期間:広島を拠点に広島県制覇した後、鹿児島へ行って、鹿児島を拠点に鹿児島県制覇
67歳E期間:ナイロビを拠点にアフリカ東部制覇した後、ケープタウンへ行って、アフリカ南部を制覇
68歳D期間:名古屋を拠点に、愛知県岐阜県三重県を制覇した後、宮崎へ行って、宮崎を拠点に宮崎県制覇
68歳E期間:ムンバイを拠点に、インド西部を制覇した後、デリーに行って、インド北部・ネパール等を制覇
69歳C期間:ウィーンを拠点に、オーストリアやハンガリーなどを制覇した後、ワルシャワに行って、ポーランドを制覇
69歳D期間:徳島を拠点に、徳島県制覇した後、高知に行って、高知県を制覇
69歳E期間:リオデジャネイロを拠点にブラジル制覇した後、ブエノスアイレスに行って、アルゼンチンを制覇
70歳B期間:コペンハーゲンを拠点に、デンマークを制覇した後、ストックホルムに行って、スカンジナビア3国を制覇
70歳C期間:ロサンゼルスを拠点にアメリカ西海岸制覇した後、バンクーバーに行って、カナダ制覇
70歳D期間:福岡を拠点に福岡県を制覇後、長崎に行って、長崎県佐賀県を制覇
70歳E期間:ホーチミンを拠点にベトナムを制覇後、マニラに行って、フィリピンを制覇
71歳B期間:シドニーを拠点にオーストラリアを制覇後、オークランドに行って、ニュージーランドを制覇
71歳C期間:ドバイを拠点に、アラブ諸国を制覇後、テヘランに行って、イランを制覇
71歳D期間:高松を拠点に香川県を制覇後、松山へ行って、愛媛県を制覇
71歳E期間:マドリッドを拠点にスペイン制覇後、リスボンへ行って、ポルトガルを制覇
72歳B期間:モスクワを拠点に、ロシアを制覇(ヨーロッパロシアだけだが)
72歳C期間:札幌を拠点に道央を制覇後、函館に行って、道南を制覇
72歳D期間:松江を拠点に山陰を制覇後、那覇に行って、沖縄を制覇
72歳E期間:イスタンブールを拠点にトルコを制覇後、アテネに行って、ギリシャを制覇
73歳D期間:静岡を拠点に静岡県を制覇後、和歌山へ行き、和歌山県制覇
73歳E期間:シンガポールを拠点にシンガポールマレーシアを制覇後、ジャカルタへ行き、インドネシアを制覇
・A、B、C、D、E期間:ハイシーズンを避けている
・たまに(2~3ヶ月に1回)、東京の自宅に戻ることを想定している。
・「キャンピングカーを買えばいい」という話もある。
確かにその通りだが、キャンピングカーで連泊するのは、体力的にどうかなあ?
・いっそのこと、東京の自宅を売り払って、
1~2年は札幌を自宅とし、その後は福岡に移り住んで・・・というジプシー生活を送るのも、いいかも。
・定年を迎えたら、世界一周航空周遊券を買って1年間世界を豪遊し、
その後で福岡辺りで再就職&転居して、九州・中四国・韓国・中国を旅行しまくる、というのもいいかも。
・でも結局、孫ができたら、それを最優先にするんだろうなあ。
・東京から100キロ離れた県(例:栃木)を複数周遊する場合、カーシェア使用前提だと、宇都宮に拠点移した方が、安いのかなあ。
100キロ先まで観光するなら、6,500円+100キロ×2×15円=9,500円。その差5,600円。
http://anond.hatelabo.jp/20130706212057
この夏、「竹原とか鞘の浦とか回ろうかな、庄原www、三次のさらに奥か」とかいいながら旅行予定を考えていたところ、あることに気づいた。
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……もしかして東京駅直行便があるところではアニメ聖地化がうまくいかないんじゃない?
アニメ聖地の元祖的存在である木崎湖にしても松本で乗り換えが必要だし、
現在進行形でぶいぶいやっている大洗も上野、水戸で乗り換えが必要。
うまくいっていない事例の件数があがらないのが難だけど、きっと関連あるよね。
アニメファンは往々にして鉄ちゃんだったりするので、多少の到達困難性はものともしない
聖地側としても、東京行き直通があるくらい立地に恵まれているところなら
「アニメなどする前に何かできることがあるだろう」
という考えも有力で、地元のリソースを上手にまとめられない、意思統一も図れないなどあるかもしれない。
鷲宮神社があそこではなく小山とか熊谷のそばにあったなら、あれほどの成功を達成し得たであろうか?
結論:
・東北地方でのアニメ聖地化案件は「ほかにできることはないか」もういちど考えてみるべき
・蛙男商会がどんなにがんばってもサンライズ出雲があるかぎり島根にアニメ聖地観光は誘致できない
以上
十年をひと昔というならば、この物語の発端は今からふた昔半もまえのことになる。
九歳で、夏だった。幼時から父は、私によく、金閣のことを語った。
私がこの世でいちばん好きな場所は台所だと思う。
引越そうと思う。
八月のある日、男が一人、行方不明になった。 県営プールの水泳競技場。 兵学校出身者や予備学生から成る飛行学生や、飛行予科練習生(予科練)は、茨城県の土浦や霞ヶ浦での練習機による教育を終えると、戦闘機や陸上機要員を除く多くがここに来て、急降下爆撃を行なう艦上爆撃機(略して「艦爆」)や、同じく水平爆撃や雷撃を行なう攻撃機(略して「艦攻」)などに乗り組んでの訓練を短かい期間に集中的に受ける。
…………ブウウ――――――ンンン――――――ンンンン………………。
飛行機の音ではなかった。 街を眺めながら鈴木は、昆虫のことを考えた。
「ばあちゃん、もう春は来とるんかな」
今は夏。
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これは私の知る限り、最も不思議な事件だ。
つい先だっての夜更けに伊勢海老一匹の到来物があった。 メロスは激怒した。 花の木公園にはうさぎが棲んでいる。 ふと気づいたときには部屋は赤に染まっていた。 目を覚まして最初に目にはいったのは、やけに高く見える天井だった。
親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。 パン屋襲撃の話を妻に聞かせたことが正しい選択であったのかどうか、僕にはいまもって確信が持てない。
北京の空は紺青に澄みわたり、秋の陽が眩く地面を照らしつけている。 風は全くない。
百人一首を全部暗記している、と得意そうに宣言した少女に対し、周囲の生徒がすげ-、うそ-っ、と驚嘆の声を上げるのを、光紀はきょとんとした顔で不思議そうに見回していた。
「ではみなさんは、そういうふうに川だと云われたり、乳の流れたあとだと云われたりしていたこのぼんやりと白いものがほんとうは何かご承知ですか。」
放課後の校舎は、静かでなにかしらさむざむしい。 音楽室でラヴェルの『亡き女王のためのパヴァーヌ』を弾いていると、ドアが乱暴に開いて、背の高い男子生徒が入ってきた。
「それで、お金のことはなんとかなったんだね?」とカラスと呼ばれる少年は言う。
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ある日の暮方の事である。 薄曇りの空には、数多くの鳶やカラスが、乱舞していた。
僕は三十七歳で、そのときボーイング747のシートに座っていた。 この数年来、小畠村の閑間重松は姪の矢須子のことで心に負担を感じて来た。 えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧えつけていた。
越後の国に枝折峠という難所がある。 越後の春日を経て今津へ出る道を、珍らしい旅人の一群れが歩いている。 美国が暮れに松籟館に残る決心をしたのは、別に大層な理由があったわけではなかったが、寛司が残ると聞いたのもその一つであることは確かだった。
道がつづら折りになって、いよいよ天城峠に近づいたと思う頃、雨脚が杉の密林を白く染めながら、すさまじい早さで麓から私を追ってきた。 駐車場には、約束の時間よりも早めに着いた。
関東生命の相模原本社への最終便は、東京本社を六時十五分に出る。 おろち峠を越えると、山の斜面には、まだ雪が残っていた。 電車が綾瀬の駅を離れたところで、雨が降り始めた。
慶応四年旧暦一月七日の夜更け、大坂北浜過書町の盛岡南部藩屋敷に、満身創痍の侍がただひとりたどり着いた。 とてもいい気持ちだ。 明治十年の二月に永野信夫は東京の本郷で生まれた。 彼のことを、私と息子は博士と呼んだ。
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鉄三のことはハエの話からはじまる。 私は、その男の写真を三葉、見たことがある。 私はその人を常に先生と呼んでいた。 正式には松本春綱先生であるが、センセイ、とわたしは呼ぶ。
私は此れから、あまり世間に類例がないだろうと思われる私達夫婦の間柄に就いて、出来るだけ正直に、ざっくばらんに、有りのまゝの事実を書いて見ようと思います。
始まりは春休みにはいったばかりの月曜日。 野島が初めて 杉子に会ったのは帝劇の二階の正面の廊下だった。
夕暮れの盛り場には期待が満ちている。 玄関の扉を引くと、いかにも作りものめいた芳香剤の香りが鼻腔を刺激する。 いちばん好きな花はフリージアだった。 厚い雲が月を隠すと、江戸の夜の闇は、ずしりとのしかかるように重かった。
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たった二十六文字で、関係のすべてを描ける言語がある。 「最初の機会で恋を感じないなら、恋というものはないだろう」と言ったのは、イギリスの劇作家マーローだ。
或春の日暮です。 二人の若い紳士が、すっかりイギリスの兵隊のかたちをして、ぴかぴかする鉄砲をかついで、白熊のような犬を二疋つれて、だいぶ山奥の、木の葉のかさかさしたとこを、こんなことを云いながら、あるいておりました。
人は、一度巡り合った人と二度と別れることはできない。 恋は人を壊す。 第一印象は信用できない。 完壁な文章などといったものは存在しない。
今夜、死んでしまいたい。
いい金づるが見つかった。
(完)
日本人の有名な技術者たちが起業したとして話題のTreasure Data(トレジャーデータ)。最近日本市場に向けた販売強化をすると発表した。だが以前からずっと日本企業相手にビジネスやってきていたはずだ。過去にリクナビなどで広告記事も見た。なぜ今さら発表? と不思議に思っていたら、以前に比べて価格が大幅に値上がりしていることに気がついた。
現在の最低価格は2TB上限で月3000ドルだ(http://www.treasure-data.com/pricing/)。無料のメニューもあるが、1ヶ月に60クエリまでしか実行できないので、企業で使うなら事実上有料のメニューしか選択肢が無いと考えて良い。
だが実は、つい最近までTreasure Dataには月29ドル、月299ドルのメニューがあったのだ。Internet Archiveには4月11日時点の記録があった。これを見ると、500GB上限の月299ドルで、無制限のクエリが実行できる。だが今は無くなっている。
月3000ドルは決して安くない。使う容量が限られている企業なら、実質的に10倍もの値上げが行われたことになる。容量単価で見ても、2.5倍もの値上げだ。
有料サービスを検討している企業にとって、価格は最も重要なファクターの1つだ。数パーセント値上げしただけでも騒ぎになることが少なくない。それがこうも簡単に何倍も値上げされるようでは困惑する。しかも、サイトのどこを見ても、値上げの理由はおろか、値上げがあったことすらどこにも書かれていないのだ。プレスリリースの最新の日付は現時点で1月15日だ(http://www.treasure-data.com/press-release/)。これでは検討するにしても、また値上げされるんじゃないかと不安になる。
ここまで横暴とも言える値上げを何の告知も無く行ったのはなぜなのか。その理由が気になった。これまでの経緯をもとに真相を探ってみた。
フェアに売上も雇用も伸ばしているスタートアップの日本企業はいくらでもある。そういう会社にももっと目を向けてあげてほしいと思う。有名人がたくさんいることだけが全てではないはずだ。