はてなキーワード: 少年少女とは
オタクが楽しむ作品は、アニメやゲームなどとにかく小中高生を対象年齢としたコンテンツが多い。
そのようなコンテンツに出てくる主人公やサブキャラは、当然ながら対象年齢に近いか、それより少し上くらいに設定される。
なぜなら、そのくらいの年齢層に設定しないと読者・視聴者が共感しづらいからだ。
そして、オタクはそのような年齢の主人公の出てくる作品ばかり観て、性的妄想を膨らませるから、
たぶんだけど、オタクの大半は妄想の中で少年少女を愛せても、リアルな同年齢の少年少女には関心をほぼ持ってないと思う。
本当にごく一部の真性ロリコンだけが、リアルな少女の写真集を買ったり、もっとヤヴァイ写真集買ったり、実際に手を出したりする。
『北斗の拳』が大ヒットした当時、学校の見学旅行でプラネタリウムを訪れたことがある。その際に、解説役の女性ナレーターが、おおぐま座・北斗七星について語る場面で「誰ですか?『死兆星が見える』なんて言っている人は」とジョークを挿入してきたことを、場内が爆笑の渦に包まれたことと共に、今でも記憶している。
『北斗の拳』がヒットして以降「北斗七星は死を司る星辰(星座)」という認知も、神話伝承にそれほど明るくない人々にまで普及した。特に、プラネタリウムでもジョークに用いられた「死兆星」は、たとえ天文学的な正式名称(ミザールとアルコル)を知らなくても、当時の少年ジャンプ読者で知らぬ者はいないと言っても過言ではない。
この北斗七星の柄杓の柄の端から2番目の星が、二つの恒星から成ることを見分けられるか否か、それを尋ねることで兵士の視力を検査するという手法が、古代エジプトでは採用されていたという。しかし、古代エジプト人が寿命の長短を判定するのにこの二重の星を利用していたか否かは、寡聞にして知らない。西欧の星座伝承の大部分は、古代エジプト以外で言えば、古代バビロニアや古代ギリシア・ローマ等に起源を持つと思ってさほど間違い無いと思うのだが、これらの方面でも寿命の長短を見分けるのに使われたという形跡は、今のところ見かけた記憶が無い。単に私が不勉強で知らないだけかもしれないので、有識者の意見を知りたいものである。
死兆星の元ネタとして、とりあえず直ぐに思いつくのは、この二重の星が日本では民俗的名称として「ジュミョウボシ」と呼ばれていたことであろう。この名称を個人的に初めて知ったのは、星空に関する多数の優れた本を著し、我が国における少年少女の天文ファンの数を増やすことに貢献した、作家・野尻抱影(SF作家・野尻抱介のペンネームの元ネタである)の本で読んだ時であった。野尻抱影の本には、次のようなことが記されている。
この名の由来は、二重の星を見分けられなくなった者は、それから遠からず一年かそこらで、御迎えが来ることから付けられたものらしい。主に、漁業従事生活者たちの間で用いられていた名称のようである。海上での航海が主要な部分を占める漁業において、視力の良さは要であった。そのため、視力の衰えは即ち食い扶持を稼げなくなることを意味し、そこから、星が見えなくなることで寿命が来たのを悟るという話になったのであろう、と。
つまり、ジュミョウボシは、死兆星とは正反対に、見えなくなることが死の予兆というわけである。おそらく『北斗の拳』の作者たちは、星が見えなくなるよりも、見えるように変化するという現象にした方が、視覚的に表現することが容易である(見えない星では絵に描けない)という漫画表現上の要請から、これを改変したものであろう。
これ以外に、北斗七星が人間の生死に関わる星辰として語られる起源を遡れば、中国は東晋の時代の人・干宝が著したとされる志怪小説『捜神記』に収められた物語に行き着くことになる。
原典の漢文を読んだわけではないし、若い頃に読んだ日本語訳(私は平凡社東洋文庫で読んだ)の記憶を掘り起こすだけだが、おおよそ次のような物語である。
「或る農夫が、息子と共に畑仕事をしていたところ、その傍らを方士が通りかかった。方士が、農夫の息子の相を見て『この子は、このままでは十六の歳で死んでしまう』と彼らに伝えた。驚いた農夫が、方士に『それを避けるためにはどうすればいいのか』と尋ねると、或る策を授けてくれた。方士の言葉に従って、農夫は、用意できるだけの酒と干し肉を携えると、南の畑の桑の木が植えられた場所へと赴いた。
方士が教えてくれたとおり、南の畑の桑の木陰では、二人の老人が囲碁に打ち興じていた。囲碁に夢中になっている老人たちは、農夫が傍に来たのにも気づかない様子であった。方士に言われたとおり、農夫は無言のままで、酒と干し肉を老人たちの手元にそっと差し出した。碁を打ちながら老人たちは、差し出されるままに干し肉を食べ、酒を飲み続け、農夫はお代わりを差し出し続けた。さんざん飲み食いし終えた後で、ようやく二人の老人は、農夫の存在に気がついた。
二人のうち、険しい顔つきの老人が『何者だ貴様は?いつから傍にいた?人間が儂らの傍で何をしておる?』と責め立てたが、方士に言われたとおり、農夫は平身低頭して無言を貫いていた。すると、柔和な顔つきの老人が『この者が振る舞ってくれた酒と干し肉を、儂らは楽しんだのだ。そう怒るな』と、怒る一人を宥めた。そして『この者に、酒と干し肉の返礼をせねばなるまい』と柔和な顔つきの老人が言うと、険しい顔つきの老人と共に何やら帳面を捲り、農夫の息子の寿命が『十六』と記されている箇所を彼らは見つけ出した。険しい顔つきの老人が、渋々それを『六十』と書き換えると『これでよかろう。もう去れ』と農夫に言い渡した。農夫は無言のまま、二人の老人に頭を下げて感謝の意を示すと、その場を去って家に帰った。
家で待っていた方士に農夫が一部始終を伝えると、方士は『これでお前さんの息子は、もう心配が無い』と言った。農夫が『あの人たちは何者なのですか?』と尋ねると、方士は次のように語った。
『あの者たちは、北斗と南斗である。柔和な顔つきの方が南斗六星、険しい顔つきの方が北斗七星である。人は南斗から生まれ、その生涯は星々の間を辿り、北斗へと還る。それで、人が寿命を延ばすためには、北斗に祈りを捧げねばならないのである』と」
現代人の目から見た感想を率直に言えば「これ、お人好しの農夫が、単に詐欺に遭っただけじゃねえか?」と思うところであるが、それは置いておく。
天空の天体、太陽や月や星や星座の動向が、地上世界で生きている人間に影響を及ぼす、或いは逆に、人間の運命その他の動向が、星など天空の現象に反映されるという考え方は、洋の東西を問わず広く見られる文化現象である。そういう意味では『捜神記』の物語も、ごくありふれたものだと多くの人は思うかもしれない。
しかし、私が『捜神記』の物語を面白いと思うのは、最終的に北斗七星と南斗六星のように夜空で目立つ星座が重要な役目を果たすにせよ、社会的に見れば無名の人にすぎない農夫の息子のような人間にも、個別に対応するような名も無き天空の星が存在しているという考え方を示している点である。
古代ギリシアには、現代の民主主義政治の源流があったけれども、無名の市井の人であっても天空の星との結び付きを得ることが出来る、という古代中国のような発想には至らなかったようである。してみると、天空の星との結び付きに関しては、古代ギリシア・ローマは、神話の登場人物レベルの選ばれた者にのみ許されるという選民思想だったわけである。そう考えてもらえれば『捜神記』の物語のユニークさを分かってもらえることと思う。
北斗七星・おおぐま座のように、明るくて目立つ恒星とそれらが形作る星辰(星座)は、自然と人目を惹くものだから、古今東西の人類の記録に残されている。金星・火星・木星などの惑星もそうである。太陽や月は言うまでもない。しかし、観測技術が発達するまでは、星辰(星座)の構成員になるほどの明るさを持たない目立たない星々のことは、一々観測して天球上のどの位置に存在するのか、動いているのかいないのかと確かめることは非常に困難であったことは想像に難くない。しかし、事実として夜空には、命名も位置確認も追いつかないほどの無名且つ無数の星々が存在することを、昔の人は知っていたのである。科学的な知識を持つ我々現代人よりも、むしろ昔の人々の方が、実感としてそれを知っていたはずである。現代の文明社会のように至る所に夜間照明がある条件下とは異なり、太陽が沈んで「本物の夜の闇」に包まれて空を見上げた昔の人々の肉眼には、文字通り無数の星々が見えたのだから。現代人も、もし口径が大きい双眼鏡の力を借りて夜空を眺める機会を得たならば、その時は、名前も知らない星々の多さを実感して驚くことだろう。私は今でも時々、双眼鏡で星空を見て感嘆する。
こういった、存在することは分かっていても昔の技術では天球上の位置を確定することが困難であった無数の星々については、占術師たちが「実は、天球上の無数の星々は、消えたり現れたり移動したりしているのだ」と主張したとしても、民衆も確認しようが無く、比較的簡単に信じてもらえたことだろう。恒星の間を動き回る「惑星」、何処からともなく現れる「彗星」、明るさの変化する「新星」など、変化を示す天体現象が現実に見られることも、占術師たちの主張を補強してくれたに違いない。
ただし、庶民が自分個人の運命専用の星を天空の何処かに持つことができたとしても、自分の意志でその星を動かせる訳では無い。天空の星の動きでも人生でも、同じことである。王侯であろうと庶民であろうと、現代人であろうと昔の人であろうと、人生を己の自由にするというのが困難なことに関しては、立場は同じである。自分の人生がままならず、自由意志で動いているのではなく、自分以外の超越的な何者かによって動かされているのではないかと感じるという感覚は、古今東西の汎ゆる宗教的な思索の出発点となる。
この何者かに動かされているという感覚を『捜神記』の筆者は、南斗・北斗の両老人が打つ囲碁の対局という形で表現している。つまり、ここでの囲碁の盤面に配置されている碁石とは、夜空の無数の星々の象徴ではあるまいか。将棋やチェスの駒とは異なり、碁石は没個性的である分だけ、名も無い星に擬えるのには都合が良い。囲碁という遊戯の起源がどのようなものであるか、それを現代人の我々が確実に知ることは不可能であろうが、もしかしたら、星々の配置を操作することによって人間の運命を変えようと働き掛けるような、呪術的儀礼としての遊戯にその起源の一端を持っているのかもしれない。
もっとも、これはあくまでも個人の勝手な空想に過ぎないので、南斗六星から北斗七星へと星空を動くというのであれば、この場合には囲碁よりもむしろ双六の方が象徴的な遊戯には相応しいのではないか、といった具合に幾らでも異論を唱えることは可能と思う。
それに、南斗と北斗の囲碁の対局結果は語られていないので、囲碁の対局によって星々が動かされ、運命が左右されるという仮説は、正直に言えば我ながら牽強付会であることは否めない。まあしかし、たとえ学問的専門家ではなく、実生活に役立つわけではなくても、こういった空想をすることは非常に楽しいので、なかなか止められないのである。
農夫が酒と干し肉を提供した行為が、祈願の対象である神への御供え行為であることは無論言うまでもないが、この他にも、無言を貫くという後代の神事や魔除けにおける物忌と通底する行為が見られる点や、南斗・北斗の翁神に邂逅する場所が霊樹の一つである桑の木の傍である点など、興味を惹くところがまだまだある。いずれまた暇を見つけて『捜神記』を再読してみようかな。
https://anond.hatelabo.jp/20220910014751
よく男性作家の場合童貞特有の想像力がどうのとか言われるけれど
女性作家の場合結婚しているかどうかは大した問題じゃなくて、子供がいるかどうかの方が作風に与える影響は大きいと思っている
個人的には子供のいない女性作家には出産して母となる人生を歩んだ女性作家には描けないオリジナリティがあると感じてしまうんだよね。
出産や育児のある女性作家だとどうしても自分自身の経験を認めて欲しいし母親には人間味を付加して母親目線を強調する傾向が出てくると思っているから。
既婚だけど子供は出来なかったと表明している新井素子。『チグリスとユーフラテス』において遠い未来の異星で、子供が産めない女性達がそれぞれの人生を生きて何かを為し遂げようとする様子を描いていた。主人公が妊娠し夫の元を去る『おしまいの日』は非常に優れた鬼気迫るサイコホラーだが、その後の出産や子育てそのものは具体的に描かれない。これはおそらく作者に子供がいたならその部分に焦点が当てられてしまい作品のテーマはぼやけてしまったのではないだろうか。
同じく既婚でおそらく子供はいない小野不由美。結婚した男女が木に祈れば子供の入った実が実るという個性的な世界観は、出産経験の無い女性ならではのものではないだろうか。主人公格の陽子と要の母親がいずれも、優しいが夫や姑に翻弄される気弱な女性として描かれている事は注目に値する。これは自らは母になった事がない女性ならではの、あくまでも外部から見た視点だ。もしも作者自身も母親だったなら多分余計なノイズとして母親に人間味を付与していた可能性が高い。
結婚や離婚、再婚の経験はあるが子供はいない池田理代子。革命に命を捧げた男装の麗人オスカルや、史実でも奔放な男性関係を誇った女帝エカテリーナを描けたのは、妊娠出産し良き母となる以外の人生にも意味を見出だしていたからではないだろうか。
独身で多数のヒット作を描き続ける高橋留美子。『めぞん一刻』のヒロインを未亡人に設定しながらも、子供の存在は設定せず、あくまでもテーマは恋愛に特化していた。いつまでも経っても初々しい少年少女のやり取りを描けるのは、結婚し子供を産み育てる女の王道人生という狭い枠に収まらなかったからではないだろうか。
エッセイの内容からしておそらく独身であろう、よしながふみ。『大奥』では男女比が逆転した架空の江戸時代を舞台に生殖に纏わる人間模様を描く。もっとも子供を産み育てる事を唯一の生き方とはせず、最後は史実でも生涯独身だった津田梅子の登場で物語を締めた。
長年の恋人はいるが結婚はしていないらしい矢沢あい。『下弦の月』で描かれた小学生達の描写は実にリアルだ。これは母親から見た子供ではなく、自らも子供時代の記憶を残している成人が描いた個人としての子供。『NANA』では妊娠した主人公が愛の無い結婚を選ぶという打算も描く。
同じくおそらく独身であろう田村由美。戦乱の世や人類滅亡後の未来世界といった極限下での出産を肯定的に扱い、「子供は希望」とするエピソードは確かによく出てくる。しかしその一方で妊娠出産をおぞましい事としても描き、保身のために子供を見捨てる母親の残酷さをも描く。
これはもう良い悪いじゃなくて、妊娠や出産が女性の人生に与えるインパクトは本当に大きいんだと思う。
だから男性作家に比べて女性作家は子供の有無に作風が左右される割合が高い。
子供がいない女性作家には、子供がいない女性作家ならではの強みがあると思っている。
……とか言って、このうちの何人かは実は子供がいる可能性もあるけれど。
少なくとも存命のうちはやりにくいよなあとは思う
それこそ昔はニコ生くらいしかなかったのが、今ではスマホ一台あれば、無限に配信サービスもあるから、増えるのは自明なんだが。
かくいう自分も、配信者をやっていた。同接は多くて15名くらいの、底辺も底辺だ。
話すこと自体は好きだったし、YouTubeの収益化ができたときは嬉しかった。(スパチャを投げられるとかそんなことはないので半年の収益は数円だったが)
推しのイラストレーターにイラストを依頼とか、配信者でなければできなかっただろう。
そう、自分を切り売りした結果としてできることは増えるので錯覚しがちなのだが、擦り減っていくものは、かけがえのない大切な何かなのだ。
皿の上に差し出しているソレは、簡単に消費されていいものではないし、消費される側もする側も、麻痺しているように感じる。
配信者側は今言ったように、できることが増えていくから、擦り減ったものには目が行きにくいし、
視聴者側も「配信者が好きでやっていることだから、自分も好きに応援しよう」と考えるものだ。
自分もそうだが、とりたてて絵がうまいわけでも、歌が上手いわけでもない。トークも平凡だと思う。
絵や歌、ゲームの巧みさなど売れるだけの芸があるなら、それを売れる。だが、自分も含め、素人にはそれが無い。だから、自分そのものを切り売りするしかない。
枯れたスポンジから血が滴るようになっても、売れる芸などないからだ。
そこまでして承認欲求をかなえたいものなのか、とは自分も思う。
自分の場合は、始めたきっかけは承認欲求だったのだと思うが、今となっては素人の自分の話をなぜか面白いと聞いてくれる人がいるから、その人たちに自分のできる範囲内で精一杯お礼がしたい、そんな感情なのだ。
だから、ひとくちに承認欲求の肥大化が問題、というのも自分としては違うと感じる。
等身大の自分を切り売りして、売った分だけできることが増えて、承認欲求も満たされて、
気が付いたら致死量まで擦り減っていた何かによって、いつか、死んでしまうのではないか。
少なくとも自分は擦り減った結果、あんなに話すことが好きだったのに、「ああ、こんなにもことばって伝わらないんだ」という絶望を得た。
どれだけことばを重ねても、
「なるほど!××ということですね!」「自分がいつ××だと言った!?」
と頭を抱えることが多く、それが耐えきれなかったんだろうと思う。
ことば、言語というものは相手と自分が一意のものを思い浮かべるためのコミュニケーションツールだと思っていたばかりに、本当につらかった。
今となっては、いつ、どこで、誰と話す時だとしても、「どうせ自分の言葉は伝わらないのだ」という諦観と絶望が支配するようになった。
まあ、自分の具体例で言えば話が通じないやつを放置、ということができなかった自分の不器用さに原因があると思うから、別に構わないのだが。
それでも、「話が通じる人もいる」ということを信じられなくなったのは、自分にとっては大きな損失だろうとは思う。
最近のトレンドのひとつに、「夢を追いかける若い少年少女を消費する」文脈があるような気がする。
もちろん、これは最近に限らず昔からそうで、だからオーディション番組や甲子園はみんなが好きなんだろう。
ただ、ネットの普及、SNSの浸透、素人でも誰でも配信ができるという状況が、これを加速させ、卑近にしているように思えてならない。
少なくとも、オーディション番組や甲子園のように、覚悟をもって飛び込む、ということはなく、敷居が低く気軽に飛び込めるようになっているのは間違いないだろう。
それに加え、先でも述べたがオーディション番組や甲子園のように、明確な一芸を競うなら、そこまで自我は痛めつけられないと思う。そこでの失敗は能力の不足(まあ運もあるだろうが)と割り切ることは比較的容易だ。自分を切り売りする場合に比べれば。
オーバーなリアクションばかりしていると、寿命を縮めるという。
決して簡単に消費されて良いものではないはずだ。簡単に皿の上に載せて供して良いものではないはずだ。
と、思うのだが、私だけだろうか。
前線の少女と銃後の大人という構造からガンスリ(とかエヴァとかあのへん)の亜種として良いと思うが、それら先行作品と比べたとき、リコリスが少女のみで構成される理由(※)や、少女を前線に立たせる搾取構造に対する大人側の自覚とか罪悪感がすっぽり抜け落ちていてさすがに気味が悪い。
アサウラはバニラのころからこういうところがあって、物語を少女-大人(社会)という対比ではなく少女と少女という2者間の関係性で回収することで、俎上に載せたはずの搾取構造をうやむやにしようとする。要するに百合を出せば他がザルでもオタクはブヒブヒ鳴くんだろという作り手の舐めた態度がアニメから透けて見えてキモいという話なんだが、増上慢になるだけのウェルメイドな仕上がりになっていてそれもまたなんか鼻につく。
まあしかしこういうザ・老害みたいな感想を書くと自分の老いを感じて嫌になるね。たぶん若い世代はああいうのなんの疑問も持たずスッと面白がれるんだろうな。
【追記】
いやーほんとブクマカとかトラバしてくるやつはアホしかおらんな。抽象的に考えることができないばかりか俺が書いてることも全く理解できてない。
ようはリアリティラインをどこに置くか(物語の中のどのラインで整合性を取るか)っつー問題なんよ。死人が出ない設定ならこのままでいいの。リコリスが使ってるのは鎮圧弾で、テロリストや犯罪者からの銃撃に対しては特殊な訓練を受けてるから殺されることはない、とかね。だけどリコリスはバンバン殺されていく。なのに大人側は対処する能力がないのかそのつもりがないのか何もしないし、なんなら何も感じてなさそうですらある。さすがに薄気味悪くね? って話なんよ。似た構造を持つ鬼滅の刃が問題なかったのは、少年兵が基本的に鬼に肉親を殺されているアベンジャーであることと、頭領である産屋敷当主自身が業を背負っていて悲惨な死に方をすることが運命づけられている&死んでいった鬼殺隊全員を記憶するという肉体的にも精神的にも「責任を負う側」の人間だからだよ。ガンスリは責任を負うというより報いを受けるって感じだが、物語的に帳尻合わせをしてあるという点においては同様。
リコリス・リコイルはそのへん完全にガバガバだよね。少女の死体を積み上げてまであんな治安の維持の仕方をする必要あんの? しかも別段特殊能力があるわけでもないただの孤児ってだけで戦場行きだぜ? エグくね? いや大人は軒並み揃って外道でそういうディストピアを描いてるだけなんです、って話なら最初からそういう顔しとけよ。
「少年兵もいましたね残念www」みたいな馬鹿なコメントをしてるアホがいるけど、子どもが大人から搾取されてる構造を描いておきながらそこに完全に無頓着という意味では何も変わらんのよ。ヘタに男女で分けてると、それ分ける意味どこにあんの? って話になってくるわけ。男女混合でもなんでも能力の高い順に部隊分けして事件の難易度に応じて投入する部隊を編成する方が理にかなってるし、そもそも少年少女に戦わさせる必要ある? 大人で良くね? って話になってくるので、なんなのこの世界ってことになるんよ。
少女が銃バンバンやって百合やれば撮れ高高いよねという話は普通にわかるけど、作ってる側があまりにそれ以外がガバでも萌え豚はブヒブヒ鳴くよねって態度なんでクソだなコイツラって話なん。
何個か自分があそんだ作品があったので触発されてショートレビューを書いてみる。だいたい紹介順になっているはず。
(実は少女異聞録を紹介したいだけ)
いもうと好き作者によるいもうと好きのためのシミュレーション。攻略対象は同居している妹のみ。日々共に生活しながらじっくりじっくり仲を深めていって恋人になるのだ。仕事して、晩ご飯食べて、交流して、場合によっては夜中にエッチ(和姦、睡眠姦)して日々を積み重ねていく。シムなので堂々とオープンエッチでイチャイチャする事もできるし、本人にバレないようにこっそりと夜中に体を開発することもできる。
このシリーズの最大の特徴は、あえて全編にわたって白黒ビジュアルのみであるところ。フルカラーがデファクトスタンダードのジャンルでそれエロいの?と疑問に思うかもしれないが、巷に溢れる(エロ)漫画が白黒ならではの表現力があることを考えると全く問題ない。それどころかそこらのフルカラーより遥かに淫靡なのが不思議だ。我々の脳は開発されきっているので、漫画的な吐息表現や汗の表現をめちゃくちゃエッチに感じてしまうのだ。
続編のファンタジーの方は基本的にモノクロームにバトルやスキルという新しいゲーム性を追加して、さらにエロ機能を大盛りにしたもの。基本的にモノクロームの上位互換だけど、シムパートがシンプルでお金稼いでエッチするだけのモノクロームと比べるとプレイ感覚が少し異なる。いっぱい色々と遊びたければファンタジーを、とにかくシリーズを体験してみたいんだという人はモノクロームを買ってみれば良いと思う。
なお好きなプレイは、ボトムとショーツを脱がした後にボトムを再び履かせるノーパンじゃねえかプレイと、「エッチしたい」が出来るまで親愛度と性興味を上げた後にわざと両方のパラメータを下げて、エッチすることには積極的なのにいざベッドの上に場所を移すと兄妹でこんなことしちゃダメと突然貞操を気にする妹ちゃんになってしまう背徳プレイです(バグ)。
余談。モノクロームは今度スイッチでも発売される Needly Girl Overdose という作品に大きく影響を与えたことが作者のにゃるら氏により明言されている(4gamer インタビューより)。
魔法少女が特撮の悪役組織のごとき敵と戦う作品。魔法少女とあるけど、どっちかというと特撮バトルヒロインものフルコースだと思う。これでもかという程にその手のシチュが満載。キーワードを並べるだけでもバトルH、敗北H、自分の偽物に負けて市民に偽物としてお仕置きされるH、寄生蟲、敵アジトに監禁、催眠授業、体育教師の脅迫H、強制/自由売春、etc etc。コスチュームやアイテムも充実しておりRPGとしてのやりごたえもしっかりとあるし、街を守る魔法少女としてのストーリーも普通に面白かった。(あと一部の人に御用達の魔法少女受精機能もあり)
好きなシーンはマカイ地区での窃盗?イベント、痴漢から逃げられない選択肢、クラブ地下に監禁され逃亡のチャンスを窺いながら陵辱されるイベント、そして体育教師イベントです。
ぽやぽやとした性格の女性主人公アルシーが仲間たちと仲を深めながら自分の出自にまつわる謎を探求するRPG。個人的にアルシーちゃんの数々の一枚絵がめっちゃエロいかった記憶があるのだけど、それ以上にストーリーですごく感動したという記憶の方が強い。ラストバトルの演出は極まって思わずウルウルしてしまった。伏線回収が綺麗だったなあ。いまでもうっかりするとタイトル画面でも泣きかけてしまう。エロシーになって男どもから精を絞り取るのもよし。清純シーのまま美しく物語を納めるのもよし。
エロとしてはセレスフォニアのようにバトルでのHがあり各種イベントHがあるオーソドックスな作品。現代を舞台にしたセレスフォニアに対してこちらはファンタジーなのでオークとか盗賊とかでるぞ。アルシーちゃんはとある事情により非常に快楽に弱く流されやすいので無理やり描写は少なめ。すぐハート目になってしまうぞ。あと受精機能のみならず妊婦生活ルートまで用意されているぞ(妊婦生活ルートに入ると冒険を諦め健康を維持するプレイをすることになる)。
好きなシチュは、ローパー敗北ヌルヌル触手H、アツオとのラブラブH、カレンさんのBADEND、某所で見られるフラウの手遅れHシーンです。
平成初期の頃のホラーアドベンチャーにファイアーがエムブレムする作品でおなじみのカップリング要素を合体させたゲーム。両思いの幼馴染みと恋人になって二人で生き残ったり、逆に寝取られたり、はたまた成立したカップルを寝取ったりフリーダム。さらにボーイズがラブな機能もあり、幼馴染を置いて男色に走ったり、男ハーレムを作ったりも可能だ!(見たくない人にBLフィルターあり)
ぶっちゃけエロ要素がなくてもゲームとして十二分に面白いけど、エログロが演出として重要だからね。個人的にホラーやグロは苦手な方なんだけど、本作はドット絵なのであんまり気にならなかった。ちなみに筆者は気が強い女性が好きなので女性陣の中だとやちかが好き。男性陣だとやはり無二の親友であるきっぺい一択。
DMM でセールしていたので買ったのだけど自分の中でのダークホースになった。現代物好きで普通の少年少女が好奇心で堕ちていってしまうのが性癖という自分にクリティカルヒットした。作品内容としてはタイトルが異聞録だけど1や2ではなく4をモチーフにしたカレンダーシステムベースの現代物RPG。とある学校に通う少女たちが影に接触したことで異能に目覚め、街を騒がせる神隠し事件の謎を追うのがストーリー。
何が良いかって登場人物たちがみんな普通の家庭があって普通の学校に毎日通っている普通の少女たちなところ。美人で大人っぽいけどポンコツの白鷺先輩、遊んでいそうな外見だけど(ステータス的にも)乙女な後輩美羽ちゃん、小悪魔後輩の陽菜、そしてみんなの(おしつけられた)リーダーこと主人公なのに特別美人でもなければスタイルも良いわけではない平均的な女子生徒の梢ちゃん。そんな普通の少女が力を合わせて敵に立ち向かったり海で遊んだりお泊まり会をしたり学生生活プラスアルファを満喫するのが本作の一番の魅力。やはりカレンダーシステムは日常を演出する機能としてとても優れていることを実感した。世界を席巻したP4システムは偉大である。そしてそこに無理なくエロを差し込めば日常とのギャップがどえらいことになる。
主人公の梢ちゃんが普通の少女だからこそ、好奇心で道を踏み外したり、ストーカーに襲われたり、弟や父にエロい話をしていると体の関係になってしまったりと穏やかな日常の裏の顔のギャップが猛烈にエロい。別に絶世の美女ではない梢ちゃんだからこそ変なリアリティが出ているというかなんというか、ちょっと童顔で胸は小さめだけど美乳という設定も実にいいのだよ。そして年頃の少女たちがセックスをすれば当然出来るわけで…
そう、特筆すべきはカレンダーシシテムと妊娠システムの悪魔的相性の良さ。ゲームのエンドポイントがカレンダーで決まっているため、RPGなのに時間制限があるのがペルソナの特徴だが、本作ではそれに妊娠システムを取り込むことで妊娠段階の進行を可能としてしまったのだ。そして仲間キャラクター全員に妊娠差分が用意されているので、日常生活で普通にキャッキャしているけど服の下には膨らんできたお腹があるみたいなシチュが作れてしまうのである。あと妊娠してもゲームオーバーではなく普通にストーリーが進むので結構たくさん妊娠セリフ差分があるのが興奮する。
続編の方には触れられていないけどそのうち遊びたい。
可愛くむっちりした絵柄が好きで、キャラクター同志の掛け合いは面白ければ面白いほどハオという人に超おすすめのサークル。キャラクターは可愛らしいのに割と容赦ないイベントも仕込んでくるギャップもある。個人的には女キャラクターだけではなく男キャラクターも個性的に生き生きと描写されているのがとても好み。現代を舞台にした新作のアリサグリモアもすごく楽しみ。主人公のアリサちゃんの男前で腕力で解決するところが体験版遊んだ時からめっちゃ気に入っているので。
優等生のエロファンタジーRPG。女の子パーティーで冒険するという表面上(エロルート通らないなら)は女神様の森をわたしたちで守ろうというキレイできゃっきゃうふふな作品なのだけど、そこはエロRPG。道を外れれば変質者に襲われるしモンスターに負けるとエッチな展開になる。家庭教師をすれば生徒が迫ってくるし、万引きすれば肉棒制裁が下る。昂っていれば女の子同士で乳繰り合ったりもする。淫乱度でエッチが変化したりと、エロ内容的にもボリューム的にもたいへんに優等生で入門向けのゲームだと思う。
体験版ももちろんあるので、可愛らしい絵柄に興味を持てたなら遊んでみて。体験版のシーンだと風呂屋の右にいる男に何度も話しかけることで発生するイベントがエグくてよいぞ。元増田が挙げている「リコの不思議なお使い」は本作のスピンオフでパーティーメンバーの一人であるリコちゃんにフィーチャーした続編。
フリーのテキストアドベンチャーゲーム。メインがテキストなのでどっちかというと官能小説の方がジャンルが近いのかもしれない。超有名な作品なのでテキストを読むのに抵抗がなければ遊んでみると吉。
好きなシーンは契約問答じいさんとのバトルと地下世界13階の荒くれ者との戦い。
買いたいのだけど、未消化の積みゲーが溜まっているので買えていない。
性癖(誤用)マシマシ横スクロールアクション。ぶっとばし攻撃でどんどん敵を吹き飛ばしたり、キャンセル攻撃を組み合わせて無限コンボしたり動かしていて楽しいアクションゲームになっている。
エロとしてはドットエッチがすごい。まさにエロスの体現者。2コースも遊べてしまう体験版を是非やるべき。ゲーム内容には直接関係ないけど、ウディタ(Wolf Editor)でここまで快適なアクション作れるんだと感心した。
値段的にこの枠でいいのか迷ったけど、DLsite の同人カテゴリーで売られているしいいか。ダブルヒロインのベルトスクロールアクションゲーム。簡単操作で楽しく敵をぶっ飛ばしたりコンボを組み立てて爽快プレイしたりとベルスクとして普通に面白い。エロ方面としてはヒロピン全般。バトル中に戦闘員にマウントとられたり、ダメージで脱衣したりして体力がゼロになると敗北Hシーン。戦闘員にやられたり暴走した市民に襲われたり。ボイスありでヌルヌル動くぞ。自分で対位やシチュエーションをアレンジして再生する機能もあり。
女性目線寝取られゲーム。天才魔術師マジェノタは想い人の幼馴染のセロを伴い「禁書」を回収しようとクベルの首枷病という奇病が発生している街に赴く。しかしセロが病に倒れてしまい、またマジェタノも領主の馬鹿息子に遊び半分で禁術をかけられてしまい、その男に従わざるを得なくなってしまう。そして禁書を回収するために領主の息子に体を許してしまう。
彼女が知らないところで寝取られるというよりは、昏睡状態の彼氏にごめんなさいをしながら主人公がずるずると体も心も堕ちていってしまう系。とにかく主人公のマジェノタが堕ちていく様が段階的に丁寧に表現されている。白眉とも言えるのが堕落段階が進むにつれて得てしまう消せない記憶という称号。具体的に書くのが憚れれるがそれはそれは卑猥なものになっている。
絶対に満足度が高いことはわかっているが、遊ぶ時間が無い。悲しい。あと汎用エロシーンの作りがめっちゃ好き。特に射精に気が付く気が付かないのランダム分岐が実に背徳的に感じる。新作のビスカリアの解呪書が出るまでには遊ばないと。
監視カメラや携帯電話で恋人を狙っている上司の行動を邪魔する寝取られRPG。霊能会社に所属している主人公とヒロインは仕事でとある地方都市に出張することとなる。霊障を払うために各スポットを探索する必要があるのだが、霊障のせいで主人公達は同じ空間に居られない状態になってしまい探索が難しくなる。そこでそれを解消できる上司が一緒に行動することになるのだが、なんと彼女と上司が組んで一緒に行くことになってしまう。果たして別行動の彼女をセクハラ上司の魔の手から守れるのか(体験版を遊んだ範囲だとものすごく頑張らないと無理)。
本作に期待しているのは寝取られ匂わせ要素の豊富さ。上司と行動している彼女に電話をかけるが出ず後から気まずい雰囲気でかけ直してくる、ビデオカメラにうっすらと二人が映っている、エロ垢○witter に怪しい写真が流れてくる、彼女から助けを求める電話があったがその場所に誰もいない、などなどもしかして彼女が寝取られているのではないかと悶々するツボを抑えた仕組みになっている。特にアプリで閲覧できる彼女のステータス画面がすごく凝っているのが期待大。
某ハンティングアクションをフォローした純愛おあ、浮気あんど寝取られRPG。MHプレイヤーなら爆笑してしまうほどゲームサイクルを似せている。MHストーリーズまで知っているとバトルでもっと笑える。
主人公は恋人と結婚するためにユニコーンの素材を求めに田舎のギルドへ赴いたが、(選択肢により)呪いをかけられてしまい性欲上昇かつ恋人とエッチが出来ない体にされてしまう。そのため彼女以外の人と浮気エッチを繰り返してしまうが、彼女の方もなにやら雰囲気がおかしくて… 浮気エッチの内容は、村の人と普通に浮気、そしてモンスター娘に一方的に絞られるものとなっている。
絵柄が独特の可愛い系だけど世界観とマッチしているし、何より文章がエロい(当社比)。体験版遊んだ範囲だとモンスター娘のスノードロップのシーンがよかった。暖を取るだけだから浮気ではない→動かなければ浮気ではない→快楽に負けて腰を振ってしまう→死なないためと言い訳しながら朝まで浮気セックス。
どれくらい遅いのか?
わかりやすくピッチングの数値で言えば女子プロ野球の平均球速は約110km/hでした。これは中学男子野球の平均球速とほぼ同じです。
つまり女子野球はその最高峰である女子プロ野球リーグでも単純な出力パフォーマンスは中学男子レベルなのです。
女子スポーツのパフォーマンスが低いなら高校男子野球が観戦され続けるのはおかしいという主張をしている人が居ましたが、女子野球に限っていえば高校男子野球のパフォーマンスにすら届きません。
おそらく前述の主張をした人は女子野球は女子プロ野球であれば少なくとも高校男子野球並みのパフォーマンスはあるだろうと期待を寄せての主張だと思うのですが現実を見れば高校男子野球未満です。
女子プロ野球リーグは2度失敗しています。
1度目は日本女子野球連盟(日本女子野球協会)、2度目は日本女子プロ野球機構です。
せっかくプロリーグができても失敗するという実績を作ってしまったのは女子野球の存続へ尾を引いていると言わざる得ません。
ちなみに女子アマ野球はNPBの支援を受けて何とか存続している状況です。
これは男子プロ野球に憧れる少年少女から世界大会野球程度は観るよという大人へ至るまで日本人の持つ野球観戦眼は相当に肥えています。
前段のあらゆるパフォーマンスが遅い女子野球も肥えた野球観戦眼で観るからそう見えるのです。
女子野球をほとんど観戦したことのない方は「女子プロ野球なら言うて高校男子野球レベルのパフォーマンスがあるやろプロなんやし」と思ったかも知れません。
そのように期待して観に行った女子プロ野球の蓋を開けてみれば中学男子野球レベル、言ってしまえば子供の野球を見せつけられるわけです。
攻撃側でセーフになるはずがアウトになる、守備側でアウトになるはずがセーフになる、打てるはずの球が打てず、捕れるはずのボールが捕れない、野球観戦眼が肥えた人たちの目にはそう映り、期待値が高校男子野球な分あまりのパフォーマンスの低さに愕然とするわけです。
この様な野球を男子プロ野球に憧れる少年が観ますか?甲子園に憧れる少女が観るでしょうか?
観ないんですよ、高校男子野球にすら届かない野球を大多数の野球ファンは観ないんです。
これが女子野球の現状です!女子野球を観戦したこと無い人は実際に女子野球を観戦して現実を直視して下さい!
あなたたちの思い込みが女子野球は高校男子野球並みだという誤った偏見を生んでいる!
誤った偏見を持っているからこそ女子野球が解決すべき問題点をピックアップすることに誤りが出るんです!
女子野球は健全野球派で居たいのであれば少なくとも最高峰だけは高校男子野球へ常勝するレベルへ到達する必要があります。
それでは女子野球人口を増やせないと言うのであればロマンス・ブルーバードのように興行野球の容認も辞さないという姿勢が必要でしょう。
私は女子野球観戦者として、元女子野球選手として、女子野球指導者として女子野球への現実を伝え偏見を無くし更なるパフォーマンスレベルの向上が女子野球普及へのカギだと皆様へお伝えしたいのです!
これが女子野球だと、これが女子スポーツだとお伝えしなければならないのです!
有機農業って要は農薬を使わない農業だろうけど、農薬ってめっちゃ有機物じゃん。
と思って少し調べました。
化学界隈における有機化合物(organic compound)、無機化合物(inorganic compound)の定義は以下になる(wikipediaより)。
高校受験の理科で、様々な物質を有機物、無機物に分類する問題があったことは覚えているだろうか。
有機化合物はたとえば、人々が目にするもので言えば、医薬品、農薬、アミノ酸・タンパク質・糖・ビタミンなどなどから成る食品、香料、石油、プラスチック、ゴム、繊維など。塗料、化粧品、洗剤なども有機化合物からなる。
無機化合物の例は、身近なものだと、金属製品、宝石、ガラス、セメント、セラミックス、半導体、電池などでしょうか。
「有機農業の推進に関する法律」による有機農業の定義は以下のとおりです。
goo辞書より
ふむ。どうやら「有機」という言葉を有機化合物と同義で使うことは化学者の傲慢だったらしい。
wikipediaの有機化合物の欄に詳しい解説が書いてありましたね。
有機化合物、無機化合物という用語が生まれた18世紀末より前にも、有機体 (organisms) という言葉は存在し生物と同義で使われていた。今でいう有機物は、当時は生物の付属品と考えられていた。
18世紀末、イェンス・ベルセリウスは物質を生物から得られるものと鉱物から得られるものとに分け、それぞれ「有機化合物」「無機化合物」と定義した。
後に、当時有機化合物に分類されたものも人工的に合成できることが発覚し、定義を「炭素を含むものを有機化合物(一部例外あり)、それ以外を無機化合物とする」と修正された。が、本来「有機(organic)」には「生物の、生物由来の」といった意味があるのだ。
だから「有機農業」を生物由来の肥料だけを使った農業の意味で使うことは本来何も間違っていないのだ。
エセ科学っぽいからという偏見で間違った意見を持っていた。化学者の側が言葉の意味を曲げて使ってしまったのだ。
なるほど、以上の意味を考えても、本来の意味は、有機とは生物っぽいことで、無機とは生物っぽくないことなのだ。化学者の側が言葉の意味を曲げて使ってしまったのだ。
こういう、ある言葉の一般的な用法と、科学的な用語としての用法にずれが生じてしまうことって結構あるよね。新しい概念を定義する際に既存の言葉で運用してしまうからでしょうかね。科学用語は定義が厳密だが、一般用語は定義よりもイメージが大切だからね。
法律用語もこういったことが多いイメージ。例えば法律でいう「少年」は一般で言う少年少女を指すらしいじゃん。
という訳で、「有機」とは本来は「生物由来の」を指す意味であり、それゆえ生物由来の農業、というニュアンスで合成肥料を使わない農業を有機農業と呼ぶことは間違っておらず、化学界が定義した「有機化合物」の方が後釜であり、本来のことばの意味からはずれているのだ、という結論を知ったところで終わりにします。
私は今日もまた一つ賢くなれました。
引用の書式を修正しました。はてな記法を知らず、blockquoteタグでいけるかなと思ったらいけませんでした。ご指摘ありがとうございます。
と、自民党支持者から揶揄されたら旧民主党支持者はどう感じるのだろうか?
一体何を言ってるのかと示せばこれだ。
akutsu-koumi やるなら会場はニューオータニ、飲食物の提供はサントリー、生前親交が深かった統一教会の関係者も招いて盛大にやればいい。勿論領収書は一切不要。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4722295581686297186/comment/akutsu-koumi
私は今までこんな発想をしたことなんて無かったよ。
ID:akutsu-koumi氏は理解していますか?あなたの悪意が私にこんな邪悪な発想を生む切っ掛けを与えた。
こんな発想は邪悪だよ、間違いなく邪悪だ。
誰にも擁護できない私自身擁護したくない最低最悪の人として、人の親として、既婚者として、社会人として、上司として、友人として、どの視点から見ても絶対に正しくない発想なんだ。
あなたは安倍晋三によって悪意を発想させられたのかも知れない。安倍晋三は悪意の発生装置なのかも知れない。
ならばあなたは安倍晋三とまったく同じじゃないか!それがあなたが望む希求する得たい評価なのか!
目指す社会なのか!国民の姿なのか!正しき政治なのか!
そうじゃ、無いだろうがぁ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
あなたも私も間違ってる。悪意をぶつけ合うなんてやめようよ。
あなたへ懇願しよう、土下座しよう、悪意をやめて欲しくば10万円支払えと言うならば私はあなたに10万円支払おう。
私はそうであることが許されるのならば少年少女が憧れるような立派な精神性を持った大人で居たいのだ。
頼りがいがあって、優しく、いつも笑顔で、自信に満ち溢れ、面白く、まるでヒーローのような大人になりたいと今でも少年少女のように願い目標にしているんだ。
いつかの少年少女だったID:akutsu-koumよ、それはやめよう!
id:mats3003 APAホテルが新宿地域で年確を必須にして、カードでの無人チェックインを停止するだけで、トー横の一部はいなくなると思うんだがね。歌舞伎町はキッズが集まる環境が整いすぎてるのが、他のエリアと違う。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4720812029387104290/comment/mats3003
sirobuさん がスターを付けました。
touhumogさん がスターを付けました。
six13さん がスターを付けました。
uxoruさん がスターを付けました。
tourism55さん がスターを付けました。
びっくりしちゃった。本文のつらい環境にある少年少女の悲痛な思い読まなかったんだろうか?
APAホテルや他のホテルが未成年者を追い出せばトー横は無くなるって言ってるんだけど。
数少ない居場所から見えないどこかに追い出して何がしたいの?虐待された少年少女なんてメンタルすり減らして死ねばいいんですかね。
壁ドンって概念を思い出して欲しい。ああいうのは海外では Sexual Aggression 扱いになるけれど、元を正せば壁ドンは少女マンガが起源だったのではないかな。
いわゆる黒イケメンは現実ではシンプルにDV野郎だが、少女マンガではそのポジションはとっくの昔に廃れたのか? そうではないだろう。白イケメン黒イケメンの対比以前に、実社会ではそもそも選択肢に入ってこないソイツが、いまだにフィクションで幅を利かせてる現実は否定できまい。
はてブでは建前的に批判される傾向があるが、フィクションが現実の価値観に影響を与える側面は確かにある。少年少女は判断力が未発達だから、鵜呑みにしてしまうのはむしろ自然だろう。性教育だけで悪影響を相殺するのには限度がある。
欧米ではハッピーセックス、日本ではイヤッダメッ。 原因は明らかだと思うがね。海外に少女マンガは実質的に存在しない。アップデートが足りてないのは、どちらの側か。