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はてなキーワード: 嘲笑とは

2021-02-11

馬鹿から作業手順も守れない。

作業の一つ一つを丁寧にできない。

それをなじられるのは仕方ない

程度が行き過ぎだと思っても反論できる余地はない。

間違えたのは自分だし、言い訳は全部「ちゃんとやれよ」で封される。

馬鹿から溜まった気持ちの出し方が分からない。

人の代わりに自分を責めたらもっと嫌な気分になった。

キレたら「何キレてんだよ、原因はお前だろ」で悪者自分だ。

誰かの命日に今日自分は生きる。

馬鹿から死ぬのが怖くて死ねない。

どんな小さな一歩も自分には綱渡りだ。

もう正解なんて何もわからない。

相手の気分次第だ。

馬鹿からもう意思なんてない。

相手が答えの全てだ。

間違ってても指摘しない。間違えに気付いても「言えよ」って言われても言えない。

馬鹿から何か言っても理解されず、バカ言葉は重ねても通じず、不快感を与え、怒りを生む。

怒りは自分に返り、焦った自分はまたミスをする。

深呼吸なんかはコロナの前では危険行為だ。

そして怒声、嘲笑、落胆。

全てが相手依存する馬鹿にはダメージだ。

このスパイラル現実

夢も希望も諦めて、1時間後を生きる

1日が終われば、次の日を思う

ヘラつくことで回避して来た人生馬鹿になった人生

生き方がのチョイスが馬鹿だったと思う

馬鹿になれ。

馬鹿にはなったが、これは違うらしい。

2021-02-10

なんでサイコパスじゃないんだよ

サイコパス」って言葉は、理解できない残虐な悪事をした悪人に対して

良心のない、普通人間とは全く違う精神構造人間だ」と思いたくて生まれレッテル貼りではなかろうか。

実際は信じられない残虐非道なことをした人間でも、殆どサイコパスではない。時に優しさや正義感を見せる。

から、腹が立つ。だから、胸糞悪い。

少なくとも私は、私や大切な人に平気で酷いことができる人間サイコパスであってほしい。

実際は全然違う。

肉体と精神を踏み躙る残酷いじめをして嘲笑った奴が。

女性レイプして一生トラウマ人生破壊しておいて平気な奴が。

子供オモチャにして粉々に壊して笑う毒親が。

SNSでは普通の発信をしている。

家族恋人に愛を語っている。

可愛い猫を愛でている。

映画美談に感動している。

正義を語り悪を批判している。

何故、被害者達にはその、優しい普通人間でいなかった!?

自分には、被害者には、その価値はないとでもいうのか!?

ふざけるな!!せめて、血も涙もないサイコパスであって欲しかったのに!

どうしてサイコパスじゃないんだ、ふざけんなよ!!

ヴィーガンの人が「ドミニオンという映画を見ても肉食する奴はサイコパスだ」と言っていた。

彼らの気持ちがわかるような、「私達はあいつらと同じなのか」と認めたくないような気がして、また悲しくなる。

2021-02-09

anond:20210209032656

鳴神裁さんの、夢月ロアさんと金魚坂めいろさんについての動画を改めて視聴した。

最初のほうで、キャラ被りを気にする人がいるのもわかる、と、

から見ればロアさんの言い分とわかるもの理解を示している。

いじめについては、「ともとれる」という留保がつけられている。

金魚坂さんを契約違反で辞めさせることにするならば、

その契約違反に当たる行為をロアさんもしているので、

ロアさんにお咎めがないのはおかしい、と述べている。

最後に明らかに演技がかった口調でいちから運営に対して嘲笑的なことを述べている。

2021-02-08

anond:20210208000610

サザエ自分フィールドで長話してるだけじゃん

会社で99人のおっさん嘲笑されながらじゃない

2021-02-07

読書で豊かになれる人、なれない人

前置き

私が小学校図書室に足しげく通い始めたのは上級生にいじめられてからだった。

何人かの同級生と校庭でサッカーをしていたところ、上級生がやってきて遊びに混ざった。

私はキーパーを任じられた。

小学生にはゴールポストは大き過ぎた。チビだった私にボールを止める力などなく、相手チームはどんどん得点した。

私が守っているゴールポストに近づいた上級生は、みんな揃って私を罵倒してからシュートを決めた。

我慢できなくなった私はその場から逃げた。泣きながら校舎に向かって走る私の背後から嘲笑が聞こえた。

以上が私が図書室に入り浸る原因になったイベントである

内面の豊かさ」とは?

読書は心を豊かにする」などと言われる。個人的体験を振り返ると、当てはまらない人間もいると私は思う。

実際、私は小学校4年生くらいか図書室で本を読む習慣ができたが、それ以前と以後を比べると以前の方が楽しかったように思う。

図書室で一人読書に耽るよりも、校庭を駆け回っていたころの方が生き生きとしていたと思う。

読書無駄行為だとは思わない。ただ、読書をすることで心が乾ききってしま人間もいると言いたいのである

聖書からラノベまで様々なジャンルの本を読んだが、特に満たされた感覚はない。むしろ自分限界を知り空虚気持ちにさえなった。

学生でなくなってからも私は地元図書館に通っている。本が身近なところにないと落ち着かないし、不安感にも襲われる。

これが「豊か」なのかと自問してみるが、そうでないことは明らかである

きっと私は読書に向かない性分なのだろう。

最後

長々と書いたが、これは私の個人的体験であり、普遍的ものではない。

から読書を楽しめる方は(私が言うことでもないが)引き続き本とともに有意義生活を送っていただきたい。

記事読書で豊かになれなかった人間経験談として読んでいただければ幸いである。

anond:20210207184332

フリーチベットは「ネトウヨのお遊戯」と嘲笑して何もしなかった人々が、東京五輪に反対する人々だったりするんだよな。

森元女性差別発言東京オリンピック返上することになったら

組織委員会会長女性差別発言が原因でオリンピック返上した空前絶後の国」として永遠に語り継がれるわけだ。

日本人外国に行ったら「ああ、あの差別思想オリンピックが消えた国の……」と嘲笑の的になる。

ネット民は喜ぶけどオリンピックが消えて喜ぶのは日本ネット民だけだからね。

これでいいのか?もっとスマート東京オリンピック廃止する方法はないのか?

2021-02-04

よぼよぼじいちゃんの森総理を見るのがつらい

当たり前だけどすごい老けてるよな、もう83歳だもんな。

そんなよぼよぼ爺さんの人が不用意な発言をして批判、というより「またコイツなんかいってんぞ」って嘲笑まじりに叩かれているのが辛い。

顔の老けっぷりとか、いつ死んでもおかしくないようなおじいちゃんのものなんだもん。

人間性とかもはやどうでもよくて、よぼよぼのおじいちゃんが叩かれてるの見ると反射的に胸がキューっとなる。

フェミニズムが死すべき理由

 15歳のときベル・フックスの「フェミニズムはみんなのもの情熱政治学」を読み、それが私のバイブルになった。そこに書いてあったフェミニズム説明を読んだだけで、それが世界を変えるとわかった。地元図書館にかろうじてあったフェミニズム書籍コーナーに潜り込むや否や、 牟田一恵や田嶋陽子世界に浸りこんだ。私が進学先の大学を選んだ理由は、その時すでにTwitterで名を馳せていた北村紗衣先生が教鞭をとっていたからだし、ジェンダー論の授業があるからだった。大学を出て最初についた仕事では社内セクハラの撲滅に従事し、プライベートでもTwitter消費者運動を通じて、男女差別と戦ってきた。ほぼ十年、このために使った時間は知れない。

 何が言いたいかというと、フェミニストを名乗れる人間がいるとしたらそれは自分だということ。九州田舎で育った孤独ティーンエイジャーにとって、フェミニスト冒険譚を読むのは震えんばかりの興奮だったし、目を見開かされる思いだった。周囲にこんな人は見た事がなかったけれど、ネットを通して自分と似たような人が他にいるとわかって希望が生まれた。大学に通い始めてからは、フェミニストでいることにひねくれたプライドもつ人を他にも何人か発見した。けれどそれはまだ珍しかったし、社会の主流な考え方からはすっかり外れていた。だから、なぜせっかくそれなりの企業就職した自分が、社内恋愛の末の寿退社ではなく、男受けの悪い反セクハラ活動血道を上げているのか、誰も本当にはわかっていなかったし、私はフェミニストだと言うと、ほとんどの人が眉をしかめた。月日を経て、私は同じ志を持つ仲間の輪を少しずつ広げた。職場教育、そしてマンガアニメなどの趣味世界。それぞれの世界活動する私たちを、フェミニズムが互いに引き寄せた。そんな仲間の助けがあったから生き延びる事が出来た。けれど仲間を探すのは難しかった。私たちはまだ、社会の中で傍流だったのだ。

 でもこの十年、状況は様変わりした。映画ドラマフェミニズムに則って制作されるのが当たり前になった。アナ雪や逃げ恥を通じフェミニズムは恥ずかしがらずに誰もが楽しめるものになった。

 そして、たぶん一番重要なのは、今やフェミニストはカネを、そして権力地位をも持っているということだろう。世界で一番大きな、そして一番勢い良く成長している企業女性配慮し、女性を雇っている。日本大企業や省庁も女性差別をやめ敬意を示すようになった。強い女性はかっこいい。私たちは勝ったのだ。

 そして、そこに問題がある。私たちは未だに自分達が反乱軍かのように振る舞っているけれど、今やフェミニズム帝国だ。十年前までは私たちはおおむね正しく、批判的外れで間違っていた。だから他人に耳を貸さな私たち習性は深く根付いている。それどころか、フェミニストに向けられた批判スクラムを組んでやりかえすのが絆を深めるためのちょっとしあ儀式になってすらいる。今までは誰かの批判攻撃するのも、かつては大したことではなかった。一握りのフェミニズム親和的な人以外にそうした論考が読まれる事はなったからだ。そんな内なる声も、今や大きな問題になっている。フェミニストが本当の権力を振りかざしているからだ。キズナアイラブライブポスターへの攻撃、宇崎ちゃんポスターにまつわる献血ボイコットは、フェミニストの私にとって恥ずべき出来事だった。けれど恐ろしいのは、その暴力的な振る舞いが、フェミニスト界隈に常在する何かと同じ感じがすることだ。それでいいという空気があることだ。ただ驚くしかない。その空気はあっという間に、誰かが大切に育ててきた営みを、無造作に叩き潰すほどに膨張した。ファミリーマートのような主流の大企業ですら、私たちの突きつけた理不尽圧力に巻き込まれている。今や私たちは、「自分反乱軍だと思い込んでる帝国軍」なのだ

 だから日本は未だ後進的な男性社会で、私たちフェミニストはそれに反抗するレジスタンスであり、いつの日か勝利するだろう」みたいな、フェミニスト界隈の通奏低音はすごく違う感じがする。たしか私たち女性は、かつては家父長制にいじめられたり、大企業無視されたりしていた。でもそれは、私たちにカネも力も無かった頃の話だ。今や私たちには権力があり、日本資本主義社会私たちを標的にするのではなく仲間とみなすのやぶさかでない。20年前の男性社会私たちお茶くみや家庭に押し込めようとしていたけれど、今や私たち仕事学術に家庭に多くの選択肢を持つ一方で、文句も言わずに黙々と経済的後ろ盾になってくれている。

 フェミニズムの愛すべき要素の一つに、共感連帯を大切にするという価値観がある。誰かが泣いている時、証拠事実検証は、大抵役に立たない。いの一番に、「私もあなたのために怒りたい」と表明し、それを実行しなければ社会は変わらないのだと、痛い目に遭いながら学んできた。これはフェミニズム界隈を通底するルールだ。誰かが被害を表明すれば、ただちに飛んでいって守り合う。客観的データに基づく結論は、提示するのに時間がかかるし決まって歯切れが悪い。だからスピード攻撃力が高い「お前は差別主義者だ。私は傷ついた」と言い切る思い切りが習慣になる。

 なのに、フェミニスト自分たちの共感埒外にある人々へ示す冷酷さには、思わず目を丸くしてしまう。知りうるほとんど全てのフェミニストが、自分より年収の低い男性や、性的魅力に乏しくオタク文化に逃げている(と見なしている)男性嘲笑し、あるいはそういった言説を窘めもしない。逆に高学歴高収入男性や、容姿に優れるなど性的魅力が豊富タイプは、あらゆるレトリックを用いて養護し、倫理的お墨付きを与える。収入学歴容姿共感駆動するフェミニズムは、これら男性ステータスに対してどこまでもプリミティブな接し方をする界隈だ。フェミニズム世間を席巻し、プレイヤー絶対数が増えるにつれ状況は悪くなっている。

 解決策を知っているというつもりはない。けれどどこかで何かが間違っていると意識することはできる。現に私より若い世代では、女性たちの間ですらフェミニズムへの忌避感が広がっていると感じている。しか私たち現役フェミニストは、フェミニズム忌避する女性に対してどんな態度をとってきただろう?ここで口にするのも憚られる、卑劣言葉を投げつけては、仲間内での連帯を高めてきたのではないか?こう想像するのはおかしな事だろうか――この深く根付いたクソっぷりが、若い世代を遠ざけているのでは?

 あたりを見回すと、私たちが育ててきたフェミニズムが、自由への革命から威圧的権力へと姿を変えたのがわかる。私たちは確かに素晴らしいものを生み出した。けれど私たちは不注意で、普通の人々を傷つけないための安全策を怠った。私たちは不注意で、未来フェミニストたる多くの若者たちを成長の各段階で追い出してしまった。私たちは不注意で、世界アップデートしたとき失うものがある人を気にかけなかった。いい目を見る人のことをだけを考えていた。(だいたい自分達のような人々だ。)

 古い世代の連中より高潔でありたいと、いつも願っていた。けれど蓋を開けてみれば、力不足ゆえに無害なだけだった。体に染み付いた被害意識は、私たちいじめ行為に至る際の非道言い訳と成り果てた。

 だから言いたい。フェミニズムは終わりにしよう。フェミニズムは素晴らしいことを色々してきたけれど、今のフェミニズムは歪んだ復讐心暴力衝動に駆り立てられる怪物だ。まともな答えは、これを終わらせてもっと良い何かを作り出すことしかない。

 もっと良い何かとはどんなものだろう?私たち攻撃したラブライブには希望を感じる。私たちが巻き込むのに失敗した若い世代女性をはじめから取り込んでいるからだ。どんな未来が来るにせよ、私たちは良き人物になることを重視する必要がある。今までよりずっと。

 弱さへの憎悪と、強いものへの阿諛追従は終わらせなければいけない。これはフェミニズムとあまりにくっつきすぎている。だからこの星からフェミニズムを消し去るしか、確かな方法はないと思う。

歌い手鋼兵=全荒らしと同一人物説の闇がかなり深いので経緯を解説

記事

anond:20210131152928

かつてニコニコ動画の一部で人気を掴むも度々炎上騒動を起こして引退した元人気歌い手鋼兵氏にはある陰謀論が囁かれていた。

彼の正体は実はネット史上最大規模の荒らしであり、古今東西存在した各所の荒らしやクソコテはほぼ全員が彼と同一人物だったというものだ。

ネットウォッチャーとして情報を追っていた人間の一人なので経緯とかもう少し詳細に書いてみるよ。

陰謀論者が想定する鋼兵像まとめ


勿論そんなわけがないので普通鋼兵アンチとは別にこの陰謀論提唱する人間は基本統失扱いされ、なんJ等では『鋼兵民』として嘲笑されている

ちなみにネタ書き込みとかでなく各所にまとめ動画や大量のまとめwikiが作られたりして今も粘着され続けている

実際の経緯

便宜上名義は一部統一してる。時系列も若干前後あるかも。ただ大筋はあってると思う。

あくま陰謀論の経緯をまとめていたもの鋼兵氏の炎上騒動や各クソコテ荒らし行為を擁護するものではないというのは留意して読んでほしい。



ニコニコの人気歌い手鋼兵、度々炎上騒動を起こし引退を発表。

アンチも相当な数作ったので引退後もアンチスレはそこそこ盛り上がり続ける。

ある日、歌い手鋼兵アンチスレにいた名無しの荒らしが「私は実はF9(有名荒らし)と同一人物だ」との旨の書き込みをする。

鋼兵アンチスレ存在する荒らし=本人の自供が「決定的証拠」として扱われF9鋼兵という陰謀論鋼兵民が広めだす。

しかしこの荒らしは表面上は当然単なる名無しであり、鋼兵がかつて使っていたトリップが一致していたとかbeログインしていたとかそういう紐付けが何一つない状態なのだが、

この辺りの裏付けは一切ない状態にも関わらず「鋼兵アンチスレを荒らすということは鋼兵本人に違いない」ということにされる。

鋼兵民、

「このクソコテとこの荒らしは書き込む時間帯が連動している」

「クソコテ同士がTwitter相互フォローになっている 同一人物説が濃厚」

「このクソコテとこのクソコテは両方猫が好きという特徴が一緒だ」

という統失丸出しのこじつけ古今東西荒らしを次から次へと同一人物認定していく。

徐々に全体像が膨らんでいき、「ネット上に存在した100人以上の全荒らし鋼兵と同一人物である」というモンスター級の像ができあがる。

また別の日、自称鋼兵鋼兵アンチスレ降臨自分本名・住所とその証拠だという画像投稿

これが「本人が書いてるのだから事実に違いないだろう」という扱いになり、本人とされる住所や本人にポスティングなどの物理嫌がらせが広がる。

自分の住所を特定して嫌がらせしようという旨のスレに何故本人がわざわざそのような投稿をするのか?」

という疑問は当然出てくるが、その辺りを突っ込むと本人認定されだす。

鋼兵民、連日嫌儲なんJ増田に「同一人物で確定!」という旨の内容を書き込み、各種wikiサイトに大量のまとめwiki作成し、ニコニコにもまとめ動画投稿する。

内容は言うまでもなくほぼ妄想で、裏付けとなる情報は一切記載されていない(あっても上記レベル)が、

何も知らない5ちゃんねらーニコニコユーザーにはそれっぽく見えるため一時期かなり広まる。

後日自称鋼兵と名乗る謎の人物が「自分F9や( ○ ´ ー ` ○ ) はスバシイ、ヘアプア、糞虫小僧等(各所の有名クソコテ)と同一人物で、wikiにある内容はほぼ事実だ」と認め謝罪する。

鋼兵民の間では「本人が自白した」とされ、加えて「本人は引退しているとはいえ嘘だったら黙っているわけないか事実に違いない」というエクストリーム理論でまたもや「決定的証拠」とされる

鋼兵民、ハセカラ民を味方につけようとなんJ関連のwiki鋼兵=ネット中の全荒らしと同一人物説の陰謀論掲載しようとするも、荒唐無稽な内容のためハセカラ民に証拠提示を求められる。

当然何も答えられない上に疑問を示すハセカラ民に「鋼兵乙」「本人が否定してないのだから事実に違いない」などと統失丸出しの発言を喚き散らすため、面白がられてここから鋼兵民』という蔑称がつく。

鋼兵民、言動面白いと知れ渡ったため「鋼兵歌い手時代の行いを批判するアンチ」とは別に

古今東西の全荒らしは全員鋼兵と同一人物とか言ってる統失患者」を笑うために鋼兵民ウォチスレが別途立つ。

拡散されたまとめwiki等の実態もこの辺りから個人統失患者過激派鋼兵アンチが極少数で作っているものとの認識が広がる。

鋼兵引退撤回Twitterなどでの活動を再開する。

「黙ってたら頭おかしい奴にネット中の全荒らしと同一人物ってことにされてヤバかったわ」という旨の記事投稿し、当然全ての風説を否定する。

ガバガバなりにも「本人による自白謝罪」を拠り所としていた鋼兵民に対し「じゃあ今まで謝罪とか自分の住所投稿とかしてたあいつは誰だったんだよ」と当然ながら突っ込みが入り、鋼兵民の間で衝撃が走る。

現在鋼兵民は「各クソコテ鋼兵本人が生放送で共演でもしない限り否定したとは言えない」とか「俺達を陥れるために矛盾した情報鋼兵本人が流しまくっていた」とか妄言をのたまい続けている。


増田ニコニコなど関係性の薄い掲示板では「100人以上はないにしても( ○ ´ ー ` ○ ) はスバシイF9=鋼兵くらいまでは事実なのでは?」という認識を持っている人間もいるようだが、調べればわかるが実態はその時点からガバガバ理論こじつけられている。

住所や本名もこのような経緯なのでまあ十中八九妄想だと思われる。

現在ネットの各所には鋼兵陰謀論については多くのwiki存在するが、基本は上記内容をガバガバ理論でまとめているものである

ちなみに現在鋼兵アンチスレはかなりの先鋭化を極めており、

平日昼間からスレ支配している統失陰謀論に疑問を投げかけた各所の書き込みIDをまとめて同一人物リストを作っていたりVTuverスレに湧く商業スパム自分書き込み時間と連動しているからこいつは鋼兵だと毎日こじつけていたりとかなりカオス状態を極めている。

これがハセカラ騒動と大きく違うのは、あちらは「意思を持ったそこそこの人数の愉快犯集団によるもの」であり、道義的には完全に間違ってるのだが一応理路整然とした思想のもとに動いていた。

一方鋼兵騒動は「(恐らく)精神疾患患者の極少数人が積極的に動いたもの」で、似たような問題でも実態は大きく違うものと思われる。内容に裏付けもなければ、その言動支離滅裂を極めている。

恐らく、この記事を書いた自分も彼らに見つかったらその瞬間鋼兵という陰謀の一部にされてしまうのだろう。


狂人であっても馬鹿であっても行動力ある個人が全力で情報を発信するとこんな感じになっちゃうんだなあって、なかなか面白い経緯なのでまとめてみたよ。

鋼兵民さん、もし反論あったら全然受け付けるのでトラバよろしくねー。

2021-02-03

anond:20210202230511

Most ugliest woman嘲笑われてでもその動画を今でも見てそれでも自分は美しいとモチベーションを上げてるLizzie VelasquezのTEDトークでも見て改心するといいと思う。Lizzieはイケてるパートナー結婚したぞ。

anond:20210203022815

そうでしたか

さっきのぼやきは、嘲笑好きの人々につい反応する癖なのでお気になさらず。

2021-02-02

俺にマウントを取って来るやつはすべからくおかし

勉強法について指針をこうしようと思う。これについてどう思うかアドバイスが欲しい

と書けば、お前はテキストすら読み込んでない。つまり最初からテキストをやり直せと見当違いのことを言われたが

結果はどうだ。そいつ意見を聞かずに自分の当初の考えを貫いて新しい問題集を買ってより多くの問題に触れることによって無事に合格した

無論、その間にテキストを開き直すことはなかった。そもそもテキストレベル知識は備わっているから開く必要もなかった


はてなチラシの裏代わりにして日記を書いてみたらどうだ

何が言いたいのか分からないと書かれていたが、言いたいことなんかない。単にチラシの裏駄文を書く感覚で書き捨てただけであって

そこに主義も主張もないのだから、言いたいことが分からないのは当たり前だろう。むしろそこから何を読み取ろうとしてるのか不思議である


文章を斜めに読み、俺という人物分析して、よくわからない人物像を作り上げて、その虚像に対して攻撃を仕掛ける

という一連の行為をしているネット民を見る度に不思議しょうがないのだ。こいつらは一体誰と戦っているんだろうかと

断片的な単語から自分にとって都合の良い悪者を作り上げて叩いてる様はなんというか、あまりにも滑稽に映るのだ

一歩引いてそいつらの反応を見ると、全員どこかズレているのだ

俺という人間を見ているようでその実、俺のことは見えていないのだ。それぞれが俺の後ろに架空悪者を作り上げ、そいつに向かって石を投げているのだ

俺の視点から見れば、俺に向かって石を投げているように見えるので、時には反撃もした。するとどうだろうか

あいつは反撃してくるから悪いやつだ。やっつけろと周囲を巻き込んで更に騒ぎ立てるのだ。何を言っても否定される様はもはや魔女狩りである

当然ながら、信頼に足るソース元がある時はそれを明示したうえで反論をした。しかしそんなもの無意味である

こちらがいくら相手言葉に応えようと、相手聞く耳を持たないのだ。都合が悪ければ黙殺するだけだから

考えてみれば当然である相手目的は(架空の)悪者を退治することであって、悪者と話をすることではないからだ。いわゆる勧善懲悪の展開以外は受け入れる気がないのだ


最近相手にしたところで得の一つもないと学んだので、変なのが視界に入った瞬間にページを閉じることにしている

もしくは変なのが視界に入るだろうと予想できた時点でページを閉じて自分の中のほとぼりが冷めるまで待つことにしている

ちなみにこれを別の場所で書いたところ、「それって逃げてるだけじゃんw」と嘲笑されたこともあるが、逃げてるから一体なんだというのだろうか

そもそも勝負事ではないので、勝利も敗北も逃げもクソもないし、強いて言うならば俺は俺が不快に感じなければそれで構わないと思っているので

見ないという選択肢を取った時点で俺の勝利条件は満たされている、つまり恒久的に敗北することはないと言えるだろう。おわり

[] #91-10「13人の客」

≪ 前

「私は関係者であるがゆえに、その言葉には意味を持ち、人々は耳を傾ける。その言葉主観的であろうと客観的であろうと、個人的であろうと公的であろうと」

込み上げてくる違和感の正体を突き止めるのは早かった。

いや、むしろ遅かったのかもしれない。

コンビニ業務について語れば私はコンビニ関係者だ。ブラック企業について愚痴を吐けば立派な会社員といえよう。踊れなくてもいいのならダンス関係者だってなれる。直接的に関係がなくても、少なくとも、その場において私は関係者なのだよ」

こいつが挙げている例はテキトーじゃない。

実際に、俺の身に起きた出来事だ。

まさか……あの変な客たちも、あんたの息がかかっていたのか!?

「息がかかっているというのは正確ではない。あれもまた関係者。私であり私でない存在

体中の産毛が逆立つのを感じた。

全く共通点のないバラバラピースが無理やり繋がったようだった。

たが繋がったというだけで、完成した絵が何なのかは未だ見当がつかず、それは意図的に怖く描かれた絵画よりも遥かに不気味に見えた。

「やっぱりそうか、最初から変だとは思っていたんだ」

「“最初から変だとは思っていた”か……くっくっく」

そいつは俺に背中を向けると、肩を上下に震わせた。

かに漏れ出てくる吐息から、明らかに笑っているのが窺える。

「つまり君は“半信半疑”で、“話半分”で今まで聞いてきたのだな」

「そうだ、それの何がおかしい」

自分には関係のない話を“半分も信じて”おいて、“半分も聞いて”おいて、それで何人も対応してきておいて、この期に及んで“最初から変だとは思っていた”と言い出したのだ。自分は冷静に振舞えていて、客観的情報を精査できているという驕りがなければ、絶対に出てこない言葉だ。これが笑わずにいられるものか」

こちらを見透かしてくるような嘲笑だった。

実際、俺は今まで珍客たちの素性を疑ってはいもの所詮“疑っているだけ”に過ぎなかった。

その疑いは、俺に何の影響も及ぼさない。

信じていようが疑っていようが、話をどれくらいの割合で聞いていようが、同様の接し方をしてきた。

だけど、それも含めて奴らの思う壺だったわけだ。

「一体、何の目的でこんなことを……」

「聞いてどうするのだ。そんなの君にとって、どうでもいいことだろう。それが真意であるかどうかすら君には分かりようがないし、分かることが可能だとしても、君はそのために労力を割きたくはないだろう」

そう吐き捨てるように去っていくと、“13人の客”は二度とこのビデオ屋に来ることはなかった。

結局、奴らは何がしたかったんだ。

俺が気づいていないだけで、何か重大な秘密が隠されているのだろうか。

いや、そうだったとしても、この出来事は俺にとって“盛大な冷やかし”でしかない。

たぶん奴等は、今もどこかで手を替え品を替えて、俺みたいに耳を傾ける人を冷やかし続けているのだろう。

(#91-おわり)

2021-02-01

https://anond.hatelabo.jp/20210131195014

先行者は笑ったけど、それと中国に先を越されるとかとどう関係あるの?

先行者面白いのと中国嘲笑うのとって全然繋がらなく無い?

パンジャンドラムに笑ってもイギリス尊敬している事には変わりないのと同じで

anond:20210131195014

人を嘲笑う暇があったらXiaomiの株でも買っとけよ

anond:20210131202155

てか歌詞主人公はすでに社会人大人よね

その時点で「子ども大人を叱る歌」って解釈は単純におかし

その上で社会人(多分ブラック企業リーマン)の憂さを現役JKが歌ってるってところがかなりの嘲笑ポイント

広く聞かれるようになってネガティブコメントが増えるのもそりゃそうだって

「うっせぇわ」への反応を考える

「うっせぇわ」という曲が話題らしい。

かなり大きなヒットとなっているらしく、ついには近くのラーメン屋にその音が流れだす始末である

その時は、

「あのサビの不協和音とかが聞き手にとって良いアクセントになっているのだろう」

と、

音楽素人風情がもやしを頬張りながら感じた程度であったが、どうやらそれどころではなさげな感じだ。

その現状は

・高い再生

地獄コメント欄

SNSでの煽り

・5chでのマイナス評価

曲名の改変による罵倒

等々々が物語っている。

特に問題となっているのは歌詞らしい。

かなり直接的かつ攻撃的にみえものであり、厨学二年生的な全能感と痛々しさに溢れているような歌詞である

大学生自分ですら「こういった時期あったなぁ」とか少しノスタルジックになってしまった。

歌詞を見る限りは、

いわゆる難関大学卒業した「社会優等生」がルサンチマン拗らせてコンプ発症しました

といった感じのシチュエーションだろうか?

もしくは、

いじめられっ子が内心でマウントをとって自尊心を満たしている

あたりだろうか?

いずれにせよ、自分には歌詞中の人間が

「ちっぽけな自尊心を可愛げのある語彙で必死で満たす、

嘲罵された、あるいはそう思っているだけの人間

であるようには感じた。

なんとなく思うのは、

「この曲に気づいてはいけない」

ということである

内容自体は、尾崎豊amazarashiなどが

若者の苦しみなどを各々の文学的センスに包んで提供してきた「それ」に類似したもの

かもしれない。

しかし、この曲が圧倒的に違うのは

「汚く品のない歌詞

とでも言うべきその短絡的表現、そしてレスバトルでのマウンティングのような直接性にある。

まり相手からすれば

「私を見ろ」

と喚いているだけなのかもしれないのだ。

こうなったらどうしようもない。

同じ土俵に立つ(反応する)時点で相手目的は達成されてしまうからだ。

あとはダラダラと付き合って自尊心の充足を待つしかない。

もし無視しようとしても、あの奇天烈音階のサビと尊大発言否が応でも

「何言ってんだコイツ

とか

「手前よりまともだわ」

とか

「そんな時期だよねw」

とか

反応してしまう。

しかも大抵は相手にとって嘲笑侮蔑となりかねない反応である

共感する人たちからすれば気に食わないものであり、荒れるのは必至だろう。

延焼する野次馬もやってきて、更に注目する人が増える。

どんどん騒音は賑やかになる。

そうして「あの子」は色んな人に見てもらえる。

歌い手の方は歌詞バックグラウンド共感し、若者として歌ったのかもしれない。

しかし、その歌詞一般的な「お約束」を踏みにじるかのような逸脱したものだった。

故にたった今、自分たちはこの曲に踊らされている。

軽蔑し、嘲る位なら無視すれば良かったのに。

自分としては、「してやられた」としか言いようがない。

視聴回数を増やし、広告役として貢献してしまうことで

不本意とはいえ結果的に答えてしまっているのだから

何と思おうが、その喧騒に加担してしまっては誰も彼もが後の祭りなのだろう。

出来れば、この曲が内包しているだろう社会構造的な問題

前向きに考察してくれる人が増えることを祈るばかりである

複雑な気分の日記となってしまった。

2021-01-31

20年前に中国の「先行者」を笑ってたやつに聞きたいんだけど

すっかり手の届かないところまで中国に先行されるとは思ってた?思わなかった?

で、お前はこの20年間に何をやってたの?20世紀の日本遺産バカ晒しながら食い潰してただけ?

追記

ブコメありがと。タイトル嘲笑してたやつ」にすべきだったね。

「いやあのビジュアル笑うだろ」っていやそういうことじゃねえんだよって思ったけど言葉の選び方が雑な俺が悪い。

20年前の増田自身にもメッセージをどうぞ。じきに部外者のつもりだったあなたへ20年後のあなたからメッセージが届きます

20年前は未就学児だった。

今や当事者なんで精進します。下の世代に後ろ指さされないように。後ろ指さしてる俺が何言ってんだって感じだけど。

精進するなかであなた言葉は覚えておきますありがとう

お前らにチー牛顔に生まれた苦しみが分かるか

34歳、女。

三白眼、瞼は分厚い一重。

何よりも鼻がマズイ。正面から丸い穴が丸見えの、いわゆる豚っ鼻。

自分の顔がブスだと気づいたのは小学生の頃。

男子が私の顔を見て笑ったり、オエーと吐く真似をしてきたので、徐々に自覚した。

両親も「増田パッチリした二重に生まれればよかったのにねー!」とか言ってきた。

中学ときは、よく「罰ゲーム」に使われた。

私に触ったり、話しかけたり、告白したりすることが、男子にはものすごく屈辱的な行為しかった。

猛勉強して、地元では一番偏差値の高い高校(女子校)に進学した。

女子校天国だった。

美人クラスメイトを見て落ち込むことはあっても、誰も私の顔をからかったり、あからさまな侮蔑の目を向けなかった。

でも、ほとんど毎朝痴漢に遭った。

こんなブスに欲情する男なんていないだろうと嘲笑われるのが怖くて、同性の友達にも言えなかった。

大人になってから痴漢はそういう心理に付け入ってわざとブスを狙うパターンがあると知った。

今でもたまに流れてくる、女性専用車両を利用したいと答えるおばさんたちと、どこでもいいと答える若い美人の例の画像を見ると、ほんとうに苦しい。

あれに心から傷ついた女が何人いるんだろう。

大学女子大がよかったが、実家から通える距離にないし、仕送りをする財力もない家だったので、泣く泣く共学へ。

やっぱり男子けが、ブスの私を分かりやす差別した。

その後なんとか就職したけど、当然、彼氏いない歴=年齢。

でも残念なことにめちゃくちゃ性欲がある。

セックスしてみたくてたまらない。

男だったらソープに行け簡単にできるんだろうね。

女向けの風俗なんて、ものすごく少ない。

それに妊娠するリスクがある。

風俗を利用したとき万が一避妊に失敗して妊娠したら、両親になんていえばいい……?

どんなに勉強ができても、仕事をこなしても、いつだって女は顔顔顔。顔の評価がついて回る。

男の学者がチー牛顔でも、ほぼ揶揄されないけど、女の学者は、男からめちゃくちゃ上から目線ルックスを品評される。

化粧してもダイエットしても素材がマズすぎて清潔感のあるブスにしかならないんだよ。

整形も考えたけど、一生自分の元の顔を否定して生きていかなくちゃならない十字架を背負える自信がなくてやめた。

このまま、死ぬまでずっと、ブスに生まれた不運を嘆いて生きていくんだ。

私、何も悪いことしてないのに。畜生

2021-01-27

anond:20210126121246

世代主観が思い切り入っているけど、個人的には90年代半ばを分水嶺として、そこで起きた変化が現在でも続いているように感じる。

90年代人間にとって尾崎は心底共感はできないし、もう古いんじゃないかと感じてはいたけど、一応何を言いたいのか、伝えたいのかは理解していた。学校の反抗文化は廃れつつはあったが、かっこいいという雰囲気もある程度は残っていた。

しか00年代になると、若い世代共感以前に「さっぱりわからない」になった。当たり前だが、上の世代が「布教」しようとすればするほど、若者は遠ざかった。俺も80年代世代の「布教」は正直うざく、自分の中でも尾崎豊は嘲笑対象になった。


最近尾崎豊を見直しているのは、歳をとって客観的に見れるようになったのと、自分の体を痛めつけて命を削るように歌っている姿が、理屈抜きにすげえなと思うようになったから。今でもたまに10代のファンがいるけど、歌詞メッセージではなく、その完全燃焼生き方パフォーマンスに新鮮さを感じているように思う。

2021-01-26

史実厨と謗られて境遇改善するならば

私は刀剣乱舞というゲームを通して刀が好きになった。美術館博物館に足繁く通い、刀を見ていた。

その間に刀剣男士と関係なく推しができた。

その名を五月雨郷という。

五月雨郷、あるいは五月雨江とされる刀はさまざまな家を渡り歩き最終的に尾張徳川家徳川美術館所蔵となった刀である郷義弘が作刀、江派打刀だ。

チラ見せの段階で江だと分かり、雫型の耳飾りだとかで五月雨江では?と囁かれるのに推し実装が怖くて怖くてずっと拒否していた。推しが来るなんて耐えられない、と。

でも実装されたら、すていじあくとに加えてもらって、何を愛するんだろう。晴れを切望なんてちょっとありきたりだろうか?村雲江とペア枠になるとか?回想で後藤くんとか亀甲とかの会話があるだろうか?何が来るんだろう!本当に楽しみだった。ただただ怖くて、ただただ楽しみだった。

それでやってきたのは回想なし犬耳忍松尾芭蕉ファンだ。

公式の紹介文がこうである

越中国刀工郷義弘作の打刀景色を名に宿した名刀は華々しき来歴を辿るが、その言葉には同じ時代を生き、名を詠んでくれた俳人への思いが表れる。

行雲や犬のかけ尿(ばり)村時雨

https://twitter.com/tkrb_ht/status/1333334963043790850?s=21

松尾芭蕉が生きた時代五月雨郷は尾張徳川家にいた。

北へ向かったこともない。初めて見初められたのは福岡である黒田長政が購入し、徳川将軍家に献上したところから彼の歴史は花開く。一番北は加賀江戸である

私は俳句に明るくない。必死松尾芭蕉を調べた。もしかしたら尾張徳川家とただならぬ仲があったのかもしれない。調べて分かったのは「五月雨」と詠んだ句が結構あることくらいであった。

中学国語程度の知識しかない人間でも知っている「五月雨や集めてはやし最上川」に始まり10以上残しているらしい。私が適当地元図書館で借りてきた句集にはそれくらい載っていた。

五月雨江との関係は?

忍どっから出てきた?

犬耳なんだ?

一番許せないのはここで引用された俳句である

『行雲や犬のかけ尿(ばり)村時雨

犬の尿に時雨である五月雨関係ないじゃん。

五月雨を使った句は素人適当図書館行くだけで10以上見つけられる。

集めて早しがダメなのは艦これいるからまあわかるとして、何でいくらでもあった中で五月雨関係なく、ぱっと意味の分からない犬のおしっこなの?

※この俳句意味は犬がおしっこしていくみたいな速さで雲が流れては戻ってきてという天気の移ろいを歌った少し面白い歌らしい。(http://www2.yamanashi-ken.ac.jp/~itoyo/basho/haikusyu/sigre0.htm)

ゲームをしていない人、入手できなかった人、何よりやっていても第一印象が犬のおしっこである

この場合の村時雨は降ったり止んだりの雨なので五月雨意味はほぼ同じとはいえるが何で犬のおしっこなの?汚いでしょ。

そして顕現セリフもまたひどい。

郷義弘が作刀、名物五月雨江。え? これですか。これは前の主に対しての義理のようなもの

それよりは、同じ時代に生きたあの方への思いの方が強いのです。そう、私の名前を詠んでくれた、あの方への……』

これが指すものがはっきりとしないが、他のセリフと合わせるに多分犬関係の部分である

前の主の一人である徳川綱吉の話だろう。

犬といえば生類憐みの令。犬を大切にした彼への義理である、と。

だが悲しいかな、ネット上では「犬公方」が元だという考えが散見される。はっきり言いたい。

公方蔑称である

義理というか直接的にdisってる。生類憐みの令が元だと言ってくれ審神者全然義理とか思ってない、前の主を嘲笑クズ男士になってしまうから

なお、多分八犬伝関係ないですごめんなさい。

五月雨江を不義理な刀にしないでくれ。

また、刀帳説明において『五月雨江です。五月雨の季節に打たれたこからこの名がついたとも言われております。』と発言しているが、現在この記述確認できるものはない。由来は

五月雨の頃の極められた

五月雨のように美しい刃文

このどちらかとするのが現在の有力な説である

創作というか嘘をつくな。

もう一つ言いたいが忍どっから来た。松尾芭蕉からならひどいトンチキ説を採用したな……と呆れるし、柳生新陰流とするなら遠過ぎてびっくりするぞ。というか五月雨郷が尾張徳川家にやってきた段階では柳生家はもう剣術指南を中心にしてて忍者だった頃じゃないぞ。あと忍者だった頃っていう概念で行くなら奈良伊賀の間辺りなので本当に五月雨関係ないぞ。

さて、ここまで前置きというか許せない部分の羅列である

歴史に興味のない人間がこのキャラを見て何を思うだろうか。

松尾芭蕉の刀だと思うだろうか?元の主に忍がいると思うだろうか?俳句関係する何かがあると思うだろうか?

何も関係ない。残念ながら一切史実関係ない。

刀剣乱舞ログイン画面には「この作品創作であり、史実等とは異なる場合がございますとある

から史実と異なるキャラだとて仕方がない、それでも史実を叫ぶ人間史実厨と呼ばれ嫌われる。

史実と異なる創作(本来は死んでいる人間を生かしている、史実では否定されている戦況などを使用するなど)を批判する人間に対する蔑称である

行き過ぎた史実に対する想いは時に創作の幅を狭めるだろう。どんなに史実を愛しても司馬○太郎がある限り史実のみの創作なぞあり得ない気がするけれど。

閑話休題

五月雨郷とキャラクターの五月雨江とではあまり史実からかけ離れている。

その上史実を語る場=回想が一個もない。江なのにすていじあくとさえない。

もっと苦しいのがその直後に実装された真田の二振りにも監査官さんにも大量の回想があることだ。というか回想なし実装2018年末の袮々切丸以来である。二年ぶりの回想なし男士だ。

何故犬で忍者松尾芭蕉ファンで元の主の話をしてくれないのか一切分からない。何も語ってくれない。

から、彼のことはキワモノ実装だなとしか言えない。

史実厨として言わせていただきたい。

からあるものを貶してまで創作しないでくれ。

五月雨郷という刀は犬のおしっこ関係なけりゃ元の主を犬公方バカにもしない。

男士としての彼は何も言ってないとわかっていても審神者特有深読みで変な謗りを受けるのは刀剣男士の五月雨江で、刀剣五月雨郷だ。

由来から来歴から在り方まで全てを作り替えるな。

全部が全部、今までかの刀が作り上げてきた全てをぶち壊して新しいもの勝手創作する割に名前だけは堂々と名乗るのだから質が悪い。

いっそ関係のない刀だと明言しろ徳川美術館にある五月雨郷と一切の関係がないと言ってくれ。そしたら私は自分推しが汚いものとして凌辱されたと泣かずに済む。

私は刀剣乱舞が好きだった。だから六年もずっと私の本丸を稼働していたし、金だって大量とは言えないけど課金したしグッズ買ったし推しを愛したしリアイベ行ったしてんごだってデビューしたし円盤だって買ったし私なりに推してきた。

人生で初めて同人誌も出すほど好きだったしいつか来る五月雨江という刀剣男士を待ち望んでいた。

出来上がったものがトンチキキワモノ実装でなければ。

私が求めているのは、五月雨郷という実在刀剣名前を騙って創作という免罪符を振りかざすな。それだけである

何度も言われた。刀剣乱舞創作なんだから刀剣乱舞史実とは違うから私自身も何度も何度も創作から仕方ない、創作史実は違うのだから必死自分に言い聞かせた。

でも、やっぱり、許せないのだ。

刀剣乱舞は、国と共同で日本博に出るなどここ最近文化担い手として伝統を伝える試みを多くしている。それを行うところが五月雨郷という一振りの刀を適当キャラメイクキワモノ実装した。創作という免罪符を元にして。

伝統を残す前に、今あるものを守ってくれ。

今ある刀を蔑ろにしてまで実装するべきなのか?

今この世にある刀に汚いもの、元の主の蔑称体現するものとして認識させるのどうかと思う。

創作であるという免罪符を、文化の守り手を自称する企業が振りかざさないでくれ。

私のことを史実厨だと謗ってくれていい。それで五月雨郷という本当に美しい刀が不当に扱われないのであれば何度だって声をあげる。五月雨郷という刀は本当に美しい。私が愛した刀は、何物にも変えられないくらい美しい。私が一番好きで、何度でも見ていたい刀である

キワモノからと、犬耳だからと、どんな刀か知られずに松尾芭蕉のことしか語らない刀である認識しないでほしい。犬も基本関係ないし、歴史がないわけでもない。

五月雨郷が歩んできた歴史全てを蔑ろにして松尾芭蕉という誰もが知っている要素を組み込んで出来上がったキャラクターは可愛いか?

信長秀吉家康も持っていない、有名な武将の手に渡っていないそんな刀の創作は、誰も知らないから好きにしていいのか?

もう一度言う。

私を史実以外許せない史実厨だと謗っていい。

から五月雨郷の本来の歩みを知ってくれ。

五月雨郷の美しさを知ってくれ。

五月雨郷の存在を間違えないでくれ。

五月雨郷は本当に美しい。

五月雨郷という刀剣は何であろうと汚すことはできない。

でも、間違った意識というのはあまりにも容易く色々なものを壊すこともある。創作免罪符ではない。

追記(2020/01/28)

Twitterを見た。

様々な意見が噴出している。私が見た範囲が全てとは思わないがいくつか言うべきかなと思って追記だけつける。

1.他の刀剣もだろ。

A.私の推しじゃないので史実確認できるほど詳しくないです。各々当該刀剣推しの人が叫べばいいと思うのに五月雨郷だけ叫ぶなっておかしくない?

2.犬公方ってことしか綱吉のこと知らないのか?

生類憐みの令が元だって審神者全員が言ってくれたらそれは構わないよ。犬公方っていう言葉五月雨江をつなげるツイートをいくつか見たからこその意見だよ。

3.犬の尿は汚くない

汚いよ。俳句としては汚くない意味でも、今の時代にそれを検索なりなんなりして意味を調べる人間がどれだけいる?

第一印象俳句意味など全て知らずに犬の尿だけを覚える人間って多分思ってるよりずっと多い。だから嫌だと言ったし、俳句自体が汚いとは言ってない。

犬の尿は汚い。人間との比較とかは無駄なのでしないけど。

4.江戸時代だって忍者はい

知ってるよ。でも今出した意見松尾芭蕉=忍者説と柳生新陰流における忍者の話だけだよ。

柳生家と関係があるのは尾張徳川家にいたときだけで、五月雨郷が尾張徳川家にいた時点で柳生家は剣術指南の家だったという話。なお柳生家が忍者じゃない云々に関しての議論は別なのと尾張といえば忍者伊賀町おこし壊すからやめてくれ。

5.五月雨郷・刀剣乱舞史実厨に悪い印象がついた

五月雨郷を実際に見に行って松尾芭蕉は?ってなるより悪い印象って何?キャラが好きになった人が五月雨郷を見にくることをやめろとは一切思わないけど自分が見に行ったとき松尾芭蕉の話を五月雨郷の前でしている人がいたらげんなりはすると思う。

あと史実厨って元から蔑称なのでいいも悪いも最初から悪い。

私は最初から史実厨と言われていいから元となるものを貶してまで創作をするなと言ってるのであって、史実厨という言葉をいい意味で使ったことないよ。創作を認めるなって言っているのに近いと思う。

からこうやって匿名チラ裏に書いてるんだ。

6.とうらぶやめろ

やめるよ。今回の監査官さんが原因で余計病んで五月雨郷をこうしたのに創作で出来上がった自分を考える監査官さんがいることが嫌になったからこれを書いたんだから

ここ二年、他のキャラには最初から回想がついているのに五月雨江だけない事実を突きつけられて辛くなったから吐き出したんだ。

大体Twitter文句言われていた辺りかな。途中で探すのやめたからこれも書けとかあったらブコメか何かして。

クソゲと嘲笑ってたら公式からカウンターパンチが来たので冷静なふりをして逆ギレした

って話にめっちゃ擁護コメントついててビビった。

一方的に殴っていいサンドバッグが動き出したかぬいぐるみペニスぬいぐるみペニスって騒いでるだけにしか俺には見えねえ。

開発者人間ユーザー人間、一発殴る前に殴りあいが始まることを覚悟すべき。

撃っていいのは撃たれる覚悟のある奴だけでは?

2021-01-22

神様信仰することのアホらしさ

タイトルで強烈な文言を述べたが、私個人神様信仰していない。私は神様ではなく自分幸福をもたらしてくれる縁や尊敬できる偉人信仰している。

私の家系日蓮宗であるが、それを意識することはほとんどない。葬式や父の実家仏壇を拝むときだけだ。クリスマス初詣もするし、お守りを持つこともある。

このような態度は無宗教と呼ばれ、日本人の多くはこれに分類される。中にはこれを宗教的態度の欠如である批判する人もいる。私が小学四年生の時の担任教師はこれをおかしいと非難した。

しかし、私はこのような「無宗教」が日本で起こったことや、無宗教の人が宗教恩恵にあずかれるのはおかしいことではないと思っている。

日本人宗教観は、この世には沢山の神様がいるという宗教である。この世のあらゆる事物にはそれぞれの神様が宿り、神様達の動きによりこの世界因果関係が決定されると考えた。それぞれの神様人間と同じく感情を持つものとして考えられ、祭祀信仰はその神様のご機嫌をとることに近かった。この宗教的態度は外国から仏教儒家思想キリスト教などが入ってきても変わらなかった。

このような宗教的態度が生まれた背景を和辻哲郎のエセー「風土」は日本(および東アジア)の雑多な生態系災害の多さに求めた。日本人古来より抗いがたい災害に見舞われ、それに耐える忍耐力を養った。そしてその気象条件は同時に命の恵みも与え、我が国植物動物の息吹があまねく見受けられるのである

こうした環境日本人精神を作り、その精神から人格を持つ沢山の神様を生み出したのである。これは自然環境が変わらぬ現在でも同じであり、欧米中東のような一神教的な絶対神日本征服できないのはこのような理由がある。一神教の神は、多神教神の国の一部として取り込まれるのだから

遠藤周作小説沈黙」では、日本に伝来したキリスト教の教えが日本根付かず改変されていることを元宣教師フェレイラが嘆くシーンがあるが、それは上の風土を考えれば当たり前のことなである

一方でキリスト教イスラム教などの一神教誕生したのは、砂漠の国中東からである。そこは日本とは全く異なる生命の息吹が皆無の殺意の大地である。そのような状況から砂漠の民のヒューマニズムへの関心はとりわけ高く、それが人間の味方である絶対唯一神への信仰を生み出した。

それがヨーロッパに入り浸透したのは、ヨーロッパ民族合理的従順だったかであるヨーロッパ生態系が単調で、人間からすれば自然は全部「役に立つ」ものだった。そこから古代ギリシャローマ代表される科学合理的思考がこの地で起こり、それはヒューマニズムに満ちた一神教を受け入れたのだ。

ここで、あらゆる神や宗教を吸収する多神教の国日本一神教が人々を統べる欧米中東差異が分かる。そして、これが日本無宗教を受容する態度と非難する態度の違いを生み出すのだ。

一神教宗教観は日本無宗教非難するが、それは無宗教神様信仰しないからだ。一神教の神は世界創造者で裁定者で救済者なのである。それを信仰することが彼らの人間として生きることの証なのだ。故に無宗教非人間的な態度であり、シリアルキラー同類存在なのだ。先の私の小学校先生無宗教人間として無節操な態度と考え、非道徳の理由無宗教に求めたのだ。

その上で私は一神教宗教家の方々の私の宗教観への批判反論したい。私が信仰しているのは神を持たない宗教であると。

先ほど私は日本宗教観ではこの世の事物にはそれぞれ神様がいると述べたが、それはあくまでいるだけであり信仰する神ではない。物事因果を神の所業と考えているが、それを起こす神が気まぐれでそれが沢山いる以上もうどうしようもないのだ。もしこれが人だったら早々と見限るような神々は沢山いるのだ。神は人を選ぶのだろうが、人間も神を選ぶのである

私も以前は神は正しいメッセージを授けてくださると思っていたが、いつまでたっても授けてくださらない。それは当たり前のことであり、雑多な風土に宿る神が雑多なメッセージ以上の何かを発信することは出来ないのだ。日本土地では裁定者たる神はいないのである。「沈黙」でも、主人公の前に裁定者は最後まで表れなかった。裁定者は日本という沼地で溺死したのだ。故に主人公は生きるという決意で生き延びたのだ。

沈黙」では神を心のなかで生きる存在と最終的に結論付けたが、私はその神の存在意義は最初から否定した方が楽なように思えるし、そちらが神様にとってもありがたいであろうと思う。そうでないと私は神様に対する「たかり」になってしま申し訳なさで死んでしまいそうだ。

何か危機に陥ったときにかつては祭祀加持祈祷に頼っていたであろうが、科学時代においては科学の方が日常生活では「烏合の衆」よりかは帰依出来る。

今のコロナ禍でも、精神的基盤を補強する役割以外では、神頼みよりも衛生的処置医療措置の方が遥かに大事なことはすぐに分かる。

では私は何を宗教に求めているかというと、私の心と世界とのコミュニケーションである。世の中には理不尽なことは沢山ある。そんなとき世界沈黙し私を嘲笑しているように錯覚することがある。

だが、それは私が世界とのコンタクト放棄しているかである世界は私を嘲笑していない、語りかける励ましの言葉はある。私がそれに気付くとき、私は心を開き癒されるのだ。その回路を開くことが私の宗教的態度である。私が信仰しているのはそうしたものである

私は長々とここまで語ったが、私は他人宗教的態度を否定するつもりは毛頭ない。私には私の納得する宗教的態度があり、それを大切にしている。故に他人にはここで語ったことに対抗しうるだけの宗教的態度があると考えられる。私はそれを侵すつもりはないし、相互不干渉を守りたいと思う。自分の守りたいものと同じように他人の守りたいものは守りたいのだ。

私の記事は以上だ。

コロナウィルスみんな最初の頃めちゃくちゃ甘く見てたのにね

コロナウィルス武漢肺炎とかまだ言われてた頃に、「え、かかったらうなされながら二週間ただ待つしか無いとかってすごいやばくない?人間抗体もなければワクチンも開発されてないじゃん」と周囲にいかに危ないかを言っていたんだが、だいたいどの人も「2週間で治るんでしょ?」「単なる風邪でしょ?」「そんなん怖がってたら何もできないわ」と言ってマスクすらしてなかったことを俺は一生忘れないだろう。

「ウワーコロナビビってるわーwwwww」とか俺のこと嘲笑ったやつ一生忘れない。

なんで今さらになってやばいのやばくないの騒いでるの滑稽で仕方ない。

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