はてなキーワード: 嘲笑とは
以下の内容には、この映画のネタバレを多分に含みます。これから観られる方は、ご注意ください。
私は、『えんとつ町のプペル』を観ました。
理由は、Twitterで「宗教」だの「マルチ」だの散々言われていた事と、有名な女性声優さんがプペルを絶賛していた事にファンが絶望していたので、これはおもしろそうだ!と思ったからです。
『えんとつ町のプペル』は、煙突掃除の少年ルビッチと町に突然現れた「ゴミ人間」のプペル(これは作中でルビッチがつけた名前です)が、煙で覆われた空しか知らない町の人々に、星を見せる物語です。ルビッチのお父さんブルーノは、紙芝居で星空や外の世界の話を町の人たちに伝えていましたが、「外の世界などない」と信じ込まされている人々はブルーノの事を異端として嘲笑い、やがてブルーノは海に落ちて死んでしまいます。そんな父の話を信じ続けているルビッチは、友達のプペルや探鉱泥棒のスコップの力を借りて、外の世界を目指すのです。
私がこの映画を観て思ったことは、泣けるけど別に面白くない映画だな、という事です。
例えば、私は船と火薬を切り離すために鎖を登っていくルビッチを、プペルが応援するシーンで泣きそうになりました。あれはルビッチとブルーノの再会、親子愛のシーンです。
ですが、今回の作品の1番の見せ場、軸になっているところは「親子愛」ではなく「挑戦」のはずです。「挑戦」に泣くのであれば、「ルビッチを応援するプペルの姿」ではなく、「鎖を登っていくルビッチの姿」に涙すると思います。にもかかわらず、なぜ私はこのシーンが1番泣けたのでしょうか。
それは映画史ないし視聴者たる私の中で脈々と積み上げられてきた「泣ける親子の再会のシーン」があるからだと思います。「死んだと思っていた大好きなお父さんとの再会」、「息子をずっと応援し続けていた父」、この2つの要素はどんなストーリーでも差し込むだけで泣けるシーンになる最強のカードみたいな物だと思います。つまり私は、『えんとつ町のプペル』のストーリーとは全然関係ないところで泣いていたのです。
「いい話だった」「泣ける映画だった」という感想はあながち間違いではないのだと思います。私もこの映画の感想を聞かれたら「いい話だった」と答えると思います。なので、この映画に関する肯定的な感想を一概に信者だと否定することはできません。ただ、「面白かった?」と聞かれたら、私は素直に首を縦に振ることはできないのです。
『えんとつ町のプペル』は、キャラクターと美術に救われた映画だと思います。
まず、絵がとても綺麗です。えんとつ町の配管やゴミでごちゃごちゃした風景、えんとつの上から見下ろす点々とした街の明かり、様々なギミックが仕込まれているであろう事がわかる船、絶対に描くの大変だっただろうなと思います。
そして、えんとつ町の住人たちは本当に魅力的です。声優もタレントさんとは思えないくらい違和感がありませんでした。だからこそ、もっと上手く動かせる脚本があったのではと思ってしまいます。
子供向けの映画としては難しい話(話というか言葉かもしれません)が多く、かと言って大人向け絵本としては遠回しすぎてメッセージわかりづらい(大人向けにだとしたら冒頭のアクションシーンはあんなに長くする必要ないのではないでしょうか)という印象です。
アカデミアから遠い人に博士後期課程への進学を仄めかすとよく「どんだけ勉強好きなの」みたいに言われるけど、完全に的外れとも言い難いからなんとも言えない。大学院は研究をするところだから勉強にしに来るところではない(と自分は思ってる)けど、自分が成長したり新しいこと見つけるためには当然勉強は必要で、でもそれって就職しても同じことじゃない?
学校組織だから、授業があって、先生に言われたことを頑張って覚えて、ってイメージなのかな。まあ授業もあるんだけど。。「勉強好きだねえ笑」みたいにいわれると、(そうじゃないんだけどな、、)って思うよね。
考えすぎかもしれないけど、「受け身で生産性がないこといつまでやるの?」とか「いつまで就職しないで学校通うつもりなの?」って言われてるように感じるし、実際無意識にそういう考えもあって半分反射で「好きだねえ笑」って言ってると思う。知りもしないで嘲笑するのはやめてください。
あと博士まで行って就職した人は能力がなくてコミュニケーションも取りづらいって言ってる人も居ますけど、多分それは自分の観測範囲に優秀な博士が集まりにくいってだけだと思います。
昨日は私もAさんも、なんか嫌な客に当たりまくって消耗する日だった。嫌な客ほど一見の客だとAさんが言ってたけれども、確かにそうだった。
自分がボソボソしゃべるからいけないのに、注文を聞き間違えられて秒速でキレる若い男とか、腹が立つ一方で憐れだなあと思う。こいつの母親とかカノジョとかのことが。ただの他人にこうまで下らないことで癇癪を起こせる奴はプライベートでは更に更に酷いものだ。コイツの未来は決して明るくないんだ、コイツ自身の性格のせいで。と思うと、腹を立てる気が急速に萎えていく。
昨日もまた、「ピークさえ外せば勝つる!」と安直に思ったらしいお客様で、普通混まない七時半以降にめっちゃ混雑した。「密です!」センサーとか、あったらいいよなあ。一定レベルで混んだら機械的に入店阻止できればいいのにドラえもーん!
オーナーは緊急事態宣言が出たら店は暇になると信じているが、現状コロナ以前よりもだいぶ混んでいる。混んでいる時間帯にオーナーはわざと店を抜け出して、残されたバイト一人に店番をさせているので、暇暇言っていられる。店番させられているバイトはてんてこ舞いだ。少なくない客はレジの順番がいつまでも回って来ないのに腹を立てて商品を置いて店を出ていく。
オーナーは子供達が全員堅い職に着いたし俺は勝ち組だなんて恥ずかしげもなく傲り、金もって無さそうな客を見ては嘲笑っているような人だ。コンビニのオーナーは大変だとよく言われているけど、当店のオーナーに限ってはもはや道楽で店を開けているだけなので、いい加減な仕入れをして売上が落ちようがどうでもよく、嫌になったら辞めればいいと思ってるし元々地元の人間でもないから、売上が減ればバイトをクビにしたり、籍だけ置かせて働かせたい時だけ働かせればいいや的な感じ。従業員に対する最低限の義理ももう無いらしい。
なので、私どもバイトがオーナーに諫言したってまるで無駄。気に入らなければ辞める、不利益を被らされそうになったら辞める。それしかない。
学生もフリーターも主婦も関係なく、必要最低限のこともことと次第によってはサボるようになっている。年寄りは解ってサボるけど、学生バイトは世の中こんなもんなんだなとなんか人生自体をまるごと舐めくさるようになっていて、ほんとこの店で学生を雇うとか、社会に対する害悪でしかないなと私は思う。思うんだけど、もはや悪の見本市としたこの店の状態がある意味興味深いということで、変な好奇心を発揮した連中が店に残り続けているような感じ。
純粋に疑問なのですが、
https://anond.hatelabo.jp/20210112165321
に対するブックマークコメントでいくつか気になるものがありました。
b:id:zyzyさん:
https://b.hatena.ne.jp/entry/4696958303153836930/comment/zyzy
zyzy 残念ながらこれ多分増田にいつも湧いている「具体的ないじめの内容がないままとにかく男が女からの被害者なんだとミソジニーを延々と正当化し続けるだけのいつもの人」なのよなぁ。この人いつも具体的な話がない。
と書かれているのだけど、ざっと読んだところ、
いつの間にか「人格が劣るから相応の扱いをしてやっている」ということにされていたのも傷ついた。
曰く、「キモいって言われてるのにキモいまま改善しないのは向上心がない、周りへの配慮がない」とか。
なんでお前らの好みに合わせないだけで嫌がらせされなきゃならなかったの、
イジメの原因だったろう脂漏性皮膚炎の薬を塗るのを見られたらキモいと笑われ盗まれた。
美容院に行ったり服を買い揃えてみたりしても、似合ってないとバカにされて。
などと、かなり具体的ないじめの内容が書かれていると思いました。zyzyさんにとっての「具体的」とは何なのでしょうか?
追記:「(特に皮膚炎の薬を塗るのを見られたら笑われ盗まれたというあたり)」と付け加えようとしたら、トラックバック
https://anond.hatelabo.jp/20210113102553
でほぼ同じこと+αが指摘されていました。
Cunliffe 増田がどうやって「真実に目覚めた」ミソジニネトウヨにクラスチェンジしたのかちょっと知りたい気がする。まあどうせ白饅頭あたりのろくでもないテキスト摂取したせいだとは思うんだけど。
と書かれているのだけど、私は元増田にいわゆる「ネトウヨ」的な排外・排他的愛国主義やその攻撃性を感じませんでした。Cunliffeさんはどこにネトウヨ的な要素を感じ取ったのでしょうか?
純粋に疑問です。
「女子をキモがらせる奴を懲らしめる」名目で男子は暴力を振るってきた。
正直こちらが反撃しても名分が立つ男子のストレートな暴力よりも
反撃することが許されない女子からの嫌がらせの方が辛かったし、
何より苦痛だったのは「女子から男子に」だったことでいじめが正当化されることだった。
実際先生に被害を訴えても、せいぜい男子の暴力行為や暴言が処罰された程度で
こちらがより深く傷つけられたのはむしろ女子からの流言飛語や言葉の暴力だったのに。
ひどく傷ついたけど、そのころは「女子を不快にさせるなら良くないよな」と無理やり自分を納得させるしかなかった。
元々女子と話すことなんてなかったけど、極力女子から距離を置くようになった。
女子を不快にさせず、また攻撃を受けないようにするにはそうするしかないと思った。
でも、それでもキモイ、キモいと悪口は絶えなかった。身に覚えのない悪評も流された。
そんな忌むべき性犯罪とも同列に並べられる。
何も悪いことなんてしていない、ただそこにいると言うだけでも。
どれだけ自己肯定感を傷つけられ、生きていくのに必要な自信を失ったか。
いつの間にか「人格が劣るから相応の扱いをしてやっている」ということにされていたのも傷ついた。
曰く、「キモいって言われてるのにキモいまま改善しないのは向上心がない、周りへの配慮がない」とか。
なんでお前らの好みに合わせないだけで嫌がらせされなきゃならなかったの、
って今だったら思えるけど、当時の俺は真に受けてしまって、
俺は性格が駄目なんだ、嫌われる人格なんだ、とすごく落ち込んだものだった。
イジメの原因だったろう脂漏性皮膚炎の薬を塗るのを見られたらキモいと笑われ盗まれた。
美容院に行ったり服を買い揃えてみたりしても、似合ってないとバカにされて。
街でクラスメートの男女グループに遭遇したら大声でバカにされたのは
自分が街に繰り出しちゃいけない存在みたいに思えて、ある意味学校でのいじめ以上に辛かったな。
目的のはずの買い物もしないまま、逃げるように家に帰ったあの気分は今でも思い出してしまう。
学校をやめて引きこもった。
電車内でやむなく隣り合ったとき、エレベーターで同乗したとき、
それでも精神科に通ううち、どうやら俺は何も悪くなくて、
自分は被害者だったのだとようやく、本当にようやく思えるようになった。
ただ、どうしても腑に落ちなかったのはなぜあの頃イジメが、
とりわけ女子の言動が咎められずあまつさえ正当化されていたのか。
(俺は当初信じられなかったが)性格の良い娘だと評判される女子もいた。
そんな人たちを平然と加害へと導くなにかがこの社会にあると考えて、
その正体が知りたくて色々調べるようになった。
そうしたら、なんとなくわかってしまった。
そんな「正しい」リベラルな概念は、もはや俺のような男の傍には存在してくれないのだと。
総じてリベラルを標榜する人たちには俺のような男はまったく視界に入っていない。
そんな彼女らに攻撃される男は悪に違いない、という決めつけが蔓延っていてそれを糾す様子もない。
要するに女性の持つ加害性について何も批判できないし省みることもない。
そして今の世の中はそんな人達によって価値観や規範を先導されている。
とりわけフェミニストと呼ばれる人たちは明確に俺の敵なのだろう。
彼女らはキモいという言葉で異性を傷つけることになんの躊躇もない。
(一部の悪質な男に対して使っているだけだなんて、俺の体験を通してみれば欺瞞でしかない)
そして女性の加害性というものに対する自省もまったくしない。あっても同性への加害に対するものばかり。
女性の社会的自立を謳うなら、女性の加害を批判し自己を律するように要求することは不可欠なはずで
実際に男性に対しては「有害な男らしさ」とやらを自省するよう求めているのに。
男性が女性から受けた被害体験を吐露すれば「男社会」という言葉を使って、
さも世の中の女性の持つ価値観には悪い部分はないかのように吹聴し、
「男社会」で起きたことだから女は何も省みなくて良いということだろうか。
現実の世の中は、男社会どころか女性が不在の場面のほうが珍しいんじゃないのか。
そして、残念なことに「自分より下」と見なした男性に加害的に振る舞う女性は相当多い。
そいうときは決まって、有無を言わさず「人格面がクズ」ということにされるのだ。
俺がなんとか鬱から抜け出して働くようになってから目の当たりにした社内イジメもそうだったし、
ネットで交流した、女性からイジメを受けた男性もほとんどがそうだった。
少なくとも、リベラルな人たちが考えている以上にこの手のケースはずっと多い。
そして周囲は彼女たちの味方をする。対象の男性がそのコミュニティを追放されるまで。
女性の加害が加害とみなされず放置され、女性は自らの加害性に無頓着であり続ける。
自分の加害を加害とも思えないなら、セクハラを繰り返す醜悪なジジイと同じ。
・・・と、そう思っていたが、最近になって納得するようになった。
女性の加害性も男性の被害も無視するのが「正しい」、そんな世の中なのだ。
なぜそんな順番が設けられているのか全くわからないが、
価値観のアップデートとやらの内容に「女性の男性に対する加害は許されない」が含まれることはないだろう。
男性が生きづらさを吐露すれば「男も辛いんだ論」などと揶揄される。
「男の辛さなんて大したことない」と断定しては世の中の言説を先導していく。
気に入らない男性に対して粗暴に振る舞い、傷つけるような言動を取り嘲笑し
それをネット上で誇示するような女性が「強い」と持て囃され共感を集める。
女性の価値観は絶対で、女性が不快と感じればその存在そのものが罪悪。
女性に承認されるか否かでその男性の人格面までジャッジできる。
俺をいじめていた女子も男子も、彼らは「正しかった」からロクに罰されなかった。
女子は不快な俺を存在自体が罪悪と見なし排斥対象のマークを付け、
生まれつき正しくないのだろう。
もう疲れてしまった。
俺はもう、女性が怖くて嫌で、人間らしく家族を営んだりはできない。
親も死に、何を生きがいにすれば良いのかわからない。
趣味もあったけど、それも女性からクレームを付けられるようなコンテンツを楽しむ「正しくない」趣味だった。
ずっと社会から排除されないよう女性を不快にさせないように近づかないようにと気をつけていたけど、
女性と世間話の一つもできないような男は社会に溶け込めるどころかどんどん社会から疎外されていった。
ただ、同じ人間として扱ってほしいというだけのことがどうしてこんなにも辛くなってしまうのだろう。
この世の中で生きていく自信がなくなってしまった。
(追記)
やはりというか、「性別関係ない」とか「女も男からいじめられる」とかそういう話になってしまうのか。
俺はあくまで「女性による男性への加害」の話をしているつもりだったのだが、
正直言って、この話を性別関係ないなんて言われても女性の加害性についての追求を
仮に男性からいじめを受けた女性が、男性の加害性の話をしているのに対して
「男性も女性からいじめられているがそれについてはどうなんだ?男女関係ないよ」なんて言われてたらどう思うか。
そういうのはどっちもどっち論だとかWhatAboutismなどと呼ばれて批判されてたはずなのだけど。
もうこういうダブルスタンダードにも、それが当然のようにリベラルな人達の間でまかり通っている状況に疲れ果ててしまった。
「お前は正義の対象外だ」とネットを覗くたび、テレビを見るたび日々突きつけられる気持ちは
リベラルとして正義を謳歌してる人たちにはわからないんだろう。
もう疲れた。楽になりたいよ。
『ブロックされてる自慢』
まず1つはこれで確定だろう。
ブロックされてるとは結局の所、「俺はヤバイやつとして扱われている」ということを自慢してるわけだ。
そして得てして「キチガイにヤバイやつとして扱われるということは、逆に俺はちゃんとした人間ということだ。なぜなら黒の反対は白だから」という意味不明なロジックに基づいている。
言うまでもないが世の中というのは綺麗に2色で分けられるはずがない。
それなのに彼らは世界が二項対立の図式を取っていて、自分たちが善の側にいると思いこんでいる。
イカれた右翼が左翼を嘲笑いながら、自分たちこそが絶対的正義だと感じ、同じことを左翼でもやっている奴がいて、じゃあどっちが正しいかというとどっちもが了見が狭いだけというオチになるというあの現象だ。
ネットでは『キチガイ自慢』文化が根付いていて、自分が如何におかしいことをしているかを語って承認欲求を満たそうとするろくでなしが多くいる。
これも当然頭がイカれてはいるのだが、彼らは自分の言動がイカれているという事自体は自覚している(自覚していないのは、キチガイのフリをする時点でキチガイの一種であるという事の方だ)
『ブロックされている自慢』の凄い所は、そういった異常性アピールをする連中とは違って自分たちを正常だと思っている部分にある。
幼稚な二項対立概念を振りかざし、他者を踏みつけにすることで自分の正しさをアピールするようなチンケな生き様の中に自分の正常さの証明を見出しているのだ。
教師って人格者が辿り着けるんじゃなくて、組織に媚び売って辿り着くものだろ。
そんなもんに人格なんて求めてるのも、他人に教育任せてんのに人格まで求めてるのもアホだよ。
先生ってそんなこともわかんないんですか!って事を学校から出てきたばっかやつが言われまくるんだし、それで真っ直ぐ育てるやつが居るならそれは貴重でしかないわな。
多くは捻れるか折れるかして教師らしき行動に熱意なんて持てなくなるんだから、それがプライベートでクソだカスだ趣味はスカトロだ言ってようが仕事に影響ないならご自由にしてくださいなって感じだよ。
逆に思うんだけど、テメーが親だとしてなんで自分のガキの発育にそこにもう一人聖人がいるのが当たり前だと勘違いしている訳だ?
いるわけねーじゃん、聖人君子。多少ガキと仲良く会話出来てもそこに何かしらの難癖を付ける他の大人が居るんだぜ。存在出来るはずもねえし、キリストだって現役時代はボコスカに叩かれてるし死んでからも嘲笑われてんのよ。
頼れる大人が欲しいとかいう聖人君子を求めるのやめようや、アイツら教育っていう仕事しか出来ないのよ。そんで教科書通りやらないとお前以外の他の難癖つけてぇ暇な大人が噛み付いていくわけ。
ここまで聞いてわかったろ?やってることお前のクソみてえな仕事と一緒なのよ。
クソみてえなマニュアルに従ってやってるのにその仕様の裏をついてギャーギャー言う同僚やら上司やら客やらがうるせえワケ
んで改善しても理解してくれる訳でもなくグッダグダしょうもねえ話しかしねえ訳
んなカスみたいな生活強要されてんだからクソだとかカスだとか言いたくなるわな。
元が付くから教師生活から逃げたカスが悪態ついてらでも、こういう悪態が出てしまうんだでもアリなのよ。
大体昨今のブラック体質に対してのバッシングを見てて聖職者がどうこうとか言ってる奴の方がセンスがない訳
気を狂わせたのはお前なの、お前みたいな奴が気を狂わせてんの。
「こんなこと言ってるのどうなんですかね?」じゃないの
お前はどうせ寝るしか仕事がねえんだから現役毎時スリーパーとでもプロフィールに書いとけって話なの。
で、現役スリーパーさんがこんなしょうもない日記を匿名で書いてるなんてどうなんですかね、って話してあげるよ。
その程度の話なんだよ
出た出た、「今それどころじゃない!」で批判封殺奴。あーあー聞こえなーいみたいな奴。おめーが匿名掲示板で未来を見据えてる(冷笑)つもりでもやもや(嘲笑)を解決したところでウイルスはいなくなんないんだが?
俺の足元もいつかはぐらつくが、それより先に飲食や観光のやつらの足元がおぼつかないようだな。こいつらは経営者だし二階を担ぎ上げていた自民党支持者が大半だろう。自己責任だよ?ざまあみろ。毎度言うが違うってやつは最初からそう言え。
ニーメラーの詩を知ってるか?俺はこのままじゃやばいって思ったからずっと自民不支持だった。安保法改正のころとか当然反自民だった。今声上げないとやばいってずっと思ってたし声上げてた。野党に投票もしてた。その結果が今だ。私、言いましたよね?って感じだわ。マジで。今更自民支持者のために声を上げようなんて思わないよ。トンキン医療崩壊おめでとう。救急車待ちながら盲腸で死ね。
過去を振り返ることも批判も大事だ。それでウイルスはなくならないかもしれないが、自分の投票行動を反省することはできる。お前を含むニホンジンはそれを怠ってきたよね?野党は批判ばかりとか言って野党を批判してたよね?
自民党とか森加計桜学術会議の時点でグダグダしてたよね?池沼作戦のごはん論法で国会空転させてさ。安倍が事実と異なる答弁した回数100回以上だぞ。そんなグッダグダでなあなあな自民党が行政担ってるんだから当然コロナ対策もグダグダになるよね。何の驚きもないよ。統計まで改ざんしてたけど、今の感染者数これ正しいの?しかも改ざんしてたの厚労省だったよね?もっと多いんじゃないの?不審死が結構出てるけど。
大震災の時菅直人でよかったわほんとに。自民とか今国会開いてないんだぜ。この緊急事態に。
始まった緊急事態宣言も前回の時と比べてスッカスカだし、しかも終わる期間まで決めてるわけじゃん。ナニコレ、意味あるの?俺はそう思ったね。でももう決まったことだからお前は文句言わないんだよな?「過去を振り返って文句言ってもウイルスいなくなんないから!!!」だっけ?決定した瞬間にもう過去になるもんねしかたないね。
批判の大切さを理解しろ。その批判が正当かどうかは別の問題だが、批判自体するなというのはクソ極まりない。ニホンジンはそこがクソ。そこがわからないくせに「選択肢がありませ~ん」「消去法で自民で~す」。あのね、本当にざまあって思ってるよ。自民支持者ども。棄権した奴も同罪な。飲食の経営者の自己責任論者は自分の人生に自分で責任つけろや。
幼少期寝ゲロで苦しい思いをしてから20数年間一度も吐いていない。
途中めちゃくちゃ気持ち悪くても、いつも喉がきゅっと締まって出なかった。
毎回車酔いで「きもちわるい…」って言い出して
慌てて気遣ったり予定変更せざるを得なかったりする家族がいるんだけど
先日の元旦の初日の出ドライブでもお家芸を披露して車中で吐いた。
「気持ち悪い」とぐったりした様子を見た瞬間から自分は気が気じゃなかった。
吐いた本人が「毎年行ってるから行きたい」って理由で行ったのに。またかよ。
帰宅したあとはケロっとしていた。
「自分は車酔いしやすいって自覚してるならこれから酔い止め飲んだら?何でいつも対策しないの?」
って提案したら
「吐いてしんどい思いしてる家族へ辛く当たる人」として認識されて家族全員から冷たくあしらわれた
え?これ自分が悪いの?
祖母「じゃあ増田は迷惑だからもうドライブにはすぐ酔って吐く◯◯を連れて行きたくないって言いたいの?気遣いがないね」
は?なんでそういういじめみたいな話になるんだよ
毎回人に迷惑かけることが予想できるんだから、できる限りの対策するのは当然だろ?
って言ったら総スルーされた
吐いた本人からは「みんなお前の意味ない発言をスルーしてるんだよ」って嘲笑された
異常者は自分
自分は吐いてしんどい思いをしている人間に辛く当たる異常者です
この家の害ですまんな
はてなーの語る「身内内で目立つために過激な発言をすることが常態化するからエコーチェンバーは醜い」という意見がはてな自体に刺さりまくってる現状はよろしくない。
どうよろしくないかと言うと、これでははてなーは「我々こそがそこいらの愚民よりも正しく賢いのだ」と選民意識を持てなくなってしまう。
いいね欲しさに攻撃的な発言を繰り出し我先にと一番槍を競う他のSNS相手に「愚民め」「さも現実が恵まれぬのでしょう」「ジョージャーク……クソワーロ」「ふむ」と上から目線を決め込んでこそはてな。
それが今やはてなの側こそが、暴力的な発言を我先に叩き込み、身内の中ですら価値の曖昧な⭐を集めんとする始末。
これではとても、「外のインターネットは平均IQ90ぐらいだけど、ウチって120ぐらいあんじゃね?」というノリは醸し出せませぬ。
時代の半歩先に回り込み、その半歩を殊更に強調して五十歩百歩の相手を嘲笑えるSNSこそがはてなでありましょう。
今のはてなでは、その甘美にして高尚なる遊びなぞとてもとても。
小説家のA先生は自分の作品に社会問題ネタを入れるのが特徴で、私はA先生の作品を何作も買って読んできた読者だ。ファンと言ってもいい。
TwitterでA先生のアカウントを見つけた時、私は嬉しく思ったのと同時に、不安にもなった。
プロアマ問わず、字書きがSNSで失言して騒がれる様子をこれまで何度も見てきたからだ。
そして嫌な予感は的中した。
喧嘩腰で政治的主張を繰り返すA先生は、他のTwitter民に嘲笑されまくっていたのだ。
残念な事に、A先生は「思い込みで政治を語る」タイプの人だった。
この手の政治語り屋は右向きだろうが左向きだろうが自分の思い込みで語るから
「その主張、実際のデータに反してますよね?」「なんかそういうデータあるんですか? 偏見だけで語ってませんか?」「実際は真逆なんですが……」
ちなみに、A先生はTwitterが日本で流行る前からプロとして活躍してきた作家だ。
現実世界の社会問題を物語の中に組み込むという手法をずっと続けてきたせいなのだろうか、「自分は政治をよく理解している」と勘違いしてしまったのかもしれない。
思い込みの激しい愚者が周囲に被害を撒き散らして最後には社会的に不必要な悪として制裁される……っていうのがA先生の作品のお決まりのパターンで、
正直しつこいくらい何度も見てきたけど、まさか作者自身がこんなに偏見こじらせてる人だったとは……。
A先生は批判に負けず、厳しい口調で自分の考えをツイートし続けた。
自作品語りなんてほとんどせず、新刊の宣伝より政治語りの方に熱心になっていた。
着実にTwitter内で敵を増やし、悪い意味で知名度が高まっていき、
そのうちフォロワー数の多い有名な政治語りアカウントからも反論されるようになって、A先生はさらに多くの人々に自身の無知を晒す事となった。
ファンの自分はというと、A先生を擁護する気にはなれなかった。
浅い知識と激しい思い込みで自信満々に政治を語り、主張の対立する相手を徹底的に蔑む姿に、正直幻滅してしまった。
「あの人、本当に小説家なんですか?www」「小説家ってバカでもなれるんだなwww」と空リプされているのを見た時はさすがにかわいそうだと思ったけど。
んで、A先生とは全く関係ないB先生の話になるんだけど、この若手の小説家さんはA先生とは対照的だった。
・ツイートの大半が自分の新作の宣伝あるいは過去作の話、あるいは自作品に関連したネタツイート(読者へのファンサービス的な)。
Twitterを読者を増やすための場と割り切ってる感じで、個人的にはこっちの方向性の方が好き。
賞を取ったデビュー作が凄く面白くて元々好きな作家さんだったけど、Twitterを見てもっと好きになった。
新刊は必ず予約して買うようにしている。
クリエイターはSNSで自由に語ればいいと思う。そしてそれを見たユーザーは何らかの意見を表明してもいいし、無言で離れていってもいい。
ぶっちゃけて言うと過去作の方が面白かったって思いながら読んでたし、ファンを辞めるきっかけを与えてくれて結果的には良かったのかもしれない。
ある美人母娘がレズの集団に拘束されてしまう。二人は縛られ身動きがとれない状態にされる。母親は服を脱がされ、自分の股が娘の顔の上に来るようなポジションにされる。娘の口には漏斗がくわえさせられているその上で利尿剤と水を大量に飲まされ、猛烈な尿意を催してしまう。レズに「○○分耐えられたら、許してあげる」と言われ、必死に尿意を抑える。漏れそう、でも大切な娘の口に放尿する訳にはいかない。必死に耐える。タイムアップが迫り、ようやく解放されると安心したところで下腹部を手で強く押される。愛する娘の口内に母の尿が流れ込む。吐きそうになるも無理矢理飲まされる。母親は泣きながら娘に謝る。それを見てレズたちは嘲笑する。
今日も両親は酒に溺れて夢の中にいる。現実と妄想と夢の中でフワフワと漂い、喧しくわめきたてたり、泣いてみたり、歌ってみたり、交わってみたり。元気なことだ。
前の父親は酒を基本的には飲まなかったし、夜に営むときはホテルに行っていたらしい。そちらの方が静かでよかったなと思う。
別に前の父親が好きだったわけではない。離婚したことに不満などあるはずもないが、今となっては最早、そこにどんな感情が介在していたかも曖昧で、目を凝らしてもその残滓すら見えてこない。彼に対しての感情は「無」に近い。だがしかし、前の父親だった彼は、あの人は、ひょっとしたら今までの4人の親の中では一番、まともな人間だったのではないか。時折そう思うことがある。ただ1つの欠点は、義理の娘に手を出し、高校に入るまでそれを続けてしまったことだ。
その人が好きだった、泣いていたら笑いを持ってきてくれた男の歌を聞いてみたが、母親にバレてイヤホンを千切られた。友達に誕生日プレゼントとしてもらったイヤホンだったのだが。
母親をみているとよくもあんなに怒っていられるものだと感心する。怒りの原因が身近にいたら仕方がないのだろうか。……単純に、自分の感情と境遇に酔っているだけな気もする。酒もよく飲む。酔うのが好きな人だ。
酒に酔うと、母親はよく私に謝罪をしてくる。しかし、私にしているわけではない。ただひたすら自分の気を済ませたいから「娘の形をしたもの」に謝っている。怒っているときは「あんたのせいで私がどれだけ我慢してるか」「私はもうやりたいこともやれないんだ」とわめき散らす。何が本音だろうがどうでもいい。非常に煩く、煩わしくはあるが、特に興味はない。なんでもとりあえず聞いて受け入れて謝っておけばよい。
多分彼女は、私の写真を貼り付けたぬいぐるみでも、泣きながら謝罪をしたり怒鳴ったりするのだろう。
父親が弾くギターの音が聞こえる、夜中の3時。毎日毎日毎日毎日酒を呷っているからか、一般的な常識も忘れてしまったようだった。田舎にある家で、近所迷惑にならないからいいだろう。そう宣う彼は、きっと私が明日学校に行かなければならないなんてことは忘れているに違いない。「家族なんだから」と頻繁に言う彼は、娘になった人間がどんなことが苦手なのかを分かろうとしない。私はハグも、頭を撫でられるのも、急に大声を出されるのも苦手だ。それでも彼はそれをやめない。「家族なのにスキンシップをして何が悪い」と癇癪を起こして、今日も寝室に引きこもった。「家族なんだから」と母親が私に謝罪を促す。私は未だに、謝罪の理由を見つけられたことがない。
男性は確かに苦手だが、私はあなたが苦手なのだ。あの人からやられたことでそうなった訳じゃない。私があなたを嫌うのは、誰でもないあなたの責任だ。──伝えられた試しはない。
朝、父親が飲んだビールの缶を潰す。きちんと洗って乾かしてからでないといけない。家から離れたところにあるゴミ収集所では、ルールに則らないゴミはそのまま回収されず、置いていかれる。父親も、どこかに置いていかれればいいと思う。
昼、学校に行く。ドがつく田舎の超が付く底辺校で、今日もヒソヒソ声と嘲笑を受ける。私があなたたちに何をしたというのか。全く分からない。実際問題、喋ったこともない。おこづかいが勿体ないので、お昼は適当なグミみたいなもので終わらせて、機嫌が悪い友人の代わりに委員会の仕事をこなす。先生には仲直りしなさいね、と言われた。彼女は私のせいで機嫌が悪いわけではなく、単純にテストの点が悪かっただけなのだが。
夜、家に帰る。夕飯は両親の気分によってあったりなかったりと読めない。訊ねると怒られるので訊ねるのもやめた。食材を勝手に使うと1ヶ月はグチグチと煩くなる。部屋にこっそり隠してあるお菓子をかじって、ゲームをして眠ると、大体夜中に大きな声で起こされる。家の中で呼ばれたら、どんなときでもきちんと返事をしてすぐに親の元へ行かなければならない。私は子供だから当たり前なのだそうだ。
前の父親は、確かに仕事がちょくちょく変わっていたし、よくサボっていた。今現在、母親は彼のことを酷く嫌っている。だが、母親が彼に首ったけだったことを私は覚えている。彼女が書いていた手紙には、あの人への気持ち悪いほどの愛が溢れていたし、仕事をしなくてもいいよ、と声をかけていたのを覚えている。
しかし、離婚し、私が受けていた被害を告げた途端に彼女は変貌した。結婚は私があの人に懐いたから仕方がなく、ということになったし、本当はかなり前から別れを考えていたが、私が一人立ちするまでは、と我慢していたことになった。私が読んだあれはなんだったのだろう。
あんなことをするようなやつ、と現父親も彼を酷く嫌っている。だが、あの人は夜中の3時に大声で歌いも、ギターを弾きもしなかったし、飲酒運転で捕まることもなかった。言っていることが矛盾することも、ないに等しかった。
あの行為自体は、嫌だった。痛みや罪悪感が行為の間中延々自分のなかを駆け巡っていたのを覚えている。現在進行形で恋愛が出来る気はしない。性行為が怖いからである。男性に自分がどう見られているか、怖くて仕方がない。恐らくこれは、あの人のせいだろう。元々そんな性格だった気もするが。
しかし、最初に書いた通り、あの人に対する感情はほぼ無いのだ。罪を償ってほしいとも正直思わない。再犯の可能性なんて捕まろうと捕まるまいと存在する。だから、ただひたすら関わらないでお互い幸せにやっていければそれでいい。彼の不幸を私は望まないし、ましてや彼を呪うことはない。彼の家族がどうにかなってしまえば……と思うこともない。
だが、両親や周りの人間はそれが気に食わないのだ。だから誘っただなんだと詰問されることになる。何故なのか。私には分からない。 恨まなければならないのだろうか。呪わなければならないのだろうか。それが人間だとでも言うのだろうか。
私は今までの人生で人を恨んだことも呪ったこともない。それを言うと「幸せな人生だね」と皮肉っぽく言われる。私は幸せな人生を送っているのだろうか。満足に風呂にも入れず食べ物も食べれず、洗濯機を使うことも許されてはいない。おまけに義理の父親に性的な虐待を受け、母親からは精神的な虐待を受け、ついでにいじめも経験した。それでも人を恨まないのは、そんなにおかしいことだろうか。
正直、本当に勘弁してほしい。私は「人を恨むな」とか「呪うな」とか言うつもりはないし、私の考えを押し付けないから、どうか私に何も押し付けないでほしい。