はてなキーワード: 喫緊とは
真っ向から対立する2つの増田が急浮上した。この2つの主張についてソースを調べてみた。
https://anond.hatelabo.jp/20230628095342
https://anond.hatelabo.jp/20240117123723
出典1 http://www.jcps.or.jp/publication/1903.html
出典2 https://www.moj.go.jp/hisho/saihanboushi4/r04/html/nt112000.html
出典3 http://www.jcps.or.jp/publication/2701.html
犯罪白書は毎年発行されて統計を載せているが、H19の副題は「再犯者の実態と対策」、H27の副題は「性犯罪者の実態と再犯防止」でテーマが若干異なる。まず、以下に主要な用語をまとめる。
出典4 https://hakusyo1.moj.go.jp/jp/62/nfm/n62_2_6_2_6_2.html#h6-2-6-03
増田Aの出典は2つあるが、出典1では刑法犯(強姦・強制わいせつ)のみを対象としており、出典2は性犯罪の定義を「強制性交・強姦・強制わいせつ」としており、迷惑防止条例違反(痴漢、盗撮等)が含まれていない。
従って、増田Aが結論づけている「性犯罪の「再犯率」は高くありません。」については性犯罪の定義が一般の認識よりも狭いといえる。
最新でも同様と言っているが、同種再犯率は再犯ではなく再入で計算されており、実刑判決を受けず有罪判決のみのものが含まれていない。分母も出所者なのでH19データとの比較するのは不適切。加えて出典不明確で覚せい剤取締法違反の出所が不明である(ただしH25-H30は当方で発見しており値としては近いものであることは確認できている)。
1.で「跳ね上がる」と表現しているがそもそも比較可能なものでない。同種再犯率も再入率も分母に再犯しなかった者の数が含まれているが、再入者の前刑罪名別構成比は再犯者のみが分母なので前2つよりも相対的に大きく評価される。跳ね上がった原因として「同種再犯率が1犯目が窃盗であるケースをカウントしないことによる過小評価がある」ことを挙げるなら、分母の差異による影響を何らかの形で除去しておく必要がある。
強姦の再犯期間は2年以上が70%を占めるので2年以内再入率を使用することが謎という指摘をしているが、自身が引用した刑政研H27レポートにおいて20年間の推移についても考察され、初入の者の割合が顕著に高いと言及されている。
5.について他の犯罪と比較した場合に性犯罪特有の事情としてカウントされない泣き寝入りがあることを指摘している。人口あたりの発生件数のような評価指標で他の犯罪と比較する場合においては過小評価を考慮すべきものである。ただし、分母に罪名別有罪確定者や出所者をとっている増田Aの指標において泣き寝入り暗数の影響は分母・分子で相殺されるとも言え、暗数が再犯率を過小評価させているという明白な根拠がない。
再発防止推進白書は性犯罪(痴漢や盗撮は含まれていない)の再犯率について、高いとまでは言えないが再犯率の高低にかかわらず根絶は喫緊に取り組むべき課題と述べている。
性犯罪の2年以内再入率は2020年(令和2年)出所者で5.0%となっており、出所者全体(15.1%)と比べると低く、再犯率が高いとまでは言えない(特1-2-1参照)。しかし、その一方で、性犯罪は、「魂の殺人」と言われるように、被害者の尊厳を著しく踏みにじる行為であり、その心身に長期にわたり重大な悪影響を及ぼすことから、再犯率の高低にかかわらず、その根絶は、喫緊に取り組むべき課題といえ、性犯罪の再犯防止に積極的に取り組んでいく必要がある。
Universe25とかいう大昔の実験が話題になっている。水や食料が豊富な場所にマウスを放つと、繁栄するどころか争った末に社会性が失われて絶滅するというもので、
この結果が正しければ、進化論や利己的遺伝子論に対する世間一般の解釈も修正が必要になってしまうだろう。
そうなっていないのは、60年前の時点で少子高齢化が喫緊の課題になっていなかったことと、実験の確度についてあまり信用がなかったことが挙げられるが、
そもそも提唱者が示していたのは「生物個体の過密状態によって行動の崩壊が生じること」であり、水や食料が豊富=ユートピアというネーミングに関しては誤解があるものと思われる。
滅びゆく世界にもヒーローが現れたりはせず、ただ滅びゆくだけだというのは殆どの生物にとって常識だが、現生人類にとっては受け入れ難い。
ネット上でワンパンマンやフリーレンが人気を博したのは偶然ではなく、サイレントテロは彼らが思った以上に大成功する。
賽は投げられた?いやいや、もう決着はついてんだよ。
うちの会社でも喫緊の課題として取り組んでるんだけど、話を聞いてると出てくるのが「2,30年前から将来人手不足になるのは言われてたんだよね」という言葉。
じゃあこの2,30年で何をしてたかというと、何もしてない。
何でかと伺うと「何もしなくてもなんとかなってたから」。
将来に対する懸念を口にする人はいたけど少数派で、多くの人は真面目に取り組まなかった。
もっと早く対応していれば今の人手不足解決できたかもしれないけど、楽を優先してやらなかった。
だからいま私たちの世代が大変な目に合ってるし、ここで何とかできなければこれからもっと大変な目に合う。
もう上の世代の尻拭いをするのは最小限に抑えたいし、下の世代に課題を押し付けて尻拭いさせるのも心苦しいから、少なくとも今できることはやっておきたい。
上の世代から押し付けられ、下の世代に押し付けることになるかもしれない課題は人手不足だけじゃない。
楽をするのも楽しむのも一人で出来るけど、社会問題をどうにかするのは一人じゃできない。
仲間を増やすために私にできるのはここに書き込んだり、SNSで発信すること。
そうしてると「そんな人を不安がらせることを拡げるのはやめなよ。」「楽しいことだけやって過ごせばいいじゃない」「現状否定に共感する人を探すことしかできないの可哀想。それよりも楽しいことだけの方が人生楽しいよ」って言ってくる人がいる。
そうやって人を茶化して遊び続け結果的に下の世代に尻拭いさせることに楽しさを見出すか、下の世代の負担を少しでも軽くすることにやりがいを見出すか。
人それぞれだから仕方ないけど、前者のような人がそのままでいられる社会であるためにも、頑張れる人が頑張らないといけない。
『アリとキリギリス』で、アリがキリギリスを助ける結末もあるらしい。
キリギリスが助けてもらえるのは、キリギリスが助かるだけの余裕をアリが作ってるから。
何も不安がなければ私もそうしたい。
だけどアリの割合を増やさないと、次の冬をアリも含めて誰一人越せなくなるんだ。
「誰かが貧乏くじ引かなきゃなんねぇんだよ」
キリギリスの皆さんにお願いしたいのは、貧乏くじを引くアリになりたくないならせめて、アリの邪魔をすることだけはやめていただきたい。
24,488人が平和を求め 軍拡を許さない女たちの会さんのオンライン署名に賛同しました。目標賛同数25,000を一緒に目指しましょう!
岸田政権は、5年で43兆円、GDP比2%という防衛費の増額を打ち出しました。しかし、防衛費は、その詳細が明らかにされておらず、どう捻出するかも決まっていません。むしろ、この軍拡は周辺諸国の緊張を高めました。これが、私たちの国のためになるのでしょうか。
政府がこれまで掲げてきた、少子化対策や労働者の賃上げ、女性や1人親家庭、非正規労働者、性的マイノリティ、子どもなど、社会的弱者のための公的支援の政策が、マイナスの影響を受けるのは明らかです。
政府の全世代型社会保障構築会議は昨年末、改革の方向を示しましたが、働く女性の過半数を占める非正規労働者、子育て支援のための財源論は先送りされました。現状の日本の教育への公的支出は先進国で最低レベルです。大学までの教育無償化や給食費無償化は、3兆円でできると言われながらも先送りされました。これでは物価高の中、子育て世帯の負担は重くのしかかるばかりで、この国の喫緊の課題である少子化が防げません。
ところが、自民党税制調査会は、こうした課題に真剣に取り組まず、軍事費増額については、法人税、所得税、たばこ税の3税を増税して財源の一部にあてることを大筋合意しました。
子どもや女性、少子化対策をなおざりにした軍拡は、この国を衰退させ、諸外国に敵を作るだけです。軍拡の前にもっと外交努力を積み重ね、平和を模索してください。
今こそ、軍事に進む政治から脱し、生活と平和を守る「女性」目線の政治が必要です。軍需産業の育成でなく、平和のための産業や技術、人材に投資してください。女性が安心して生活し、働ける環境なしでは、男性も子どもも貧困化します。
戦後の安全保障原則の大転換が、国会審議も、総選挙や国民投票もなく、特に女性や社会的弱者の声を聞くこともなく進められています。私たちはこの歯止めのなき軍拡の決定を認めません。
私たちは、岸田文雄首相、政府・与党、野党各党の代表、連合代表に対し、
2、歯止めなき軍拡を押し進めることをやめ、そして女性や子ども、若者や社会的弱者の目線に立った政策を進めること
この2点を行うことを強く求めます。
菱山南帆子 市民運動家
駒井知会 弁護士
宮嶋みぎわ 音楽家
黒部エリ 叙述業
髙橋済 弁護士
海北由希子 自営業
出田阿生 新聞記者
丸川司文 僧侶
森祐昭 僧侶
徳正俊平 僧侶
朝岡晶子 団体職員
松元ヒロ スタンダップ・コメディアン
打越正行 社会学者
立岩陽一郎 InFact 編集長
丹羽雅代 一票で変える女たちの会
当たり前だが独身。30前半までリーマンやってたが、メンタル病んで2年潰れて、34から細々と自営業続けてる。
まだメンタル不安定で、急に数ヶ月仕事ができなくなったりする時もあるけど、理解してくれているクライアントとリモートワークのお陰で、自営6年目にしてなんとかリーマン時の所得並みに近づきつつある。
メンタル病んでた2年間で結婚は諦めた。もちろん愛し、愛されたいが、こんな不安定な状況で結婚してもらうのは自分のエゴでしかない。幸か不幸か性欲は皆無(メンタル原因かと思ったが、男性更年期診断を受けたら男性ホルモンが70代相当だった)で、性欲起点でも人を愛する価値は無い人間だと思っている。
幸いリーマン時からコツコツと貯金して株買っていたので(今思えば、もっと趣味でストレス発散していればメンタルやられなかったのかとも思う)、コロナバブルの勢いもあり数年分の生活費にあたる資産がある。が、不安でこれには手をつけられない。たぶん貧困妄想だと思う。来年からは新NISAに全額移行する予定。
と、将来の不安なんかもありつつ、現状が一番健康でこれから下り坂が確定しているのであれば、喫緊で死ぬのが楽なんじゃ無いかなぁ、と思い始めてきた。アラサーの頃はあんなに死ぬのが怖かったのに。
締切はとっくに過ぎているが、悪いのは私だ
市役所までバスで行くのも、平謝りするのも問題ない、寧ろ、迷惑しているのは向こうであろう
発掘された書類の前後から、この郵便物がいつ頃届いたのかは類推がつく(このへんは恐竜や土器の発掘と酷似している
しかし、正確ではない(山や地層は一度切り崩されているのかもしれない
そして、タイムスタンプが分からない以上、どれだけ喫緊の書類であったのかもこちら側にはパット見では想像できない
封を開いて、書類に赤い大文字で激怒とでも書かれていれば、緊急性を理解できるかもしれないが、
こっちはこっちで仕事があるのだ
そもそも、細かい話は端折るが、役所側がやるべき仕事をこちら側にまでやらせる体制はなんとかならんのか
昔よりはまともになった気もするが、やはり公務員というのは頭がおかしい人種である
いや、でも、非効率な人間が集まっていたり、そんな中に俺だけは周囲と違って効率的なんですなんて勘違い野郎が多いのが公務員というか、
先週展示会を見に幕張メッセまで行った。喫緊の課題はないがコロナの間キャッチできなかった業界の流行を少しでも感じられればと半ば物見遊山であったが、久しぶりにコンパニオンのちゃんねーに声掛けられて就活以来だなと少し昔を思い出して懐かしくなったりもした。
その頃は何か気恥ずかしくて興味ある企業に声を掛けることもできず、行っただけで帰ってきたので企業主催の説明会に直接出向いたりするスタイルに切り替えるきっかけになったが、その分数を打たなかったことが結果には繋がらなかった。ただ、そもそも働いて何するのかもよく理解できていなかったし積極性の欠如や理解力、注意力の乏しさからどの道、第一志望は難しかったかもしれない。
その後、たまたま拾われた企業で学歴による贔屓を受けて幹部ルートの職歴を付けてもらい各上司の薫陶やイベントもあり経験と知識と判断力だけは磨かれた。中小企業あがりらしい現場感のある幅広く業務を知っているタイプといって通じるだろうか、東プラにいる専門性で勝負するのとは違った味わいがあると自負している。
自分語りが長くなり過ぎたが、久しぶりの幕張メッセで後ほど合流した上司と部下とこんな機会だからと海浜幕張駅付近で飲みに行くことにした。
そういった役回りが期待されるキャラクターなので飲みに行く話もあったので事前に海浜幕張周辺の情報は下調べしていた。折角ならチェーン以外にしようと、まず私のいい飲み屋の探し方である「海浜幕張 酒場放浪記」および「孤独のグルメ 海浜幕張」で検索してみたがヒットせず、次に「海浜幕張 穴場」で検索してもホテル内のレストランが出てくる程度、これはちょっとおかしいと思い内心やや焦り始めてGoogleマップで丹念に飲み屋のレビューを検索してみたら、どれも酷い酷い酷い、どれも表面上、まともなレビューはあるもののいくつか掘り下げるとすぐに接客が〜、料理が〜、値段が〜と低評価ばかりである。
いや、どんなにいい飲み屋でも悪いレビューはあるものだし、もうそういったものは無視してある一店舗に狙いを見定めた。
ビルに入る前から嫌な予感はしていた。四時にビル前にキャッチがいてビラを配っている。今の時代にそんなことする??? 歌舞伎町かな、と思ってしまった。あまりにもその兄ちゃんが元ヤンの雰囲気しかなくチラシを受け取りながらビルに入ると、何か匂う。。。まだ多くの店舗が開店前だからとはいえこれは適切な排水処理がされていない飲食店群の放つあれである。匂うからその上に消毒効果のある薬剤を撒くことで匂い自体が固着するアレ。
入店後のことは長くなるので箇条書きするが、
・三人で入ったのに席に置いてある四人分の取り皿をひとつ下げない
・焼き餃子がパリっとしてなくて芯がある固さ一度(焼いたものを解凍してる)
いやほんと久しぶりに飲みに行ったのに上司と部下に申し訳なかった。私たちが退店させられたあと予約客が続々と入っていくことから人気店ではあるのだろうけれど、彼らはリピーターなのだろうか。それとも、私たちのような展示会関係の一見さんなのか。
で、ここでようやく本題なのだけれど、海浜幕張周辺にまともな食事スポット、飲み屋は存在しないということでOK?
あるなら次行く時の参考にするし、お前の探し方が悪いんだって罵倒して欲しい。しかし、私のレーダーに反応するのは有限会社〜みたいなところくらいで、そこも駅から微妙に離れているため利用できなかった。なので、イ◯ンや富士◯の社員やロッテファンのかたが普段どこ行くのか興味がある。諦めて千葉に出るのだろうか。
いやしかし、私も一時期内房線沿線に住んでいた身として言いたいのだが、千葉から君津にかけてそれなりの人工集中地帯があるにも関わらず、まともな名物や有名な食事処がないという事実は毅然として存在していいだろう。
他の地域に行けば、名物と呼ばれる美味しいものや、なかったとしても金さえ出せばそれに見合うだけの美味しいものが食べれるものであるが、こと内房に関してはそれがまったく見られなかった。食に関する文化というものが育つだけの素地というものが存在していないのではないか、というレベルで。
で、残業代出ませんってなったの。
しょうがないから俺が請け負ってた現場仕事を現場の他の連中に割り振って
溢れた現場仕事は現場に残業してやってもらって残業代きっちりつけましょうねってしたのね。
いや、でも俺の残業時間は減ってるからトータルトントンですよねって言ったら
俺は管理職になったんだよね?管理職になったから現場仕事は現場に卸して
俺はそれの管理をするようになったんだけど、それは間違ってんの?
基本俺の手に手放せないような途中作業を残したくないのね。
なんか課で問題が起きた時に俺がそっちにかかりっきりになると、
そうなったときに「会議出てる奴の仕事待ちです」じゃ済まんじゃん。
だから俺は日常的な流れ作業から降りて管理業務に移ったわけだけど、
30代後半、妻、一児あり。
ただ、俺は家を買いたくない。
ご近所リスク、手抜き工事リスク、ローンが払えなくなるリスク。
一方、妻は何が何でも家を買いたいらしい。
妻の言い分としては、
ということらしい。
まぁ、言っていることはわかるけど、個人的にはそれでもリスクがでかすぎると、と思う。
ローン額の目安は4000万。
(もしくは、家を買う派として俺を説得してくれてもいい。俺が納得して家を買う気になればそれはそれで解決)
ちなみに、折衷案として中古で安い家を買う(ローン額を下げることによるリスクヘッジ)という提案もしたが、
【追記】
Gondwana せめて頭金に使える今の預貯金額くらい書いてくれないと何とも言えないなあ。あとは実家義実家からの援助の有無とか(これが意外と助けてもらってる人って多いんだよ)
一応、預貯金は600万くらいあるけど頭金はなしでもいいって本で読んだから買うとしても全額ローンで買える範囲にしようと思ってた。雑費もかかるし。
あと、関東近郊で土地込み4000万なんて買えるの??って意見があまりにも多いので、簡単に検索してみたが→https://www.homes.co.jp/kodate/shinchiku/saitama/list/
埼玉、新築戸建て、3LDK以上、駅徒歩20以内で3,228件出てきた。まぁ埼玉全域なので秩父とかも入ってるかもしれんけど。
元記事の主張に時間的制約が無いのではないか、という指摘は非常に重要である。私の主張は「時間的制約がある、ゆえに(やむをえず)侮蔑的表現を使ったことには正当性がある」というものだからだ。
私がこの問題について、時間的制約がある、とする根拠は次の通り:
1. 現時点(例えば今日)において「ソロキャンプをしたい」と考えた者がいたとして、その者が女性であった場合に限り「女性はソロでは危険だからできない」という状況にあるのは明らかである。この状況は女性にとって明確な人権侵害状態にあるといえる(性別を理由に自由が侵害されている)。
2. 今日ソロキャンプを誰かが諦めることは、その人の人生において、ソロキャンプする時期を失う可能性がある。
3. 2.のように、誰かがその属性によって何らかの機会を今まさに損失しているならば、それは喫緊の課題である。
これらは例えて言えば、非常に危険な地域で遊ぶ子供に対して暴力を持ってしてもその場から離れさせることに、一定の正当性があることと論理的には同じである。そこまで高い緊急性があるわけではないが、性別によって予測できる将来的なダメージと、現時点で実際に発生しているダメージを比較するならば、やはり現時点で実際に発生しているダメージを抑えるとする判断には正当性があると考える。
世界的に見れば人口は増える一方で、2050年には100億人超える説が濃厚で。
日本は少子化対策が喫緊の課題だと言われているけれど、地球規模で見れば人口は過多なんだから、別に減っていいんじゃないの?減らしたほうがむしろ適正なんじゃないの?地球のSDGs的には。
日本が人口増やさないと困るのは、年金とか労働とか主に「経済社会をどう回すか」のシステム部分なので、人口増政策を考えるのと両輪で「少ない人員で回る仕組み」を考え作ることも政治の仕事じゃないんでしょうか。
資源を持たない日本は原材料を輸入して製品を輸出することで生計を立ててきた貿易国家であるが、材料を調達してきた国々が発展し日本の製品が売れなくなって久しい。高度成長期に持っていた安い人件費というアドバンテージはすでになく、逆に人件費の差が重荷になっている。
日本が製品を売って成長していくためには発展途上国のようなライバルに競争力で上回る必要があるが、安い人件費という有利性を持つ途上国に価格で対抗するには高い生産性が必要となる。すなわち「同じ製品をより少ない数の人間で提供できるようにする」ことが必要となる。「製品提供に携わる人を少なくしないと売れない」という問題を日本は常に抱えていると言える。
もちろん、価格に左右されない決定的な魅力を持つ製品を開発することで価格一辺倒のレッドオーシャンの競争を回避することは可能ではあるものの、それでも価格を全く見ないで購入する人は富裕層のほんの一部である。多くの人は購入の有力な判断要素の一つに価格を置いており価格競争を抜きにした製品開発はあり得ない。従って、生産性の向上で余った人員を吸収するくらいの新規開拓がない場合、成長とともに労働力は全体として必要なくなる方向に進む。
さらに、AIやロボット、ドローンをはじめとする無人化技術は生産性向上を大きく加速させる。その結果、代替ができない一部の産業を除き、今は人手不足でも今後はどんどん人が余ってくる。その人材を回す先がないのである。
「仕事」が割り当てられない状況下で子供だけを増やしても増えた子供は支えられる側に回り、国を圧迫する要素になる。従って、「少ない人員で回る仕組み」に加えて「税金を必要としない余った人員の受け皿」この2つが揃わないなら少子化対策はむしろ国家の首を絞めるのではないかと思う。
国内の需要が少なくなるという少子化のもう一つの問題はやはり発展して可処分所得の増えた海外需要に求めるべきじゃないだろうか。
海外の観光産業では、日本人観光客は「クレームをつけずに黙っていなくなるから怖い」と言われていると聞いたことがある。
なぜクレームをつけないのか。
改善するとは思えない、改善したとしてももう来ないから関係ない、文句を言って相手に響かなかったら(態度が悪かったり、逆に言い返されたりしたら)結局自分が疲れる…
色々な理由があるかもしれないけれどクレームはつけない。クレームはつけないけれど、ざわざわと口コミは広がる。結果行かなくなる。
わざわざ好き好んで悪い口コミを見なくても肌感覚でわかるし。皆生活するのに必死でそれどころではない。
政治家の言う少子化対策は結局バラマキで泥縄政策で、根本的な「産めばなんとかなる」「産みたくなっちゃう」という明るい空気の醸成には至らない。
むしろ実質増税案が出て「子持ち罰」なんて言われる始末だ。独身にも罰があり、子無しにも罰があり、子持ちにも罰がある。生きてるだけでほぼ人頭税。
ここへ来てこれならクレームつけても無駄かもな…的な政治への「期待のできなさ」が蔓延していて
(与党なんかはある意味その「期待のできなさ」のおかげで勝ち続けてきているとこもある。ので斬新な方針転換はできない)、結果、無言で産まなくなる。
特に女は産んだ場合の肉体的・自己実現的負担の大きさが半端ない。それでも昭和の頃なら産めばなんとかなったんだろう。
会社員夫と専業主婦妻でなんとかなるモデルが出来上がっていった時代もあった。でも今はそんな時代じゃないってことは、今さら説明するまでもない。
世界的に見れば人口は増える一方で、2050年には100億人超える説が濃厚で。
日本は少子化対策が喫緊の課題だと言われているけれど、地球規模で見れば人口は過多なんだから、別に減っていいんじゃないの?減らしたほうがむしろ適正なんじゃないの?地球のSDGs的には。
日本が人口増やさないと困るのは、年金とか労働とか主に「経済社会をどう回すか」のシステム部分なので、人口増政策を考えるのと両輪で「少ない人員で回る仕組み」を考え作ることも政治の仕事じゃないんでしょうか。
でもそれ全然できてないよね(実感できるのはセルフレジの増加くらい)。産めよ殖やせよ、つってバラマキしたところで、増えないよ今の政治のままじゃ。未来を感じられない政策のままじゃ。
翻って自分の話をする。
氷河期世代独身子無し。給料はさほど多くないけれど、一人で食べてはいける。
友達には結婚した子もいるし、離婚した子もいるし、なにより似たような境遇の子が年齢に関わらず圧倒的に多い。類友だ。
結婚して子供がいて離婚していない(言い方!)友達とは、今はあまり会っていない。
子育てが忙しいだろうし、向こうは向こうで類友(ママ友)と会っているだろう。なので私と私の周囲だけの話になる。
独身、皆楽しく充実して暮らしている。推し活、サ活、ソロキャン、ベランビング、ガーデニング、
同人活動、スパイスカレーに凝ったりなんかして…こうやって並べるとおじさんの趣味と変わらないけど、私たちもこんなもんだ。
独身子無しが「今とても充実している」と言うと決まって「先は厳しい」と言うひとが出てくる。意地悪だねぇ。
曰く「結婚していないと(子がいないと)寂しい老後になる」「ヨボヨボになったら誰に面倒見てもらうのか」トカトカトカ。
そんなのねぇ「どうですかね」としか思わない。
私たちはもう、結婚してて夫婦一つ屋根の下に住んでいても、子がいても、寂しい人を知っている。
諸々揃っていても寂しい人なんて世界中にゴマンといるこの世の中で、老後が寂しいか否かなんて「自分次第でしょうよ」としか思えないし、
自分の老後についても「まぁなんとかなるやろ」としか思わない。なんとかならなかったらその時はその時でしかない。
今どんな環境であれ未来がどうなるかわからないのは誰でも同じことで。あと「老後の面倒見てもらうために子を産む」発想は私にはないわぁ。
未来(老後)とか他者(子)のことよりまず「今」「自分」でしょ。刹那主義者ではないけれど、「今」の積み重ねが人生なので。
ごたごたと書いたけれど、私は心の底から「子供いなくてよかった…!」と思う。「産めばよかった」と思ったことがミリもない。
こんな世の中に産んだらかわいそう…責任が持てない…まっとうな大人に育て上げる自信ない…という気持ちを差し引いても、
そもそも自分の人生において子供を持ちたいと積極的に思ったことはなかったし(「持つかもしれんな」くらいならあった、あったこともある)、
これからもおそらくないし、ないままそのうち子を産めなくなって、それで後悔はないだろう。
「母性神話」の人たちには信じられないかもしれないけど、私はそんな感じだし、そういう女性(匿名であれ顕名であれそれを表明する女性)は増えているという体感はある。
女=子産み本能 とか別にないし、もし仮にそういった動物としての本能が「ある」ということだとしても、結局のところ本能に従って少子化が進んでいるんだと思う。
さっきも書いたけど、地球は既に人口過密なので。(水槽の魚が過密になったらなんだかんだで適正数まで減る…と同じという意味で「本能」でいいと思う)
今子供がいる人は、今とこれからの世代が子を産まなければ困るんだろう。でも我々子なしは困らない。残念ながら困らない。
私はひとりでいることが苦痛ではない(どころかむしろ快適だ)し、家や身の回りを暮らしやすく日々調整している。
プライベートな領域に「他者」が存在しないというのもあって、自分次第でどんどん快適になる。楽しい。
これは自分に「楽しむ能力」があるからかもしれないし、やっぱり自分で自分の食い扶持は稼いでいるからできることなのかもしれない。
もうほんとに、女は職を、経済力を手放してはいけない。本当に。資産家は別として。
雑音は聞かなくていい。自分の幸せは自分のもので、他人の幸せとは別もの。
自分にとっての幸せがわからないまま生きてる人も多いけど、わかった方が楽しいし。
それを知るために「絶対」ではないものの、あった方がいいのは「教養」と「経済力」だと私は思っている。
職もって自力で稼ぎ続けると、それ両方くっついてくるから…と思ってる。
(もちろん別ルートで教養や経済力を得る人もいるだろうし、そんなのなくても「自分の幸せ」が見えてる人もいるのはわかっており)
私が今自分で自分を養えるのは、自分の能力もあるけど、教育を与えてくれた親のおかげが大きい。ありがたい。
女を子産み奴隷にしておきたいタイプの人々は「女に学はいらない」と言うだろうけれど、幸運なことにうちの両親はそうではなかった。
(親ガチャ…あるね…と思う)
「結婚しろ」攻撃はいっとき強かったけど、今はもう諦めたみたいで「あんたが幸せならそれでいい」と言ってくれた。
孫の顔は見せられないが、私は強く楽しくまっとうに生きているので、親はそれ見て安心してくれたようだ。
贅沢を言えば、もっと給料がもらえたらいいし、て言うか、宝くじが当たって資産10億円になればいい。
そしたら趣味で仕事をします。社会との接点は持っておきたいから。
贅沢を言えば、常に恋人がいたらいい。恋をしてる時は楽しいしな。
あと、男女ペアの方が行動しやすい場もあるし、たまにはそういうの行きたい。
でも、贅沢を言わなければ、今のこの状態で必要十分だなって思うし、なんと、私は今幸せだ。
老後のためにある程度は資産形成して、体力づくりして、もし残るものがありそうなら遺言きっちり書いて、
あとは似たような境遇の友達と適当に暮らせればベスト。両親を見送ったら後はいつでもいいし。
とは言え生き死には選べないので、無駄に長生きしてボケ果てて死ぬかもしれない。それはわからない。
配偶者や子がいようがいまいが誰でも死ぬ時はひとりだし、なるようにしかならない。
政治や社会は少子化を「ゆゆしき事態」ととらえているけれど、一個人としてはこんな感じ。
本当に「ゆゆしき」と思っているなら、もっと早く対策しておくべきだった。
具体的にいうと、90年代、バブル崩壊後にすぐやって、団塊Jrという人口ボーナス世代を救っておかねば今こうなるのは自明だったんじゃないかな。
当時の政治や経済界が先を見通せず、仕事をしなかったので、正直手遅れだと思います。
今となっては人口減でも回る仕組みを作る方向に舵を切らないと、そっちも手遅れになるかもね。
いずれにせよ、2023年日本に生きる氷河期世代の女一匹として「子は持たなくて本当によかった」が本音。
追記1:ツイッターで自陣に回ってくるまで気づいてなかったんだけど、読まれてるのですね。長文なのに、読んでいただきありがとうございます。
「コメント欄が地獄」と見かけて気が気じゃなかったけど、ある意味想定内なのかもしれません。
まぁ、斜めにざっとしか読んでないけど…(「地獄」をひとつひとつ真正面から読み込むほどの誠実さは私にはないので)。
いろんな理由でこういった意見がお嫌な人はお嫌でしょう。だから「普通は/大多数は」「思ってても言わない」「クレーム入れずに黙って消える」のです。
表立って言わないことを敢えて書いたんだから、こういう言い分が耳障りになる人たちからの反発があるのも理解できます。
ただやっぱり、本稿に記載のない私の心情、状況、属性、生育歴、はたまたルックス等を「こうであるに違いない」「◯◯乙」と決めつけている系コメに関しては、
「それが私に刺さるとしたら、図星な場合だけかな…」とは思うのですよ。
しかしいちいち「違いますぅ!」「本当はこうですぅ!」とか言ってるうちに私の輪郭線がはっきりしてきてしまいそうですし、
「そう思うことであなたの気持ちが安らぐのであれば、そう思っておいてください」としか言えないですね。どうぞ安らかに。
追記2:「恋人はアクセサリーじゃねえぞ」的な意見もどこかで見ました。これはたしかにそう。
「オプション」という書き方がいやらしかったと自分でも思います。
愛し愛されは、ないよりあった方が自分的にはいいなと思っている、というようなことが言いたかったです。
ただ、自分は「常に恋人が途切れない」タイプではないので、恋人がいるときの楽しい嬉しい気持ちを思い出しつつ(むろん楽しいだけじゃないが…)という気持ちもあり、
また、恋愛→結婚という一本道も想定していないので「あったら楽しいオプション」みたいな書き方になってしまいました。ここ、うまく表現するの難しいですね。
追記3:たくさんの反応をいただき、ありがとうございます。こちらで追記は最後にしたいと思います。
まずネガコメをざっと見回して思ったのは「呪いがすごい」ということ。
「酸葡萄」「これでいいと言い聞かせている」「50、60になっても同じことを思っていられるか」「30年後にもそう…」「死ぬ前に…」
この類のコメントって結局言いたいことは「悔しがっていてほしい」「(どこかのタイミングで)子を産まなかったことを後悔しろ」「後悔して死ね」ってことなんですよね。
いやいや、しないと思いますよ。まぁ未来のことだから「絶対」とは言えないけれど、たぶんしないと思う。後悔しない婆になる。
でもそういうストーリー(子を持たない選択をした女が幸せに生きて死ぬ)は「嫌」なんでしょう、そういう人たちは。
で、私の興味は、なぜそんな呪いをわざわざ人にかけるのか?(大丈夫か?)、になるんだけど、
まぁ、呪ってる人々のパーソナリティ(男?女?未婚?既婚?子あり?子なし?自身の選択や現状を後悔してる?してない?)を推察したところで意味がないのでここでそれはしません。
私のパーソナリティを「こうであるに違いない」と決めつけられてもな…と同じくらい、私にとっては意味のないことです。
(「違いますぅ」「本当はこうですぅ」の応酬ほど不毛なことはない)
ここまではっきりと呪う思い(呪う思い…)を可視化されて、改めて思いました。
「女は『産む性』を行使しないと後悔する」という呪いにかかる必要なんかないよ、と。
「産みたい」という気持ちがあるなら産めばいいし、産んだことに後悔せず生きてく方がいいのと同じくらい、「産みたくない」という気持ちも尊重されていい。
「産みたいのに産めなかった」人も同様に、この呪いにかかる必要はありません。
「後悔させようとする」勢がなぜわざわざそうしたいのか、比喩的に端的に言うと「信仰が揺らぐから」なんだろうなとは思います。
「黙っておけ」という、言論の自由と真っ向勝負するが如くな封殺ムーブもその一環でしょう。
でもなぁ、他者に呪いをかけるようなその「信仰」に巻き込まれる必要は1ミリもないなと思いました。
生き方は自分で決めればいいし、自分自身への決定権を持つために必要だと思うことは、本稿で書いたとおりです。
他者や社会からの決めつけに「呪われない」、他者の生き方を「呪わない」で生きていられたら、私はそれが「幸せ」のひとつだと思うのです。
ご自身のポジション(男女未既婚子有無…)にかかわらず、肯定的なご意見をいただけたことにも、感謝しています。