はてなキーワード: 健康被害とは
ほら、たばこって大麻よりも依存しやすいみたいなことよく言われるじゃん。
事の真偽は知らないけど、そんなに中毒性が強いのに、なんで吸っても吸っても続かないのかなあと気になるんだ。
今やたばこなんて害悪でしかなくて、吸えば吸うほど健康も悪化するし後ろ指をさされるしでいいことが無いのは知ってる。
でもなんかこう、そんなに中毒性が高いものなのに続かないっていうのは、自分の体のどこかがおかしいんじゃないかって、ちょっと思うんだ。
ある意味、「趣味が禁煙」「禁煙なんて簡単だ。その証拠に私は何度も禁煙している」みたいなものなのかもしれないけれど。
小学生の時に所属していたスポーツチームの監督が、喘息持ちのメンバーの前で思いっきり吸っていて、ひどいなって思ってたから。
同じく小学生のころ、卒業文集に「今だから言えるごめんなさい」みたいなコーナーがあったんだけど、同級生の女の子が「お父さん、たばこが嫌いだからってお父さんのたばこ隠してごめんなさい」って書いてるのを読んで、それは違うだろうと思ってたから。
テレビを見てもたばこによる健康被害のことしか言ってないし、たばこなんて人間の屑がやるもんだと思ってた。あと火が怖かった。熱いじゃん。
でも大学生のころ、彼女に振られて家族と喧嘩して成績も下がっていって……ととにかくなにもいいことが無い時期があったんだ。
もうやる気なんて失せて、なんにもやりたくなくて、でも元々エネルギーが有り余ってるような性格だったから何かやりたくて、じゃあどうせなら非行にでも走るかって思って、吸ってみたんだ。
一番オーソドックスなのを、と思ってマイルドセブンを買った。何年かしてもう一度買おうと思ったらメビウスになってた。それくらいの興味しかなかった。
吸ってみた感想は、正直よくわかんなかった。別にまずくもないけどおいしくもない。ベーコンから肉のにおいを取ったものをひたすら嗅いでいるような、ひどくぼんやりした感じ。
でも思ったのは、とにかくこれ、ぼんやりできるなってこと。火をつけて、吸って、はいて、でも下手するとやけどするから気をつけなくちゃいけなくて、の繰り返し。
火への注意って意味では集中してなきゃいけないけど、それ以外は単純作業で、でも健康への害っていう意味では自傷行為のような面もある、それがとにかくエネルギーの切れてた当時のおれにはちょうどよかった。
活動としての強度がちょうどよかった。だからひたすらぼんやりできた。彼女に聞かせたかった話とか、母を泣かせてしまったこととか、研究者になる夢とか、全然考えなくてよかった。
たばこ吸ってる人ってみんな、すごいストレスと抱えてるけどうまく吐き出せなくて、その代わりにたばこを吸ってるんじゃないか、なんて思ったりしてた。
だから夜な夜な近所を徘徊しては、落ちてるたばこの吸い殻を集めて、家に持って帰って捨ててた。
つらいよな、おれもめちゃめちゃつらい、でもさ、ポイ捨てしてみんなに迷惑かけちゃいけないよ、今回はおれが拾っておくからさ、お互い早く元気になれるといいね、なんて思いながら。
人とのつながりが切れていたおれにとって、たばこを吸って自分の体を傷つける一方で、そうやって善行を積むことでなんとか社会に居場所を作りたかったんだと思う。
なんだかそういうメンタルの動きが大きくなるにつれて、たばこを吸わなくなった。最初に買った1箱目か2箱目も、全部吸い切らずに捨てちゃったはず。
でもメンタルの波が若干収まったころ、またなんとなく吸うか、みたいになって、数か月に1度たばこを買ってた。1箱吸いきることはまれで、2~3本吸って人にあげちゃったり、半年放置して捨てたりしてた。
田舎でシフト勤務のこの業界では、趣味がパチンコとたばこしか存在しないようなもの。ギャンブルに興味のないおれは、周りに流されてまたなんとなくたばこを吸うようになっていた。
たばこを吸っていると上司の覚えがいい。喫煙所で顔を合わせるという単純接触効果でしかないんだけど。同期や後輩もみんな地方出身のマイルドヤンキーばかりで、たばこなんて当たり前だった。
あるとき同期の女の子を好きになった。めちゃめちゃかわいかった。喫煙所で毎日のように彼女について話した。仲の良かった先輩が親身になって相談に乗ってくれたりした。
彼女は酒もたばこもやらない人だった。それらに嫌悪感は無いけれど、自分ではやらない。そんなところも好きだった。
一緒にご飯に行ったり、お茶したり、家に来てくれたりもした。傍から見てもうまくいっていたと思う。
もっと彼女と同じ景色を見ていたくて、おれは酒とたばこをやめようかと思っていた。そう彼女に話すと、彼女はいつも「そんなことしなくていい」と言った。
どうしてそんなことを言うのかよくわからなかった。
そしてついに彼女に告白した。結果はだめだった、と思う。なんというか、適当にはぐらかされた。
しばらく経ってから、彼女がおれの相談に乗ってくれていた先輩と付き合いはじめたと知った。不意打ちだった。
奥手でうまく動けないおれに、常々「そんなだからだめなんだよ」と言っていた先輩。元ヤンで、中学からずっとたばこを吸ってる先輩。
たばこすら続かないおれと、吸い続けたうえ彼女を手に入れた先輩。
全く関係ないことは知っているけれど、比べようと思えばいくらでも比べられるものなんだな、人って。
最近本屋で、小さな瞬間が云々という本を見かけた。ただ鼻を触るだけ、そういうまず仕損じることのないようなことから始めることで、習慣を身に着けることができる、みたいな内容だったと思う。
ところで今おれの部屋にはアメリカンスピリットの3本ぐらい吸ったウルトラライトが1箱、未開封のライトが1箱、煙草屋で買った、手巻たばこのセット(一式と葉っぱの試供品がいっぱい入ってる)が転がっている。
前回たばこを吸ったのは3か月前だ。ただ、それだけ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1153261
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/mainichi.jp/articles/20170921/ddm/016/070/003000c
あとシノドスのフリーライターのレポートもあったが、どれも「医術と呪術を混同する両論併記をやめよ」という趣旨が確認できる。
林智裕についてもそうだが、「これ以上福島県の健康被害について口をはさんではならない。それは差別だ」という論旨であり、
林氏は心無い中傷で県民が傷ついているという批判の中で「呪い」という言葉を使っていた。
本来は全文を読むべきだろうがまず書いておく。
壊滅的な被災のなか、復興への向けて頑張っている人が悲観的な話を聴くのがつらく、実際に精神を病むこともあるだろう。
そうした福島県民を始めとする東日本大震災の被災者の皆様の気持ちは自然であることは認める。
しかし、隣県の新潟県では原発事故についての検証委員会が始動しだしたところである。
私自身、なぜ「子供たちの未来」云々が危険視しようが安全視しようが登場してきており、政治的支配欲が出ているようで非常に不快だし、
泥流による放射線の健康被害から本来定住すべきではない場所だと言われてむっとしたこともあるが、
新潟県知事選当時、県内在住の反原発派から「お前は本当に福島県民か?」というような差別発言は聞かれなかった。
(インターネット上で選挙運動や訴訟活動を行っていることを明記した人物に限定した話ではある)
現在、在日コリアンを念頭に外国にルーツある人物へのヘイトスピーチは違法化された。
この前例に則り、学術会議への異論も福島県へのヘイトスピーチとして違法化され、
事実、在日朝鮮人や沖縄人への民族差別をアナロジーとして、福島県民への差別を説明するレトリックは存在している。
このような議論は被差別民族への想像力の欠如と思われるかも知れないが、対策法で最も懸念されていた問題点である。
しかしポストコロニアルな当事者性を強調することで国や東電の構造的責任が看過されてしまうことはないのか。
実際に被災した地域を二度と同じことを繰り返さないよう防災の観点から引用し検討することすら差別や呪術であり、
野蛮な攻撃とすることは学問の権威化であり、自由を害することである。
こうした声明が突き付けられた以上、このような論理は粗雑過ぎると一県民として明白に考えざるを得ない。
2007年の中越沖地震での放射能漏れが原体験として上げられている。岩手県の震災瓦礫の件はここを改めて意識してほしい。
チェルノブイリは福島第一よりも安全という発言は海外への県の農産物輸出戦略の一環である。
国際的観点から見て廃炉出来ていない原発がチェルノブイリに比して安全だと言えるのか。
ショッキングな発言だったかとは思うが、公人として県政運営のなかで必要な見解だったのであり、
過激さをもって差別発言と断じることは不公平であり、思いとどまってほしかった。
(不幸にも彼は権力基盤上、排外主義を扇動している自民党からしか国政候補へ立候補できなかった。これは彼を被災者レイシストと断ずる根拠になりうる)
私の知る限り、泉田知事が被爆が疑われる人物に意識的に差別的な県政を行ったという情報はない。
四期目を断念した後自ら原発に屋根を作った云々という恩着せがましい発言をしているが、
撤退理由であるフェリー船問題は船を売りつけた韓国企業が東京電力からの度重なる広告出稿を受けた新潟日報と結託しており、
そのような形で追い込まれて撤退した人物が、悪いことばかりしたわけではないという弁明はある程度必要なはずだ。
このような極めて強引なかたちで引きずり降ろされた人物に、撤退後まで完全に無難な言動を求めるのは酷すぎる。
県民の代表が、極めて不自然に引きずり降ろされたなか、このような声明を出すこと意味を想像していただきたい。
ダイエットや美肌、バストアップなどのコンプレックス商材(一般化粧品・健康食品の類)の記事広告を書いている会社に勤めているそう。
コンプレックス商材を売る際には、分かりやすく効果効能を謳ったほうが確実に売れる。
でも、薬機法や景表法などの法律や媒体独自の広告審査基準があるので、どんなにメーカーが自信を持ってリリースした商品であっても
「痩せる」「シワが消える」「胸が大きくなる」などの効果効能を謳ってはならない。
商品を購入させるということは、ユーザーにとって「出費」というリスクを背負わせることだ。
過度な期待は、商品を購入させる後押しになる。
買った後にただ「効果がなかった」で終われば、次は同じような失敗をしないと心に決めればいいだけの話だが、
最近でもバストアップ商材に配合されるプエラリアでの健康被害が消費者庁に多数寄せられている。
このように、商品の購入がユーザーにとって不利益にならないよう、情報を発信する側に厳格なルールが設けられているのだと思っている。
でも、この会社はそんなことお構いなし。ユーザーにとにかく買ってもらうためには、法律をぶっちぎろうが構わないという感覚を持っているらしい。
その手法を聞いて、私も驚いた。
①法律(薬機法・景表法など)や各掲載媒体の独自ルールを遵守した記事と無視した記事の2つを用意する。
③審査が通れば、ルールや法律を無視した記事に切り替え入稿する
という仕組み。
と尋ねると
「広告に対するユーザーの評価が低く、すぐに配信停止になるから、バレないらしい。」
とのこと。
つまり、本来謳えないはずの効果効能をツラツラと並べた広告を配信し成果はあげつつ、
違反申告などリテラシーの高い人間の行動を上手く利用し、媒体にバレないギリギリのラインで美味しい思いをしているというわけだ。
こんなことがまかり通っていいのだろうか。
友人も明らかに「やってはいけないこと」だと思い、上に打診したそうなのだが、
「今はこれがトレンドだから。クライアントの満足(売る)ためにできる最善をつくすことは考えないの?」
と切り替えされたそう。
でも、売るためには手段を選ばなくていいというわけではない。
実際問題、この配信方法は関わる全ての人を騙している詐欺行為とも取れる。
まずはユーザー。
この会社は、商品モニターもせず、クライアントからもらった情報のみで効果効能を謳っているのだそう。
そんな試してもない、捏造だらけの情報をみて、ユーザーに不利益が出るかもしれないことを考えていないのだろうか。
そして、媒体。
審査用の記事としてクリーンな記事をチェックしてOKをだしたのに、実は知らないところで、法律やルールを破った記事が掲載されているわけだ。
媒体が分からしたら、自分たちの大事にしている商売道具が汚されているのだ。
確かに売れればそれが一番ではあるが、法律違反に加担してまで商品を売りたい会社なんてあるのだろうか。ないだろう。
もしその記事が炎上でもしたものなら、広告主も痛手を負うのは目に見えている。
「売る」ための広告。
でも売るために法律を破ってまで広告をすることになんの意味があるのだろうか。
なにより、「買って欲しい」と願う広告が、人を裏切ったら元も子もない。
平時のマニュアル外の行動を個人の責任で勝手にやってるのかそれとも上にやらされてるのか不明だけど
統率のある組織行動がとれてないことからその場でイレギュラーな何かが起きてるのが明らかだから
増田が「薬の成分が血液から検出されなかった」の部分が真実なのか疑って健康被害を心配する背景はわかる
不正があると考えるとそもそもの出発点の「血液から何も出ない」が事実ではなくて
敵にわざと嘘を伝えて状況を操作しようとしてる可能性を疑わないのはノー天気だろう
やりとりが事実だとすれば治験に応募してくる患者の命は安いが医師免許を持つ側の常識で
まともな人がこういう仕事に関与してない世界なんじゃないのかな
仮にそうなら監視や仲裁を行うとされる組織もただ建前的に存在してるだけで仕事する場所とは誰も思ってない
性善説で登場人物がぜんいん正直者とすると残りの可能性は薬の製造のどこかにミスがあって薬が解けずにウンコと一緒に排出された可能性だな
はてなの外で擁護生地が出ててそこでは増田の話は信じない前提なのに機関側の主張は全面的に信用して薄気味悪さを感じて書き込んだ
https://anond.hatelabo.jp/20170729065340
自分が受けた試験の内容は、飲み薬で確か病院に10泊を二回して約25万円ぐらいをもらえるような試験だったけど、受けたあとが最悪だった。
最近のフェーズ1の内容は正直分からないが、(一回投与→お休み→連日投与→お休み)☓2回みたいなのが期間にあったか?
どちらかは実薬、どちらかはプラセボだが・・・・・・、一切実薬が飲まれてない、という事は本来ありえない試験デザイン。
本来は、単回投与試験とあって、その次に連日投与試験というのがあって、また薬の用量を推測する為のステップ試験というのがあって、なんだけど、被験者を集めるのに費用がかかるというい事もあって同時に複数の目的を盛り込んだ試験がフェーズ1には多い。まあ、例数もギリギリに押さえ込む。増えるとお金かかるんだよ(被験者への礼金が25万だとしても、施設に支払われる金はもっとかかるし、試験を分けるとPMDAの人と打ち合わせする費用も増える。そっちの方が大きい。三十分で20万だっけ?伝聞なので大変怪しい(最近製薬企業での治験には絡んでない))
試験が終わって一週間ぐらい経ってから、自分の携帯に東京クリニカルリサーチ病院から連絡があった。
どうやら、自分の試験結果におかしなところがあったようだった。(自分は医学的なことは詳しくわからないけれど、薬の成分が血液から検出されなかったようだった。)
普通の血液検査尿検査(臨床検査という)は、その施設で行われたり、検査機関に持ち込まれたり(普通の診療所でも最近は診療所に装置がない)する。治験の薬の薬物動態は、テンプレな臨床検査機器では測定出来ないので、その製薬会社の研究所に持ってかれたりする。
薬の成分が云々というのは、本来正しく実施されていれば、前期後期どちらかで薬物が検出されている(当該有効成分、その代謝物)という話。
電話口にでたスタッフはすごく威圧的な口調で、不正をしただろ、不正をしたことを認めないと25万円の謝礼を支払わないぞ、と脅しのようなことを言ってきた。
もちろん、自分は不正なんてしていないし、試験中は穏やかだったそのスタッフが急にそんな威圧的な態度を取ってきたことに驚いた。そのスタッフの本性を見たような感じだった。
:
まず最初に。
薬を飲んでいないようので、特に薬による健康被害は心配しなくてよい。いや、乳糖であろうが錠剤飲まされるので気分悪くなる人はいるよ。胸がムカムカするとかよくある。だけどまああまり重症にはならないので心配しなくていい。
ちなみに、もうこの時点でこの治験は「失敗した事を報告せざるを得ない」ような状況である。
大体例数はギリギリ。
多分、施設側が勝手に忖度しているかと思う。製薬会社としては、言い繕いが難しいのもあって患者の不正を疑うとはちょっと思えないので。いや、一週間強吐き続ける人ってどういう事?って聞かれるよね。そんな説明って持ってけないよ流石に。多分、治験実施の契約での、被験者足りないとお金出しませんよ未達なのでとかって、製薬会社と施設の契約に絡んでると思う。
ことインターネットでは、思想や支持する政治スタンスによって左から右のカラーリングを分け、しばしば自分と違うカラーリングの人をバッシングする様が観測できます。
しかし、至極当然ながら、カラーリングでの敵味方のカテゴライズは非常に危険です。集団効果は、異を唱える人間がいないことから自体を悪化させるため、お互いがお互いのイエスマンである関係は非常に不健全と言えるでしょう。
そして、バッシングする際に、相手のバックグラウンドを浅薄だと断定し、それ故の容赦のない罵倒をしている姿も散見されます。
ネトウヨ、パヨクとバカにするさまがまさにそれに当たるでしょう。
実際、ネトウヨと罵倒されても仕方ない、パヨクと罵られても仕方ない、そんなふうに思ってしまえる無茶苦茶な人もいますが、それはそれらの言葉が実際使われる頻度よりは遥かに希少なものです。
何故なら、呼称される側が、"その考えに至っても仕方がない"というシチュエーションが大半だからです。
例えば、私はここ六年ほどの韓国政府には一定の猜疑心を抱いていますので、韓国政府がおかしいと思うことは多々あります。
原発に関する強い否定をする方々にも少々距離を置きたくて、放射能を過度に怖がる事がかえって福島の方々を苦しめている様は正視に耐えないものがあります。
一方、組織犯罪処罰法の改正案の際は常に政府への不信感があり、ろくに修正されずに可決したことは心の底から落胆しました。急すぎだろあれ。
また、辻元清美と埋め立て作業員の関係に関しては、私は完全にデマと判断しています。
しかし、人によっては私の韓国や原発への言及をネトウヨ認定するかもしれませんし、組織犯罪処罰法改正案の話や辻元清美の言及ではパヨクと認定するかもしれません。
しかし、それって結局、自分が信じるスタンスと違うからってラベリングして叩いてるだけじゃないですか。それこそ浅はかじゃないですか。
人がその発言をするまでには、前提として知っている情報があって、それは見たテレビのチャンネル、読んだ新聞等によって変わってきますよね。
また、どんな知識を今まで培ってきたかによって、情報の受け止め方、咀嚼の仕方は違います。
それらの一人一人の違いは、たった一つのイシューの違いでネトウヨだのパヨクだので判断できるものでは到底無く、物凄い幅のあるグラデーションなのです。
さっき韓国政府の話をしましたが、日本から見ると無茶苦茶に見える政府の対応も、国の文化や制度を理解すると、なるほどと合点のいく場合も少なくありません。
ゲーム理論に基づけば、条件さえ揃えば多くの人は同じ行動を選択します。だから、何も不思議なことではないのです。自分の殻に入ったまま批判をしても仕方がないのです。
であれば、自分とスタンスの違う人間が何故そんな発言をするのか、考えに至るのか、そこに至るまでの流れを、相手の浅薄さと断定せず、何か理由があるのでは、と考えてみて欲しいのです。
原発の放射能の問題は、シーベルトやベクレルと言った単位が、どの値からどれくらいの健康被害が出るのか未だにはっきり断言できず、かつ政府への不信感も合わさることでとにかく怖がっている様子が見て取れ、自民党はエネルギーのベストミックスと位置づけ原発の廃止をする様子がないことから、恐怖感を持っている人はとても強いアレルギーを抱く様子が想像できます。
それらの人の人生に、原爆、スリーマイル島、福竜丸、チェルノブイリと言った深刻な事故の記憶が深く刻まれているなら、尚の事です。
テロ等準備罪と言われる組織犯罪処罰法改正案も、政府が立法事実にしてることが全部薄弱な根拠であることに目はつぶるとして、完璧に事件を未然に防ぐには、NSAのような事前の操作能力がプライバシーを侵しかねないほどの大きさで必要なのも、理解はできます。
辻元清美の一見も、生コン会社との献金の話は本当でしたし、籠池夫人のメールが修正求められてそれにメディアが応じたのも、メディア不信の人間からすると、極めて辻元清美に有利に動いたよう映るのもよく分かります。また、訂正報道をしたのも、TBSラジオであり、TBSは過去、石原慎太郎の発言を事実と違う形にテロップをつけて放送したことがあるため、信用に値しない、と判断する人もいたことでしょう。
考えはわかる、理解はできてる。
それでも、違うものは違うときもあるのですよ。でもそれは、発言者がネトウヨだからでもパヨクだからでもない。前提にする知識がまちがっていたり、あるいは不足しているから、事実に即していない発言になるのです。
韓国政府は、バックグラウンドや法制度、政治のルールを把握すれば、行動は理解できますが、それが国際法や外交の態度として適切かどうかの指摘や非難は、妥当な範囲でされて然るべきです。
原発を過度に恐れるのと福島への偏見をもつのは、感情論が先行している側面は否定できないでしょう。地域の測定データは常に掲載されており、農産物は問題がないと断定できます。健康被害は今後も観測が必要とはいえ、今のところ現れていません。
恐らくリスクがあるだろうと推定できるので怖がるのと、リスクがゼロじゃないから怖がるのとでは、随分違うじゃないですか。この場合、後者の怖がり方をしているように見えるわけで、その場合、この世に絶対がない以上、安心は得られないって事になります。それは極論だとしても、大丈夫であろうってデータが出ているのですから、それを無視して原発を恐れるあまり、福島を過度に恐れるのは、差別につながるってリスクを知って頂くことで、大丈夫であろうってデータを真摯に受け止めて欲しいです。
組織犯罪処罰法改正案も、政府の説明する立法事実が根拠薄弱である以上、仮に荒れる議題だとしても、プライバシーと犯罪抑止の議論はしっかりとするべきだったはずで、その点政府は本当に不誠実であったと言わざるを得ません。
辻元清美の一件も、何故籠池夫人がその話を知っていたかという視点に当てると、メールを送ったタイミングのほぼ直前に、そう言った無根拠のデマが松山昭彦氏らのブログに載る形でネットに出回っていた事を確認できる以上、それを見た夫人がメールを送って、そのメールがマスメディアに掲載されていたであろうと言う流れを把握して、真偽を推し量ることが必要です。
もちろん、この四つの話題、私のこの書き口に批判があることでしょう。
しかし、批判されても全然いいんです。私は私の知り得る限りの情報から、これらの話の結論を持ってきました。違う結果が出たのなら、それは違う前提知識によるものです。その知識をもとに私を批判することは、私に新たな知識と知見を提示することであり、それは私にとってもとても望ましいことです。
真実の探求やより良い形を求める際、ディベートという討論方式が用いられます。
これは、いわゆる言論の喧嘩ではなく、それぞれの立場になって、立場をロールし、それぞれの立場で知識を用いることで、より良い決断や探求を行うための会議話法なのです。
自分と違う意見の人間がいたら、すぐに「あなたは間違っている」と言うのではなく、「何故そう思うのですか」と聞き、自分との違いを浮き彫りにしながら、相手の立場なら自分はどう考えただろうと想像する。それだけで、随分言論は平和になりませんか。
私の両親は共に政治思想はリベラルですが、父の場合は洋楽にハマってアメリカ文化に興味を持ち、その一環で公民権運動に感銘を受けた背景があります。
母の場合、フォトジャーナル誌を出先の銀行で読んで衝撃を受け、以後反戦の思いが強まるとともに、中東問題に強い関心があるためであります。
二人とも、共謀罪反対、自民党を快く思ってないって点では一致していますが、根っこに同じものが根ざしているわけでは、全然ないのです。それも、同じ時代を生き、長らく生活を共にしてきた夫婦であってさえ、です。
それだけ、一人一人、考えに至るまでの前提って違うと思うのです。
だから、ネット上で自身と違う意見があっても、想像の翼を広げて見てください。向こうにいるのは同じ人間です。必ずしもその人はあなたより劣っているのではなく、あなたと違う人生を送ってきただけなのです。
この間の、急性食塩中毒で乳児死亡のニュースを受けて、厚労省が食塩中毒への注意喚起をするようにとのお達しを出したとかで、それを受けた県から各保育施設に通達が来たんだそう。今日近所の保育所併設の子育て支援センターに行ったら、その文書が丁度貼り出されるところだった。
で、それを貼り出していた職員さん達が話していたんだけれど、こんな当たり前の事がわからない馬鹿どこにいるのかと。事件を起こした保育士と認可外保育所が特別オカシイだけというような事を言っていた。
大人が飲んでもしょっぱく感じる致死量の食塩が溶かされた液体を、子供が普通に飲む訳ないから、事件を起こした保育士は悪逆非道極まりない方法でもって被害乳児に飲むのを強いたのであろうと。
でも、私は思うのだけれども、乳幼児って味にうるさいわりには塩味に鈍感なきらいがあるので、案外差し出されれば飲んでしまうのではないかと。それに暑さで喉がカラカラに渇いていたら、味とか関係無く与えられた飲み物をがぶ飲みしてしまう事は有り得る。
虐待的なやり方でなくても子供に食塩過剰飲料を飲ます事は出来るかもしれないし、ならば殺意のないどころかむしろ善意のつもりで、つまり熱中症予防のつもりで子供を殺す事は起こり得る。特別邪悪な人間で無くとも起こし得る事故だと思う。
常識的に考えろと。小さじ一杯の塩を溶かしたコップ一杯の水なんか大人でも飲めないのに、自分でも飲めないものを小さな子供にやる馬鹿がどこにいる?と。
反論しても素人の癖に知った口をきくなという空気がむんむんに漂っていたから、私は押し黙った。
じっさい、アホほど塩を溶かした水を1歳の赤ちゃんに飲ませた人なんか私は知らないし。1歳の赤ちゃんが濃い食塩水を自分から飲んでる場面も見たことはないのだし。
けれども、私は有り得ると思うのだ。
何故って、巷では熱中症対策として塩を強調した飲食物が大々的に売り出されているではないか。
それらの売り場にでかでかと書かれた「塩」の文字。それを見て頭が\パーン/ってなっちゃって、自分でもやたらめったら塩分を摂り他人にもガンガン勧める、みたいな人がきっといる。そう思うのだ。
そういう事で塩分を過剰摂取をして危険な目に遭った人の体験談は聞いたり読んだりした事はまだ無いのだが、逆に、塩分の摂らなすぎで重大な健康被害に遭った人のブログなら読んだ事がある。
そのブログの主は当時妊婦さんで、妊婦健診の際に浮腫み防止の為に減塩することを助産師から勧められて、なんと減塩どころか無塩の生活を始めてしまったのだ。しかも真夏。確か、一週間ぐらいしたら下痢が止まらなくなったと書いてあった。しかしブログ主は無塩生活をしてしまった事への反省の色はちっとも見せず、それが私には衝撃的だった。
このように、なんかやり過ぎてしまう人っていうのはいるものなのだ。
他にも、冷えは良くないと信じて真夏に酷い汗疹ができるほどタケノコ状に着込む人や、意地でもエアコンを点けない人などならよくいる。
身体に良いと思い込むと止まらない、むしろ全力で死に急いでしまう人達。そういう人が小さな子供の面倒を見ると危険なんだろうなぁ。
かといって育児をプロだけに担わせるのも無理ってもんだし、それではやり過ぎてしまう人々問題は解決しない。
https://anond.hatelabo.jp/20170710103917
まず、前のトラバは元増田の投稿の細かいところを読み飛ばしてしまっていた部分もなくはなかったようでミスリードな部分が出てしまいました。申し訳ない。
書くのを控えた対策のひとつは西洋医学・東洋医学のくくりかとうと微妙なところ、というものなんですよね。しかし西洋医学でも有効成分の研究はされていないこともないらしい。でも意図的に避けました。研究自体が少なくリスクが分かりませんし、効くということは悪影響や、効きすぎて問題が出る可能性がないとはいえませんし、私も結局は他の病気への影響を懸念して中断していますので。
私は食物アレルギーも持っているのですが将来的にその療法をアレルギー科では指導される可能性がありそうだけれど、婦人科じゃ今の研究の状況を見るとまだまだ未来の話かな、って感じのものです。
目新しい情報がなかったのはそのせいもあるでしょう。
目新しい情報というのは確立していない療法とも言えますから、自己責任になるようなものはなかなかすすめられません。それに研究結果が少ないのに「研究結果があるよ!」というのは信憑性の面では乳酸菌が体に良いことは証明されていますとか怪しげながん治療法とか、そういうことと大差ないでしょう。そうなると結局は以前から効果があるとされる対策のうち健康被害が少ないもの、つまり食事と運動とストレス解消になるということに...。
「適切な対策をしている」と思っていてもそれが本当に最適かというと、医師から具体的な指導を受けられないなら結局は自己流であって健康法にしかなっていないということはあると思います。医師が想定する「食事・運動・ストレス解消」が患者の想定するものと違うのなら、その根本原因のひとつは医療現場の限界と医師の指導姿勢にもあると考えることもできるでしょう。
患者自身が病気について勉強しなければならない、正しい知識を選択するために更にそのための知識をつけなければトンデモ医療に騙されてお金がかかるばかりで治らないどころか下手をすれば人生が変わってしまう、という現状は当事者にとっては辛いことです。
元増田が無知で不適切な対応をしていると感じるとか、ストイックさが足りないのではないかとかいうことではありません。私自身自己流で逆効果なことをしていたこともありましたし、素人であることに変わりはありませんから「私のほうが詳しい!」と言いたいわけでもありません。気休めにもならなかったようなので残念です。
一般的にも知られていることですが、アレルギー治療や、例えば糖尿病なんかも同じみたいですけれども、具体的な指導を受けようとすると入院する必要が出てくることがありますし医師が入院指導をすすめてくることもあります。
しかし生理痛の治療では聞きませんね。そこまでしてもほとんど効果がないということなのか、そこまでする必要はないと考えられているのかは私にはわかりませんが、いずれにしろ更なる婦人科への不満にしかならなそうです。
私も倒れるほどの生理痛ですし、話はそれますが私の持病は西洋医学でも病気と認定される病気です。しかし体質的に薬に副作用が出まくっていて、治る可能性がある病気であるとされていて治療法もあるけれど「これなら飲めるし効くよ!」って薬が少ないんですよね。そして他にできることと言えば食事と運動とストレス解消なわけです...。しかも今月からはロキソニンも禁止ですよ...。あ、別に辛さのマウンティングしてるわけじゃないんですよ?
私自身いくら割り切ったつもりでもやっぱり治らないこともストレスだし、効果が高い食事にすると制限が多くてストレスが溜まるし、元気な時ならストレス解消になる運動も体が辛い時ならストレスだし、そういうときは医師の「治すために頑張っていこう!」という姿勢すらもストレスになってしまう。
だから医学とは違うまた別のものに頼りたくなる人の気持ちも、治らないなら治らないって言って欲しいという気持ちも、頑張ってるの!これ以上どうすればいいの?という気持ちも分からないではありません。
元増田の立場にしてみれば、わかったからどうだということでもありませんけどね...。
大麻の健康被害が少ないことは認めてるというか、前提で話をしてる。じゃあ、物質的に安全だから解禁とはならない。結果、日本社会に何が起こるかを考えれば解禁すべきじゃないという話。
科学的根拠、医学的根拠、統計の他に考慮しなきゃいけないのが、社会への影響だ。そもそも、モノとしての安全性についてはもう出揃ってるんだから議論する意味すらない。社会への影響こそ様々な可能性を考慮して考えなきゃいけない。そして、この点に関しては海外を参考にするというのはバカバカしい話。アメリカでは、アルコールやタバコと同列になるほど大麻というのは嗜好品として定着してる。アルコールやタバコが様々な社会問題を抱えてるのと一緒で既に大麻に纏わる嗜好品特有の問題というのは、顕在化している。最も一般的なのは、青少年の使用、公共の場や運転時の使用などだろう。これらを麻薬の取り締まりの中で規制するというのは非合理的だ。だから、アメリカにおいての大麻合法化というのは否定しない。
ただ、日本ではもともとそういった問題がない。問題がない中での解禁が意味するところは、単に社会問題を輸入するというだけの話だ。解禁してなければそもそも使用してなかった人たちが、使用するようになるんだから。これは、誰がどうみたって悪手。日本での解禁論というはとどのつまりタバコよりは安全だが様々な法整備が必要となる嗜好品を導入するのかという話になる。そんなコストやリスクを背負ってまで、新しい嗜好品を解禁した方が良いというような合理性ははっきりいってないだろう。
大麻とドラッグが同一視される誤解があるのは事実だが、システム作りという面では既に麻薬と大麻の取締りは区別されてる。ちなみに、大麻取締法がテトラヒドロカンナビノール禁止法となって文言が安全性を考慮する内容になったり、量刑が変わったりということをこそっと行うことは別に反対しない。
禁断症状のイライラで人に当たることもなさそうだし、元増田個人の吸い方が百害ではないだけだな。
元増田は喫煙者に戻っても自分の健康被害だけで済む(つっても自己宣言通り誤差で済みそうだ)から好きな方で過ごせばいいと思う。
しかしまぁこんな特殊事例で『百害あって一利なし』を覆せるかというと「所詮特殊事例だし…」としか思えず。覆されてやれなくてごめんな。
もともと外では喫煙所
家の中や車でも吸ってる人だと家族への影響はだいぶかわるんじゃないかなあ
俺の場合そもそも禁煙によって摂取する副流煙の量が劇的に変わるという人がいなかった
まあ、もともと副流煙(喫煙)での病気リスクなんて遺伝や喫煙意外の生活習慣が与える影響に比べればは誤差みたいなものだと考える人だからよくわからん
匂いに関しては
「そういえば…」
ってレベル
俺の吸ってた銘柄が臭いがつきにくいものだったということもあり
「増田君って(タバコの臭いつけてるときあんまないけど)いつタバコ吸ってるの?」
出先でタバコによる定期的な数分間のタイムロスがなくなったのが嬉しいとのこと
ニコチンが抜けてる(禁断症状らしきものを経験してないので抜けてるのかどうかわからないけれど)今でも
クソコミュ障でも仲良くしてもらえるタバコという強力な「ツール」への欲求はあるし
例えば「喫煙席で子供が近くにいるのに喫煙する喫煙者」なんかに対しては
以前は「オイオイ。同じ喫煙者としてまた白い目で見られるからやめてくれよ」と思っていたけれど
禁煙して改めてタバコにも「六十利」くらいはあると感じているので
「どうせ世間の鼻つまみ者で、脳細胞が死滅した中毒者ですよ」と自虐的な感覚だったけど
今ではマナー守ってる限りは自由に吸えばいいよねと思うようになった
(俺は吸うつもりはないが)
(父がヘビースモーカーで幼少期から煙を吸い続けた人間だからかもしれないが)せいぜい1.2倍程度
今までまったく気にならなかったところからタバコの臭いを嗅ぎ付けるようにはならないし
タバコの臭いに極端に不快感を感じるようになったということもない
俺は禁煙してよかったと思ってる
まず一番は妻が喜んでくれたこと
年間数万円の節約になること
そして
喫煙者、非喫煙者問わず「禁煙して偉い!」と褒めてくれることだ
俺からすれば今までの人生この超ストレス社会で一度もタバコに頼らなかった人のほうがよっぽど偉いと思うんだが
(詳しく言うと特定されるかもしれないので言えないけど)
「我が家以外の入居者は誰もベランダの扉を開けたり洗濯物を干したりしない。そもそも我が家以外はほとんどの時間帯で無人」
といったマンションです
自分たちの洗濯物をベランダに干してるときはタバコを我慢しておりました
3月11日という日関連で、テレビやTwitterも東日本大震災がらみの話題が多いけど、
個人的には被災地の復興と放射能汚染の問題を一緒に考えるのはどうなのかなと思ってる。
震災や津波だけでも大変なのに、次は放射能による健康被害まで背負うのは
国の「安全だ!コントロール出来てる!」と言う言葉に惑わされないで欲しい。
あと、気になったのが、Twitterで「福島のものは他の地域に比べて放射線量をしっかり
残念ながら、全部のものがそうとは限らないです。
「べぐれでねが」というサイトで有志の方がいろんな製品(持ち込みもあり)を
検査なさってますが、正直、ここまで汚染されているのかと驚きます。
そういう現実を見ると先の「福島のものは他の地域に比べて放射線量をしっかり
検査しているから安全ですよ!」と言い切ってしまうのはどうかと思います。
それなら、どうして汚染されているものが市場に出回っているのでしょう…。
検出結果を見た上で、買う買わないを個人的に決定するのがいいんじゃないかと思います。
少なくとも、検出されたものは買いたくないですね。
長期休み以外は週に3、4回は会っていた、親友ともいえる友達がいる。仮にAとする。
Aの家は中途半端に貧しい。母子家庭だが上の子ふたりを私大に入れられるし、本人はバイトをしていない。学費のためにバイトに追われるレベルの貧乏ではないということだ。
しかし、寒がりなのにコートが買えず、ペラペラの服を重ね着している。それで凌げる訳もなく、いつも寒いと言っているし健康被害も出ている。
2000円のアクセサリーを「高い」と言う。700円を超えるランチも「高い」と言う。「8000円のコートって安いよね」という発言に共感してくれない。些細なことだが、こういったことの積み重ねにより、確実に「違う」と分かっていた。
いちばん引っかかるのは、毎年ずっと1000円程度の誕生日プレゼントをくれていたことだ。私は、はじめはそのくらいで様子を見て、仲が深まってきたら金額を上げていくのが普通だと思っている。しかし、Aはそうではなかった。金額を隠す努力をしないので、容易に1000円程度だと分かってしまった。
前から欲しかったナイキのスニーカーをもらった、ディナーに行くとサプライズでケーキが出てきた、といった友人たちの話を聞くと「そういうことだよなぁ」と思ってしまう。
お金が無いからではなく、上記のようなことを私にやる価値がないと思っているからかもしれない。「お互いに親友だと思っている」という確信が持てるほどの色々な出来事があったのに、プレゼントの内容だけでそんな風に疑ってしまう。
最近は別の友達とよく遊んでいるのだが、とにかく楽だ。バイトをしていないという点ではAと同じだが、上ふたりを大学院に入れられるくらいの家庭で育っている。10000円を超える服を着こなし、当然暖かいコートも持っている。何にでも興味を示し、私が声をかければ交通費だけで15000円ほどかかる場所でも一緒に行ってくれる。海外旅行にも乗り気である。
オシャレな店で1000円ほどのランチを食べ、ショッピングを楽しみ、疲れたらカフェでお茶する、という王道の遊び方ができるというだけでかなり楽しい。都心に出ても食事とショッピングしか楽しめないようなところに住んでいるからだ。
交通費のかからない場所を探したり、高いと思っていなくても「まぁあそこは高いからね〜」と言ったり、持ち物の値段を言わないようにする努力をしなくてもいいのがこんなに楽だとは思わなかった。
Aはガチの貧乏ではないので、お金のかからない遊びを知っている訳ではなかった。こういうところが、中途半端な貧乏の不幸だと思う。
成人しているのに100均や300均で買ったものを誕生日プレゼントに選ぶセンス。お金のかかる遊びが制限される不便。新しいものに興味を示せない感性。
これらが貧しさにより生み出されたものだと分かっていても、一緒にいる上でがっかりしたり、傷ついたりしてしまう。
誰にも相談できず困っていたが、いま、Aとは縁を切ることにした。
当たり前だけど、合わない人と無理に仲良くする必要はないよね。
http://anond.hatelabo.jp/20170210112714
タバコを吸わない事もあって、恥ずかしながら海外の喫煙/禁煙事情に疎かった。
なので上記の件についても知らなかった事は言っておきます。
でもこれは正直ショックだった。
というより、これから先2020年を想定した五輪で行われる議論の中で、ゴルフクラブの件と並んで最も酷い未来しか見えない。
この件については想定されうる中( 想定してなかったけど(笑) )で最悪のパターンだ。
少しネットで調べてみたけど、どうやら欧米で路上喫煙が盛んな国が多いのは本当みたいだ。
しかし、最悪なのは、この違いについての欧米人の意見についてである。
どうにも、欧米人はこの違いを「JTが強力な会社だから」とか「進歩主義的な価値観から日本が遅れているからだ」
とみなしている人も多いようだ。
そして、中には他者への気遣いからくる副流煙に関する警告が多いことすら文句をつけている人もいるようだ。
日本人のタバコへの警告は主に他者へ被害を与えるから良くないという論理で成り立っていることが多い。
路上喫煙禁止への後押しをしたのは子供への歩きタバコの被害が多発したからなどの事情も大きい。
そして、このような考え方は日本の社会では公正で非常に良いことだとされる。
つまり、日本人から見ると路上喫煙し放題の欧米諸国は野蛮な国であるとみなせてしまうということだ。
これは冒頭で述べた店内における喫煙の防止という欧米の価値観と明確に衝突する。
五輪の時期にやってきた欧米の観光客が路上でタバコを吸いながら、店内でタバコを吸えることに驚き、日本は野蛮で遅れた国だ。
などということを言う人まで出てくるだろう。
結果として日本人と欧米人の議論が全くかみ合わず、排外主義と強く結びつく可能性すら考えられる。
これまで日本が積み上げてきたタバコに関する議論が土台から破壊されかねない。
もちろんこれは極端な話だけど、将来的にそういう方向に進むことは十分にありえる。
ちょっと知識が浅いので欧米における少数意見までは拾いきれていないけど
できるなら今のうちに欧米人がタバコを店内で禁止して、なぜ屋外では禁止していないのか。