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はてなキーワード: 仮想敵とは

2021-07-09

anond:20210709101110

タバコと違って酒類提供消極的ターゲットにされたに過ぎません。

からこそ対抗策はないですよ。

特に理由もなく仮想敵認定されているわけですから

2021-07-07

anond:20210707193806

両方を同時に言うのははばかられるんだろうが、オリンピックは中止しろ!と言ってた人が、ロックインジャパンの中止発表に怒っていたりするのは見るよ。

仮想敵を立てて「こうなったのはこいつのせいです!」ってやるのが、一番上手なやり方なんだな。卑怯だけど。とは思ったよ。

2021-06-30

anond:20210630132316

増田はお人形遊びが大好きでした

しかし、増田はお手伝いをお願いされたので、お気に入り人形を赤い箱の中に入れました

その後増田はお手伝いがあるのでお部屋を出ました

それを見ていた増田増田がいない時にお気に入り人形を赤い箱から青い箱に入れました

そして、お手伝いから帰ってきた増田は再びお人形遊びをし始めることにしました

 

さて、問題です。

お手伝いから帰ってきた増田は赤い箱か青い箱、どちらの箱を開けるでしょうか。

 

 

 

 

 

正解は、増田君は新たな藁人形を作り出してまた仮想敵と戦うのでした。

増田君の一生を賭けたお人形遊びは今日も終わりません。

途中でなんかよくわからない増田藁人形に触ってたけどこわ、何で箱から別の箱に移せんのこわ、めっちゃ盛り上がっててこわ

でもそれも増田なのです、アレも明日の俺なのかもなと思いながら今日ボロボロ人形を両手に持ってお前は低脳だとか馬鹿だとかいう話をするのです。

2021-06-26

anond:20210626165332

じゃあそうならないようにしていけばいいじゃん

おまえの今の仮想敵民主主義なのはわかったけどじゃあ民意の主たるおまえがまっさきに自殺するしかないのでは?

頭悪いなオマエ

2021-06-25

anond:20210624082445

こういう人は単に「性的眼差し」が嫌いなだけでしょ。

こういう人のピントがボケてるだけでしょ。

更に言えば、性的であることは人間であることと同じなのだから

性欲だけでなく、相手人間性に向き合える紳士もいる。女性性で態度を変えるのを「人間であることと同じ」と言うのは無理がある。

まり人間が嫌いなのだし、自分人間なのだから、つまり自己肯定感が極めて低くて自分人生自体を半ば憎んでいる。

自分特別に好きな場合など、人間嫌いだからといって自己肯定感が低くないケースも存在する。

嫌いと憎むは違う感情だし、自己肯定感が低くても自分人生は憎んでない人もいる。

なんと言うか… 論理の飛躍が激しすぎて、冗談でやっているのでなければ妄想の強度がやばいと思う。仮想敵と戦うのが高じてどうかしちゃってるんじゃないか

2021-06-21

フェミニストブックマーカーに対する雑感

茶色/水色の人

主張はかなりラディカル。強者男性仮想敵にしている。弱者男性が嫌い。

薔薇の人

主張はまあまあラディカル。権威主義弱者男性が嫌い。

・雪の結晶の人

良く言えばリベラル、悪く言えばメリトクラシーに順応した新自由主義弱者男性が嫌い。

・花びらの人

とにかく弱者男性が嫌い。それと同等以上に自民党が嫌い。

トーマスの人

最近見かけない気がする。たぶんトーマスが好き。弱者男性が嫌い。

2021-06-16

反応もらいたいかまってちゃんの特徴

人を不快にすることを目的にする版

・極端であったり間違った表現解釈を展開し、指摘させる余地を作る

必要以上な煽りをする

仮想敵を登場させる

無駄記述で本文を冗長に伸ばす

・間違いで構成されていても一応筋が通った内容にして有識者が黙っていられない内容にする

・おそらく本人は間違いであることを理解したうえであえて間違いを認めないスタンス相手イラつかせる

これらの特徴に当てはまるような人間を見かけた場合時間精神無駄にするになるので近づかないように気をつけましょう。

亜種として「正しい情報を引き出すためにあえて間違ったことを言うやつ」がいますが、そいつは話せばわかる可能性があります

ただ、聞き方が悪く人格問題がないわけではないこともあるので同様に気をつけましょう。

2021-06-13

anond:20210613215050

なんでも問題の原因をミソジニーにすればよいと思っているしょうもなさ。すぐさま、藁人形論法仮想敵にしたまんまのコメントが付いていて本当にろくでもない感じしかしない。

2021-05-22

anond:20210522092047

まずオタク仮想敵みたいなのがあって、それを上手く演じてやると「本当にいたんだ。俺達は正しかったんだ」となって伸びる。一種接待だよね?

2021-05-18

弱者男性諸兄はもっと志を高く持つべ

現状彼らの要求は、ツイフェミ第一仮想敵にしてるところからしても、「せめてオナネタだけは取り上げるな」ということなのだろうと思うが、本当にそれで満足なのか。

弱者男性定義には経済的な側面も含まれている以上、貧困問題にも同じくらい熱心に取り組むべきではないのか。というかむしろ喫緊問題としてはそっちの方が深刻なのではないか

2021-05-15

anond:20210515120421

過去にそのレベルバカがいたんだろ。上司仮想敵なんだろな。お前は頭いいんだからその仮想敵自分を同一視することない。上司仮想敵も憐れんであげるといいよ。

とはいえ1から10まで指示してくるのは頭おかしいので、上司本人か上司上司に「信用されてないのムカつく」「指示待ち人しかいらないのか」とクレーム入れればいいと思う。

2021-05-10

弱者男性差別存在するから知ってください」のブコメについて

こんにちは、satoviviです。

こちらの記事https://note.com/mefimefiapple/n/n6b712e954db8 )についてブコメを書いたら、スター連打されたり、レイシストと呼ばれたりしています

この件について、100文字じゃ返事をできないので増田を書きました。



私のブコメは88cmと8kg氏の記事の「命と健康」の箇所にひっかかったから書いたものです。

(以下、長くなるのでですます調をやめます



男性男性というだけで、女性の2倍以上自殺に追い込まれ

未婚男性は既婚男性より寿命が15年短い、女性関係ない

https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2020/06/post-93638_1.php?



この近辺で「あれ?」と感じて読み止まった。

記事を読んですぐに変だと感じたのは、記事テーマは「弱者男性差別」なのに、「男性」の話やデータを用いたり、「未婚男性」のデータを用いたりしているという点。

まず「男性=すべて弱者」ではないと思う。この国では政財界に限らず、主要なポジション男性が多数を占めているのは知っての通りだ。

そして「弱者男性=未婚男性」でもないはず。

だって未婚男性の中には、この間ホッテントリに入り、ブコメ弱者じゃないと否定されていた資産持ち増田Twitterお金を配る余裕がある人、将棋界の未来を担うだろう彼も入っている。


それから、ここの部分。

「未婚男性はそれどころかあの世に入れられています

あの世に入れられている。という表現だったかな……と思ってるんだけど魚拓取ってなかったので、記憶いかもしれない。

記憶違いだったとしても「あの世に入れられています」という言葉はひっかかる。

未婚男性あの世に入れられている。ここには「誰によって」という主語がない。

「誰かに殺されている」ともとれる表現だ。穏当ではない。

さらに言えば「では誰に? そして何故?」という部分が非常に気になる。

仮想敵を作ってしまいかねない表現と感じたので、ここについて指摘したのが私のこのブコメだ。


未婚男性寿命が短いのは、外食コンビニ弁当などの高炭水化物・高脂肪食生活運動不足になりがちなせいという論文国内外わず出ていたかと。
かに殺されているのではなく、自分寿命を縮めている状態


内容の正誤については、検索すれば論文も偉い先生コラムいくらでも出てくるので割愛

貼っても論文を読む時間がない人も多いだろう。

サラッと概要を読みたい人に勧めるなら、この独身研究科さんのコラムが、グラフもあってわかりやすくていいと思う。


引用元https://toyokeizai.net/articles/-/333980?page=4

配偶関係別の死因を45~64歳の年齢層で見てみると、有配偶男性独身男性(未婚・離別)とがまったく正反対の傾向であることがわかります。有配偶男性の死因は、主に白血病を含むがんであるのに対して、独身男性は「糖尿病」「高血圧性疾患」「心疾患」など、主に生活習慣に起因する病気です。これは、独身男性が、外食コンビニ弁当などによる高炭水化物・高脂肪食生活運動不足などに陥りやすいからと考えられます


かといって、有配偶男性全員が独身男性より普段食生活運動などに気を使っているというわけでもないでしょう。有配偶男性は妻によってそこの部分をサポートしてもらえているだけの違いかもしれません。なぜなら、未婚男性と離別男性がほぼ同じ傾向だからです。



88cmと8kg氏の記事は、定義名称が入り乱れていて混乱する。

窮状を訴えているのなら理解したいけれど、データと主張の筋が私のなかで通らず、うまく読み進められない。

いまもまだ、全部は読んでいない。


私は俗に言う「カモられやすタイプ」の人間なので、データが出てきたときこそ、すぐに鵜呑みにしない。

また、情や雰囲気に流されやす人間でもある。

熱く訴えているから、苦しい心を吐露しているからという理由でも鵜呑みにしない。そういう制約を設けている。

そうでないと、熱心な宗教家ステキなお鍋を売っている人に無限に騙されていってしまう。

データの精査をひとつひとつしていくことになるから、読もうとすればかなり時間がかかると思う。


から、それ以降の内容については触れていない。



ここまでが、あのブコメを書いた経緯と理由

まとめると、

・「弱者男性」というテーマなのにデータや話が、「男性」「未婚男性」などと混ざってしまっている。

・「未婚男性弱者男性」とは思えない。なので「未婚男性」のデータで「弱者男性」を論じるのには無理があると指摘する。

・いまのデータでは「未婚男性」が他者によって「あの世に入れられている」という根拠が薄い。

・「未婚男性」の短命さは食生活運動などの生活習慣によるものではないかとの学術的な指摘が複数ある。

・「殺されている?」「あの世に入れられている?」という表現おかしいと感じたので、あのブコメを書いた。



ここからは、ブコメへの返信。


chikurou 生活に窮乏している人は自炊する余力がない、野菜など高いって話ではなかったっけ。弱者男性話題の時だけ自己責任?/その時トップだったsatoviviさんのブコメに対するリアクションです


id:chikurou さんへ。

まず、私が指摘したのは「弱者男性」ではなく、「未婚男性」だという点。

「未婚男性」のなかには、いわゆる「強者男性」も入ってしまっている。

ブコメでも混ざってしまっているので、ここは強調しておきたい。


88cmと8kg氏が掲示したのは「非正規において」男女の給料差は93%とかなり平等という点。

ただ、正社員も含めたデータ(女性賃金(2020年11月版))で、男女間賃金格差をみると、2019年男性100%という基準にした場合女性は74.3%という数字が出ている。

このことから、「未婚男性」よりも「未婚女性」のほうが賃金が低い可能性すら出てくる。


賃金が低く、生活の困窮している人は自炊できない。

野菜は高い。

それが短命の主要因なら、もっと未婚女性の死亡年齢も下がるのではないかと。

しかし、実際には未婚男性ほど下がっていない。

未婚男性より未婚女性の方が賃金が高いというデータもない。


まり貧困や困窮が主要因で、「未婚男性」が短命になっているとは言い切れないのではないか。そう考えています

あなたはどう思いますか?



nakana79 現トップブコメ、そこからちょっと歩くだけで「黒人栄養状態は悪い(平均寿命も短い)→黒人は誰かに殺されているのではなく、自分寿命を縮めている」に辿り着けちゃうよ……


id:nakana79 さんへ。


トップブコメが入れ替わりましたが、たぶん私へのコメントだと思うのでお返事。


「そこからちょっと歩くだけで、黒人黒人は誰かに殺されているのではなく、自分寿命を縮めている」に辿り着けちゃうよ」とのことですが、そうはならないと考えている。


まず、統計代表される数字データは、思い込みバイアス)をできるだけ排除するためにある道具ということ。

完璧な道具ではないが、使える道具だ。少なくとも私はそう認識している。


おそらく、nakana79さんはアメリカ黒人差別、および貧困問題を下敷きに話をしていると思う。(違うならご指摘ください)

ただその話は、日本の「未婚男性」におけるデータとまったく関係がない。

アメリカ日本では、歴史的な経緯も、人種構成も、経済規模も何から何まで違う。

そこにあるのは、まったく別の2つのデータであり、統計だ。


とくに根拠もなく。国の成り立ち、環境要因、遺伝要因、時代的要因の類似性もない。

そんなデータ文脈上の雰囲気で混ぜたら、数字を取る意味がなくなってしまう。


アメリカ黒人差別を含む人種差別は、長年に渡って続いている。

かつては就業教育制限され、投票権もなかった。

もし日本において類似するものをあげるなら、被差別部落女性となり、「未婚男性」ではないかと。


日本の「未婚男性」におけるデータと仮説と、アメリカの「黒人」におけるデータと仮説は別物。

そこからちょっと歩く程度で混ざるものではないし、意味なく混ぜてはいけないものと考える。



kumaponta 差別感情精神盲点にある様で、自分差別感情自分認識することはできない。それは差別ではないと言う前に主語黒人女性自分に入れ替えてから考えてみよう。


id:kumapontaさんへ。


「未婚男性」のデータにおいて、主語黒人女性自分と入れ替えても、今回の主張は変わらない。

データ上で名称が変わるだけ。主張や仮説、定説が変わるわけがない。




多くのブコメも、おそらく「誰かに殺されているのではなく、自分寿命を縮めている状態」という表現に引っかかっているのではないかと推察する。

そして、ここが最近ブコメが「差別レイシスト」「いやそうじゃない」と荒れやすい部分ではないかと思っている。


あくまで私個人は、「誰かに殺されているのではなく、自分寿命を縮めている状態」という表現差別ではないと考えている。

理由として根拠のない決めつけや、レッテルが入っていないことをあげる。


書くのも嫌だが、例を出す。

たとえばこれが

「未婚男性は、生活習慣が他の属性より乱れている。誰かに殺されているのではなく、自分寿命を縮めている状態。だからやつらは劣っている」

「未婚男性は、生活習慣が他の属性より乱れている。誰かに殺されているのではなく、自分寿命を縮めている状態。そんな連中にまっとうな仕事ができるわけがない」

「未婚男性は、生活習慣が他の属性より乱れている。誰かに殺されているのではなく、自分寿命を縮めている状態。そういう人たちと一緒にいると怖い」

とあったら差別だ。完全に差別だ。

この差別文に、殺せだの隔離しろだのくっつけたらヘイトスピーチとなる。

ここまできたらもう最悪だ。



しか差別差別じゃないか境界線は難しい。

こうだという結論は、おそらく裁判の結果でしかからない。


それでも日常で気をつけるために、わかりやす指標ひとつだけあげるなら、それは「比較からくる優劣が入っているか否かだと思う。

ものごとを「比較」する。数値の差を見る。ただそれだけならいい。

しかし、「比較」は優劣を生みやすい。

比較からくる優劣があるから劣等感」「優越感」「嫉妬」「蔑み」が生まれ、「恐怖」や「不安」を作り出す。


さきほど、事例として最後の一文をつけ加えたが、これらの大本は全部「比較からくる優劣だ。

比較から生み出された優劣が、データ上の数値が高い、低いのままなら問題ない。

そこから導きだされる仮説。同じ仮説が複数重なった定説も、おそらく差別ではない。これを差別としたら、人に関するどんな研究もできなくなる

しかし、そこに「劣等感」「優越感」「嫉妬」「蔑み」「恐怖」「不安」による根拠のない決めつけやレッテルを貼ったら差別になる。

私はこのように考えているが、どうだろう?

ほかの方の意見もうかがってみたい。



今日はもう時間が取れないので、ここまで。

2021-05-05

なぜ地方議員後援会なる組織が成り立つの

anond:20210505100500

言及エントリへの反応をみて、そもそもなぜ地方議員後援会なる組織が成り立つのかというところの認識が薄い人が多いようなので、床屋談義レベルだが一市民としてちょっと書いてみる。

増田には初投稿だし普段は長文を書かないので見苦しいところもあるかもしれないが勘弁してほしい。

なぜ後援会に入るのか

ネットではたまに「生活保護を断られても、共産党系地方議員と一緒に窓口に行けば申請が通る」という言説を見かける。

生活に困窮したときには共産党が頼りになるから支持しようという内容だ。

個々人にとってはわかりやす利益であるため、こういった投稿を行っている人の何割かは実際に共産党員であったり、その議員後援会に入っているだろう。

地方議会自民党系がなぜ強いのかというと、似たようなことをより大規模に昔から行っているからだ。

なぜ自民党系が強いのか

地方議会議員構成

ここに総務省が出している「地方公共団体議会議員及び長の所属党派人員調等」という資料がある

https://www.soumu.go.jp/main_content/000741469.pdf

都道府県議会議員に占める自民党の圧倒的な割合が見て取れる。全議員のおよそ半分は自民党所属である。圧倒的だね。

ただ、市町村議会議員構成に目を向けると、自民党より共産党、それよりも公明党所属議員のほうが多いことに気がつくと思う。無所属議員は全体の7割を占める。

もちろんこれにも理由があって、市区町村レベルだと権限的に争点にそれほど差が出ないか無所属で推薦をつけてもらって出馬したほうが国政の影響を受けにくいかである

地方議会目的

ほとんどの市町村都道府県内で近隣の市区町村人口を奪い合っているし、都道府県国内で近隣の都道府県人口を奪い合っている。

人口が増えれば需要が増え、需要が増えれば仕事生まれる。仕事が生まれれば人口が増える。

こうした循環が生まれれば地方自治体はより長く存続できるし、その状態になるように(ほとんどの)地方議員法律範囲内で頑張っている。

そしてもちろん各政党地方組織は、その選挙区出身国会議員がより多くの仕事地元に生み出すことを期待している。

利益誘導型の政治

ここまで書けば察しのいい人にはわかると思うが、自民党地方組織は他の政党よりより多くの仕事斡旋していて、市民生活の安定に寄与しているから強いのだ。

仕事斡旋というのは、公共事業仕事を創出したり、企業誘致したり、生まれ仕事に対して人員を紹介する縁故採用、今風に言うと中途採用リファレンスチェックの役割を(広島みたいな例はあるにせよ)合法的果たしてたから強いと言い換えられる。

もちろん「日本人口減ってるやんけ!地方とか壊滅じゃん!」というはてなーもいるだろうけれど、そもそも戦後から70年で人口は5000万人くらい増えているし、その間この利益誘導に世話になった人はまだまだ現役であるはてなー自身はこの仕組の世話になっていなくても、親族か友人か、縁者のだれかは利益を得ているだろう。

なぜ後援会に入るのかの段落で会員の個人的な恩について触れたけど、これは地方議員所属自民党でも共産党でも同じ問題で、支持先を変えてもらうには

自身(もしくは縁者)を助けてくれた恩人に対して、その恩人の仕事と直接関係のない問題で恩人の生活を奪う

という選択をお願いすることになる。地方議会議員の選出は直接選挙なので、よりダイレクト個人意志が反映されるのは言うまでもない。N世議員が強いのもこのためである

我々は利益誘導型の政治から決別できるのか

無理なんじゃないかな。

核融合発電みたいな実質無限エネルギー人類が手に入れれば長期的にはなしうるかもしれないけれど。

自分の家のとなりに合理的な立地だからといってゴミ処理場や保育所米軍基地発電所ができることを歓迎する人がいないように、日本より感染者数が多くて大変そうだからインド日本の確保したワクチンを優先的に融通すべきという人も見かけない。人間自分が得るはずだった(と感じた)利益に敏感だし、損を極端に嫌う。

与党は当時世界中で奪い合った高確率利益の出るオリンピックという利権国内誘導できたが、コロナ禍でそれが一気に負債の印象に転じてしまった。ワクチン確保についても国民の期待に沿えるスピード摂取が進んでいない。国民から国際的利益誘導に失敗したと判断されているのだ。

政権利益誘導に失敗したか誕生する新政権が、利益誘導を期待されていないわけがない。

じゃあ野党はどうすれば政権交代できるのか

2009年政権交代はどういう戦略で戦ったか
自身への期待値を上げる
相手への期待値を下げる

運輸と農家地方自治体への利益誘導郵政民営化地方組織の弱った自民党からの乗り換えを促し、サブプライムローン問題という日本単独では不可避の事由で攻め立てている。この手法はさすがドブ板選挙を得意とする地方地盤精通した小沢一郎で、もし小沢氏の考え通りに与野党大連立が発足していたらマニフェスト云々も有耶無耶になっているだろうしねじれ国会もないしで、その後破綻するにしてもそれぞれに政権担当能力がある二大政党制誕生していたかもしれない。

結論

いま同じ手法が取れるかというと、民主党支持率が低すぎて自民党内部に離反を促せないし、野党連立でも支持率足りないし、そもそも現状で国民に対して明確な利益提示できていない。たとえば二回目の一律十万円が本当に効くのなら与党がやるに決まっている。その層を狙っても選挙に勝てないと分析されているのだ。地方への利益誘導である GOTO も反対しまくったし、処理水問題を突けば辺野古の二の舞。民主党内の予想よりワクチンの配布が早かっただろうし、全国均等配布だから配分を問題にするのも難しい。今後は現金をぶら下げれば動くとみなしている浮動票を狙って戦っていくのだろうか?無理じゃない?都道府県利益誘導して地方組織ごと寝返ってもらわないと。

というわけでコロナ禍にあって内閣が変わる現実的路線は、次回総裁選での菅氏の辞退だろう。

余談

そもそも市区町村議員市区町村利益になることをすれば良くて、もっぱら扱うのは条例であって憲法法律ではない。

決まった支持団体のない有権者はおそらくそ区別がついていて、地方選挙憲法がとか国政がとか、明らかに権限外のことを訴えている組織票を持っていない候補者はたいてい落選する。

しか増田やらはてぶユーザーやらTwitterには地方行政と国政の区別がついていない、もしくは中央集権を支持していて地方自治がすごく嫌いなんだな、という投稿がたくさん見受けられる。

物事には理由があって結果があるのだが、大きくて抽象的で万能な仮想敵を想定していても駄目で、ちゃんと地に足ついた理由を見つけだして適切な行動を取らないと、あなたの行動に結果がついてこないよ。

脚注つかえないのか……

追記修正

2021-05-01

anond:20210430232356

検証乙。

これに懲りて、具体例を示さずひたすら脳内仮想敵にだけ説教してるようなアホが少しでも減ればいいね

2021-04-09

anond:20210409232835

意味分からん

お前の仮想敵は何なんだよ

消費豚?

豚と張り合ってどうするんだ

他人にごちゃごちゃ言ってる暇があったら自分で何かを生み出せよ

2021-04-08

anond:20210408100258

定義がない

仮想敵としても弱い

連帯もない

盛り上がるための要素があまりにも欠けている

anond:20210408081658

弱者じゃなくなったら仮想敵を叩けなくなるもん

フェミと同じだよ

どこまでいっても女性弱者というお題目絶対に手放すことはないだろう

2021-04-04

anond:20210404124553

完全に同意する。まぁ個人主義いきすぎて、そのすり合わせの機会も減ってるのが辛いところだけど。

ネットの男女双方は仮想敵作って戦いすぎや。

2021-03-23

反「表現の自由戦士」が想定している仮想敵誤謬について

表現の自由戦士が想定している表現の自由戦士というのは、(1)エロ表現については制約を否定し、(2)著作権者お気持ち尊重する、というものである

本来およそエロ表現わいせつ頒布等の罪(刑法175条)に抵触する違法ものであるから(これ自体は正しい。)、仮想表現の自由戦士」は、(1)刑法をも無視する無政府主義的な主張であるが、それにも関わらず、刑法より遥かに弱い(2)著作権者お気持ちには従順なので、矛盾しているように見えるのだ。

 

しかエロ表現愛好家は、刑法によって引かれた制約の線引きは、これを無視して行動している。

しかし実際には、エロ表現愛好家のほとんどは(1)エロ表現について一定の制約を受け入れている。すなわち、現実エロ表現愛好家の多くは、国内流通においてはモザイクや消しを受容し、公道上でいわゆる18禁表現物を陳列することは是としていない。

わいせつ頒布等の罪の解釈からは、モザイクや消しがあろうと18歳未満に販売しなかろうと、いわゆる18禁表現物は性欲を刺激する猥褻物に他ならない。モザイクゾーニングといった自主規制は、本来的には法律によらない制約である

けれども現実には、警察摘発するか否かを恣意的に決めている(行政府による実質的立法であり、法治主義からは許されざる行為である。)。

この間隙こそが、エロ表現愛好家の遊び場である

違法ではあるが現実には責任を問われない範囲で楽しむが故に、その範囲を踏み越えることに対しては人一倍敏感である

したがって、現実法的責任を追及されかねない制約に対しては極めて従順である

 

この、違法ではあるが現実には責任を問われない範囲というのは、二次創作の楽しみ方とも共通している。

刑法においては警察お気持ち法的責任現実化に直結するのと同じく、二次創作においては著作権者お気持ち法的責任現実化に直結する。

結局のところ、エロ表現愛好家は、それが刑法であれ著作権者であれ、法律によらない制約に対して従順なのであるが、それは法律による制約を超えて自由享受するための知恵であり、そこに矛盾はない。

2021-03-19

一次創作から見たウマ娘フェミニストの方にご理解頂きたい事 の追記

https://anond.hatelabo.jp/20210318200022

この増田について、ブックマークコメントで気になったものに返信させていただきます。(長すぎて切れてしまったので増田を分けることにしました)

 

碧志摩メグの件で不快感を示す海人さん達を叩き、映像研で作者を叩いた人達たくさん居たよね。権利者が言ってるのにそれはないだろうと思う。あと、オタクフェミニストも沢山いるので勝手対立させないでくれ

碧志摩メグさんの件は実はこの件に関して物凄く重要な例だと思っていますナマモノとそうでないもの境界からです。後程詳しく説明します。

映像研の作者さんはこの文章を書く上で念頭に置いていました(具体的には(ここにも例外はあり、明確な基準を出すケースもあります)辺りで)、ただ「叩いた人達たくさん居た」と言うのが自分の印象と異なっていて驚きました。恐らく観測範囲問題だと思うのですが、自分の見える範囲では大部分のオタクに受け入れられていたので自分の中では「一次創作者が基準を出し、受け入れられた例」として記憶していました。

あとオタクフェミニストが居るというのは文章中も書いた、と言うより結論部で強調したはずですが・・・・どういう意図コメントでしょうか・・・・・?

対立しているとも書いていませんし(集団間に信頼関係は無いとは書きましたが・・・・)、互いに信頼関係の無い集団の両方に属する人が居るのは当たり前の事です。

オタクフェミニスト存在するという事実は私の論旨にとっても非常に重要事実です。既に書いた通り、それは二次創作を取り巻く環境特殊性を知っているフェミニストの方が居るという事ですから

 

 

そもそもウマ娘に関しては騒いでる「フェミニスト」というのは最初から存在せず捏造デマ嘘松エア炎上だったで決着してたはずやがこの増田はいったいどこの「フェミニスト」に向かって言ってんのや?

誤解がある気がするので詳しく説明します。私が念頭に置いているのは以下の増田さんの冒頭で引用されているツイートです。(尚、この増田さんの文章フェミニストへの敵意が露わになって居る為、閲覧には注意が必要だと思います。内容としては似通ったことを言って居るかも知れませんが、態度に私は同意出来ません)

https://anond.hatelabo.jp/20210317235416

ここで引用されているツイート主の方は別の所で見た事も有り、フェミニストの方だと認識していますが、それ以前にツイート内で「フェミニスト」と「それに「どこからエロくてどこからエロくないか線引きなど出来ない」と言う人」が登場します。

この文章はこの2つの登場人物集団を想定して書いています

ここで質問なのですが「ウマ娘に関して騒いでる「フェミニスト」」とはどのような人を想定されているのでしょうか?

さっきのツイート主の方の事でしょうか?であれば存在します。そうではなく例えば「ウマ娘自体を(性的であったり、動物女性化しているという理由で)批判しているフェミニスト」という意味であれば、私はそのようなフェミニストの方をそもそも想定していませんし、文章内でも触れていないはずです。(もしそうであれば、どこからそういう発想が出て来たのか良く分からないです・・・・)

私が想定し、理解を求めているのは「オタク二次創作者)は一次創作者とフェミニストで態度を変えているじゃないか」と違和感を持つフェミニストの方です。そうした方の存在は先のツイートで居るのだと認識して書きました。

同様の誤解を与えてしまって居そうな方を挙げます。私の文章が分かり辛く、すみません

 

今のところ私は「ウマ娘を叩くフェミニスト」を見たことないんだが…なんか仮想敵作ってシャドーボクシングする案件増えてないかなあ…。

作品で「エロいから/女性性的消費だから引っ込めろ」的な「いつものフェミニスト」の過激主張ってそんなに大きかったっけ?エア炎上は有ったがまさかソレが既成事実化しててその前提であちこち話が広がってる?

フェミが焼いたみたいなデマを元にしてる時点で評価できない。そもそも自分たちがやってること、消費してることに対しての危険性を自覚しろ。開き直るな。それこそ同じオタとして迷惑だ。

ウマ娘は「『フェミ炎上させてる』は嘘だった」が知られているし女性にも人気なのでそっとしたいてほしい。オタクは嘘炎上でも構わないから女叩きがしたいんだ、とまとめて敵視されたくもない。テイオかわいいよ

恐らく同様の誤解を与えてしまって居ますね。申し訳ございません。

恐らく想定されているような「ウマ娘を叩くフェミニスト」はこの文章では元々想定していません。あくまで「オタク二次創作者)は一次創作者とフェミニストで態度を変えているじゃないか」と違和感を持つフェミニストの方向けの文章です。

 

一次創作者と二次創作者の信頼関係」に対して、「フェミニストオタク」を当てはめてる意味がわからないんだけど。せめて、「フェミニスト表現者」では? 「オタク」というのはどういう存在なの?

これは実は非常に重要な点です。実は先の元になったツイートで私も良く分からないのがこの点なのです。

ウマ娘における曖昧基準でも受け入れられる暗黙の関係は、ご説明した通り「一次創作者と二次創作者の信頼関係」で成り立つ特殊ものです。

一方でツイート主の方が想定されている「どこからエロくてどこからエロくないか線引きなど出来ない」とする人の大部分は恐らく一次創作者でも二次創作者でもありません。つまりそこに二次創作特殊事情で成り立つ関係が同様に適用出来るという発想が私には不思議なのです。(そのような意味で、「せめて表現者を想定するべきでは?」という疑問は私も共有します)

ただしこうした関係二次創作特殊事情に依るとそもそも知らなければ、おかしな発想ではありません、そこで私はそのような想定でこの文章を書こうと思った次第です。

また、勿論二次創作者とオタク兼任する人は居ますので、兼任する人だけを想定している、という考えはあり得ると思います。そのような想定も念頭に置いて書いたつもりです。

オタク」については「「どこからエロくてどこからエロくないか線引きなど出来ない」とする人」では長過ぎるので、言い換えています。「「どこからエロくてどこからエロくないか線引きなど出来ない」とする人」かつ「「ウマ娘エロ絵は禁止」の一声で「何がエロだと受け取られ、馬主不愉快にするか」をきちんと自分達で考え始めた人」の集合ですね。

 

増田あなたあなた自身二次創作者に向けて「自分作品に」配慮して欲しい旨を伝えたことがあるのだろうか。編集部などではなく自分自身二次創作過激エロを止めて欲しいような事を発言したことが?

私自身は自分作品二次創作自由に遣って頂いて構わないので、そういう発言をした事は無いです。

ただ、自分以外の方の例を見て、発言すれば意図を汲んでもらえそうだなと思う事はあります

あと映像研の作者の方の件は受け入れられた認識だったので(そうではない可能性が出てきましたが・・・)、そこでも一次創作者の意図は組んでもらえそうだと考えていました。

 

上っ面で敵意がないとか言いながら俺らは昵懇なので口出すなって言ってしま無能増田だ。都合よく選んだステークホルダ間に閉じたオレオレ信頼の話じゃなくて社会一般に開いた話をしようね。

対応の差は元々問題と思わないので異論もないが、表現においてOK/NG基準が暗黙裡に共有されるって相当特殊状態なわけで、部外者にそれを求めるのは無茶かと。オタク差別的な表現非難する時に基準などないでしょ

このお二方は私の文章と同じ趣旨の事を、反論という形で書かれています。つまり誤解を与えてしまって居るという事ですね、申し訳ございません。

私の文章はまさに「社会一般に開いた話」に「都合よく選んだステークホルダ間に閉じたオレオレ信頼」と同じ対応を求めるのは無茶である、と言う趣旨です。

また「表現においてOK/NG基準が暗黙裡に共有されるって相当特殊状態」を「部外者同士(フェミニストオタク)の関係間にも求めるのは無茶」という趣旨です。

本当に重要な事なのですが、「二次創作者と一次創作者」の暗黙の関係の方が特殊で異常なのです。だから社会一般殆ど関係でそれと同様の対応を求めることは出来ないし、「フェミニストオタク」の間にそれを求めるのも不可能、という事なのです。

うーん・・・・これでも分かりにくいかも知れませんね・・・ただこれ以上どう詳しく説明すれば良いのか、苦慮している状態です。表現者としてなっていませんね・・・・。

 

あとは最初に言っておいた碧志摩メグさんの件について書きます

実は碧志摩メグさんの件はこの話で非常に重要論点です。何故かと言うとウマ娘における馬主競走馬達と似た(しか微妙に異なる)立場海女さんの方々が置かれた例だからです。

まず重要なのは碧志摩メグさんはナマモノなのか」という事です。ウマ娘場合、限りなくナマモノに近い、と言うより個人的にはナマモノと言ってしまっていいと思います実在の馬に対し、個体識別できるレベル二次創作を行っています

対して碧志摩メグさんはと言うと、実在海女さんという職業対象にしていますが、個人識別できるレベル二次創作ではありません。海女さんという職業対象にした萌えキャラ化という認識です。

ただし注意しなければならないのは、「職業対象にした萌えキャラ」を全て同等だと考えるのは危険だという事です。

例えば駅乃みちかさんは恐らく鉄道スタッフ対象にした萌えキャラですが、彼女碧志摩メグさんを同等に考えるのは危険です。何故なら海女さんという職業に就く人の少なさに加え、「伊勢志摩」という地域限定もかかっている為、個人識別出来るレベルでないとしても絞られる人数の規模が異なるからです。

私の書いた文章では、まず第一法律レベル尊重されるのは一次創作者の様に作品権利を持っている場合か、ナマモノの様にその人自身肖像権等の権利を持っている場合だと考えていました。

通常、職業対象にした創作について、その職業の方が権利を持つ事はありません(例えば漫画家が「漫画家萌えキャラを描かないで」と言っても効力は有りません)、しかし単純にそれを碧志摩メグさんに適用するのは危険だと私は考えています

これは個人的な考えですが、碧志摩メグさんの例は、一次創作者やナマモノ対象者の様な権利者と、職業萌えキャラの間ぐらいに位置すると考えるべきだと思います

恐らく(素人なので分かりませんが)法律的に海女さん達が碧志摩メグさんに権利を持つ事は無いと思いますしかしだからと言って彼女たちの意志無視するのは倫理的問題がある、というのが私の考えです。

そしてウマ娘ではまさにこうした問題に対する対応が行われています法律的には競走馬馬主の方々やファンの方々はウマ娘について権利は持っていないそうです、しか権利を持っているCygames馬主ファンの方々の意思尊重する姿勢を明確にしています

こうした関係理想的ですし、碧志摩メグさんについても同様の対応がとられていれば良かったのではないか、と考えています

 

 

なんでフェミニストには一次創作者がいない前提なの?沢山いますが。

すみません、そのような前提では書いていません。

フェミニストの方の中にはオタクも、腐女子も、ウマ娘を愛好する人も、ウマ娘二次創作者の現在関係理解肯定する人も、二次創作者も、一次創作者も、その他色々な人が居る、という前提の下書いております

特にフェミニストオタク腐女子二次創作者や一次創作者の方は、私が説明するまでも無く二次創作を取り巻く環境特殊性理解されている、と言う認識で書いております

 

 

フェミニズムに親和的人間もそれぞれの趣味に傾倒するし創作もするよ。そのなかで誰かを傷つける可能性に葛藤も悩みもするよ。だからこそ不誠実な「何がエロかわっかりませ~~ん」に怒るんだよ

フェミニズムに親和的な人も創作する事、存じております。と言うよりも(隠していた訳では無いですが)私自フェミニズムに強く共感している創作者の一人です。

それ故、仰られている葛藤や悩みにも身に覚えがあります

ただ、それ故に「何が不誠実なのか」を論点先取する事には一定の躊躇を覚えます。「エロ」というもの定義困難性や明確化の困難への懸念や警戒を「何がエロかわっかりませ~~ん」へと翻訳することについてもです。

一人の創作者でありかつ創作受け手でもある人間として、「エロ」というものの難しさに向き合うことにも誠実でありたいのです。

「何がエロなのか決めることが難しい」事が本当に不誠実な態度なのか、まずはそこを決め付けずにもう一度詳しく検討したり、議論したりすることが誠実な態度なのではないでしょうか?

 

フェミが焼いたみたいなデマを元にしてる時点で評価できない。そもそも自分たちがやってること、消費してることに対しての危険性を自覚しろ。開き直るな。それこそ同じオタとして迷惑だ。

この方の後半についてなのですが、ここは私自身の立場がややこしいというか、難しいのですよね。

私自身勿論オタクでもありますが、同時にその「消費」を提供する作者でもある訳です。

創作者側としては、割と好きに消費して欲しいという思いもあり、この件に対しては複雑な心境です。

また私の描いたキャラクター特定属性の消費に繋がるか、という事についても・・・・余り私自身の情報で変な予断を増やしたくないので暈しますが、例えば私が女性で、女性キャラクターを消費し易い形で出したら、そこにはどのような問題が有るでしょうか?

これは女性自身自由表現してよいか、という女性自身自由にも関わる話であり、この議論はそうした様々なパターンを想定した上でなければ(つまり男性女性を消費すると言う様な典型的なケースだけ考えるのでは)意味が無いと思うのです。

しろこうした議論において女性存在こそ無視されてきたというこれまでの状況に強く懸念を覚えるのです。

2021-03-17

anond:20210316194352

増田です。映画秘宝について検証できない?やる気がないだけでしょ?

雑誌『映画秘宝』の記憶(8)雑誌『映画秘宝』の記憶(10)コメント

このシリーズ全体的に引用元曖昧なので検証できない。「切り株映画ファンは悪い事をしないが、美少女アニメを見るような奴らは犯罪者予備軍だからドンドンお上通報しよう!」は具体的にどの本のどの記述ですか?
俺の事かな。ホモソに対する批判は大筋合ってると思う。ただ「切り株映画ファンは悪い事をしないが、美少女アニメを見るような奴らは犯罪者予備軍だからドンドンお上通報しよう!」とかは結局どこに書かれてるの?

どの本?どの記述?どこに書かれている?

そういう疑問ってネット検索解決できる(こともある)よね!「美少女アニメ 犯罪者予備軍 映画秘宝」で検索すると、嫌オタク流・私評 〜80年代・フジテレビ・お笑い・ヤンキー・スクールカースト!

映画秘宝』04年5月号P48および6月号P124の萌えマニアを「犯罪者予備軍」と一方的に決めつける論調や、06年8月号P76の『メタル ヘッドバンガーズ・ジャーニー』(05年・ASIN:B000JVSVHY)のサム・ダン&スコット・フェイデン両監督への質問
「ところで、あなたたちは未成年女性が好きですか?」
美少女アニメフィギュアには興味がありますか?」
など、ここ数年の『映画秘宝』はアキバ系オタクを「仮想敵」にした一大キャンペーンを展開していますが、「男らしい」どころかかえって「不健康」なものを感じます反社会的な行動で人様に迷惑をかけるのならともかく、個人趣味価値観は人それぞれですし……)。

という記述があります論調解釈に幅がある(かもしれない)ことから、断定はできませんが、ページまで具体的に書いてあるので、「どの本?どの記述?どこに書かれている?」という疑問に答えているかもしれません。「ここ数年はー一大キャンペーンを展開しています」ともあるので、2004年から2006年あたりを通しで読んでみると、その手の記述が見つかるかも?この時期は、

さて、私が反発を招いた「切り株映画ファンは悪い事をしないが、美少女アニメ好きな人間は犯罪者予備軍なのでお上通報しよう!」と昔の『映画秘宝』が書いていたか否かと云う点についてですが、私の記憶では『悪魔のいけにえ』のリメイク作品テキサス・チェーンソー』が公開されたり、別冊『実録殺人映画ロードマップ』が出版されたりした頃の前後の時期だったと目星を付けています

増田さんが書いている時期(テキサス・チェーンソー日本公開は2004年3月、実録殺人映画ロードマップ出版2004年4月)とも一致してるね!

疑問を呈した8x8さん(idを呼ばないほうがいいんですかね?)が、該当するページのスクリーンショット図書館なりでとってきて、ブログエントリーをあげてもらえると、映画秘宝町山智浩氏への理解が深まるのではないでしょうか?もちろん、「そのページはなんも関係なかったよ!」ってこともあるかもですが、「ドンドンお上通報しよう!」とは書いていない程度で「論外!」とか、いいませんよね、8x8さんは?

8x8さんだけじゃなく、あのコメントスターをつけたブクマカも気になるでしょ?スクリーンショットをとれるよう、もちろん探すよね?もちろん他人任せにせずに。

じゃスクショ待ってますよろしくね!

2021-03-12

anond:20210201163214

この件は主人公が悪役を見捨てた事ではなく悪役を拒絶する結論ありきで主人公実質的マッチポンプを行わせたシナリオ不実問題があると考える。

物語上の積み重ねを考慮しても件の退場劇において主人公の悪役に対する仕打ちは本作の作り手が仮想敵として想定したと言われるDVハラスメント加害者のそれに近しくなぜこの様な主人公人格さえ貶めかねない展開にしたのか理解に苦しむ。

一方的蹂躙され討たれる悪役の姿に昔自分いじめ加害者を重ね爽快感を覚えた年長者が喝采を浴びせているとするブログ主の主張は全く正反対の方向に的を外しており何より品が無い。

洋楽離れについて駄文を吐いとく

Spotifyのような黒船というべきサブスク洋楽離れを食い止めるみたいに言われてたけど、むしろさらに加速していってる

サブスクチャートにどうにか残ってるアーティストビーバーとかブルーノとかマルーン5のような昔からいる人達で(10年前は昔)

ビリーアイリッシュMステでやる気ないのが炎上したせいかチャートインしなかった

でもこれって原因は日本人ガラパゴス思考だというより、K-POPメジャー洋楽の客が流れてるせいじゃないかな?

というとあれは基本はダンスポップばかりだと言われそうだけど、今じゃエクスペリメンタルロックアンビエント音楽聴く自分最初ステイシー・オリコとかバッド・デイ~ついてない日の応援歌のようなポップスを聴いてた

こういう入口的な存在K-POPに奪われてるというのは大きいんじゃないかと思ってる

ただ洋楽離れを叫ぶ人達ってK-POP持ち上げてJ-POPを叩くのが大好きなんだよな

戦略的な話をするなら仮想敵にすべきなのはK-POPなのに(別にK-POPに恨みはないけど)

2021-02-22

元増田より、古典を義務教育で扱う理由について

元増田です。はてなでは定期的に出る話題であり、この仕事をしていれば生徒に必ず聞かれることでもありますね。すでに質問増田氏への反応でかなりの部分が議論されていると思います国語先生ごとに考えが多少異なるとは思いますが、現場にいる者として、同じことを生徒に聞かれたと思って、自分なりに誠実にお答えしたいと思います

以下、常体で失礼。


・まず、この疑問への論点はたくさん含まれていると思う。自分なりに整理してみると

日本という国家義務教育で(貴重な時間を割いて、他の教育されない分野を差し置いて)古典を扱う理由教育制度論)

上記の上で、古典選択科目ではない(または高校教育現場で「選択させられている」)理由

学校における古典学習時間は適切な長さであるのか?

学校における古典学習内容は適切なものであるのか?

古典を学ぶことは何かの役に立つのか?(個人レベルでのメリットはあるのか?)

……などなど。


しかし、増田氏の質問古典は、なぜ義務教育の科目なの?」に対して、学習指導要領等を引き合いに出しながら上記のぜんぶに答えても増田氏は納得しないように思う。なぜかと言うと、それ以前の「義務教育(および後期中等教育)とはそもそも何か?」「義務教育に求められているもの本来どのようなものか?」という重要命題増田氏は考えていない(もしくは適切な答えを持っていない)と思えるからだ。


質問増田氏に足りていない視点は「教育とは多様性を前提にしている」ということだ。学校にはあらゆる子供が来る。子供たちは、あらゆる適性・資質長所性質個性能力を持って、学校へやってくる。その多様な子供たちに国から一律のシステムとして授けられるのが義務教育である

子供たちの多様性、というのは学校に勤務していると本当に感じるところであるが、それでなくても、皆さん小中学校にいたクラスメイト、同じ学校にいた児童生徒の「多様性」というものに思いをはせていただければある程度イメージできると思う。

この多様な子供たちに、一律に与える教育が「義務教育普通教育)」というものだ。これは「全国民共通の、一般的・基礎的な、職業的・専門的でない教育」を指す。この時点で、小中学校とは原理的に「個人個人資質能力に合わせた教育を行う」場ではないということが(その是非はともかく)わかると思う。程度の差はあれ、後期中等教育高校教育)も同じようなものである


・そして、ここで注意すべきポイントは「教育経済的効率という尺度はなじまない」ということである

これについて(はてなでは評判悪いが)内田樹がわかりやす説明しているので一部引用してみる。


教育アウトカム単位時間を区切って計ること(つまり効率」を論じること)には何の意味もない。教育を受けたその直後にきわだった成果を示す人もいるし、同じ教育を受けたのだが、その成果が現れたのが卒後50年してからという人もいる。死の床において来し方を振り返ってはじめて「私の人生がこのように豊かなものであったのは、小学校ときに受けた教育のおかげだ」ということに不意に気づくということだってある。 

(中略)

これほどに学びの機会が多様であるのは、「自分が何を学んだか」についての決定権が最終的には個人に属しているかである。同じ教師に同じ教科を同じ教室で学んでも、それによって震えるような感動を覚える生徒もいるし、何も感じない生徒もいる。そのときは何も感じなかったが、何年も経ってから電撃的にそのとき教師言葉意味がわかるということがある。人間はそのつどの成長レベルに従って、自分経験の全体を「私をこのようなものにならしめた要素の必然的連続」として再編集する。必ずそうする。過去出来事意味現在自分状態に基づいて、そのつど改訂されるのである

(中略)

自分が何を学んだかを決定するのは私自である。そして、「誰も同じその人から私と同じことを学ばなかった」という事実こそが私たちひとりひとりの代替不能性、唯一無二性、この世界に私が生まれなければならなかった当の理由形成している。

http://blog.tatsuru.com/2012/03/10_1013.html


そもそも、これだけ多様な生徒に対して同一の教育を与えるのならば、それは最大公約数的なものにならざるを得ない。けれど一方で、そういった最大公約数的なものをどれだけ集めても、一部の児童生徒にとって「役に立たないもの」は、多様性に対して共通教育提供する限り必然的に発生してしまう。そして、「~の勉強は役に立った」「~の勉強は役に立たなかった」という『後付けの、結果論的な』評価もまた、その生徒児童によって異なってくる。例えば元増田にとって数学は役だっても、国語教員の私の役にはあまり立っていない。逆も然りで、古典を学んで僕は役立っているが、元増田の役には立たなかったのかもしれない(けれど、今後の人生で役に立つ機会が訪れる可能性もゼロではないよね?)。「役に立った/立たなかった」という言葉は、それぞれの人生の差、多様性が生み出した、結果論的な、後付けの評価しかない。


・まとめると、その教育が役に立ったかどうかは、後付けでしか評価できないが、多様な生徒全員に「役立つ」教育はごく一部の基本的ものに限られる。よって、多様性を前提にした普通教育は「役に立つかどうか」を基準とすべきではない、という前提が、義務教育を考える際には必要である


・では上記を踏まえ、改めて、義務教育とは何か考えてみたい。おそらくたくさんの学者先生議論されていることだと思うけれど、自分なりの表現をさせていただければ「児童生徒たち(と国全体)への、将来のための、大規模な投資であると思う。(もちろん、これは上記の前提を踏まえた、ある種の比喩表現であることに注意していただきたい)


・前述の通り、ある生徒にとって何が「役に立つ」かは分からないし、卒業後であってもそれぞれの人生様相が変わればその評価も変わりうる。どの教科がいつどのような形でリターンとなるのか(または全くならないのか)わからない、ということだ。

言い換えれば、義務教育の内容選定にはあらかじめ「(ある生徒には)役に立たないかもしれないが、それでもやるべきなので、やる」という前提が入っているし、その前提があるために「全員の直接の役には立たなくても、間接的には多くの生徒の役に立つようになるといいな」という思想が入ってくる。また、「それを扱わないということは、全員に機会損失リスクを与える」という側面もある。

から、リターンがどれだけあるかわからないにせよ、限られたリソースの中で、できるだけ多くのリターンが生徒に(ひいては国全体に)返ってくるような投資を考える、という設計思想になってゆく。


・このような条件を満たす科目としては様々に考えられるが、特に古典思考根本たる母国語に密接に関わっているという点は大きいと思う。そして質問増田氏含め多くの増田議論で指摘してくれていたように、古典は以下のような理由上記の条件を多く満たしている。


・「自国の古の言葉から国民として学ぶべき」「愛国心の育成」(国家というアイデンティティ形成

・「文化の発展」のため(「春はあげぽよ」で笑いを一つ作るのも文化の発展の一つの形)

歌舞伎などの歴史ある文化和歌集などは誇れる文化である

人文学研究の基礎体力として(研究者は国家必要で、大学等で研究を進める際に古典ゼロからだと困る。)(たとえ研究しなくとも、国民知的レベルを上げられる。ちょっとググりたいとき学校で学んだ知識があると有用なことも多いし、知らないことは検索もできない)

学習すべき内容が時代によって大きく変わらない(日進月歩学習内容の変遷が激しい分野は義務教育には不適)

現代日本語に繋がる、語学学習として。(現代語をより豊かに用いるため)

・「故きを温ねて新しきを知る」、長年読み継がれてきたものを読む(教育において、精神論の何がいけないんだろう?)

古典籍という膨大な一次情報に各個人アクセスできる(源氏物語などに顕著だが、現代語訳がすべてのニュアンスを残せているわけではない。また、現代語訳のないマイナー古典籍が例えば古い災害の記録になっていることもある)

・「論理的な推測」を学べる(「~の気持ちを答えよ」問題はよく槍玉にあがるが、大抵は本文に論理的な推測の範囲で心情が書いてあるので、読解問題であるそもそも言語を扱うという行為じたい「論理的な推測」を行う行為なので、よほどひどいものでない限り、最近のものは全文をきちんと読めば適切な出題だと思う)

教養(あるいは常識)を学べる



・あとは、自分にとって古典がどのように「役に立つ」のか(あるいは現時点で役に立っていないのか)、各個人評価をそれぞれにすればいい。そして今度は、より大きな視点に立ったうえで、改めて教育の中の古典位置づけやあり方、内容を考え直すということを考えてしかるべき、そんな時代であると思う。もちろん、法律情報処理の勉強大事なのは言うまでもない(ただし、プログラミング教育導入される方向でどんどん進んでいるし、現行の公民分野にも法律はそれなりに入っているはず)。他にも様々なことが教育には要求されていると思うし、その中での取捨選択優先順位の付け方は、きっと社会全体でなされるべきなんだろう。けれど、それは「役に立つ」という価値観に縛られるべきではないということは強調しておきたい。

あえてここでポジショントークをするならば、古典学校で扱うべき理由は、先ほどの条件を満たしていることに加えて、「千年単位で変わらない本質的事柄」とは何かを生徒に示唆してくれ、時間的なスケール感の大きさに思いを馳せる時間を持てるという点だと思っている。(そう思って前の共通テスト古典分析を書いていました。授業でもよく言うんだけど、千年前に妻を亡くした人間が、現代人とおんなじようなこと考えてるって、結構安心しないですか?)


・これが生徒に対してなら、上記の話はやや難しく話が長すぎる。自分担任をした生徒(物事意味について考えようとする人物だった)には、例えばこう話したことがある。

「今あなた意味を感じていない世界史を、例えば学ばなかったとしましょう。(あなたにとって何が意味を持つのかは今の時点では分からないので、それもあなた自由ではあります。)そしてそのまま大人になります。その時、あなた世界史の知識を元とした発想やアイデアを失うだけでなく、その発想を失ったことそのものにさえ気づけないことになります。つまり自分可能性が狭まっていることにさえ気づけないでしょう。あなたなら、その怖さってわかるんじゃないですか」

(いちおう、この話をしたこの生徒は、世界史の勉強について、成績は別にしてもこの生徒なりに考えてくれたようではある。後から他の先生にこの言葉意味について話していたらしい。)

これが古典なら、別な増田が言っていたように「矛盾語源を知らない」ことの機会損失について話すことになるだろうか(矛盾故事は中一の教科書に載っている)


・おそらく質問増田氏にとって(多くの生徒と同じように)古典は役に立ちもしなければ面白くもない科目だったのだろうと思います自分はなるべく古典面白さやエッセンシャルな部分を伝えるべく授業で努力をしていますが、もちろんそうでない先生もいます。また、今回は触れなかったけれど「入試対策」という四文字が実際の古典学習に与える影響は計り知れず、本質から外れた苦行的な暗記学習パターン学習が強くなってしまっている現実には自分ジレンマを感じないわけではないです。古典という科目が抱えた問題点や古典嫌いを生むこの構造的な病理は、なかなかに根深ものがあるのもまた事実最初に挙げた①~④の論点あたりにはかなり課題もあるでしょう。

(少し話題はそれますが、前回の共通テストエントリを書いてから他教科の同僚と話していて至った結論は「共通テストはより学問エッセンシャルな部分に近づけられている」というものでした。大学入試が変われば高校進学校勉強も変わるので、これは良い兆しです。共通テストには今回のような学問エッセンスを込めた入試問題を作り続けていただきたいと思います。)


・ただ、今回の質問増田氏のような生徒に対して自分が感じるのは、もっと広い視野物事を見て欲しいという気持ちです。綺麗事かもしれないけれど、自分にとって意味がないものに見えても他人にとって意味があるものもあります。もしかしたら自分にとって後々意味が出てくるかもしれません。けれど、そのように意味をとらえなおすことができなければ、いつまでも古典仮想敵のままでしょう。国語教員である自分がどれだけ古典の魅力をここで語っても、それはやはりポジショントークに過ぎません。意味というのはやはり自分で見つけるものだし、見つからないことだって往々にあるでしょうから、それを受け入れることや合理化することだって大事な「勉強」です。

(今回の話題に関連して、最近読んだ本だと、SF作家森博嗣が出した「勉強価値」(幻冬舎新書)が、ツッコミどころも多いながら興味深かったのでオススメ。)

それに、自分にとって意味が無いと思っていたものがこんなに深く豊かな世界内包していたんだと気づければ、それは素敵なことです。少なくとも、それを認めることが多様性をはぐくむ態度であると思います


P.S.

これを読んでいる生徒の皆さんへ(元生徒さんでもいいです。笑)。


自分にとってイヤだったり不得意だったりしてもいいし、つまらないと感じることもいいです(わからない・つまらないは教育する側の問題なので、どんどん声をあげてください)。けれど、だからといって排除することは、自分可能性が消えるという別な問題を生みます自分がイヤだったものをイヤなまんまで自分の中に置いておくのもしんどいことだろうなと思うので、ちょっとだけ面白ものを紹介しておきます

からでも、古典に関する自分評価を変える機会になればいいなと思います。頼めそうなら、複数の生徒で担当先生もっと面白ものを扱ってもらえるようにお願いしてみるのもいいかも。先生は案外、そういう授業に飢えています


https://kawadeshobo-blog.tumblr.com/post/129340109097/町田康訳奇怪な鬼に瘤を除去される宇治拾遺物語より

↑これを読んで


https://www.koten.net/uji/gen/003/

https://www.koten.net/uji/yaku/003/

↑その後、これと見比べる。これだけでも立派な古典勉強です。

2021-02-20

40歳超えたらフェミニスト引退したら?

初めてネットフェミニストを見たのは、大学3年の時だった。

彼女達は女性が如何に生きづらいかを主張し、社会の変革を求めていた。

女性賃金も低く、発言権も少なく、管理職にもなれず、家事をしない旦那の面倒を見て...」と言った彼女達の発言を見て、社会に出たら生きづらくなるのか...とやや憂鬱になった。

と、同時に彼女達の主張に若干の違和感があった。

大学時点で、女性特有の生きづらさ、みたいなもの特に感じてなかったためである

男女混合のサークルに入っていたが、サークル長が女性の年も普通にあったし、ゼミ論文発言も完全に内容で判断されており性別差別されることはなかった。

飲み会でも、男性からイジられることはあったけどこっちもイジり返してたから力関係アンバランスさは感じてなかった。セクハラする人や本当に嫌なことを言う人はいたけど、そういう人は男にも女にもいたし、同時に男からも女からも嫌われていた。

地方大学で、電車に乗らなかったので、痴漢にも合わなかった。

やがて社会人になり数年が経った今、やっぱり女性特有の生きづらさ、みたいなものはあまり感じていない。

給料は当然男女で別れていないし、会議中の発言無意味に軽んじられることもない。管理職はたしかに今は男性のほうが多いが、我々が管理職になる頃には男女同じくらいになるだろうな、と思う。

産休を取っても普通に復帰できるし、育児理由退職した人はここ5年ではいない。

飲み会(ここ一年ほどないが)でのセクハラも、会社が厳しいので殆ど無い。彼氏の有無すら同世代以外には聞かれない。

ちなみに恋愛においても、同棲中の彼氏がいるが普通に家事をやってくれるし、生活面の不満はない。

ここで、フェミニストの方々の発言に目を戻す。

女性賃金も低く、発言権も少なく、管理職にもなれず...」みたいなのって時代錯誤なんじゃないかな、と思う。

自分は、時代錯誤を指摘している気でいるが、もうそんな事実あんまりないので、むしろ時代錯誤になっている、みたいに見える。

そして、そういう事を言っている人は大体40代以上で、今は企業に属してない人が多い。

存在しない仮想敵と戦っている感がある。

ここまでを通して、私がひとえに差別に鈍感という可能性は大いにある。

また、私が非常に恵まれているという可能性も大いにある。

もしそうであれば、地方国公立大学に通い、そのまま地方の優良企業に勤めると、私のような恵まれ環境に身を置ける可能性が高いので、若い人が読んでたら参考にすると良いかもしれない。

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