2021-03-23

反「表現の自由戦士」が想定している仮想敵誤謬について

表現の自由戦士が想定している表現の自由戦士というのは、(1)エロ表現については制約を否定し、(2)著作権者お気持ち尊重する、というものである

本来およそエロ表現わいせつ頒布等の罪(刑法175条)に抵触する違法ものであるから(これ自体は正しい。)、仮想表現の自由戦士」は、(1)刑法をも無視する無政府主義的な主張であるが、それにも関わらず、刑法より遥かに弱い(2)著作権者お気持ちには従順なので、矛盾しているように見えるのだ。

 

しかエロ表現愛好家は、刑法によって引かれた制約の線引きは、これを無視して行動している。

しかし実際には、エロ表現愛好家のほとんどは(1)エロ表現について一定の制約を受け入れている。すなわち、現実エロ表現愛好家の多くは、国内流通においてはモザイクや消しを受容し、公道上でいわゆる18禁表現物を陳列することは是としていない。

わいせつ頒布等の罪の解釈からは、モザイクや消しがあろうと18歳未満に販売しなかろうと、いわゆる18禁表現物は性欲を刺激する猥褻物に他ならない。モザイクゾーニングといった自主規制は、本来的には法律によらない制約である

けれども現実には、警察摘発するか否かを恣意的に決めている(行政府による実質的立法であり、法治主義からは許されざる行為である。)。

この間隙こそが、エロ表現愛好家の遊び場である

違法ではあるが現実には責任を問われない範囲で楽しむが故に、その範囲を踏み越えることに対しては人一倍敏感である

したがって、現実法的責任を追及されかねない制約に対しては極めて従順である

 

この、違法ではあるが現実には責任を問われない範囲というのは、二次創作の楽しみ方とも共通している。

刑法においては警察お気持ち法的責任現実化に直結するのと同じく、二次創作においては著作権者お気持ち法的責任現実化に直結する。

結局のところ、エロ表現愛好家は、それが刑法であれ著作権者であれ、法律によらない制約に対して従順なのであるが、それは法律による制約を超えて自由享受するための知恵であり、そこに矛盾はない。

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