ところかわって兄の俺は、相変わらず家で世俗にまみれない快適な時を過ごしていた。
俺は重い腰をあげると、しぶしぶ玄関に向かった。
念のため、覗き穴から来訪者を窺う。
思わずため息をついた。
そこから見えたのは弟だったのだ。
やれやれ、どうやら鍵を忘れて出て行ったようだな。
ここで深く考えずにドアを開けてしまったのは、我ながら迂闊だった。
覗き穴ごしからは気づかなかったが、肉眼で至近距離ともなると一目瞭然である。
弟ではなく、弟に変装したドッペルだ。
「バレンタイン……」
そう言うとドッペルは、おずおずと俺の前に箱を差し出した。
やたらと煌びやかなラッピングに対して、箱そのもののデザインはひどくシンプルである。
言葉が少なすぎて確信は持てないが、バレンタインと言っていたのでそういうことなのだろう。
俺はこの箱の中身、ひいては“意味”を考えていた。
答えはすぐに導き出された。
これは弟のチョコばらまき作戦の一つで、俺も候補に入れたってわけだ。
だが、弟の思惑を俺は知っているので、普通に渡しても受け取ってくれるはずがない。
そこでドッペルを介した。
俺は見分けがつくので、ドッペルだと気づいてチョコを何の疑いもなく受け取る。
これが罠なのだ。
弟に変装したドッペルは、後に俺にはチョコを渡していないとしらばっくれる。
そうなると、俺の受け取ったチョコは弟から貰ったという扱いにされてしまう。
そして、俺は弟に高いものを買わされる、と。
随分と回りくどい真似をしてきやがる。
だが、所詮ガキの浅知恵だ。
「ドッペル、これを受け取る前に確認しておきたいことがある」
「な、なに?」
「いま、お前は弟の姿に変装しているが、弟ではない。ドッペル、お前が俺にくれるんだよな?」
ただつき返すだけでは弟への報復にはならない。
モノは貰う、だがお返しはしない。
しなくていいように、弟があげたなどという可能性を完全に無くす。
「う、うん」
「よし。念のため、包みにお前の筆跡で書いてもらえないか? 『マスダの兄ちゃんへ、ドッペルより』って」
言ったとおりのことを包みに書いてもらい、俺は粛々と受け取った。
ところ変わって弟のほうでは、タオナケとの熾烈なチョコの押し付け合いが始まっていた。
「欲しいよ。ホワイトデーに何も返さなくていいならな! そういうタオナケこそ、俺から貰っておけばいいじゃないか」
戦いは拮抗していた。
タオナケには超能力があるが、「念じると5回に1回、無機物を破壊できる」というもので使い勝手が悪い。
下手に弟のモノを壊せば、お返しどころではなくなる可能性がある。
弟はドッペルを身代わりに有耶無耶にするとは言っていたものの、あくまでそれは最終手段だ。
それにチョコの押し付け合いごときで、仲間にそんなことはしたくない程度の情はある。
そもそも互いがチョコを欲していない時点で、この勝負は不毛でしかなかったのだが。
そのことをミミセンが指摘するまで、二人の戦いは続いた。
広場にいたのは以前、弟たちが色々と野暮なことをして困らせた魔法少女の人だった。
どうやら、何らかの催しと合わせてチョコを配っているらしい。
「うっわあ、あんだけ無作為に配るって、俺には絶対マネできないな」
「まあ、人気商売だからね。見返りってのは形のあるモノだけじゃないってことなんだろう」
配っているチョコはどうも魔法少女組合が販売しているチョコらしく、在庫処分なのか宣伝目的なのか分からないが、いずれにしろ利己的な思惑が絡んでいることは明らかであった。
慈善団体という名目だが、魔法少女をやっていくのは簡単ではないということなのだろう。
「タダで貰えるんだったら、俺も貰ってこようっと」
弟は列に並ぼうと魔法少女に近づくが、ミミセンが静止する。
「いや、僕たちはこれまでも魔法少女の人に図々しいことをしてきたし、今回はやめとこう」
それでもミミセンの判断が優れていることは分かっていたため、大人しくそれに従った。
「まあ、いいや、とにかくチョコを捌かないと」
「渡すアテはあるのかい?」
「とりあえず近所の知り合い、きっちりお返ししてくれる律儀な大人たちに優先して配ろうと思う」
予想外の人物からのまさかのバレンタインチョコにみんな最初の内は困惑するが、「こいつのことだからホワイトデーの見返り目的だな」とすぐに勘付く。
それでも受け取ってあげるあたり、良くも悪くも弟の人徳が成せる業である。
その道中、また知っている人物を見た。
『生活教』だとかいうのを広めている、時代遅れで薄味な新興宗教の教祖だ。
「皆様、バレンタインも宗教が関係していることをご存知でしょうか。しかし、贈答品がチョコというのは企業戦略の結果もたらされた風潮でしかありません。国によってはメッセージカード、花などを贈ることもあります」
バレンタインを話に絡めて、今日も飽きずに布教活動をしているようだった。
みんな教祖のことを胡散臭い人物だとは思っているのだが、それでも話に聞き入ってしまう者が何人か出てくる。
曲がりなりにも教祖なんてやっているわけだから、やっぱりそういった“素養”があるのかもしれない。
「恋人のための祭りという認識が一般的かもしれませんが、これも厳密に決まっているわけではありません。片思いの相手、友人、仕事仲間など様々です。つまりマクロ的な観点から見れば、チョコ以外のものを送ってもいいですし、誰に送っても問題ないのです」
いまの弟にとって、その教えは福音だった。
「こう、おっしゃる方もいるでしょう。『大事なのは真心』だと。ですが、それは目に見えませんよね。こう考えてみましょう。真心を可視化したものが贈答品なのだと。そう考えるなら、大事なのは“何を贈るか”ですよね? そこで『生活教』では、生活用品を贈答品として推奨しております……」
むしろ耳の痛いことも言っているのだが、こういうものは各々が都合よく解釈するように人間は出来ている。
「は?」
「俺たちがチョコを押し付けることもルール上ありなんでしょ?」
バレンタインは女性がチョコをあげているのがポピュラーだが、別に明確なルールがあるというわけじゃない。
弟のフレキシブルな発想に、俺はどこか感心していた。
「まあ、ナシではないだろうな……」
そう言って弟は家を飛び出していった。
当然、俺は不参加だ。
世間に振り回されない弟ならともかく、俺がやったら免疫細胞はたちまち死滅するだろうからだ。
チョコは質と量を考慮して、松竹梅でいう竹クラスで勝負を仕掛けるらしい。
「あ、マスダ、どうしたのそのチョコ。すごいじゃん」
大量に抱えていたチョコが同じ見た目の市販品であることに気づくと、ミミセンは身構えた。
弟の思惑を知らないミミセンは、その発言に頭を抱える。
見栄?
だが、こんな見え見えなことをするとは思えない。
聡明なミミセンは、弟の人格と状況から分析して結論を導き出した。
「……なるほど、貰うんじゃなくてあげる側になってやろうってことだね」
「そう。ホワイトデーの見返りは、期待値が大きいらしいからさ」
「はは、よかった。気づいていなかったら、チョコを押し付けられるところだったよ」
つまり定期的に買っているということで、見返りを期待できるほどの預金はないと考えていたからだ。
実のところ、耳栓は親が買い与えていたもので小遣いとは別口だったが、弟がどう振舞っても結局は受け取らなかっただろう。
“先約”がいたことで、ミミセンは既に警戒心を高めていたからだ。
俺がテキトーにのたまったことだが、ホワイトデーをアテにする人間というのは存外いるらしい。
「でもマスダ、気をつけたほうがいいよ。タオナケは僕たち仲間にチョコを配っている」
弟がよく連れ立つ仲間の一人には、紅一点(ということになっている)タオナケがいた。
口癖が「私、女だけど」で、ちょっと主張が強い子だと仲間たちに認識されている。
そして押しも強いと認識されていた。
つまりチョコを押し付けることに関していえば仲間内で随一なのだ。
「既に僕は貰ってしまった。当日、たぶん無理やりにでも取り立てるよ」
その取り立てがどれほどのものか推し量ることはできないが、貰った時点でホワイトデーは審判の日になるであろうことは想像に難くない。
弟はタオナケの出没を念頭に置きながら、作戦を完遂する必要に迫られたのだ。
漫然とチョコをバラまくだけでよかったはずが、一気に難易度が跳ね上がった。
しかし、弟には奥の手もあった。
「そうか……まあ、タオナケにチョコを貰ってしまっても、ドッペルが俺に変装していたということにしてやるさ」
弟の仲間には、変装が得意なドッペルという子がいた。
特に俺の弟の真似は完成度が高く、身内でも油断すると騙されることがある。
最悪、そのドッペルを身代わりにして有耶無耶にするということも考えていたのだ。
「ズルいなあ……そういえば、今日はドッペルを見かけないんだよね」
「俺も見てないな。もしかしたら、お得意の変装で隠れて機会を伺っているのかもしれない」
「ドッペルは、マスダやタオナケと違って、そんなことしないよ」
「いや、そういう意味じゃなくて……」
そんな会話を二人でしながら歩いていると、町の大広場にさしかかった。
そこはいつも以上に人で溢れており、どうやら何らかのイベントをやっているようだった。
その中心には、見知った顔があった。
バレンタインとかいう司祭が恋人のために催しを行ったのが基とされているが、それは作り話だともいわれている。
いずれにしろ、真実があやふやに認識されている歴史というものは、得てして現代を生きる人間によって都合よく変換されることが多い。
歴史修正主義者みたいに思想的ではなく、その日にこじつけて何かを売りたい、資本主義だとか商業主義にあたる人間たちによってだ。
まあ、大局的に見れば経済を回すためだとか、それはそれで考えがあるかもしれないが、俺たちの国でそれがチョコレートである必然性がないことだけは確かだろう。
その日が個人にとって関係があろうとなかろうと、誰も知らないフリができない。
更にガメツイのは、バレンタインデーの約1ヵ月後にホワイトデーなんていう“お返しキャンペーン”まで普及していることだ。
さて、今回の話は、生憎だが甘酸っぱい要素は何一つない。
かといって、チョコを貰えない人間のほろ苦い話というわけでもない。
話はバレンタイデーに遡る。
その日は休日と重なり、俺は家でくつろいでいた。
去年のことを顧みると、これはとても快適なことだ。
俺の学校にはバレンタイデーに家庭科の授業としてチョコを作るという伝統があった。
男女関係なく班で作ったチョコを食べるという、一見すると何とも平和な授業だ。
だが、このタイミングを利用して“個人的に”作る人間も多かった。
恋人のため、想い人のため、ただ友達同士でワイワイやりたいだけ、と目的は様々だ。
そして、そういった人間の中には、ホワイトデーをアテにして無差別にバラまく奴も必ず出てくる。
面倒くさい話だ。
お返しなんてしなくてもいいと思いつつも、そんなのに律儀にお返しする奴が出てくるから、俺も体裁を整えるしかない。
チョコが食えない俺のいる我が家にとっては、2月14日は煮干の日のほうがポピュラーなのだ。
「2月14日は煮干しの日だが、バレンタインでもある。お前はいいのか?」
「なにが?」
「なにって、チョコだよ。外周れば貰える可能性あるんじゃないか?」
弟はバレンタインを学校の行事くらいにしか思っていないようだ。
「そうなの? じゃあ行ってくる!」
まだ、説明は終わっていない。
「貰えるとは言っても、タダではないぞ」
「貰えるのにタダではない、ってどういうこと?」
弟の疑問も尤もなんだが、そういう疑問のために「タダより高いものはない」という諺があるのだ。
「ホワイトデーといってな。バレンタインにチョコを貰ったら、何らかの“お返し”をしなければならない日があるんだよ」
「なんだそりゃ。ギブってのはテイク前提でやるもんじゃないだろ。それじゃプラマイゼロじゃん」
実の所バレンタインには様々な側面があって、安易に価値を推し量ることは難しい。
だが、世間に捉われない自由奔放な弟にそれが理解できるとも思えないので、俺はあえて省略して説明することにした。
「どういうこと?」
「ホワイトデーのお返しは、通説ではバレンタインに貰った物の3倍の価値とされている」
「3倍!?……バレンタインはチョコをあげるほうが得しやすいってこと?」
「そうだ。つまりバレンタインはチョコを貰わないようにしつつ、相手にチョコを押し付けるゲームってことだ」
全くのデタラメを言っているわけではない。
弟が安易にチョコを貰わないよう、遠まわしに釘を刺すための理屈だ。
だが、こういう“全くのデタラメではない”情報のほうが、弟にはかえって害悪だったのかもしれない。
某日、『ハテアニ』の親会社にて。
「これを見てください」
フォンさんはそう言って、ダンボール箱を机に勢いよく置いた。
その中には、シューゴ監督の降板に対する抗議文、メールで届いた写しなどが大量に入っていた。
「もちろんこれだけじゃありません。まだまだ持ってきていますからね」
父たちの打開策はこれだった。
重役たちは机の上に積まれた抗議文の山を、ただ黙って見つめていた。
それには理由があった。
「更に付け加えるなら、この抗議文はスタジオにきたものだけです。皆さんの会社にも同じくらいの……或いはそれ以上の抗議文が届いたのではありませんか?」
親会社やスポンサーにも、メールなどで抗議するよう世間に促していたのだ。
そもそもシューゴ監督降板の要因は、親会社が世間の風当たりを気にしていたからだ。
その世間が味方について、逆に親会社たちの敵になろうとしているならば、方針を変えざるを得ない。
「確かにシューゴさんの言動は反感を買いやすいです。色々とコンプライアンス違反もやらかしています。でも、それは彼なりに作り手としての矜持が常にあったが故です」
「もちろんアニメというのは監督一人で作っているわけではありません。それを踏まえてなお、今の『ヴァリオリ』があるのはシューゴさんの存在が大きいですし、そしてこれからもシューゴさんなしの『ヴァリオリ』なんて考えられません!」
当然、これは側面的な話でしかない。
抗議文を書いた人間の多くは『ヴァリオリ』のファンである人たちが多く、シューゴ監督を嫌う人たちは依然変わりない。
それでも、シューゴ監督が『ヴァリオリ』に必要であるという声も強いことを、否が応でも分からせるにはベターな手段だったのだ。
「皆さん、いま一度考えてみませんか。所詮アニメもビジネスです。コンプライアンスは大事でしょう。でも同じくらいクリエイター本位であることも大事なのです。それがアニメのクオリティにも繋がり、売り上げにも繋がりやすくなる。なぜなら彼らが見たいのは、こんな水面下のトラブルではなく、あくまでアニメなのですから」
こうしてシューゴさんは、今も『ヴァリオリ』の監督を続けているってわけだ。
ここで話を終えて、めでたしめでたし……でもいいかもしれないが、現実というものは綺麗に終わらないことが多い。
「視聴率は下がっちゃいましたね……それでも十分に、人気と呼べる程度ではありますが」
「まあ、作り手が同じだからってクオリティが安定するかはまた別の話だからな。同じ監督が作っても続編でコケるなんてのは、よくある話だ」
シューゴさんはそう言っていたが、実際の出来はこれまでと変わらなかった。
大きな要因は他にあったのだ。
そういった情報に敏感な人間はバイアスがかかってしまい、アニメを楽しく観れなくなっていたのだ。
「着ぐるみの中に人がいることを分かっていても、その中身を見せ付けられると興ざめする人間が出てくるみたいなものですね」
「マスダさん、あなたの例えは分かりにくいです。それにしても、作品の内容自体は問題ないのに、こんなに顕著に反応が変わるんですねえ」
「そうです。小便を完全にろ過しても、それが元は小便だと分かってたら嬉々として飲みたいとは思いません。変態でもない限り」
「マスダさん、あなたの例えは分かりにくいです」
「えー、つまり大半の受け手にとって、アニメってのは“現実”から離れていて欲しいってことです」
「そんなものと向き合いながらだと、アニメを楽しめない人間だってたくさんいる。そして俺たちはそんな人間を区別してコンテンツを提供することはできない。物理的に不可能なんです」
「不条理ですよ、そんなの。じゃあ今回の一件で誰が得したんですか」
「そんなのオレだって知りたい。まあ、ちょっとやそっとのことでゴタゴタしたりガタガタになるってことは、そのコンテンツ自体が実は大したもんじゃないってことの証明ではあるわな。今回、馬脚を露わしただけのことだ」
なんだか釈然としない話だが、とどのつまりアニメは観たいやつが観たいようにしか出来ていないってことなのだろう。
そして、そんな人間のために父やシューゴさんたちが日々翻弄されているのを思うと、アニメ関係の仕事は割に合わないなと俺は思った。
内容が何であれ、必ずファミレスで話をする。
「形骸化して名前だけが残っている一例だよな、ファミリーレストランって。オレらみたいにファミリーじゃない奴らのほうが多く利用している」
シューゴさんはレバノン料理を食べながら他愛のない雑談から始めようとするが、父はそれを無視して質問をする。
会話にかける時間は、初めに注文したメニューを食べ終わるまでと決まっていた。
「……今は監督業からは身を引いている。もともとオレはアニメーターだから、そっちの仕事をやろうと思っているんだが、どうも監督のイメージが強すぎるようで“恐れ多い”らしい」
「では、今のところは仕事の予定は入っていないと?」
「一応、あるっちゃあるけどな。まだ不確定の企画だが、スタッフの募集は始めているらしいから、これに申し込もうかなあと」
画面には『パンチスターター』とかいう、クラウドファンディングみたいなことをやっているサイトが映し出されている。
そこには「完全オリジナルアニメ」と銘打った企画が書かれていた。
「シューゴさん……その企画、製作委員会方式を一般人まで巻き込んでやってるようなものですよ。しかも企画側がかなり有利な条件になってます」
「別にオレは構わん。アニメのビジネスなんて、何も考えずにやったらギャンブルだってのはマスダさんも分かってるだろ。ギャンブルで破産しないようにするにはリスクヘッジをするか、どこかから搾取するかの二択だ。それを選べたら上等ってわけでもなかろうよ」
「そんなことしてまでアニメを作りたいんですか」
「そんなことしてまで観たい人間がいる。素晴らしい環境じゃんか」
シューゴさんが大仰な言葉で何かを褒めるときというのは、大抵は皮肉である。
それは現状にあまり満足していないことを露にしていた。
「シューゴさん、ハテアニに戻ってきてください」
やはりその話か、とシューゴさんは溜め息を吐いた。
「そうは言われてもなあ。監督だとか大層な役職に聞こえるかもしれんが、所詮オレは雇われだ。あんたらが戻ってこいって言って、俺にその気があれば万事OKってわけじゃないんだ」
「ただ真っ向から戦うには、まずシューゴさんがその気になってくれなければ」
「そこまでして誰が得する。皆が思ってるほど、オレは大した監督じゃない。『ヴァリオリ』を作るのにオレである必要なんてねーんだ」
シューゴさんは口ではそう言うものの、彼が作品に対して強い思いのある人間なのを、父は知っていた。
でなければ、アニメの監督を何年も続けられるわけがないからだ。
「次の『ヴァリオリ』の監督、ヒキイ・セメルさんが第一候補ですよ」
「ヒキイ・セメル!? 確かにすごい監督だが、『ヴァリオリ』の作風に合わねーよ。哲学的だったり宗教的な要素を入れたがる奴だぞ。しかもラブコメにすら戦車を出したがるミリオタだ」
「サンユタ!? イメージ回復のためにオレを監督から降ろしておいて、なんでアクの強い監督を後任に選ぶんだ?」
「まあ、ちょうど手が空いてそうなのがその人ってのも理由としてありますが」
そこで父は、シューゴさんをその気にさせるため、根も葉もない情報で彼の自尊心をくすぐる作戦に出た。
そして、その作戦は見事にハマった。
「ああ? もしかしてオレを焚きつけるためにそんな話をしたのか……分かったよ。挑発に乗ってやる」
これで準備は調った。
後は上に話をつけにいくだけだ。
俺は呆れ果てて何も言えないでいたが、同じくクラスメートであるタイナイが、カジマの蛮行を嗜めた。
そのタイナイが嗜めるのだから、カジマのやっていることは思っている以上にタブーのようだ。
「抗議活動は結構だけど、これはただの目立ちたがりの売名行為にしかならない」
「こーいうのは目立ってなんぼでしょ!」
「悪目立ちで集まるのは、騒ぎに乗じたいだけの烏合の衆だ。それだと肝心の問題についても、大衆に正しく認知されない。主義主張が何であれ、正しい筋道で実行されなければ正しい支持も得られないんだ」
「あーあー、そうやって物知り顔で、抗議活動している人の出鼻を挫いていくんだよなあ。タイナイみたいな自称常識人は~」
タイナイの言うことは真っ当だが、カジマにはまるで通じない。
カジマに自身を客観的に見れる冷静さがあるなら、始めからこんなことをやろうとはしないだろう。
「カジマ、お前のやってることはむしろヘイトを広めるだけ。しかも、そのヘイトはお前自身に向かうぞ。一般大衆からはアニメオタクは過激で常識もないバカだと思われ、アニメオタクからは抗議活動の邪魔をする輩だと非難される」
「え……そこまで深く考えてなかった……よし、この抗議活動はやめるっす!」
カジマは大義名分があるからやっているだけで、別に高尚な志があるからこんなことをやっているわけではない。
いっちょ噛みしたいだけでリスクまで背負いたくはないので、それをチラつかせるたほうが効果的なのだ。
「あーあ。現実の喧騒から離れて、楽しい気持ちでアニメを観ていたいはずなのに、どうしてこんな現実問題でヤキモキしなきゃならないんすかね……」
カジマは何だか純粋ぶったことをのたまっているが、俺たちは面倒くさくなってきたので無視した。
ところかわって父のほうでは、フォンさんと共に重役たちの説得に回っていた。
「…………いま一度考え直しませんか」
「そうは言っても、アニメってのは総合芸術だろ? 監督とは言っても、その実アニメの製作は他のスタッフたちの働きによるところが大きい。彼が『ヴァリオリ』を作った代表者だと表現することは不可能ではないが、100歩譲っても彼だけの、彼のためにある作品ではないはずだ」
「もちろん『ヴァリオリ』はシューゴさんだけの作品ではありません。ですが……」
「我々だって何も全面的にシューゴ氏を責めているわけではない。出来れば彼に監督でいて欲しかったし、実際これまではそうしてきた。だがモノにはコンプライアンスがあり、限度もある。そして我々が何度言っても彼は改めなかった」
「言っておくが、君たちにだって責任はあるんだぞ。君たちが彼の手綱をちゃんと握っていれば、こうはならなかったかもしれないのだから」
しかし、いずれも色よい返事はこなかった。
ーー『ハテアニ』スタジオ。
世間ではかなり騒ぎになっていたが、スタジオ内は意外にも落ち着いていた。
この界隈でスタッフが途中で入れ替わるなんてのは珍しいことではなかったし、それは監督という立場でさえ例外ではない。
今回はそれが人気アニメの監督だったというだけで、世間よりも現場のほうが冷静な者は多かった。
それに監督が誰であろうと給料が変わるわけではないので、現場の人間はただ目の前の仕事をこなすしかないのだ。
せいぜい、暇をしてるアニメーターが、WEBメディアの取材でテキトーなことを並べるくらいである。
しかし、現状ではその程度で落ち着いていても、このままではいずれ瓦解するという危機感が、父とフォンさんにあった。
やはりシューゴさんを呼び戻すのがベターだが、成果は芳しくなく、父たちは頭を抱えていた。
「シューゴさんの『ヴァリオリ』における功績を丁寧に説明しても尚、誰も首を縦に振ってくれませんね……」
こうなった大きな要因は、シューゴさんに対するネガティブイメージが強く残り続けているのが大きな要因だった。
特にある一件では、彼の過激な言動によってアニメ業界全体が激震し、謝罪会見にまで発展したこともある。
経営側から見て、そんな人間を制作のトップに置き続けるのは、リスキーすぎると判断するのは当然だったのだ。
「フォンさん、“あれ”はどんな調子ですか」
「では、そろそろシューゴさんのほうにもアプローチをかけてみましょうか」
こうしてシューゴさんの監督降板の報は、瞬く間に広がっていった。
様々なSNSサイトで『ヴァリオリ』関連の話が頻出し、いずれも阿鼻叫喚の様相を呈していた。
「あの俗悪の権化たる、アニメーターの嫌なところを濃縮したような存在、シューゴの『ヴァリオリ』監督降板という吉報が届いた。我々の勝利だ!」
ファンは嘆き、怒った。
「うーん、何か色々と事情があるんじゃない? 知らんけど」
どちらでもない者は、とりあえずそれっぽい意見を発して、冷静な態度を示す自分に酔いしれていた。
「○○で話題に」という文言はよく見るが、世間一般的に見れば全く話題になっていないなんてのは良くあることだ。
本当に話題になっているものというのは、意識せずとも目や耳に情報が入ってきて、現実社会を侵食する。
その点でいうと、今回のシューゴ監督降板は本当に“話題に”なっていた。
俺の身近な範囲でも、それを知覚できるほどだ。
「『ヴァリオリ』はもうだめだぁ……おしまいだぁ」
バイト仲間のオサカはこんな感じで、仕事中でも隙あらばブツブツと呟いていた。
こいつは第1シーズンからのファンだったらしいから、よほど衝撃的だったのだろう。
「いやあ、でもアニメってのは多くの人によって作られているんだろ。監督一人がいなくなったくらいで、そんな悲観しなくても……」
だが、そういう軽率な発言は、熱狂的なファン相手には悪手である。
「シューゴ監督の絵コンテを見たことないのか? 彼は『ヴァリオリ』で精細な絵コンテを描きながら、同時に脚本を頭の中で作っている。それだけじゃない。時には作監を兼任し、作画までやっていることもある。それだけ深く作品に携わっているからこそ、一貫した世界観が作り上げられているんだ。他の監督が無能だと言うつもりはないが、少なくとも『ヴァリオリ』においてシューゴ監督ほどの適任はいない! それを親会社の奴らは……」
「……なあ、マスダのお父さんは『ヴァリオリ』の関係者なんだろ? 何か経緯を聞いたりしていないのか」
例えばオサカのように、情報をどんどん取り入れようとすることで解消に努めるタイプだ。
「いや、聞いていない。そういうことは身内だからといって安易に話すもんじゃないだろうからな」
俺はそう答えた。
実際、その時には何も聞かされていなかったし、俺も聞かなかった。
“関係者の話”の又聞きなんて、デマと見分けが付かないからな。
本当の意味で話題になっているものは、その事柄に大して関心のない人にまで影響を及ぼす。
例えば、クラスメートのカジマとかがそうだ。
監督降板の抗議活動で何か動画を撮るつもりらしく、俺はカメラマンとしてその場にいた。
「ああ」
ビデオカメラの先には『ヴァリオリ』の関連グッズが列をなしていた。
ファンでもないのに、このためにわざわざ買ったのだろうか。
何をするかは分からないが、こいつが目立ちたがっているときに取る行動は、大抵ロクでもない。
「え~、じゃあ今から、『ヴァリオリ』の関連グッズを破壊しまっす」
そして俺は、おもむろにビデオカメラの電源を切った。
やっぱりロクでもない。
もちろん、カジマなりの理由はあるのだろう。
つまり、あの関連グッズを破壊することは、シューゴ監督を降ろした親会社への抗議になる、みたいなことを考えているんだと思う。
まあカジマのことだから、そんな理由すらなく思いつきでやっている可能性も高いが。
いずれにしろグッズを買った時点で売り手の懐は潤っているし、それを壊すというパフォーマンスがロクでもないことは同じだし。
これまでのシューゴさんの態度を顧みるに、今回も改善の余地は見られないであろうことは想像に難くない。
監督降板をチラつかせたくらいで大人しくなるような人格でないことも分かっていた。
実質的に、今回は降板のための“分かりやすいキッカケ”を得るためにシューゴさんを呼び出していたのだ。
「シューゴさん……」
「ふん、せえせえするぜ。上からはアニメを碌に知りもしないくせに口を出され、PCクレーマーやオタクからはつまらん粗探しばかりくる。その肩の荷がやっと下りた」
重役たちが“そのつもり”だったように、シューゴさんも“そのつもり”だったのだろう。
日々、アニメのことを考え、アニメを作っていたシューゴさんにとって、それ以外のことはノイズだった。
それを気にすることを強要される位なら、いつでも引導を渡してくれて構わないつもりで臨んでいたのだ。
「フォンさん、よかったな。これからはオレとお偉いさん方の間で板ばさみにならなくて済むぜ」
「ワタクシは……」
「フォンさんは純粋にシューゴさんが降板したことを残念だと思っているだけですよ」
「オレが降板するのは既に決まったことだ。若干ムカついて悪態はついちまったが、肩の荷が下りたってのも本音なんだ」
しかし、重役やシューゴさんたちがそれで良くても、父たちは納得できない。
するわけにはいかなかった。
なにせ『ヴァリオリ』におけるシューゴ監督という存在は、独楽でいうならば“軸”だ。
アニメがたくさんの人間の力によって作られているとはいえ、軸なしでコマを廻し続けることは困難だろう。
「シューゴさん。俺たちが撤回する方法を何とか模索してみます。ですから、いつでも戻ってこられるよう準備だけはしておいてくれませんか」
父たちの説得に、シューゴさんはイエスともノーとも答えなかった。
だが未練がないといったら嘘になる。
ましてや、長年の仕事仲間に「戻ってきて欲しい」と直に言われ、それを無下にもできない。
「自分たちでやれることをやりたいって言うのなら、勝手にすればいいんじゃないか? だが、成果が出るかどうか分からない、出たとして時期すら未確定のもののために、悠長に待つほどオレは我慢強くないぞ」
つまりシューゴさんが次の契約を得るまでという、条件付きでのOKサインだ。
「よし、そうとなったら早速行動に移りましょう!」
「そうですね……あ、シューゴさん。監督を降ろされたことについて、ブログとかに書かないでくださいよ」
物事において、波風が全く立たないなんてことは有り得ない。
「それ、もう少し早く言って欲しかった」
屈託のない返事に、父たちは青ざめた。
某日、『ハテアニ』の親会社にて。
「え!」
シューゴさんは口ではそう言っているものの、その態度は白々しい。
上から何かを言われるのは今に始まったことではなく、いちいち真面目に相手をすることが億劫だったからだ。
そして、そんな二人の間を取り持つフォンさん。
父にとっては定期的に見る構図であった。
もちろん、それを俯瞰して見ようとする父も、その“構図”の中にいるのだが。
「ほう、分かっていらっしゃらない? あなたが先週、ブログで書いた記事を読み聞かせましょうか」
『ヴァリオリ』の総監督であるシューゴさんは非常に我の強い人物だった。
好きなものは好き、嫌いなものは嫌いと公言することを憚らない。
そのため、彼がブログなど様々なメディアで口を開く度、波紋が広がることは日常茶飯事であった。
シューゴ監督を雇っていたスタジオの親会社はその言動、ひいては存在にいつもヤキモキしていたのだ。
「だったら、我々がなぜ怒っているのかも分かるでしょう! あなたはもう少し、自分の言動が周囲にどのような影響を与えるか考えるべきだ」
このご時世、何かを好きだったり嫌いであるだけで誰かに不自由な思いをさせる。
「オレが気を揉む理由がない。間違ったことは書いていませんし。それを納得できない人間がいるのなら価値観の相違でしかなく、是非の問題ではないでしょう。もし理解することすら出来ないなら、そいつがバカなだけです」
「そういうところです! あなたの言動は、『ヴァリオリ』のファンを減らすことに繋がる。実際、あなたのブログを見てマトモに見れなくなった人は少なくありません」
「オレの人格と、作品の良し悪しは別の話でしょ。仮に同じだとして、オレ一人でアニメ作ってるわけじゃないですから。そこを切り離せないなら、それは気持ちの問題でしかない」
いつもなら、このあたりで取締役が爆発して更にデッドヒートするのだが、今回はそうじゃなかった。
「いえ、ま、待ってください! 確かにシューゴさんはこんな感じですが……」
このあたりで父も、今回はいつもとは別ベクトルでマズい状況だと薄々思い始めていた。
「“シューゴ監督”……あなたのスタジオにおける……特に『ヴァリオリ』においての功績は、我々も十分に理解しているところだ」
「だが、それでも尚。あなたをこのまま監督として使い続けるリスクは重い、という結論になりました」
そして、嫌な予感が的中する。
父やフォンさんはショックを隠せないのに対して、シューゴさんは意外にも狼狽えていなかった。
「ふーん、そうですか。じゃあ、これで話は終わりっぽいので帰りますね。お疲れ様でした」
むしろ、あっけらっかんとそう言ってのけ、スタスタと部屋を出て行ってしまった。
父やフォンさんは慌ててシューゴさんの後を追う。
そして作り手にとって最もコスパに優れていない大衆娯楽はアニメである。
その言葉にどれほどの大した理屈があるか俺には計り知れないが、20分ちょっとのアニメに多くの人手や時間、金がかかっているであろうことは想像に難くない。
とはいえオープニングやエンディングのスタッフロールを真面目に眺めてなお、そこに実感を覚える受け手はそこまでいない。
アニメというものは、多くの人で一つのものを作り上げた成果物こそが重要であり、個の力がモノをいう世界ではないからだ。
これも父の言葉だ。
だが、それでも一つの“個”が変わったり、なくなったりすることで甚大な影響を与えることもあるらしい。
父の所属するスタジオ『ハテナアニメーション』、通称『ハテアニ』。
そのスタジオの看板アニメといえば『ヴァリアブルオリジナル』、通称『ヴァリオリ』だ。
当時、そのスタジオは大衆にウケようがウケまいが、ひたすらアニメの制作を続けることで成り立っていた。
しかしある時期、元請け会社から企画がこないという事態が起きてしまう。
つまり自転車操業であるにも関わらず、仕事がないという崖っぷちに立たされていたのである。
下請けや、原作ありきのアニメばかり作っていたスタジオにとって敗色濃厚な企画ではあったが、それでも何もやらないよりはマシだったのである。
中途半端な時期に立ち上げた企画だったため、スケジュールの都合で外注していられない。
しかも優秀なフリーランスのアニメーターはことごとく別の会社に持っていかれている。
セールスポイントがないに等しいのでスポンサーが少なく、予算も少ない。
このため、自社のスタッフだけで作画はもちろん、背景も音楽も制作するハメに。
そんな状態で作られたアニメが『ヴァリオリ』であり、スタッフの誰もが期待していなかった。
あまりにも予想外の事態に、関係者やオタクたちがこぞって、その理由について様々な考察をした。
しかし結果論の域を出ず、最終的には『ヴァリオリ現象』という言葉が残るのみとなったのだ。
こうして偶発的に広がった『ヴァリオリ』旋風の影響力はすさまじかった。
有名なのが『ヴァリオリ・アレ事件』だ。
きっかけは、劇中で主人公が発した「あのチェーン店の“アレ”美味かったよなあ、今じゃ販売してないけど」という何気ないセリフ。
それがチェーン店の社長の耳に届き、なんと実際に期間限定で再販されたのだ。
そして熱烈なファンがチェーン店に押しかけて、後には何も残らなかったというのは、今でも『ヴァリオリ伝説』として語り草だ。
そんな『ヴァリオリ』も現在は当時ほどの熱狂はないが、放送が深夜からゴールデンに移行して第三シーズンも始まるなど、成熟の段階になっていた。
色んなグッズが出たりなど、様々なメディアで引っ張りだこなのも変わらない。
順風満帆に見えた『ヴァリオリ』だったが、その裏では暗雲が立ち込めていたのだ。
俺は他種の生き死に対して薄情な人間だとよく言われる。
実際、自分でもそう思っているし、それの何が悪いのかとすら考えていた。
平等だっていう人もいるけど、現実はまるでそうではないだろう。
同じ人間に対してだって、身内の死と、知らない人の死を同じようには思えない。
有名人の死だって、その人のファンだったら冥福を祈りたくても、さして関心のない人物だったらスルーする。
同じヒト相手にその調子なのだから、他種に対する命の測り方はよりゾンザイだ。
ほとんどの人間が、皿に盛られた命の残骸に思いを馳せたりしない。
動物や魚を食べるのにも関わらず、イルカやクジラとか種類によっては庇護したがる。
ベジタリアンだって植物に情を感じないし、感じていたとしても動物よりは軽いものであることを事実上認めている。
だったら、どうすべきか。
出せる答えはそう多くない。
「はあ……俺が飼おう」
俺は渋々といった具合にそう告げた。
みんな驚いていた。
「厳密には『好きでも嫌いでもない』だ。好きだからといって飼っていいとは限らないように、好きじゃないからといって飼っちゃダメとは限らないだろう」
「でも、他に動機がないじゃん。何で飼おうと思ったの?」
「まあ、強いて言うなら“情にほだされた”って感じかな」
この時の俺は上手く言語化できなかったけど、いずれにしろ勝手な理由だ。
だが同じ“勝手”なら、自分の心に従ってマシだと思う方を選びたい。
何かと理由をつけて、そのエゴを避けられると思うほうが欺瞞なんだろう。
それでも答えを迫られるときがあるから、人間はその“勝手さ”と付き合っていくしかない。
そう開き直った俺は、その宿命に身を委ねたまでさ。
「馬鹿なことを。その場限りの安易な気持ちで、貴様はその猫を生かすというのか?」
「そういうことだな」
「他の猫も殺されそうになっているのを見かけたら、その度に同じ行動をするのか?」
「しないだろうな」
ウサクは呆れ果てている様子だった。
確かにこの猫を一匹を助けたところで俺たちの自己満足でしかなく、大した意味はない。
それを分かった上で出した、俺の結論だ。
「なんでそこまで、堂々と自分が身勝手な人間だと公言できる?」
「まあ、“人間のサガ”ってやつなんじゃねえの」
こうして俺は、人間のエゴによって殺されそうになっていた猫を、安易な人間のエゴでもって「キトゥン」と名づけたのだった。
今でも滞りなく飼えているのが、我ながら不思議だ。
余談だが、俺たちの国では害獣扱いのジパングキャットは、ジパングでは益獣らしい。
ウナギが増えすぎて邪魔なので、それを処理してくれるからとか。
ただ、最近はジパングキャットも増えすぎたので、天敵のジパングースを意図的に放って数を調整している。
猫を殺すほどの獰猛な動物を野放しにしていいのかと疑問に思うかもしれないが、ジパングースは寿命が短く繁殖能力も低いため、放っておいたら勝手に死ぬという算段らしい。
「この国でもウナギが増えたら、キトゥンたちは害獣にならなくなるのかな」
「どっちでもいいさ。それは“俺にとって”重要なことじゃない」
動物相手にどう振舞っても、人間のエゴであることを避けられないんだ。
せめてその選択に信念を持ち、相応の振る舞いをするのが関の山なんだろう。
「この品種は環境のせいでウナギに慣れ親しんでいただけ。だからウナギを食べなくても支障がないんだ。わざわざ殺す必要はない」
「それは分かるが、そんな理由だけで皆が納得するようなら最初から害獣とは認定されていないぞ」
そう、そこが一番問題なんだ。
ナイフをぶら下げている人が「誰も襲わない」と言って、その理由をどれだけちゃんと説明できたとしても意味がない。
「まあ、そうなるよね。ここに放っておいても、いずれ業者に捕まったら殺されちゃうし」
とどのつまり飼うってことだ。
だが、この案が今まで出てこなかったのには理由があったんだ。
「言っておくが、我んちは無理だぞ。そもそも反対派だからお断りだ」
「妹が猫アレルギーで……」
みんな飼いたくても飼えなかった。
猫を殺すのは人間側の身勝手だと言っておきながら、この体たらくなのだから余計に際立つ。
「マスダは?」
「いや、俺は猫が好きでも嫌いでもないし。そんな人間の家に飼われても、この猫はロクなことにならないぞ」
そういう俺もこの期に及んで無関心を貫く。
つくづく身勝手なんだと思い知る。
だが、ここで一人だけ色よい返事をするものがいた。
「俺の家は飼えるよ」
弟だ。
当然、弟にそんな権限を持たせるわけにはいかないので俺は反対した。
「お前にこの猫を飼えるか? 父さんや母さんは認めてくれるかもしれない。だが、飼うのはお前だぞ? この意味が分かるか?」
そんな責任能力がないことは、本人も分かっていたのだろう。
「生半可な気持ちでやっていいことじゃない。いや、気持ちがあればいいってものでもないんだが……」
俺はそう語る途中で固まった。
自分で言っておきながら、その言葉に何か“引っ掛かり”を覚えたんだ。
俺は頭の中でその言葉を反復する。
そこに俺が出すべきなのに避けていた結論が、あるように思えたからだ。
だが、出てこない。
「なあ、お前はどうしたい?」
猫に話しかけても返ってくるのは鳴き声だけだし、そこに何らかの意図があっても読み解くことは当然できない。
仮に読み解けたとして、俺たちは結局のところ人間のエゴを押し付けることしかできない。
それが生かすか殺すかなだけ。
……そうか、そうだよな。
「ウナギを守るためだ!」
「『人間の作った勝手な尺度で他種の命を測るな』って言ったのはお前だぞ! ウナギを守るために猫を殺すってのは、命に優先順位をつけたってことだ」
「貴様らは考えが浅すぎる! もっと広い視野で物事を見ろ! 『殺される猫が可哀想』くらいにしか思っていないくせに、その場限りの安易な気持ちで猫一匹を守ってどうする」
みんなの言い分も、ウサクの言い分も、相容れないようにみえて本質は同じように思えた。
あーだこーだと理由をつけてはいるが、とどのつまりは異なる命を天秤に乗せ、どちらがより重いかを外野が言い争っているに過ぎなかったからだ。
「その猫を生かしてウナギを見殺しにするのも貴様らの身勝手だろう!」
理由が何であれ、猫を殺すにしろ生かすにしろ、それは俺たちの都合でしかないのだ。
だが、そうやって俯瞰しているつもりの俺もロクなもんじゃない。
ただ成り行きを見守り、自分自身が出すべき結論から逃げていたのだから。
その上で握った猫の生殺与奪権。
もはや俺たちは後戻りできなくなっていることを肌で感じていたからこそ、何らかの結論を押し付けなければならなかったのだ。
もはや互いの主義主張をひたすら押し付けつつ、罵詈雑言が入り混じる泥沼と化していた。
テーマが何であろうと、所詮はガキ同士の言い争いってことなんだろう。
まあ、それでも上等なほうだとは思うが。
「ええい、埒があかん! マスダ、猫をこっちに寄越せ」
ウサクはとうとう強攻策に出てきた。
「ダメだ! 渡すんじゃない!」
当然、弟たちが割って入る。
「兄貴、その猫を連れて逃げろ!」
別に猫を庇いたいと思っているわけではないが、この状況でウサクに渡したところで事態は進展しないだろう。
弟たちとの争奪戦が勃発するだけだ。
かといって逃げたところでその場しのぎにしかならない。
結局、互いが納得しなければ解決しないのだ。
「みんな落ち着いて、いったん話を整理しようぜ。よく考えてみれば、猫を殺すかどうかの二択じゃないことは分かるはずだ」
「え? どういうこと?」
「この猫がウナギを食べるかもしれないことが問題なんだろ? だったらこの猫がウナギを食べなければ、殺す必要はないってことだ」
みんなも疲れてきているから、多少のことは妥協したくてたまらないはず。
「なるほど~、頭に血が上ってその発想がなかったよ」
「ふむ、理屈は分かる」
予想通り、みんな提案に乗ってきた。
理屈が通らなくても主張を押し通し続ければ、折衷案に持っていける可能性があるからだ。
不毛な言い争いが辿る流れはいつだって同じで、俺はそれを第三者の立場から少し早めただけ。
「で、具体的にはどうするんだ?」
強いて不安があるとすれば、折衷案に持ち込んだ後のことについては俺もノープランだってことだ。
俺はあの猫が先ほどいた場所にエサを置き、そこから一歩離れた場所で中腰になって構えた。
そうしてしばらくすると、目論見どおりあの猫が姿を現す。
しかし、エサにはすぐ食いつかない。
こちらを窺っているようだ。
手を出せば捕まえることができる距離まで近づいてきたが、それでも焦らず腰を据える。
俺はおそるおそる人指し指を突き出した。
猫もおそるおそる指の匂いを嗅ぐ。
よし、ここまでくればほぼ成功だ。
そこから流れるようにそっと猫の首や背中をなでるが、抵抗せずに身を委ねてくる。
最初に会ったときに何となく分かっていたことだが、やはりこの猫は人慣れしている。
猫が人間社会で生きていこうとすれば、人間をアテにしたほうが合理的だから当然だろう。
ウサクみたいに強い敵意を向けたり、強引に迫ろうとしなければ逃げようとはしない。
だから俺は、エサをあげたいだけの猫好き一般人を装うだけでいいんだ。
そうして猫が完全に警戒心を解いたのを見計らい、俺は用意していたカゴに導いた。
俺たちは捕まえた猫を引き渡すため、施設へと移動を始める。
「素晴らしい達成感だな。我々は社会に貢献したのだ!」
猫一匹捕まえただけで、ウサクは大義を成したとばかりに喜んでいる。
ある意味では子供らしい反応なのだが、愛嬌はまるで感じないな。
「それにしても、兄貴って意外と猫好きだったんだね」
「そう見えたから、この猫も近寄ってきたんだろうな」
猫だけじゃなく、お前まで騙されてどうするんだ。
「好きじゃないっていうか、まあ厳密には好きでも嫌いでもないな」
「とんだ猫たらしだ」
みんなの目が冷ややかだ。
俺はスマートに捕まえてみせたのに、なんでそんな態度をとられなければならないんだ。
「そもそも俺が猫好きだったら、わざわざ業者に引き渡すようなマネはしねえっての」
「え? どういうこと?」
どうやら弟は要領を得ていないようだ。
そんな状態で猫を捕まえるのに精を出していたのだから、何とも残酷な話である。
俺がそう答えると、弟は固まってしまった。
というか、それを聞いていた学童仲間みんなが固まってしまっていた。
「“殺す”んじゃない。“駆除”するんだ。」
「結局は殺されるんだろ」
「いや……“駆除”という言葉には、“殺す”という意味以外も含まれているのであって……。業者に渡したからといって、必ずしも殺すというわけでは……」
「じゃあ、この猫は殺されないの?」
「……少なくとも苦しむような手段はとらないだろう」
ウサクの歯切れが悪い。
イエスともノーとも答えていないが、その反応だけで察するのは簡単だった。
そして、その時にやっと弟たちは自分のやっていることが“どういうことか”自覚したらしい。
罪の意識に駆られた弟たちは、それを解消しようとウサクを非難するという行為に及んだ。
「ウサク! 僕たちに何てことをさせたんだ!」
「俺たちを猫殺しに加担させるなんて……」
俺はウサクが少し気の毒にも思えたが、半ば強制的に手伝わされた恨みがあったので擁護する気になれなかった。
かといって猫に思い入れがあるわけでもないので、弟たちの側に入る気も起きない。
俺は猫が入ったカゴを抱えながら、その様子を静観しているだけだった。
「殺すわけじゃない。我々は捕まえて、業者に渡すだけだ」
「でも、その業者に渡したら殺されるんだろ?」
さすがに目の前の命が危機にさらされていると分かれば、ロクな主義主張を持たないガキでも必死になる。
弟たちは猫を業者に渡すことに猛烈に反対した。
「な、なんだ貴様ら。さっきまで猫を捕まえることに協力的だったくせに……」
「殺されることを知っていたら、こんなことはしなかったよ!」
「『無知は罪』という言葉を知らんのか!? 『知らなかった』、『いま知ったから』で簡単に手の平を返して許されるとでも?」
ウサクはみんなにそう返すが大した理屈じゃない。
俺たちがガキであることを抜きにしても、ヒト一人が知っていることなんて高が知れている。
なのに知らないことを罪だと責めるのは理不尽だ。
とはいえ、今こうして言い争う皆を見ていると、分からなくもない主張ではあった。
そうして、しばらく探し続けるも、やはり猫は見つからない。
闇雲に探しても無理だと考えた俺たちは作戦を変更することにした。
「エサでおびき出そう」
「エサはどうする?」
「ジパングキャットはウナギが好物なんだろ。だったらウナギでしょ」
「貴様、ふざけているのか。ウナギを絶滅させないためジパングキャットを捕まえるのに、そんなことしたら意味ないだろ」
「うーん、じゃあ他の魚にする? 近くの川に行けば小魚くらいならいるでしょ」
「よし、それでいこうか」
ウナギは駄目なのに他の魚ならOKってのも変な話だが、そう思ったのは俺だけのようで皆そそくさと川へ移動を始めた。
予想どおり、川の中には小魚がちらほらいた。
道具もロクにないから必然的に手掴みでやるのだが、これが中々捕まえられない。
「そこだ!……あれ、おっかしーなあ」
捉えたと思っても手から滑り落ちていく。
弟はめげずに頑張っているが、俺はというと早々に諦めて濡れた身体を乾かしていた。
「どうしたの、兄貴。猫をおびき出すためのエサを、おびき出すためのエサでも探しているの?」
「そんなことしねーよ。猫をおびき出すためのエサをおびき出すためのエサも、おびき出すためにエサが必要だったらキリがないだろ」
「うん?……そうだね……?」
非効率ではあるが小魚のほうはいずれ捕まえられるだろうし、俺はやらなくても大丈夫だろう。
「おい、マスダの兄方! 魚を捕まえないなら、せめてバリケードでも作っておいたらどうだ」
急造したバリケードごとき、猫のジャンプ力の前では無意味だろう。
「そう言うなよ、ウサク。猫を捕まえるのは俺がやるからさ」
「貴様が? 出来るのか?」
「じゃあ、ウサクがやるか?」
「……分かった、任せよう。だが自分から『やる』と言ったからには相応の働きをしてもらうぞ」
俺の申し出をウサクはすんなり受け入れる。
ウサクも分かっているのだろう。
結局、エサで上手くおびき出せても、捕まえられなかったら作戦は失敗するのだから。
ではどうするか。
近くに潜んで、不意をつく方法はなしだ。
それに無理やり捕まえようとすれば、猫は抵抗してひっかいてきたり咬んでくるに違いない。
ましてや野良猫なんて、かなりヤバい病気を持っていてもおかしくない。
それから十数分後、仲間の一人がやっとのこさ小魚を一匹捕まえた。
掴むのが無理だと判断し、川の水を豪快にすくって陸へ打ち上げる方針に変えたところ、それが上手くハマったようだ。
「エサは用意できた。で、どうやって捕まえるつもりだ? 我々は何をすればいい?」
「念のため、お前らは離れた場所でバラけてろ。カゴでも用意して待っててくれ」
「一人でやるの?」
「むしろ人が多いとやりにくい」
気乗りはしないが、日も暮れ始めたしさっさと終わらせよう。
「貴様ら、何を悠長にしている。あれはジパングキャットだ! 捕まえて、業者に引き渡さねば!」
ジパングキャット……
このため健康面を考慮しないのならば、食生活は環境によって大きく異なるといえる。
牛肉の国では牛肉を食べ、野菜の国では野菜を食べ、カレーの国ではカレーを食べるわけだ。
ジパングにはウナギが大量にいることから、そこに生息する猫たちも自然と食べるようになったのだが、これが他の国ともなると事情が変わってくる。
ウナギは俺たちの国では高級食材とされているほど希少な魚であり、国産ともなると一般庶民の手には届かないほどであった。
そのためジパングキャットはこの国のウナギを絶滅させるとして、害獣と認定されていたのだ。
「あんな外来種をのさばらせて、ウナギを絶滅させたとあっては我が国の一生の恥だぞ」
ウサクは真剣だったが、対して周りの反応は冷ややかだった。
ほとんどの子供はそういった話を理屈の上では分かっても、その危機感までは伝わりきらない。
はあ、そりゃ大変だ、くらいにしか思えないのだ。
「それじゃあ、まあ捕まえる? ウナギ食えなくなったら嫌だし」
大した主義主張を持っていない俺たちは、ウサクに何となく話を合わせる。
「『ウナギ食えなくなったら嫌』? 何と軽薄な。『絶滅する』と言え」
俺たちからすればウナギが絶滅するのも食えなくなるのも同じようなものだと思うんだが、細かな表現の違いで何かが変わるんだろうか。
「当たり前だ。人間の作った勝手な尺度で他種の命を測るんじゃあない!」
「それだとウサクの言った『我が国の一生の恥』って理由も“人間の作った勝手な尺度”なんじゃ……」
「貴様とは志が違う!」
志の違いで本質が変わるとは思えないが、ウサクにとっては決定的な違いなのだろう。
まあ何らかの使命感に燃えているような奴だった。
そして、燃えて熱くなったウサクの相手をするのは面倒くさいのでテキトーに受け流す。
「分かったから、さっさと捕まえにいこうぜ。目的はそっちだろ」
こうして俺たちは捕獲作戦を開始したのだが、いざ探し始めると目的の猫が中々見つからない。
あの猫、かなり人に慣れているようだから、ひょっこり顔を出してきてもおかしくないと思うんだが。
第六感とやらで危機を察知して、俺たちの思いもよらないようなところに隠れているのだろうか。
もとから気乗りのしない俺は探すフリをして誤魔化していたのだが、バレバレだったようでウサクに檄を飛ばされた。
「弟を見習ったらどうだ」
「根っほり~ん、葉っほり~ん」
確かに弟は歌いながらではあるものの、文字通り草の根を分けて捜しているほど一生懸命だった。
だが弟があそこまで頑張っているのはウサクみたいな志があるというわけではなく、猫探しをゲーム感覚くらいにしか思っていないからだろう。
ウサクの言っていたことが実感に繋がらないように、自分たちのやっていることが“どういうことか”も、あまり分かっていなかったのだ。
俺は猫を飼っている。
我ながら酷いネーミングセンスだと思う。
有名な猫のキャラクターを参考にして名づけたのだが、それが安易だと気づくのはしばらく後になってからである。
その頃には完全に定着してしまい、そいつは「キトゥン」と呼ばないと反応しなくなっていた。
俺も面倒くさいので改名はしていない。
ゾンザイだと思われるかもしれないが、実際その通りだと思う。
なにせ俺は猫が好きでも嫌いでもない。
好きでも嫌いでもないものに対して、人はとても薄情だ。
今でこそキトゥンという個に対しては多少の情こそ湧いているものの、それでも猫自体が好きなわけではない。
そんな俺がなぜキトゥンの飼い主なのか。
大してドラマティックでもないが、今回はその出来事について話そう。
今から数年前。
自分から見ても一般社会から見てもガキとして認識されている歳だった頃。
その日は弟や学童仲間と連れ立って、近所の空き地で遊んでいた。
そこで皆が思い思いの遊びをする中、弟がするのはもっぱら生き物探し。
名前すら分からない虫や動物がその空き地には多くいて、当時は何とも思わなかったが、いま考えるとかなりヤバい空間だった。
「見てよ、兄貴! この虫、すっげえ見た目!」
俺はそういったものに対して抵抗感を覚え始めており、その様子を遠巻きに眺めるにとどめていた。
「兄貴! 珍しい猫がいるよ」
「ああ、そうかよ」
「本当だって! 見てみなよ!」
俺はテキトーに聞き流すが、弟にせがまれて渋々と猫を見てみる。
首輪がないので野良だと思うが、人慣れしているのか至近距離まで近づいても猫は平然としている。
全身が白い体毛で纏われているが、背中部分だけは妙に赤い。
あまりに不自然だったので最初は怪我をしていると思ったが、血の色にしては鮮やか過ぎるので柄なのだろう。
「ニャー」
鳴き声も独特だ。
猫の鳴き声を文字に起こすとき「ニャー」と表現することは珍しくない。
だが実際にここまで、ハッキリとそう鳴く猫は逆に奇妙だった。
「え、なになに? 猫いるの?」
鳴き声を聴きつけ、他の学童仲間たちがゾロゾロと集まってくる。
すると猫は警戒したのか、逃げるようにどこかへ走っていってしまった。
「ああ~、いっちゃった……」
みんな残念がっている。
学童仲間はみんな猫好きだったのだろう。
猫の何がそんなにいいんだか。
そう思いながら学童仲間たちを俯瞰して見ていると、一人だけ険しい表情をしている奴がいるのに気づく。
ウサクだ。
俺が席を立とうとした、その時。
「じゃあ契約書見せて」
「え?」
「あるやろ。そんな高いもん売ってるんやから」
完全に騙されていると思っていたが、実は先輩は勘付いていたのか。
「いや~、ペアルックなんて気恥ずかしいけど、やってみると案外ええかもなあ」
……というわけでもないらしい。
持ち前の金の煩さと恋愛下手っぷりが作用しているだけのようだ。
「ほら、はよ契約書ちょうだい」
カン先輩の威風堂々とした立ち振る舞いは、カモがネギでしばいてくるような恐怖を感じさせたのだ。
「あ……ごめんなさい。親戚から母が危篤だってメールが来たみたい。だから今日はこれで……」
この場から体よく立ち去るため、ケータイから連絡がきたようなフリをしているようだ。
「え、お母さんは前に死んだって言ってなかった?」
「そ、その時に死んだのは、育ての親の方だから」
「血の繋がった方も、既に死んでいるって聞いたけど」
カン先輩の質問攻めに耐えられなくなり、相手は半ば逃げるようにその場を後にした。
「はあ~、いけると思ったんやけどなあ。ちょっと金に対してセコすぎたんかなあ~」
先輩はまたフラれたと思っているようだが、今回はそういう話じゃない。
だがカモられていたなんて真実を伝えても、何の慰めにもならないだろう。
「……いや、今回ばかりはもう相性が悪かったというか、元から脈がなかったというか。むしろフラれてよかったのでは」
「なんやそれ! じゃあワイはどうすればええねん」
どうにもならないということだってある。
恋愛含めて人間関係は、正解を一人で導き、たどり着けるようには出来ていない。
先輩が間違えても間違えなくても、成否に関係があるとは限らないのだ。
「別にいいじゃないですか。人生、恋愛が必須事項ってわけでもないですし。他にもやるべきことや、やりたいことはいくらでもありますって」
「んなことは分かっとるわい! 問題は、ワイは恋人が欲しいのに出来ない、出来ても上手くいかないという事実や!」
言葉が見つからないからといって、この慰め方は我ながら悪手だと思った。
恋愛を求めている人間に、「恋愛はそこまでいらない」なんて言うのはナンセンスだ。
それにつけても、先輩の落ち込みようは過去最大だ。
それとも、ことごとく上手くいかないフラストレーションが爆発したのか。
「あーあ、バレンタインも近いってのに。今年こそ恋人からのチョコを手に入れられると思ったんやけどなあ……」
バレンタインって。
まさか先輩の気がはやっていたのは、それが理由だったりしないよな。
「そもそも先輩は何でそんなに恋人が欲しいんです? そして、なぜ恋愛をしたいんですか」
「……ん?」
俺がそう疑問を投げかけると先輩は固まってしまった。
ごく個人的な漠然とした答えでもいいのに、何も出てこない様子だった。
「……何でやと思う?」
そんなことまで俺がアドバイスしても仕方ないだろう。
まあ、どうでもいい。
片付けも終わったし、話も終わらせよう。
「よっしゃ! きたで! これは確定演出や」
メールの内容を見た先輩は、商売でボロ儲けしたときのように喜び勇んでいる。
そして何も聞いていないのに、いきなり話を始めてくる。
「さっきの客に、とびきり美人なのおったやろ」
そう言われても、俺は捌くので手一杯だったので客の顔なんていちいち覚えていない。
「その子と以前からちょくちょく話をすることはあったんやけど、今日は思い切って連絡先を渡してん。で、いま返事が来たんや」
その人から連絡が来たことよりも、あのせわしないなかで先輩にそんなことする余裕があったことに驚きだ。
「ちょっと強引すぎかなと思たけど、こりゃ脈アリやで。ほら、デートの誘いがあっちからきた」
先輩が都合よく解釈しているだけかと最初は思ったが、見せられたメールの内容を読んでみると確かに『喫茶店で話そう』といった内容が書かれている。
連絡先を渡した当日に誘いのメール。
期待が大きくなるのも理解できる。
「で、お前に一つ仕事を頼みたいんや。遠くからこっそりついてきて、舵取り役をしてほしい」
そう言って俺に紙幣を握らせる。
金まで積んで俺に頼むとは、先輩はかなり切羽詰っているらしい。
そして、デート当日。
某喫茶店。
俺は先輩たちのいる近くの席で、その様子を眺めていた。
先輩の言っていた相手は、確かに美人だと分かるほどの見た目だ。
オーラが漂っている錯覚を与えるほどの存在感も放っており、先輩が熱心になるのも分からなくはない。
「あなたのことが気になってて、付き合いたいとは私も思っているけど……」
そして会って間もないにも関わらず、事態はカップル成立にまでいこうとしていた。
そう思っていたが、コトはそう上手くは運ばない。
「え、なになに?」
「このペアでつけるペンダントなんだけど……これを二人で買わない?」
おいおい。
そんな大金の絡む話を、いきなりするとか有り得ないだろ。
相手も上手く騙すんだったら、安いものから買わせて長期的なスパンでやるはず。
いきなりあんなものをふっかけるってことは、先輩はかなりナメらているってことだ。
そして、今の先輩はナメられても仕方ないほど短慮であった。
「ああ、ええよ。二人で買うなら安いしな」
いやいや、宝石だの装飾品の値段なんてアテにならないって。
二人で買うならとか言っているが、それでも一人あたり数万。
そのまま持ち逃げされるか、或いはそのペンダントを販売している業者と裏で繋がっている可能性もある。
いつもの先輩なら簡単に気づくはずなのに、そこまで頭がユルくなっているのか。
出しゃばるつもりはないが、さすがにこれは止めなければ。
先輩の恋愛が最終的に上手くいくかどうかは興味ないが、これはそれ以前の問題だ。
「思ったんやけど、そもそもお前に相談しても意味ないんとちゃう? マスダには恋愛の経験どころか、そんな感情があるのかすら疑わしいんやが」
自分の失恋談を話し続けるのはよほどツラいのか、カン先輩はこんなことを言い出した。
だがギャンブルをやり続けている人間が儲かっているとは限らないように、恋愛だって単純な経験数がモノをいうわけではない。
「何度も言いますが、恋愛だって人間関係の一形態ですから。直接的な経験がなくても、参考になる意見が出てくる可能性はあります」
「うーん……」
先輩は考えあぐねているようだが、そもそも話を始めたのは先輩からなのを忘れているのだろうか。
俺は「話してくれ」とも、「聞きたい」とも言っていない。
表面上は真面目な対応をしているだけで、先輩が話したくなければ一向に構わないのだ。
「では、この話は終了ということで……」
そして俺がそう返すと、結局は話を続ける。
前回の相手は自分への負担が強すぎると考えたのか、次の相手は経験豊富そうな人にしようと思っていたとか。
そうしてアプローチを仕掛けた相手は、一回りほど年齢が違う年上。
安直なチョイスだと思うが、実際その人は大らかな性格だったようで割と手ごたえを感じていたらしい。
だが、“バシタ”であることが後に判明。
「年上は嫌いちゃうけど、さすがにそんなのと付き合うのはアカンわ」
そうして、逃げるように距離を取ったとか。
「『とりあえず付き合って、後からお互いのことを知ればいい』と思ってたんやけど、相手のことを全く知らないというのも、それはそれで考え物っちゅうことやな」
こちらが何か言うまでもなく先輩が自ら学び取っているのは良いのだが、それよりも俺は気になることがあった。
「……ところで『バシタ』って何です?」
俺がそう尋ねると、先輩は露骨に嫌そうな顔をした。
「そこ掘り下げるようなところちゃうやろ。自分でもロクな言葉選びじゃないことは承知の上で使っとんねん。話の本筋と関係ない、言葉尻を捕らえて、鬼の首を取ったとでも思うとんのか?」
そして、突然まくし立ててきた。
こちらとしては言葉の意味そのものを知らなかったので何気なく聞いただけだったのが、どうも地雷を踏んだらしい。
恐らく、バイト先の上司とかに言葉遣いを注意されまくって、内心ウンザリしていたのだろう。
「白々しいなあ。ニュアンスで何となく分かるやろ。それでも分からんかったらスルーしとけ。そういう言葉や。ネットで検索すんのも、辞書開くのもやめろ」
ツッコまれてそこまで強弁するくらいなら、わざわざそんな言葉を使わなきゃいいのに。
先輩の独特な言葉遣いは、そういった地方出身だからというわけではなく、キャラクター付けでやっているのは周知なんだから。
そういった努力の方向性がズレているのも、原因の一つなのかもしれない。
前回とは逆に積極的に行き過ぎた結果、公私をわきまえない立ち振る舞いになってしまい破局。
俺も同じところで働いていたので、その時のことは覚えている。
『恋は盲目』とはよく言うが、ほんとに足元を疎かにする人間を間近で見たのは初めてだった。
「俺も近くで見ていましたが、バイト中も個人的な話をしまくるのはダメですよ」
「それだって人間関係の一形態でしょ。完全に切り離すことはできない。地続きなんです」
「“恋愛”というものに対して、張り切りすぎなんだと思いますよ。いつも通りの自分で接してみては」
俺のこの指摘を受けて、次に出来た恋人にはとにかく平常運転でいくことにしたらしい。
個人的な愚痴にすら、取ってつけたような正論で否定してしまったらしい。
「不平不満だったり、個人的な話を身近な人にするときというのは、大抵は肯定してほしいんです。少なくとも否定はしてほしくないのでは」
「別にワイは間違ったこと言ったつもりはないんやけどなあ……」
「是非の話ではなくて、人と人との個人的な対話ですからね。杓子定規な論理や倫理で相手の感性を一蹴するのは、“恋人という個人”を尊重する気がないと受け取られるのかも」
「ええ~? マスダ、『恋愛は人間関係の一形態』だって言ってなかった?」
「『同じ』だとは言っていませんって。いつでもどこでも恋人相手にそんな他人行儀な接し方したら、それはもう恋人じゃないでしょ」
「……確かに」
俺に言われてやっと、そのことに気づくのか。
恋愛のことになると、なぜ先輩はここまでバカになってしまうんだ。
「やや子供だましな方法ですが、とりあえずウンウン頷いてください。そして合間合間で、相手の意思を尊重するという、肯定する意を言葉で示すんです」
そうして俺の言われたとおりに、恋人の個人的な話にはウンウン頷いていた。
「いや、正直しんどい……心にもない相槌をうつたび、自分の免疫細胞が徐々に死んでいく感覚がする」
だが、これは先輩にとってはかなりツラいものであった。
結局、そのツラさが顔に滲み出てきたあたりで破局。
「あの~、カン先輩。そもそも自分が恋人といて嬉しいとか楽しいとか、何らかのメリットが勝っている前提がないと、そういう関係は成り立ちにくいと思いますよ」
「メリットぉ?」
「先輩は、その人のどこに魅力を感じて付き合っていたんですか」
割と普通の質問をしたつもりだったのだが、カン先輩はウンウン唸って答えられない様子だった。
「いや、あったはず。確かにあったという記憶だけはあるんやけど……」
カン先輩は恋多き人だった。
押しの強さで出だしは良いものの、そのあとは失速するというのが一定のパターンだ。
いつまでたっても恋愛下手で、恋人が出来ては何らかのヘマをして破局するという工程を繰り返している。
割と器用な人だと思うのだが、こと恋愛になると不器用になってしまう。
「ちょっと“リキ”が入りすぎているんじゃないですか。稼いでいるのに、恋人相手に大半を散財したこともあるでしょ」
「“大半”ちゃう。ガチャの課金と同じで天井をちゃんと設けとるから」
「それって傍から見れば、トランポリンの上で跳びながら『天井にぶつかっていないから大丈夫』って言っているだけですよ。まずトランポリンを取り除いて、それから天井の高さに意味があるのか考えないと」
「マスダ、お前の例えは分かりにくい」
確かに我ながら分かりにくい例えだと思った。
「……ともかく、自分をもう少し客観的に評価してみれば、原因が見えてくるんじゃないでしょうか。例えば、先輩の過去の恋愛遍歴から学んでみては?」
「ん~、あんまり思い出したいもんちゃうけど、ちょっと捻り出してみるかあ……」
その場の雰囲気で半ば成立した急造カップルだったが、それでも先輩は始めて出来た恋人に浮き足立っていた。
「とにかく失敗したくない」という想いだったらしい。
それ自体は間違ってはいないのだが、どうにも想いが強すぎたのだ。
先輩の恋人に対する言動はひたすらに受け身で、自分からは何も行動を起こさなかった。
また相手もそこまで積極的なタイプではなかったため、デートすら出来なかったとか。
そのため客観的に見れば、ただの顔を見知っているだけの間柄だった。
そして数週間後、「別れましょう」という簡素な内容のメールが送られてきたという。
こうして先輩の初めての恋愛は、そもそも始まっていたのかすら疑わしいレベルであっけなく終わった。
「あ~あ、何でフラれたんやろ。何もしてへんのに」
「いや、何もしてないからフラれたんでしょ」
「は?」
「セイコウ?」
このときの先輩の間抜けっぷりは、本当に同一人物なのかと疑うほどだった。
労働で金を稼ぐことに執念を燃やす人間で、俺がバイトをするようになったキッカケとなった人物である。
だが今回は仕事の話が本筋ではない。
その日の俺は、先輩の走らせるキッチンカーにてヘルプを頼まれていた。
他人の労働力ほど割に合わないものはない、と考えているからだ。
だから俺にヘルプを頼むってことはよっぽどのことがあったり、ヘルプは建前で別の目的に巻き込もうとするのがほとんどだ。
「はい、出来上がり! マスダ、これさっさと包んで」
他にもキッチンカーがたくさんある、いわば激戦区だった。
これ目当てに遠くから来訪する奇特な人間もいるらしく、特に昼時ともなると車と人が列をなし、ちょっとしたイベント会場のようになる。
「はい、これも包んで。こっちは前から2番目の人に、そっちは3番目の人に渡して。渡したら新しく並んだ人に注文聞いてきて!」
キッチンカー内の置かれた小さい鉄板で、先輩は次から次へと料理を焼き上げていく。
非常にせわしないが、昼時の今が稼ぎ時でもあるため回転率をとにかく上げていく算段らしい。
「お、行列が少なくなってきたな。じゃあ、ちょっとペース落とそか」
逆に行列が少なくなると、あえてペースを落とす。
人は行列がないと店を利用する気が起きないが、かといって長すぎても並びたがらないので一定の距離を保ちたいのだとか。
普段の先輩はこれを一人でコントロールしているのだから恐れ入る。
ピークの時間が過ぎると、人の入りも少なくなるのでキッチンカー達はまばらに撤収を始める。
俺たちも片付けを始めていた。
「……でな、数ヶ月前に別れたそのコなんやけど、昨日あの広場で歩いとってん。他のヤツと!」
さっきまでの忙しさを歯牙にかけず、先輩は仕事と全く関係ない雑談に興じる。
「はあ~、我ながら何でフってしもうたんかなあ。こんなに後悔してんのに」
「そりゃあ、人間の“シンリ”じゃないでしょうか。自分の手元から離れると途端に惜しくなるっていう」
「ええ~? そんな単純かあ?」
「先輩、そこのコーヒー。買ったのに全く手をつけていませんね。飲まないなら俺にくださいよ」
「いや……確かにワイは飲んでないけど、人に飲まれんのは何か癪やわ」
そう言った先輩はハっとする。
自分が思っていたよりも単純だったことに驚いている様子だった。
「そういうことです」
先輩はそう言って頭を抱えているが、そこまで堪えているようには見えない。
これは事実に基づく、とある二人の少年の冒険と、死を描いた物語だ。
少年の一人は貧困街の出で、出世を夢見つつ小間使いに明け暮れ……
叔母さんの話に飽きていた俺は、食い気味にツッコんで話を中断させた。
「まだ序盤だよ。どこにツッコミどころが……」
「登場人物が二人とも死んじゃってたら、誰がその話を知っているんだよ。少なくとも物語と大した接点がない叔母さんが、詳細に知っているのは明らかにおかしい」
「そもそも『事実に基づく』って言い回しが既にダメなんだよ。基づいていても脚色しちゃったら、それは事実から遠のいたものだろ」
叔母さんは溜め息を吐くと、俺たちに諭すように答えた。
「じゃあ何か? 実際にあった不幸話をそのまま切り取ればいいと?」
「そうだよ」
「私の話したことは脚色まみれで、言ってることのほとんどは嘘だらけかもしれない。けど、それなりには面白かっただろ。少なくとも事実をそのまま切り取るよりは」
「面白いとか、そういう話じゃないだろ」
「いや、そんなもんなんだよ。『事実は小説より奇なり』なんていうが、大抵は事実のほうが退屈で陰鬱だし、小説のほうが面白いんだ」
叔母さんは頑なだった。
そこまでムキにならなくてもと思ったが、俺たちは叔母さんの感情に押される。
俺たちは納得する素振りを見せざるを得なかった。
「陳腐ながらに学べるところもあっただろう?」
「……まあ」
「弟のほうは、私の話を聞くまでモチーフすら知らなかっただろ?」
「うん……」
「ほら、私の脚色まみれの話で、モチーフに関心を持つ“きっかけ”にもなったじゃない」
正直、叔母さんの主張は詭弁でしかなかったが、主張そのものは分からなくもなかった。
「私の話は伝えることには成功しただろ。事実どおりだとか、史実どおりだとか、原作どおりであってほしいなら、それこそ参考資料や原作を読めばいい」
たぶん、叔母さんからすれば、俺たちに興味を持たせようとしたかっただけなのだろう。
そして事実も、その脚色も、あらゆるものを、ただそれだけの具と割り切ったのだ。
「人を楽しませるために作られたものは、いつだってどこかは過剰で、どこかは足りないものなんだよ。フィクションってのは人を騙すものだ。ならば積極的に、騙されることを楽しもうじゃないか」
まあ、叔母さんの言うことも一理はあるのだろう。
だが、俺たちが聞かされていたのは叔母さんによる“本当にあった話”だ。
それが欺瞞や自慢にまみれていたことを攻めているのに、作り話としての意義を語って正当化するのは筋違いだ。
そもそも俺たちは叔母さんの話を渋々聞いていただけだから、こんな強弁をとられたら呆れるしかない。
その後も俺たちは、叔母さんの虚実入り混じる話を数え切れないほど聞かされた。
『私がゲームをクリアできるまで話を続ける』とは言っていたが、本当にクリアできるまで話を続けるとは思わなかった。
「はあ~、やっとクリアだ」
それはこっちのセリフだ、と俺たちは思った。
話を聞いていただけだったが、俺たちの徒労感は叔母さんよりも遥かに酷い。
「これ、裏エンディングとかないよね?」
「いや、仮にあったとしても、自分で買って、自分の家でやってください……」
俺たちは叔母さんをゲームから引き剥がすと、部屋から追い出した。
「この部屋に鍵を取り付けることを考えたほうがいいかもな……」
俺たちは次回に向けての叔母対策を考えながら、大晦日を過ごすのであった。