これは事実に基づく、とある二人の少年の冒険と、死を描いた物語だ。
少年の一人は貧困街の出で、出世を夢見つつ小間使いに明け暮れ……
叔母さんの話に飽きていた俺は、食い気味にツッコんで話を中断させた。
「まだ序盤だよ。どこにツッコミどころが……」
「登場人物が二人とも死んじゃってたら、誰がその話を知っているんだよ。少なくとも物語と大した接点がない叔母さんが、詳細に知っているのは明らかにおかしい」
「そもそも『事実に基づく』って言い回しが既にダメなんだよ。基づいていても脚色しちゃったら、それは事実から遠のいたものだろ」
叔母さんは溜め息を吐くと、俺たちに諭すように答えた。
「じゃあ何か? 実際にあった不幸話をそのまま切り取ればいいと?」
「そうだよ」
「私の話したことは脚色まみれで、言ってることのほとんどは嘘だらけかもしれない。けど、それなりには面白かっただろ。少なくとも事実をそのまま切り取るよりは」
「面白いとか、そういう話じゃないだろ」
「いや、そんなもんなんだよ。『事実は小説より奇なり』なんていうが、大抵は事実のほうが退屈で陰鬱だし、小説のほうが面白いんだ」
叔母さんは頑なだった。
そこまでムキにならなくてもと思ったが、俺たちは叔母さんの感情に押される。
俺たちは納得する素振りを見せざるを得なかった。
「陳腐ながらに学べるところもあっただろう?」
「……まあ」
「弟のほうは、私の話を聞くまでモチーフすら知らなかっただろ?」
「うん……」
「ほら、私の脚色まみれの話で、モチーフに関心を持つ“きっかけ”にもなったじゃない」
正直、叔母さんの主張は詭弁でしかなかったが、主張そのものは分からなくもなかった。
「私の話は伝えることには成功しただろ。事実どおりだとか、史実どおりだとか、原作どおりであってほしいなら、それこそ参考資料や原作を読めばいい」
たぶん、叔母さんからすれば、俺たちに興味を持たせようとしたかっただけなのだろう。
そして事実も、その脚色も、あらゆるものを、ただそれだけの具と割り切ったのだ。
「人を楽しませるために作られたものは、いつだってどこかは過剰で、どこかは足りないものなんだよ。フィクションってのは人を騙すものだ。ならば積極的に、騙されることを楽しもうじゃないか」
まあ、叔母さんの言うことも一理はあるのだろう。
だが、俺たちが聞かされていたのは叔母さんによる“本当にあった話”だ。
それが欺瞞や自慢にまみれていたことを攻めているのに、作り話としての意義を語って正当化するのは筋違いだ。
そもそも俺たちは叔母さんの話を渋々聞いていただけだから、こんな強弁をとられたら呆れるしかない。
その後も俺たちは、叔母さんの虚実入り混じる話を数え切れないほど聞かされた。
『私がゲームをクリアできるまで話を続ける』とは言っていたが、本当にクリアできるまで話を続けるとは思わなかった。
「はあ~、やっとクリアだ」
それはこっちのセリフだ、と俺たちは思った。
話を聞いていただけだったが、俺たちの徒労感は叔母さんよりも遥かに酷い。
「これ、裏エンディングとかないよね?」
「いや、仮にあったとしても、自分で買って、自分の家でやってください……」
俺たちは叔母さんをゲームから引き剥がすと、部屋から追い出した。
「この部屋に鍵を取り付けることを考えたほうがいいかもな……」
俺たちは次回に向けての叔母対策を考えながら、大晦日を過ごすのであった。
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