はてなキーワード: 競争力とは
1、アベノミクスは最初から失敗。失敗を隠すために不正な株価つり上げで国民をごまかす
2、戦争法案を暴力で無理やり通した。しかも議事録はあたかもちゃんと手続きにのっとてるかのように改ざん
4、突然覚せい剤患者のように「日教組にっきょうそおお」とヤジ連呼。質問は西川農水大臣(当時)の砂糖関係の団体の献金だったが、まったく関係ないヤジだった。
5、しかも後日「日教組は献金してる」「日教組は補助金を受けてる」と言い訳。しかしこの言い訳が全くのウソだったことが判明。
6、すると安倍はなぜか「お互い気をつけましょう。」馬鹿なのか?
7、TPP断固反対と公約を掲げたが、「TPPは日本の競争力に重要」だったらなぜ選挙でそう言わないの?また国民をだましたのか。
8【爆笑】安倍総理が国会答弁で、「訂正云々(うんぬん)」を「訂正でんでん」しかもドヤ顔で。 これで安倍総理の支持率が高かったら日本人は馬鹿ばっか。
9【安倍総理終了のお知らせ】安倍総理「杉原千畝」をなぜか「すぎはらあだちさん」。誰だよ、すぎはらあだちさんって。会ったことも聞いたこともないんだけど。
コメントに出てない中で選ぶとするなら、かずまこを先生の『名前はまだない』。短編集なのでテンポがよく、登場人物二人が織り成す空間にみるみる入り込める。反面短編集であることから細やかな心理描写には欠けている(唐突だと感じたシーンはなかったが)。
作品を探すコツとして、登場人物の心理描写を細かく見ていきたいなら「一般誌で」長期連載されている作品を中心に探した方がいい。やっぱり同性愛をテーマとしたものは読者にウケづらく、だからこそハンデを乗り越えられるほどの魅力的な作品が多い。また編集者が良いからか竜頭蛇尾な展開になることも少ない。専門誌、というか百合姫は競争力の差か編集者の差か分からんがそのあたり非常に弱い(言いたいことは山ほどあるがここら辺でやめておく)。
対して演出がすごい百合作品が見たい!と思うのなら専門誌で話題になった作家の作品を探すと良い作品に巡り合いやすい。専門誌は多くの百合作品を読んだ「餓えている」奴が見るため、演出や舞台設定のオリジナリティを打ち出すのが非常に難しいからだ。ただし少女漫画テイストなのが多く、元増田が望んでいる作品は少ないかも。
客を見つけるのに苦労するからな。
客が見えてて、他のやつが作れない物をよそに勤めている間に作れるのならそれもよかろう。
みんなは「んなものうちいらんよ」みたいな言葉でプライド傷つけられるの慣れてないし。本当はそれでじゃあ次こう直すというのやらないとならないんだけどな。
それから、弱い立場になるから、足元見てくるやついっぱい居るぞ。親戚親がそういう完全に足元見て迷惑行為してくるようなら、親戚親切る覚悟も必要だしな。
あと、低コストで起こせる起業なんて儲かるようならあっという間に競争激しくなるよ。ラーメン屋とかできては潰れるだろ?あんなもんよ。
競争力のある研究開発ベンチャーなんて日本では無理だよ。金だすやついねーもん。公費は短期間かつ書類バカバカ増やすしな。
プライド傷つけられるわ、むしろ足元見られるわ、ろくなことねぇ。
それでも何かなしたい何か強い願いがあるやつだけ起こせ。それ以外のやつに起業を勧めるのは、まどか☆マギカのキュウべぇと同じ存在だ。まさにインキュベーターだしな。
一つ願いを叶えてやるけど、その代わり周りから石持て扱われる魔物(借金まみれのおっさんなんてそんな扱いだぞ)になるリスクも高い存在になるかもしれないって言う意味でな。
休暇をきちんと取ると、リフレッシュして労働生産性が上がるという考え方は違うよね。
ほとんどの社員は、休暇明けにダラダラ働いているし、生産性が落ちている。
ほとんどは何も生かされない。生かしたという人いたら挙手してほしい。
資本主義の基本原則は、「労働の再生産に必要最低限の休暇と給与を与える」という考え方なわけで、
体力のある会社は、福利厚生など最低限を上回ることができるけど。
それ以外の弱小な会社は、そう言ったコストを削減して、商品価格に反映させて競争しなくては行けない。
「そう言ったコストを切り詰めなければ行けない競争力の低い会社は滅びろ」と暴論をかざすのは極論だ。
ほとんどの会社はそういう競争の中で、コストを切り詰めている。
つまるところ、先に述べた資本主義の原則の「労働力の再生産に必要最低限の休暇と給与を与える」ことから逸脱するのはなかなか難しい仕組みの中で、多くの人は努力をしている。
ワークライフバランスを整えろという中には、「競争力とブランド力を高めて、資本主義の原則を逸脱するくらい社員に還元して、持続的に成長しろ」という無理難題が押し付けられている、ということなんだと私は思っている。
追記しました。
元増田です。追記とごめんなさい。
https://anond.hatelabo.jp/20171223191520
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話題のセクハラ問題でずっと感じているもモヤモヤを吐き出したくて書く。
表立っては言えないけど、私は「権力を持っている男性に便宜を図ってもらおうと近づいたらセクハラ・パワハラを受けた、私は被害者だ」と主張する女性全般にとても納得のいかない気持ちを抱いている。「セクハラ・パワハラ」部分をレイプに置き換えても同じだ。彼女らは女性性を利用し便宜を図ってもらうことで、正当な手段でガチで戦うつもりで勝負の土俵に上がった他の女性(および男性)から不当に権利を奪おうとした人間だからだ。不正なチートプレイヤーということだ。
私は就職や仕事の場で女性性を武器に使ったことは無い。それは卑しく不正な手段であり、自立した知的な女性は自分の能力で正当に、正面から男性(および他の女性)と競争すべきだと信じている。たまに「ブスは女の武器を使えないから学歴や職歴を磨かないといけない」みたいな馬鹿げた言説を見るけど、モテるかどうかなんて関係ない。どんな女も自分の能力で正当に勝負に勝てるように準備するべきだ。その先にしか男女平等な社会なんてあり得ないと思っている。
そうやって正当に戦ってきた人間から見ると、自分の能力の不足を権利者に便宜を測ることで解決しようとした人間は悪でしかない。そのポジションにつくための公正なレースで勝つ能力が無いのに、言わば贈賄でポジションを奪う人間だ。能力順で上位5人がポジションを得るレースなら、「女の武器」を使って序列に割り込んだ女性が1人いれば、5人目から6人目へ不当に落とされてしまう人間がいる。彼女たちは正当な権利者から不当にポジションをかすめ取っている。カンニングで大学の入試を突破する人間と同じだ。たまに男性社会で女性は不利だから「女の武器」は積極的に使うべき、というこれまた馬鹿な意見を見るけど、男性に比べて女性の大学入学者数が少なかったら女性のカンニングが正当化されるのか。そんな訳はなくて、カンニングする奴は全員滅ぶべきである。彼女たちが椅子を得ることで代わりに椅子を失うのは男性の場合も女性の場合もある。「女の武器を使って女性が社会進出している」のではなく、正当な権利を有する人間が一人、権利を剥奪されているだけだ。
だから、チートをした女性が「肉体関係を求められた」「肉体関係を強制された」と主張することは、越後屋が「お代官様に贈賄しようと持ちかけたらその10倍の金をとられた!酷い悪代官だ!」と言っているように見える。勿論悪代官は悪いが、こっちは越後屋に公正な競争を破壊されているのでどっちも悪に見える。ただ贈賄側の考えた賄賂の水準と、収賄側が期待した賄賂の水準がマッチしなかっただけじゃないのか。そう思っているところに、チートをした女性本人が「正当な努力をしていたら裏切られた」ように振舞ったり、周りの人間が彼女をジャンヌダルクのように担ぎ上げているのを見ると拒否感が強い。
一点、彼女たちを純粋に被害者と思える点があるとすれば、彼女たち以前に、あるいは同時期に、「肉体関係の提供を自分からオファーした」あるいは「肉体関係の提供のオファーを納得して受けた」チート女性による被害だと思う。体を使う覚悟もせずに云々というショッキングなフレーズは、その覚悟を持った女性が他にいたから出てきたと思うのだ。過去にお代官様に1000両貢いだ商人がいたから、お代官様は越後屋に「なんでお前は10両しか持たずに来たのか、なぜ1000両貢ぐ覚悟がないのか」と言ったということだ。この点で見ると、10両で商談成立になると思って赴いたら1000両強奪された越後屋はちょっと可哀想ではある。
特定の業界で酷いセクハラが日常的になっているというのは、越後屋間で贈賄の過当競争をやっているのだと思う。なら全員いっせいのせで一切の贈賄をやめるべきだ。悪代官を産んだのも、増長させたのも越後屋だ。いくら悪代官を排除したところで、贈賄をオファーする越後屋がいればいくらでも新たな悪代官が生まれるに決まっている。悪代官を消すには越後屋が全滅して全員等しく公正なレースをするしかない。贈賄の相場を低く抑えましょうっていう話なら勝手にやっていてくれ、巻き込むなと思う。自分を性的に提供しないと仕事ができないのは狂っているが、それは権利を持った人間が強制するからじゃなくて、他のプレイヤーがそれを提供するから自分もやらないと競争力を持てない、自分が提供すると他のプレイヤーもしないといけなくなる、そういう仕組みだろう。
いずれにせよ真面目に正面から競争してきた一人の女性として、チートしようとして被害を被った女性を自分たちの代表のように担ごうという気には全くなれない。というか基本的に滅びてほしい。そう言うと「女の敵は女」とか言われるのかもしれないけど、これってそういう問題じゃないと思うんだよな。じゃない?
真面目に競争してきても避けられずにバンバン遭遇するセクハラって、おっさんとかがコミュニケーションだと思って投げつけてくる下ネタだ。だから私としてはそっちを世界から滅亡させたい。でもそこに越後屋から「それはセクハラではないので」「今は問題にすべきでない」とか言われている。本当、そもそもそっちで勝手にやっててっていう話なのに、正当に戦ってきた私たちの受けている被害を存在しないものと認めろという。控えめに言って最悪だと思う。
熱くなって攻撃的な文章を書いてしまった。不快にさせてしまった人にはごめんなさい。
(追記)
色々あるけど、1つだけ。私は直属の上司や、どうしても担当しなければいけない顧客に向こうからセクハラを仕掛けられ、断れなかった人のことは純粋に被害者であると思います。決してチートとは思いません。私がチートだと言っているのは、直属の上司ではなく部署も違うが人事権を持っていそうな人、に取り入りって便宜を図ってもらおうと新人が自ら近づくといった種類の行動です。セクハラは撲滅されるべきです。暴力団と同じで反社会勢力であり、潰すためには誰も応じてはいけないんです。暴力団に金を払う店があるから「ここで商売したかったら金を納めろ、みんな払ってるぞ、払わないとわかるな?」と脅される店が出てくるんです。私は同じ部署の力を持った人から色々と誘われたことがありますが、不利益を被ることを覚悟で全て断りました。もし私が応じていたら、私と競争するためには自分もセクハラに応じないといけない他の女性を生んでいたことでしょう。相手から近づかれた人は、自分の力で断るか、無理なら他の人の力を頼って拒否する。間違っても自分から利益供与を求めて近づかない。それが大切だと思います。
マウンティングというならその通りかもしれない
時代に合わせて常に読者により新しい体験と感動を提供しようと進み続けることであり
俺の変化を求め続ける欲求と反発するのであって
俺自身の原動力の強さよりも高橋ファンの持つ変化への拒否が強ければ強いほど鏡のように激しい批判として移るのではないか
前にも述べたように高橋のコンテンツ的価値はこのところ芳しくないのが実状かと
もちろん古い絵柄に安心感を持つ新規読者もまだいるというのは事実
どこまでそれが通用するのかの時代との我慢比べに負け始めている
リバイバルにらんまが選ばれないのは今を生きて連載しているRinneから何も変わってないからであり
もしらんまをリバイバルして生まれ変わらせたらRinneを超える変化と前進をしてしまうからだ
RinneのアニメDVDの売上が現代における本来の高橋の作品的価値でもあり
例えそれが古い画風に安心感を覚えるファンのためであったとしても変化するべきであった
何度もいうが犬夜叉を超えられない問題は時代ではなく高橋本人にあり
変わらない限りは犬夜叉を超えることはない
「格差社会は悪であり、弱者との格差をなんとしても是正すべきだ」という意見は、日本人に根強い。
だが、本当にそれだけでいいのだろうか。
高学歴者、富裕層、スペシャリストといった「エリート」こそが、今や競争の新たな「単位」なのだ。
高精度であるほど発展する性格をもつこの世の中は、技術・資本・人材の集積によりその競争力を増す。
この動かしがたい社会合理性の結果、世界の多くの国で、いまエリートへの一極集中が進んでいる。
この現実を無視して、平等主義を金科玉条としてエリートの富裕化を否定すると、結局、国家社会の競争力の失速を招く結果となる。
もし、日本のエリートが競争力を失うと、その冨を得るのは、実は外国のエリートであって弱者ではない。
むしろ、「厳密な評価」とやらをどんどん増やせという流れが日本の研究開発競争力を落としたと思ってるぞ。
だって、本来研究にバリバリ集中してるはずの研究者を書類作業で拘束しているしているわけだしな。
ただ、この手のベンチャー対象の助成金は大学とは少し筋が違う。明白な結果を出す方法はある。それは「売り上げと利益」だ。
さらに「顧客ヒアリングをして、顧客にマッチした方向に研究が向かっているか」だ。
といっても、例えばこういう顧客を想定して助成金に採択されたとしてもといっても、実はそうじゃないこともある。逆に思いもよらなかった顧客が大きな顧客になることがある。
そして、NEDOクラスのものでベンチャー狙うというのは、理系学部の修士、博士修了の相当な研究開発畑の人間だろう。
プライドも高くなってる。一方、マーケテイング意識なんて、SWOT、4P、3C何それおいしいの?なんて商学部学部2回生以下の知識の人間ばかり。
値段が安くて性能が良けりゃ売れるだろ?程度の認識。特に値段は量産効果要素もだいぶ強いので、そんな横綱相撲はベンチャーは基本できません。
けど、そのような想定外の顧客なんてのは恥かくの覚悟での飛び込みでいろいろ聞いてみないとそもそも見つからない。
だが、プライドが邪魔してやらない。内向きで「みんなわかってくれないんだ。いつかわかる日が来るんだ」って夢見るお姫様メンタル。
例えば、最初の目的の成果に対して7割ぐらいしか性能が出なかったが、何らかの優れた特性が副次的にできていて、その副次的な特性を強みに売上数十億円になってる会社があったとする。
たいして、成果10割達成しているが、だれも客がいない会社があった会社がいたとする。
どちらが成功だと思う?
もちろん前者だろ?だが、その副次的な特性もやっぱり想定してなかった顧客候補に聞いてみて初めて分かり、検証ができる。
前者の会社は仮におおもとの性能が出なかったとしても、副次的な特性の強みで稼いだ利益で最初の目的のために金を突っ込める。
一方、後者の成果10割達成しているが誰も客がいない会社がえてして助成金ゾンビになる。
ただ、それでも、成果を出せて書類はきれいだから、類似的なテーマで応募し、採択され、大本だったテーマも副次的に研究する。
けど、客はいつまでたってもつかない。社長は会社を続けないとならないから助成金ばっかり次々応募し、それは採択される。だが、それこそが助成金ゾンビ。税金の無駄遣い。
それこそ、飛び込み営業会社みたいに「集めた名刺の数」を要件にしてでもあちこちどうだろうかと聞いて回らせる必要があると思う。
それなりに特色がある技術があったら何かしら副次的な特性が生まれてることがえてしてあると思う。
どうせベンチャーの営業なんて全部飛び込みにならざるを得ないんだし。それは研究の主体となってる人間自らがやらないとならない。
ビッグサイエンスってのはデカい装置おいてごちゃごちゃやるあれね
俺がいた地方の国立大学なんて教授が10万円の研究費でもめてたの見たことあるんだけど
でもそういうのは科学者にとってもおいしいから批判なんか起きない、だから問題が表面化しない
例の二位じゃダメなんですかな富士通主導のスパコン京だってそう、あれ1100億円もするんだぞ
京は速攻で二位になったけど、抜いたのはアメリカのやつで開発費70億円w
こんなのに金つぎ込んでるんだからいくら金があっても足りない、ITゼネコンおいしいわなwほんとw
そんでPEZYの社長は逮捕される、たった4億円で、いや詐欺は悪いとは思うけど、でもやりきれないわな
有料会員は、2017年11月に発表したデータによると、前年同期の256万人から28万人減少。
まるで、シャッター街と化した賑わいをなくした商店街のように、客と店が閑散とし、それが負のスパイラルとなって更に客と店が逃げていくような状況に陥っている。
思い返してみれば、2009年から2013年頃は配信者も、リスナーも勢いがあり、ニコ生には熱があった。
しかし、その熱は徐々に失われ、人々の感情を動かす熱情は冷めつつある。
もちろん、一部例外はある。七原くんや、加藤純一のように、未だニコ生を楽しんで盛り上げている人もいる。ここで指摘しているのは、サイト全体の空気感の話だ。
しかし現状は、Twitterを眺めても、ニコ生を愛し、毎日のように生主の話題で埋め尽くしていた重度のニコ生愛好者のアカウントの多くが、ニコ生のことをつぶやくのをやめてしまっている。自分が2年前に作った、情報収集用のヘビーリスナーを放り込んだリストの3~4割が休止状態だ。
先の見えない、絶望感漂う現状に、ニコ生にしがみついている(過去の盛り上がりを忘れられない)人々は、再びニコ生の隆盛を、最後の希望をニコニコ(く)に託していた。
しかし、期待はやっぱりと言うべきか裏切られた。
この発表で、乾坤一擲、人々の希望を与えられるような内容があれば、まだニコ生は数年持ったかもしれない。だが、ニコニコ(く)の発表内容は、サーバーが重い、閲覧がプツプツ止まる、とにかく見づらいという、一番利用者が望み、改善を期待していたところすら手がつかず、子供だましのようなお茶を濁した機能追加のオンパレードで、我々利用者の最後の希望を打ち砕いた。
もう、ニコ生に期待することはないと思うので、その死に水を取るキモチで、ニコ生が衰退した原因を考察しつつ、何故ニコニコ(く)がダメなのかを書いていきたい。
ニコ生が衰退した原因は、一体何だったのだろうか?
そう問われた時、その人の立場により、多様な回答が出てくると思われる。
外部サイトの隆盛、稚拙な運営、逃げた配信者、通報厨、リスナーの変化、支援者…。
それらは、複合的に絡み合い、単純ではない。これらを少しでも払拭するような内容であったならと、慚愧に堪えない。
2013年頃までは、競合サイトと比較してニコ生の優位点が多く、ニコ生1強の時代が4年ほど続いていたように思える。石川典行や渋谷のキングなどの有力な荒らし配信者(当時)を外部に放逐しても、隆盛を保っていた。しかし、現状は違う。YouTubeLiveやLINE Live、Instagram Storiesなどの、巨大SNSを基盤とした巨大な競合サイトの台頭が顕著になり、その他独立系のツイキャス、ふわっち、showroom、OPENRECなどがニコ生の牙城を日々切り崩し、今や見る影もない。マクロミルが2017年7月に行った調査によると、これから配信をはじめる10代の視聴しているライブ配信サービスのトップはYouTubeLive、2位がニコニコ生放送。配信しているトップがInstagram Storiesで、ニコ生はツイキャス、YouTube Live、InstagramLiveなどの後塵を拝し、LINE Liveと同率の6位となっている。
実感としても、配信者やリスナーの外部流出が著しく、1強を誇っていた数年前と比べるべくもなく、シャッター街となった商店街の様相を呈しており、寂れた印象を与えている。外部に人が流出した上で、新規が競合サイトに吸われたため、サイトとしての熱や勢いを失ってしまったのだ。
若年層のインターネット利用の主流がスマホに移りつつあった2013年頃から、競合サイトであるツイキャスはそのニーズを捉え、低帯域でも閲覧が可能な高性能なスマホ閲覧アプリを提供していた。一方で、ニコ生は未だにバックグラウンド再生もできず、低帯域での再生は断続的な切断によるストレスが多く、基本機能であるアンケートにも参加できないなどのチープなスマホ対応しか行ってこなかった。
利用者の利用環境の変化に対応できなかったことにより、より使いやすいツイキャスなどの競合サイトに新規ユーザー獲得負けてしまった。
ニコ生のサービス開始2009年から8年。8年という歳月は、中学1年生が成人するほどの環境の変化をもたらす。
配信者、リスナーともにライフスタイルの変化により、閲覧を辞めることもあるだろう。
それに加え、ライブ配信自体の認知が広がり、よりライト層が閲覧を始めたことにより、2chの文化を引き継いだ、垢抜けないニコ生のギーク感(おたくっぽさ)は忌避され、よりスマートなツイキャスやLINE Live、Instagramなどに流れていった。(ここは、他サイトの利用者の意見を拾ったわけではないので、根拠に薄く、想像が含まれる。異論があれば教えて欲しい)
ニコ生のシステムは今年実装された「新配信」になるまで、ここ5年ほど、ほとんど改善が加えられていない。
それは、無計画に増改築を繰り返した上、低待遇の技術者が大量に退職した結果、システム改修がほぼできなくなってしまったことに起因する。
参考URL:http://hiroki-uemura.hateblo.jp/entry/2015/09/01/230611
結果、超会議や町会議などの「イベント」を繰り返すことにより、利用者の不満をかわす方針を取ったドワンゴ。不満は見事抑えられたが、上記の外部環境の変化についていけず、緩やかに競争力を失っていった。
しかし、ツイキャスの台頭に危機感を覚えたドワンゴは、ツイキャスのパクリのような「ニコキャス」をローンチするも、あまりのできの悪さに3日で閉鎖に追い込まれてしまった。
それから2年、2017年にシステムの大幅な刷新を予告しているが、大幅な後手に回ってしまった感が否めない。
加えて、マネタイズ(収益化)が競合よりも上手くいっていたことが、結果的に変化に対応するリスクを取ることができなくなったという面も考えられる。
ニコ生では、リスナーが「広告」を打つことにより、配信時間を延長できるチケットを配信者にプレゼントできるシステムがある。これ、運営は収益を上げることができ、配信者は延長料500円を払わずに延長でき、リスナーは目立つ形で広告を売って、配信者に名前を覚えてもらったり感謝してもらえるなど、「三方良し」の理想的なシステムだった。
しかし、競合サイトに投げ銭システムが一般的となった今、一部配信者は「自分の懐に入らない投げ銭(広告)」に不満を感じ、上記のWin-Winの構造が崩れてしまっている。
技術的な問題と、成功体験による現状維持が原因となり、外部環境の変化に対応できず、ずるずると現状を維持し続けたことで、結果的に競争力を失ってしまった。
ニコ生は、同時閲覧数がある一定数を超えると「満員」状態になって配信をみることができなくなる。
それはシステム上の問題なのだが、ここで「プレミアム会員なら優先入場!」的なボタンが出てきて、プレミアム会員への入会が促される。渋々入会して「優先入場」ボタンを押すも、画面が1瞬切り替わって同じ画面に戻される。プレミアム会員にはいっても入場できない状態が続いているのに「こちらが入り口です」と入れない入り口への誘導が繰り返される。このような、利用者視点がまったくない操作性の悪さがサイト内に山ほど散見され、利用者にストレスを与える作りになっている。ストレスを抱えた利用者は、このような稚拙なサイトを再度利用したいと思うだろうか?ユーザー体験(UX)が全く配慮されていないのだ。
ニコ生のトップページをみると、他サイトと大きく違う点が1つある。
それは、他の配信サイトの多くが、盛り上がっている配信や、新規配信者をトップページで紹介しているのに対し、ニコ生は企業配信の紹介が大きく割かれているのだ。これにより、新規の配信者が配信をはじめても、ふらっと立ち寄るリスナーの数が減り、いつまで経っても過疎から脱せない停滞感が生まれる。
過去においては、ある程度の閲覧数を稼げば、ちくらん上位に掲載されてリスナーを獲得することが出来たり、ミラー大手のこざまミラーが新規配信者を「発掘」してリスナーを獲得する機会があった。
また、ランダムでいろいろな配信を見せる「ニコ生クルーズ」や、配信者のコンテスト「ナマケット」などで配信者が発掘されることもあったが、今や殆ど機能していない。
現状においては、新規リスナーがただでさえ減っているのにもかかわらず、初見が最も訪れやすいニコ生トップページは企業配信と大手のチャンネル配信に埋め尽くされ、過疎配信者は日の目を見ることもなく、ただ根絶されていっている。
ニコニコのサービス追加は、これまで良い意味でも悪い意味でも、ノリと思いつきで行われてきた。
スタンプなど、ユーザーのモチベーション維持に役立ったものもあったが、これらの機能追加は、裏を返すとシステムの複雑化を招き、システム改善の難易度を高めていった。ニコニコ(く)において、ニコ生とニコキャスが並行して運用されるのも、複雑化した現状を整理できなかった苦肉の策だろう。
しかし、それらを今回の改定で、整理し、川上社長は、あるべきコミュニケーション像を、ビジョンを提示すべきだった。
それらのビジョンなく、枝葉のどうでもいい機能追加に終始し、抜本的な根治を目指さなかったことが、今回のニコニコ(く)の失敗だと思う。
新規配信者の参入が困難な現状も相まって、リスナーは大手配信者に固定化し、一部の大手はその座にあぐらをかいて惰性で続けている。それは、いつまでも「安泰」な地位が約束されている、新規が伸びてきにくい環境だからこそ、古参の大手の既得権益が守られ、切磋琢磨が生まれにくい環境にある為だ。
しかし、ニコ生全体の熱が失われた今、先を考えている配信者の多くはニコ生に見切りをつけ、配信環境が整い、収入源としても有望な競合サイトに流れていっている。
過去と同じことを見ていても、再放送のような気分になり、楽しみを見いだせなくなる。
しかし、配信を一度見るのを辞めると、「流れ」がわからなくなり、取り残されたキモチになる。
結果、面白くもないのに、飽きた配信者の配信をずっと閲覧することもなり、不満を抱えながら配信を見続ける。その中の歪んだリスナーは、楽しみを通報などの妨害行為に見出すようになったり、特定をして配信者を潰すなどの犯罪スレスレの好意に手を染めるものも居る。
リスナーの流動性がある程度あれば、このような弊害は生まれにくいが、リスナーが固定化された環境下では、このような現状になってしまうのも自明の理かもしれない。
これは簡単な話だ。
上記で掲げられた課題を殆どこなすことができず、既存利用者の失望を招き、期待感を生むことができなかったことにある。
期待感さえあれば、様々なニュースサイトに露出し、SNSで拡散され、人々の話題に上がって熱が戻ってくるきっかけになったかもしれない。加えて、一度外に出た配信者やリスナーが「古巣」を見に来ることも会ったかもしれないし、その流れで他サイトのリスナーがやってきた「かも」しれない。
https://anond.hatelabo.jp/20171029085625
ひどいディベートの授業の体験増田があったので、ディベート経験のある自分が解説してみる。
ディベート経験は5年くらい。大学から始めて、高校生の指導やディベート甲子園の運営、全国大会出場などをしてきた。
何について討論するのかを決めなくてはいけない。
元増田にあった、「ルーズソックスに賛成か?反対か?」ではディベートにしづらい。中高生では基本的に政策ディベートというものを論題にする。
例えば、「日本は生徒のルーズソックスの着用を禁止すべきである」
という、行うことがはっきりしており、肯定と否定に分かれる事ができるテーマが望ましい。
また、現状で肯定側と否定側の意見が戦えるほど現状の価値観が偏っていない論題が望ましい。
もしルーズソックスは校則で禁止されてる場合は、この論題をすべきではない。
今までディベート甲子園で行われた論題はここにある
http://nade.jp/koshien/proposition
ゆるい論題だと、「ドラえもんは未来に帰るべきである」「日本の学校は制服を廃止すべきである」などがある。
これは大前提。1チームは2~4人。というのも、スピーチをする機会というのは試合を通して4回しかないからだ。
自分の考えとは関係なく、機械的に決めたほうがよい。また複数回行い、肯定側・否定側を両方経験することが望ましい。
ディベート甲子園では、試合当日に肯定側か否定側のどちらになるのかが決まり、複数回試合をする。
ディベートをするには、立論というものを最低限準備する必要がある。これは討論の土台となるものである。
肯定側は、論題を肯定する政策の中身と、それを行ったときに発生するメリットを説明する。
この立論がディベートの試合の中で土台となり、試合の一番最初にスピーチする。そこから討論を行っていく。
逆に立論中に述べられなかった論点は後から出してはいけない。出してしまっても審判は、その発言を無効と判定する。
なので言いたいことはできるだけ立論にいれる。中学生なら4分、高校生なら6分にまとまるよう原稿を用意する。
メリットは、「現状分析」「発生過程」「重要性」の3つから構成される。
現状分析では、主にルーズソックスが規制されていない状況で起きている問題について説明する。
できるだけ問題が大きいことを主張する。例えば、ルーズソックスを履いていることで犯罪に巻き込まれやすい、と設定する。
この問題を具体的に説明できるよう、資料を集める。例えば、高校生が犯罪巻き込まれる率、ルーズソックスを履いている高校生への印象調査、声をかけやすいと言った定性的な資料など。
発生過程では、ルーズソックスを規制したときに、この問題が解決されることを立証する。
現状では、ルーズソックス履く→下校時にそのまま遊びに行く→声を声をかけられる→トラブルになる であるが、
プランを実行すると、規制されるとルーズを履いてくると怒られるので履かない→下校時に遊びに行くが、声をかけられる率が減る→トラブル減少
というルートを立証する。
重要性では、このメリットが発生したときに、それがどれだけインパクトがあるのかを示す。
青少年のトラブルは精神に悪い影響を与え、学業を疎かにさせる。それは国全体の産業と競争力に大きく影響してくる。
できるだけ大きいほうが良いが、大きくするとそれだけ立証が甘くなるので注意。
デメリットは、「現状分析」「発生過程」「深刻性」で構成される。
現状分析では、現状で特に問題が起きていないことを述べる。現状サイコーという訳である。
週5日も校則され時間の大部分を占める学校生活でみんなルーズソックスを履いていきて、おしゃれとして、自己表現として楽しんでいる。
発生過程では、立てるデメリットが起こる過程を立証する。デメリットを「多様性の低下」としてみる。
ルーズソックスが規制される→学校に履いてこれなくなる→時間の大部分を占める学校生活で自己表現ができなくなる→画一的な人格が形成される
とか。演繹的に論理の矢印を作ったら、主張を補強する資料を集める。
「ルーズソックスは私を表現するもの」と言っている資料だったり、服装の厳しい学校の卒業生はクリエイティブな職業に就く割合が低いみたいな資料を探す。
深刻性では、デメリットが発生した場合にどれほど深刻なのかを述べる。
画一的な人格形成によって、クリエイティブな思考が苦手で国際競争力が低下するとかかな。あまりよい深刻性が思い付かないが。
ここまで準備して始めて試合ができる。
各側の発言機会は4回。スピーチ担当者以外は話してはいけない。(準備時間を除く)
①肯定側立論 4分
②否定側質疑 2分 (肯定側立論にわからないことを質問する。反論はNG)
③否定側立論 4分
④肯定側質疑 2分
⑥肯定側第一反駁 3分 (否定側立論に反論する + 否定側第一反駁の反論に再反論する)
⑦否定側第二反駁 3分 (肯定側第一反駁に再反論する +議論をまとめる)
⑧肯定側第二反駁 3分 (否定側第二反駁に再反論する + 議論をまとめる)
①発生過程を削る
②重要性(深刻性)を削る
のいづれかになる。
発生過程というのは、A→B→C→Dのようにつながっているものうち、一箇所でも切れば、例えばB→Cを完全に切ると、全く発生しなくなる。
完全に切るのは難しいので、B→Cの半分を削る、という反論の仕方になってくる。
例えば、メリットの現状分析の、ルーズソックス履く→下校時にそのまま遊びに行く→声を声をかけられる→トラブルになる、だと
1. 規制なくても全員履いてるわけじゃないよね
2. 全員が下校途中に遊びに行かないよね
3. ルーズソックス履いてるからといって声かける人の割合がわからないよね
みたいな反論になってくる
重要性への反駁だと、
みたいな反論になる
ここまでやれたとして、ジャッジができる人間がいないと教育としてのディベートに価値はない。
議論をまとめて、メリットとデメリット、どちらが大きいか判定して、勝敗をつける。
ジャッジは、すべてのミクロな議論について、どういう反論があったかと説明し、最終的にどちらが優勢で、なぜその判定をしたのかを話す。
その結果、立論におけるメリット・デメリットが何%削れたのかを定量的に示す。
先程出てきた
を元に、紙に丸を書いて、メリットとデメリットの大きさを書いて判定するやり方が取られている。
ディベートのジャッジは通常ディベート熟練者が行う。つまり有効なディベートは経験者がいないとまともに成立しない。
ディベートをやるときは、1つの論題に対して数ヶ月かけてリサーチ、立論作成、試合を繰り返し、議論を熟成させていく。
この過程で、反論のポイントの探し方、強固な論理的思考力、頭の回転速度、スピーチの聞き取り及びメモの方法を学んでいく。
ディベートで一人前になるには2年くらいかかると思っている。授業で1回やったとか、企業研修で1日とかでは決して身につかない。
中学校、高校の場合は、地域のディベート甲子園事務局に連絡を取ろう。
それか近くにディベートサークルがある大学を探そう。指導に来てもらえるかも。
大学生・社会人の場合は、サークルに入ろう。探せば色々出てくるよ。
とにかく指導者が付いて、じっくりやらないと身につかない。
http://japan-debate-association.org/contest
想像を絶するスピードと論理、資料の殴り合いが見られて、初見ではほとんど理解できないだろう。
だがこういう世界があるということを知っておくのも良いだろう。
「今日が日本のソフトウェア反撃開始の日」――日の丸ブランド強化を目指すコンソーシアムが発足
http://www.itmedia.co.jp/enterprise/articles/0608/07/news044.html
国産ソフトウェアベンダーが協力し合い、ビジネスアプリケーション市場における国産ソフトウェアの競争力の強化と海外展開を行う「メイド・イン・ジャパン・ソフトウェア コンソーシアム」(Made In Japan Software Consortium:MIJS)が2006年8月7日に発足を発表した。
MIJSでは参加企業が協力し、各社の製品群の相互連携を行ってソリューションとして構築・販売できるようにし、ソリューションとしての競争力を高め、海外展開および国内ビジネス展開の強化を図る。
今も活動しているようだけど、
成果は挙がっているかな。
特に呼ばれてないけど出てきた。
https://anond.hatelabo.jp/20171014062408
とりあえず食い物捨てるのもったいねーとかロスチャージがーとかいう話は置いとく。ロスチャージの話はあとでするかもしれない。
えーとまず前提として、廃棄ってのは店舗側にとって「かならずしも」不利益なものではない。というのは、廃棄が出るっていうのはどういう状況かというと「商品が充分にある」ということだからだ。弁当とかは、1日に2回とか3回とか店に来る。朝飯晩飯なんかにあわせて納品があるわけだけど、納品と納品にはとうぜん谷間ってものがある。コンビニっていっても朝昼晩がいちばん混雑するわけだけど、同時に「コンビニでメシ済ます」の状況について考えてほしい。たとえば昼メシ食いそこなったときだとか、残業すっげー遅くて牛丼屋しか営業してないけど、でも寝る前にせめてストロングゼロくらいは飲みたいよねってなったときに2箇所の店に寄るのすごいだるい、みたいな状況がけっこうあると思う。つまり、弁当とはいっても、ピーク時「だけ」売れるものではないということで、24時間とはいわんけど、ある程度すべての時間帯でそれなりの商品のボリューム感は欲しい。幕の内とからあげ弁当が2個だけ陳列されてるような状況だと買う気になるかって話ですよ。
なんで、弁当とかって基本的に「次の納品にかぶるように」商品を置いておくのが正解になる。つまり売れるギリギリの量を見切ってその上限で発注しつづける。
けどそんな読みどおりに行けば苦労はない。天気予報が外れたー、電車が遅れたーだの予測を外す要因なんか腐るほどある。なので「これなら絶対欠品しねーだろ」っていう上限限界の在庫を持つのである。そりゃ廃棄も出る。
もちろん廃棄がまったく出ないように発注することもできるだろう。売れる数に対して少なくとりゃいいんだから。でもそういう店って、結局客からは「弁当の少ない店」って見られるんですよ。ちょっと想像してほしいんですけど、これ読んでる人のなかでもなんとなく「弁当がいつもある店」と「いつもなんか残りものみたいなものしかない店」っていうイメージあると思うんですよ。
「ない店」って思われた店では、さらに弁当が売れなくなっていく。発注を減らす。さらに売れなくなる。極端な話、最後には「弁当を買いたい人は行かない店」となる。昔と比較して弁当類売れなくなったっつったって、やっぱコンビニの売上では柱に近いところにあるわけですよ弁当ども。
だから要はですね、たとえ廃棄が出ようとも、その金額が「モノがなかったことによって発生しただろう損失」より小さくなれば問題はないわけ。コンビニにとって(あくまで経営の観点だけですよ)廃棄って絶対悪じゃない。あくまで程度の問題。
あともひとつ重要なのは、人の記憶にはネガティブなものほど残りやすいってこと。大量廃棄出てもうだめだーっていう記憶は強く残るけど、その一方で、早々に品切れ起こしてチャンスロス大会やらかした記憶ってのは、そのことで客が怒鳴りでもしない限り、あんまり記憶に残らない。「廃棄やばい」の背後には、それ以上の回数の「品切れやばい」が本来は存在してるはずです。
本部が「廃棄出せ」というのは、実際には「発注強くしろ」の意味であることが多いと思う。本部としてはチャンスロスは絶対に防ぎたい。チェーン全体で、たとえば「おにぎりの弱いチェーン」と思われたらチェーンごとひっくり返るから。しかしオーナーは廃棄を減らしたい。あたりまえですわ。
もちろん発注を強くしろっていっても、無根拠に強くしろって言ってるわけではないはず。それなりのデータを示したうえで仮説を立てて「だから」これだけ強くしろっていう言いかたをしてくるはず。問題はそのデータが現実離れしたものに思えることなんだけど、これコンビニに限らず、数字って「人の実感」をブチ越えた仮説を出してくることが多い。
さらに、いまコンビニで機械の助けを借りずに発注数を決めるってちょっとないと思うんだけど、こいつがなかなか曲者で、本部としては欠品をとにかく防ぎたいもんだから、とにかく欠品を過大視した数を提示してくることが多い。欠品の回数が多く、時間が長いほど、アホみたいな数字出してくる。
あともひとつ、コンビニって実は売上があんまり安定してない。全体の売上としてはそこまで上下しないにしても、たとえば弁当っていう単体のジャンルだと、トータルの数が昔より減ってることもあって、昨日10個売れました、今日23個売れましたーみたいなことはよくある。ここまで極端な事例はどうしようもないにしても、ある程度の上下動は廃棄出してでも防がないと、1年後2年後の売上には確実に影響が出てくるってのもある。
えーと、あとはあれだ。あれ。あのー、工場。本部は工場に対してもある程度の売上を保証しなきゃいけない。ただでさえ無茶な要求してること多いんだから、それくらい保証しないとどうしようもないでしょみたいな。この点からも発注数は多いに越したことはない。
じゃあ本部の過剰な発注数の要求は問題ないのか、なにも悪くないのかっていうと、そうは思わない。ここがロスチャージの問題なんだけど、本部は廃棄出しても腹痛まない。腹痛くないところで「本気で」廃棄を削減しようと思うかって話だ。逆にいえば、廃棄があまりに過剰でない限りは、本部も工場も店舗も廃棄は「出たほうがいい」わけで。あとは立場によって程度の違いがあるだけである。あ、でも工場でも見込み生産で廃棄出るから、そこはないほうがありがたいよな工場としては。
個人的には本部が「廃棄を出すことを目的に」発注の指導をしてるとは思わない。いや結果的にそうなっててもだよ。ふつうに考えたら会社全体で「へっへっへ廃棄出させて俺たちだけ丸儲けだぜ」なんてやってたらバカすぎるじゃん。正確には「自分たちの腹は痛まないので、できるだけ商品を多く陳列させて欠品を防いで、チェーンの競争力を上げる」だと思う。あたりまえだけど、廃棄出すより売れたほうが本部もいいわけ。売れるってことは店舗の競争力が上がるってことじゃん。チェーン全体にもいい影響あるじゃん。問題は「廃棄が出ても本部は別に困らない」のほう。そのしわ寄せが店舗に来る現実のほう。このことって、現象としては一緒かもしれないけど、考えかたとしてはぜんぜん違う。もちろん「売れるはずない」と思われるような量を発注させるのは別の悪。ただこれもなー、3個並んでると2個しか売れないものが、12個積んでありゃ「ふだん弁当買わない人が、なんか話題の商品かと思ってまちがって買う」というかたちでの副産物があって、弁当での総数は伸びたりするんで、難しいところなんよ。
だからって本部が正しいとも思わない。俺を含めてコンビニ関係者って、廃棄のことは投資とか経費くらいにしか思ってないけど、モノは食い物だよ?捨てるの?投資とかじゃないでしょ?っていうあたりまえの人の実感に立ち返ってみれば、なにもかもがおかしい。この「欠品ダメゼッタイ」とかも競争力落ちると死ぬっていう状況も、要は過当競争のなせるわざであって、その状況を招いたのはだれだよって話でもある。
なお、この手の話題のときにかならず出る「冷凍とかでどうにかならんのか」の話なんですが、その昔、午前午後という名前のコンビニがあってな、そこではとれたて弁当という名の冷凍食品を解凍して売っておって、あれけっこうおいしくて俺好きだったんだけど、そのチェーンがどうなったかは……ええ……。とれ弁好きだったんだけどなあ……。
最後に。
俺はあくまで現状がいいとは思ってない。そもそも現行のコンビニのビジネスって、たぶん平均の売上がもっと高かった時代にその骨格ができてる。ロスチャージがおかしい、廃棄が出まくるのもおかしい、そりゃそのとおりですよ。それでも早い話、儲かってりゃだれも文句言わない。そして過去にはそれが可能だった時代があった。余裕ないすよどこも。その余裕のなさが最悪のかたちで破裂する前に手を打つべきは、個々のオーナーじゃないと思います。
……オチがねえな。
夢のない理系 https://anond.hatelabo.jp/20170922053438 を読んだ。日本の理系に夢が無いのは構造的に悪循環に陥っているからじゃね?
というようになるはずなんだよな。
一方、日本では
既得権益にあぐらをかいて長期的な視点を欠いた結果こうなったのでは。ちなみに元記事にある高給文系職も既得権益のかたまりだよな。商社なんか今やほぼ既得権益を使った投資会社だし、マスコミは不動産屋だしな。いつまで既得権益ビジネスで食いつなぐつもりだろうな。これは将来やべーぞ。
法人税減税はめちゃくちゃしてるが、じゃあ、空洞化は収まったかといえば否でしょ?
そして、設備投資はどんどん低下している。固定資本形成の統計を見ても、新規の設備投資である総固定資本形成から、減価償却である固定資本減耗を引いた、
さらに、資金過不足統計を見れば、どんどん企業は資金余剰側に触れている。
資金不足と資金余剰は事後に一致するので、誰かが資金余剰になれば、誰かが資金不足になってないと景気が落ちる。
財政均衡は家計の資金余剰分企業が資金不足になって、政府が中立でいていられる状態。
今は企業もむしろ資金余剰側になっているから、政府が資金不足側になって支えて、借金が膨らんでる。それで無理に財政均衡を取ろうとしたが故の小泉末期や民主党の不景気。
企業の資金余剰を政府が資金不足側に回って借金して回収するのでも、景気が良ければいいんだけど、弱い。
さらに、政府は財サービスを作らないから、長期的には日本の競争力も落ちていく。
つまり、フリーハンドの法人税減税に景気浮揚の効果はない。むしろ、失われた30年の原因であり、日本低迷の原因だと考える。
後、アメリカは実は法人税は高い。それでもなんであんなにアクティブで景気がいいのかといえば、あの国には留保金課税がある。
利益が出たうち、使途がある分(配当や設備投資の予定など)がある分には課税されないけど、目的がないままため込むのには課税される制度。