「格差社会は悪であり、弱者との格差をなんとしても是正すべきだ」という意見は、日本人に根強い。
だが、本当にそれだけでいいのだろうか。
高学歴者、富裕層、スペシャリストといった「エリート」こそが、今や競争の新たな「単位」なのだ。
高精度であるほど発展する性格をもつこの世の中は、技術・資本・人材の集積によりその競争力を増す。
この動かしがたい社会合理性の結果、世界の多くの国で、いまエリートへの一極集中が進んでいる。
この現実を無視して、平等主義を金科玉条としてエリートの富裕化を否定すると、結局、国家社会の競争力の失速を招く結果となる。
もし、日本のエリートが競争力を失うと、その冨を得るのは、実は外国のエリートであって弱者ではない。