はてなキーワード: 食傷とは
もう我慢の限界だから言う。2014年頃からずっとこの調子のまんま4年。こんな状況のまま平成の終わりを迎えるなんてイヤ。全力の見て見ぬふりにも限界が出てきたんだ。
公式は動いてない。愚痴を零したくても相談相手も見つからない。もうたくさんだ。
もうドリパス(好きな映画を上映できる企画)の上映企画で4年間上映候補になってから音沙汰が無いのを待ち続けてる忍耐強いあの映画のファンでももう我慢の限界だ。
「ガーディアンズ 伝説の勇者たち(現行邦題)」が他社作品の腰巾着扱いされ続けてんのにうんざりしてる。
他社アニメって何かって?
ああ、誤解してる方もいるから言っておくね。「ガーディアンズ伝説の勇者たち」はディズニーとは何の関係も無いよ。
ドリームワークス・アニメーションの作品だよ。最近だとボス・ベイビーと同じ制作会社だよ。
それだけでも覚えて帰ってね。
今色々と揉めてしまってるガン監督の「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー(GotG)」とは関係ないよ。略称もRotG(原題:Rise of the Gurdiansの略称)と一字違いだから紛らわしいね。
おぼえて帰ってほしいな。
腰巾着の話に戻そう。
こういう記事を書くのは迷った。RotGが居心地悪い界隈だと思われたくないし(人数さえ揃えば楽しいよ!)何より例の相手方とのクロスオーバーの知名度にまた貢献してしまいそうで癪だ。(できるだけ名前は伏せようとはしているものの)
それに下手を打てば相手方(ディズニーの某アニメ)界隈にも迷惑がかかる。あのアニメ自体には罪は無いから。
だからせめて名前は伏せたけどそこそこバレそうだな。相手方のアニメ、ごめんよ。
つまり、RotGと、某ディズニーアニメA(後発)のコラボ二次創作が流行ったりした。
もっと言うと、
RotGの主人公、ジャックフロストと、その某ディズニーアニメAの主人公をカップリングするのを好む人たちがいたりした。
え??他社だよね??他作品なんだよね??どゆこと??って思った方もいると思う。
海外アニメ好きの二次創作者の人はご存知の方も多いと思うけど、海外二次創作界隈は日本と共通点も多いけど、違うところもあったりする。
海外の二次創作界隈じゃわりとライトに無関係な作品と作品をコラボしたりする。ファンが。
ジャンプの作品コラボみたいな事を特にコラボと銘打たずにやったりする。
なんならジャンプとか同じ雑誌内じゃなくてもジャンプとガンガンばりのコラボとかもやったりするよ。(海外の界隈って言うと主語がでっかく聞こえるけどマジでけっこうやるよ)
だった。その人気たるやもはや社会現象だった。
だから上映が遅れて入ってきた時にはそこそこ雰囲気が出来上がってて、外国文化が取り入れられた。まるで黒船だね。だって、それまでディズニーは二次創作していいものかわからん的な誤解が強かったし。
それで、RotGとその某ディズニーの状況は、海外界隈(主に英語圏)と日本では、お国の違いとか以外でも事情が違ってしまう理由が多々ある。
RotGは日本上映が中止になってから一年越しでDVD化されたし、某ディズニーアニメA上映は日本は本国上映から4ヶ月経って公開された。
更に、先述のように日本と主に英語圏ではクロスオーバー(ざっくり言うとコラボの別の言い方)への耐性が違う。
英語圏のようにコラボ二次創作への耐性や親しみや馴染みがないままジャックフロストと某Aのキャラのクロスオーバー二次の存在を知ってしまったのである。
まず誤解なきよう。RotGは世界規模で見れば人気。米国での上映当時、Pixivでも「人気のタグ」にRotG関連ワードが浮上したほどだった。
しかし、日本では上映されなかったので他国と同じように知名度を得るきっかけが得られなかった。
例えるなら①「有名芸能人と有名芸能人を同じテレビ番組に出演させた」くらいの感覚なのかもしれないけど、(オードリーとメイプル超合金を同じ番組に出演させてもいいよな的な)
日本では、例えるなら②「女王(某ディズニーアニメA)に似合う古代の宝石(RotG)を発掘したのでアクセサリーにして献上します」
みたいなところない????
(ちなみにあちらの芸人2組の例え、どっちがRotGでどっちが某ディズニーってわけじゃないけど、先輩後輩でいうなら某ディズニーの方が後輩です。)
なんだか、パワーバランスが不平等なのである。不平等。不平等条約。
RotGと某ディズニーアニメAはターゲット層の違いもあって人気の差異はそう簡単に測れないかもしれないが、それでも上映国では①くらいのパワーバランスは保持できてたと思う。フェアトレード(?)
そういう事情もあり、日本界隈でRotG関連ワードを検索すると某ディズニーアニメAのコラボネタ関連のアレコレがいとも簡単に見つかる。
某ディズニーアニメA側のキーワードで検索してもそうはならないのに。
それまでの日本ドリームワークス界隈はある時から日本の宣伝部があまり力を入れてこなかったのか都合が悪かったのか知らんが世界でも稀にみるレベルでなかなか冷遇されてたりしてた。
あ、RotG同様誤解しないでほしいんだけどドリームワークスは世界規模で見ると本当に人気のアニメスタジオである。(諸事情で経営難になりはしたけど色々あってなんとかなってるよ。)
ディズニー以外の海外アニメが人気出てる状況が想像しにくい人は、USJで活躍してるミニオンを想像してもらえればいい。ミニオンはイルミネーション製作の「怪盗グルー」シリーズのキャラクター。
ね?人気出てるでしょ?
(あと昔USJに行ったときドリームワークスアニメのシュレックもいた。つまりドリームワークスキャラに会いに行くならUSJである。)
私はそのカップリング自体はノータッチだったけど、上映は飛行機のみ、(国内じゃねえな!)原作は翻訳出版されず、他国では出たブルーレイが出ず、かろうじてビデオスルーは免れてDVDだけ展開されてて表に浮上するきっかけがなかなか無かったRotGが盛り上がるきっかけになったと思い喜んだし、感謝の念すら抱いていた。
これで状況が動くのだと希望を感じていたから。(今も潰えたわけではないけど)
あれを「RotGの人気」と呼称するだなんてかりそめだ。
「上映国とそうでない国の違い」だけだったらまだしも、それに毒が一滴混じると地獄になる。
その地獄とは何か?
残念ながら、この世の中には優秀な医者とそうでない医者がいる。
では、その違いは何なのだろう?
ちなみに出身大学ともあまり関係はないと思っている。東大や京大を出ようとアホな医師はアホであり、カネを積めば入れると言われている私立を出ても優秀な医師は優秀だ。
実は、医師が遭遇する多くの場面において両者にそう大きな違いはない。
診断・治療に対する各種ガイドライン等が(内容の是非はともかくとして)かなり整備されてきており、医療機器の進歩も相まって、大抵の場面においてどんな医者が診察・検査・治療を行っても結果に大きな違いが生じない状況がかなりできあがってきている。
ただ、残念ながらあくまで多くの場面においてであり、すべての場面で違いが出ないわけではない。
むしろ、多くの場面で違いが出ない分、違いが出る場面では如実に優秀さの違いが結果に表れる。
重症患者の管理や急変時の対応、難しい症例における診断能力、年末年始など繁忙期の救急外来の待ち時間などなど、決して頻繁に遭遇するわけではないが避けては通れない状況においては優秀さがその結果にコミットする。
当たり前と言えば当たり前の話だが、うまくいっている時は誰がやってもうまくいくが、うまくいっていないときは優秀なやつがやらないと最終的にうまくいかない。もちろん優秀なやつががんばってもうまくいかないことも多々あるが。
一見したところ合理的な制度に見える複数主治医制がイマイチ広まらないのもここに理由がある。
”あなたの主治医は女性が交代でやりますがいいですか?~東京医大女子減点問題が迫る「患者改革」”
という記事がはてブで大いに叩かれているが、内容の是非は置いておいて、ブクマのコメントを読むと多くのはてなユーザーは複数主治医制に賛成らしい。
だが、実際に自分が患者もしくはその家族になったときに、諸手を挙げて賛成してもらえるかは甚だ疑問だ。
もちろん、診断や治療がうまくいっている時はいい。別に誰が担当しようとほぼ変わりない。
問題はうまくいっていない時だ。
ひどくざっくりした例えで申し訳ないが、ほぼ同じ経験年数の優秀な医師A、普通の医師B、アホな医師Cという3人で患者の主治医をしていて、担当医は研修医で基本的に指示したことしかできない、指導医は外来で忙しくて基本的に入院患者は任せっきりという状況を考えてみる。
担当患者の一人が急変して集中治療室に入室して厳密な管理が必要になったため、当直帯や休日も3人の主治医のうち誰かが交代で病院に常駐して対応することになったとしよう。
優秀なA医師が綿密な治療計画を立てて、B医師・C医師とも積極的にミーティングをして治療方針を共有し、当初は治療がうまく進んでいるように思えたが、やはりこうした状況で急変はつきものであり、当直帯で急激な状態の悪化があった。
そのとき病院にいたのはA医師で、適切な検査と対応によって何とか状態は持ち直し、患者家族は「やっぱりA先生は優秀で頼りになるわ」と胸をなでおろした。
ただ、その後は状態が不安定になり、一進一退を繰り返す状況になった。
今度はC医師が病院に残っている時に急変が起きた。A医師は優秀なので、考えられる限りの状況とその対応法を電子カルテに申し送りとして記載して家に帰ったが、急変の状況はA医師も予想していなかったものだった。
C医師も考えられるだけの検査を行って原因と対応法を探るが一向にわからない。
そうこうしている間に患者の状態はどんどん悪化していき、患者家族にも「大丈夫か?」と不安が募っていく。
C医師は自分だけでは対応できないと考えて指導医に電話するが、指導医も「電話ではよくわからないからとりあえず病院に行くけど、私も集中治療は得意じゃないからちょっと対応できるかわからないけど・・・。A先生に相談してみたら?」と言うのみ。
担当医の研修医が不安そうに「C先生、どうしましょう?A先生呼びますか?」と言ってくる。
患者家族も「この前状態が悪くなったときはA先生がうまくやってくれた。このまま死んじゃったらどうするの!早くA先生を呼んで!」と怖い顔をして言い出す始末。
アホながらも責任感の強いC医師はなおもA医師に電話しようか迷っているが、その間に「このままでは患者さんが死んでしまいます。C先生が呼ばないなら私が呼びます!」といって夜勤の担当看護師がA医師に外線で電話をかけて状況を説明し、A医師がダッシュで来院。
レントゲンと各種データを確認して人工呼吸器の設定を変更し、何とか状態は改善したものの依然予断を許さない状況。
細かい投薬の調整や人工呼吸器の設定の調整が必要なため、A医師は結局その後1週間は泊まり込みで患者の対応に当たることになり、B医師とC医師もシフト表に従って病院に泊まってはいるものの、看護師は「A先生が泊まってるならA先生に相談しよう」と言うことで、シフト表を無視して何かあれば時間関係なくまずはA医師に電話をかけるように。
患者家族も「A先生が対応してくれるなら安心」と言うことで急変時の怖い顔はどこへやら。
その後患者さんはA医師の献身的な治療によって何とか状態を持ち直し、集中治療室を退室して一般病棟へと戻っていきましたとさ、めでたしめでたし。
だいぶデフォルメして書いたが、これと多かれ少なかれ似たようなことは日本全国津々浦々で起こっている。
同じ医療職で看護師ではチームによる交代勤務ができるのに、医師ではなぜできないんだと言われているが、看護師の業務については教育や指導によって個人の技量をある程度均一化できるが、残念ながら、ここで書いたような医師の「優秀さ」は教育や指導で何とかなるものではない。いかに優れた教育をしようと、到達できるレベルには限界がある。
一定の基準は保証されているものの個々人のレベルが大きく異なり、しかも置かれた状況によっては求められるレベルが限りなく高くなるということが、医師の業務と看護師の業務の根本的な違いであり、多くの人が思っているように医師の交代業務が浸透しない理由だと思う。
一定の基準が保証されているのであれば、それで満足すべきだと言うのが理屈ではあるが、人間はそんな単純なものではない。
選択肢がないのであれば納得するしかないが、眼前に別の優れた選択肢があるのであれば、理に適っていなかろうが、それを選びたくなるのが人情というものだろう。
上に書いたような状況で、理屈に従って「A医師を呼んで!」と言わない自信がある方は大手を振って複数主治医制に賛成と言ってもらっていい。
自信がない方は少し考えて欲しい。
A医師が身を粉にして奮闘した結果として得られるのは、自分の優秀さで患者さんを良くしたという大きな達成感と幾ばくかの時間外労働に対する報酬、そして周囲からの高評価のみである。
治療を受けた患者さんや家族の負担は変わらない。今の日本では誰に治療を受けようがかかる医療費は同じである。患者さんが呼び出し手当を払うわけでもない。
A医師のことだから他の担当患者や外来などにも迷惑をかけないようにしっかりやっていただろう。
色々なところで言われているが、現在の医療において「利便性」と「成果」と「医療者の労働環境を含めたコスト」の3者は残念ながらトレードオフの関係にある。
現状ではこのうち「コスト」、しかも「医療者の労働環境というコスト」に負担がのしかかっている状態で何とかバランスが取れている。まぁ、そよ風程度でもう崩れそうであるが。
極論すれば、この「医療者の労働環境というコスト」を最も多く払えるのが若い活きのいい男性医師と言うのが、東京医大の女子減点問題に端を発する一連の問題の原因の大部分を占めている。
この問題を受けて、この「医療者の労働環境というコスト」を減らせば良いという意見が声高に聞こえてくる。全く以てその通りである。このアンフェアな関係を早く何とかして欲しい。
ただ、そのコストの総量が減った場合にどこがそれを補填してくれるのだろう。
AIを含めたテクノロジーの進歩で状況は劇的に変わるかもしれないが、すべての医師を「優秀」というレベルまで持って行くには到底至っておらず、現状は実用面ではまだまだ未来の話としか言いようがない。
とにかく、リソースが限られている以上、夢のような解決法がないことだけは確かである。
医療関係者だけでなく、多くの人が当事者として今後の医療のあるべき形を考えて行って欲しいと思う。
「優秀な医者とそうでない医者の違い」とかいうタイトルのくせに結局この話か、と思われた方におかれてはタイトル詐欺で誠に申し訳ない。
だが、現在のシステムの崩壊によって結果的に患者さん側に「利便性」や「成果」のコストを押しつけるようなことはできればしたくないと多くの医療者が思っていると思う。
その医療者の端くれとして、微力な自分にできるのはこうして増田として自分の考えを書くことくらいなんだよ。
ここまで読んでくれてありがとう。
動画と動画が繋がってないからリテンションが切れてしまう(アニメ、ドラマ、実況プレイなんかは繋がってるので継続しやすい。Youtuberは映画に似てる)
基本ライバーばかり見てたが
一気に食傷気味になったというのはあるかもしれない
それにしても一気にいった
1クール持ってないやんけ!と思ったが毎日のように見てたから量としては3クール分くらいあるかもしれない
永遠にハマれるコンテンツというのはあり得るんだろうか、人によるか
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追
冷静になっちゃう
長距離走してる時に、一回休むと一気に疲れが来るようなイメージ
動画作ったりMMDいじったりUnityに手を出すくらいには活動的だったんだが
Twitterもそればっかりのフォローになったし、メッセージも何度も読まれたのに
単に年か
ぴえろプラスがぴえろ作品のパロディをやるというメタいネタに端を発し、
次回予告やタイトルを無視するようなパロディ展開に突入。(一応、先週伏線めいた描写はあったが)
某ロボットアニメ、某怪獣映画、某アニメ業界アニメなどのパロディを入れつつ
マジなのかジョークなのかわからない業界ネタを放りこみ、最後はどっちらけになって落とすという内容で
個人的には大笑いしていたのだが、ネットの反応を見る感じ賛否両論だったようだ。
例えば某ロボットアニメ世代でなければキャストネタが放り込まれていたことはわからなかっただろうし。
それに某怪獣映画ネタや某アニメ業界アニメネタも手垢がつきまくっているため(カイトアンサやハッカドールなどの前例アリ)今さら感があり、
また展開に唐突感があり、純粋に原作をアニメで楽しみたい人達にとっては貴重な1話使ってなにやってんだという感想になるだろう。
実際のところ否定的な意見の大半が、上記が原因と思えるものだった。
「魔法少女俺」は特に人にオススメしないが放送時間帯が早い方なので一応つきあうつもり。「ゴールデンカムイ」は鉄板。「蒼天の拳」はフル3DCGがイマイチぴったり来ないが世代的に北斗の拳直撃なので見るつもり。逆に言うと北斗の拳に思い入れがないなら切っていいいだろう。「バジリスク桜花忍法帖」が2クールだったのは意外だったが最期までつきあうつもり。「宇宙戦艦ティラミス」は微妙。3話辺りで切るかも。「弱虫ペダル」はまあ見れる時間があれば何話か飛び飛びでも見るかな。
銀英伝はリメイクとしてはよく出来ているので最後まで見る。東京喰種:reは前期が微妙だったが一応付き合うかなあという程度。ハイスクールDDはたぶん途中で飽きて切る。「鹿楓道よついろ日和」は1話見て切った。ルパン三世PART5は出来は良いが今さらもうルパンはいいかな。重神機パンドーラも微妙。いかにも河森正治とサテライトって感じ。展開次第で切る。「ラストピリオド」はうん、1話見て切った。「バトラーズ千年百年物語」も1話の時点できつかった。切る。
「シュタインズゲートゼロ」は前期を見てないなら面白味がないだろうけどこれは当然本命。「多田くんは恋をしない」は見なければならない作品ではないが全体的にそつがないのでけっこう見れる。「こみっくがーるず」はまあキャラ可愛いし漫画家の苦悩をあの萌えタッチでちゃんと描いてくれるなら継続視聴。「ヒナまつり」はギャグのキレも作画も良い。動画工房の良作のひとつになるだろう。当然最後まで見る。「グランクレスト戦記」はあまり話題にならないが戦記物が好きなので2クール目も引き続き視聴する。ウィクロスはまたやるの?って感じで食傷気味なので見ない。
ビートレスは2クールだったの? いつ面白くなるの? 「魔法少女サイト」は前に似たようなアニメあったよなあ。「ダーリン・イン・ザ・フランキス」は段々と面白味が増しているので2クール目も付き合う。「ソードアート・オンライン ガンゲイル・オンライン」はFPS好きなので楽しく1話を見れた。継続。ペルソナはどうでもいいや。「鬼灯の冷徹」はまあ時間に余裕があればって感じ。「LOST SONG」は微妙。たぶん3話あたりで切る。「Caligula_カリギュラ_」はなんだこれ。1話じゃ判断がつかない。「ウマ娘」は名馬の擬人化というネタとしては悪くないけど趣味じゃない。
正体不明の連中を集めて組織票させるよりも、一人の人間が独断と偏見で決めたほうが正しい結果になるのではないだろうか
そんな思いつきから増田を代表して俺が今年のアニメランキングを付けることにした。
客観的評価+個人的評価を独自の計算式に当てはめ独自の方法で算出。
点数は未公開のため傍から見ると100%個人的趣味で決まっているようにしか見えない。
1 メイドインアビス
2 少女終末旅行
3 宝石の国
4 サクラダリセット
7 けものフレンズ
8 キノの旅 -the Beautiful World- the Animated Series
9 エロマンガ先生
10 ID-0
11 正解するカド
12 GRANBLUE FANTASY The Animation
13 ノラと皇女と野良猫ハート
14 有頂天家族2
15 終末なにしてますか? 忙しいですか? 救ってもらっていいですか?
17 プリンセス・プリンシパル
18 天使の3P!
19 アリスと蔵六
20 武装少女マキャヴェリズム
21 カブキブ!
24 AKIBA'S TRIP -THE ANIMATION-
25 ナイツ&マジック
27 異世界食堂
28 小林さんちのメイドラゴン
原作付きアニメの至上命題である『原作の良さの延長線上を歩いた上で限りなく先までたどり着く』を今の技術でやれる限りやり遂げたひたむきさの勝利。ハードな世界観に対して可愛らしすぎるキャラクターを生き生きと画面内に描き出していた事が強く印象に残っている。メルヘンの世界で暮らしていそうな少年少女をひたすら酷い目に合わせてその高低差エネルギーで気持ちよくなりたいという原作者、アニメスタッフの熱い思いを毎週ひしひしと感じさせていただいた。
雪と鉄に覆われた物悲しい世界と、その世界をそっと照らすような少女たちの明るさや緊張感の無さのコントラストが愛おしかった。「月は空に空いた穴だ」とは誰の書いた物語の言葉だったか、あの世界において2人の少女はまさに闇に覆われた世界に天の光を漏らす穴のようであった。少女たちの瞳というファインダーを通すことで観測者を失った世界に再び光が当たる。廃墟探索の醍醐味とは、意味の失われた場所に意味が再び与えられることにあるのではなかろうか、そんな気持ちになれる作品だ。
傑作アニメーションである。好き嫌いを抜きにして、純粋に今年のアニメで何が一番かを語るのならばこの作品を挙げていたかも知れない。とにかく映像として綺麗なのだ。身体が宝石でできた少女という設定と、3DCGという表現技法が完全に噛み合っている事も素晴らしい。この作品のアニメ化に際してこの表現の仕方を選んだという時点で既に勝っているのだ。そして、勝っている状態から更に何度も貪欲に、ここでこれを選んだ時点で勝っていると言いたくなるような手を打ち、それらを尽く完成させている。今の時代だからこそこのアニメは美しいのだろう。3DCGがもっと当たり前になった時代でも、3DCGがまだまだ未発達な時代でもこの感動はあるまい。執念とアイディアと幸運の結晶だ。
ハルキ、リセットだ。決め台詞と共に世界がグルリと巻き戻る。オタクアニメの世界ではもはや食傷気味とも言える時間ループ、その圧倒的すぎる力に対して改めて向き合った作品。大いなる力には大いなる責任が伴う。その責任を前にして、揺れ動く思春期の繊細な心模様。それらを描ききるには、作り手にもまた繊細な神経が求められる。この作品はその点においてしっかりと繊細に作られていた。ド派手なハッタリと、揺れ動きやすく夢見がちとも思える心の機微、この2つが揃ってこそのジュブナイルであり、ラノベアニメなのではないだろうか。ふとそう思えてくるようなアニメだった。
一作目のアニメでは4クールかかった道のりを2クールで消化という超特急アニメ化。それでありながら、見ていて不満になるような所はほとんどなく拾うべき所はとことんまで拾っていた。それを可能にしたのは原作や、旧作アニメへのリスペクトなのではないだろうか。OPの演出に見られるパロディや最終話での挿入歌など、グルグルというシリーズが持つ歴史そのものを受け止めるかのような作品作りだった。無理なく無駄なく完成された丁寧な作品でありながらも、メタフィクション的なギャグファンタジーに欠かせない遊び心も詰まったナイスリメイク。
(俺の)今年のアニメのおおまかなまとめ
1話以上視聴:約130作品
(ヘボットのような2016年から継続しているアニメがあるためある程度の取りこぼしが予想される)
日本のアニメはディズニーになれないのかも知れないけど、日本には日本なりのアニメ作りがある。作中の動画のクオリティが視聴者にそう語りかけてくるような入れ子構造の有言実行が良い。アニメを題材にアニメを作るとメタの絡み合いが起きるのが面白い。
うーん。この豆腐の白は現代社会の闇を描いてますね。追いかけてくるアライさんはモラトリアムの終わりを、カバンちゃんがヒトではなくカバンちゃんを名乗り続けたのは、現代社会におけるアイデンティティの本質が人種や門戸ではなく個々人に宿ることのメタファーですなー。うーんこの豆腐は白いぞー。
半分新作、半分同窓会といった印象。思い出補正抜きで見た人がどう感じたのかが気になる。あとがきの国とかは原作を知らないと完全に置いてきぼりだし、全体としてファンサービスに力を入れすぎてたような気もする。俺はそれで別に構わんのでこの順位だけど。
山田エルフ先生の完璧な負けヒロインっぷりが素晴らしい。エロマンガ先生ルートに分岐し終わっている所から遅れて幻想的な告白シーンをかますという手遅れっぷり。ifルートに分岐でもしたのかと時系列の歪みを感じるほどに、完璧に山田エルフ先生ルートの回想シーンが挟まれている。でも既に勝者は決まっているから逆転は無理。気合の入りっぷりと、フラグ状況のギャップに負けヒロインの有終の美が宿っていた。
オリジナルSFアニメを1クールで綺麗に纏めている。設定の説明もしっかりされていたし伏線の回収もばっちり。笑いあり涙ありアクション多めでバランスよく必須栄養素が揃って完成度が高い。こういう肩の力入れっぱなしでも抜きっぱなしでもないアニメが個人的には一番見やすい。
ガチガチのハードSFかと思いきや恋愛至上主義の如きオチに開いた口が塞がらない。じゃあ納得が出来ないのかというと、あの解法が間違っているとも言えないのでなんとも。やたら恋愛シーンが多かった時点でこうなる事に気づいておくべきだったんだろうね。
なんでこの順位なのか自分でも謎。ただ、映像はよく出来てたし、冒険譚として王道を進んでいたし、キャラは可愛いし、OPも魅力的だったし、偏見の目で見なければ普通に良いアニメだった。
ヤギ。あれでやられた。
テンポがいい。中でもヒキや場面転換が上手かった。見てる側が迷子にならないようにしつつ退屈もしないようにコントロールしてくれたので、こっちもテンポを合わせやすかった。
王道、いいよね。
語の上手さに尽きる。
打ち切りみたいな終わり方だけどあれで良かったのかは自分には分からない。個人的にはスパイアクションを楽しませてもらっていたのでストーリーの方はそのための舞台装置だったと考えればいいかなと。殺陣と百合を楽しむ作品だったんですよ。
小学生は最高だぜ!
小学生は最高だぜ!!
ポン刀は絵になる。そこに尽きる。
歌舞伎っていきなり言われても何のことだがよく分からんから、まずは今風に丁寧に解説してみましょう。を作中でやって作品自体でもやった入れ子構造。自分はこういうメタ的な要素に弱いのかも知れない。
女の子を酷い目に合わせまくったらこれ以上酷い目に合わせられなくなった。だから過去編をやったり奇跡的に治したりしてまた酷い目に合わせるよ。いいねえ。やりたい事がハッキリしてるのは大事な事。
異世界チーレムの解体ショー。段々失速したのは個人的にはいただけないのだが、それも計算の内なのだとしたらまことに恐ろしい作品である。
古さを懐かしさと感じられるかどうかが試される。どっちかというと、懐かしさの正体が古さだと直視した上でそれを良しと思えるかどうかが試された。
異世界で僕だけのロボを作って飛空艇を倒そう。シンプルだけどいいよね。やりたいことがハッキリしてる。
おいしそうだった(小並感)
別に無理せず前と同じようにやればいいってことをスタッフが理解してたので勝ち。平常心平常心
でも食傷ぎみなんでしばらく目に入れたくない
この間Twitterをやめた。かれこれ4年くらいはやっていたがやめることにした。
(とは言えTwitterでしか連絡が取れない人もいるかもしれないので、アカウント自体は残してある)
Tweetもふぁぼも全部消した。
自分の日常やらニュースの感想やらを書くにはちょうど良かったし、旬の話題をキャッチするのにも具合が良かった。
普段会えない知人がどうしてるのかわかるのも便利だった。
しかし、次第に疲れて来た。いわゆる「SNS疲れ」なんだろうか?
それほど親しくもないけどフォローを切ったりミュートするのも憚られる程度の微妙な知人が増え、彼ら彼女らのどうでも良い日常が流れてくるのに飽きて来た。
エキセントリックな政治的主張や、不快な、あるいは少し調べればわかる程度のフェイクニュースや美談がRTで流れて来るのにもうんざりして来た。
だんだんとフォローを減らしていったけど、結局耐えられなくなってやめることにした。
遡ればInstagramもやめてしまった。出先で見たちょっと面白いものや風景をポストするのは楽しかったし、検索して同じ趣味の人の写真を見るのも面白かった。
でもこれも疲れてしまった。別にキラキラしたポストをし続けるのに義務感を感じたわけではなくて、やはりどうでもいい情報の流れを処理し続けることに疲れたんだと思う。
Facebookも早めに離脱した。知り合いじゃありませんか?を押し付けて来るのも気持ち悪かったし、そうして繋がった人たちの美しく漂白された日常を見せられるのにも飽きた。2ちゃんねるが便所の落書きなら、Facebookはピカピカに磨かれたトイレだ。清潔で悪臭もしない、空虚な空間で空虚な日常を排泄するトイレ。
TVも全く見なくなって一年以上が経つ。何年もニュースくらいしか見ないくらい視聴時間は減っていたのだけど、完全にゼロになってしまった。これも不快な情報、興味の無い情報を流し込まれて来るのを処理するのに疲れたんだと思う。
Tumblrもやめた。ネットで見かけた興味深い話や、きれいな写真をクリッピングしておくのは楽しかったが、面倒になってきた。
では今は何をしているかと言うと、好きなゲームのMastodonに入っている。気が向いた時だけ同じ趣味の人と話すのは気が楽だし、お互いにプライベートはほとんど口にしないし、興味も持たない。
あとは本を読んでいる。青空文庫で古い小説を読むのに凝っている。
さて、ここまで長々と書いてきたのは、最後に増田もやめようと思ったからだ。色々とこじらせてる人たちが議論してるのを見物するのも面白かったが、同じ話題がループしてて食傷気味になってきた。妙な選民意識も鼻につくしね。
今回は少年ジャンプ+
相変わらずシーンの切り取り方と繋げ方が無頓着なきらいもあるけれども、今回はアクションも比較的分かりやすい。
やり取りも簡潔かつ明瞭で、例えば「俺はアグニじゃない」のくだりとか。
ここでいう「アグニ」っていうのは偶像として民衆の拠り所になっていた頃の彼のことではあるんだけれども、それを否定することと行動の結果(目的)が繋がっている。
まあ、戦闘シーンのくだり自体は蛇足感が強くて、前回で消化しきってて欲しかったかなあと思わなくもないが。
主人公が自分の置かれた状況と照らし合わせて、デスゲームそのものをメタ的な視点から分析している場面が興味深い。
で、それを踏まえて「どこまでメタ的な視点から読み取ればいいのか」っていうのを、後半の展開で読者に提示しているのも良い。
とある劇中マンガに主人公たちはドン引きするんだけれども、視点を変えればあれは所謂「シリアスな笑い」なわけで。
主人公の「どこに続くんだよ」っていうツッコミはギャグの領域だ。
柱のコメント含めて、この作品をどの程度メタ視点で読み取ればいいかと混乱させている。
あと、「ヒロイン観察漫画」っていう俗称が作中で出てくるのも大概ネタだなあ(なにせジャンプの各WEBコミックサイトは、その系統の作品を大量に世に出している)。
この時点で、良くも悪くも本作の流れや作風を完全にモノをしているという印象。
なにせキャラの設定とか話の流れそのものは、既存の学園コメディモノで有名なのがいくつかあるからね。
その状態で構成まで似ていたら、細部では別の作品だとしてもほぼ同じ作品だという印象を持たれる。
ちょくちょく挟まれる先生の自分語りや、モブたちの独特な実況は良いアクセントになっているけれども、特筆して個性があるのはそこだけだから、その部分にうんざりされたら読み続けるモチベを保つフックがなくなるかもしれない。
感想は書いていないけれども、色んなWEBコミックサイトを巡回しているんだよね。
といっても網羅しているわけじゃなくて、基本は16ちょいのサイトを回って、気が向いたら別のサイトもって具合。
それでも週に100作は読んでいるわけで、そんなに頻繁に見ていると作品を構造的に読んでしまうことが増えてくる。
で今回も、RPGものや異世界ファンタジーものをモチーフにしたコメディで、それはもう割と手垢まみれなんだよなあと改めて認識した。
勇者じゃなく敵側のモンスター役が主人公とか、クズと善良なキャラの掛け合いだとか、そのあたりがもはや紋切り型になってしまう現代は、ある意味で本当恵まれているなあ、と。
仮にやる場合は既存のものより洗練されているか目新しい何かがないと厳しいんだけれども、それが難しいからキャラで勝負するしかないんだろうね。
で、そのキャラはというと、個人的にはあまり刺さらなかったかなあ。
失礼かつ身も蓋もないこと言わせて貰うなら、主役のゾンビか勇者をセクシーな女の子にするか、マスコット調のファンシーキャラとかにしたら一定のファンは獲得できると思うよ(冗談のつもりで言っているけれども、そういうのが効果的であることは否定できないからなあ)。
まあ私は、もうその系統は食傷気味なので読みたいかといえば読みたくないけれども。
なんか我ながらすごく投げやりな感想だ。
今のところバトル部分が盛り上がりに欠けるというか、だまし討ちとか不意打ちとか瞬殺で終わりとかばかりで。
じゃあ、キャラクターたちの掛け合いとかバックボーンのストーリーとかが重点かといえば、掘り下げも甘いまま死ぬから何の感慨もないしで。
今後も、能力の後だしジャンケンとか、不意打ちだまし討ちばっかりで決着がつくようならうんざりするけれども、さすがにそんなことしてくるようなストーリーテラーなわけがないと思いたい。
二転三転して、恐らく十二支以外の第三勢力とか裏に隠された大きな陰謀が露にとか、それ以上の展開はしてくる、と思いたい。
というか作品に深みを持たせるための練り込みが甘いから、そういった展開部分で惹かせるしか期待しようがない。
ただ、まあ、そういう展開を六話の時点で予想&期待している時点で、私の中で本作の評価はかなり低い水準になってしまっているんだなあ、と。
最近になってブレイクしたらしいアズールレーン、自分も興味があって、艦これからの乗り換えを検討している。
そうは言っても、すぐにではなく半年は待つつもりだが。
というのも、今現在、途方も無くプレイが面倒になってしまった艦これの、結果的には面倒なプレイを強いる実装の始まりだった「重雷装巡洋艦」の超火力が、艦これ最初期の半年の間に登場したからだ。
つまり、艦これが今の体たらくになるきっかけとなった「シンプルな仕様の崩壊」或いは「終わりの始まり」が、サービス開始から程なくして起きたのだ。
以後、際限なくパッチを貼るかのごとく、あらゆる方向から艦の強化を重ねに重ねてゲームバランスを保とうした結果、今の超絶面倒な仕様になったと。
なので、アズールレーンでも同じ兆候がこれからの半年で起きたのなら、当然プレイなどするわけがないと。
というか基本的にネトゲというのは時間とともに、一部の廃人しか積極的に楽しめなくなるような面倒な仕様に変質していくのが普通である。
だから何年も、シンプルだけど面白い仕様をキープすることで盛況を保っているゲームは、文字通り神ゲーである。
即ち、アズールレーンにも神ゲーの資質が備わっているかを見極めたい。
クソ化したかつての良ゲーというパターンに付き合うのは、金輪際御免蒙りたいので。
あとはあれだな、仮にプレイするとしても、以下の方針で遊ぶことが可能かどうかは結構重要。
艦これで飽きるほど日本艦の相手をして正直食傷気味で、他のゲームで使うことを強いられたらかなり苦痛なレベルなので。
というか、世界的に見たら性能でも戦歴でも、アメリカの新鋭艦や武勲艦に完全に後れを取っている日本艦が、少なからず高レアリティに設定されている意味もよく分からないし。
というわけで、半年後まで期待せずに見守ろうと思う。
俺妹という失敗作をベースに問題点を改善しようとしたがキャラの魅力は減退しストーリーはご都合主義、突っ込み所万歳、嘘大袈裟紛らわしい展開ばかりで見るに堪えない駄作。
最悪なのが妹の設定。義理の妹を出すために主人公の母親を殺し父親に再婚させ連れ子の兄弟にする。その後邪魔な両親は殺して退場させるという鬼畜の所業。さらに引きこもりにして外部との接触を断ち外野からとやかく言われないようにするという徹底ぶり。前作が結末で叩かれたのがとても応えたらしい。
紗霧アニメーターとわざわざエンドクレジットに載せるほど紗霧の可愛さに重点を置いているのは分かる。しかしそれって結局、今回も他のキャラは捨て駒ってことだろ。
メイン回のあったエルフやムラマサはともかく、最終回になって久しぶりに出てきた委員長や書店の子がどんなキャラクターか把握出来た人はどれだけいるかな?
せっかく物作りを題材にしているのにの作者達の創作物がどういう物かさっぱり伝わってこないのも痛い。それで売れた売れないと言われても説得力が無く、ラノベ天下一武闘会もなぜ勝てたかさっぱり分からない。
ラノベ作家と絵描きが主人公ということで1%でも業界物要素を期待しているなら無駄なのでバクマンでも読んだ方が100倍マシ。
この作者のストーリーに期待できないなんていうのは前作の時点でわかりきっていたが、可愛い可愛い紗霧ちゃんと愉快な捨て駒サブヒロインを愛でられればそれでOKという萌え豚なら面白いと思えるかもしれない。
パロディオマージュを通り越してパクリにしか思えないキャラクターの設定と展開に萎えた。レクリエイターズじゃなくてパクリエイターズに改名しろ。
とにかく頭も性格も悪いキャラが多く見ていて冷める。デスゲーム物ゆえにそういうキャラが中には居るっていうのは分かるが、それにしても創作キャラクターも政府の人間もアホばっかりというのは斬新。根拠0の世界崩壊仮説に専門家呼ぼうとか笑っちゃうわ。
そして視聴者が見たいのは創造キャラクター同士の戦いで、オフパコ超会議で出会った女がネットで叩かれて自殺したとか、それで悩んでましたとかすげーーーーどうでもいい。出番の多い主人公がウザいって本当無理。そんなのに二話も使うとかアホ。
絵だけは綺麗で金かかってんだなとしか思わなかった。ソシャゲ原作のアニメって時点で地雷でしかないのに一応全話見た自分を褒めたい。
今更二期感が強く旬は過ぎた。巨人中学校、総集編映画、くそつまらんOADやカバ何とかを作ってないでさっさとこっちを出せばよかったのに。
ストーリーは原作で巨人の正体を知っているため驚きもなく流し見で終わってしまった。さらにこの後しばらく巨人が出ず人間同士の足の引っ張り合いの話になるとさらにつまらなくなるのでシーンズ3も期待出来ない。
よくある絵だけは可愛いアニメだったがそんな物は世に溢れかえっており食傷気味。せっかくの演劇という題材も活かせたとは言えず1ヶ月後には忘れられてる。こなたが本を食いだした時がピーク。インクと化学薬品の塊を食ってよく腹を壊さないな。
くまみこの再来。9話の超展開からジェットコースターのように落ちていった。人類対異方の交渉が崩れた時点で終わっている。最後には半分戻って来たけど。
ザシュニナから魅力が無くなりただのヤンホモ小悪党になっていくのが虚しくも笑えた。人間性を得た結果がホモ化とはたまげたなぁ…。
ただただ胸くそ悪い話。巨人に食われたり魔法少女が斬殺されるアニメより残酷だった。
石鹸枠へのアンチテーゼ的作品なのかと期待したが結局いつもの石鹸枠を抜け出せなかった凡作。かっこいい先生がかっこいい所を見せて先生すげーってのならぬーべーの方がよっぽど面白い。
15年前の話を5年前レベルの3DCGで今更やる必要性が分からない。特に一期から3DCGが全く進歩していないのに驚いた。同時期にやっている作品に比べて大きく劣っていることに気がついていないのか?
狂戦士の甲冑も全く迫力が無くてがっかりした。これなら過去のアニメやゲーム作品の方がよっぽど良かった。
3Dでは再現できない原作の雰囲気を出したい時だけ絵になるがその絵でずっとやれ。ちなみに原作だとようやく妖精島にたどり着いてキャスカが戻りそう。
文句ばかりになってしまったが、ここで触れていないアニメはまだ見る価値のある物だった(もしくは特に語る所も無いか)
中でもsin 七つの大罪、覆面系ノイズ、僧侶と交わる色欲の夜に…は展開が全く読めず見ていると頭がぐっちゃぐちゃになり気持ちよかったのでオススメです。
なんなのあれ。
諸事情で披露宴は身内だけ⇒友人達で二次会って流れなら解るのよ。
披露宴終わった時点でお腹いっぱいだし、お酒だってそんなに好きじゃない。
どうせ新郎新婦とだってゆっくり話せないから第二の披露宴って感じで食傷してしまう。
でもそんな事言うとお祝いの気持ちは無いの?とか言うし。勿論関係者には言わないけどネットでもよくそういう意見見るじゃない?
いやいやあるよって思うのよ。すっごいあるの。めっちゃくちゃある。じゃなきゃこんな気合入れて来ませんから!って。
頭の中にはピンが何十本も隠れてるのよ。イルミも真っ青よ。家で主人の前でハンターハンターごっことかやりながら抜くと毎回大ウケよ。
化粧なんてなんかやたら落ちないし。これでもかってくらいクレンジングしなきゃ落ちないし。崩れるよりいいけど。
着物着たら着崩れないようにいつもより補正も紐もきついから息苦しいし。
それだってお祝いだから出来るのよ。大切な友人のためだもの。早起きだって多少の無理だって頑張るわよ。
でも無理。披露宴で限界。深呼吸したいし顔洗いたいしピン全部取って布団に寝っ転がりたいの。引き出物持って帰るだけで精一杯なの。
気合入れ過ぎなのかしら。もっと適当にしていけばいいのかしら。そういう人も居るわよね。
でも凄く親族の人が喜んでくださるのよ。でもこれって結局自己満足?偽善なのかしら。
勿論断ればいいのよ。別に咎められた事なんて無いし。やりたい人はやればいいのよ。
でも毎回驚くほど参加する事が前提って雰囲気で連絡が来るのよ。
それを断るのが若干申し訳ないし、言い訳考えるのもすんごく面倒なのよ。
参加する?って聞いてよ。そしたら遠慮しておくって言いやすいじゃない。
ここまで書いて気付いたのだけど、結局私が四方八方にいい顔したいだけな気がしてきたわ。