はてなキーワード: 食傷とは
ここ最近のシンデレラガール総選挙にみられる世論の流れは非常に興味深いものがある。
ニュージェネレーションで唯一シンデレラガールになっていない本田未央を今年こそ1位にすべく支持集団で投票が行われており、先日の中間発表で1位になったことは誰もが疑いようもなく、この事実は手放しで祝福されていることであろう。
その一方で非常に面白い現象も起きている。それはあの夢見りあむが3位に鎮座しているということである。そう、“あの”だ。
そもそも夢見りあむは平成31年2月7日に新しくシンデレラガールズの登場したキャラクターであり、特定のCVも実装されていない。
シンデレラガールズは人気のあるキャラクターから順番にCVが実装されるという資本主義に基づいた極めて合理的かつある種残酷的な傾向がある。
しかし、登場時からその鮮烈なキャラクターとオタクの原始的な“好き”を掻き立てるような特徴的かつ強烈なデザインで多くのプロデューサーの心を掴み、急激な人気をもって迎合された。
私の観測下では夢見りあむの参入とともにシンデレラガールズの門戸を叩いたものも決して少なくはない。
しかし、夢見りあむのパーソナリティーは既存のシンデレラキャラクターと比較して、決して手放しで称賛を得られるものではない。
人間のクズ性を煮詰めたようなキャラクターは自身の“推し”として公表し易いものではなく、支持していることを隠したくなるようなものであることもまた一つの事実なのかもしれない。
これはかのドナルド・トランプ氏の勝利した大統領選をどことなく彷彿させるようなものである。
サイレント・マジョリティの集団心理として根底に存在していた現体制への不満、怒りが彼を世界最大のリーダー国のトップへと押し上げる力学としてあった。
人間というものは集団としては非常に恐ろしい存在であり、獣である。
人間1人では大したことはできないが、集団となることで途端に爆発的な力を発揮し、世界を食らいつくし、そのまま世界を変える。
そうした革命が起きたことを私たちは知っている。そう、現在のシンデレラ選挙をとりまく状況にもそれと似た力学が存在していることを“夢見りあむ3位事件”は示した。
これは1つの革命なのだ。奇しくも4月で平成という一つの時代が終わるが、今回のシンデレラガール総選挙も結果が出る頃には令和の時代へと突入する。ポスト総選挙のシンデレラガールズは新時代の“シンデレラ元年”ともいえるだろう。
人々が心の中では何らかの変化を求めているのは至って自然なことなのかもしれない。
先ほどサイレント・マジョリティという言葉を使用したが、今回の力学の原動力になっている集団意識は何なのだろうか。
私はそれをあえて悪意と呼びたい。前述したようにシンデレラガールズの既存のキャラクターはアクが強かったり、非常に特徴的であったりはするが基本的には“いい子”である。
夢見りあむも“いい子”であるというエピソードは今後も増えてくることは予想される。
しかし、現時点ではー少なくとも登場時点で言っていることは私たちプロデューサー、ひいてはその担当アイドルを馬鹿にしたような、消費物としてみたような非常に純粋な悪意で形成されたようなものである。
ここでキーとなるのは夢見りあむ自身にアイドルに対する悪意があるかは全くわからないものであることだ。夢見りあむのアイドルへの好意は確かにあるだろう。一定のリスペクトを感じさせるような発言もある。
しかし、『アイドルは使い捨ての嗜好品』という純粋な冒涜は誤解を恐れずに言えば狂気的で原始的な悪意に満ちている。
それゆえに夢見りあむから紡がれるアイドル論は非常に興味深く、私たちプロデューサーを尖った刃で抉るように鋭い。アイドルというものは信仰されるものである。
大衆の信仰対象であり、彼女らは通常、神のように純粋に君臨するものだ。その神を純粋に否定すること、それは悪意以外の何物でもない。
神をも殺すような彼女の紡ぐアイドル論は純粋過ぎるが故に非常に冒涜的かつある種カルト的な魅力をもって私たちの目には映る。
そして、それらは最近のシンデレラガールズに反体制的な考えを持っていたようなサイレント・マジョリティの不満や怒りを鋭敏に反映させるのかもしれない。
先に夢見りあむのプロデューサーの本質として“秘密主義”を指摘したが、以上のような反体制的な考えも同様に秘匿されるべきものであろう。それは当たり前の事実である。
プロデューサーは通常コミュニティを成すものであり、人間が本来持つ協調性という意味では明らかに美徳とされない、全くもって迎合されない考えであるからである。
そのようなコミュニティでみられる田舎の村八分文化のようなものに息苦しさを感じていたプロデューサーもきっといたことであろう。
コミュニティというものは通常保守的な集団であり、それは人間が持つ協調性という美徳においては当たり前の機能であるからだ。人間は保守的な抑圧の中では必ずといっていいほど悪意を貯める生き物だ。
諸プロデューサーにおいても一度胸に手を当てて考えてみてもらいたい。
今までの環境に不満はなかっただろうか。
変化のない、いい子ちゃんごっこのような“幻想郷”は掛け値なしに素晴らしい居心地のよいものだっただろうか。
シンデレラガールズのメインストリームの中で心の中にどす黒い感情を抱いたことはないだろうか。
そうした経験の中で悪意を貯めていったプロデューサーは漠然と考えたことだろう、今回の“夢見りあむ3位事件”は変化のチャンスであると。
プロデューサーの隠された悪意は非常に醜いものだ。どす黒く、誰にも見られないように大切に大切に醸造されていった筆舌に尽くしがたいほどに汚いものだ。
上述のように夢見りあむは“人間のクズ性”を煮詰めたパーソナリティーであり、炎上をある種好ましく考えているという都合の良さもある。
この点でもそうした悪意との親和性が高いというのも挙げられるだろう。
結果として夢見りあむはサイレント・マジョリティの悪意の代弁者足りえ、“夢見りあむ3位事件”という事実として多くのプロデューサーに牙を剥いた。純粋な人気に加えて、悪意の力学が働いた夢見りあむは本当に強い。
このことを念頭に置かない限り、夢見りあむは強力な敵として立ちはだかり続けることを理解しなくてはいけない。
今、私は革命前夜に似た胸の高鳴りを感じている。
今、この瞬間アイドルマスターシンデレラガールズに変化が求められている状況だ。
心地よいけれども心のどこかでくだらないと思っている集団幻想の中に居続けるか、それとも変わっていくか。
これは呪詛だ。
見たくはないだろうか?破壊と再生を経て進化するアイドルマスターシンデレラガールズを。
今のシンデレラガールズに食傷して離れてしまったプロデューサーにこそ、この状況を楽しんでいただきたい。
ログインしなくなったシンデレラガールズとスターライトステージにログインすれば合計で2票を夢見りあむに投じることができる。
1人のアイドルに1人で入れられる票数など全体でみれば微々たるものだが、私たちが力を合わせればそれは巨大な力学になる。
きっと革命だって起こせる。ぜひ夢見りあむに投票していただきたい。
夢見りあむ、私に、いや私たちに新世界をみせてくれ。君ならできる。
最後にドナルド・トランプ氏が勝利したアメリカ合衆国大統領選を分析したイギリス独立党のナイジェル・ファラージ氏の発言でこの文章を締めたいと思う。
『負け犬たちが支配者層を打ち負かしたのだ』私たちクズの負け犬たちに幸あらんことを。ここまで読んでくださって本当にありがとう。
「夢見りあむが許せない」を読んだ。この人はきっと担当が大好きで、とにかく声がついてほしくて、だからその邪魔になる夢見りあむが許せないのだと思った。要は夢見りあむじゃなくても、たとえば同じパッション、新アイドルの久川凪が同じポジションにいたら久川凪が許せなかったんだと思う。でも、私は本当に「夢見りあむが」許せない。
私は夢見りあむがモバマスに出てきた時、好きだな と思った。ザコメンタル、クズ、アイドルが好きという要素になんとなく自分を重ねたところもあったのかもしれない。
りあむと年齢が近くて、自分は高校中退していま大検をとろうとしているところで、(リアルも2次元も)アイドルが好き、ついでにザコメンタルで言えば私もいわゆるメンヘラという自覚もあった(自傷は日常茶飯事で、精神科に通い毎日たくさんのクスリを飲んでいるという意味で)。もちろんりあむのように顔が可愛くないし胸も大きくないが、今までモバマスに出てきたキャラクターに比べれば感情移入がしやすかった。
彼女たちの多くはアイドルとしてかがやくために努力を惜しまないし、双葉杏ちゃんに代表されるようなアイドルに対して興味のなかったアイドルもコミュなどのストーリーを経て一応渋々という姿勢を見せるにしても、一生懸命レッスンに取り組みステージを成功させようとがんばっている。
アイドルは成長過程を楽しむものだといろんなところで言われるように、そうした彼女たちの姿を求めてゲームをしていたところもあるが、リアルアイドルはどんどん姿を更新してたとえばミスIDなんかは必ずしも努力を肯定しない。そういうアイドルを見てきてからか、贅沢な言い分ではあるが、デレマスの努力友情勝利のアイドルたちが食傷気味になっていた。
そんなところで夢見りあむが出てきた。
頭でも述べたように私は登場当初の夢見りあむが好きだった。なんでもいいから構ってほしいというメッセージは言っちゃ悪いがミスIDに出てる女の子たちと重なったし、こういう子がこれからアイマスでどう描かれるのかとても興味が出た。
じゃあ登場まもないアイドルをどこで嫌い、というかそれこそ許せないと思ったのはいつかといえば、デレステに実装されてコミュを読んだからだ。りあむは渡米して画家をしている姉と、海外で仕事をしている両親がいて、実質一人暮らしをしているそうだ。
いや、絶対実家太いじゃん。実家太いくせに「人生詰んでる」とかいうなよ。全然人生イージーモードじゃん。そのうえ実家太くて顔がよくて胸がでかいくせに人生詰んでるのか言ったら、じゃあ貧乏な母子家庭でブスでバカの私なんかどうなるんだよ。いっそ殺意すら湧いた。
それまで夢見りあむに期待していた分がひっくり返って、全部憎しみになった。こいつがなにを言ってもいや実家太いじゃん…と思うようになった。それまで気にならなかった部分も、なんだか全てがムカついてくる。
たとえば、ザコメンタルとか名乗ってんのもムカつく。これってどうせメンヘラって表現したいところをコンプラ的にまずいからザコメンタルって表現してるんでしょ。いやこっちは本気でメンヘラやってるんだけど。江崎びす子みたいなメンヘラやみかわいい商売にも常々違和感をおぼえていたけれど、こいつもその類型かと思ったらなんとなくその違和感の正体に気づいた。
メンヘラキャラ商売は、精神疾患を抱えた若い女性をやみかわいくておクスリ飲んで深夜に電話めっちゃしてくる、みたいな面倒な女に落とし込む。夢見りあむなんかその典型じゃないか。胸がでかくて後先考えないバカ。私が夢見りあむを好きだった頃に救いですらあった「やみくんやみちゃんの味方」というセリフも、おめえみたいなバカにメンヘラレペゼンされたくねえという憎しみになった。
デレステに実装されてツイッターは夢見りあむのスクショとイラストとツイートとでにぎわっているし、総選挙はなんだか上位にくいこみそうだ。うんざりする。メンヘラがこんなもんだと思われたらたまったもんじゃないけど、バカなオタクは実在のメンヘラのことなんかバカに仕切っているから、投票数は増えるんだろう。
別に増田に書くつもりもなかったんだけど、元記事の夢見りあむに対する甘さというか、憎しみのぬるさになんとなく筆がすすんだ。
注文っつか、俺は好きだけどねw こういうの。
ある意味文学してるし皮肉な事に割と慰められるし、正直微妙に笑えるしいい啓発だと思うし。
増えると食傷するんだろうが、これ読んで最初に思ったのは少なくとも"巨乳チャンも新人クンもこんな処に恨み言は書いてないのがアンタとの差だろ"って事で、まぁなんか花見の時期にありがちで慰められてよけい惨めになってバーボン追記かなって思うとまた妙な優越感みたいの感じたりもすんだよ。性格ワリーけどw
まぁ来年も桜は咲くからいんじゃね? とかふと浮かんだけど手慰みってヤツならそれもお笑いなのかね。
時代が変わっても人の営みなんざ大して変わらんよ。
それが釣って僅かな虚栄心を満足させる事だろうと失恋の痛みだろうと同じさ。
俺は一人で葉桜でも見に行こうかね。
友人にも言えないのでここで。
最近話題の某コンテンツの盛り上がり方が苦手だ。共通の話法があるのか、主語がでかくてすぐ決めつけるような言葉で話す。
みんな誰しも好きなことを語る時は楽しいものだし、饒舌になるのもわかる(私にも覚えがある)のだけど、彼女たちがそれを話題にする時には常にうっすらマウンティングされている気分になる。マイナー感が強くて自分たちでもトンチキアニメだって自虐しながら、ほら面白いでしょ!???って押し付けるみたく多方面に営業活動してるのが目に障る。褒め言葉が過剰で主語がでかくて決めつけがちなのはなに?本当に好きで自分で感じたことを語りたいと思ってるの?面白くて強い言葉で話すと別のオタクが褒めてくれるから大喜利みたいになってるだけじゃない?
作品そのものは気になるし、きちんと触れたいけど、監督や声優のインタビューから引っ張り出してきたネタで延々と作品をこねくり回して褒めちぎっててそろそろ食傷気味。隙あらばキャストだけじゃなく、身近な知人の発言まですぐネタにして。最近別のコンテンツとコラボしてましたけど、「うちみたいなコンテンツとコラボしてくれてマジ感謝」「頭狂っててごめんね」ってお前は運営かよ。
こないだは別作品で、コラボのティザー告知があって、その作品のファンより彼女たちの大喜利のほうが盛り上がってて悲しくなった…。相乗効果でお互い楽しいのがコラボのいいところなのに、自分たちの推しポイントばかり押し付けているように見えた。てか、確定じゃなくない?それ。まだあなたたちのところの運営からは何のアナウンスもないんですけどね…。
もしかすると友人がことごとくハマってて仲間に入れないがゆえの嫉妬なのかもしれないけど、だからこそSNSにもどこにも吐き出せないんだ。3年前のマッドマックスの盛り上がりの時に、それを眺めていた人たちはこんな気持ちだったのかなって反省した。
FGO食傷気味ワイ「ほー セガのスマホゲーか (イドラのことを思い出しつつ)不安やけど暇つぶしにちょっとかじってみるか」
ワイ「?」
チュートリアル「同じキャラのカード3枚選んだらもう一撃殴れるやで」
ワイ「??」
ワイ「???」(画面連打)
ワイ「????」
ワイ「?????」
チュートリアル「キャラクターにイラストカードを装備すると強くなるやで」
チュートリアル「ガチャからはキャラもイラストカードも出るやで」
主人公「空の島々を舞台に飛空挺で冒険するやで」(グラブル感)
顔と髪型とトップスとボトムスとCVまで主人公キャラの着せ替えができる点はFGOより好きだ(がFGOでもやれとは言ってない)しFGOは早くAUTO機能を実装してね
わが国の「正義」アレルギーが深刻だという話はもう何度も何度もしてるので食傷気味ではある。
が、左翼(的主張)が「大人が喚いている感じ」というのは着眼として悪くなく、気づきまでもう二、三歩という印象を受けるのでコメントしておくかな。
社会、公共というのは、放っておいて勝手にできるものじゃないんだよ。
われわれが構想し、創りあげていくものなわけ。
だからちゃんとした大人は、よりよい社会とはどのようなものかということを真面目に考え、それを実現するためにきちんと汗をかく。
この国では、「正義は人の数だけある」だとか「自分の考えを他人に押しつけるな」だとか、そんなことばかりが声高にとなえられている。
でもそうした主張の多くは、単に斜に構えて社会を創りあげていく責任を他者に押しつけているだけの、甘えた意見、子どもの意見だ。
われわれはもう少し、自分にも社会を創りあげていく責任があるのだということを自覚する必要がある。
大人になろう。
タイトルは主語が大きすぎるのでまず適切な主語にスケールダウンする。
ラブコメ→なんか主人公がイケメンに好かれてデモデモダッテしてくっついたり離れたりして最後にやっぱりイケメンとくっついて勝利するやつ
女子→私(28歳OL ※最近バズったアニメの増田の人ではない)
苦手になった原因はおそらく、中高生のころに携帯小説でそういう話ばかり読んでいたから食傷になったのだと思う。色々読んだけど大筋は主人公(カースト下位)がイケメン(カースト上位)に好かれて上位の仲間入り!むしろ頂点!大勝利!みたいな。
もうそういう展開は私はお腹いっぱいだし、頂点に立ちたいなら男を頼るな。自力で頂点に立つ展開でも、トロフィーハズバンドみたいにイケメンを捕まえるのあれなんなんだろうね。自分が成功したことの証明を男に頼るな。
(勿論、男女逆にした話も沢山有るのは知ってるし苦手といえば苦手だけど、あれらは元々女性向けとして推されてないからかあんまり気にならない)
とは言え、これは私がそういうストーリーが苦手だってだけだから、じゃあどんな話が読みたいのかって考えるほうが建設的だしそれならこれがいいよ!っておすすめされるかもしれないから書いてみるね。
・主人公は自分の性格を把握していて、自分の性格と相性がいい男性は多分こんな感じ、という理想像がある。
・恋愛に意欲的な主人公は、理想像の男性が存在しそうな環境に出向き、知り合ったり仲良くなったりして経験を積む。
・実際に恋愛することで、自分の性格の新たな一面を知ったり、理想像の別の面を知ったりして、方針を修正する。
・最終的に、この人だ!って人に狙いを定めてしっかり落とす。
久しぶりに映画見てきた。その時に流れた予告編の感想を覚えてるだけ書く。
※見に行った映画本編は(仮面ライダー平成ジェネレーションズFOREVER)
アメコミ系?
半沢の作者のやつにまた香川照之が出てるってそれもはや面白いんか?って思うけど
実際に見たら面白いんだろうなあって思う。だって主演野村萬斎だもんなあ。
実はドラえもんに限らず夕方にやってる子供向け?長寿アニメの類をほとんど見たことがなくって、(見たことがあるのはポケモンとコナンぐらいかな)
ちびまる子ちゃんもサザエさんも当然のように一回も見たことがなくて全く話が分からないのだった。
でも何となく一般教養というか、みんな概要は知ってそうなので私も多少話を知っといたほうがいいのかしらみたいなことは時々思う。
あまり興味はないから見るには至らないんだけど、知っといたほうがいいのかな…みたいな。
落語とか一回ぐらいは見たほうがいいのかな…みたいな。
ワンピースもみんな結構知ってるっぽいけど私は知らない漫画の一つなんだよなあ。
宣伝の戦略かもしれないけど、予告からは全然完成してない雰囲気が出ていてめっちゃ不安になった。
◇翔んで埼玉
クソ映画は好きなんだけど、この映画は映画銀魂的な感じでB級面白いに落ち着きそうなのでむしろあまり惹かれない。
個人的に地方ネタがやや食傷気味であまり惹かれなくなっているというのもある。
反省…。
「萌え絵=エロかそうでないか」のような終わりのない議論に嵌ってしまうことこそ、フェミの思うつぼである。
本来の萌え絵はエロの要素を含んでいなかったはずであるし、エロ論争になってしまうことによって、何となく萌え絵=エロのイメージがまとわりついてしまうのだ。
フェミの本音としては、萌え絵がエロかエロでないかどうかは、はっきり言って興味が無い。
フェミが一番排除したいのは、アニメやゲームにおける美人や美少女キャラである。
美人や美少女キャラこそ、女性差別の思想(=ブスは社会から排除する)を具現化したものであるからだ。
ラノベ表紙やキズナアイ騒動の際も、フェミの言動をずっと注視してきたが、フェミサイドは一度も彼女たちの容姿の可愛らしさを叩いたことは一度もなかった。
「キズナアイは性的だ! エロだ!」というフェミの言葉を聞いて、「こいつらは頭がおかしくないだろうか」と真剣に考えたほどである。
しかしフェミサイドとしては、美少女キャラ自体を論点にして大っぴらに批判するわけにはいかない。
「アニメの美少女キャラは、社会からブスを排除する思想そのものだ!」と言ったところで、オタクからは「ブスの被害妄想だ」と反論されるだけだからね。
だからフェミは、萌え絵=エロの構図を作り出して、美少女キャラを排除しているのだ。
正直言わせてもらうと、オタクではない私・元増田から見ても、今のアニメやゲームには美少女キャラばかりが溢れすぎていないだろうか。
美少女キャラは見ていて好感度はいいけど、それだけになると食傷気味になる。
私は仕事が忙しく、帰宅時間も夜遅いので普段料理をする事は少ない。
作ればそれなりに美味しくできるし、
少し変わった物、工夫した物を作る事が多い。
夫も喜んで食べるのだが、
それが大抵自分が作った物の方が美味しいので、
つい先日食べたばかりの物の、
それも劣化版を食べさせられるのはなんとも言い難い気持ちになる。
また、あてつけのようにも感じてしまい、じゃあもう私が作らなくてもいいじゃん、とも思うし、単純に短期間に同じ料理を食べると食傷気味になる。
自分のレパートリーを横取りされた気にもなるし、レパートリーが減った分また何か別のメニューを考えなくちゃと負担に思う。
また真似してる〜、と、冗談ぽく指摘をした事は何度もあるが、なんとも思っていないようだ。
作ってくれるだけマシ贅沢な悩み、と一蹴されそうだが、このモヤモヤを分かってくれる人はいないだろうか。
先程帰ってきてオーブンを開けたら一昨日私が作った料理と同じ物が入っていて、様々な感情が溢れ出したがぶつける先が無いのでここに書いた。
タイトルどおり女キャラが嫌いって言ったら確実に腐女子の嫉妬乙される世の中
正直語ると別に嫌いとかではない
行動や描写によっては嫌いになるとかはあるけどそれは男キャラも変わらない
でも大抵の女オタはおにゃのこ可愛い!って言ったり可愛い女の子の絵を描く人大勢いるので
それに馴染めない自分が嫌になる
そういう人たちは好きだから言ったり書いたりしているだけなのはわかってるけど
女の子ってだけでなんでそんな特別扱いしないといけないんだろう・・・と面倒くさい気分になる
美少女って言っても今の時代はどの作品も必ず美少女しかいないんだから食傷気味だし
それは正直イケメンもな
どうにも嫌っちゃいけない、可愛いと言わないといけない雰囲気があるように感じてしまう
自分の好きな男キャラに近づく女の子が嫌いなだけかな?って思ってたんだけどそうとも限らないと気づいた
過去を思い返してみると自分のいたジャンルでは女キャラ贔屓が激しかった
男性向けでもないのに過去いたジャンルが公式でもファン内でもそういう雰囲気が多くて男キャラは踏み台にされて・・・
そうは言っても嫌悪とまではいかないし、この子いい子で好きだなぁって自分の内では思うことあるんだけど周りが持ち上げまくってるのを
見るとなんか嫌になる