この言葉って、党派的な「当事者」が口にする言葉ではなく、無関係な「第三者」が口にして初めて成立する言葉なんだよ。
それを党派的な当事者が「自己正当化」、あるいは「予防線」のために口にするからキショいんだよ。
それがこの言葉を多用する人間に対する違和感の正体。
そもそも、ある行為が善なのか偽善なのか、はたまた悪なのかは、当事者が事前に決められることではない。
当事者が発する「やらない善より、やる偽善」というキショい標語は、当事者にとっての「信仰告白」でしかない。
その信仰による行為は、他者を含む社会によって事後に審判される。
ヒトラーもスターリンも麻原彰晃も、自分の行為を「やらない善より、やる偽善」と内心は思って遂行してたかもしれんだろ。
Permalink | 記事への反応(1) | 07:29
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善と偽善に差があるという発想がキモい 善だって主観でしょ