はてなキーワード: 披露とは
夫も私もアルコール飲んじゃったからこのまま泊まろうということになって、みんなのんびり過ごしてたんだけど、私は仕事が終わってなかったのでPC出して仕事してた。
そしたら少し酒が入った父が半分からかい、半分お説教のような感じで「お前、休みなのになに仕事ばっかりしてるんだ?(夫)さんによく離婚されないで済んでるなあ?」と言ってきた。
それまでも「(夫)さんに家事させて~」とか「ちゃんと主婦の仕事してるのか?」とかは言われてて、ハイハイと聞き流してたんだけど、なんかその時はプチッときてしまった。
「こっちだって好きこのんで休みに仕事してるんじゃないんだよ!でも(夫)みたいに残業し放題で全部終わってから帰ってくるんじゃなくて、コッチはどんなに仕事があっても5時きっかりに終わらせて保育園に迎えに行かなきゃいけないんだよ!そんで家のことやって、子どもたち寝かしつけて、そのあと睡眠時間削って残った仕事してるんだよ、それでも終わんないのをいま必死にやってんの!女は短時間で人より早く仕事終わらせて、家事もやって、子供の世話もして、休みの日は家族をもてなせって言ってんの!?こっちは子供4人育てるために必死に働いてるんだよ!お父さんの時代みたいに、長く勤めてりゃ勝手に給料あがってくような仕組みになってないんだよ今は」
後半泣きながら、そこまでまくし立てて、しまったと思った。最後のやつはさすがに言い過ぎた。
私の大声を聞いてきた母が、お父さん何言ったの、とりあえずもうお開きにしてください、ととりなしてその場は終わった。父がどんな顔してたかは怖くて見れなかった。
父は割と大きな会社で上の方まで行った人で、酔っ払うと大体現役時代の話になる。こんな仕事をした、こんな相手と取引した、みたいな。
夫は割とレガシーな会社で昭和な働き方をしてる人なので、いつもこの話を興味深げに聞いてる。
私はずっとIT系の会社で働いているけど、夫の転勤とか保育園に入れなかったりとかで何度も自分の意志に反して仕事をやめていて、本当に苦労して仕事を続けているので、この手の「強者男性同士の武勇伝を披露しあう」みたいな場が本当に嫌で、その場にいても他のことを考えたりしてやりすごしてた。
父の先の発言も、身内を落とすのがリップサービスみたいに思ってるだけで特に悪気はないんだろう。
それでも、なんかどうしても我慢できなかった。
翌朝起きて、キッチンで私と父だけになったタイミングで唐突に父が「昨日はごめん。本当に悪いこと言ったな」と謝ってきた。
どうやら誰かに入れ知恵された訳でもないらしい。それで、私も「私も言い過ぎた、すみません」と謝った。
なんか、たったこのやり取りだけで、積年の呪いが解けたような気分になってる。
我ながら単純だなと思うし私が働くのにツラい状況は1ミリも変わってないんだけども。
昔「サンドウィッチマンのオールナイトニッポン」でやってたわ。
2011年3月18日に当時のレギュラーだったAKBのピンチヒッターとして放送されることになった番組。
11日、番組収録中に気仙沼で被災。逃げ込んだ山から津波と火災を目の当たりにしてから1週間、東京に戻りあらゆる情報番組に出演、更に義援金を設立して
彼らはオールナイトニッポンの生放送に臨んでいた。
時報と共にショートコントで始まった番組は、1曲目から50TAを流し、時折シリアスなトーンになると富澤がボケを入れて緩和、意外に深夜ラジオらしいゆるい放送になっていた。
ただいつもなら「全国36局」と言うところを「全国の放送局を繋いで〜」と言っていたり、CMもあいさつ→オシム→子宮頸癌のACトリプルコンボだったので普段から聴いている身からするとやはり異様な放送ではあった。
それでもこの1週間、色んなパーソナリティが距離感と温度に悩んできた中、サンドは1番のびのびとトークを展開していて、私も1週間で1番気兼ねなく笑えていた。
東北放送のアナウンサーとの電話、被災地からのメール読みが続く番組の後半、会津若松のリスナーから1通のメールが届く。番組冒頭のショートコントで何故か涙が出てきたという文に始まり、2人や東北への熱いエールの後「頑張れ青森宮城岩手福島のみんな!ここまでハードルを上げたうえでもう1つコントをお願いします!!!」という完璧なフリをされ
伊達が「言ったらわかる?」と確認だけして披露したのが「ラーメン」だった。披露後彼らは「これが我々の仕事です」「泣いたってメールください」と続けた。
私の住んでいた地域は地震の揺れも感じられないようなところだった。ただ田舎だったからテレビに映る光景にはどこか見覚えがあって、そのうち大地震が来ると言われ続けている地域なのでなんだか苦しかった。でもそんなことを言う権利も無いと思っていた。電気も西側だったので自粛とかの匙加減もよくわからなくて、この実感できない異常事態に対してどう振る舞うのが正解なのかという気持ちが常に付き纏っていた。
でもこの番組では笑ったり、被災地の現状に耳を傾けて想像したりと2人のトーンに委ねて過ごすことができた。声以外何も情報が無いのに、無いからこそ、あの1週間見てきたどんなものより私の心に強く響いた放送となった。
9年の時を経て、サンドウィッチマンは幾分かフォルムが丸くなったもののあの日と変わらない姿で芸人として聖火到着式に参加し、聖火がつかないというお粗末な事態の場つなぎにあのラーメンのネタを繰り出した。
多分この9年間に相当な回数ラーメンネタをやっていると思うし、1回ぐらいは私も見てるのかもしれないけどネタの終わりに挟んだ「はい!オリンピック!」で当時の「はい!オールナイトニッポン!」を思い出し、当時のことを色々と振り返ると止まらなくなったので放送を再生しつつ書いてみた。
あの時はありがとう。
(やべー増田が増えすぎたため、今回から分割しています。→幕内)
(再投稿ネタを指摘する増田。複数人おり、微妙に仕事ぶりが異なる。たまに、彼らをおちょくるためだけに再投稿を繰り返す、暴走族のような増田が出没する)
(↑に毎回粘着する増田。最近は再投稿を正当化する声明まで発表している。この執念深さからして、こちらの方がよほど人を刺しそう)
(e-Sportsの話題になるとやってくる、個人攻撃が大好きな御仁。言わばeスポ版低能先生。界隈の有名人「バカボット(Bakabot)」と同一人物とされる。何度もBANされては垢を取り直し迷惑行為を続けるのも先生同様)
(やたらと人を富士山に登らせ滑落させようと企む増田。お前が滑ってるぞ。これもパリコレ増田と自称しているが、早速飽きて別のネタに移ったのか登場が減った)
(突然現れては規約違反を厭わずブクマカや増田のダブスタを暴こうとする危険人物。超長文で口も悪いが文章は相当キレッキレであり、ただものではない雰囲気を漂わせる。うっかり変なブコメをするとこれまた長い追記で晒されボコボコにされるため、全く油断ができない)
(こちらもうんちトラバへの抗議として「そうだね。うんちだね。💩」とトラバしていた粘着系増田。ただし「うんち」がキーワードに入っていないこともあり、放置されているうんちも多い。
最近はこのポジションを新参のミソジニー連呼増田に取られ、影が薄い)
(「おーん?」という語尾を使い、他人を論破しようとする増田。しばしば下ネタに走り、そのたびにドン引きしたトラバがつく。語尾は「ぱおーん」になることも)
(やはりストレートすぎる)
(車を負債とみなし叩く増田。出現頻度は低いが、一度出てくるとしつこく連投する。これも同じ主張のidと同名のツイ垢があるが活動停止中)
(回文になっていない回文から始まる増田。水曜日以外もすいすいようび。超長文だが日に二度以上の連投は行わず、概ね無害で愉快な存在。しかしあの文体とテンションは別の意味でヤバい)
(何度も消しては繰り返し投下され、ついにバズった釣り増田。もうこれ以上やるんじゃないぞ。ちなみに別バージョンもある)
(これまた不定期に投下される釣り増田。再投稿のたびに文章が微妙に改変されることがある。本人の投稿か他人のパクリかは不明)
(他人の投稿に「お大事に。」とだけトラバする増田。要は単なる「うんち」の亜種)
(「40歳以上はインターネットを使うな」と主張する増田。趣味は盆栽やゲートボールや登山、ボランティアしか許されないらしい)
(「そもそも日本は騎馬民族による征服者のトップであった天皇に従う者が~」という定型長文トラバを投下していた、今時珍しくノリが極左な増田。いつの間にか失踪しいつの間にか復活)
(同カテゴリー参照。名前からすると、消えそう・消しそうな増田を狙ってコピペしているのだろうか? ただ消えていない増田の方が多い)
(同カテゴリー参照。「小説家になろう」の某作者。ここには進捗しか書かないが、実はその進捗から特定可能だったりする。というかタイトルの時点で……。同様の増田に「Youtuber日記」なども)
(ついにnoteに進出した)
(名前の通りの増田。昨年の豪雨災害の頃から現れ、何かにつけて消費税廃止を訴えている)
(やたらに「。。。」「!!!」などと句点やその他の記号を連打し、連投とクソリプを繰り返した増田。8月以降は散発的な出現に留まる)
(下方婚増田を茶化すために「夏侯惇」の話ばかりしていた増田。9月以降はほぼ出現せず)
(そもそも今年に入ってから当該人物の名が増田で上がること自体ほぼない。飽きた?)
(『友達とバンドをやってる』というタイトルの釣り増田。何度も消しては現れる、この手のネタの元祖のような存在。今のところ2019年5月が最後だが、また忘れた頃に投下される可能性も)
(某ソシャゲの曲の歌詞をコピペし、死にたい増田を励ます増田。最近はめっきり現れない)
(姪とおじさんという設定の会話。今でもたまにブクマカがネタにするが、増田ではすでに廃れている模様)
(駅や電車のキモいサラリーマンを憎悪する増田。生きづらそう)
(増田をロシア語学習帳として使っている増田。最近投稿がない)
(富永創太なる人物や起業家.comを持ち上げるステ増田。後に大半の投稿が削除されたが、一部はそのまま残っている)
(オタク煽りが大好きな増田。ただし相変わらず似たようなノリの増田は多い)
(誰でも使えるダジャレを披露する増田。引退宣言らしきものが出たためこちらに掲載)
(いきなり現れては書き溜めたクソポエムを一度に垂れ流す厄介な人物。名前は自称。ポエムのくせに下品なワードが頻繁に混ざる、文章の末尾に「https://twitter.com/nn_name_n」なるツイ垢を記入するといった特徴がある。
現在は増田・Twitterともに投稿が途絶えており、はてブロやnoteで怪文書を量産している)
(トラバで市民ミュージカル(『コモンビート』というNPO)をしつこく宣伝するステ増田。ピースボートとかそこら系の組織らしい。本人いわくカルトではないとのこと。
安倍昭恵を担ぎ上げて、国を詐欺でだまくらかした諸悪の根源。経済犯で死刑は難しいのでとりあえず無期懲役で。
そんな反社の連中にほいほいと喜んでカモネギのごとく担ぎ上げられて、広告塔になってた安倍昭恵はアホだし、万死に値する。マルチ商法や詐欺的商法に担ぎ上げられた芸能人が謹慎したり芸能界での立場をなくしてるのに比べたら、反省のコメントも一切なく、処分が大甘すぎて急性高血糖で倒れるレベル。
こいつが背後で絵を描いて、森友学園が利益を得るように支持しただの関与したなんてのは絶対ありえない。私注目されてうれしい!とかの感情だけで動く乳児レベルなので、そんな大掛かりなことができるようなアタマを持っていないことくらい、医療大麻で騒いでた頃から皆わかってただろ。
妻の立場でやらかしたんだから、責任とって離婚して尼寺に座敷牢を作ってもらって一生そこに籠もってろ。
安倍晋三が絵を描いて、安倍昭恵の関わる森友事業に利益を誘導しようとしたなんてのもありえない。アホ妻を放置してたら、まんまと犯罪者に利用されてたのは保護責任者として重罪。ただし、あんなアホ妻でも成人なので、それを放置したからといって罪に問うのは難しいのがムカつく。危険生物を野に放った罪は認めろや。その罪によって首相辞任、議員辞職すべきかどうかは国民が決めるから。いくらほんとに関わってないからって、「首相辞任&議員辞職」なんて大層なエサをぶら下げちゃうから、安倍大嫌い民が忖度させた罪とかで大騒ぎして、籠池夫妻の詐欺と官僚の不注意による失敗への追及が弱くなってる。
(谷査恵子の所属が経産省だけど首相夫人付きになったときに所属とか変わってたら経産省じゃないね)
経産省「首相夫人は、好き勝手に担がれてるけど、他の省庁の人が止めてくれるでしょ。うちで止めて首相夫人、ひいては首相の機嫌を損ねたら面倒だしね」
文科省「経産省の職員がついてる首相妻が広告棟になってるんだから、経産省で素性はチェック済みでしょ。うちで止めて首相夫人、ひいては首相の機嫌を損ねたら面倒だしね」
財務省「いろいろ怪しいけど経産省と文科省がチェックしてるから大丈夫でしょ。うちで止めて首相夫人、ひいては首相の機嫌を損ねたら面倒だしね」
事件発覚後の三バカトリオの無様な言い訳は、もっとひどいんだけど、忙しいので後で追記するかも
このエサに食いつきすぎだよ。野党もマスコミも安倍降ろしばっかりに躍起になって、映像を何度も流したのが致命的にまずかった。ノイホイだの籠池が演説に押しかけて100万円返すだの、籠池の自宅に押しかけて珍説披露させたりだの、バラエティ番組レベルのクソ放送を延々と繰り返したのはもっとまずかった。国民だってバカじゃないから、首相がお友達に国有地バーゲンセールみたいなわかりやすい利益供与なんてあるわけないだろうって思うから、森友問題が扱われて籠池夫妻のクソヅラを見るたびに、倦厭感を覚えるようになってしまったのが失敗。
首相でもお友達に便宜を図れるのは、文科省のチェックを緩ませて加計学園を認可させる程度がせいぜいで、直接金が絡むようなら財務省で普通は止まる。
森友がこんな有様になったのは、首相夫人を担ごうとする大胆な詐欺師、まんまと担がれる首相夫人、他省庁任せのズボラで無責任なチェック体制、これらが絡み合って起こった事件なので、首相の関与への追及やら籠池の珍説披露に時間を費やしたのが本当に最悪
元増田の疑問に答えるには少々話が長くなる。と言うのもテレビの近代史に割と深く関わってるからだ。
実はコロッケ達の前に「先代の」ものまね四天王がいたんだ。所がそのうちの一人が愛人に刺されて命を落とした事で一気に黒歴史化した事で急遽コロッケ、清水アキラ、栗田貫一、そしてビジーフォーを新たな四天王に添えた。んでこいつらがそれぞれものまねに革命を起こす発明をしたんだ。例えば清水は鼻にセロテープ、クリカンはもしもシリーズ、ビジーフォーは人形を棒で操作するアレ(名前なんて言うの?)、そしてコロッケは背後から本人が登場、である。
美川憲一の「さそり座の女」を例によって大袈裟に歌っていると背後から本物が不機嫌な顔でやってきてコロッケが挙動不審になる姿が当時バズった訳だ。クスリで捕まって芸能界から消える前は男の娘、というか中性的な色気の美青年(かの三島由紀夫も惚れ込んだとか)だったが以降は「おネエのおっさん」と言うネタキャラとして再ブレイクを果たすことになる。
話をコロッケに戻そう。以降「デフォルメしまくり調子に乗る」姿と「怒られてキョドる」姿の落差が大きければ大きいほどウケる事に味をしめたコロッケのデフォルメがより大袈裟に、より不躾になるのは必然だった。これは俺の思い出話だが当時人気ドラマだった「教師びんびん物語」で田原俊彦の真似を披露した翌日の学校で女子全員が本気でキレてた程だ。
かくしてデフォルメものまねの第一人者となったコロッケだがここで誤算が生じる。「細かすぎて伝わらないモノマネ選手権」が放送開始されたのである。初回こそ手探り状態だったが第二回、次長課長の河本による「オメエに食わせるタンメンは無ェ!」で方向性が定まると以降「ディテールとリアリティーに拘る」コロッケとは真逆の芸風が主流になり若い人達もそれを観て育ってきたであろうからまあ要はコロッケが時代に取り残されたのである。
新型コロナの感染拡大で卒業式中止が相次ぐ中、3月頭にうちの大学も中止の決定を下した。学位授与も無くなり、学位記は郵送となる。
SNSでは同じように卒業式中止に嘆く声が多くあった。特に女子の悲しみは大きかった。
私も例に漏れず、知らせを受けた時はどうしようもないくらい悔しい気持ちになった。勢いに任せて天使にラブソングをの嘘字幕動画を作ったくらいだ。
7月に袴の予約会に足を運び、カタログを見たり試着したりして自分好みの着物を予約していた。高校生の頃から袴を着ることが夢だった私は当日が楽しみで仕方なかった。
髪の毛もヘアセットが出来るように伸ばした。
友人とも一緒に写真撮ろうねと約束していたし、友人の袴姿を見るのが楽しみだった。
しかし無くなってしまった。なんでどうしてと訴えたくても、元凶がウイルスでは怒鳴り散らそうがSNSで悔しさを訴えようが伝わらない。
長い髪は性に合わないので泣きながら2日後にヘアカットの予約を入れた。
次の日の朝にはレンタル業者にキャンセルの連絡を入れた。幸い私が予約したレンタル業者はキャンセル料なしの全額返金で、記念撮影のみのプランを検討しているとの事だった。
美容院に行き、卒業式が中止になってしまった事を伝えると「うわ〜やっぱり中止?残念やねぇ…」と言われた。
少し違和感を感じた。
Twitterでは「やって感染拡大したらどうしようも無い」「英断」「仕方ない」等ツイートされているのを見て心がモヤモヤした。
とある掲示板の卒業式中止に関するトピでは「まあ何十年か経ったらいい思い出になるよ」という書き込みを見つけ、今までモヤモヤしてた気持ちが一気にイライラへと変わった。
「残念だったね」「まあ仕方ないよ」「いつか良い思い出になる」等々、慰めのつもりでかけてる言葉なのは十分分かっている。分かってはいるが、そんな言葉で気持ちが落ち着くようなことでは無いのだ。少なくとも私の気持ちは落ち着かない。
この日の為に準備してきた事が全てパーになることは勿論、友人との最後になるかもしれない交流が無くなってしまったのだ。
確かに人生という長い目で見ればこんな事ほんの一瞬でしかないだろう。しかしこの瞬間は二度とないのだ。少なくとも私は一生悔しい思いをしながら生きるだろう。
部外者からの無責任な慰めの言葉にはいい加減鬱陶しさを感じている。
慰めで心が救われるならとっくの昔に救われている。しかしそれが効かないのが現状なのだ。
「それは残念だったね」と言ってウイルスが消えてくれたら良いかもしれない。卒業式が突如決行になったら喜ぶ。しかし所詮無責任な言葉でしかない。言っても十分な心の癒しにはならないし、ウイルスは感染を拡げるばかりだ。
今私が望むのは、そんな言葉をかける余裕があるのなら落ち着いてからでも卒業式を計画して晴れ姿を披露できるようにする事、それだけだ。
日本のフェミニズムが抱えている問題は複数あって、煎じ詰めれば「思想の善悪如何はともかく、その行動が全く効果的ではない」という一事に尽きる。
女性の地位向上。大いに結構。その、地位向上のためにある種攻撃的な手段を用いること、これまた結構。
しかし、攻撃的な手段を用いている割には、その効果が殆ど出ていないことに問題があるのである。
むしろ、結果的にそのような手段が、フェミニズムに対する周囲からの評価を下げてさえいるのが問題なのだ。
古来より女性は男性による抑圧を受けてきた。この事実を頭から否定することはできない。
例えば、近代イギリスの小説家サマセット・モームは、作品『月と六ペンス』の中でこう書いている。「女性は自分を殴る男性を好んでいる。むしろ、自分を殴ることのできない男性のことを見下しているのだ」と。
このような記述は、文脈的に言えば主人公のチャールズ・ストリックランドがタヒチを訪れた際に語られているものである。ここからは、モームがどのような立場で女性を一般化しようとしていたのかが読み取られ得る。
また、自然主義(人間の本質を虚飾なく描くことを目的とした主義思想)作家の大家である、近代フランスのエミール・ゾラが書いた『居酒屋』では、登場人物の男らが、まるで息をするように女性達を殴りつける描写が、散りばめられている。貧民層の現実を標榜した彼の作品においてもまた、女性に対する暴力が大いにクローズアップされている。
このように、国の内外を問わず、女性に対する男性からの暴力というものは散見される。流石に、このような状況は現代において相対的に改善されているものの、未だどこかしらに不満を残す女性がいることに不思議はない。その女性らが、自らの権利を向上するための運動を行ったとして、何の不思議があろうかとも思う。
問題は、それらの行動が評価を得にくいこと、あるいは、フェミニズムの評価を落としていることである。それらの行動の多くが、効果がないどころか逆効果であるという点である。
具体的に、何故そのような問題が発生しているのか?
以下に論点を纏めていく。
古代ギリシャの劇作家アリストファネスは、自身の著した喜劇『女の平和』にて、女性らのセックスストライキを描き出している。
女性達が、「そんなに戦争が好きなら、私達を抱かなくとも大丈夫なんだね?」
と、戦争反対のため断固セックスを拒否する痛快さ。このような鮮やかさは、現代人にさえ快い衝撃をもたらすものである。
女性の最大の魅力は何か? それは性である、とアリストファネスは言う。
このような言説は当時のギリシャ男性においてのみならず、近代のフェミニストらにも見られる。
女性が短いスカートを履くこと、自身の魅力を以て大いに社会に地位を占めること――その権利を回復せねばならないということ。それを目的として、20世紀のフェミニストらが声を張り上げていたことは言うに及ぶまい。
イランのごとき保守的な国家においては、女性が人前に出る際には目元を除き身体をベールで覆う必要がある。そのような規則が女性の利益を担保しているのか、損なっているのか、議論の難しい点には違いないが、現代においてはそのような保守的傾向の多くが拒否されている。女性らは、身体をベールで覆うことを一般的によしとしない。
女性が獲得した権利はそこに見られる。つまり、性の発露である。
性はそれまで女性の自由にはならなかった。構造主義の先駆者とされるレヴィ・ストロースは、「女性は男性らの所有物であり、婚姻という形で交換が行われた」という意味の主張を行っている。彼に対する当時のフェミニストらの批判は推して知るべしだが、女性の婚姻が父権的立場にある人間によって執り行われることは多く存在していた。そういう意味で、女性にとって婚姻も性も自由とは言い難かった時代が存在していたのである。
自身の性を管理し行使する権利が、婚姻の不自由によって制限されていた時代があったことは、間違いない。この文脈に沿って言うならば、間違いなく女性の権利は現代において拡張されたのである。
とは言え、問題はこの延長線上にある。
女性が自身の身体的魅力を大いに利用すること、それはアリストファネスの喜劇に見られるように、女性の自由を支えている。そこには、フェミニズムと密接に関係する女性の権利の実現が確認できる。
しかし、昨今、この身体的な魅力を大いに活用することは、「性的搾取」に繋がることが指摘されている。
相対的な性の解放が、性的搾取に繋がること、これは表裏一体の問題と言える。
当然、女性が社会進出をする上で、女性が自身の性を政治の手段として用いることには、危うさが秘められている。
そのような危うさをして、現代のフェミニストらは「性的搾取」の大号令を行う。
これらの分野における女性の露出が性的搾取の危険を秘めている、と現代のフェミニストらは声を揃える。そこには危険があり、権力の影がある、と。
女性がスキームとして用いる性が、危機的な結果に繋がっている。ここでどうするべきなのか?
政治家の大多数が男性であるこの社会において、支配者と被支配者の対照は、男性と女性という対照を想起させる。
男性は狡猾である――多くの女性の思う以上に――男性は狡猾である。男性は暴力を行使することができる。端的に言って、男性の筋力は女性に勝り、悪しき意志が備わりさえすれば、女性の尊厳を根本から損なうことを可能とする。恐らく、文明以前の原始時代においては、男性はこれらの暴力を非常に効果的に用いてきた。そこには、ある種暴力の弁証法とも呼ぶべき歴史があった。例えば、あるコミュニティとコミュニティが衝突する――。一方が敗北すれば、その敗者側のコミュニティに属していた女性は、勝者側に所有されることとなる。多くの場合、そこにおいて女性の尊厳が考慮されることはない。
昆虫や動物らに見られる、コミュニティとコミュニティの争いや、イスラム国による女学校の襲撃を思い出して頂ければ、上記の言説の正しさは容易に担保されると思う。
男性は狡猾であり、暴力性を有史以来、あるいは以前において大いに活用してきた。
勿論、現代においても男性による暴力が根絶されたわけではない――とはいえ、その状況は改善されている。暴力には法が対応する。無論、適切な対応が成されない場合は存在するが、少なくとも有史以前に比べれば状況は好転している。
その進歩の影には、恐らく全ての心ある女性と心ある男性の尽力があったことだろう(思うに、倫理を生み出すのは常に狂気じみた努力である)。
人類は持てる限りの理性を用い、公私において倫理を整備してきた。
我々は持てる限りの能力を用いてきた。そこに、女性の尽力が関わっているのは間違いあるまい。
それは、女性が何かを望む際に、その実現を助ける能力になり得る。例えば、意中の人と結ばれる際にその能力は大いに役立つ。
性的魅力は疑いなく女性の能力である。女性が自身の尊厳を担保し、増進させるために、その能力は用いられ得る。
しかし、その能力を女性自身らの尊厳の為に活かすことと――それと、男性(や女性)によって、その能力が利用されること――とは二律背反となっている。
近代において、女性の魅力や能力が、適切に用いられることをフェミニストは願ってきた。しかし、ここに来てその努力は一つの壁にぶち当たることとなる。
例えば、大きな胸を強調したポスター。女性の魅力が強調されてはいるが、不適切な方法で強調されているのではないか――そういう議論が起っている。
女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取である、と人は言う。
この命題は決して間違っていない。「女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取である」。決して、この命題は間違っていない。
とは言え、ここが言わばロドスである。
女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取となり得る。
勿論それはそうだ。とは言え、そこには議論の錯綜するポイントがある。
まず第一に言えるのは、女性の魅力の発露=性的搾取といった、シンプルかつ誤謬を招く等式が発生し得ることだ。
女性が何らかの能力を――この場合には性的魅力を――社会において発揮すること。その能力を発揮することにおいて、何らかの報酬を得ようとすること。それ自体は悪ではない。
自分の能力への対価として報酬を貰うことは、多くの場合善悪とは関係ない行為である。
例えば、女性の高く伸びやかな声、時に力強い声。歌手はそれを披露する。
例えば、ダンサーは時に挑発的に、曲線的なラインで身体を躍らせる。挑発的に、攻撃的に。
絵画において、裸婦は笑う。裸婦は草原に寝そべり、微笑んでいる。
これらは全て、(努力などによって獲得された)肉体的魅力を発揮する行為に他ならない。当然のことながら、これらの行為をして悪であると断ずることはできない筈だ。とは言え、それらの魅力や能力の発揮が、「搾取」に繋がると人は言うのである。つまり、その行為は翻って女性の地位を貶め、最終的には女性全体に対する不利益を導くものだ、と叫ぶのである。
例えば、女性歌手が楽曲を作り、歌う。彼女は、男性への恋心を叫ぶ歌謡曲を作り、歌う。その曲を批判して、「媚びている」と誰かが叫ぶ。
「媚び」はこの場合、不自然に女性の立場を貶める行為であり、最終的な女性の不利益を招く行為を指している。端的に、それは搾取の対象であると、誰かが指摘する。
例えば、写真家が女性の写真を撮る。彼女は、頬杖を付きながら、気だるげに微笑む。その写真を批判して、「媚びている」と誰かが叫ぶ。
例えば、
例えば、例えば、例えば――
女性が魅力を発露すること、それが搾取の対象になり得るということ――それは必ずしも同じではない。しかし、そこには矛盾がある。女性の尊厳を担保し、増進するために、魅力が用いられること。そのような魅力が搾取の対象とされてしまうこと。
女性が能力を発揮すれば、それは女性全体の利益を貶め得ると誰かが叫ぶ。
能力を発揮すれば、誰かがそれを利用し搾取すると、その誰かは叫ぶ。最終的には、女性全体の立場は貶められ不利益に帰着すると、その誰かは指摘する。
これが、フェミニズムがソフィスティケートされた結果なのである。それは、端的に矛盾である。
カメラに向かって微笑みかける誰かの存在を、「性的搾取」であるとし、それがゆくゆくは女性全体の利益を損なうと指摘する――。
このような言説には致命的な混乱が含まれていると言って差し支えないだろう。近代のフェミニズムによって獲得された、女性が自身の能力や魅力を自身の権限によって行使する自由は、ここにおいて壁にぶち当たっている。
能力を発揮することは搾取に繋がる。能力を発揮してはいけない。
このような論理は、一般的な男女を納得させるに足る論理であろうか?
勿論それは不可能である。フェミニズムは矛盾にぶち当たっている。
そして、その矛盾を解消し得る論理が未だに発見されていない現在――少なくとも、フェミニズムの論理が一般的な男女を――あるいは当事者であるフェミニスト自身らさえ――説得できる状況にない現在。思想としてのフェミニズムは大きな困難に直面していると言わざるを得ない。
結局、フェミニズムが直面している矛盾を、フェミニスト自身らが解決できていない状況において、その混乱を抑えられていないのが現状と言えよう。
その混乱のさなかでは、到底周囲の人々を納得させ得る行動など、示せるわけがないのである。
昨今のフェミニズム運動の空虚さ、反感のみを招く徒労さはそこに根を置いている。これまでに獲得してきたものと、これから獲得しようとするものとの間に生じる矛盾――その矛盾を解決することなくして、現代のフェミニズムは正しい舵取りを行うことなどできない。
結論としては以上となる。
せっかくなのでなんか書いてみる。ツラツラと
僕が昨日見た夢の話、ほどツマラナイものはない、聞かされる方は時間の無駄。
面白くない理由はリアリティがなく属人性の強いフィクションだからで。
現実に遭遇した出来事をわざわざ「夢で見たんだけど」とマクラ付けて披露するとウケ無い。
逆に夢で見た話をさも現実のように語る人もいるが、そこそこウケる。
百冊のサスペンス本の感想文よりも、実生活でヤクザに追いかけられて逃げ延びた話の方が面白い
ヒューマンドキュメンタリー映画を何本も見るよりも自分の足で途上国のスラム街を歩きなにを感じたか自分の経験を自分の口で語れる人間の方がかっこいい。
なにが言いたいかって、なんとなく増田の経験力不足を感じるんだわ。
真面目な人なんだろうけど。
なにを経験すべきか、あるいは自分の人生には無用だと排除してしまう線引が厳しいような。
好奇心はあってもリスク評価で行動が抑制されちゃう人。みたいな。
この人もっと知りたい、とか
この人は頼れそう、みたいなオーラも醸し出せない。
そこいらを見直してみてはどうだろうか。
いわゆる殻を破る
ともかく、なんかわからんが、
綺麗に生きようとしてんじゃねぇよ
と言いたい
まぁでも頑張れ
女に振られたくらいでいじけるな
あと、話に困った時は「目玉焼きは醤油?ソース?」みたいなのでいいんだよ。難しく考えるな。
ともかく、普遍的に話が繋がりやすい定番ネタみたいなのを自分の中で一つ持っとくと良い。
同じネタでも何十回もやってりゃ慣れてパターン化して磨かれてくる。
繰り返せば、どのタイミングで挿入するか、どうやって話を広げるか、どういう応答する人と相性が良さそうかとか、ノウハウが見えてくる。
ビートたけしだって困った時はいまだにコマネチ、半世紀やってる。
三谷幸喜好きみたいけど、彼はバナナで30年だ。いいんだよそれで
エラソーで悪いけど、思ったことを書いてみたよ。とりとめなく、
でも目玉焼きは使うなよ、俺のだから。20年使ってんだ。特許料払え
ちなみに三谷幸喜とバナナと言えば俺の記憶で一番古いのはやっぱり猫が好き、なんだが、念の為に調べたらバナナの話は三谷作じゃねぇのな。いや、別の話でバナナ使ってたハズ、確か耳にバナナ、少なくとも次作、子供欲しいね、でもバナナを使ってた。ハズ。たぶん。三谷は困った時はバナナに頼る。
「やっぱり猫が好き」ファーストシーズン当時既に童貞ではなかった人の話だから許してくれ。
まとめると
出会った相手をリスペクトして、誠実に接して、見返りや同質は求めず、そうやって生きてりゃいいこともある
しらんけど、たぶん。人生楽しめ
サクセスストーリーがわかりやすいのはいいのだけど、ブレイク芸人が出てくるとすぐに過去の苦労話ばかりし始めて見ていて辛くなる。
その中でも本当にやめてほしいのは、昔ワルでした系のエピソード。
いたよ。学校に。人にひどいことしておいて、それを笑いにかえてる人気者。
静かに目立たないように学校生活を送っていたいのに、わざわざちょっかい出してきて自分の人気のために消費するだけのやつ。
おいしいってなんだよ。こっちは毎日どれだけストレスになってるかわかってんのかよ。
芸人の不良時代の写真とか見るだけであのときの胃酸の苦味が喉の奥に蘇ってきて、それ以降その芸人では一切笑えなくなる。
そうじゃない芸人もいるけど、確かに苦労してるなとは思うんだけど、半分以上はただのクソ野郎だよな。
真面目に働くことを放棄しておいて、金にもならないことを何年も続けてましたとか、ずっと彼女に苦労かけてきましたとか。
アリとキリギリスでキリギリスがいきなり金持ちになって南国で越冬する話なんて誰も面白いなんて思わないだろ。
そういうエピソード系の番組なら仕方ないけど、バラエティのちょい役で出たときに急にねじ込まれる過去エピソードとか避けようがない。
頭でわかっていてもこの人はそういう人だったんだと分類されてしまえばもう二度とその芸人では笑えないし、思い出したくもない記憶が刺激されてつらい思いしかなくなってしまう。
なんで?とりあえず病院へ行け
リスク説明すると謎の勢力がゼロ防御を披露してくださるだけだから今まで通りでいいぞ
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/iryou/rinsyo/index_00010.html
楽しみにしていたライブもイベントも全て中止・延期になってしまって
この引き篭もり期間に何をするかっていうと、
まあ、
ですよねえ……
わけあって、元推しの新しいライブ円盤が届いて、それをずっと見ているんですよ
どっちも若手寄りの声優で、某アイドル作品で共演しているんですよね
で、
元推しは、作品以外でもユニットを組んでCD出したりライブやったり、
去年の今頃、今推しを追いかけたい、って強く思うきっかけがあって
入れ替わるように、4年追っかけた元推しを降りました
前から複数推しオタクの気質があって、二人追っかけるつもりだったのにね
1年間、今推し追っかけて、
って書いてあったんです
この1年、今推しが大好きで大好きで、降りたこと一度も後悔しなかったのに
すごいね
あのときより上手くなっているのかな
なんか、あー私、この人のこと大好きだったんだな
って初めて、降りたことをなんか、寂しく思っちゃって
後悔とは違う気がするし、
でもなんか、降りたんだな……って実感?
好きだったんだよな……
作品のライブ見ているときは「世界一好きな担当!!!!!!!!!」って気持ちで見ているから、
「降りた元推し」って自覚で見るこの声優ユニットのライブがとてもつらい
つらいししんどいし泣きそうなのに、
ずっと見ちゃう
なんなんだろう
ずっと楽しみにしていたイベントが中止になったりしなければ、
わかんない
でもやっぱり、いつか、すごく上手くなった元推しのお芝居を見て、降りたこと後悔したいな
余談ですが、
今度、とあるラジオ新番組で今推しと元推しの共演が決まってしまいました!!!
縁というか呪いというか、
約1年ぶりに、某アイドル作品以外で元推しの現場に行ってきます
(というかこのイベもコロナのせいで開催できるか不明瞭ですが!!!!!!しにてえ!!!!!!!今推しに会いたいからやってくれ!!!!!!!!)
保育士グラドルの姿態は心理的虐待(田中俊英) - 個人 - Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/byline/tanakatoshihide/20200225-00164618/
この記事。
消えちゃってるのでやり玉に挙げられたDVD紹介記事の方もリンクしときます。
擁護多いが、リンク先見ると、保育士設定で園児に脱がされたり園児の父と絡むストーリーの動画で、実在の園児に触られるエピソードまで語ってた。単なる兼業グラドルならともかく、これは保育士の仕事踏み台にしすぎ
ダブルワークで片方の仕事の経験や肩書をもう片方に生かすことの何が悪いのか。
いたって当り前のダブルワークの強みを生かしてるだけ。
片方をもう片方に生かすことは「踏み台」なのか。
お答えください。
保育士かグラドルかその両方の職への偏見を持ってないと成り立たない論理に見えるけど大丈夫?
あと、「単なる兼業グラドルならともかく」って言い方から見るに、単なる兼業グラドルでも本当は適切じゃないというお気持ちっぽい。
そこもなんで適切じゃないのか説明してほしいナ。
やり過ぎって何?
具体的に言ってほしい。
はしたない?
けがらわしい?
うわあもうグラドルに対してもAV女優に対しても蔑みのお気持ち満点ですよね。
リベラルぶりながらちょっと油断するとこういう差別丸出しコメントに星が集まるからほんとはてな民は頭悪い。
「年長さんの子には逆に「触っていいよ」と追いかけると逃げる」え、これ合法なの。
2020/02/26
年少の子は「やめてね」といえば素直にやめるけど
年長の子はそうではないので逆に「よーし触ってええぞ」と追いまわしたらお触り癖が治る
という保育士の知見を披露してるだけだったけどちゃんと読めてんのかな。
自分の体を触らせようと年長の子を追いかけてからかうのはやめて。恥ずかしがらせて遊ばないで。スキンシップの方法は他にもあるでしょ。宣伝のために大げさに言ってるのだろうが気になった。
保育園のエピソードとして「触ってくる園児が多いんですよ。そういう時は「止めて!」って言います(笑)。年長さんの子には逆に「触っていいよ」と言いながら追いかけると逃げるんですよ(笑)」と明かすなど、園児にも大人気のようだ。
こうよ?
"触っていいよ」と言いながら追いかけると逃げるんですよ(笑)"←これは男性保育士が言ったらダメ感が分かりやすくなるやつだよね…つまりダメ
ふざけて金的やカンチョーとかしてくる子供(男性にもそういうセクシャルないたずらしてくる子は普通にいる)に
「よーしじゃあもっとやれ!」って追いかけまわすみたいな話でしょ。
単純にこっぴどく怒るよりも自分で「セクハラは恥ずかしい気まずいことだ」と感じさせる方が
性についてへんなトラウマにならずに躾られるという気遣いでしょうがよ。
つーかそもそも普通、保育士の体験談をそんな変な意味にとるか?
グラドルというもう一つの職業に対する偏見が読解力をゆがめてません?
仮にこの江藤というグラドルが映像ソフト内で痴女みたいなキャラを演じてるとしても
ねー。
なんだかんだグラドルみたいな仕事の女を見下してんだなーってのがよくわかる。
グラドルなんかやってるハシタナイ女は子供に悪影響だしセクハラして楽しんだりしてそうだと。
叩いてる人達こそグラドルや女性保育士に対する偏見がきつくね?
仮に読まずに叩いてこうなってるんでもやっぱり偏見が相当出てるよね。
子供を盾にする論調は基本信用できない法則/園児が傷つくとしたら周りの悪い大人が先生はこんな悪い事をしてると吹き込んだ場合では
だよねえ
まさにこのブコメの指摘するような、
はっきり口にしないけど明らかにグラドルを「悪い仕事」と思ってないと出てこないような批判ばっかだよねえ
「リスペクトがない」っていうのはセクシーな映像ソフトに使うことが?
なんでリスペクトがないと?
え、じゃあグラドルがダブルワークの職を生かすこと自体がそのもう一つの職の尊厳を貶めるってこと?
プロの保育士がガキのセクハラ矯正法として語ってるのに知見でないとは一体。
グラドルやってるようなふしだらな保育士の言うことだから知見とはいえないってことっスかあ?
まあ一旦「セクハラだー!」って叩いちゃうと引っ込みつかなくなるんだよね。
この人だけじゃない。
"触ってくる園児が多いんですよ。そういう時は「止めて!」って言います(笑)。年長さんの子には逆に「触っていいよ」と言いながら追いかけると逃げるんですよ(笑)" / ああそういうことか。なるほど。
中国以上にコロナウィルス蔓延る日本にいる、オレ、ま・す・だ(ラップ風に読んでいただけると幸いだ)
パンダ増田ちゃんな・・パンダ増ちゃんな・・パン増のわいは・・・中国いきたかったんよぉ(涙で崩れ落ちる。山ちゃんはやめへんでな感じで読んでみようか!)
はーい、ちゅーことで、このウィルス蔓延る大地・日本に残ったわいはコツコツ作業したで。
【実写編】
永明さん
彩浜
画像荒く判定不可
リーリーかなぁと思ったのだけどリーリー違う気がする。答え求む。
なお、今のところ良浜、桜浜、桃浜、お嬢様のアイコンを発見できませんでしたわ。
桜ちゃんなんて超美パンなのに・・。お前ら見る目なしかよ!がっかりだよ。まん丸お耳にまん丸のお顔を地で行くパンダや。
以下、はてながあまりに実写パンダ愛がないのでイラストやぬいぐるみなども集めた
【ぬいぐるみ】
b:id:cot-not(紙)
【イラスト】
b:id:kaworry (画像が粗い)
【3D】
パンダアイコン探しの過程で見つけた可愛いアイコン披露しちゃおうとか言ってもすでにいるわけだが・・
【犬】
deris可愛いよ、deris!増田の御法度再投稿で犬アイコンは気が向いたらまとめるよ!
【鳥さん】
大熊猫だよ
バカヤロウ
ずーっと猫の話してんだぞ!
ビッグ猫
ニャーン
https://twitter.com/manriki/status/1230357141908705280
まんりき
@manriki
·
4時間
返信先:
@manriki
さん
じゃあなんで戦国時代でも人柱を立てるかっていうと、我々が神社のおみくじなんてなんの根拠もないけど100円だし一応引いとくか、と思うその100円と同じ程度の価値しかその生命に認められてない人たちがいたから。そんな糞食らえな当時の価値観今更呼び戻しても仕方がない
で、今更呼び戻さないために人柱を萌え化した幽霊キャラ(+お付きの人魂みたいな犬と猫の霊)いりのお城祭りポスターはどうしますか、っていう話だろ
なんかもうどうでもいいとこでドヤ顔したいために知識披露しだすのちょっと前の増田みたい
単なる誤爆にしても・・・どうみても言うべき先が逆陣営じゃね?
さすがツイアホさんなにいってるかさっぱりわからん
絵がああいう様に描かれるのはネット時代の構造的に仕方のない問題です。
ネット時代になって絵にはいいねが付くようになりました。人に刺さる絵ほどたくさんいいねが付きます。
そして、性欲ってのは最もお手軽に人を刺せるモチーフな訳です。
だから、性欲を喚起するような絵がネットにはたくさんあふれている。R18とかじゃなしに性欲を喚起するような表現がどんどん開発されていきます。
さらにその表現は瞬く間に広がり、特によく考えずにその表現を絵に盛り込んでいく絵描きも少なくありません。だってそう描かれてる絵がたくさんいいねされてるんだから真似するわけです。
そうしてどんどんいいねのために描かれたエロい萌え絵が量産されていくわけです。毎日が性欲開陳祭りです。
しかし絵を描く人だけでなく絵にいいねをする人も毎日のように性欲をネットで開陳している。これ、恥ずかしくないんでしょうかね?本人たちは。