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2020-03-22

サンドウィッチマンが聖火待ちでコントやってたけどさ

あのラーメンネタ、どこかで聞いたことあるなと思ったら

昔「サンドウィッチマンオールナイトニッポン」でやってたわ。

2011年3月18日に当時のレギュラーだったAKBピンチヒッターとして放送されることになった番組

11日、番組収録中に気仙沼被災。逃げ込んだ山から津波火災を目の当たりにしてから1週間、東京に戻りあらゆる情報番組に出演、更に義援金設立して

彼らはオールナイトニッポン生放送に臨んでいた。

時報と共にショートコントで始まった番組は、1曲目から50TAを流し、時折シリアストーンになると富澤がボケを入れて緩和、意外に深夜ラジオらしいゆるい放送になっていた。

ただいつもなら「全国36局」と言うところを「全国の放送局を繋いで〜」と言っていたり、CMあいさつ→オシム子宮頸癌ACトリプルコンボだったので普段から聴いている身からするとやはり異様な放送ではあった。

それでもこの1週間、色んなパーソナリティ距離感温度に悩んできた中、サンドは1番のびのびとトークを展開していて、私も1週間で1番気兼ねなく笑えていた。

東北放送アナウンサーとの電話被災からメール読みが続く番組の後半、会津若松リスナーから1通のメールが届く。番組冒頭のショートコントで何故か涙が出てきたという文に始まり、2人や東北への熱いエールの後「頑張れ青森宮城岩手福島のみんな!ここまでハードルを上げたうえでもう1つコントをお願いしま!!!」という完璧なフリをされ

伊達が「言ったらわかる?」と確認だけして披露したのが「ラーメン」だった。披露後彼らは「これが我々の仕事です」「泣いたってメールください」と続けた。

私の住んでいた地域地震の揺れも感じられないようなところだった。ただ田舎だったかテレビに映る光景にはどこか見覚えがあって、そのうち大地震が来ると言われ続けている地域なのでなんだか苦しかった。でもそんなことを言う権利も無いと思っていた。電気西側だったので自粛とかの匙加減もよくわからなくて、この実感できない異常事態に対してどう振る舞うのが正解なのかという気持ちが常に付き纏っていた。

でもこの番組では笑ったり、被災地の現状に耳を傾けて想像したりと2人のトーンに委ねて過ごすことができた。声以外何も情報が無いのに、無いからこそ、あの1週間見てきたどんなものより私の心に強く響いた放送となった。

9年の時を経て、サンドウィッチマンは幾分かフォルムが丸くなったものあの日と変わらない姿で芸人として聖火到着式に参加し、聖火がつかないというお粗末な事態の場つなぎにあのラーメンネタを繰り出した。

多分この9年間に相当な回数ラーメンネタをやっていると思うし、1回ぐらいは私も見てるのかもしれないけどネタの終わりに挟んだ「はいオリンピック!」で当時の「はいオールナイトニッポン!」を思い出し、当時のことを色々と振り返ると止まらなくなったので放送再生しつつ書いてみた。

あの時はありがとう

芸人でいてくれてありがとう

 
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