2020-03-16

慰めの言葉が鬱陶しい

新型コロナ感染拡大で卒業式中止が相次ぐ中、3月頭にうちの大学も中止の決定を下した。学位授与も無くなり、学位記は郵送となる。

SNSでは同じように卒業式中止に嘆く声が多くあった。特に女子の悲しみは大きかった。

私も例に漏れず、知らせを受けた時はどうしようもないくらい悔しい気持ちになった。勢いに任せて天使にラブソングをの嘘字幕動画を作ったくらいだ。

7月に袴の予約会に足を運び、カタログを見たり試着したりして自分好みの着物を予約していた。高校生の頃から袴を着ることが夢だった私は当日が楽しみで仕方なかった。

髪の毛もヘアセットが出来るように伸ばした。

友人とも一緒に写真撮ろうねと約束していたし、友人の袴姿を見るのが楽しみだった。

しかし無くなってしまった。なんでどうしてと訴えたくても、元凶ウイルスでは怒鳴り散らそうがSNSで悔しさを訴えようが伝わらない。

長い髪は性に合わないので泣きながら2日後にヘアカットの予約を入れた。

次の日の朝にはレンタル業者キャンセルの連絡を入れた。幸い私が予約したレンタル業者キャンセル料なしの全額返金で、記念撮影のみのプラン検討しているとの事だった。

美容院に行き、卒業式が中止になってしまった事を伝えると「うわ〜やっぱり中止?残念やねぇ…」と言われた。

少し違和感を感じた。

Twitterでは「やって感染拡大したらどうしようも無い」「英断」「仕方ない」等ツイートされているのを見て心がモヤモヤした。

とある掲示板卒業式中止に関するトピでは「まあ何十年か経ったらいい思い出になるよ」という書き込みを見つけ、今までモヤモヤしてた気持ちが一気にイライラへと変わった。

「こいつら他人事からって適当な事言いやがって」と思った。

「残念だったね」「まあ仕方ないよ」「いつか良い思い出になる」等々、慰めのつもりでかけてる言葉なのは十分分かっている。分かってはいるが、そんな言葉気持ちが落ち着くようなことでは無いのだ。少なくとも私の気持ちは落ち着かない。

この日の為に準備してきた事が全てパーになることは勿論、友人との最後になるかもしれない交流が無くなってしまったのだ。

かに人生という長い目で見ればこんな事ほんの一瞬でしかないだろう。しかしこの瞬間は二度とないのだ。少なくとも私は一生悔しい思いをしながら生きるだろう。

部外者から無責任な慰めの言葉はいい加減鬱陶しさを感じている。

慰めで心が救われるならとっくの昔に救われている。しかしそれが効かないのが現状なのだ

「それは残念だったね」と言ってウイルスが消えてくれたら良いかもしれない。卒業式が突如決行になったら喜ぶ。しか所詮無責任言葉しかない。言っても十分な心の癒しにはならないし、ウイルス感染を拡げるばかりだ。

今私が望むのは、そんな言葉をかける余裕があるのなら落ち着いてからでも卒業式計画して晴れ姿を披露できるようにする事、それだけだ。

  • その憎悪はアべにぶつけよう!自民反対!政権打倒!

  • 311で大学の卒業式吹き飛んだ人間だけどわりとすぐどうでもよくなった もともとそこまで思い入れ持ってなかったけど

  • 美容師さんが卒業式を行うわけじゃないし…。どういう反応が返ってくると思って伝えたんだろう。そう言うしか無いよね。 どうにもならないことだからこそ慰めが必要なので、八つ当...

  • そのまま思い出にとらわれて不幸になっていきなよ

  • 犯人はおまえだったのか、ゴン…

  • どんまい!

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