はてなキーワード: 惨敗とは
めちゃくちゃ長いよ。
本人にバレたら私が死んじゃうから所々濁して描くね。
私は自分が世間的に見てもかなり絵が上手い方だと思う。オリジナリティーも意識してるしぶっちゃけセンスあるし。
でも最近、学生時代のお友だちと比較しちゃって、考えることが多くなってきた。嫉妬ではないけれど少し引っかかるものがある。自分でも分からない。それがなんなのか教えて欲しい有識者。
幼稚園・小学生のころから何かしら描いてた。1年に1作品は必ず選ばれたり、市のポスターになったり実績はあったから同世代の子の中でも自信があった。
中高も美術部で鉛筆画デッサンをやりつつ、デジタルでイラストを描いてた。もう学力を全て犠牲にして絵を描いてた。
んで、その時に私が誘って美術部に入った友だちがいた。その子は絵が上手い、というよりもどんどん絵が上手くなっていった。それでも私は、私自身の絵に自信があったから特に何も思わなかった。むしろ推しキャラを描いてくれるのでありがたかった。ノートの切れ端のラクガキすらも貰ったものは全部大切に保管してるよ。大好き。
しばらくしてお互いにTwitterを始めた。イラストを描いたり漫画を投稿したりする趣味垢。
結論から言うと私はTwitterに向いてなかった。他人からの評価にドキドキするし、人間関係も微妙だし、社会人に紛れ込むのも苦しくなって色々あってとても疲れて今ではpixivに一本化した。一方、友だちはTwitterでマイペースにやっていた。そのうちに有名で大好きな絵師と相互になって喜んだりもしていた。ここ最近は特に勢いがすごい。4桁いいねを安定してもらったりしているのも見た。「これは私には描けないな、負けたな」って思うイラストが増えた。私がその子の作品を表現できないように、その子も私の絵を描けないのはわかってる。いいねとかRTとか評価云々はどうでもいいんだ。
昔から友だちが絵に対して私を意識してるだろうなぁ、と感じている。これは自意識過剰ではない絶対の自信がある。例えば、友だちの絵が私の絵の描き方にとても似せている時がある。例えば、中高時代に行われた絵や漫画のコンクールで私は一度もその子に負けたことがない。例えば、その子に教えていない私の絵垢を鍵リストにぶち込んでいるのを知ってしまった。例えば、私が絵をネットに挙げた後は必ずその子の創作頻度が活発になる……など。お前もネトストしてるじゃんかって?ご名答。お互いに意識してるんだと思う。
つまり、私はその子に現実的な実績では負けたことがない。負けたら発狂してたと思う。その子への嫉妬で狂っていたかもしれない。
もし大賞発表の時その友だちが横で1位の賞状を握って喜んでいたら……もし、名前を呼ばれた友だちがステージに立っているのを暗い客席から見ているだけだったら、、と想像したら私には耐えられない。拍手なんてできない。心から「おめでとう」って言えない。絶対悔しい。絶対震えて泣く。でも泣くのもバレなくない。仲良く出来ないかもしれない。
では友だちはその時、どう思っていたのだろう?横で何を感じていたのだろう?最近それが気になる。とてもいいやつで、サッパリしているやつだから気にしてないかもしれない。
幸い、もう別々の道に進んだから直接的に競い合うことは無くなったけれど、私は怖くてTwitterの創作アカウントを作れなくなった。と思う。作ったとしても何も知らない時のように楽しく自由に運営はできない。友だちには絶対に見て欲しくない。見つけて欲しくない。もし数字で惨敗する姿を見られたら、もし私の絵を見て「ああ、これくらいか」って思われたら嫌で気になって仕方がなくて、いくらか反応をもらっても、友だちもこのアカウントを見てるんじゃないかってビクビクしちゃってすぐ消しちゃう。
評価じゃないのは分かっているけれど、いいね数やRT数で差が出たらどうしよう?その子は絵を挙げたら安定して稼げるようになっている。FF比も1:20くらいでフォロワー数も多い。なのに私が頑張って描いた絵に閑古鳥が鳴いてたらどうする?閑古鳥なんて鳴く前に殺してしまえ。
だから私は一人で黙々と描いて、溜まったらたまにpixivに挙げるだけだ。それも嫌になったり気分じゃなくなったり、逆に嬉しいコメントやスタンプをもらって満足したらすぐ非公開にする。
怖い。絵に劣等感を抱くのが本当に怖い。数字の評価に殴りつけられたら反撃できない。受け入れるしかない。でも友だちにプレゼントで絵を贈るとすごく喜んでもらえるし、実際かなり上手く描けてるし、満足してるし、私は私の絵がめちゃくちゃ好きだ。勝ってる部分も多いと思う。内心、「ふふん、どうだ」と思って贈っている節もあることは認める。お互いに「一番は相手に喜んでもらいたい!でも勝つぞ!」と思いながら絵を投げつけていると思う。
8年以内にはTwitterのフォロワー数が2万人くらいになってお互いに切磋琢磨するのが夢だし楽しそうだなと思うんだけどね。
私は余裕があるつもりだったけれど全然余裕がなくて、いつも忙しない。
はじめに--------
まず教育界ってのは、日本に数多ある独自の村のひとつで、その中でも道北の中心地・旭川教育大学は学閥が強いと昔から言われてる。
早い話、道北で、40代とかで校長に昇進できる人材がいた場合、まあ、そういうことだ。
ついでに言うと、先輩諸氏(校長)が、各地の教育委員会関係者に自動昇進するわけで、多少の火の粉からは守られてきたワケですな。
実際、教育界だって市長の後ろ盾のひとつであり、お互い大人なんだから、持ちつ持たれつでやっていくのが普通。
教育って社会には必要だし、コップの中で何しようが、コップの外にとっては関係ない話だから、政治家からすれば、上の人間となあなあで済ませるのがベターだろう。
ところが教育関係者と前旭川市長との仲は、外部が思っていたよりもずっと深かった模様。
よりにもよって、現在進行形で盛んに火を噴いているイジメ自殺を隠蔽しようとするほど強固だとは、思わんかった。
なんせ調査ってのも掛け声だけで、原因を追究しようとか関係者に責任を取らせようとか、再発防止策をぜんぜん取らなかったのだ。
つまり現状容認であり、また同じことが起きた際に、私は同じ対応をしますって宣言してるに等しい。
教育関係者が、当人にとってどれだけ大切な選挙基盤だったのかは知らんが、結果は惨敗してしまった。
所感--------
いやもう、まさか前市長がイジメ自殺の件で、教育委員会側と心中する意思を固めていたとは思わんかった。マジ想定の範囲外だわ。
どー考えても最初から勝目ねーのに、なんでまた、やらかした連中のケツ持ちしようとしたんだ?どんな繋がりがあったものやら。
いや旭川界隈に、教育大閥てかムラ社会があるのは知ってるが、自殺者まで出てしまったんだから、逃げないで責任取るのが筋だろ。
地雷抱えながら選挙して当選すると当人が思っていたとすりゃ、お花畑すぎて目も当てられない。誰か止める奴がいなかったのか?
何にせよ、もはや後ろ盾のない教育関係者からすれば『この騒ぎで、君らはどこまで差し出せるの?』という最悪の展開がやって来る。
具体的には、まず教頭。校長も射程内だし正直担任も厳しい。一つ間違えれば上役の教育関係者辞任すらあり得る。下手すりゃ全員。
旭川在住の教育関係ムラ社会の皆さん、アンタたちにも言い分あるんだろーが、これ以上逃げ回るのはやめた方がいいと本気で忠告するぜ?
敗因分析--------
ああ、分かってない現地関係者がいるかも知らんからあえて書くが、今回、学校側のかん口令が絶望的にまずかった。
もうあれで、教育界側の負け戦が完全に決定されたと言っていい。
かん口令を敷きたくなる気持ちは一応、分らんでもないのだが、それ自爆スイッチ。もう自滅っつーか最悪手なんよ。
学校が関係者全体にかん口令を敷いた場合、それだけで、メディアも我々も『コイツらはきっと、何か都合の悪いことを隠してやがるな?』と悪印象を持つのは避けられん。
実際、後からいろいろ出てきただろ?記事に出てから当事者たちが慌てて対処に追われたところで、現状の追認にしかならんワケ。
だからかん口令をもって、学校の、教育者側の敗北は完全に決まったと断言していい。
にもかかわらず、まさか特大の地雷を抱えつつ選挙戦に入る奴がいるとは思わなかった。読みが外れてぶったまげたのはこっちだよ。
巡り巡って国勢選挙にまで影響しちまったんだから、前市長は組む相手を根本から間違えていたとしか言いようが無い。
情報戦の闘い方--------
今回の事件は既に情報戦になっている。情報公開と責任を迫ってくる一般世間と、逃げようとする教育関係者との戦争なんだよ。
しかし、教育者村側は下手を打っちまった。いくら地の利があっても、かん口令は完全に自爆。やってはならない手を打ったんだ。
関係者は、よほどうまくやらない限り、かん口令ってのは情報を完全に遮断は出来ないことを肝に銘じろ。
かん口令はむしろ、主流派に反感を持ってる奴や金で転ぶ奴らから、大げさな情報や信ぴょう性があり得ない情報を流出させ易くなる。
それをどうやって防げるんだ?無理だろ常考。そこが理解できていないから、情報は遮断できるとか楽観的に考えちまうんだろうな。
つまりかん口令は、結果的に、情報(戦力)を小出しにする逐次投入にならざるを得ない。これ、戦争では絶対にやってはならん手法なのよ。
かん口令を敷き、情報を小出しにするというのは、第三者から見ても最悪の対応なんだっつーの(警察とかなら話は別だが)。
今更だが、教育村が大打撃を受けるくらいなら、何もかもあけっぴろげで、開き直ってどんどん公開していった方がまだ断然マシだった。
どうしても学校だけでは限界があるんです、助けてくださいって言えば、それなら皆で考えましょうという機運になったかも知れない。
彼らが本当に守りたかったものが、いったい何だったのかは分からん。まあ生徒たちではなかったんだろうな。そう自白してるようなものだ。
もはや誰がやろうと、あとはサンドバックになる可能性が高い。つまり『より大きな力』で蹂躙されていくのだろう。
たとえ頭を抱えたくなっても、理由はどうあれ、自分たちも自殺した生徒と親にやったんだから文句は言えんぜ。
少しだけフォロー--------
旭川の前市長、選挙で不利になると分かってて教育関係者を身内に取り込んだのが阿保過ぎる…のだが、恐らく泣きつかれたんだろう。
死を待つ半病人とゆーか、棺桶に片足突っ込んだ連中に縋りつかれたよーなもので、現職当人にとってみれば、たまったモンじゃない。
前市長、そんな連中を切れなかった。関係者から頭を下げられたときに厳しく言えれば良かったのだが、それが出来んかった。
たぶん旭川があまりに小さな市場過ぎたというか、道北圏はいささか狭すぎて、友人やらしがらみやら、何やらあったんだろうね。
しかし関係者を処分しないということは、未来永劫、同じことを繰り返し行うとゆー宣言でもある。
『自分の子供が死んでも、先生が処分されたら可哀そうだから、アンタたちは黙って言うとおりにしてね!』と言われて納得する親(市民)がいるか?
よしんば教育関係者の全面的なバックアップがあったとしても、これで選挙戦を戦うというのは、無理を通り越して無謀だ。
あるいは、対立候補が共●党だけならまだ何とかなったかもだが、幾ら何でも無茶というもの。そんなこと当人も分かっていただろうに。。。
結局、前市長は責任を取らされる羽目となった。新市長は教育関係者に冷淡になるに決まってる。連中が地獄を見るのは自明の理だろうぜ。
こーして見ると、そもそも何が問題なのかを、教育関係者たち自身が見失っている可能性が高いんぢゃね?と思ってしまう。
『誰かを自殺するほどイジメても、逃げて責任取らなくてもイイ!』のだと、先生サイドが体現することが果たしてマトモかって話。
殺されてしまう生徒とその親はもちろん、殺すことにお墨付きを貰えてしまう加害者の子供たちだって、広い意味では犠牲者だろう。
先生がそんな調子だから、ガキなんて絶対また『やる』に決まってる。ついでに言うと、社会に出てからだって『やる』に違いない。
そんな卒業生を量産することが教育者の仕事なんか?それとも、途中である程度死ぬことは、旭川の教育界隈では織り込み済みだとでも?
まあ『教師のみが通用する世間、いわゆるムラ社会の掟』が存在することは、知っている。仕事である以上、掟があるのはそりゃ仕方がない。
ただしその『掟』が、教え子の生命よりも上位にあると看做すことは、どう考えても異常だろ。
そんなの、当事者たちだって本当は分かっていたはずなのに、なんでまたいい年こいて、逃げようとか無責任なことを考えるのか。
逃亡に成功するか?--------
ちなみに現代日本でイジメ自殺があった場合、学校関係者はもちろん教育委員会の面々は、事件を徹底的に隠蔽したり、最低でも自己保身に走るケースが極めて多い。
さらに言うと、残念ながら、こうした隠蔽や自己保身が成功してしまうケースも、決して少なくは無いのだ。
たとえば2005年にあった埼玉県北本市立北本中学校でのイジメ自殺は、加害者と教育界側が揃って逃げ切りに成功したケース。
そういう意味では、山形県のマット事件も『逃げ切り成功』に含めてもいいだろう。
いずれも詳細を知れば胸糞必至で、必殺仕事人かデスノートが欲しくなること間違いなしだ。
道内でも、2006年に起きた滝川市江部乙でのイジメ自殺では、もう少しで加害者と滝川市の教育界側が逃げ切るところだった。
当局の失態とメディアが火をつけたため逃げそこなったとはいえ、教育界側の隠蔽と逃亡の体質は相変わらずだと言わざるを得ない。
今回のケースも、文春が火付けしなければ、素で逃亡されていた可能性が高かったのではないか。
ついでに言うと、前旭川市長が当選していた場合、強権により、恐らく連中の逃亡は成功していたと思われる。危ないところだったのだ。
これからどうなる--------
今後の展開としては、教育長の辞任・関係者の更迭・教頭と担任の免職、そして当時の校長や加害者たち、当局への訴訟等が考えられる。
あれだけ隠蔽したという事は、事実が明らかになると不都合が多いと自分から宣伝しているよーなモノだから、どーにもならない。
新市長もその気になっている様子だし、関係者は震えて眠れと言いたいところだが、実のところ、一般世間の側が、教育村の強固な掟をどこまで崩せるかが勝負どころだ。
道北という世間は非常に狭く、そこは、一般市民から見て不可思議な教育界の『掟』が、大手を振ってまかり通る世間でもある。
教師たちはあからさまに、自殺した生徒と真摯に向き合う事よりも、自分たちの組織保全をより優先的・上位に考えて行動してきた。
彼らの『掟』には、『組織維持のためには、必ずしも教え子を保護しなくてもいい』と書かれていたようで、ビックリ仰天してしまう。
本来、何があっても保護・育成すべき生徒を差し置き、自分たちの保身ばかり優先することに血道を上げるのだから、何をかいわんや。
自分たちの仕事にプライドがあり、疚しいところが無いのであれば、調査に協力し積極的に情報開示して然るべきだろう。
こそこそしている時点で終わっているが、追及するのはいいとして、日本におけるムラ社会というのは本当に手ごわい相手だ。
ましてや教師は弁が立つため、ひとつ間違えると、自分たちに責任は無かったという結論にすり替えられる可能性すらある。
さらに言えば、繰り返すが、前の市長ですらアチラ側に取り込まれたほど強い政治力を持っていると見ていい。
そこをどう切り崩していくのかが第三者委員会には問われるわけだが、果たして上手く行くかどうか。
いやまあ、仮に上手くいかなくても最終的には、教育関係者連中は責任は取らされるんだろうけどね。そんな世の中なのだよ『現代』は。
最悪何が起こるのか--------
このような状況下で、もし万が一にも教育者サイドが逃げ切った場合、社会に与える悪影響は計り知れないほど大きくなるだろう。
一例として、2011年に起きた大津市立皇子山中学校いじめ自殺事件では、ひたすら組織保全に走る教育委員会に業を煮やし、ついには殴り込みに行く者まで発生する始末だった。
無論、殴りに行った短絡的な奴がもっとも悪いのだが、世間様に対し殴り込まれるほど酷いことをしたという自覚が、当事者たちに皆無だったところは正直、驚きを通り越して少しだけ感心してしまった。
これ理想的な悪役そのものじゃん。教育界のトップが体現してどーすんのさ。
それともナニか?イジメ自殺した生徒と加害者、無能な教師、隠蔽にだけ熱心な教育委員会を題材にシナリオ書いて、演劇でもやれってのか?
これを学校の学芸会で上演したら凄いだろうなー(棒)。止めようとする教師に対し、生徒側が事実じゃんと言ったらどう反応するのやら。
ついでに言うとネット上では、殴り込んだ者は事実上、ヒーロー扱いされていたと記憶している。保釈金クラウドしたら、千万単位集まるかも。
では、今回の件で実質無罪判定が出たら、何がどーなると思う?
とゆーか、今だって目立ちたがりのユーチューバーに突されてて、かなり厄介な状況なんじゃねーの?
袋叩きという祭りの後に残るモノ--------
恐らく、教育関係サイドには、その辺まで読んで行動している者なんて居ないだろう。そもそも誰だって責任なんて取りたくないし。
一般社会から攻撃されかねないと懸念している人間がトップいれば、世間を舐めた態度を取れる訳が無いのだが。。。
道北の田舎町に居れば地域世間が守ってくれると思っているのかも知らんが、もっと大きな世間から叩かれるリスクを考えたことがあるのか?
第三者委員会による調査は、確かに、加害者や教師たちを断罪するかも知れない。
しかし同時に、関係者に対する処分は、その加害者たちをギリギリのラインで保護する命綱にもなり得る。
そこからさえ逃げようとするのは、完全な自殺行為だ。公的に処分されたほうが絶対にマシなケースだろこれ。
すでに情報を隠すことなんて誰にも出来ない。前校長も教頭も担任も、教育長でさえ氏名年齢住所家族構成等はネットにばら撒かれている。
家族ごと海外逃亡でもする気なら話は別だが、今の世の中、大きな世間から叩かれたが最後、どんな結果になるか本当に理解しているのか?
前から仕事帰りにWINSで馬券買ったりはしてたけど、競馬場は行ったことはなかった
楽しみ
なんと行く予定の日は、あの名牝GI7勝ジェンティルドンナの娘の初めての重賞取りチャレンジ戦がメインレースに設定されている
売り出し中のジェラルディーナを見れるので楽しみしかない
ジェンティルドンナの引退レースの有馬記念は、新婚の時に妻とWINS行って、馬券握って中継見た思い出があるわ
そうするとカスみたいな子供もたくさんできる代わりに、歴史的に強い馬もちょこちょこ生まれるので、結局は後継になるような代表産駒が出てくるんだよね
それに対して牝馬は年1頭しか産めないわけで、名馬を産むにはかなり引きが強くないといけない
牡馬みたいに打率は悪くともベストな1頭が出ればいい、というわけにはいかない
歴史的名牝も、案外子供が走ることは少なくて、ダイワスカーレットやウオッカ、ブエナビスタの子供もほとんど走ってない
ジェンティルドンナもどっちかと言うとダメな側で、初仔モアラアネラは頑張って3勝したけどオープン入りすることなく引退
3番仔はジェラルディーナは阪神ジュベナイルフィリーズには出走したけど7着惨敗で、その後クラシックには出走できず、またダメか、となっていた
ジェンティルドンナ、強かったけど繁殖はダメかー、という空気が春までは出ていたよね
ところがこのジェラルディーナ、3歳夏から連勝して、一気に秋華賞が狙えるところまできた
が、賞金が足りずに惜しくも除外対象に
末脚が切れ切れの差し込むタイプで、なかなか強い武器を持ってるやないか、ということがわかってきた
これはクラシックは間に合わなかったけど、4歳から一線級狙えるぞ、と
そしてそして
話はこれだけではなかった
繁殖ダメかと思われたけど俄然期待感が増してきたジェンティルドンナ産駒
思えば初仔も、オープン入りはしてないにしても中央3勝は悪くはない数字
デビュー2頭目でオープン馬を出し、次の子、4番仔はロードカナロアを付けている
この子もまた悪くない雰囲気で、晩成型っぽいと見られながらも、素質はすでに見出されてるそうだ
その4番仔、マリーナドンナのデビュー戦が決まったのだが、なんとこれが姉ジェラルディーナの走る重賞と同日になったのだ
5レース新馬で妹マリーナドンナのメイクデビュー、11レースG3チャレンジカップで姉ジェラルディーナの重賞挑戦
姉妹で勝てばドラマだし、まあ、勝てなくとも来年以降活躍していけばそれはそれで楽しみだ
楽しんでくるよ
いやね、本当のところみんなそんな出たくないんじゃないかって、そういう本音はわかるんですよ。
負け戦の後のリーダーなんてやろうと思えば誰だって覚悟が要る。
まあ同盟相手は「負けてないんだ、追い詰めたんだ」とか好き勝手言ってますけど。
しかも野党共闘をこの先どうするんだという本当に大きな課題もそのまま。
だいたい派手にケンカして、また分裂再編とかしたくないですもんね。そりゃ馴れ合いにもなるってもんでしょう。
でもそういう小ズルさって、国民はちゃんと見てると思いますよ。
だいたいね、「貧乏くじ引きたくない」って言うなら、アベスガの後だって嫌に決まってるでしょう。
岸田さんにしても、こないだの選挙で惨敗してたら、それこそ就任即下ろされる可能性だってあった。
そんな中でも自民党は特色ある候補を出して議論らしきものをし、戦い終われば一致団結して選挙に臨んだ。
実際あの党が本当に変わるかと言ったらまあ大概疑わしいわけですが、とにかく「変わる感」を演出して生き残ったわけです。
今の立民にそれができるのかって話なんですよ。
確かにこういうのはスポーツチームの監督とかと一緒で、運やタイミングの要素も大きいと思います。
若手が育ってる状態から引き継いでもらって、前の監督の手柄まで全部俺のものみたいな顔できるような監督もいれば、
逆に成績が悪すぎて前任がクビになって、どこから立て直していいやらわからんみたいな、もう散々なケースだってある。
党代表にしても政権にしても、みんながみんな理想の状態でバトン渡してもらえるわけじゃない。
でも立民の皆さんなんて日頃与党の政治はひどいひどいと非難してばっかりなんだから、その程度のことは覚悟してるもんだと思ってましたけどね。
仮にも野党第一党がそんなヘタレの集まりじゃあ、もう永遠に政権交代なんかできゃしませんよ。
そもそもやる気もないのかもしれませんが。
立憲民主党の代表選の開票日を明日に控えているっての言うのに、これが全くと言っていい程盛り上がってない。
とは言え、野党第一党の代表が誰になるのか?という結果は無視できないので、俺個人は立憲民主党の公式チャンネルを始め、動画で見れるものはおおよそ半分程度は観た。
その中で、単純に総理大臣を決める総裁選ではないからという言い逃れはあり得る一方で、単純に盛り上げようがないという理由も強く感じている。
立憲民主党の代表選から垣間見える、立憲民主党の問題とは何だろうか?
大前提となる問題は、おそらく候補者のうちの複数名は勝つ気がない。あるいは勝てない事を前提とした口調、論調が目立つということ。
自民党の総裁選の候補の序列に置き換えた場合、岸田=泉、河野=小川、高市=逢坂、野田=西村 くらいの序列であると思う。
だが、立憲民主党の候補のうちで、逢坂、小川は勝つ気がないというよりも、勝ちたい(または勝ち目がある)と思ってないのでは?と感じる。
自分が政策を強く主張できるタイミングで、西村のアシストをしたり、自分には分からないと無知であることを告げたりするのだ。
立憲民主党の党員の考えは分からんが、勝利を望まない様な言動をする議員を、熱烈なファンであったとしても政党の代表に選べるとは思えない。
あの中に「俺が勝たなければ日本(立憲民主党)は終わる」それくらいの言葉を言える議員は居ない。
この譲り合いの精神からは、「この代表選は、貧乏くじの押し付け合いなのだ」としか見えないから、見てるだけで何とも萎えてくる。
立憲民主党の討論会は多くの場合、議員から議員への質問に答える、という形式で行われる(自民党は、党員や司会者からの質問に答える形が多かった)。NNNの番組で50分取り上げられた時ですら、その形式だった。
議員の複数名が勝ちたくないという前提で出ているのだから、当然と言えば当然かもしれないが、この質問と言うのが予定調和的なのだ。
質問の内容が、現在最も重要な経済・外交・安保・エネルギー政策・コロナ対策といった質問ではない、なんとも答えやすいイデオロギーに沿った質問に終始しているということ。
まだコロナが終息したわけでもないのに、テレビ局に取り上げられてアピールできるタイミングで、コロナ対策については議員から主張の機会を作らず、外国人実習生問題に焦点を当てるのは「温い」と言うしかない。
彼らの間では、これは外国人の人権問題という、誰も反対しないし結論が共通している幸せなテーマについて質問したって、討論会をやる意味がない。予定調和的だ。
些末な問題とは言わないが、優先順位を考えれば、まず語るべきことがあるだろう?と言いたくなる議論をしているのでは、視聴者の関心と支持を得られないだろう。
例えば、志位が毎日のように「共闘は間違いじゃない」「これしかない」「共闘は公約」と援護射撃を続けるので代表選の焦点が共闘になっていく中で、
当然だが視聴者が強く関心を持っている「共産党との野党共闘は失敗だったと結論される事も多いが、やめるのか?」という問いが司会者からは出てくる。
それに対して、「失敗と言われるのは野党に対して厳しい(小選挙制度の事も理解してよ・・・)」と答えてしまうのが彼ら候補者だ。
「候補の一本化は戦術的に重要であるが共産党との政策合意は破棄する、その上で戦術的に候補の一本化で相互の利害が一致するのであれば検討する」くらいの事が言えればいいのだけれど
「共闘しないと戦えないことを理解して欲しい」という泣き言を言ってる様では、共産党との限定的な閣外協力とやらも、実質的には主従関係化するのでは?って不安は消えない。
他にも「原発再稼働するのか?」と言う司会からの問いに対して、「エネルギーの安定供給を考えれば、原発は予備電源として必要だが、でも再稼働とは言わない」という主張を苦し紛れにしている。
再生可能エネルギーで十分だなんてお花畑な事を言う西村候補のような人もいるんだろうが、現時点では再生可能エネルギーが計算できるものではないし、原発・火力発電の発電量は賄えない事は否定しようがない。
故に、「再生可能エネルギーの開発推進は行うが、現時点では十分な供給が計算できるエネルギーではない、だが2050年のカーボンニュートラルと言う目標は重要だ、故に原発再稼働という選択肢は維持する」
と主張していた自民党の各候補の主張は妥当だし、立民も苦し紛れであっても否定しなかったのは立派だと思う。というか、立憲民主党の委員会で原発は選択肢として必要と結論していることが意外だった。
だが、従来の原発即時ゼロを強硬に求めて来た党の主張があるからだろう、小川などはかなり苦しそうに答えていた訳だ。
こんな風に彼らにとって聞かれると苦しくなってしまう質問は相互には行わず、温い質問をして和気あいあいと対話しているから、予定調和的であると感じるわけだ。
選挙に惨敗した後で変化を印象付けたいはずの代表選という絶好のアピールチャンスに、貧乏くじの押し付け合いを和やかに行っている事が、その象徴であると思う。
追求が大好きな立憲民主党ではあるけれど、厳しい問いを投げかけられれば「それは野党には厳しい」と言ってみたりする。
原発ゼロのような如何にも綺麗な主張をしながらも、実際に問題に対処するに当たっては「原発を廃止する事は出来ない」と言う事実を認めたりもする。
この代表選においても、街頭演説となると自民党への批判を威勢よく繰り返してきているのだが、彼らの強気の言葉は、実際に責任を負う立場になれば原発ゼロの様に儚くも消えるものであることを随所に感じさせるのですよ。
なんというか、子供部屋おばさんの様な、甘えた大人の集団なんだなって、そう感じられる事が与党になれない理由なのではないかと思う。
俺個人としては、立憲民主党ってのを改めてよく理解する機会になったので、代表選の討論会を見て良かったとは思うが、敢えて時間を割いて見るようなものではないよ。
あの中では一番マシな大人だし、おそらくは泉が勝つのだろうけど、彼も結局は大したことないなということが良く分かった2週間ではあった。まぁ立憲民主党はこれからも地獄だね。
ashigaru 俺はTBS Sessionの論戦で荻上氏がわざわざ参考にしている経済学者を訊いているのに小川氏以外はほとんど名前を挙げられていないのが気になった。数日後の玉木代表インタビューはすぐイエレンの高圧経済の話が出来た。
まさに、こういう能力不足の実例はキリがないくらいあるのは問題だ。玉木の株だけが近頃は上がり続けているように思う。
例えば、酷い質問ではあるのだが、ある女性党員が「女性議員比率が低い、女性議員を増やすために比例1位を女性にする考えはあるか?」と問うた時の逢坂の解答はこんな感じ
「私はかつて素晴らしい女性議員に出会ったから女性議員の能力はしってるつもりだ。女性議員は増えて欲しいが、立候補を促してもしてくれない事が多い。比例1位は、これまで努力してきた男性議員はどうなるのかという問題もある。」
これでは、答えになってない。曖昧な発言もこうして要約するとある程度理路整然とはしてしまうのだが、実際の逢坂の発言は思い出話8割といったところで酷さがが際立つ印象が残るはずだ。同じ質問に対して泉の場合は
「まず執行部の男女比率を半々にする。これは私が代表になれば実行する。能力のある女性が活躍する事で議員になりたい女性を増やすことが大事だ。比例位については問題があると思う。」
これであれば、出来ないが、他のアプローチでジェンダー問題に対応したいという意思表示にはなっているだろう。
このまともな回答をした泉であっても他の問題では、逢坂の様な回答をしている。立憲の候補者が能力がないのか勝ちたくないから韜晦してるのか良く分からないが、表に見えてる姿は決して見栄えのいい物ではないし、有権者が呆れるだけだろうと思う。
はてサのなかではなぜか立憲がネオリベ富裕層バラモン(?)だから不人気ということになっているが、実態は逆だろ
ツイッターも含めて反緊縮や経済左派が圧倒的優勢なエコーチェンバーから離れるべき
・下位1割から2割の「貧困」「弱者」「母子家庭」「外国人」「非課税世帯」「低所得者」「非正規女性」「無職ニート」「ルンペン」といった特定弱者属性のみを優遇したから
世の中を支える多数派のフルタイム労働者は左翼の弱者優遇策で1円も得をしないしむしろATMにされる
弱者優遇というのは逆に言えば中間層以上の属性から税金を奪って弱者に配るという意味なので、中間層以上には損しかない
消費税減税して所得税増税というのもサラリーマン増税・労働者中間層増税だからな
共産れいわというプロの弱者に特化した極左と同盟したのも中間層離れの原因
「日本人・男性・現役世代・正社員」というボリュームゾーンを左派リベラルは強者と認定して逆差別しているので、怒ったこの層は自民や維新に流れた(アメリカでは同じ層が共和党へ流れる)
大金持ちではないし、かといって弱者特権もない中間層は自民や維新が好きなわけではないが、何もくれないどころか弱者のために税金搾取し、道徳的優位からの説教までくれる左派が嫌い
左派は「ネオリベガー」というが、弱者利権はネオリベ以上に中間層から嫌われまくってる(ネオリベは中間層にも弱者にも冷たいが、左派は弱者を優遇して中間層に冷たいので、中間層視点からは弱者を道連れにしたい)
立憲は共産れいわ社民らに引っ張られて高齢者医療費自己負担増や年金のマクロスライド削減に反対した
立憲は「消費税減税」を突然言い出し、所得税や法人税を増税しまくると主張 俺は立憲は気が狂ったから思ったよ
所得税増税なら引退世代は負担ゼロで現役労働者のみが搾取される しかも消費税減税で引退世代老人はむしろ得をする
世代間格差というのは生まれによる差別なのに、差別を許さない自称リベラルがこれを推進している
立憲は消費税が悪いガーと主張し続け、一方で現役世代を苦しめてると悪名高い社会保険料はガン無視 誰の党なんだ?
あと労働組合連合を切って捨てて老人政党の共産党に全額ベットしたのもダメすぎる
ネットでは反キンシュクMMTが圧勝しているがリアルでは財源なき無責任なバラマキには冷淡だよ
MMT論者やハンキン論者は基本経済左派なので所得税や法人税を爆上げしろというので現役世帯には恐怖感がある
経済左派やネット論客()はネオリベや改革主義を全否定するが、世論は河野太郎や維新が大人気
財源は限りがあるので無駄削減や改革しないと既得権層に寄生されまくって頑張ってる現役世代が死ぬからね
経済左派はネットのエコーチェンバーに騙されてリアル世論の河野太郎や維新が人気という改革人気を見誤った
旧民主党は「ネオリベ構造改革」と「普遍的福祉」の二枚看板だったから人気があったのに、今は立憲は改革を切り捨て福祉左派というニッチ政党でしかない
「改革」「既得権打破」「無駄削減」「自助」「市場経済」「自由」の河野維新 VS. 「反改革」「既得権維持」「無駄維持」「公助」「統制経済」「規制」の立憲共産れいわ 勝てるはずないだろ笑
立憲はネットのエコチェンを見過ぎて社会主義MMT既得権塗れの昭和回帰派が多数と見誤ってしまった
消費税を減税しつつ財政出動や福祉は増やしまくるという無責任な積極財政主張が中間層から嫌われた
じゃあどうすればよいのか?
・貧困弱者をやめて中間層の「普通に働いている人」が「頑張ったら報われる社会」を主張しろ
・世代間格差是正して、現役労働者を優遇し、高齢者にも負担を求めろ(消費税増税して社会保険料や所得税を減らせ。教育重視とかやれ。医療福祉はカットしろ)
・低負担高福祉という無責任な反キンシュク左派から決別し、次世代へのツケ回しをやめ、現実主義的な財政を主張しろ
反論ある?
まず今日覚えてもらいたいこと
「競馬は結局は適性」
ポケモンはいくら強さに差があっても、能力値が倍まで違うことはほとんどない
でも、効果抜群の攻撃は倍のダメージ、効果今一つなら半分のダメージになる
競馬も同じ
1600までの馬は2000では効果半減になる
1600まではメガレックウザみたいなグランアレグリアも、2000では通常ボーマンダくらいになる
わかりにくい?
うーん、つまりだ
中山は障害物走、東京は平地競走みたいなもんなので、ただでさえ2200厳しいレイパパレに中山の2200はもっと厳しい
中山のオールカマーは二重弱点だけど、阪神2200は一重弱点くらい
そして宝塚記念は3着
オールカマーはウインウインより2キロ重い斤量背負ってたのが、今回は同重量
どう考えても、オールカマーよりいい
ルメールも乗るし
オールカマーより悪いことはない
となると3位以内だ
でも適性はない
ガオガエンに地震あてるくらいのマイナスしかレイパパレにはない
でもま、弱点だから勝ちはしないよ
あとマリリンおてて痛いらしい
今回はたぶん無理よね
練習があんまりできてないんだから、当日状態がどうこうとか言うレベルにない
まあ、完全に切らなくてもいいんじゃない?
今年の3歳馬強い
ラヴズオンリーユーに勝つソダシが、クラシックでは何かがかみ合わないだけで惨敗になる
3着惜敗とかじゃない
あれが今年の3歳馬の力
エフフォーリアはコントレイルより強いわけだし、アカイトリノムスメも、デアリングタクトがいて初めて議論にできるレベルで4歳馬より強い
党派性による誘導目的の主張だと思われるのは嫌なので最初に書くと、今回は他と維新で少し迷って維新に入れた。
むしろここではこっちの方が多くの人から冷たい目で見られる気がする。
確か自民が圧勝した2014年衆院選で、事前予想でも圧勝だったので勝ちすぎは良くない、だけど民主もないなと思ったので共産へ。
開票直後に自民側の一部は、惨敗した民主をさらになじるために共産を持ち上げて唯一まともな野党とすら評した年だったと思う。
そのときはアレルギー云々は少なくとも大きな声ではなかったような気がする。気がするだけで自分が知らなかっただけっぽい。
ここ最近はアレルギーとの主張が見聞きする範囲に挙がってきたが、よくわからない。
まあ上述の他者評価はあくまでも民主をなじるためとか、歴史はさておきその時点で相対的に見ればというのもあるのだろうし、
逆に今回は共闘で存在感が出たのである種の逆宣伝も含んでいるのではとも思う。
単に逆宣伝というだけではなく、政権運営に影響を及ぼすくらいになりつつありそうな予測だったからアレルギー発症したのかも。
実際のところは大体どの年代くらいまで忌避感の強い割合が多いのだろう。50代から上くらい?
最近の若者はアレルギーないらしいというのも聞くけど、すでに完全なおっさんで頭頂部がやや薄くなってきた(それはまだ早いんだよ……)
自分が属する年代でも、そこまで強烈な印象は感じたことがない。
よく覚えているのは、新卒入社数年した頃、会社の同期が選挙前でもないがぽろっと共産に入れたくなると言ったことだ。
その人は実家が都内で私立文系出身で親が学費を出していて、そして自分たちの入った会社は中央値はもとより平均からしてもかなり恵まれた
待遇・労働環境にあるのに、他の誰かではなく自身が不遇だと思うから共産に、と言っていた。(ちなみに、会社組合は当時の民主党支援)
口には出さなかったけど、その境遇で不遇というのはあまりにも世間が見えてないのではと感じたし、
割と何ともなくどこの政党に入れるとか言うんだなとも思った。親しみやすくて友人も多い人だ。
いやまあ周辺を見てわきまえろみたいな精神論だと衰退するし労働者個人個人で見て生活向上できればという考え方は今はわかる。
平均よりどうとか言ったところで周辺みんな富裕層にはまったく遠いしな。
どこでもOKなわけではない。忌避の理由の種類が全く違うだろうが、公明党の背景へのマイナス感情は強い。
あの同期は公明にははっきりとした拒否感を表明していた。これは自分も同じだ。
今後の選挙で、その時々で共産や立憲や国民や維新や自民に入れる可能性はあっても、公明に入れることはまずないだろう。
子供時代の旧友が学会員で、その人とは今もたまに選挙無関係な話をすることがあるけど、選挙関連は断っている。
等々のごく狭い体験からだと、個人的な周辺は投票のための選好順序付けという観点で共産への他よりも特別に強い拒否感はそんなになさげに見える。
第一の選択肢にはなりえない程度を超えて、ずっと前から続く潜在的に絶対嫌レベルの拒否感は。
現時点で掲げる個別の政策がNGというのではなく、アレルギーと称するほどの意識って何から来ているんだ。
昔からあって今の政策にも通じている根幹の思想こそが(あるなら)アレルゲンなんじゃというなら、その価値観の人は相応にいて不思議じゃないとは思う。
その候補者の主張は納得できるものだったし、自民の数えきれない失言やスキャンダル、問題を解決しようともしない体たらくに呆れ尽くした。
掲げる政策もまあまあ自分の考えと合っていたのはもちろん、スキャンダルもなく、派手さはないが実直に主張を伝える姿を見て、ああこの人がトップなら託してみてもいいかなと思っていた。
降りるほど惨敗でもなくないか?そもそもその責任の取り方合ってる?
共産党との協力は、将来の可能性とか信頼とかを売り払って、現在の惨敗を惜敗に変えたことであったから、これを続ける以上10年20年後の先細りは避けられないと考える。
ので、俺は悪手だと思う。今はまだ2017年の敗北を重ねかねないなら、臥薪嘗胆しておくべきだった。
相手が共産党であることに疑問があるとはいえ、協力を取り付けるってのは、政治家の手腕であり、枝野の成果と見るのはやぶさかでない。
個人的には立憲と共産の選挙協力は当然であり、やらなければ勝負にならないので枠組を作ったことは評価してよいと思っている。
今回の選挙で明らかになったのは、いうまでもないことではあるけれども、選挙協力はあくまでもスタートラインであり、それだけでは自公には勝てないという当たり前のこと。
その上で、党としての政策や候補者個人の地道かつ精力的な選挙運動が必要なのであって、そこが自民党には届かなかったという結果が改めて見えてきたという話なのだろう。
もちろん、政策アピールが弱く、政権選択選挙に持ち込めなかったということについて枝野は責任をとるべきだが、共産党との選挙協力という自公に対抗できる枠組みを整えたのは大きな功績なのは間違いない。
最後には差しきられたが、情勢報道や出口調査や実際の投票結果で大健闘していた事実は評価されるべきだ。共産党との選挙協力を否定しようとする動きはまた2017年の野党大惨敗を招くだけにしかならず、無知な連中の騒音を惑わされてはならない。
とりあえず枝野おつかれ。
はてな界隈では珍しいであろう船員という職業へ就いている35歳男性である私は小選挙区は自民、比例区は維新へ票を投じた。
我が海運業界ははてな界隈の一部の者たちが知るように、第二次世界大戦終結後の復興・高度経済成長期に時の政権による暴虐非道な対応によって自民党へ対し相当な恨みつらみを持つ業界である。
即ち、私たち海運業界は両手を挙げて自民党を支持することはなく、毎度毎度警戒心をもって自民党のやることなすことを見ているというのが海運業界の慣例的な姿勢である。
「また裏切られるのではないか?」という疑念は早々に晴れるものではない。
ただ、勘違いしてならないのは私たち船員は海事学生であった頃から本邦の物流を支える基礎土台であることを骨の髄にまで叩き込まれることが常であり、このような指導姿勢はもはや宗教と言っても良いレベルで「我々海運業界こそが島国日本の経済を支え、その滅私奉公は誇り高いものである」と船員ならば誰しもが心のどこかでこのような思想を信仰している傾向があると言える。
つまり我々はどこまでいっても「お国のため」「国民のため」「未来のため」と思って仕事をしているのだ。だからこそ今回議席数を減らしてしまった野党へ言おう、
本邦は島国であることは幼稚園保育園児でも知っている常識的な立地条件であり、経済が立ち行かなくなりモノを失った島国が行き着く先は他国から奪うしか無いのだぞ。
これを極論だと言うのは愛を知らぬ者か、愛を受けるだけしかしてこなかった者だろう。
愛する者が居る者たちに問う。愛する家族が子が友人が仲間が食えなくなったとき赤の他人のことなんぞ関係あるか?自分が食えなかったとしても愛する者へ食うものを与えるだろう?食うものが無ければ奪うだろう?自分が悪役に、人殺しになりさえすれば愛する者が食えると言うなら選択肢は1つだろう?
これに納得できない者たちは知っているか?我が海運業界は「憲法改正に反対していない」ことを。我が海運業界は「憲法改悪に反対している」ことを。
何故かわかるか?日本はいわゆる地政学上の概念でシーパワー論を重視する傾向にあり(島国だから必然的にそうなる)、日本が無謀なことにアメリカへ戦争を吹っ掛けたのはアメリカが日本の海運シーレーンを掌握しようとしたからだ。
日本のモノが無くなる危機へ対して起こったのが太平洋戦争であり、そもそも第一次世界大戦でロシアが物流の橋頭堡を作ろうとしたのがロシア南下政策なのだよ。
更に言えば日本の戦国時代が興った有力な説を知っているか?冷害による飢饉だぞ?食うものが無いから他国から奪えと内戦をやったんだよ。
何故、海運業界が憲法改正に反対せず改悪に反対するか、それはシーレーンを守るための保険をとっているからに他ならないんだ。
SDGsによって国内産業が致命的な状況へ陥るかも知れない、経済が冗談抜きで崩壊するかも知れない、島国日本がモノを失うかも知れないというときに野党キサマらは何をやっているんだ?戦争をそんなにしたいのか?島国日本で海上自衛隊員の数が足りなくなった際に誰へ、何処の業界へまず赤紙が届くかキサマら理解してないのか?
妻と子が居る船員の私に赤紙が届くようになった情勢下では私の選択肢は1つしか無いんだよ!悪役に!人殺しになるという選択肢しか無いんだよ!
目下重要なのは、EUの排ガス規制への対策。
EUの排ガス規制は製造段階から既定値以上のCO2が発生が確認されると著しく輸入を制限するというものであり、化石燃料を用いる自動車などの工業製品へクリティカルに影響してくる部分だ(CAFE規制)。
忘れちゃならないのは、EUはAppleやGoogleなどへも厳しい姿勢を取ることが有名であり、現在のCO2規制ではハードウェアのみを対象としているものの、これがソフトウェアへ規制拡大しないという保証が何処にもないことだ。
大規模なサーバー網を抱えるWebサービスの消費電力へ対しCO2規制が入った場合にどうなるかははてな界隈の者たちのほうが詳しいのではないか?
ある日いきなり「アナタのところのWebサービスはEU規制により増税・罰金対象です」と通達される日が来ないとでも本気で思うのか?
当然その対策にAWSやGoogle Cloud、Microsoft Azure、Akamai、CloudFlareなどは価格を上げるだろう。
リモートワーカーにも他人事ではなくなってくるかもな。
EUは規制によって自国産業保護をすることへ間違いなく旨味を覚えいる状況で、よく調べもせず何でもかんでも新自由主義などとレッテルを貼って無自覚にEUの自国産業保護政策を後押しする者たちの体たらくには開いた口が塞がらないし、それ以前に今回の選挙で間違いなく重要であった経済分野を主軸と捉えられず、桜を見る会やモリカケ、夫婦別姓や同性婚が最重要のような言動をしていた者たちへは「本当に労働者か?!」と疑いの目すら持ちたくなってしまう。
冗談抜きで仕事無くなる可能性のある動きが世界で行われている状況で、公文書偽造問題を精査することが第一声という党に民意が見えていると本当に思うのか?
「私たちの仕事を守る気は無いのか?!」と「コイツら何にもわかっちゃ居ねぇ!」と目を見開いてしまった多くの国民は愚かなのか?
このような状況で18歳以降の若者が自民を支持するのは当たり前だろうが!
就職氷河期世代に聞きたい、18歳・21歳の子たちは自分の就職と未来が掛かっているのに経済の話を第一声にしなかった党へ入れると思うか?自民へ恨みつらみを持つ就職氷河期世代だからこそ理解できるはずだ。
アナタたちがご丁寧にも就職氷河期の話を一杯してくれたお陰で若者は経済に無頓着な政党を支持しないという選択を取ったんだよ。アナタたちのようになりたくないから!
自民の議席数が思ったよりも減らない?むしろ維新が増えたお陰で悪化した?そりゃ維新も増えるだろうよ!
明確に経済のことを第一声として打ち出してくるこの2党へ託すしか無いんだからな・・・。
もう一度言おう、我が海運業界の命題は日本国経済を支えることにある。
野党は目を覚まして欲しい、民意へよく耳を傾けて欲しい、そして今回野党へ投じた者はその働きかけを私と共にして欲しい。
自然に溢れ、街並みが綺麗で、歴史もあって、飯は美味い、私はそんな祖国日本が大好きで、そこへ暮らす同胞を不幸にしたくはないのだ。
自民党一党独裁のような状況はよろしくないが、今の野党に日本は任せられない。
だからこそ野党を育てよう、野党が惨敗した理由を説明し、野党にこうして欲しかったと語り合い、野党へ声を届けよう。
次は自民に勝とう。
後出しになるけど立憲民主党の政見放送(小選挙区用)を見て思ったこと。
立憲民主党の政見放送は枝野の「コロナ禍で経済的に困窮している人たちがいる。」という話から始まった。
コロナ禍で経済的に困窮している人たちを助けなければいけないという話。まあ普通だよね。極めて普通だけど妥当だと思った。
一方の後には、その前の話の反対の方向の話を持ってきて対比させるのが普通だろう。
「コロナ禍で経済的に困窮している人」と「森友・加計・桜問題で責任をとらない人」を対比させるべき人とは多くの有権者は思わないだろう。
立憲民主党が最初に発表した「衆院選で政権獲得した場合にすぐ着手する7つの公約」の
というのは上の方と下の方で並列に掲げるのはおかしいとか色々と言われてたけどきっと立憲民主党の執行部にとっては本心から並列に語るべきだったのだろうと思えて興味深かった。
「一方」と言ったら次に普通は逆の人たちの話をする。普通の感覚から言ったら「コロナ禍で経済的に困窮している人」に対比させるのは「コロナ禍でも経済的に困窮していない人」もしくは「コロナ禍で経済的に裕福になった人」だと思う。
こういう対比をしたら政策としては「経済的に困窮している人」を救うために「裕福な人」に課税しますになるのが自然な流れだろう。でも政権奪取を目論む政党の政見放送で課税強化しますなんて無闇に言っちゃだめだと思う。
言えないということは立憲民主党執行部もわかっていたしそれで言わなかったんだろうけど本当は言いたかったのではないか。だから「一方」という言葉が残ってしまったし、江田がNISAに課税なんて発言もしてしまったのではないか。
需要があるかはわからんが、8〜10月のれいわ新選組支持者(れ新支持者)の動きをまとめておく。
8月の横浜市長選挙のとき、れ新支持者や一部の構成員(安冨・安井)は田中康男氏を応援していた。あの頃は都議選でれ新が惨敗して、れ新支持者は田中を迎え入れたいんじゃないのかと一部の立憲クラスタは噂していた(※このあともそうですが、このクラスタのいうことは当てにならなかった)。
9月に自民党が総裁選やることになり、れ新支持者はなぜか枝野代表を替えろ(または代表選をしろ)と言い出す。だが、市民連合が共通政策を結ぼうとしたときにいきなり山本太郎が滑り込んできた。これで一気にれ新支持者は「緊縮DV野郎」とまで言っていた立憲叩きを辞め、枝野代表を総理大臣に!と騒ぎ出した。これを受け入れた立憲クラスタの命運はここで決まった。
10月に入り、山本太郎は一本化できていた滋賀3区にセクキャバ議員を立てたり、東京8区に立候補しようとした(未遂)。山本太郎も政権交代が何よりも重要と言いつつ、うちが譲った、うちからは統一候補が出ない、とネチネチ言うし、れ新支持者も敵愾心を隠さなくなった。
そして今、れ新支持者は盛んに枝野おろしをやっている。例のセクキャバ元議員は、供託金没収の身でありながら「れ新と国民民主の代表を加えた政権再編」だなんて宣う。たった3議席でも、山本太郎と奴らに議席を与える隙を見せた野党共闘と市民連合の罪は重い。
今回の選挙は、与党・維新の消費税10%維持に対して、立憲・国民・共産は消費減税を訴えたいたので、一つには消費減税をめぐる選挙だったわけだが、見事なまでに惨敗。逆にネオリベ緊縮派の維新が躍進して、自分のような反緊縮の立民支持者にとって最悪の結果。
「これまでのリベラルの経済政策は緊縮なので小金持ちインテリ以外の有権者から見放されている」とか言って消費減税を激推ししていた社会学者とか経済学者とかいたけど、見事なまでの惨敗じゃねえか。お前らの政治センスのなさは、本当にマジでほとほと愛想が尽きたよ。
だいたい世論調査などでもとっくにわかってたんだよ。消費減税政策とか、経済論壇オタクと古いガラパゴス左翼以外には嘲笑・失笑される政策でしかないことは。消費減税を激推していた連中は責任取って土下座しろよ。
選挙前には野党共闘により与党惨敗か!?という報道もあった今回の衆院選。
事前の報道と実際の選挙結果のずれ、そこには隠れトランプ現象みたいなモノがあったんじゃないか思う。
昨今、メディアではSDGsやジェンダーレス、選択的夫婦別姓等、高邁な理想が語られ、人々も表向きそられらに賛同する姿勢を取る。
本音では「うるさい」「面倒くさい」と疎ましく思っている人も、口にすれば差別主義者や考え方の古い人間とレッテルを貼られるので人前では決して言わない。
しかし、選挙のような人目の届かない場所では本心をさらけ出す。
メディアで有識者や政治家がリベラルな思想を声高に叫べは叫ぶ程、人々は本音と建前を使い分け公私で違う行動を取るようになるだろう。