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2022-01-21

anond:20220121173622

オレオレ。それオレよ

北本さんのことを北田さんと覚えていた」とかじゃなく「北本さんのことを浅倉さんと覚えていた」みたいなこんがらがり方してるよ。浅倉さんって誰?

ご近所さん仕事で会う人もみんなそんな感じよ

2021-12-03

旭川市いじめ自殺に寄せて

はじめに--------

まず教育界ってのは、日本に数多ある独自の村のひとつで、その中でも道北の中心地・旭川教育大学学閥が強いと昔から言われてる。

早い話、道北で、40代とかで校長に昇進できる人材がいた場合、まあ、そういうことだ。

ついでに言うと、先輩諸氏(校長)が、各地の教育委員会関係者自動昇進するわけで、多少の火の粉からは守られてきたワケですな。

実際、教育だって市長後ろ盾ひとつであり、お互い大人なんだから、持ちつ持たれつでやっていくのが普通

教育って社会には必要だし、コップの中で何しようが、コップの外にとっては関係ない話だから政治家からすれば、上の人間となあなあで済ませるのがベターだろう。

ところが教育関係者と前旭川市長との仲は、外部が思っていたよりもずっと深かった模様。

よりにもよって、現在進行形で盛んに火を噴いているイジメ自殺隠蔽しようとするほど強固だとは、思わんかった。

なんせ調査ってのも掛け声だけで、原因を追究しようとか関係者責任を取らせようとか、再発防止策をぜんぜん取らなかったのだ。

まり現状容認であり、また同じことが起きた際に、私は同じ対応しますって宣言してるに等しい。

これで旭川市民から疑問の声が出て来ない方が異常だろ。

さらに言うと、そんな状況で選挙に打って出ようとするか普通

教育関係者が、当人にとってどれだけ大切な選挙基盤だったのかは知らんが、結果は惨敗してしまった。


所感--------

いやもう、まさか前市長イジメ自殺の件で、教育委員会側と心中する意思を固めていたとは思わんかった。マジ想定の範囲外だわ。

どー考えても最初から勝目ねーのに、なんでまた、やらかした連中のケツ持ちしようとしたんだ?どんな繋がりがあったものやら。

いや旭川界隈に、教育大閥てかムラ社会があるのは知ってるが、自殺者まで出てしまったんだから、逃げないで責任取るのが筋だろ。

地雷抱えながら選挙して当選すると当人が思っていたとすりゃ、お花畑すぎて目も当てられない。誰か止める奴がいなかったのか?

何にせよ、もはや後ろ盾のない教育関係者からすれば『この騒ぎで、君らはどこまで差し出せるの?』という最悪の展開がやって来る。

具体的には、まず教頭校長も射程内だし正直担任も厳しい。一つ間違えれば上役の教育関係者辞任すらあり得る。下手すりゃ全員。

旭川在住の教育関係ムラ社会の皆さん、アンタたちにも言い分あるんだろーが、これ以上逃げ回るのはやめた方がいいと本気で忠告するぜ?


敗因分析--------

ああ、分かってない現地関係者いるかも知らんからあえて書くが、今回、学校側のかん口令が絶望的にまずかった。

もうあれで、教育界側の負け戦が完全に決定されたと言っていい。

かん口令を敷きたくなる気持ちは一応、分らんでもないのだが、それ自爆スイッチ。もう自滅っつーか最悪手なんよ。

学校関係者全体にかん口令を敷いた場合、それだけで、メディアも我々も『コイツらはきっと、何か都合の悪いことを隠してやがるな?』と悪印象を持つのは避けられん。

実際、後からいろいろ出てきただろ?記事に出てから当事者たちが慌てて対処に追われたところで、現状の追認にしかならんワケ。

からかん口令をもって、学校の、教育者側の敗北は完全に決まったと断言していい。

にもかかわらず、まさか特大の地雷を抱えつつ選挙戦に入る奴がいるとは思わなかった。読みが外れてぶったまげたのはこっちだよ。

巡り巡って国勢選挙にまで影響しちまったんだから前市長は組む相手根本から間違えていたとしか言いようが無い。


情報戦の闘い方--------

今回の事件は既に情報戦になっている。情報公開責任を迫ってくる一般世間と、逃げようとする教育関係者との戦争なんだよ。

しかし、教育者村側は下手を打っちまった。いくら地の利があっても、かん口令は完全に自爆。やってはならない手を打ったんだ。

関係者は、よほどうまくやらない限り、かん口令ってのは情報を完全に遮断は出来ないことを肝に銘じろ。

かん口令はむしろ、主流派に反感を持ってる奴や金で転ぶ奴らから、大げさな情報や信ぴょう性があり得ない情報流出させ易くなる。

それをどうやって防げるんだ?無理だろ常考。そこが理解できていないから、情報遮断できるとか楽観的に考えちまうんだろうな。

まりかん口令は、結果的に、情報(戦力)を小出しにする逐次投入にならざるを得ない。これ、戦争では絶対にやってはならん手法なのよ。

かん口令を敷き、情報小出しにするというのは、第三者から見ても最悪の対応なんだっつーの(警察とかなら話は別だが)。

今更だが、教育村が大打撃を受けるくらいなら、何もかもあけっぴろげで、開き直ってどんどん公開していった方がまだ断然マシだった。

どうしても学校だけでは限界があるんです、助けてくださいって言えば、それなら皆で考えましょうという機運になったかも知れない。

彼らが本当に守りたかったものが、いったい何だったのかは分からん。まあ生徒たちではなかったんだろうな。そう自白してるようなものだ。

もはや誰がやろうと、あとはサンドバックになる可能性が高い。つまり『より大きな力』で蹂躙されていくのだろう。

たとえ頭を抱えたくなっても、理由はどうあれ、自分たち自殺した生徒と親にやったんだから文句は言えんぜ。


少しだけフォロー--------

旭川前市長選挙で不利になると分かってて教育関係者を身内に取り込んだのが阿保過ぎる…のだが、恐らく泣きつかれたんだろう。

死を待つ半病人とゆーか、棺桶に片足突っ込んだ連中に縋りつかれたよーなもので、現職当人にとってみれば、たまったモンじゃない。

前市長、そんな連中を切れなかった。関係者から頭を下げられたときに厳しく言えれば良かったのだが、それが出来んかった。

たぶん旭川があまりに小さな市場過ぎたというか、道北はいささか狭すぎて、友人やらしがらみやら、何やらあったんだろうね。

しか関係者処分しないということは、未来永劫、同じことを繰り返し行うとゆー宣言でもある。

自分の子供が死んでも、先生処分されたら可哀そうだから、アンタたちは黙って言うとおりにしてね!』と言われて納得する親(市民)がいるか

よしんば教育関係者全面的バックアップがあったとしても、これで選挙戦を戦うというのは、無理を通り越して無謀だ。

あるいは、対立候補が共●党だけならまだ何とかなったかもだが、幾ら何でも無茶というもの。そんなこと当人も分かっていただろうに。。。

結局、前市長責任を取らされる羽目となった。新市長は教育関係者に冷淡になるに決まってる。連中が地獄を見るのは自明の理だろうぜ。


当事者としての自覚欠如--------

こーして見ると、そもそも何が問題なのかを、教育関係者たち自身が見失っている可能性が高いんぢゃね?と思ってしまう。

『誰かを自殺するほどイジメても、逃げて責任取らなくてもイイ!』のだと、先生サイドが体現することが果たしてマトモかって話。

殺されてしまう生徒とその親はもちろん、殺すことにお墨付きを貰えてしま加害者の子供たちだって、広い意味では犠牲者だろう。

先生がそんな調子から、ガキなんて絶対また『やる』に決まってる。ついでに言うと、社会に出てからだって『やる』に違いない。

そんな卒業生を量産することが教育者の仕事なんか?それとも、途中である程度死ぬことは、旭川教育界隈では織り込み済みだとでも?

まあ『教師のみが通用する世間、いわゆるムラ社会の掟』が存在することは、知っている。仕事である以上、掟があるのはそりゃ仕方がない。

ただしその『掟』が、教え子の生命よりも上位にあると看做すことは、どう考えても異常だろ。

そんなの、当事者たちだって本当は分かっていたはずなのに、なんでまたいい年こいて、逃げようとか無責任なことを考えるのか。


逃亡に成功するか?--------

ちなみに現代日本イジメ自殺があった場合学校関係者はもちろん教育委員会の面々は、事件を徹底的に隠蔽したり、最低でも自己保身に走るケースが極めて多い。

さらに言うと、残念ながら、こうした隠蔽自己保身が成功してしまうケースも、決して少なくは無いのだ。

たとえば2005年にあった埼玉県北本市北本中学校でのイジメ自殺は、加害者教育界側が揃って逃げ切りに成功したケース。

そういう意味では、山形県のマット事件も『逃げ切り成功』に含めてもいいだろう。

いずれも詳細を知れば胸糞必至で、必殺仕事人デスノートが欲しくなること間違いなしだ。

道内でも、2006年に起きた滝川市江部乙でのイジメ自殺では、もう少しで加害者滝川市教育界側が逃げ切るところだった。

当局の失態とメディアが火をつけたため逃げそこなったとはいえ教育界側の隠蔽と逃亡の体質は相変わらずだと言わざるを得ない。

今回のケースも、文春が火付けしなければ、素で逃亡されていた可能性が高かったのではないか

ついでに言うと、前旭川市長当選していた場合、強権により、恐らく連中の逃亡は成功していたと思われる。危ないところだったのだ。


これからどうなる--------

今後の展開としては、教育長の辞任・関係者更迭教頭担任免職、そして当時の校長加害者たち、当局への訴訟等が考えられる。

あれだけ隠蔽したという事は、事実が明らかになると不都合が多いと自分から宣伝しているよーなモノだから、どーにもならない。

新市長もその気になっている様子だし、関係者は震えて眠れと言いたいところだが、実のところ、一般世間の側が、教育村の強固な掟をどこまで崩せるかが勝負どころだ。

道北という世間は非常に狭く、そこは、一般市民から見て不可思議教育界の『掟』が、大手を振ってまかり通る世間でもある。

教師たちはあからさまに、自殺した生徒と真摯に向き合う事よりも、自分たち組織保全をより優先的・上位に考えて行動してきた。

彼らの『掟』には、『組織維持のためには、必ずしも教え子を保護しなくてもいい』と書かれていたようで、ビックリ仰天してしまう。

本来、何があっても保護・育成すべき生徒を差し置き、自分たちの保身ばかり優先することに血道を上げるのだから、何をかいわんや。

自分たち仕事プライドがあり、疚しいところが無いのであれば、調査に協力し積極的情報開示して然るべきだろう。

こそこそしている時点で終わっているが、追及するのはいいとして、日本におけるムラ社会というのは本当に手ごわい相手だ。

ましてや教師は弁が立つため、ひとつ間違えると、自分たち責任は無かったという結論すり替えられる可能性すらある。

さらに言えば、繰り返すが、前の市長ですらアチラ側に取り込まれたほど強い政治力を持っていると見ていい。

ムラ社会の掟は、意外としぶとく旭川で根を張っているのだ。

そこをどう切り崩していくのかが第三者委員会には問われるわけだが、果たして上手く行くかどうか。

いやまあ、仮に上手くいかなくても最終的には、教育関係者連中は責任は取らされるんだろうけどね。そんな世の中なのだよ『現代』は。


最悪何が起こるのか--------

このような状況下で、もし万が一にも教育者サイドが逃げ切った場合社会に与える悪影響は計り知れないほど大きくなるだろう。

一例として、2011年に起きた大津市皇子山中学校いじめ自殺事件では、ひたすら組織保全に走る教育委員会に業を煮やし、ついには殴り込みに行く者まで発生する始末だった。

無論、殴りに行った短絡的な奴がもっとも悪いのだが、世間様に対し殴り込まれるほど酷いことをしたという自覚が、当事者たちに皆無だったところは正直、驚きを通り越して少しだけ感心してしまった。

これ理想的な悪役そのものじゃん。教育界のトップ体現してどーすんのさ。

それともナニか?イジメ自殺した生徒と加害者無能教師隠蔽にだけ熱心な教育委員会を題材にシナリオ書いて、演劇でもやれってのか?

これを学校学芸会で上演したら凄いだろうなー(棒)。止めようとする教師に対し、生徒側が事実じゃんと言ったらどう反応するのやら。

ついでに言うとネット上では、殴り込んだ者は事実上、ヒーロー扱いされていたと記憶している。保釈クラウドしたら、千万単位集まるかも。

では、今回の件で実質無罪判定が出たら、何がどーなると思う?

とゆーか、今だって目立ちたがりのユーチューバーに突されてて、かなり厄介な状況なんじゃねーの?


袋叩きという祭りの後に残るモノ--------

恐らく、教育関係サイドには、その辺まで読んで行動している者なんて居ないだろう。そもそもだって責任なんて取りたくないし。

一般社会から攻撃されかねないと懸念している人間トップいれば、世間を舐めた態度を取れる訳が無いのだが。。。

道北田舎町に居れば地域世間が守ってくれると思っているのかも知らんが、もっと大きな世間から叩かれるリスクを考えたことがあるのか?

第三者委員会による調査は、確かに加害者教師たちを断罪するかも知れない。

しかし同時に、関係者に対する処分は、その加害者たちをギリギリライン保護する命綱にもなり得る。

そこからさえ逃げようとするのは、完全な自殺行為だ。公的処分されたほうが絶対にマシなケースだろこれ。

すでに情報を隠すことなんて誰にも出来ない。前校長教頭担任も、教育長でさえ氏名年齢住所家族構成等はネットにばら撒かれている。

家族ごと海外逃亡でもする気なら話は別だが、今の世の中、大きな世間から叩かれたが最後、どんな結果になるか本当に理解しているのか?

組織維持のために生徒を見捨てるような連中には天罰だという意見もあろうが、そうはいっても、犯罪犯罪。人違いだって怖い。

せめて、未成年加害者たちに対する私刑だけはと思わずはいられないのだが、さて、どうなるのだろうか。

2019-03-22

anond:20190322210527

みさえは子育て中のお母さんで、実家も遠く離れていて頼れず、夫も家事を手伝ってくれない中で追い詰められてしんのすけに手を上げたんだぞ

北本さんに通報してもらおう

2012-04-22

夏目友人帳みた。周りの人達の妙な優しさはみんなどう消化してるん?

風邪で寝込んでいる間に夏目友人帳を見た。見始めたら止まらなくなってしまった。これは面白かったと言っていいのだろう。

ところで、どうしても気になる点が一つ。

夏目の周りの人たち、同級生藤原夫妻など、彼らの気の長すぎるほどの優しさに対する違和感はどう対処すればいいの?

夏目友人帳は、自分一人だけに妖怪が見えるということが原因で長い間他人とうまくやってくことができなかった主人公の夏目タカシが、

藤原夫妻という養父母やよき友人たちのもとで、周囲に自分を受け入れてもらう、その難しさや怖さを徐々に克服していくことに焦点を当てた成長物語としての側面を持っている。

もちろん魅力はそれだけではないのだろうけど、

彼の成長、あるいは彼がなかなか成長をしないことに対するじれったさが、

見るものを惹きつけ、続きを見たくなる一つのドライビングフォースとなっていることは間違いない。

ところが、こういう見方をした時にどうしても気になる点がある。

タカシの周囲の人間が、極端にやさしすぎる点だ。

物語中での彼の成長を描くために、過去との対比がよく用いられる。

過去で描かれる夏目は、妖怪のせいで周囲の人から奇妙な行動を目撃されたり、虚言癖があると指差され、距離を置かれる。

さらに、両親がいないために、親戚をたらい回しにされ、自分の居場所を持つことができない非常に孤独少年として描かれる。

一方で、現在の彼は、藤原夫妻という「優しい」夫妻に引き取られ、高校でも「優しい」同級生に恵まれ、

多少奇妙な言動を見られたり、変なことを言っても、幸いなことに距離を置かれることはない。

むしろ、北本西川、笹田といったクラスメートは、初期お世辞にも愛想が良いとはいえない夏目に対してすら好意を持ち、

時には上の空の夏目に懲りずにお節介を焼き続けるのである

おれは作品の欠点を意地悪くつつくような血気盛んなタイプではないし、

多少気になることがあっても見えないふりをして楽しめる方だと思う。

しかしどうしてもこの対比の違和感が気になってしまう。

少なくとも物語スタート地点での夏目個人は、過去夏目と同一だろう。

それが周囲の人たちに恵まれて、徐々に心を開いていく。周囲の人達に支えられながら、夏目が成長しているのである

ところが、過去に出てくる人たちも、必ずしも意地の悪い人というわけではない。

引き取ってくれる親戚も、一部を除けば夏目のことを悪く思っているわけではないし、

同級生も少なくとも転入してすぐには親しくしてくれようとする、とこれは夏目自身が回想している。

これを拒んでしま夏目自身、そして言動、虚言癖によって徐々に溝ができてしまうというのである

すると、過去現在との違いは果たしてなのだろう、ということになる。

物語初期には、他人の好意を条件反射的に拒んでしま夏目はいまだ健在で、おかしな言動だってある。

確かにこれは徐々に改善されていくのではあるが、その素地は彼自身にあるのではなく、

それまでただひたすら優しく彼の未熟さを受け入れてかまってくれる友人たちにあるのだ。

現在の彼らが夏目に対してひたすら優しい笑顔を向けていられるのだろうか。

あるいはもっと単純に言ってしまえば、アニメクールを通してひたすらやさしい友人たちに対する違和感、これが気になって仕方がなかった。

物語としてテーマを浮かび上がらせるためには、単純化というやり方は効果のある手法だと思う。というか物語ってそういうものだ。

ところが、この単純化された物語に対して現実感、あるいは説得力を持たせるためには、

その特殊な設定が許される理由付けが無くてはならない。

もちろん、説得、というのは相手がいるものであって、どれだけしっかりとした理由付けが必要となるかは受け手によるだろう。

理由がなくても流せる人もいるだろうし、逆にもっと極端に目に付く人もいるし、また受け手の体調なんかにも左右されるだろうから

別に絶対的にうまいやり方はないし、そもそも現状がうまくないと言えるわけではもない。

ただ自分にとってはどうしても気になって仕方がなかったということだけ。

おれの疑問としては、みんなこの「夏目の周囲の人の極端なやさしさ」をどう消化しているのだろう?

ということである。気にならないのか、どうなのか。

最後にこれはかなり個人的な背景が影響することかもしれないが、おれにとってつい次を見てしまう動機となったのはむしろ、

「いつになったら周りの人がイラッとした表情をみせるだろうか」

というジリジリとした緊張感があったような気がする。

自分にとって夏目のいる全く悪意のない環境というのはとても不自然で、

誰かが舌打ちをすることで現実感が生まれるはず、

もっといえば現実感をつかむために誰かが夏目に対して(これはつまり感情移入している自分に対して)舌打ちをしているのを待ってる、

どこまでいけば舌打ちされるのだろうかというジリジリとした緊張感こそが、次を見てしまう原動力となった。

クールみてからは、この物語には悪意はないのだということを了解したために、そういう緊張感はなくなったのだが。

どうなんですかね。

 
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