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はてなキーワード: 出版物とは

2016-04-12

やめてくれというガイドラインを出している会社出版物

「うちの出版物ガイドラインは出してないけど本音は黙認」という「他社」の見解を持ってきて

公式見解」とミスリードさせる見出し拡散

「表向きダメと言わざるを得ないだけで本当は喜んでいる」と自分に都合の良い斜め上の超解釈

公式ガイドラインに従おうと呼び掛ける人をお前こそが公式迷惑をかけていると袋叩き

大昔のドラマに出てくるストーカーかよ怖すぎ

やめろとハッキリ言っても「嫌よ嫌よも好きのうち!」で権利無視されるなら著作権法律倫理も糞もないだろ

児ポアニメ規制すると性犯罪が増える」と同じ理論で「禁止すると余計面倒なことになるがそれでもいいの?」と脅してるし

2016-02-20

負の感情を抱くもの規制して良いのか

http://anond.hatelabo.jp/touch/20160219013645

まとめサイトで取り上げられたこともあって多くの意見が寄せられているこの話題だが、このエントリーの筆者(以下筆者)の考えはおよそ普通女性(筆者が本当に女性かは、そもそも釣りかもしれないとかキリがないのでさておき)が陵辱という言葉に対して抱くであろう普通の考え方だと思う。

さて事の発端は女子差別撤廃条約の定例報告会が2月16日に行われたが、この条約批准状況を検討する同条約委員会から今回の報告会のテーマの一つ(しかまとめサイト見出しにあるような筆頭扱いではなく実際の質疑項目としては7番目)として女性に対する性的暴力を伴うビデオゲーム漫画販売を「禁止」することを求めたものが波紋を呼んだことだ。

まず念頭に置きたいのは、この委員会には安保理決議国連総会のような権限は無く数多ある国連関連機関のひとつに過ぎないことと、国際的批判だとかの重々しい話ではなく委員会を構成するのは各国から選ばれた弁護士など専門家であって国家代弁者が集う場ではないということだ。

また定例報告会とあるように日本けが特別に呼びだされて叱咤されたのではなく、直近ではアイスランドスウェーデンを含めた数か国が同様に報告会を行っている。

そして日本においてはゲームマンガの話だけでなく雇用年金での男女格差など複数の議題があったものだ。

この委員会がどういうところに突っ込むかを言えば、アイスランドに対しては最高裁判事が男性しかいない点や強姦事件での有罪の少なさを指摘する。スウェーデンに対しては割礼と強制結婚の防止に関するデータの提出を求めるなど、一見してかなり細かい。つまり女子差別と見なせるものは手当たり次第とも言えよう。

話を戻そう。政治的には無視できないものの影響力は微々たるもので昨日と変わらぬ明日が来る程度の見解というのが今回の報告ということになり(国連の威を借りたい各種団体はいるが)しかしこういったことをきっかけに色々と考えるのは良いことだ。

冒頭リンク先の話はまさにそうで、ひとまずリンク先筆者の意見を要約すると以下のようらしい。

妄想自由だけど、形にして世に流通させるのはまた別だよ。そんなもんはせめて、裏の世界で超高額で売買するか、無償でひっそりとやり取りしてほしい。

その理由は、そういった表現まで法で肯定されていたら、怖くて、不快で、侮辱的で、女性の名誉を毀損されてると感じるから

被害者が、実在する特定の属性を持っていること」「その属性を持っている存在を、その属性を持っていない存在危害を加えること」「加害行為がその作品のメインコンテンツであり、その描写によって快楽・興奮を得ることが目的に作られている」この3つが揃った時、その作品は表現の自由の範疇を超えてしまう。ゆえにそれなりの規制はあってしかるべきということ。

中略省略は挟んでいるが概ねこうだ。特別意見という感じではなく、ごく普通感覚と言えるだろう。

しかしこのような普通感覚とされるものが本人が想像しない危険性をはらんでいることに注意したい。

その事を踏まえて、このエントリー意見していきたいと思う。

表現の自由日本において既に制限下にある。

憲法保障されている表現の自由だが、古くはチャタレイ事件わいせつ定義が成され、公共の福祉のためにならわいせつ物の規制は妥当であるとされた。つまり公共の福祉に反しないということが表現の自由大前提にある。

近年でそれを強く受けているのが松文館事件で、成人向けマンガにおける消し処理の甘さを指摘したものだが、どのような成人向け作品もいつ告訴されるかわからないしされれば有罪は免れないことを改めて認識させられたものだ。

わいせつ対象は変わる

定義のものは変わらないが社会の変化とともにわいせつ要件合致するかは変わる。チャタレイ夫人の恋人しろ悪徳の栄えしろ現在文庫化され気軽に手に入る。つまり今現在悪だとされたものが数十年先にどう判断されるかはわからないのだ。無論、今は悪だとされれば裁判にかけられれば有罪になることに変わりはない。

気持ち悪いから規制するのではない

怖くて、不快で、侮辱的で、女性の名誉を毀損されてると感じるから表現規制されるのではない。公共の福祉に反するから規制されるのであって、法的には代表的なのはわいせつ図がに当たるから違法となる。誰かが不快からという理由規制してしまうことは表現のみならずあらゆるもの違法としてしまえる危険な考えであり、この先も健全な法の精神がある限りそれは守られるだろう。

規制ではなく禁止しかない

先述したようにあらゆる成人向け作品は現在でもいくらでも禁止できる。だがそれは陵辱物に限ることではないし、また販売を特定の書店に限るなどの規制ではなく違法出版物として流通そのもの禁止することになる。いくら筆者が「全面禁止しろよ」とは言ってないとしても、法で規制しろということは即ち禁止しろということになる。

ゾーニングでの対応

現在は法ではなくその下の条例単位で成人向けとそうでない作品が分かれている。先述したように作品のジャンルではなく性的表現のものが法的に重要なのであって、陵辱も純愛もそこには関係ない。この手の話は東京都青少年健全育成条例改正や児童ポルノ法改正などで過去に各所で散々出尽くしているが、行政出版社もすでに作品のジャンルではなくもっと大きな単位での区分けがされている。コンビニで成人向け雑誌が他の雑誌とは別に置かれているのはそういう理由だ。

こっそりやれよという話は

コンビニ雑誌の表紙やスマホ広告に載せるなよという筆者の言葉には、最近コンビニにおける成人向け雑誌の表紙に女子高生が~という似たような話題があったと思う。これに関しては出版社広告代理店などが対応する問題であって難しい。スマホに関しては広告表示に関する設定やアプリを導入する自衛策があるし、コンビニ雑誌についてはコーナーが明らかに区分けされている以上、不快なら見るなというほか無い。存在自体不愉快だというのであれば、それは行き着く先はやはりそういった出版物のもの禁止するべきだという論になるだろう。なにしろ全てのコンビニや書店から撤廃され特定の小さな通販サイトしか買えないとなって筆者がそれに満足したとしても、世の中には筆者より恐らく強力で熱心な団体存在する。今回の女子差別撤廃条約委員会見解についても各種民間団体が絡んでおり、そもそも今回の見解では規制ではなく女子に対する性的暴力ゲームマンガの廃止を求めている。筆者は廃止された所で安全安心な世の中が得られるだけだろうが、それは当初のこっそりやれという目的から外れているが、筆者は何ら疑問の声を挙げないだろう。結局は自分不快ものを消し去りたいだけと言えてしまうのだ。そうではないと言うのなら、ならば筆者は禁止すると法が言い出した時に「そこまではしなくて良い」と声を上げられるだろうか?

特定の思想から直すべきか?

そりゃいろんな嗜好があるから、中には、対象を虐げたり傷つけたりしないと駄目な人もいるかもしれないけど、それって異常者か精神疾患ではないの?病院行けよ。

筆者は最初には嗜好と言いつつ特定の嗜好については健常者ではないとしている。性的嗜好というのは千差万別だがある種の思想を持っている場合は矯正するべきだ、というのは他者に対する尊厳を踏みにじる行為だ。50年前のアメリカならば白人に逆らう黒人矯正するべきだとなるし、50年前の日本なら夫に逆らう妻は矯正するべきだとなる。いずれもその時代には当たり前のことであり、しかし現代人から見ればひどく差別的だろう。だからといって他者を傷つけるという行為が50年後に許容されるとは思わないが、しかし現代でも黒人差別亭主関白を頭の中で考えることを誰が違法にできるだろうか。

特にこれは性的嗜好という、教育思想などと違い本能に関わる難しい問題だ。法では正しい性道徳という考えがあるが、これを基本にして正しい嗜好を持つように義務付けられるような世界が筆者は望ましいのだろうか。無論、そんなことになれば事態は正しい性道徳に限らず、正しい社会規範や正しい労働者など、あらゆる面で模範的で優秀たる人間性を義務付けられるのは想像に難くないが、まさか筆者に都合の悪い趣味嗜好だけ消える世の中になると考えるほど筆者は愚かではないだろう。

いずれはこうした性的嗜好も脳機能の解明によりそのプロセスが明らかになるだろうが、まだ犯してもいない罪に対し犯罪的思考を消し去ることを是とするならば、それは個々の人格倫理的かつ道徳的操作しても良いということであり、当然筆者もその対象として正しい真人間にされる覚悟はあるだろうか? 少なくともこの筆者には、他者人格一方的精神疾患と判定するという独善的思想治療する必要あり、と判断されるのではないだろうか。

筆者もまた女性から視点だけ

現実的に、女性が男性に性的虐待を加えるというのは、①腕力・体格差があるので〈無理矢理〉が成立しにくい。②女性が見ず知らずの男性をいきなり襲っても、反撃されて傷つけられる可能性が高く、現実の犯罪率から言っても一般の男性にとってリアリティが無い。③むしろやってほしい、多少痛くてもご褒美、という嗜好の男性も散見される。

まず①に関しては、近年強姦罪が男性被害者適用されないことが問題視されているように男性の女性から性的被害については筆者のような「ありえない」という考え方が男女ともに強いので泣き寝入りするケースが女性性的被害より深刻であるさら女性被害者のような支援も充実していない。②も同様だが、犯罪率という観点について指摘がある。犯罪における男女比は細かく分けるとだいぶ違うが、総じて女性が20%ほどである。無視できるほどの数字ではなく、具体的には平成26年の殺人犯967人のうち227人は女性である。これをリアリティが無いという数値とは言えないし、また最近ではデートDVに関する大阪での調査女性から暴力を受ける男性が倍以上の率であることが明らかになるなど、暴力で女性が敵わないからリアリティが無いというのは例え話の喩え話にしても筆者の知識不足である。③にも関連することだが、筆者自身陵辱系ゲームマンガに対して怖くて、不快で、侮辱的で、女性の名誉を毀損されてると感じるから規制して欲しいと語るのに、ならば男性の性的被害者に関してはとなるとリアリティの無さやあろうことか一部の男性は好むからという理由で蔑ろにしている。

このことから

他の属性に対する一方的な暴力や虐待だってもちろん良くないし

もちろんLGBT凌辱だってアウトだよ

などの言葉に一切重みを感じられない。

筆者が女性として一般的な恐怖を感じるのと同様に、また筆者は女性として男性に対する陵辱などに想像が及ばないし世の男性が実はBLゲーム表現に恐怖しているかもしれないなどという考えもない。故に男性に対し筆者は、思慮が足りないなどということは出来ず、陵辱ゲームに対する意見自身嫌悪感からの消し去りたいという個人的要求が第一であると知るべきだろう。

筆者の定義表現の自由を犯す理由にならない

被害者が、実在する特定の属性を持っていること」「その属性を持っている存在を、その属性を持っていない存在危害を加えること」「加害行為がその作品のメインコンテンツであり、その描写によって快楽・興奮を得ることが目的に作られている」

を筆者は規制されるべきものとしている。二番目でちゃっかり同性愛物を省いているのはわざとか天然かはさておき、いずれもどうとでも解釈できるものであり、極めて危険極まりない規制理由である

まず第一の

被害者が、実在する特定の属性を持っていること」

被害者という言葉について、そもそも創作表現上の被害者とはなんだろうか。作中で犯罪被害に遭う存在だとして、それを現実の法で守れというのはナンセンスな話だ。大体被害者定義はどうするのか。家が燃えたら家は被害者から作者は建造物放火罪になるのだろうか。人間だと限ってもその属性は幅広い。誰かを殺せばその人物の役職大統領から実在する特定の属性になるから規制だと出来てしまう。性別に限らず年齢も服装人種も、なにもかもが属性である以上、そもそも創作表現で一切の犯罪被害者は出せないことになる。ミステリーでも刑事物でもだ。

第二に

「その属性を持っている存在を、その属性を持っていない存在危害を加えること」

は、これこそ差別的だ。男性が男性を殺すのは良いが男性が女性を殺す表現は駄目だとか、それに属性定義が難しい。男性同士の殺人であっても片方が日本人で片方がアメリカ人なら属性を持ってないから規制対象だろうか。双子であっても服が違うから駄目だとか、どうとでも言える。

第三に

加害行為がその作品のメインコンテンツであり、その描写によって快楽・興奮を得ることが目的に作られている」

これもまたどうとでも解釈できる。大体だ、その描写によって誰が快楽・興奮を得るのかが不明だ。推測するに筆者にしてみれば病的な嗜好を持つ読者なのだろうが、表現規制より悪質な思想規制がここにある。なにしろ読者が興奮すればすべてアウトにできるわけだが、虫オスがメスを組み伏せる交尾の動画に興奮する人間がいたらそれはアウトにできるのだろうか? アウトに出来るのならこれほど馬鹿げた話はないが、出来ないというのならそれは筆者の嫌悪感に基づく趣味嗜好の篩分けを是とする危険な考え方だ。「普通の人は虫の交尾に興奮しない」を後者定義としてセーフの条件にするならば、同様に「普通の人は陵辱物に嫌悪感を抱くので興奮しない」と出来るのだが、そこを捻じ曲げてアウトにしたいならば「こういうのに興奮する人がいるから」や「これだけは例外」など法に頼らない独善的判断でなくてはならない。

恐怖は抱いている限り消えない

仮に筆者の希望通りに陵辱物といえるもの規制され目につかなくなったとして筆者は満足するだろうか? 一時的には満足するかもしれないが、まず一度自分の願いが達成された万能感と高揚感、そして正義感は覚え続けることだろう。そしてそもそも筆者は女性性的対象とする作品に目をつけるだろう。なにしろ成人向け作品そのもの性的にかつ男性向けとしてあるならば、当然そこに映る女性純愛にせよ男性にとって都合の良い女性に違いない。それを筆者は不快だと言わないでいられるだろうか、それとも女性現実味のない都合の良い存在として描かれておりそういうのを好む男性がいるのだと不快を覚えるだろうか。私はきっと次の規制対象に選ぶだろうと推測する。

そうやって限りない規制を繰り返しついに女性性的に取り扱うことも差別的に取り扱うこともない輝かしい作品ばかりになったとしよう。筆者はようやく安堵するどころか、さら不安を募らせるのではないのだろうか。なにしろ事の発端はそういった陵辱物を好む男性がいることであり、そこに恐怖や嫌悪を覚えていたのであるたかが創作表現描写されている行為にすら嫌悪していた筆者が、果たして我慢できるだろうか。

人格改造か、去勢義務化か、男性の隔離か。筆者は妄言だと笑い飛ばしたいだろうが、筆者の考えの行き着く先はこうなのだと私は言いたい。筆者がなにかに恐怖を抱き続ける限り、目に見えなくなったからといって安堵することはないし、対象を滅ぼしたとしてもまだ生き残りがいるかもしれないと恐怖し続けるだけだ。

表現の自由規制に都合の良い制限などない

程々で良い、少しで良いなどという考えは行政や国といった単位に上がった時、当初の理念とは大きく外れてさらに巨大な制限となる。最近児童ポルノ法改正で様々な規制への波及を危ぶむ声が出ていたのは、つまり個人での裁量によるあれは良いこれはダメという基準法律存在しないということだ。

最初の話になるが、女子差別撤廃条約委員会は陵辱ゲームマンガの「禁止」を求めている。これを錦の御旗として掲げ、その通りだと禁止を呼びかけることはできるし、この先にそういった団体が動くことは目に見えている。だがその禁止が成った時に、一つの創作表現が失われることに筆者は恐らく何も抱くことはない。むしろ嫌悪するものが消え去って小躍りしたくなるだろう。だが筆者の語る所の病気である嗜好の持ち主たちは悲しむだろう。そんな奴らが悲しんだ所で筆者は何も困らないが、しかし筆者が趣味嗜好とするものが何らかの形で規制を受ける時、彼らは味方することはないしむしろ仕掛け人かもしれない。

筆者は自分が悲しむ対象になるようなことは無いと思っているだろうが、表現の自由に手をかけるとはそういうことだ。たか創作物というもの負の感情根底とした規制をかけられるということは、創作物以上に影響力のある現実的存在にも同様に手をかけられるということだ。筆者が好む筆者が健全で正しいと思う存在が、誰かにとって不快で汚らわしい存在でないと言い切れるだろうか?

目を瞑ることが肝心要

自身自由でありたいと思うのならば、他者自由も許容しなければならない。それは現在のこの国において公共の福祉という最低限度の規制を受けるが、それ以上に自分自身負の感情理由とする個人的要求を、同様の理由合致した他者と共謀して排除しようという試みは慎むべきだろう。現実に犯罪を犯せば処罰される。逆に言えば犯罪を犯さないかぎり自由であり、それを無理矢理に犯罪者に仕立てあげて住み心地を良くしようなどという考えを持つならば、あなたもまた誰かに犯罪者として告発され自由を奪われることを許容しなければならない。

世の中には不快と思えるものが多くある。しかしそれをすべて排除して生きたいというのは無理のある話だし、かといってすべて許容するのも無理な話だ。

しかコンビニ雑誌の表紙が不快ならば、あなたは見ないでやり過ごすことが出来る。 Permalink | 記事への反応(3) | 09:02

2015-12-30

子供たちの「慰安婦

当方大学生実家朝日新聞購読だ。小さいこから新聞テレビで、日本隣国韓国の間には「慰安婦問題」というもの存在していることを知っていた。どうやら、慰安婦問題は、戦争中に日本やらかしたマズいことの一つらしい。しかも、お金時間が解決してくれるたぐいのものではないようだ…

しかし、「慰安婦」とは何だろうか。「慰めて安心女性」…? 新聞は、政治的合意韓国世論報道しても、「慰安婦」が何なのかはまるで報道しないじゃないか。

この疑問に答えが見つかるのは、インターネットを通じてアダルトな知識に汚染されてきた頃である。ああ、慰安婦って旧日本軍性的なアレを強制されたわけね…そりゃああんまりだわ大日本帝国新聞がモゴモゴとごまかしていたのも納得である

さて、今慰安婦関連の報道を見ると、「性的サービス」それ自体言及するものは少ないものの、随所随所のwordingに、それを連想させるような工夫が施してある。そういった報道を見た人たちは、自分たち想像する「強制的な性」のイメージと重ね合わせて、慰安婦の残虐性を理解する。この事情日本韓国も同じだろう。まさか韓国の歴史教科書二次大戦のところだけR18というわけにもいかないだろうし。

こういった教育報道スタイルは一つの問題をはらんでいる。それは、実際のところの慰安婦の実情に関する(議論はあるにしろ)知識を持っている人は、日韓関係に関心がある人だけで、それ以外の大多数は、自分の中でしか慰安婦」のイメージを持てないことだ。

こと性的意識については、タブー感もあいまって未だグローバリゼーションからほど遠い状況にある、隣国である日韓でも、儒教的世界観の強弱や出版物に対する規制の変遷などの点で、二国が共有する「性」のイメージほとんど存在しない。それどころか国内でも、世代地域社会的階層によっても、性的ものに対する意識というものは如実に異なる。

慰安婦について直接に言及しない報道スタイルは、こうした違いをそのまま包摂してしまう。しかし、報道の受け取り手自分の「慰安婦」のイメージを口に出すことはないから、その違いが表面化することはない。それでも、「慰安婦」という共通の言葉の中にある、意味論的「慰安婦」は、日韓関係専門家陣が創造できないほど多様なのではないだろうか。このことは間違いなく今後も「国民合意」の形成障害になることだろう。

2015-10-21

小学生おまんぉは良いものだと洗脳する漫画

くじらっくすをしか

アレ読んで実施した奴いるだろ

小林よしのりのゴー戦みてネトウヨなった奴いるならわかるだろこの危険出版物

2015-09-20

頑張れAdblock

アンチアドブロックな人に言わせると「サービスはタダじゃねえんだよ」っていうけど、じゃあ商業ベースに乗るように

サブスクリプション取ればいいんじゃないの?

本当に価値のある情報サービスならカネくらい出すよ。

中途半端コンテンツで金稼ぎをしようっていう甘い考えが結局広告を載せるっていう選択なんでしょ?

ブログで食ってます」っていう類の人もアフィリエイトはやってるけど収入源のほとんどは出版物

自分でやってるセミナー自分で売ってる胡散臭い情報商材であって広告収入は数%もないのが現実

広告に頼らずに勝負できるコンテンツサービス提供できるようになってから出直そうな。

広告を見にお前のサイト訪問してるわけでも追尾型広告ストーキングされるためでもないんだから

2015-09-07

http://anond.hatelabo.jp/20150905092339

この程度の認識は昔っからとっくにあったワケで。

二次創作同人にはさまざまな問題があり、無許可商業アンソロだけを槍玉に挙げるのは間違っており、正当性がないという意見もあるでしょう。

まったくもってその通り。二次創作を守るために非公式アンソロを潰せというのは、矛盾しかない。

一般の流通ルートに乗るため、二次創作への理解・知識のない人が手にすることがある。

ネットが普及した現代二次創作自体が「理解・知識のない人」の目に触れないようにすることは不可能であり、この認識は古い。

人の目に触れてしまうこと自体問題だというのなら、結局二次創作自体禁止するしかない。

子供に人気のある少年漫画を題材にした過激な性描写を含む作品が収録されており、かつ、登場人物未成年であるにも関わらず、レーティングが施されていない出版物である

子供」とか「少年漫画」を盾にした言い方は恣意的で気に食わないが、レーティングの危うさに関してはまあ同意する。

だが「過激な性描写」の基準によっては表現規制に傾きかねないので、これも手放しでは同意できない。

法人から刊行される営利目的出版物であることから作品には無関係会社利益が発生し、公式には何の利益も発生しない。

これを言い出したら、イベント会社印刷会社利益が絡む同人誌即売会もアウトだ。

二次創作問題の諸々のデリケート問題は、すべてが複雑に絡んでいて、一部だけを都合よく切り離して否定することは困難だ。

権利侵害だという認識があるのなら、二次創作のもの否定すべきだろう。

自分無許可商業アンソロをよいものだとは思わないし買わないし読まないが、「より悪目立ちする、よくないものを自浄すれば、ほんとうに大切なものを守れる」という発想の注意喚起は信用できない。それを認めれば次はべつの「悪いもの」を探して潰す流れになるからだ。

自分無許可商業アンソロをよしとしない理由は、二次創作人気に乗っかって適当商売しているモラルの低い出版社が気に入らねーからってだけ。

2015-09-05

書店で買える無許可パロディアンソロ本について

はじめに

某週刊少年漫画ジャンルで乱発されている商業ベース版権元無許諾のアンソロジー(※海賊版アンソロ違法商業アンソロなどとも)の現状について周知し、今後、問題点認識しないまま無許諾アンソロジー寄稿する同人作家が出ないよう、また購入する人に対し注意喚起を行いたい。

アンソロジー本がすべて違法なわけではありません。 書店に並んでいる商業アンソロジー本の中には公式が監修して正式出版されるものがあります。「(版権者)監修」や(c)マーク正式タイトルロゴの使用などで判別可能です。これらの本を買ったり、執筆する事は公式に認められた立派なファン活動です。

(9/8追記:(c)マークあくまでも著作権者を示すマークであり使用許可イコールではないのですが、商業アンソロ本で「(c)マークでわざわざ著作権者を示しているのに非公式」というのはかなり特殊なケースと思われるのでこのように書いておきます。)

無許可商業アンソロ問題点

無許可商業アンソロ問題は、

そのため

公序良俗に反するとして表現規制強化の理由となりえる。

版権元が「作品イメージを損なう」「利益を損なう」と判断措置をとる可能性がある。実際過去権利からの警告・注意・提訴が行われたことがある(→ヘタリア十二国記ガンダムトライガンときメモ等)。その場合措置対象無許可商業アンソロにとどまるとは限らない。

このような事態を招かないよう、寄稿者、購入者だけでなく、二次創作に関わる者が無許可商業アンソロ問題点認識し、行動を自重していくことが必要ではないでしょうか。

同人活動との関係

言うまでもないことですが、個人による二次創作活動は「個人の趣味を逸脱しない範囲で」黙認されているにすぎません。

個人が対価を取って同人誌頒布するのは、印刷代・イベント参加料などのファン交流に伴う経費をファン間で立て替えているのであり営利行為とみなさないという風習で見逃されているだけです。しか企業原稿を渡し対価として稿料を受け取る行為はその範疇には含まれないという事が理解できない方はいないでしょう。

当然、二次創作を公に認めていない公式が動けばこれら全ては違法となります公式二次創作に対する見解を問う事はなんの解決にもなりません。(→芳文社や小学館などの二次創作禁止(?)ガイドラインの真相について、出版社の中の人が解説してくれました。

しばしば誤解している人がいますが、二次創作物無料公開・配布であっても原作著作権侵害していることがほとんどです。したがってこの記事では、二次創作活動自体の内容、是非を問う事はしません。

購入者

著作権者許可を得ずに発行されている商業アンソロジーです。問題点をご理解いただいたうえで、購入するかどうかご判断ください。

無許可商業アンソロ刊行されるのは、当たり前ですが、購入者がいて儲かるからです。

購入者一人ひとりが問題の一端を担っているという事を理解したうえで行動していただけるよう、願っています

寄稿者へ

無許可商業アンソロ寄稿される原稿がなくては成立しません。加えて、影響力の大きな描き手が無許可商業アンソロ寄稿し、堂々と宣伝していることから二次創作への知識が不十分な層がアンソロについて誤った知識を持ちつつあります

しかし、実際は寄稿する作家の多くが「いけないことと知りながら」寄稿しているように見受けられます。その理由個別にあるでしょうがほとんどは「みんなやっているか大丈夫」「商業誌に載ることはステータス」というような安易な考えのもとに行われているようです。寄稿する方々は、寄稿執筆することで、結果的に上記のような重大な問題をはらんだ無許可商業アンソロに協力している状態です。今一度、自分行為について考えていただければと思います

また、同人サークル執筆寄稿依頼があった場合依頼内容が版権公式であるか否かを確認することをお勧めします。

最後

私個人は、以上のような理由から無許可商業アンソロ拒否しますが、この記事を読まれた方がどのように判断され、行動されるかを強制するものではありません。

二次創作同人にはさまざまな問題があり、無許可商業アンソロだけを槍玉に挙げるのは間違っており、正当性がないという意見もあるでしょう。

しかし、上記に挙げた問題点を「問題ではない」と言う方は少ないと感じています。何が問題ぴんとこない方は、ぜひこの機会に調べてみてください。「同人誌 著作権」「コミケ 著作権」などと検索すれば、いろいろなページが出てきます。勿論、この記事を含め、必要情報を取捨選択し、判断を下すのはあなた自身です。

この記事が読んだ方の行動を決める一助になれば幸いです。


参考リンク

ヘタリア無許可商業出版物に関する幻冬舎の謹告:http://www.gentosha-comics.net/hetalia/2010/05/oshirase3.html

ときめきメモリアルアダルトアニメ映画化事件wikipediahttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%A8%E3%81%8D%E3%82%81%E3%81%8D%E3%83%A1%E3%83%A2%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%80%E3%83%AB%E3%83%88%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%83%A1%E6%98%A0%E7%94%BB%E5%8C%96%E4%BA%8B%E4%BB%B6 (経緯最終段落アンソロ提訴言及あり)

十二国記無許可商業アンソロに対する講談社の謹告(アーカイブ):http://web.archive.org/web/20090623021846/http://shop.kodansha.jp/bc/books/junikokki/kinkoku.html

トライガン無許可商業アンソロに対する原作者コメントアーカイブ):https://web.archive.org/web/19991005041701/http://www.din.or.jp/~nightow/EFefnow.html (9/9追記)

2015-07-17

元少年Aではなく、絶歌の著者としての氏名等は法的に保護されるの?

いくら酷い犯罪を犯したとはいえ、当時未成年だった元少年Aの氏名や居住地などは少年法保護されてるから報道しちゃいけないのはわかってる。

 

でも彼は出版物を出したよね。

ベストセラー確実な著作物を自らの意思で書いたんだよね。

そのベストセラー作家としての存在は、もう少年法保護から離れちゃってるんじゃないの?

 

から週刊誌あたりが現在名乗ってる氏名や写真を入手したとしても、「ノンフィクションベストセラー作家パパラッチしただけに過ぎない」とか言い張って報道すれば通りそうな気がするんだが。

つーか今頃もう新潮だの文春だのは血眼になって探してると思うんだよね。

絶対逃げ切れないよ。

どうすんだろ。

2015-06-18

時代考証が甘い。

http://anond.hatelabo.jp/20150617214117

日本バブルで浮かれる時代はまだ遠い先の話で、当時の小さい出版社は、まさに爪に火をともすようなギリギリの状態でなんとか生き残ってるような有様だったように思う。

その時代ならば、原稿持込はまずは週刊誌だ。そして、「殺人を犯した元未成年」〔原文ママ:「未成年者」だろう?〕の代理人が編集部コンタクトを取ってきたとして、その編集部が「本人の名前も顔もわからないし、ただ彼が犯した罪だけは知っていた」などという有様である上に、「そこから約一ヶ月」の間、悠長に「社内を二分して大激論が交わされ」ている間に、その代理人氏がどこか別の出版社原稿を持っていかなかったなどということが、あり得るであろうか?

そして、その時代ならば、「小さい出版社」はかなり元気だった。こういう時代だろう?

こうした状況を受けて、1976年3月、元書店勤務の川上賢一らが呼びかけ人となり、地方出版社社長や書店主など有志40人による出資を得て、資本金450万円(当時)で地方・小出版流通センターが設立された。初年度から180社、約5000点の書籍を扱い、その後も地方出版物のブームに乗って、1990年代半ばまでは順調に業績を伸ばした。

2015-06-17

未成年犯罪者の手記の出版を阻止したことがある身として絶歌に思う事

平成代表する未成年犯罪者サカキバラが手記を出版した事が波紋を広げている。

 

本当に大昔の話で恐縮なんだけど、殺人を犯した元未成年出所した後に手記を出そうとして、自分が勤めていた出版社コンタクトを取って来た事がある。もちろん本人が直接ではなくて代理人経由で。本人の名前も顔もわからないし、ただ彼が犯した罪だけは知っていた。世間的にサカキバラほどのセンセーショナルさは無いせよ、自分と同世代人間がこんなことをするんだと当時衝撃を受けたのを覚えている。

 

未成年犯罪者の手記ってのはあまり出版界でも例が無くて、出せば相当売れるのは間違いなかった。

うちは小規模な出版社なのでもし数万部売れればそれはもうありがたいっちゃありがたいし、20万部でも売れれば数年は社長資金繰りに追われなくて済むんじゃないかってぐらいの大ヒット。日本バブルで浮かれる時代はまだ遠い先の話で、当時の小さい出版社は、まさに爪に火をともすようなギリギリの状態でなんとか生き残ってるような有様だったように思う。事実、うちの会社もちょいちょい給料の遅配があって、そろそろヤバいんじゃないかって社員同士でも囁かれてた。

 

そんな時に、出せば数万分は確定するような美味しい出版物の話が舞い込んできたんだから社内を二分して大論争に発展した。

ここで当時の社長っていうか創業者だけど彼の偉いなあと今でも思うところは、零細出版社経営者としては当然出版したいのは山々、しか判断自分以外の社員全員の多数決に委ねたってところだ。「こういう話が来ているけれど大変デリケートな話なので、皆さんの判断に委ねます」と一言だけ朝礼で言って、結局議論には全く関わらなかった。

 

そこから約一ヶ月、社内を二分して大激論が交わされた。社長が朝礼で「この件に関しては先輩後輩上司などの立場は無くして、出版に関わる一人の人間として対等な立場議論してください」と釘を刺してくれたお陰で、当時下っ端だった自分も遠慮なく発言することができた。こうやってキーボードを叩きながら社長の言動を思い返してちょっと涙が出て来る。天国で元気にやってますか?

 

出版賛成派の理屈は大まかに以下の二通り。

  • 世間ほとんど公開されない少年犯罪者の言動を伝える事に意義があるのではないか
  • うちの経営状況をみんな知っているだろう、これは起死回生の一発になる

 

自分も属していた反対派の反論は以下。

 

 

結末はどうなったかタイトルの通り、出版しないという結論に至った。多数決はなんと全員が出版反対だった。無記名で紙に賛成反対と書く投票形式だったから他の人の目を気にして反対にしたとかじゃない。賛成派も反対派もみんな納得して一つの結論に至った希有な例だったように思う。零細とはい出版人としてのプライドがそうさせたんじゃないだろうか。

絶歌を出版した太田出版の言い分がサイトに上がっていた。白々しいし、軽薄だ。ここで私が声を大にして言いたい事は、中小出版社が口にする「出版する事に意義がある」という決まり文句ウソってことだ。そんなもの存在しない。

 

彼らにとって、10万部という数字は涎が出る凄まじい数字だし、つまりそれ以上でもそれ以下でも無い。出せば売れるのが間違いない話が舞い込んできた、出版は確定、さあどういう理屈を後付けしよう。そんだけのこと。言論の意義とか大仰なことは単なる化粧だ。本音はそこじゃない。売れるから出す。出す事によって起る諸々の波紋はオタクさんたちで解決してくださいねっていう無責任な態度にしか過ぎない。

繰り返すけれど、太田出版未成年犯罪者の手記を世に出すことが社会的な意義があるなんてこれっぽっちも思ってない。そこは断言できる。遺族が何を思おうと、サカキバラを神格化する精神破綻寸前の今10代の少年少女にどれだけの悪影響を与え居ようと知ったことじゃない。売れる。だから出す。それだけ。 

 

僕らの例はたまたま阻止できた。でも本当にたまたまだと思う。もっと経営が苦しくて、そして社長独断するような人であれば間違いなく出版されてただろう。

 

この話に特にオチは無い。私の意見特に無い。以前あったことをありのままに書いただけの話。読んだ人がどう思うかは貴方に委ねます

2015-06-13

自主規制団体存在意義─「18歳未満には売れません」の法的根拠

0.まえがき

おそらく表現規制最前線にいる人しか分かってないと思うので書く。

自主規制団体必要とされる理由は大きく分けて3つ存在する。1つには、販売店を安心させるため。2つ目は、条例上あった方が有利だから。3つ目は、世論との妥協のためだ。

1.販売店にとっての意味

(太字強調は筆者による)

[刑法 第百七十五条]

わいせつ文書、図画、電磁的記録に係る記録媒体その他の物を頒布し、又は公然と陳列した者は、二年以下の懲役若しくは二百五十万円以下の罰金若しくは科料に処し、又は懲役及び罰金を併科する。

電気通信の送信によりわいせつな電磁的記録その他の記録を頒布した者も、同様とする。

[児童買春、児童ポルノに係る行為等の規制及び処罰並びに児童の保護等に関する法律 第7条第6項]

児童ポルノ不特定若しくは多数の者に提供し、又は公然と陳列した者は、五年以下の懲役若しくは五百万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する。

電気通信回線を通じて第二条第三項各号のいずれかに掲げる児童の姿態を視覚により認識することができる方法により描写した情報を記録した電磁的記録その他の記録を不特定又は多数の者に提供した者も、同様とする。

まりわいせつ文書・図画や、児童ポルノに関する罪を問われるのは製造者や所持者だけではない。法律上は、販売した者も罪に問われる場合がある。

が、店員にとってみたら『わいせつっぽい物を販売したらある日突然逮捕されるかもしれない』は恐怖である

そのような販売店の恐怖が『それっぽいものは全部売らない』になるのは商業的にも文化的にもマイナスなので、

ビデオ映像関係の年齢表示や、成年向けコミックマークはそのような販売店の声に対し、『自主規制団体が、刑法および児童ポルノ法違反していないことを確認したと責任を負います』という意味がある。

からこそ、数年に1度程度の割合で『AV女優が実は18歳未満だった』という事件があるが、そのAVを置いていたツタヤの店員が全て逮捕されるわけではないし、

以前薄消しが流行ってビデ倫関係者逮捕されたことがあるが、問題になったビデ倫作品を扱っていた販売店の関係者逮捕されていない。

逆に言うと、そういう団体を通していない、いわゆる裏ビデオを分かっていて売ったら店員が逮捕される可能性もあるはずだ。

2.条例上の意味

上で書いたような『わいせつ文書・図画』や『児童ポルノ』は世間で広義で用いられるような意味ではなく、たとえ18歳以上にしか売っていないとしても、売った人は逮捕されるような物の話である

では、一般的に「18歳未満には販売できません」で書店アマゾンで売っている商品はどのような法的根拠で売っているか。それが条例上の理由だ。

[東京都青少年の健全な育成に関する条例]

(表示図書類の販売等の制限)

第九条の二 図書類の発行を業とする者(以下「図書類発行業者」という。)は、図書類の発行、販売若しくは貸付けを業とする者により構成する団体倫理綱領等により自主規制を行うもの(以下「自主規制団体」という。)又は自らが、次の各号に掲げる基準に照らし、それぞれ当該各号に定める内容に該当すると認める図書類に、青少年が閲覧し、又は観覧することが適当でない旨の表示をするように努めなければならない。

まどろっこしいが、要は『一定倫理基準に該当する物は、青少年に閲覧・販売できないように努力せねばならない。(そして、成人に販売する分には問題ない)』ということである

"18禁"などに関する(映像作品ゲームではR-15も一応は存在する)法令上のもっと重要な(もしかしたら唯一の)根拠はこの条文だ。

この条文があるからリアルでもネットでも、18禁作品を売る際には専用のゾーンを設けなければならない。その区分が雑だという話(特にネットにおいて)はノーコメント

3.世論との妥協

そもそもこのような自主規制団体が生まれたのは1950~60年代に『低俗な本・雑誌が溢れた』ことに対する世論批判とそれを受けての条例(2で書いたのは東京都条例だが、同様の条例は全ての都道府県存在する)制定の動きに対してであり、

ビデオゲームが出た後も法規制の動き(もしくは実際の逮捕事件)を受けてから出版団体を参考にして自主規制団体が生まれている。

もっとも、出版映像では少なからず差がある。最大の違いは、出版は成年マークのついていない書籍については一切の表示がないのに対し映像ゲームでは(ほぼ)全ての作品について「審査の結果、年齢区分はこうなりました」という表示があるということだ。

世の中において『私の考えるこれこれの思想道徳に反する本は全て排除せよ』という日本国憲法ガン無視全体主義者は少数だが、

「たとえ低俗出版物であっても、他者権利侵害していないならば全て認められるべきだ」というガチ一元的内在制約説原理主義者もまた少数であり、

低俗な本に対する一定倫理的歯止めをする制度必要だよね」という中庸な人がおそらく最大多数だ。

酒鬼薔薇の本など典型例だ。私の倫理観はあの本が出ることを嫌悪するが、あのような本の出版をどうやって規制するのか、というと非常に難しいよなと思う部分はある)

そういう人たちに対して「いや、一定倫理的歯止めはかけていますよ」というアピールをして、ひいては条例法律上規制をするような世論に持っていかせないという存在としても自主規制団体は役立っており、

民主主義の世の中においてそのような団体存在意義は一概に否定するものでもない。

4.どなたか憲法学者の方はいらっしゃいませんかー(呼びかけ)

Q:「ややこしいから国が基準を定めてはどうか」

A:「それは憲法が禁止する検閲に当たるのではないか?」

実際その辺どうなんでしょう、はてな憲法学者の方がいらっしゃったらその辺どのように解釈されるかお願いします。

2015-05-16

図書館とはどうあるべきか

【日本の議論】悪い図書館「究極の寄贈図書館は東京拘置所」…市民にとって“気持ちいい図書館”が本当に良いのか(1/4ページ) - 産経ニュース

最初は、

「本はタダで読むもの」との認識が広がった

という主張はどうかな、と思ったが、あながち間違いでもなさそうだ。

b:id:wackunnpapa ところで佐藤義亮は新潮社を立ち上げた後,角館町公共図書館に自社の出版物をせっせと寄贈していたはずですが,自社の歴史に泥を塗るつもりかい石井さんとやらは。

b:id:tamasuji 世の中には買いたい本と借りて済ませばいい本があり、買いたいと思える本は少ない。

スーパー試食コーナーでタダで食べられるから、売り物もタダだろみたいな理論賛同が集まる。かと思えば、買いたいと思うほどじゃないから違法ダウンロードしてもいいだろ、みたいな意見もある。なるほど、程度が低い。

出版社が主張したこと

さて新潮社石井氏は、図書館に対して

せめて増刷されそうな本については6カ月、図書館での貸し出しを猶予してもらえないか

しか(少なくとも記事中では)要望していない。それが図書館にとって受け入れ難いものだろうか。あるいは文化的な何かが衰退することに繋がるだろうか。

出版社とは元来(当然ではあるが)利益を追求する。そう言った意味で、図書館古本屋を目の敵にしてもある程度は理解できる(しか賛同はしない)。コメントでも

b:id:bogus-simotukare 新潮社のアホは本が売れないのを図書館のせいにすんじゃねえっての。そのうち「ブックオフの営業を規制して欲しい」と言いそうな勢いだな。

b:id:kako817v002子供たちを読書に誘う為の手段」とは考えないんですか、そうですか。

b:id:meshupecialshi1 自分達だけが儲かろうとするあまり、頭の悪い偏見肩書きで権威付けて押し通そうとする(よくある)例。しかしこういうのが本当に大手を振ってまかりとおるようになってきましたね。

と、先入観というか決め付けを書き込んでいる人がいたが、今回の主張はそこまで過激ではない。図書館目的に照らしても、速報性のない資料をすぐに貸し出せるようにする必要はないし、スタートダッシュを決めたいという戦略ならば、理解可能な折衷案である図書館あるいは一利用者側としても、一過性のもの費用を充てるより、落ち着いて良書を買ってもらった方がよい。そういう意味で、出版社側の思惑とは関係なく、この提案が実現することを望んでいる。

結論が正しいからと言って前提が正しいわけではない

無論、大抵の人たちが噛みついたのは「図書館のせいで我々の売り上げが落ちた」とする出版社側のイイワケだ。

b:id:shag ついに図書館にまでケチをつけるとは...。

b:id:saki_n 図書館のせいで「本はタダで読むもの」の認識が広がったと言いつつ、8割の人は来てないとか言ってみたり。結局図書館のせいではないと分かってるじゃないか。

b:id:The-Globe 返本率が4割近い、って需要予測ガバガバ過ぎるわ、ドイツ10%とは言わんから20%まで下げろ。日本の本需要は高い方だし物流は早いし図書館が極端に多いわけでもない、外部に問題を探す前に企業努力しろ

b:id:mugi-yama 複本の件はよくわからないんだけど「初版部数の9割が売れれば採算が取れるような価格設定」これがそもそもオカシイような気が…

結局、自分不振理由を分かりやすそうな所に求めているあたりは他と大差がない。外野から見れば、お前らが目を逸らしている問題を解決する方が先だろ、と思ったりするわけだ。しかしだからと言ってそういう輩に攻撃的になるのもナンセンスだ。その内絶滅するので「仇敵である図書館を打倒だ」とか叫ばない限り「おじいさん、ご飯は昨日食べたでしょ」といなすのが吉である

図書館のあり方

老害はさておき、図書館とはどうあるべきか、というのは重要問題である

b:id:xuggbo まぁ娯楽作品は1個ずつしか入荷しないとかい制限必要だと思うけどな。

b:id:ssids かと言って「先生が読ませたい本」ばっかり揃って閑古鳥が泣くタイプ学校図書館みたいなことになっても無駄なわけで。

b:id:nowa_s 時間はあっても金はない人(子供や老人、主婦)が主な利用者だよね。被告人も確かにそうだ。図書館がなく新刊も買えないなら、本が読めなくなるだけ/古い本(古典絶版本)も新しい本(流行本)もあるのが図書館のいいとこ

b:id:teebeetee 利用の指標として貸出冊数を使うのはしょうがないとして、複本は所蔵数で割るようには出来ないのかな。/ところで「図書館も人気ある本の需要に答えて当たり前」みたいなのって意見としては読んだことないんだよな。

b:id:yuki_chika 佐藤優氏が図書館の味方のような書かれ方だが、以前から図書館商業出版を圧迫してると批判していた/書物が「商品」なのか地域・個人にとっての受け継がれるべきナレッジベースなのかは明確な解がない難しい問題

2014-12-19

DeNAが始めたまとめサイトによる画像転載について調べたら

モバゲーDeNAまとめサイトを新しく始めたんだってね。

DeNA、食のキュレーションプラットフォーム「CAFY」の提供を開始 | 株式会社ディー・エヌ・エー【DeNA】

そんでもって、まとめサイトとかバイラメディアがクソミソに言われがちな昨今なので、やっぱり著作権関連で何か問題は起きてこないかなと手ぐすね引いて待ち構えているブロガーの方々がいるらしく。

早速、はてブで見かけたのが次のエントリー

DeNA新キュレーションのライター25人の引用状況をチェックした

そこそこ細かく調べているようで御苦労さまですwってところなわけだけど、DeNAプレスリリースもチェックしていた自分にはひとつ引っかかるところがあった。

それは「レシピブログ」ってサービスについて。全然存在を知らなかったけど、料理ブログをやっている人が自分で登録してアピールする場所みたいだ、たぶん。

で、上のエントリーは、レシピブログから画像がたくさん転載されていると指摘した上で、それらの画像著作権についてあーだこーだ指摘したいようだったけど、プレスリリースを見る限りでは、レシピブログってところはDeNA提携しているようでして。

それなら別に画像転載問題ないじゃないと思うよね。で、レシピブログサイト規約をチェックしてみた。

免責・著作権・プライバシーポリシー | レシピブログ - 料理ブログのレシピ満載!

著作権の項目にこう書いてある。

また登録者はその掲載情報に関する著作権人格権行使しないものします。投稿された記事画像登録者個人情報を除き、「レシピブログ」が提供する情報として、他メディアへの掲載出版物として発行することがあります

登録者ってのはブロガーのことね。その登録者から「他メディア掲載することがあるよー」って事前に承諾を受けているってのだから別にDeNAまとめサイト画像勝手転載されても、それは無断転載にはならないってことになる。

から法律的には問題ない(はず)。

まー、でもどうだろうね。レシピブログに登録しているブロガーの皆さんって、こうなることを予期していたのかな?

別に規約上は問題ないよ。ただ、ブロガーの皆さんが納得できるかどうかは別論。

レシピブログを始めとした提携業者さんに文句を言う人も出てくるのかなー、そうすると面倒だよなー、ってな事態になるのかもしれないなぁ・・・なんて。

2014-11-01

http://anond.hatelabo.jp/20141101191511

バトルアニメ復讐劇も普通に規制されてるよ。

内容によってはテレビじゃ放映出来ないし映画だって年齢制限定めてるし出版物出版社自主規制してるだろ?

バイラル周りの炎上を眺めていて

村長片岡Kおよびアスペクト幻冬舎あたりの脱法出版について言及しておられたけども

出版業界って、一部の超大手学術しかやりませんねんみたいなお堅いところ以外の、中小零細後発隊はほとんどのとこが

「ひと山あてたらんかーい!」的、山師スピリットあふれる胡散臭い業界だよなぁと改めて思う

原稿料ばっくれて雑誌作ってる社長もこないだ話題になりましたけど

はい出版は、多少は資金も集めなきゃならないし人手も必要から、こりゃひどいというのは「得られる果実もそれなり」だったりもする

一方、さらにやっかいなのがwebメディアだと思うんだ

スタートだけなら少人数、なんなら一人でも始められちゃう社会的信用も不要

 違法行為への認識って、ある程度いろいろ経験すると法知識がなくても「あ、ここはまずい」という嗅覚が働くけど、彼らにはそれがない

 そもそも、社会生活上で毀損されるようなものが何もなかった輩だったりする

 だから違法行為炎上して信用がなくなってもなんとも思わないんだろう。全能の人ってやつだ

 メンタルとしてはアイスケースに入って記念写真撮る子と根っこは変わらないんだろうなというか

 もともと友達がいなかったし、面倒なこと言う友達はいない方がむしろ楽、また別の友達探すから、という感覚だろうか。よー分からんけど

出版物よりもパクリやらの脱法的違法行為が「流れ」やすい。

 ばれなきゃいんだよ、ばれたら消しゃいいよ。という感じはあると思う。

 メンタル小学生ぐらいから進化してない感じというか。ー

 そんなのでも、労力比ではそこそこは稼げたりするんだろうから馬鹿のフォロアーが絶えなかったり

・そういうのをちやほやする「お仲間webメディア()」で信用ロンダリング

 先に大いに燃えて名を上げた先輩が持ち上げるパターンもよく見る。

 名前をよく見るようになれば、悪名だろうが成功というのが「炎上商法」のベースだろうと思うんだけど

 同じような屑同士で「あいつ悪くねーよ」「話題の○○に会ってみた」とか、ねぇ…

 リアル社会での信用力がなければ効果限定的だと思いますけど

 「リアルの信用力は多少あるけど、基本がうっかりしてる佐々木先輩」みたいなのもいるし油断できない

webメディアで飯食ってる人は業界全体である程度質とか遵法製とか考えていかないと、そろそろメディア自体頭打ちになると思うよ

http://anond.hatelabo.jp/20141031231042

エホ証の人?言いたいことはいっぱいあるよ。

おかしものおかしいと言って何が悪いのかわからない。

まったく教義根拠の違うものを同じだと言い張る方が頭がおかしいとしか

無駄に知識の無い信徒を使って勧誘しまくるエホ証正統派だと思うの?すごい神経。

キリスト教伝統クラッシャーとして有名で、自分たち勝手翻訳し(もうこの時点で「キリスト教」じゃない)

内容を改変した聖書を片手に「今のキリスト教は全部邪教だ」と言いまくるのが普通だと?

今も子ども大学行かせ茶いけないところが普通だと思うんだ?

新世界訳の聖書出版物として日本聖書協会ですら販売できないよ。

受け入れてほしいなら受け入れてほしいなりの動き方がもっとできないのかって思うね。

同じことをした日蓮宗から追い出されたあの創価学会だって丸くなったのに、エホ証全然変わらない。



異端と呼ばれる団体の方が、主流派よりずっと閉鎖的だし攻撃的。

なんでうちのカトリックにあんなに噛み付くのかわからいね。それにしちゃ正教も知らないし。

流派の方がはっきり言ってまだ個人に寛容だし、当然人が受け入れやすいようにできている。

もう他の団体迫害しませんって言ったの知らない?知らないんだろうね。

自分で調べてね。


戦争は起きないよ、エホ証が来る来るって騒いでる世の終わりを自分たちで再現しようとしなければね。

まあ、それ以前に元エホ証がたくさんうちを含めた主流派に逃げ込んできてるから空中分解しそうになってるよ。

きっと知られていないだろうけど。聞いたけど集まりの回数を増やして、お互いがお互いを見張ってるんだってね。

平日の午前中にみんなで集まって見張り会。ごくろうさんって感じですね。

2014-09-26

書泉グランデtwitterにて在特会幹部の著作を紹介したところ、書泉にはレイシストがいるというRTが相次ぎ

当該ツイートを削除したそうである。この事件に関し、yahooリアルタイムランキング上にはもう書泉では買わないだとか

抗議をしようだとかのツイートが溢れかえっている。

消されているためRTとして引用されている部分のみしか見られないのだが、そこにはこうある。

「新刊『大嫌韓時代桜井誠(青林堂) 隣国が嫌いな方、なぜ嫌われているのか気になる方や、植民地支配戦勝国気取り、

領土問題反日…疑問をお持ちの方にオススメ

果たしてこの本を紹介することはレイシストだと呼ばれる行為ヘイトクライムだと講義されなければならないことなのだろうか。

この紹介文を読む限り「朝鮮人を皆殺しにしろ、だとかゴキブリ以下の劣等民族だ」などというようなことが書かれてているというよりは

多かれ少なかれのバイアスがかかってはいようが著者はなぜ韓国が嫌いなのか、あるいは日本人韓国を嫌いになりうる理由があるのか

という理由を説いた書籍のようである

ところが、反ヘイトクライムを声高にネット上で語る意識の高い方々には、これがヘイトクライムに相当しこの出版物を紹介することは

レイシスト所業であると断言する。そして書泉やその親会社アニメイト(?!)に抗議しようなどと息巻いているのである

私は極力客観的にこの事件を見ているつもりであるが、これは反ヘイトクライムなどではなく自分の気に入らない意見封殺であろうと思う。

例えばtwitterで「このような社会的に不適な書物はおおっぴらに宣伝するべきではないだろう」というような物があった。

ではその社会的に不適か否かは誰が決定するのか?日本政府がこの書物はよし、この書物は駄目というようなリスト作成すると発表した場合

これはもうほとんど検閲の一歩手前であるしかしこの反ヘイトクライムを主張する方々にとっては諸外国特に韓国批判する書物を

社会的に不適と指定するか、あるいは出版の禁止をしたところでそれに喝采を送りそうな予感がある。

この方々は書店自分たち基準社会的に適切な書籍以外は売ってほしくないのだろう。思想表現の自由など反ヘイトというわかりやす

正義っぽい雰囲気に酔えることのほうが重要なのだ

ヘイトクライムとは何であるのかというところの定義当人たちにないために、批判ヘイトという極めて単純な考えに支配された

頭の悪い人々が発言力を持ってしまったことは現代の大きな不幸の一つであろう。

2014-09-04

日帝のせいで国民特に働き盛りの男手がいなくなって疲弊した

戦争をしたせいで残ったモノはたくさんの恨みと戦地から帰ってきた骨壺だけ。

国も家族疲弊して、何も食べられなくなった。

貧乏生活を無理矢理強いられた。

それなのに政府はその時も和牛ステーキを頬張り、美味しい酒を飲んで毎日優雅に暮らしていた。

この図式は今の政権と何が違うだろうか。

今の政権アベノミクスによって疲弊させられた経済破綻者の生活被災者の事など殆ど全く無視して優雅にゴルフする等してまるで別世界だった。

これと日帝はさほど変わらないはずだ。

しかも、また戦争しようと言うのである

自民党の中には未だに徴兵制を考えてる人達がいて、それは維新の会にも多く支持する者がいる。

ところで彼らは一般的市民階級人達であろうか。

いや、多くは上流階級である

まり他人事なのだ

その上戦地に赴くのはまたも市民階級未満の国民である

彼らに戦争へ行かせて得られた領土や金は殆ど搾取される運命にある。

それらは上流階級政府政権の元に行き、一方国民は更なる疲弊を強いられるのである

大日本帝国こと日帝と同じ事をまた、繰り返そうとしている。

広島長崎原爆が投下された後、戦後一番助けてくれたのは日本政府ではなく当時敵だったGHQ国連であった事実を忘れてはならない。

戦後教育は間違ってはいない。

何故なら戦後教育があったからこそ、国民戦争悲惨さや政府が行ってきた国民騙しの大罪を知る事が出来た訳である

今の政権はこれを壊そうと言うのである

要するに、洗脳教育時代に戻してまたも国民疲弊させて自分たちを裕福にさせる使役を強いろうというのだ。

しわが国が日帝のままであったら、どうなっていただろうか。

誰も彼も勉強できず、一部の富裕層けが美味しい物を食べて国民疲弊したままだったのではなかろうか。

出版物もいちいち検疫されて、今日の娯楽、アニメ漫画などの日本独自の文化も発展しなかったのではないか。

実際、表現の自由規制する動きがあり、その説明はほぼ決め付けによる感情論規制であり、日帝時代のそれと何ら変わりがない。

自分に都合の悪い話は黒塗りする、正に朝日新聞の今のような事が平然となされるわけである

テレビ中継で見る野球サッカー英語の「ストライク」や「アウト」でなく、「よし」や「ダメ」という今では考えられない用語が当り前だったはずである

女の子名前カタカナ表記一般的であり、当然女は社会に出る事を許されずミソジニストよろしく男社会形成されたままだったであろう。

一部の人間だけが得をするのが日帝時代と考えるなら、それを推進する人間十中八九そういう階層人間に限られる事は留意しておきたい。

2013-09-12

日本エホバの証人が「信者が増えない国ランキング」1位になった理由 ※追記あり

統計信者が増えない国ランキング

http://www.jwstudy.com/docs/study_hours_per_baptism/

誰も興味がないだろうけれども。

簡単にいうとこの数字は切羽詰まった信者の水増し報告の現れ。

 

エホバの証人がやたら来るのは、一ヶ月にどのくらい伝道活動をしたかを報告するシステムがあるから

日本人はこの数字上げに関して世界一熱を入れている。他国信者が驚くくらい。

互いに愛し合うことより数字入れることの方がわかりやすいし、記録として張り合いやすいからかな。

 

組織は誰が何月に何時間伝道していたかという記録を過去何年分も遡って記録している。

伝道時間とは、エホバの証人じゃない人間エホバの証人教義を伝えるためにかけた時間を指す。

正規伝道者になったら最低一ヶ月1時間伝道活動を報告しないと「不活発」ということで、頭数から除外される。

どんなに熱心に聖書を読んでいようか、仲間の信者を助けるために奔走していようが、伝道してないとダメ

奉仕活動」と呼ばれているんだけど、地域ボランティア被災地支援介護なんかは含まれない。

そんなわけで現役エホバの証人として神に、そして仲間に受け入れられたかったら伝道は欠かせない。

   

この伝道時間というのは実質信者の格付けランキングになっていて、時間が多い人ほど重んじられる傾向にある。

伝道時間により伝道者、補助開拓者開拓者特別開拓者宣教者というクラスけがあるんだけど

海老名市にあるものみの塔聖書冊子教会日本支部通称海老名ベテルの精鋭に選ばれた場合

何歳から何年間開拓奉仕をして来たかで、休みの日も違えば割り当てられる部屋も違う。

 

じゃあこの伝道時間ってどうやって計算するのかと言うと

まず家を訪ねる場合伝道開始した最初の家を訪ねた時間から最後の家を訪ねた時間までを計算する。

中道ばたで喋っていたり、移動したりする時間をどの程度記録に入れるかは個人裁量に任される。

また手紙メール電話場合手紙を書き始めてから書き終えるまでを数える。

 

さて、補助開拓者から宣教者までは伝道時間ノルマがあるから1時間でも多く伝道したい。

特に月末・年度末は切羽詰まって、勢い質より量になる。

そのため伝道時間の「経費」とみなされる活動に自ずと力が入る。これを「時間を入れる」という。

 

たとえば牛歩で移動時間を稼いだり

遠くの家と遠くの家をピンポイントで訪ねてみたり、同僚に唐突聖書の話をしてみたり

エホバの証人でない親族や友人知人にご機嫌伺いの手紙を書いて、最後にちょろっと聖書の言葉を書いたり

すごい人になると、一回家に帰って小一時間くつろいで、それも「休憩時間」とみなしてしまう。

 

そんなわけでエホバの証人聖書の話を聞いてくれる・断らない相手にしがみつく。

聖書研究を始めた途端にいろんなエホバの証人が何かと話しかけてきたり、手紙を寄越したりするのもそのせい。

同じ相手に話しかけると「再訪問」という別枠のカウントも入り、これも熱心さの目安とされる。

もちろん出版物提供したり、聖書研究を司会したらそれも件数カウントされる。

 

こういう数字がいいメンバー集会大会で「模範的伝道者」として賞賛される。

どれだけ長年熱心に仲間を支援していても、信者でない人を隣人として愛してきても

数字が出ないと賞賛対象にはまずならない。

布教の成果が出て相手エホバの証人になると、そこから数字カウントされなくなる。

もちろん「時間が入らなくなる」ので、難癖つけて献身を渋るような本末転倒事態も起きる。

(そして献身した後は「奉仕が忙しいから」とアフターケアをしなくなる。)

 

ブルックリン本部出版から来た人が「聖書通読しましょう」という講演で

日本数字を出すのが好き。もしも聖書通読数字を報告することになったら、年間1000時間とかすごい人が出るだろう」

と言っていたが、その通りだと思う。

 

日本エホバの証人他国と比べてとりわけ熱心に伝道活動をしているわけではない。

ただ数字を上げることへの熱中度は群を抜いている。

ちなみにどれだけ寄付たかは発表されないので、寄付への熱意はかなり低い。

施設維持費として最低いくらかかるかは明確にされており、簡単計算できるけど、しょっちゅう赤字

個別に発表して賞賛すれば寄付額はぐっと上がると思われる。

 

 

■追記■

「あれ、この話題自分が書いた話によく似てるな…」と思ったら自分が書いたやつだった。

なにこの時間差。#metoo案件もあるのでこっちも見て。

小児性愛冤罪を阻止するエホバの証人

https://anond.hatelabo.jp/20091208213339

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