はてなキーワード: 中庸とは
なんかX見てたら「山本太郎の名刺が点字とひらがなも併記されてて既存の極左よりマーケが断然上手い」みたいなツイートが流れてきた。
その名刺を見てみると二つ折りになっており、外側には「消費税は廃止!毎日が10%オフ」、「教育費無料 奨学金チャラ」、「悪い物価高が収まるまでの季節ごとの10万円の給付金」とスローガンがでかでかと載っていて、内側に代表の名前とか連絡先が載っているみたいな感じだった。
まあ110円が100円になっても9%オフなので毎日が10%オフは確実に間違ってるんだが、そういったツッコミは来た時に「元の原価と比べて10%オフだから」とかなんとか言っておけば大丈夫だと考えてるんだろな。インテリの賢人を自認している既存の左翼政党の一部議員・支持者には絶対に真似できない書き方だ。HP見ても立憲共産は綱領と書いてるのに対して、れいわは「れいわ新選組の決意(綱領)」とか書いてある辺り本当に徹底してる。
「手取りを増やす」を掲げて当選した国民民主党に対して、「我々の政策は難しくて理解されなかった。ポピュリズムに陥らなかった我々を誇りに思う。」みたいな投稿をしてた議員は勿論、ひらがなで書いてある名刺や100/110が10%オフと書いてある名刺はバカにするだろうけど、さすがに点字をバカにすることはできないんじゃないだろうか。まあ障碍者は嘲る対象じゃないが、知能が足りない人間は嘲る対象だから仕方ないだろう。正直、以前に増してインテリ自認の左翼のキツさが前に出てきてるのは日本の分断も末期に近づいてきてるのかもしれない。
玉木は脇は甘いしカリスマも不足しているしポピュリズムに振り切れてない感があったが、それとは比べ物にならない程のガチでマジのポピュリストが出てきて敗北しても彼らは勝利宣言をしてそうだなと思った。もはや日本に中庸は無い。
結構アレだなぁ、と思う日記があったのでちょっとツッコミをしてみる。
私は2桁年ほど漫画やイラストに携わって細々と生活しているクリエイターの端くれだが、正直言ってこの1ヶ月の絵描き界隈の道化っぷりにはひたすら「呆れ返る」以外の感想が持てない。
↑Xの話をしていると思うのだけど、「絵描き界隈」と主語を大きくしているように思う。まあ、Xが絵かきにとって一番大きなコミュニティとは思うけれど。
「11/15にX(元Twitter)の規約が変わる、私達はAI学習に否応無しに同意させられる事になる」
そんなポストが大バズリしたのがつい先月。
実際には、Xのプライバシーポリシーには元々「投稿者のポストをXのAIトレーニングに利用する事に同意する」旨が2023年9月時点で既に記載されている。そもそも日本の法において、学習そのものを拒否する権利は最初から無い。
しかし、その自明であったルールが「聡明な」反AIさんによって「新発見」され、反AIさん達は空が落ちてくるかのように大騒ぎ。
↑「今更そんなことを騒ぎ立てるなんて、情報が遅いねぇ」程度の嫌味ならわかる。ただ自分としては知らなかった人間もそりゃあ居るだろうなくらいに感じていた(利用規約とか改定とか読まない人間も多かろう、特にXを頻繁に見るような人間でないなら今回のバズリで初めて知った人もいるだろうなぁくらいの意味)。
AIに反対してるくせにそんなことも知らないのか、という意見なら一理あるかもしれないけど、2023年9月以降にAIに反対することを決めた人間は最初の改定を知らなくてもおかしくないように思う。
だから空が落ちてくるかのように云々は、新しく知った人が中心になって騒がれているのだから主語は「反AIさん」ではなく「9月頃にあった規約を読んでいなかったので、初めてその規約を知って危機感を持った絵の生成AIに反対する人間」が正しいと思う(長いから略したくなる気持ちはわかるが)。
そもそも深層学習の構造を考えると、億単位の画像を学習している基盤モデルに自分の作品が数十枚食われた程度で、個人の絵柄が再現できるはずもない。そのため当然、特定の作家個人の創作活動が脅かされる事もない。
↑狙い撃ちLoraの話を後半でしているのに「特定の作家個人の創作活動が脅かされる事もない」と主張をするのはちょっと無理があるかなと思う。となるとここは、それこそ後半でも語っている通りまだAIについての知識が浅いのだろう。
それは1年以上前から自分の作品がAIに既に食われ続けているという事実を鑑みれば、今後も影響が無いことぐらい少し考えれば予想もつくだろう。
↑例えば狙い撃ちLoraは作家に悪影響を及ぼしているのでは?あとソースは忘れたので無いものとして扱って貰って構わない意見だが、一部絵描きの名前をプロンプトで指定できるという仕組みがどこかにあったように思う。
……と、思っていたのだが。
「自分の絵がAIに好き勝手されるのは嫌だ」(人間も好き勝手二次創作して金稼ぎしてるが?)←そも二次創作の場合では一次側に拒否されたり、差し止められる事がある。その事を考えると「好き勝手」「金稼ぎ」は少々悪意のある表現だろう。二次創作ではなく勝手に着彩されるとかトレスのほが絵かきの感覚に近いのではないか。
「AIを許容してると思われるのが嫌だ」(そんな個人の主義思想で差別するような人間の集団にいるの?付き合う友達選んだ方がいいですよ)←多分絵描きの友達が少ない、それか本気で本音を語り合える友人がいないんだろうなと感じた。それは勝手な感想だから流すとして、現状絵の生成AIについて静観していた否定寄り中庸派の人がそう言っていただけでは?と思う。自分の立場を勘違いされたくなくて出た言葉なのでは?と。まぁここは自分がそういう立場の人間ばかり見たというだけの話だとも思うが。後半を見るにこの方はそういう集団から抜けた人なのかなと思いついた。
などなど、AIアレルギーと思しき絵描き達の断末魔と、それら1つ1つを数千リポストまでせっせと拡散して「自分達はこんなに苦しんでるんだ」「こんなに多くの人達が賛同しているから自分達は正しいんだ」とアピールする人達。
↑淡々と言えばいいのに、変なところに悪意が漏れている。群れたって何の意味もないのに、程度の意見で良いように思う。
ある者はGlazeやらNightshadeやらで絵を汚すことで安心(=プラセボ効果)を得ようとし、
↑別にXに上げる絵を汚しても(自分はそこまで汚れてるとも思わないが)、学習のされにくい他サイトにオリジナルの絵を上げればよいのだから別にこれを愚かとは思わない。安心のためにやっている人間も居るだろうが、そもそれは悪いことではない。
ある者はXに見限りをつけて他のSNSを探し始め、
ある者は「何故私達が出ていかないと行けないんだ」(お前達がそうしようと決めた事なのに?)と恨み言。
私は、彼らが自分の絵を汚す事で安心や自己肯定感が得られるなら別にそれでも良いと思う。
このへんはファッションと一緒かもしれない。自己満足でしかなくとも、ちょっと高い服やネイル等を身に着けることによって「自分がこの場に居ても良い」という確信が得られる。そうして得た自信や承認が、例え虚栄であろうとも人生をプラス方向に持ち上げていく、そういった側面は少なからずあると思う。
ただ、私が観測する限りにおいては、それら学習阻害技術なりウォーターマークなりが具体的にAI学習の何に対してどういった効力を示すのか、などの技術面を踏み込んで理解している/しようとする絵描きはほぼ居なかった。
↑https://qiita.com/miu200521358/items/5140ce700a9481aa15e3とかを見ればそれを調べてる人もいる。まだ知らない人たちに教えてあげればいい。例えしようとしていなくても、知らせることはできるのだから。
ただただ何となく「それをすることでAI野郎が離れてくれるおまじない」程度の、Xでバズっていた誰かの噂話を鵜呑みにすることでしか技術を理解できない、その程度の浅いリテラシーの人達ばかり。
一部の絵描きは「何で苦労して描いた絵をこうして汚さなきゃいけないの」と被害感情をむき出しにしながらノイズを乗せている体たらくだ。辛いなら汚さなきゃ良いのに。
↑多分自分はリテラシーが高い側だと思っているんだろうけど、そうでもない。「辛いなら汚さなきゃ良いのに」には少し共感するが、それも他サイトに誘導して見てもらえればいいだけの話だと思う。
本当にAIを自分の生業を脅かす技術だと思うなら、何故敵のことを正しく知ろうともせず、自己流で対処しようとするのか。
無学の人間が無い知恵を絞って対策を講じても、的外れにしかならない。
↑自分は知識があると思っている無学の人間が、無い知恵を絞って批判をしようと、的外れにしかならない。自己流で対処というのはどういうことか、敵を知るとは何を指しているのか、何故あなたの観測した絵描きという限られた範囲の話でここまで悪意を噴出させられるのかがわからない。仮に正しい対処をしている人を見つけても、結局この方は認めないだろう。「間違っている」というばかりで、正しいことを広める努力は特にしていないだろう(してたら申し訳ない)。勝手な決めつけをしたあとで言うのは説得力に大きく欠けるが、相手をあまり決めつけで愚かと思わないほうがいい。あなたの観測した範囲の中にも、対処法を探ったり生成AIについて正しく勉強をしている人もいるかもしれない。あなたなりの「正しい方法」とやらがあるのなら周りにそれを伝えれば良い。愚痴が吐きたいだけの人には重すぎるかもしれないが。
「マスクなんて意味がない」「コロナワクチンは人を殺す、イベルメクチンを使おう」
そんなエセ科学で吹き上がる陰謀論のデタラメを、かつて私達は知識を以て一蹴してきた筈なのに、今では絵描きとその信者達が同じ穴の狢となっている。根底は感情論でしかないという点でこれらは同一のものだ。「ワクチンが嫌い」「技術者が嫌い」「AIが嫌い」
↑根底は感情論、の何がいけないかを示していない。感情論であっても、「マスクには意味がある」「コロナワクチンは人を救う」からそれを激しく推奨するという感情論があったとするならそれは正しいと褒められるべきことである。この方は生成AIへの知識がほんの少しだけあり、かつ周囲の人間を自分より知識がないと見下しているから、自分の意見に沿わない人間を「愚かである」「(自分の意に沿わない)感情論である」と言えるのだろう。だから同じ穴のムジナであるのは(一連の行動がまだ正しいことであるか判然としていない今であれば)あなたかもしれないことは注意すべきである。
そして、正しい意見の啓蒙にさえ「冷笑系」とレッテルを貼って、冷笑されたと被害者アピールの火種に焚べ、エコーチェンバーの中に閉じこもる。
↑こういう人間は実際にいる、がこの方はそれを全てだと思ってしまっている。正しい意見とやらがどんなものかはわからないが、この方にとっては正しいもので、それを拒否している人間を見て激しく失望したのだろう。自分にとっても、そういった耳を傾けない自分の殻に閉じこもった人間は好ましくない。
ああ、今日もまた「ぼくの考えた最強のウォーターマーク」が木っ端の絵描きから上がってくる。
それを使うことで学習阻害効果がどれだけあるかどうかの比較検証は?
そんなのある訳がない。これは洗剤のCMじゃなくてただのおまじないなんだから。
↑https://qiita.com/miu200521358/items/5140ce700a9481aa15e3をみればいい。そんなのある訳がある。おまじないだとおもっている人間は誰なのか。
「もちろんやる訳がない。AI無法者は会話の通じない土人達だからな」
「何故AI使用者をモラルが低い、会話の通じない者と断じるのですか?」
「俺のタイムラインじゃみんながそう言ってる!俺も生成AI使用者を犯罪者と罵ったら著作権がどうこうで激詰めされた!」
「著作権違反行為ではない行為を端から犯罪扱いしたら反発を食らうのは当然では?」
「うるさいうるさい!俺達から何も奪うな!AI推進者は全員敵だ!俺達だけが正しいんだ!!」
ああ、私と相互フォローになってくれていた、素敵な絵師サマの先生の中に、こんなにも愚かな思想の持ち主がたくさん紛れていたなんて。自分の人を見る目の無さが恥ずかしい。(全員ではない。数百人フォローしていた中での体感5~6割ぐらいだが……女性の絵描きの方の界隈ではもっと多いだろうね)
↑これで失望したのだろう。まあ著作権違反については議論の余地があるとして、この方は周りの意見に流される人間を軽蔑しているようだ。
完全な決めつけだが数百人フォロー云々の下りは半分嘘だろう。過激な反対派が10人足らずいてそれ以外の反対派も少しだけ見て足して5~6割とみなしたか、そもそもアカウントを過激な反対派の人以外ほぼ見ていないかのどちらかだろう。
過激な人の言動は確かに自分もどうかと思う部分はあるが、数百人のうち5~6割がその愚かな思想とやらを持っているとは思えない。多分この方の体感的には本当に「たくさん」だったのだろう。
私自身の絵描きの視点として生成AIを考えると、生成AI及びAI作品はライバルではありこそすれ、クリエイター業そのものを脅かすほどの力はないと考えている。
↑自分は絵の生成AIはライバルではなくノイズだと考える。クリエイター業はクオリティの面で脅かされるのではなく、生成物の物量と誰でも触れられるという手軽さで脅かされる。個人の作品に触れづらくなり、触れる必要もなくなってしまうという方が正しい。
pixivなどを見るに顕著だが、生成AIの登場後に作品数は急増した。今はAIタグというものがあるが、それをつけていない作品もちらほらある。これが続くと、供給量と需要が釣り合わず、作品は誰かに探されなくなり、探されないうちに埋もれてしまう。
クオリティではなく数が問題で、作品の展示場をゴミまみれにするという意味では商売敵というよりただの敵である(ゴミと感じるかどうかは人によるが展示場に参加した人間にとっては不愉快だろう)。
作品ではなく使う人間と、その人間が生み出せる数こそがクリエイター業の人間にとっての脅威になると、自分は考える。
誰にも見てもらえないなら、どんなに素晴らしい作品も評価されないのだから。
恥ずかしながら私はまだまだAIについて無学のためCNの使い方すらまともに理解していないのだが……少なくとも自分で使った時は決まったキャラクターやシチュエーションを安定して生み出すことはなかなかに難しく、描き手が表現したい物語を過不足なく表現するにはかなり制御が難しいツールだと感じた。ランダムなアイデア出しにはかなり便利だけどね。
↑ここでAIについて無学と言っている。いままでのこき下ろしはなんだったのか。
DLSiteにおける販売数などを見ても、AI主体作品はまだまだ下火で、手描きのイラスト集と比べて1~2桁は販売数が下回る。2年前からずっと、手描きの価値は毀損されてなどいない。私自身、収益も減ったりはしていない。
↑なぜ今しか見えていないのか、生成AIが誰の反感も買わず受け入れられるようになってからでないといずれ収益や価値に影響が出ると思えないのだろうか。
今AI作品が下火なのは、生成AIに対する問題点が完全に払拭されていないからである。現状ではグレーな行為だと認識されているからまだクリエイターへの影響が軽微なだけであると自分は考える。
タグなどを用いて徹底した棲み分けが行えない場合は、現行のクリエイターが殆ど滅びるだろう。
ただ、少なくとも革新的技術であることは間違いないんだから、「無断学習」などというよくわからないレッテルを貼って排除するべき存在ではない。ましてや法を侵さず生成AIを使用している者まで問答無用で簒奪者という扱いにして社会から排除しようとするのは、暴力や差別に他ならない。
↑これも分かる。簒奪者扱いをするは良くない。ソフトの倫理面に問題はあれど、現状ではまだ規制されていないのだから。ただし、革新的技術であることと保護すべきかどうかは別の話である。ソースは忘れたので無価値に等しいが、欧州では規制の流れができつつあるそうだ。そして保護するべきかどうかを決めるのは個人というより社会や時流であり、今はその主張を自分の意に沿うよう引っ張ろうとしている個人が多くいるだけである。我々は意見を主張しながらも、決定に従うほかない。だから現状では否定派肯定派の正しさとやらは存在しない、未決定なのだから。当然倫理は守るべきとは思うので、社会から排除しようという風潮自体は好ましくないが、それにしたって決定に従うほかない。明日にはひっくり返るかもしれない決定に。
インターネットに転がっているものを無断で学習し、個人を特定できない形に組み替えて再利用するのなんて、AIだろうと人間だろうと当たり前にやっていることなんだから。
↑AIと人間の学習は違うものである。@VoQnさんのポストでも遡ると分かる。
生成AIには確かにまだまだ法的な課題もある。狙い打ちLoRAと呼ばれる特定作家個人に絞った学習モデルや、ディープフェイクなんかがそうだね。
しかしそれらの問題を掲げた時、私達が論ずるべきは「それらの問題をどのように規制し、どうすれば安全に生成AIを社会利用できる仕組みを構築するか」のはずだ。
↑同意するが、主語は「絵や動画の生成AI」であり、生成AIではない。それ以外は絵の分野から論じても意味がない。
過度に互いの派閥を敵視しすぎるというのは問題だと自分も思う。が、絵かきの中には食い扶持を減らされると思う人間も居るだろう。そしてその可能性は的はずれなものではないと考える。
排斥はいけないことだが、それを行う人間の感情はどうしたって消せないものだ。
もっとも、話し合いが成り立たないのは陣頭に立つ人間がいないからだと思うが。
個人個人が話し合っても意味はない。チラシの裏の落書きに過ぎないからだ。界隈だの派閥だの言われてはいるが、その実意見を発表する人間が居るだけで、誰も責任をとろうとしていないのだから価値ある疑問にも回答にも意味がなくなってしまう。
だから我々が個人としてするべきなのは、然るべき機関への署名提出や意見提出であって、レスバではない(この日記を否定したくて書いている自分が言えた義理ではないが)。
例えばスマホだって本邦では年間数千件の盗撮被害が発生しているが、それら問題を以て「スマホorカメラを世から根絶しよう」なんて言い出したらただの狂人だ。
しかし絵描き達は、あろうことか「どうすれば生成AIを根絶できるか」「どうすれば絶対に学習されないか」といった妄言を唱え始めた。
残念だけどそれはもう、歩いて月まで行くぐらいには無理な願いだ。イラスト生成に限らず、翻訳、検索機能、ChatGPT等、大規模言語モデルによる生成技術は既に社会の根幹を為すインフラの一部になっている。
↑イラスト系以外の生成AIも規制しようとしている人がいれば、それは生成AIへの拒絶反応だと思うが、現状イラスト系に対して学習を阻害するというのはある種効果的である。
この阻害をスタンダードにしてしまえば、例えば新規IPのキャラは生成AIで生み出しづらくなるだろう。その妄言とやらが案外的を射ていたりするものである。
ワンピース、ナルト、ブリーチが連載されていた時のジャンプはすごい。豪華。毎週楽しみが多かっただろう。
ここでの保守は「伝統や既存の価値観を重視し、社会の安定性を目指す姿勢」のこと、革新は「現状を変革し、社会を変えて進歩を目指す姿勢」のこととする。
ブリーチは、主人公の名前が「一護」であり、物語全体を通して「目の前の人たちを、生まれ育った町を、仲間を守る」というシンプルな動機で戦うことになる。イレギュラーな手段で「死神」となった主人公は、本来の死神たちと一時敵対するが、その後は和解して共に世界の危機と向き合うことになる。死神たちは「護廷十三隊」という組織に所属し、その使命は死後の人間の魂(魂魄)を管理し、世界のバランスを保つこと。
主人公と死神たちが敵対するのは、強力な力で世界の在り方を変えてしまおうとする急進的な死神や、世界の均衡を崩して生と死の混沌を生み出そうとする侵略者で、総じて「急進的・革新的な敵と戦い世界のバランスを保とうとする、保守的な主人公たち」と捉えることができる。
ナルトは、主人公のナルトが生まれた忍者の里で半ば村八分にあっている状態から、努力と根性で成り上がり、里の長である「火影」を目指す物語だ。
最終的には火影になる目標を達するところからも、分かりやすく保守的(既存の価値観の中で、里を安定させる役割を担う)なゴールに辿り着いてはいるが、ナルトのライバルが身を投じるアウトローで急進的な忍者集団「暁」との戦いや、同じ里の中にいるより鷹派・保守的なグループとの対立を挟み、なおかつ様々な思想・状態の周辺諸国の里との協調や対立や和解が描かれることで、バランス良く中庸な印象に収まっている。
ワンピースは主人公のルフィ最も革新的なポジションで、子供の頃に出会った海賊に憧れて海賊となり、世界を統治する「世界政府」の軍隊である海軍に追われながら、世界中で悪政を敷く国家や、国と同等の力を持つ大海賊と戦いながら、世界で最も自由な人間としての称号「海賊王」を目指す話だ。
この世界では、世界の統治機構の最上部が、歴史の闇を隠蔽し、民衆を搾取・弾圧することを良しとする、腐敗した体制であることが繰り返し描かれており、主人公のラディカルな姿勢が許容される理由付けになっている。
ワンピースはまだまだ連載中なので、最終的にどのような印象に落ち着くのかは確定していないが、世界の最高権力者たちが敵として現れている時点で、「腐敗した権力は、いつか民衆に打ち倒される」という寓意を待ち合わせる展開になると予想される。
一護やナルトには帰るべき故郷があり、そこに守るべき人たちがいるが、ルフィは故郷を捨てて旅に出ている。彼が故郷に帰ることがあるとすれば、世界の体制を転覆させた後になるだろう。
ブリーチはイメージよりも保守的なポジションの主人公、ナルトは保守的であるが相対的に中庸であり、ワンピースは一貫して革新的な位置付けと言えそうだ。
同じものについての評価でも「どういう指示を出すか」で答えが180度変わるのを知っている。
サメの人は、「ユーザーBがなぜ問題なのかを書いて」って生成AIに質問したんだろうな。
「中庸の立場から双方の問題点を指摘してください」って書いたら全然違う答え返ってきてて、むしろユーザーAのほうが問題って出てきたわ。
結局しびれを切らして
生成AIに僕ちんの味方をしてってすがっておきながら第三者に向けては「僕ちんは中立的に見て正しい!」って嘘を付くという最低の不正を行った時点でサメの人の負け。
ちがうというなら、どういう指示を出したかスクショ出せるはずだけれどサメの人は卑怯だから出せないんだよねえ。
クソだせえ
https://x.com/zaikabou/status/1809102663780626888
ええ歳して割り勘だ奢りだとわぁわぁやってる時点で男女とも難アリなんよ…。若い時からまともな人間関係の中にいれば、場面場面で奢ったり奢られたり割り勘にしたり、適宜臨機応変にやってるから、そんな話で揉めないので…
https://x.com/zaikabou/status/1818069034379919419
婚活でペアローンを踏み絵にすると言う男性とか、家事育児ワンオペなのにペアローンなんてありえないと言う女性とか、えぇ歳して奢り奢られ論争やってる界隈と同種なので、若い人はそういう声に惑わされず、物件の価値を見極めながら、適宜共働き家事育児折半ペアローンとかやってけば良いのでは
子供の頃から異常に不潔、だらしなく忘れ物が多い、疎まれてるのをを受け入れられずにキレて暴れる、学年ぐるみで嫌われ者
これらは全て男だっただろ?
大人になっても同様
職場や窓口やレジや店員や職員の女につきまとう、得体のしれない女に大金欲求されて渡す、気に入らないとキレて暴れるなどトラブルや犯罪に走る
医療福祉福祉などのソーシャルワークをやらせると失敗するだけでなくトラブルや事件を起こすから半数近くの下位男性は肉体労働や単純作業に追いやられる
一方で女は優秀でも無能でもなくその中間の中庸・凡庸な人材に偏る
女の極端な発達障害レベル(風俗や売春してホストやアイドルに依存して貢ぐ)が腐る程存在するのが男
しかも対象の異性が有名人に限定される女と違い異性そのものに切実に餓えてるので一般人のデブやブスやおばさんに執着して大金を渡してしまう
自分達に無償で奉仕しないという理由で性的サービス業に従事する女を「何されても仕方がない人間のクズ」と罵倒するが、得体のしれない不美人な女性(木嶋佳苗、りりちゃん等)に純愛や結婚をちらつかされると大金を貢いでしまう
貢ぐ大金がある男ですらこれなので、誰でもいいから異性を所有したい男はいても同様の女は皆無という結果、男余りが発生しているのがわかる
女VTuberや女の多いコミュニティに居座ってネットの向こうの顔も年齢も知らない女相手に必死に年齢いじり独身いじり容姿いじりして嫌がる女の反応を引き出そうとするのが男
「女」なら名前も身元も知らない相手でも手当たり次第射精できるので買春や風俗やポルノコンテンツ依存は日所茶飯事、痴漢、ガラ空きの車内で隣に座りたがるトナラー他性加害はお家芸
顔すらわからない盗撮画像で抜くしネットの向こうの知らない女につきまとう
女を買う側なのに前述のように売春や性的サービス業に従事した経験のある女を何されても仕方がない人間のクズの汚れた不可触民扱い
不妊に悩むのも伴侶を見つけて結ばれたのに相手の子供を産めない既婚女性だけ
自宅でチビウーバーにナンパされたたぬかなの件など女が男を罵倒するシチュエーションは男から付きまとわれて加害された結果
フェミ松速報界隈がいい例だが、男はなりすましアカウントを作成してまで「イタイ女」を捏造して「お前ら女は罰を与えられても仕方がない無価値で劣等種である事を知らしめてやる」という欲望を隠さない
一方で男がかつてリアル世界で自分をいじめり加害した男に仕返しをする事件は皆無
一方で自分が女に必要とされず好意も持たれず一生を終えるのを受け入れられないので、たぬかなの件に限らず、自分を選ばない女を凶悪犯罪者かのごとく罵倒する
女の視界に入れてもらえない現実を受け入れられず、当時無名のたぬかなの30人しか見てない配信の身長170cm未満男叩きや官製マッチングアプリの身長の項目に大挙して非難したのも男
孤独な弱者男性を救済しないとテロを起こす、結婚出産という義務を果たさない女は加害されても守る必要はないだのいう脅迫的な言説は日常茶飯事
婚活や結婚や恋愛の話題になると「(自分を選ばない)身長やスペックや社会的地位で男を選ぶ高望み選り好み女は身も心も醜い鼻つまみ者のおばさんしかおらず将来不幸になる」という呪詛一色になる
一定のスペック以上の男としか結婚したくない女だけでなく、ただ独身なだけの女も憎悪の対象となる
もちろん外国人男性をパートナーにする女にも、自分を選ばないという理由で「ポカホンタス」という蔑称まで生み出して攻撃する
仕事でしか接点のない50代男性に突然センスのないプレゼントを贈られプロポーズされたと30女がネットで愚痴るとやはり上記のように女への非難一色になる
要は尻軽女に対する忌避感だと思うんだけど
全員じゃないと思うんだけど
あれが本音だと思うんだよね
全体の3割位の、アンチ尻軽女が突然元気になる感じ
・誰でもいいからとにかく種をばらまく
誰でもOK:中庸:誰でもNG=1:1:1くらいで存在してるんだよね
その結果性犯罪者が増えようがどうなろうが、感情で拒絶してるの
ていうか個人的には性犯罪者の多くもその一種だと思ってるんだよね
1万年も遡らなくても、数百年も遡れば強姦、夜這い、強引なセックスが子孫繁栄の一個の答えだったわけで
そういえば割礼とか、女性の姿を見せないとか、自由なセックスを排除した方が村としては生き残ったみたいなケース面白いよね
あれは自由にやりまくって子供が出来すぎた結果、村が滅びたってことでしょ?
そう考えるとAV産業を潰そうとしている人は少子化の観点から言ったらひょっとしたら正しのかもしれんぞ
てか何の話だっけ
結局「男女の友情は成立するか」という言い出した奴が男女の友情を信じていないことが明確な言葉の周縁ですべてがやんや言われているだけで、そのグラデーションを塗りつぶすやれたかも委員会のような極論がきらいなんだと某noteを見て思ったし、思い返せばああいう目線で物事を見ている人は少なからずいるんだろうなと思う(その世界の中で勝ち組負け組関係なく!)。でも正直こういった、人を人と見ない世界観というのは自分も職場では活用しているのでその楽さというのはわかる。
世界にはいろんな男女がいてその背景にある物語をいちいちくみ取るよりは「既婚者は全員セックスしている」「まんさんは彼氏を引っかければ生きられるから楽」とか紋切り型の台詞を言っている方がとてつもなく楽だし情報過多な世の中でのサバイブ術ではあると思う。同時にこの価値観を持つことでその世界と自分が距離を保てる(俺とあいつらは違う)というおまけもあって強者にも弱者にもいいことがたくさんあるんだけど、世界はそんな紋切り型ではなくて、あらゆるグラデーションの中間だし、難しいし、捉えきれない。でもそういった中庸なところで責任をとれるのがいい年した大人の特権で、務めで、面白いところなんだと思う。
責任って言うと仕事が一番に思い出されるけど、生活も責任の宝庫だ。例えば丁寧な暮らしっていうのも暮らしのコストを減らして自分に背負える大きさにした上で自力で運用するという一つの責任の捉え方だ。そう思うとあらゆる大人の生き方は責任と自分の大きさをどう取るかって問題に近くなる(不倫とかは自分に背負いきれない責任を負おうとして失敗する例)。また責任は動機でもあって、行為にもつながる。無責任な行為をきちんとやるのはもう難しくてそれは若者の特権で青春だ。大人は責任を負ってきちんとTPOを見て羽目を外す。そういうエッセンスを凝縮すると「やっていき」という言葉になる。
論旨がフラつているけど人を人として見る(=目の前の人に責任を負う)ことを怠るといずれ自分が自分に責任が持てなくなっていって、いわゆる無敵になってしまう気がする。人としてというのはマテリアルというか顔があるとか手に指がついてるとかそういう生々しさから入っていってもいい。それをしているといずれ相手を紋切り型で切り捨てるのが怖くなる。少なくとも友人レベルの人にはそうやって無二の目線を、価値を感じながら接していくのがいい。俺はそう思うよ。おまえはどうだかしらないけど
欲望を実現するための具体的な方法論においてはバランス感も大事だろうけど、その欲望を生み出す信仰だとか納得だとかは心の底の底まで貫くものをたった一つだけ持った方が幸せになれるような気がする。
中庸とか言って反復横跳びするような真似はせず、大事な一つ以外には一切の疑いも迷いも捨てる。自分の信仰も心の持ちよう次第ではいくらでも曲げられてしまうものだと思わず、この世でたった一つだけ確実に存在する所与の真理とみなす。
ヒューマニズムだとか人権思想だとかコミュニタリアニズムだとか宗教規範だとか、その他の価値は全てただ一つの真理に基づいた行いを現実的に実践するための手段としてのみ存在させる。
おれは実存主義的な生き方が一番美しいと思ってたけど、こういう生き方の方が遥かに美しいような気がしてきた。
似ているようだけど、ほんの少しの違いが決定的に違う。
ちょっと嫌な事があれば「でも結局全部意味ないしな……」と思えてしまうような、論理にお膳立てされた「好きに生きよう」ではない。一度全てを論理的に疑って無限の還元主義へと陥るような小賢しいメタ思考を挟まず、ただ情熱と信念のみによって信仰の獲得を成し遂げる。
別に宗教規範に限らず世俗的価値観にせよ個人の感覚に依拠した価値規範にせよ、やっぱ無垢の信仰は満足に生きるにあたって大事な気がする。
人生の楽しさを感覚で味わえないから、せめて理屈だけでもと生きる意義を論理的に追及してみる。そして考えれば考えるほど、今まで所与の事実だと思っていたものが快不快の多数決に過ぎない規範へと後退していく。
寄る辺なく存在しながら、じゃあ好きに生きるしかないか……と思いつつ、そもそもが人生つまんなくてこんな事考え始めてるので、改めて振り出しに戻っても活力が湧くとは限らない。何なら虚無感だけが残って、余計無気力でつまらない人生になるかもしれない。
一度虚無へと至ってしまったら、もう二度と無垢の信仰は手に入らない。
でもあんまり一つの信仰だけを貫いてると、何かのきっかけで打ち砕かれるような事があったら自殺しちゃいそうだなとも思う。
ここまで強烈に徹底はしなくともそれなりの強度でこういう生き方をしている人はいて、そういう人が信念を支えきれなくなるといわゆる中年の危機的なやつを迎えるんだろうか。
というよりか、学歴も職歴も資格も、手に職もないままに、年齢だけ重ねてしまった、社会不適合者の虚無感が、マジでやば過ぎて恐ろしい。
この僕にしても、ちょっと油断しただけで、虹の橋が見えてきて、生きた心地がしなくなる。
だからこそ最近は、自宅でひとりきりの時も、シャドーボクシングならぬ、シャドートーキングとして、目の前にドッペルゲンガーの僕がいると想定し、ひっきりなしに喋るようにしている。
もしくは、僕の作業部屋――、後ろでいつも見守ってくれている、グッドガイ人形のチャッキーに、「おめめパッチリで可愛いな」「おまえのクレイジーさを見習うぜ」などと話し掛けて、心を上向かせてゆく。
要するに、『セルフトーク(心の声)』の狂気版であり、なるべくアホでポジティブな話題を、たった1人の時にもばら撒いて、頭を前向きにバグらせる……という寸法。
ではなぜ、これらの事を全力でやるのかと言えば、いつだって鬱々しさのスタートは、『自分の視線が脳に向かう感覚』『意識が内側に閉じこもる感覚』から始まるゆえ、思いつきの言葉を物理世界に投げ込むことで、悩ましさから脱出するのだ。
それだけじゃなく、なるべく貧乏揺すりをしたり、部屋の中でも歩き回ったり、横になる時間を減らしたりして、自動的な思考を止めるようにしている。
正直な話、なんの安定感もない暮らしの為、横断歩道を渡っているとき、4トントラックで跳ねられたくなったり、交番の前を通っているとき、発狂した警察官に射殺されたくなったりと、「そろそろ魂を休ませたいな」と、しょっちゅう願ってしまう。
これってのは、鬱症状だとか、考え過ぎだとか、そうした個人の問題ではなく、社会病理――是正されない格差の問題だ。
たとえばアメリカでは、学歴の格差、経済の格差により、尊敬されたり、感謝されたり、愛し愛されたりする機会を損失し、やり甲斐をなくして不健康になり、そのままぶっ倒れてしまう事を、『絶望死』と呼んでいるらしい。
よくよく思い返してみれば、そんな別大陸の話をせずとも、僕たちが住む日本――『氷河期世代』以降の人々はとくに、薄給の非正規がゴロゴロといて、ストレスだらけで暴飲暴食し、孤独な日々で自暴自棄になり、身も心もズタボロであるから、「続々と早死にするのではないか?」と言われている。
稼ぎを得る体力/知力/精神力も……技術も人脈も資金力もないとなれば、年々、生命力が衰えるごとに、より不安定で貧窮した暮らしになりやすい。
こうした現実を直視すると、「不幸のどん底に堕ちる前に、若年性のぴんぴんころりで、さくっと全てが終わったら良いな」と、巨大なる虚無感に襲われる。
だからこそ、頭のネジを外して問題を起こしまくるか、死んだ魚の目でぼけ~っと過ごすか……そうやって自分の心を守る為に、極端に生きがちになる。
よく世間では、『中庸こそが幸せの秘訣』と叫ばれる――「何かに偏らずに、真ん中の道をゆっくりと進もう!」という教えだが、そんな悠長な事は言っていられない。
統計的に見ても、経済的に困窮した弱者は、健康を害しやすく、孤独を来しやすく、早死にしやすいからだ。
――そうは言いながらも、闇雲に生き急いでしまうと、ちっちゃなミスを連発し、コツコツと修行できなくなり、周囲の人間をないがしろにし……などなど、より一層、ピンチを招きやすくなる。
だからこそ僕は、カオス型の幸福論――『矛盾を愛する、混沌を愛する、狂気を愛する』、そんな姿勢を磨き上げて、ぐちゃぐちゃな日々に突入しても、それを全てネタにして物を書き、腹の底から喚き散らして、己が生きている全時間を、無条件で肯定してゆきたい。
ちなみに、僕がハマっているお笑い芸人、ヘッドライトの町田(50歳/男性/独身)は、寝る間を惜しんで、バラエティ番組を片っ端から録画し、DVDの整理整頓をし続けている。
しかも、バイトとダビング作業で忙しいゆえ、録るだけ録っておきながら、ろくに視聴していないらしい。
もはや録画の為の録画であり、ただの惰性というか、「きっと将来に役立つんだ」「大事な物なんだ」と固く信じて、心の安定を得る為の、儀式みたいなモンなのだろう。
こうやって頭をバカにせねば、売れていない現状で目が痛い……
年齢的な厳しさ――など、