2024-06-28

結局「男女の友情は成立するか」という言い出した奴が男女の友情を信じていないことが明確な言葉の周縁ですべてがやんや言われているだけで、そのグラデーションを塗りつぶすやれたか委員会のような極論がきらいなんだと某noteを見て思ったし、思い返せばああい目線物事を見ている人は少なからずいるんだろうなと思う(その世界の中で勝ち組負け組関係なく!)。でも正直こういった、人を人と見ない世界観というのは自分職場では活用しているのでその楽さというのはわかる。

世界はいろんな男女がいてその背景にある物語をいちいちくみ取るよりは「既婚者は全員セックスしている」「まんさんは彼氏を引っかければ生きられるから楽」とか紋切り型台詞を言っている方がとてつもなく楽だし情報過多な世の中でのサバイブ術ではあると思う。同時にこの価値観を持つことでその世界自分距離を保てる(俺とあいつらは違う)というおまけもあって強者にも弱者にもいいことがたくさんあるんだけど、世界はそんな紋切り型ではなくて、あらゆるグラデーション中間だし、難しいし、捉えきれない。でもそういった中庸なところで責任をとれるのがいい年した大人特権で、務めで、面白いところなんだと思う。

責任って言うと仕事が一番に思い出されるけど、生活責任の宝庫だ。例えば丁寧な暮らしっていうのも暮らしコストを減らして自分に背負える大きさにした上で自力運用するという一つの責任の捉え方だ。そう思うとあらゆる大人生き方責任自分の大きさをどう取るかって問題に近くなる(不倫とかは自分に背負いきれない責任を負おうとして失敗する例)。また責任動機でもあって、行為もつながる。無責任行為をきちんとやるのはもう難しくてそれは若者特権青春だ。大人責任を負ってきちんとTPOを見て羽目を外す。そういうエッセンスを凝縮すると「やっていき」という言葉になる。

論旨がフラつているけど人を人として見る(=目の前の人に責任を負う)ことを怠るといずれ自分自分責任が持てなくなっていって、いわゆる無敵になってしまう気がする。人としてというのはマテリアルというか顔があるとか手に指がついてるとかそういう生々しさから入っていってもいい。それをしているといずれ相手紋切り型で切り捨てるのが怖くなる。少なくとも友人レベルの人にはそうやって無二の目線を、価値を感じながら接していくのがいい。俺はそう思うよ。おまえはどうだかしらないけど

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