はてなキーワード: 考察とは
民度の低下が嘆かわしい
アニメから入った人なら分かると思うが、アニメ派に原作ネタバレでマウントを取る奴がやたらめったら多いのである
アニメしか見ておらずアニメ化された範囲までしか原作を知らない視聴者に本誌や単行本のネタバレをする読者は配慮というものを知らないのだろうか
アニメ派はただ純粋に楽しみたいだけなのに鬼滅民にはネタバレ配慮の心がない
Twitter、TikTok、YouTube、Abema、ニコニコ、pixiv、Google、Wikipedia、その他インターネットのあちこちで原作ネタバレが横行している
鬼滅のタイトルやキャラ名や画像を調べるとネタバレを踏む、なぜこんなにも民度が低いのか
アニメ派のこのような悲痛な叫びは鬼滅民の卑劣なネタバレテロにより途切れるどころか増加する一方である
なんと、鬼滅やキャラ名で検索しようとするとまず表示される検索候補でネタバレを踏んでしまうのだ
もちろん検索すると原作既読者による原作未読部分のネタバレが飛び交っている
本誌や単行本の感想や考察を発売されたものを購入したからといってふせったーなしでべらべら喋る奴は自重や配慮という言葉を知らないのか
原作に一銭も落とす気のない人間がこれからも鬼滅を楽しむためにも検索に引っかからないよう原作勢は鍵をかけろ
おすすめをオフにしてトレンドの地域を日本から適当な他国に設定すればトレンドでネタバレを踏むこともなくなるが、日本のトレンドがどうしても見たいもしくは知性がないので設定を変えることはできない人のことも考えてほしい
劇場版製作発表で原作読者はテンションが上がったかもしれないが、自衛はしないが配慮は求めるアニメ新規を大切にしろ、トレンドに上がるほど呟くな
鬼滅読者をフォローしているとスクロールするだけで本誌ネタバレツイートが目に入ってくる、どうしたらいいんだ
「本誌」や「単行本」や「バレ」などネタバレになりそうなワードをミュートするのは手間だからしたくない
手間暇かけてミュートしても、本誌バレなどの注意書きすらなしにミュートをすり抜けて二次創作絵や漫画など画像で原作のネタバレが飛んでくる
iPhone公式アプリの機能でメディアのプレビューをオフにすれば画像や動画のプレビューが非表示になるが、なぜわざわざそこまでしなくてはならないのか
PCでTwitterを見るときはブラウザに拡張機能「GoodTwitter」を入れて「Stylus」を入れて画像を表示しないユーザースタイルをインストールすれば画像を非表示にできるが、アニメで追いたいだけで単行本を買ったり本誌で応援する気はない人間なんだからそこまでの労力を払わせないでほしい
「公式アカにリプライ飛ばすマンをブロックする奴」を使えば指定したアカウントやツイートにリプライしているアカウントを一括でブロミュできるが、公式へのリプライでネタバレをしている人を見て文句は言えてもアプリ連携してさくっとブロックはできないことだってあるかもしれない
「Twitter Block Chain」、いわゆる全ブロ砲を入れてネタバレ感想や二次創作を呟いたアカウントやアカウント名やプロフィールにネタバレ配慮しないことを明記しているアカウントを見かけるたびにフォロワーの一括ブロックを繰り返せば理想の世界が近づくが、巻き込みブロックが恐ろしい、自衛したいのにさせてくれないと嘆く割にはネタバレをするアカウントをフォローしている時点でブロックする思い切りが足りない、巻き込みブロックに対するなんやかんやはこちら(http://cr.hatenablog.com/entry/2019/09/18/232252)のでもでもだってちゃん向け質疑応答が参考になると思われる
TLをトップツイートの優先表示から最新ツイート表示に切り替えると「いいねしました」は表示されないが、自分がフォローしている相手がネタバレツイートをRTはしなくてもいいねすることにより「いいねしました」でネタバレを踏むことがしばしばある、フォロー先にはフォロワーに気を使っていいねではなくブックマークに追加機能を使ってほしい
また現在どうやら効果はなくなったらしいが、何かの間違いでTwitterが正気を取り戻してくれたときのために以下のワードをミュートしておくことをおすすめする
suggest_ranked_timeline_tweet
suggest_pyle_tweet
suggest_activity
suggest_who_to_follow
suggest_recap
suggest_recycled_tweet
suggest_activity_tweet
suggest_recycled_tweet_inline
新UIになってからブロックリスト機能が使えないのはプロモーションを出すアカウントを一括ブロックされないための対策なのだろうか、「GoodTwitter」を入れるとブロックリスト機能も復活するので便利である
拡張機能「Twitter One Click Block」を入れると相手のホームに飛ばなくてもツイートからワンクリックでブロックが可能になるが、まさか「自衛徹底してるのにネタバレが視界に入った、ブロックしたが面倒をかけさせるな」と主張する人間がこの時短ツールを入れていないはずがないので当初割愛したことをお詫びする
ネタバレやネタバレRTを流してくるアカウントをフォローしているのは自分だが、リムブロミュートができることやRTの非表示設定があることも知らないし、知っていても自分ではなく相手に譲ってほしいのでそういった機能の活用ができない人もいることを慮ってほしい
本誌や単行本を読んでいる人間には、アニメ派に配慮して、Twitterで原作のネタバレになる感想、考察、二次創作をやめていただきたい
TikTokってニコニコYouTubeを抜かして現在無断転載の急先鋒だと思ってたけど違うのか?
そんなサービスのユーザーが何言っても寝言にしか聞こえないことは置いておいてまあとにかくTikTokにはネタバレが溢れていて原作未読にとっては地雷原である
TikTokでは鬼滅関連の動画や画像がたくさん投稿されている
そしてそれらの動画を見るとなんと高確率でネタバレをくらってしまうのだ
そもそも公式配信プラットフォームではない以上全て無断転載動画なので鬼滅で検索する時点で何かが間違っているがそんなことは考えられない人間のために尽くしてほしい
コメントはデフォルトで非表示なのでわざわざ見ようとしなければ見ることはできないのだが、コメントを見るのをやめられない体質のためコメントでネタバレを踏んでしまうのだ、勘弁してほしい
それはそれとして初めてTikTok触ったけどリア厨の今の住処がここなんだなあと思いました
無断転載画像での切り貼り加工動画、そしてそれを壁紙配布、YouTubeでよく外国人がpixivとかから自作ではないファンアート勝手に加工して動画作って上げているのを見たことがあるけどあんな感じでもうなんかお腹いっぱい
ミュート機能もないしブロックしてもおすすめに出てくるしTikTokは不便である、そしてこんな無法地帯に自分から突っ込んでネタバレ踏みました!って主張する奴の気が知れんわ
でもリア充動画によって心にダメージを負ったのでTikTokアンインストールしました
いやカップルは何も悪くないしコメント欄もリア充への怨嗟が湧くことなく和気藹々としてるのはTwitterなどよりよほど平和なのだが文化が違う
驚くべきことに、気をつけていてもYouTubeで鬼滅の刃と検索すると鬼滅のネタバレが出てくるのだ
鬼滅動画のコメントはアニメ派にとっては原作読者のネタバレで溢れている、スルーができないアニメ派にとってはコメントを見なければ済む話ではないのである
そもそも鬼滅の刃はYouTubeでは公式配信されていないため、ネタバレ配慮を求めつつYouTubeで検索をかける時点で何かが間違っている気がしてならないが、とにかく許せない
ブラウザに拡張機能「Video Blocker」を入れると、特定のチャンネルや動画を非表示にしたり、指定したワードを含むチャンネルや動画を非表示にすることができるため、これを使って鬼滅をワードミュートするだけでおすすめにも表示されなくなり不意のネタバレ被弾は防げるのだが、動画が映っている目の前の箱や板を使って調べることもできない人間がいることを動画投稿者は知らないのだろうか、無知とは恐ろしいものだ
なんという不測の事態、公式配信動画のコメントに原作既読者のネタバレがあるなどとは神ですら予期できなかっただろう
コメント非表示するだけで解決するが、コメントで数年前に連載されて単行本化済みの原作ネタバレなど予想できるはずもない
何より自分一人に非表示機能を使わせることで解決しないでほしい、自分以外の人々がみな良心に従ってネタバレコメントを控えてくれれば解決する
コメント関係なく動画の内容でネタバレ? 動画を作るほどなんだから投稿者はお前と違って原作をきちんと読んでいるんだよ(元ネタを知らない人間への配慮がないとはなんと残酷なのだろう、そもそも元はYouTube無断転載動画サイトに子供のための夢の国並みのクリーンな治安を期待する方がおかしいなどとは老人の言うことだ)
百科というコンテンツ名を見てアクセスしてネタバレを踏む、体を張った芸なんだよな? ネタで言ってるんだよな? ネタバレ伏せるかどうかは編集者の善意次第だって分か…分からない?…百科というのはある科目についての知識をまとめたものだから当然その科目についての詳しい情報が載っているんだ、国語辞典とか英和辞典使ったことある? 肝心な部分いちいち伏せられてたら意味ないってわけよ
繰り返すけどコメント非表示機能って知ってる?(新規に配慮して原作既読者は全員ネタバレコメントを控える、それができなければ民度が悪いということだ、実現可能性などという甘えたことはぬかすな)
吃驚することに鬼滅の刃の二次創作を漁ると鬼滅の刃のネタバレを踏んでしまうのだ
いったいどうしてなぜこのような不思議なことが起きるのだろうか
ミュートすれば絵も文も目に入らないが、自分にミュート機能を使わせるのではなくpixiv会員全員がネタバレ防止を肝に銘じて各々の投稿をしてほしい
バレあり表記は作者の善意によるものでありあれば親切、仮になくても責められることではないという良識はアニメ派の非常識なのだ
特に逆行ものはある程度まで原作が進んだ状態でそれより前の時間軸に戻るというジャンル上、原作ネタバレが含まれているのは至極当然の話だが、そんなことも理解できない頭の持ち主のためによくよく注意してほしい
投稿日がアニメ化前の作品についても、投稿された時点ではアニメのみ原作未読への配慮という概念が存在し得なかったことを差し引いても、確認不足という自分の落ち度は存在しない、原作ネタバレとはそれだけの"罪"である
いや二次創作がたくさん投稿されているSNSを自分から閲覧しておいてネタバレ踏んだんですけど!って怒る人マジでいるの? 非実在藁人形でしょそんなん、実在したら実録ホラーすぎるわ、ネタで言ってるんでしょ
ランキングで勝手に目に入ってくるとかミュート使えないの? 二次創作は見たいけど原作ネタバレは踏みたくないの? 自分ではなく二次創作の作者のせいなの? こいつ頭が終わっておる でもそれくらい狂ってなきゃ原作未読で二次創作に手を出して作者に文句をつけるなんてイカれた真似できねえや 尊敬はしないね
ニコニコ大百科と以下同文
えっと…ええと…何言ってるのかよく分からないけどとにかくネタバレは悪
画像検索したらネタバレを踏む、 画像は見たいけどそこにネタバレがあるのは理解できない、許されない
詳しい情報を知りたくて検索したら配慮も伏せもないネタバレを踏んでしまった、何事もご新規様の新鮮な感動のために重要な部分は伏せる、隠す、そういった配慮の精神が全人類に美徳として備わっているべきなのにインターネットには剥き出しのネタバレがごろごろ転がっていて地獄の有様である
Googleサジェストの検索候補でネタバレを見てしまう問題はPCでもiPhoneでもAndroidでもChromeの設定でオフにできるし検索履歴も消せるが、Googleで鬼滅を調べることや調べたらネタバレが出てきた被害を訴えることができても避ける方法を調べて実行することはできない情報弱者に強者は配慮すべき
えっと…手の打ちようがない…
自分からWikipediaで調べてネタバレ踏んだわーつれえわーってマジで言う人マジでいるんですか?
こわ〜…正気か…?
あれはなんですか? 我々には救えぬものじゃ
言うまでもないと思ってたけどWikipediaにおいてネタバレはどう扱われるかのガイドラインの記事をよく読んでね
以下引用
"ウィキペディアの記事にはネタバレがあると一般に予想されます。ネタバレという理由によって、該当する記述をウィキペディア上から除去することは認められません。また、非表示にしたり読み飛ばすためのリンクを設けたりするなど、読者の目に入りにくくするための特別な配慮もすべきではありません。そのような動機によって中立的な観点、百科事典としての在り方、完全性、その他の記事の品質を司る要素を妨げてはいけません。"
アニメ化を機に原作に金は払わないけどアニメ化前から原作を追っている読者にネタバレ死ね殺すとかのたまうキッズが増えましたね
週刊誌に何年も前から連載していてその頃から応援しているファンがいる漫画に対して単行本も本誌も買わないしできる限りの自衛もしないが文句だけは声高にネタバレ配慮は求めるお前、お前の民度というよりリテラシーが低いんだよ、永遠にROMってろ
続き
ネット上でホストファンタジーなどといろいろと悪評を聞くが、自分でやってみないとなぁと思ったので。
ちなみに買ったのはロイヤルバージョンで、1年前に買っていたが、どうにもやる気がでず、1年間寝かせていた。
最近やった他のゲームはアストラルチェイン、FF9、カップヘッドなど。
先に結論を書くと、FF15は80点くらいの作品で、決して悪い出来ではない。良い部分があるが、粗削りな部分があるといった評価とも異なる。
むしろウェルメイドであり、ゲームとしてウェルメイドでありながら、圧倒的なセンスの悪さが、FF15を怪作たらしめていると思う。
先に悪い部分を書こう。
ほぼ前情報なしでプレイしたので、作品オープニングでタイトルとともに、Stand by meが流れたときは、センスの悪さに鳥肌が立った。
自分に忍耐がなければ、電源を落としていただろう。それくらい、21世紀のこの時代にStand by meは気持ちが悪かった。
旅がテーマ、男4人の旅というのは知っていたが、だとしてもだ。
ホストファンタジーという揶揄からもわかる通り、キャラクターは大不評のようだ。
自分は野村ファンタジーにはそれなりの耐性があるものの、全員黒い衣装ってどうなの?とは思う。
あと車の乗り方。ヤンキーか。
終始、画面がシュールな笑いに包まれるのだが、製作者がこの笑いを意図したものなのか、天然なのかがわからず、笑っていいのかどうかよくわからない。
口調は主人公のみ気になったが、それ以外のキャラクターは特に気にならなかった。
100万回くらい言われているのだろうが、駆け足&説明不足。しかし、この原因はあとで考察する。
ファンタジーなのか現代なのかはっきりしてほしい。道路は異常に整備されているが、車の数は少ない。
誰がどういう目的であんなに道路を整備したのか。車は一般人でももてるのか、特権階級だけなのか。
帝国はなぜ空から襲ってくるのか。道路に非常線を張れば、一発で主人公を捕らえられるのにバカなのか。
良い部分
オープンワールドゲームとしてよくできていると思う。地形も良いし、世界もそれなりに広い。
仲間とのパーティがあるオープンワールドゲーとしてはよくできていると思う。特にチョコボの出来が非常に良い。
チョコボに乗って初めて、やっとFF15やってよかったと思った。それまでは苦行だった。
車は、道路を走っているだけなので、個人的にはあんまり良さは感じなかったが、人によっては、あのドライブしている感じを楽しめたのではないかと思う。
オープンワールドゲーでは終始走り続けないといけないので、そこに車によるオートドライブというのは新しい世界の魅せ方だったと思う。
アクションゲームとしても良くできている。特筆すべきものがあるわけではないが、やっていて気持ちよさは感じるのでよかった。
さて、FF15はゲーム部分としてはよくできていて、ストーリー部分は終わっていて、演出とセンスが壊滅的であると書いた。
その理由はFF15のオープンワールド化とこれまでのFFのギャップにあると思う。
基本的にはFFはストーリードリブンのRPGと見做されていた。FF13が一本道とバカにされたように、FFはこれまでストーリーを語ってきた。
そのため、FF15でもストーリーを語りたい、クリスタルや帝国、王家、召喚獣が出てきて、いろいろやりたいという欲望が製作陣にあった。
一方で、オープンワールドゲームはストーリーを語るのに、あまり向かない。または、現状でストーリーを語るうまいフォーマットが生まれていない。
ゼルダBotWでも、かなりストーリー部分は淡々としていた(ゼルダは基本淡々としているが)
オープンワールドでは、どうしても小さなクエストを回りながら、大きなストーリーを進めていくというプレイスタイルになる。
世界には小さな、しかし大量の点としてのクエストがあり、そこを自由にまわりながら、その世界を楽しむことがオープンワールドの面白さなので、
ゼルダであれ、ホライゾンゼロドーンであれ、Falloutであれ、大きなストーリーは、主人公個人の動機に依存する物語で、世界を救う動機ではない。
一方で、FF15の場合は、国と国の間の大きな物語を語ろうとしてしまっている。つまり、従来の線としてのストーリーだ。
すると、この王子は親父が殺されて、国が崩壊しており、もしかすると自国民が路頭に迷うかもしれないのに、ふらふら旅をしているお馬鹿さんになってしまう。
国が滅んでいるのに、シドニーに頼まれて、ワックスを取りに行ってしまう。それ、やる必要ある?とプレイヤーは突っ込んでしまう。
結果として、オープンワールドゲーの楽しさである回り道が、ストーリーにとっての罪悪感を生んでしまい、
どちらを重視するプレイヤーにとってもしっくりこないプレイスタイルをつくってしまっている。これがFF15のゲームとして見たときの一番の欠点である。
もちろんキャラクターが気に入らない、ファッションが気に入らないという感想はあるかもしれないが、
上記のオープンワールドと大きな物語の矛盾こそがFF15を怪作としているところだ。
ノクティスと仲間たちは、戦争孤児で、シドが引き取って育てていた。つまり、ただの村人である。
ノクティスが18歳になったときに、一般人では手に入れることが不可能な高級な車が見ず知らずの人間から送られてきた。
そこには、こう書かれている。「世界を見よ。そして、自分が何者かを知れ」
ノクティスはこれを機に旅に出ることにする。
グラディオラスが言った「おまえ一人では心配だ。用心棒がいるだろう?」
4人の旅が始まる。
旅の途中で、ノクティスは謎の力を手に入れることになる。
その力をめぐって、帝国軍とやりあうことになり、帝国に追われることになる。
たまには幼馴染のシドニーのところに戻って、車を修理したり、彼女のお願いを聞いてあげる。
世界を少しずつ回るにつれて、帝国とルシス王国の争いに、巻き込まれていくこととなる。
おそらくこういう導入の仕方の方が、すんなりと世界に入れたのではないかと思う。
FF15はとにかく惜しい作品なんだけど、インディーゲーや小さいメーカーがつくったゲームと異なり、
開発期間がもう少しあれば、開発資金がもう少しあれば、といった話で解決されるものではまったくなく、
このゲームをどういうゲームにしたかったのかが不明確で、昨今のスクエニのディレクターをやれる人が少なくなってきているのを如実に表していそうだ。
どうやら、配偶者がいようが、子どもがいようが、正社員として働こうが、作家として名を馳せようが、人生の虚無というのは常についてまわるらしい。最近そういうテキストばかりを読んでいる。海猫沢めろん「めんどくさいしどうでもいい」(タバブックス『生活考察』)、佐藤友哉「青春とシリアルキラー」など。一体どうすればいいというのだろう。僕は先に挙げたどれも持っていない。なのでどれかを手に入れれば何かが変わるのかもしれない、と思う。それはある意味希望でもあるけれど、たとえどれかを手に入れようとも結局虚無がついてまわるというのは、絶望でしかない。八方塞がりじゃないかと思う。いや、なんとなくわかっている。社会的な身分や肩書きとか、そういう外形的なものによっては満たされないのだ、という感覚もあるにはある。けれどやっぱり、何か変わるんじゃないかと淡い期待を抱いてしまう。
ワイドショーなんかを見ていると、結婚のことを「ゴールイン」と表現する人たちがいる。僕はそれを内心バカにしていて、「いやいや結婚したところから生活が始まるのだからゴールなわけないだろう」とわかったような口をきく。「結婚しさえすれば何か変わる」という思考の人のことも同じようにバカにしていたと思う。けれどどうだろうか。「結婚」の二文字が他のものに置き換わっただけで、結局自分も同じ思考回路の中にいたのだ、と思う。結婚すれば、正社員であれば、子どもがいれば、仕事で大成すれば、何かに認められたような、まっとうな人間になれるような気がしている。そんなわけないのに、と半分思いながら。
前期予想記事
https://anond.hatelabo.jp/20170120191138
もうすぐグランブルーファンタジーのアニメの2期が放送されます。
プレイヤーにとってもBD購入特典がどうなるかしか関心が持たれていない現状ですが、
今回も前記事に習ってグラブルアニメ2期がどれくらいのレベルになるのか考察してみましょう。
とはいえ、グラブル2期について予想する前にはまずはグラブル1期の評価について書いておかなければなりますまい。
しかし実際に見てみると意外に悪くない。
もちろん、事前の期待値がゼロだった分、少しはマシに見えてしまうという事もあるのでしょうし、
私がグラブルプレイヤーである故、限りなく甘い評価を下してしまっているのも否定できません。
しかし少なくとも最悪(Dランク)は免れたのではないでしょうか。
あのどうしようもないメインシナリオを面白いと思える変わり者がアニメスタッフに何人もいるとは思えないので、
サイゲームズより変えるなとのお達しが下っていたのでしょうが、そこはプロの仕事人、
ダメダメ原作より少しでも見れるものにしようという努力の形跡は見られました。
最も大きいのがルリアの扱いで、原作に比べてちゃんとメインヒロインしている。
原作ではずっと裸足のままだったり、主人公の体の中に入れる謎設定がうやむやなまま消滅したり、
4コマ漫画の大食いキャラに完全に食われていたりと、とてもプロの仕事とは思えない酷い扱いですが、
アニメでは靴も買ってもらえたし、過去も断片的ではあるものの描かれたり、アウギュステのデート回はなんだかんだいって微笑ましかった。
のっぺり気味のキャラデザに比べ背景美術も大分頑張っていました。
あと個人的には原作オープニングで流される、寒い上に今後展開されるストーリーから見ても意味不明な駄ポエムが省略されていたのも大きい。
もっとも、それでは誰にでもおすすめできる良作なのかというと、駄目なところもたくさんあって、
ビィが物理法則を無視したような謎の浮遊をしていたり、コロッサス編でのキャラクターの芝居がおかしかったり
全体的に演出がちぐはぐなのが気になりました。
また、敵側の帝国軍幹部、ポンメルンとフュリアスですが大組織の幹部とは到底思えない小物のゲス野郎で
有能だと思えるような描写もないので何の深みもなく、これは原作からしてそうなので原作が足枷になっているのでしょうが、
ポンメルンに関しては1話の時点では少なくともルリアの危険性や帝国の大義のようなものを語っており、
また、原作帝国編後半の取って付けたような職業軍人の葛藤らしき描写との整合性をすりあわせるためにも
もう少しなんとかならなかったのか…と思わずにはいられません。
BGMの使い方も原作BGMをただ流しているだけ…と思しきシーンが目立ちます。
最終盤及びEX回のガチャキャララッシュも、そこに何のドラマもないので、あーあのキャラが動いてるね以上の感慨が生まれるべくもない。
結論をいうなら、前記事の評価基準でいうとどう甘くしてもCランクがいいところでしょう。
(ところで前記事のコメント欄で2017年1月21日の段階でけものフレンズをSとする米があって、本当、見る目のある人はいるものであると空恐ろしい気分になったものである。)
前述の記事で願ったような、アニメをきっかけにして新しく騎空士になる人が増えてグラブルがかつての盛況を取り戻すということもなかったが、
かといってアニメがマイナス効果となることもなかった。良くも悪くも空気アニメだったといえるでしょうか。
まあ、ヒヒイロカネ商法で、アニメ自体は全く話題になっていないにも関わらず、同時期のアニメとしては圧倒的な売り上げを見せたという、
外部の人間からすれば不気味としかいいようのない現象は、アニメの円盤ビジネスおよび一部で見られる売り上げ至上主義を見直すいいきっかけになったかもしれませんが・・・。
さて、こうして1期についてつらつら書き連ねてきましたが、これから放映されるグラブルアニメがどのランクになるか前記事同様確率予想したい。
評価基準は以下の通り。
Sランク・・・ソシャゲアニメの枠を超え、日本のアニメ史に残る傑作
Aランク・・・原作を知らなくとも、一つの映像作品として楽しむことができる良作
Bランク・・・欠点もあるが、原作プレイヤー以外にもおすすめできるそこそこの出来の作品
Cランク・・・原作をプレイしていないと楽しめない部分が多い、欠点が多い微妙な作品
ガチャで例えるなら、SランクがSSR、AランクがSR、BランクがR、Cランクがハイノーマル、Dランクがノーマルですな。
おっ、前期よりも期待度高いじゃーん。それでも絶望的な確率ですが・・・。
Sランクの確率はグラブルのガチャの目玉SSR確率のピックアップ確率をリスペクトしてみた。Aはそれ以外のSSR確率。それでも高いと思われるでしょうけど。
けものフレンズというソシャゲアニメからもSランクと呼びうる名作が生まれたことにより、Sランクの夢を見られるようになったのはとても大きいです。夢見させてください。
それに少なくとも前期よりは期待できる部分がなくもなく、さらにその前期も最悪ではなかった…。そんな気分からこの確率を出しました。
○ご期待したい点
制作会社はMAPPAに変更されましたが、これまで「神撃のバハムート GENESIS」シリーズや、「ゾンビランドサガ」とCygamesとはもっとも懇意にしているスタジオですね。
サイゲ関連作以外にも、「この世界の片隅に」「ユーリonアイス」「さらざんまい」といった質と売り上げを両立させた作品を何作も手がけており、
今最も勢いのあるアニメ制作スタジオの一つではないでしょうか。
もっとも、酷い出来の作品もあるが、当たり外れがあるのは1期のA-1ピクチャーズも同じか。
1期では脚本“Cygames” となっており、EDでは社内の素人ライターと思しき名前がクレジットされていましたが、
今回はちゃんとプロの脚本家がシナリオを担当しているようです。
シリーズ構成の吉村清子さんはWikiなどを拝見するとあまりヒット作の構成作家というわけではないですが、
個人的には牙狼-GARO- -VANISHING LINE-は割と良かったです(前シリーズがイマイチだった反動もあるかもしれない)。あと鉄のラインバレルの前半くらいでしょうか。
監督とのタッグではヴァンガードGシリーズを担当されているようですが未見なので詳細コメントは伏せます。
Cygamesのアニメもゾンサガやウマ娘のおかげか1期の頃に比べると注目度が上がっているのではないでしょうか。
この注目された中で駄作を生めば、これまでの評価が一気にひっくり返りかねません。なのでこれまでのように、潤沢な予算をかけた良作になる可能性が・・・あれば・・・いいのになぁ。
○ご不安な点
多すぎる上1期とほぼ同じなので箇条書きで
・結局メインシナリオをなぞること。
・メインシナリオの中でも盛り上がりのないところ。
CMの作画もそうでしたが、なんでグラブルの作画はこんな酷いのだろうか。もちろん作画がいいだけで名作ならば神撃のバハムート GENESIS virgin soulは名作になっているが。
どうやっても原作絵と比較されて貶されるのがわかっているので手を抜いているのか。
・どんなに手を抜いて作ってもヒヒイロ効果で売れるからいい加減に作られる可能性大
・相変わらずゲーム内ではろくな告知がない
結局1期同様アニメファンにとっては全くの空気だが、円盤だけはなぜか売れている・・・(ただし今のグラブルのゲーム事情を考えると1期ほどの売上は望めない可能性大)
という不気味な状況が繰り返されるだけな気もします。…と油断しているととんでもない糞を投げつけられる可能性もありますが…。
来期はソシャゲアニメではFGOやアズールレーンといった注目作が控えています。グラブルアニメもそれらに負けないような存在感を見せてくれればと1プレイヤーとして願うばかりなのですが・・・。
これはタイトル通り、大手のヘイト解釈が広がりすぎて私の推しカプが完全に潰された思い出話です。
当時の悲しみとか主観が色々と含まれていますが、ようやく吐き出せるようになったので書きます。
私の推しカプのABは、最終的に公式で結婚する公式カプなんですが、所謂同人人気はそんなに。
一方、別カプのACは公式でCの片思い表現は出てくるけど、AはCのことを恋愛的な視線では見ていない非公式カプ。(基本、Aは恩人であるB一筋)
ただ、Cの報われない悲恋要素が受けて同人人気はけっこうある方でした。
同人人気があまりないカプなので、ABの作品数は少なかったですが、その分いっぱいABの話を書いたりしてました。
AとBが出会う前の話とか、AやBがそれぞれどんなキャラかの掘り下げとか、エンディング後のABの新婚幸せ話しとか、ABに子供が出来た話しとか。
原作をそれはもう舐めまわすように読んで、出来るだけ原作の世界観を重視して、時代考察にも力を入れて、ヘタレなりに頑張って、楽しくABという推しカプを書いていました。
今思い返しても、ABのことを考えるのが楽しくて楽しくて、本当に幸せな時間でした。
そんな時、とある大手さんがこのジャンルにハマったという話を同カプの友人から聞きました。
その大手のことは私も別ジャンルで知っていて、画力も構成力も全部最高で。
まさか今のジャンルであの大手さんの作品が見られるとは!とめちゃくちゃ浮かれていました。
あと、大手さんは過去のジャンルで公式カプをすごく丁寧に描いてくれていたので、もしかしてABも…?と勝手に期待も抱いていました。
大手さんが公開されたのは、原作の話を再構築するタイプのものでした。
ただ原作と違って、BがAにした恩人エピソードは全てCのものになっていて、それを切欠にAはCに恋心を抱いたことになっていました。
それどころか、他のB存在そのものが、悪役がCを陥れるために変装して行ったことになっていました。
え?Bは?Bはどこに行ったの?
なんでBが存在しないどころか、悪役に出番を奪われているの?
大手さんの作品を読んだ時はもうその言葉で頭がいっぱいで、初めは辛すぎて最後まで見れませんでした。
でも、もしかしたら最後にBが出てきて原作通りAと幸せになるかも……。
と思って、何度目かの挑戦で最後まで見ました。
(本当に止めておけばよかったと思います)
結果、大手さんの作品で悪役が変装したBは、AがCを守るために、Aに殺されました。
そして、AとCは二人の愛を阻むものは無くなったと、皆に祝福されながら結婚する終わり方でした。
大手さんはその作品をCの悲恋が報われたハッピーエンドと言っていました。
正直Bの存在を消したどころか悪役にした話のどこがハッピーエンドなんだと思いましたし、そんな無理矢理原作を改変してAC結婚のハッピーエンドとか、今で言うところのヘイト創作なんじゃないのかと思いました。
なので正直、いくら大手さんとはいえ、この話は賛否両論なんじゃないかと思いました。
Cの悲恋が報われたとか、公式で叶わなかったACハッピーエンド展開最高ですとか、AC幸せになってほしいとか。
特にAC界隈には大絶賛で、大手さんの作品こそ公式だと言わんばかりの盛り上がり方でした。
元からACもAC界隈もあまり否定的なことを思ったことはなかったんですが、AC界隈の人にとってBは悪役にされてAから殺されても何も感じないキャラだと思われていたのかと、とてもショックを受けました。
原作で結ばれたAとBを引きはがして、Bの手柄を全てCのものにして、最後は原作では想い合っていたAに殺されるヘイト展開を見ても、ACさえ結婚して幸せならなんでもいいのかと、ドン引きしました。
今でもACどころかCが単体でいる絵だけでも嫌悪感が沸いてきます。
無論、中には「Cは悲恋だからこそ、原作のテーマが生きるし、これは改悪だ」と大手さんの作品を批判される方も居ました。が、かなり少数でした。
ただ、地獄はそれだけでは終わりませんでした。
大手さんは固定のファンも多く、中には原作は知らないけど大手さんの作品は読むという方々も居ました。
そういった方々は、ACがハッピーエンド()は公式なんだと勘違いされていました。
実際そういうコメントを見た時は、あまりのショックにしばらく何も出来ませんでした。
Bなんて存在はACを邪魔する悪役で、最後はAに殺される悪役なんだという解釈が、ジャンル内外問わず広まりました。
それでも気にせずABを書いていられればよかったんだと、今では思います。
でも、私には駄目でした。
大手さんの解釈がジャンル内に広がり、そういう二次創作(というか大手さんの三次創作)がいっぱい出ました。
Bのした善行はCの手柄になり、それ以外は全て悪役のしたこと。
原作では互いに想い合った末Aと結婚したBが、Aに殺されて『成敗』される展開。
そういった展開が、どんどんジャンル内に広がっていきました。
ACカプを避けてオールキャラものを読んでも大手さんに影響された、AC前提の作品が出てくる。
(というかそもそも、大手さんもAC作品としては発表していませんでした)
書きたいABや、Aがどれだけ素敵で、Bのどんな所に惹かれたのか、原作で結ばれた二人がどんな未来を築いていくのか、書きたいものはいっぱいありましたが、続けることが出来ませんでした。
ただ、私のような底辺書き手が一人居なくなったところで、ジャンルになんの変化もありませんでした。
ジャンルではその後も、大手さんの解釈がずっと公式かのように扱われ続けました。
この話で何を伝えたい、とかはありません。
ただ、世界には大手の作品や、その解釈が蔓延したせいで筆を折った
どこにでも居る底辺書き手が居たことを知っていただければ幸いです。
【解説】
この話に出てくるジャンルとは、皆さまご存知『人魚姫』のことです。
・A → 王子
・B → 王子を助けた娘
・C → 人魚姫
元々は私の推しカプが愚痴垢で「あのカプは全てヘイト創作!」的なことを言われており
二次創作界隈で対抗カプをヘイト創作扱いするのはよくある話ですが
これでヘイト創作ならリトルマーメイドもヘイト創作やろ!と思った末に
実際に二次創作界隈の常識とか言語に当てはめると、かなり酷い話に思えるのでは……?
間違ったことは言っていないけど、言っていないことも多い、推しカプ主観マシマシ文章にしました。
ディズニーを二次創作大手扱いするなとか色々あるとは思いますが
さも酷い話のように書かれている愚痴も、内実はこんなものかもしれません。
また、ただの思い出話ですが、
これを3食食えばたぶん死なない
大きさ:約1m x 1m x 1m 押し入れに入るくらい?
約1.1食
約240万円
大きさ:2m x 2m x 2.5m 納戸が全部埋まるくらい?
約4.4万食
約1000万円
大きさ:4m x 4m x 2.5m 12畳の部屋が天井まで全部埋まるくらい
約8.8万食
約2000万円
大きさ:4m x 4m x 5m 24畳の部屋が天井まで全部埋まるくらい
・80年分が2000万円、1年100万円とすれば20年くらい稼げば食費は全部稼げる計算になる(カップラーメンbig基準)
シーズン2がキャスト一部変更で牧が出ないことはまあ仕方がないなと思うし、だいぶ前から予想はしてた。2016年の単発からの流れを考えたら一番可能性高そうだったし、あれだけ劇場版で完結完結って言われてたし。できればキャスト総入れ替えが良かったなとは思ったけど。
でも、たとえキャスト変更が覆らなかったとしても、それを元からのファンが穏やかな気持ちで受け入れられるようにしてほしかった。
新シリーズが発表されてからの荒れっぷりは、公式のツイートについているリプライを見れば分かると思う。実際にはあの何倍もの人が伏せ字や鍵垢で怒ったり悲しんだり黙ってアカウントを消したりしている。
公式に対して怒っている人への批判とか、民度がどうこうみたいな話も見るけれど、この状況はなるべくしてなったと思う。「キャスト変更がなるべく受け入れられるようにシーズン2へ移行する」ことが目的だったと考えたら、おっさんずラブ公式は悪手を重ねすぎている。
まず、完結編と謳っていたにも関わらず、映画で春田と牧の物語がきれいに終わったとは言い難かった。劇場版のyahooレビューを役立ち度順に並べると低評価のものがずらっと並ぶし、絶賛していたファンでも「完結編として最高だった、ここまでやりきってくれたならこれ以上は不要」と思っている人は少数派だと思う。春田と牧の関係は始終ギスギスしていて、劇中で二人がぶつかる問題はほとんど解決しないまま放ったらかし、ラストシーンは離別エンド。映画をやらずに連続ドラマだけで終えていたほうがよほどきれいな完結だった。
それでも好意的なファンはまだまだ劇場に足を運び、考察を重ねて楽しんでいて、公式も毎日オフショットを投稿していて、まだまだ盛り上がりが続いている状態。そんな中で公式が続編の詳細を発表し、強引に打ち切るように公式アカウントをシーズン2に切り替えた。まだ劇場版の公開からたった1ヶ月しか経っていないのに、今日の夜には応援上映だってあるのに (私は元から行くつもりなかったけど、どんな状態になるのか想像するだけでこわい)。放送時期が半年遅かったら、せめて冬クールだったら、と何度思ったか分からない。
発表前日の夜からの流れは本当にひどかった。「2人の幸せがこれからもずっと続きますように🌸」という言葉とともに結婚指輪をつけた春田と牧の手の写真を投稿、その翌日の朝にはアイコンを変更しプロフィールを書き換えて新シーズンの詳細を写真つきで発表。この間、たったの6時間。私は深夜3時に早バレを踏んだのでその時点で泣きながら公式アカウントのスクリーンショットを撮って全アカウントで公式をブロックして回ったから発表後のダメージはそこまでくらわずに済んだけれど、結婚指輪ツイートを目にした時にはもう新アイコンだった人とか、大丈夫だったんだろうか。せめて一日空けていれば、だいぶ違っただろうになと思う。
という感じで、制作陣が作ったものと上層部が下した決定と公式アカウントによる宣伝戦略とが最悪に組み合わさった結果があの阿鼻叫喚だった。
逆になんでこれで燃えないと思ったの??????? と一日中思っていたけど、そうじゃなかったんだとさっきようやく気づいて、それでまたちょっと泣いた。
燃やさないつもりなんてきっと最初からなくて、元からいたファンがどんな気持ちでシーズン2の詳細を知ろうが、それでどれだけ悲しい思いをしようが、どうでも良かったんだろう。むしろ炎上商法を狙っていたのかもしれない、認知度は上がるしハードルは下がる、減ったフォロワーは新しい人気俳優の名前で取り戻せる。なるほどなと思った。
公式がコンテンツやそれを好きなファンを大事にしてくれるのは当たり前じゃないって、けもフレ2の騒動とかも知ってたけど、自分が当事者になるのは初めてだった。
テレ朝はもう一生信用しないし、新シーズンも他のテレビドラマも万が一好きになってしまったら怖いから観ないようにしようと思う。クソ重オタクが民放ドラマなんかを本気で好きになってしまったのが間違いだったんだ。
シーズン2がヒットするかはどうでもいいけれど、春田の中の人のことは好きだからせめてコケないといいな。2018年版の奇跡をありがとう。
「いい意味で頭わるいですね」ならまだいい。頭悪「そう」っていうのは何の観察も考察もないまま見た感じの印象で言ってるから「そう」がつくんだ。
この場合「あんたのことはよく知らんけど頭わるそうに見えます。でも不快なタイプではないです。」って言ってるんだ。舐められてるわな。
この話は、自身の感じ方とそれに対する個人的考察を述べただけのものである、ということを前置きにさせていただく。
同じ現象によく陥る、という方がいらっしゃったら少し嬉しく感じるし「現象は同じだけど理由は違うなぁ」と感じる方がもしもいたら、その「違った理由」もまた、知ってみたい。
そんな好奇心から、この記事を書いてみようと思った次第である。
私は創作することが大好きだ。絵を描くのも文章を書くのも大好きで、常に何かしら描いたり書いたりしている。
今、とあるジャンルのとあるCPに大変萌えており、二次創作をガツガツとしている。ちなみにこのジャンルでは絵を描くことはほとんどなく、専ら小説を生成している。
このCPにハマったのはかれこれ二年前だ。ハマりたての頃はそれはもう他の方の二次創作をドッカンドッカン摂取させていただいていた。来る日も来る日も夜更かしして、タグ検索でヒットしたイラストや漫画や小説を漁り、いいねをつけてブクマをする日々を送っていた。
素晴らしい作品を摂取しまくりブクブクに肥えた私は、次第にこのCPでの好きなシチュエーションや萌える会話などを脳内で錬成し始め、自分の性癖によりフィットした作品を読みたいと思い始めるようになる。美味しいものを食べると舌が肥えるのとよく似ている。
かくして私は「フゥゥゥ…萌え…フゥゥ…自分で小説書いてみるか…フゥゥ…」と、脂汗をハンケチで拭き取りながら、息荒くこのCPの創作を始めた。
漫画ではなく小説という方法を選んだ理由は、そっちの方が完成が速いと思ったからだ。私は絵を描く時は紙と鉛筆を使うので、ベッドで寝ながら作業できないというのが大きい。
脳内に公式の二人のビジュアルを思い浮かべる。自分が妄想した萌える会話を公式CVで再生してみる。準備万端である。
数週間後、無事に書き終わりwebに公開した。正直自分で何度も読み返して萌え狂った。創作ってぇのはホントにやめられねぇなぁてやんでぇ!と、何故かべらんめぇ口調になるほどだった。いいねやブクマ、コメントもポツポツあって、もう嬉しい楽しい大好き状態だった。毎日心の中で小さな私が小躍りしていた。
そんな風にして、萌えるネタを思いつく度に小説を書くということを続けた。公式絵と公式CVを脳内再生しながら紡ぐ妄想の世界は本当に幸福で、脳汁がジュワジュワと滲み出てくる。
相変わらず自分の作品を読み返しては萌え転げるというルーティンも変わらず続いた。いつでも私は、自分の創作物が物凄く好きなのであった。(余談だが創作物は好きでも自身の人間性等への肯定感はほぼゼロである。この話は長くなるので今回は割愛)
そんな日々を続けていると、やはりCPへの解釈がズンズン深くなっていく。ここが二次創作の面白いところだなと思うのだが、みな同じもの(公式)を見ている筈なのに、抜き取るポイントや読み取る行間の位置が違うのである。だからこそその人だけの「解釈」が生まれる。なんて素敵で面白いのだろう。
しかしだ。私はこの時に気づいた。「あれ?そういえば私、他の方が書いたこのCPの小説、めっきり読まなくなったな…」と。理由は恐らく、CPへの解釈が深まったからであろう。深まれば深まるほど、そうじゃない解釈の作品を読もうとする気力が起きなくなる。最初の頃はあんなに息をするように読んでいたのに、なんだか悲しいことである。
解釈とは、色のようなものであると思う。だから相性の良し悪しがある。混ざり合ってなんとも綺麗なマーブル模様になる組み合わせもあるし、きっとそうじゃない組み合わせもある。そして解釈を深めれば深めるほど「相性が良い」ものと出会う確率は、減っていく気がするのだ。
一年半ほど経って、私はすっかり他の方が書いたこのCPの小説を読まなくなっていた。読むのは「著者」として既に知っている好きな方の新作だけ。
だがしかし!ここからが不可解なところなのだが、小説は読まないくせに漫画やイラストは相変わらず見ているのである。何故!?小説の方が時間がかかるから?いや、時間ではない。だって私が他の方の小説を読まなくなった理由は「解釈の相性の良し悪し」だった筈だ。それが本当の理由なら、漫画やイラストにだってそれは適用される筈である。何故私はイラストや漫画だけは今も見境いなく探して読んでフゴフゴ言っているのだろうか?小説に対してだけやたら審査が厳しくないか?何故????
しばらく考えてみて「はっ!」と気付いたことがあった。それは、私が自分で小説を書く時「公式絵、公式CV」を脳内再生していることに由来してるのでは、ということだ。
小説は文章以外の情報がない。読みながら景色を想像して、キャラクターの仕草を思い描いて、セリフの声を脳内再生する。
そう。他の方の小説を読む時も私の脳内で再生されるのは「公式絵、公式CV」なのである。そして自分の中で充分に育ってしまっている解釈。この二つが同時に発生するから、他の方の小説を読んだ時に矛盾が生じやすくなってしまうのだ。「〇〇はこういうこと言わないと思うなぁ」とか「××はこういう表情しないんだよなぁ」とか、ピーチクパーチクと、そんなしょーーーーーーもないことを感じてしまうのだ。
これが漫画やイラストだったら。そうなのである。当たり前だが「公式絵、公式CV」がわざわざ脳内で発動されない。その方の描くそのキャラクターの映像のままなのである。その方の描くキャラがその方の解釈で描かれているから、特に矛盾が生じないのだ。視覚でも同時に情報を得られるから、脳内と視覚のズレがないのである。
この答えに辿り着いた時、メチャクチャ「な、なるほど!」となった。ストンと納得できた。そして他の方が書いた小説をモリモリ読みたくなった時は、脳内で「公式絵、公式CV」を発動させなければ良いのだということも分かった。(これが多分物凄く難しい。私は拗らせすぎてこのCPに限り自分の絵すらあんまり萌えなくなってしまった)
これを読んで「わかる!」と感じた文字書き様もいらっしゃるだろうし「さっぱり分からん」と思った文字書き様もいらっしゃるだろう。いろんな感じ方、考え方を知ってみたいと純粋にそう思っているところである。
お笑いというのが人の失敗や苦境、容姿の差異についてそれを有益と認める方向の価値観ではないということを話題として伝播させる様式であることが多いのが問題
問題性としてはその方向性が多いため育成されるものがおおよそそういった表現方法しか知らない状態のまま収益活動に活用されること
収益活動に利用されて問題なのは、主たる目的の収益があがらなくなるということ
もとより他人の失敗を笑うと言うのは価値観を付与した情報の作成方法としてある
笑い話というのは伝聞を伝聞から作成するにあたって要所を個人が抑えやすく再編するにあたって再現性が低くとも主体が残されやすい
文脈と結果をセットにしているためでそのどちらかだけ再現しても笑いにはならない
オチを解説しなくてはならない状況になった時その笑い話は笑うという行動起因を欠いていることにならないためお笑いという形式に固めた情報伝達を行動によって得られる快感で伝播させやすくする
情報伝達媒体として人間関係を築くというのは相対的な人間の成り立ちという根本であるため伝達することやされることは栄養を摂取するに近い快楽を得られる
これを他人の苦しみや災難を笑うことで伝播するという形は発生事象を広め多角的に回避策を考察するためにまず拡散をするということにある
喫緊に解決が必要な状況や関係性でないため遅延して伝聞を拡散するという状況において笑うという感情を利用する
これがお笑いも役立つ教訓になりえ、さすがといわれる落語や関心される漫談になりえる
この伝達を目的とした情報の形成とその受動について作用する「笑い」のみ笑うことのみについてを目的とすると
これは差別的に特に特徴のない事象や小さな差異を大規模的に解決の方法を公募する形で伝達させることですら内容に含む場合がでてくる
差別や侮蔑というのは極小単位での差異を価値観にしたもので規模を広げれば希釈ができる
大阪ナオミが自宅に漂白剤をもっていないわけがない またなくとも自宅に洗剤があるのはとくに特異なことではないしなかったとしても解決方法を要する問題ではない
しかし文脈においてと分節単体においてその指摘する内容は「大阪ナオミに漂白剤を浴びせる」ということ目的としてる
これは笑えるわけがない 面白い要素がない いじめのドラマで中学生がこんなシーンを演じる台本があったとしても笑えるシーンにはならない
もちろんそういった行為が発現するという可能性がゼロではないためその情報を好んだり伝播単位にすることを行う人間も少数は存在するしそれをなくしては防護対策はできない
その特殊な思考の偏りについて発言するのは趣旨にそれるため面白くないという意見が情報を接種した人間すべてではないということに留めるが
「日焼けしすぎやろ」「外で運動しすぎやからな」「服の汚れとか汗がきになるやろ」「漂白剤がいるな」程度には範囲で希釈すれば漂白剤発言は問題にならかったかもしれない
そこまで観測対象を広げるとなにが異常でなにが問題点でそれを解決する知恵をかりたい 知恵が必要な問題点を見抜く視点をもっている有能さ として笑いを起動できるか
となるとその視野と思考の範囲では材料に対して「自分たちが会話をしている流れだけで楽しいこと」であることに気づかず自分たちが笑えた事実のみを基盤に
これは元増田が見た通り「出来るお笑い」を作れるコンビだったかもしれない その才能はあったかもしれない
しかし組み上げる方法や手段を持っていなかったりかのコンビが取得できるところにそういう伝播の情報形成における基礎的な情報がなかったのではないか
師事することやその見解について最低限ここに書いた事を受け継いだ人間に触れることで取るべき手段と選択すべき素材とをもっとよい結果につなげられたかもしれない
これは才能があるとするとその個性や特徴における評価について低いものではないとすると おかれている環境があまりに程度の低いものではないか
他にも連続して発生している「お笑い芸人」の不適切な発言問題をみると彼らを育成する土壌というのが根本的に肥料が少なすぎで粗悪な環境ではないのだろうか
またそのような環境を経てもテレビに出さえすれば収入を平均より大きくもらえるのではないかという自己の社会適応性と可能性を天秤にかけた結果
「お笑い芸人」を選ぶという好機を目指した選択について「人を笑わせる」がどういった引き金を用いてその才能だと思っていたのか研鑽したり
訓練する機会が急激に減っているのではないだろうか
自分が馬鹿なことをして笑いものになることで笑いを取ることができ、笑ってもらうのが好きなのでお笑い芸人になるというのであれば
解決すべき問題というのは自分自身で自分自身を社会的に抹殺してもらったり迫害してもらうために自分で情報を発信しているということなる
自虐ネタということでそれを作り上げる人間もいるわけでそれらを素人がいくつか見るだけでもお笑いとはどこで笑うべきかなにを笑うべきではないのかを充分に知りえるはずで
ネタを考えているときにコンビ二人がその常識から逸脱してしまったことに気が付けない知識の少なさ経験の少なさ
価値観の平均を知ることができなかった社会適合性とやはり経験 これを管理する側としては業界は解消すべき直近の問題ではないだろうか
このまま複数件同様の問題が続くようであれば これはもう芸人の個別問題ではないむしろお笑い芸人は笑われて捨てられる被害者なのではないかと考える
現在問題を機に排斥されたお笑い芸人たちがそれらに気づき反省し再度かえってくることがあれば充分にお笑いをたのしめるのではないだろうか
最近良くある、「君の名は。」以降のアニメ映画だと言う印象を宣伝の時は感じていた
君の名は。や天気の子を見に行くような人達が見ても楽しめる人は少ないと思う
だって、あれらを見に行く人は、新海誠の長年のファン以外だとただ見に行くだけって人が多そうだから
そりゃ考察すれば色々深い所まで考えるんだけど
君の名は。の様に主人公がヒロインを助ける話が最近のアニメ映画の流行りだと感じてる
HelloWorldは、その点が複雑過ぎた
現実世界からやって来た主人公が仮想世界の過去の自分にヒロインを助けさせる
そんな単純な話じゃなく実は、現実世界だと思ってた世界すらも仮想世界で、本当はヒロインが主人公を助ける為に起こした事が、映画の話だった
複雑過ぎるだろ!!!
でももう少しアクションシーン削って、世界について描写してもよかったんじゃないかな
そうすればもう少し理解不能で終わる人は少なかったと思う
進撃の巨人無料公開が終了しましたね。最新話では急展開ばかりで次回どうなるか全くわからない状態です。
さて、エレンの首は飛ばされましたがおそらくジークと同じ感じで推定始祖ユミルに体をこねこねして作ってもらうのでしょう。ここで死んでもらっちゃ困る。
しかし、巨人は明らかに無から物体を創造しています。単なるそういうスーパー能力だよで考えていいものなのでしょうか? ここで一つ考察をぶち上げます。
漫画ジャンル変わってるじゃねーか! という話ですが今更です。ここからもう一回変わっても大して変わりはありません。
所で、作者諫山創先生がこう言っていたことは覚えているでしょうか?
オマージュだろいい加減にしろと言われ続けてきましたがしかしパクリというにはマブラヴ要素は少ないように見えます。まあ世界観的には似ている部分はあるのですが……
ここで思いっきりパクってみましょう。実は巨人は元々宇宙人の端末だったのです!
今まで戦ってきた敵、「BETA」。その正体はケイ素生物が辺境の星を開拓するために送りこまれた炭素生命体の端末だったのです。
そうして主人公はそのケイ素生物に話をしに行き、マジで炭素生命体で意思持ったのいたの? 知らんかったわメンゴメンゴで話は解決ハッピーエンドとなります。
巨人が宇宙生物の端末だったとすると、これならパクリと言っても過言ではありませんね。訴えられるレベルです。
……パクリパクリいって馬鹿にしてんじゃねーという話ですがこう言うにはもう少し大きなちゃんとした理由があります。
これは有名な説ですね。進撃の巨人ファンならあの絵を覚えているでしょう。左に大きな悪魔のような巨人が描かれ左に小さな女の子がリンゴを持っている絵を……
そこでヒストリアがクリスタという名前を絵本から取ったという話があったはずです。心優しい女の子クリスタが大きな巨人と向き合っている絵……これはさっきの絵と無関係ではないでしょう。
そして母親は左の女の子を指さしています。これは左の女の子こそがクリスタという事にならないでしょうか?
この話で言えば左の巨人は始祖ユミルです。そう、元々ユミルの民は巨人だったのです——
そう、宇宙です。……自然に沸いて出てきたよりかはましじゃあありません?
別にそこに理屈をつける必要はないんじゃないかという方もいるでしょうが、これはあれです。何でもかんでも理屈をつけてみたら面白いんじゃないか?という過程の話です。
「始祖ユミルとは、初めて有機生物の起源と出会った少女である。」
あの絵は宇宙から来た巨人がその星の有機生物の起源と出会った瞬間だったのです。これならわざわざ「有機」とつける意味も分かります。
これ、先ほど言ったマブラヴの展開と被りませんか?
何でもかんでも理屈をつけようとすると、こちらが問題になってきます。なによあのリンゴ。
普通に考えたら知恵の実ですがどっからそんなの出てきたのよって話になります。
一つ考えられることとして無垢の巨人が知性巨人の人間を食べたら巨人の能力が継承されますね? あれと同じように、始祖ユミルがクリスタを食べる事で知性を獲得した、と考えることができます。
しかし無垢の巨人が普通の人間を食べても消化できず吐き出すだけで終わるはずです。どうしてクリスタはそんな特別何だという話になるのでこれはあまりいい考察とは言えません。
ここで一つ話を変えましょう。ユミルの民は始祖ユミルの血を引いた人間ですよね? 王家も始祖ユミルの血を引いた人間ですね? しかしこの二つははっきりと出来ることに違いがあります。
また、王家の血を持つ人間は巨人の力でユミルの民の記憶を改ざんすることができます。
これを先ほどの「ユミルの民とは巨人だった」に当てはめてみると――さらに、マブラヴもパクってみましょう。
BETAには頭脳級とよばれるものがあり、こちらに従っています。BETA個々に意思はなく、上位存在に付き従ってるわけです。(合ってるよね? 間違ってたら無視してくれ)
ここで話をまとめてみましょう。
元々巨人は宇宙人の開発用端末として星に落とされました。そこで開発を進めていたわけですが、(なんかちょっと奴隷っぽいですね、進撃の巨人のテーマに合います)ある日有機生物の起源――人間に出会います。
開発用端末である巨人には未知の物でしたが、その人間クリスタは心優しい少女で、巨人に対して優しく接します。
ここで、脳みそであるユミルは気づくわけです。自分はこんな人間のいる世界を開発と言って壊してきたんだ。(もしかしたら殺していたのかも)それを後悔します。
また、いろいろな娯楽にも出会ったのかもしれません。そこで、自分たちは何かの奴隷としてひたすら働かされていたことに気づくわけです。
そうしてユミルは人間になりたい、と思ったのでしょう。自分を含めすべての巨人を人間にしたのです――
……うーん妄想も甚だしい。なんだよ心優しい少女に出会って人間になりたいと思ったって。
ただ、人間になることで奴隷から解放された、というのはテーマに沿っているのではないでしょうか?
マブラヴのパクリという話からもつながります。マブラヴでは炭素生命体は人間を生命と認識できず障害として排除します。こうして戦いが始まるわけです。
しかし巨人は人間を生命と認識し、それになりたいと願ったのです。つまり進撃の巨人とは、マブラヴの終わりから始まる物語だったのではないでしょうか?
……どっちかっつーとガンダム00だこれ
うーん特にないっすねこれ……これでエレンが最終的に何をするか考えられるんじゃないかと思いましたが全然そんなことないですね。
これだと自由だった昔に戻るという意味で「すべてのユミルの民を無垢の巨人にする」がオチになりそうで……最終回のコマと繋がんないんですよね。
まあでもなんかの考察の助けになればなーと
その限界集落は、スマホゲージャンルである。大昔にサービス終了の憂き目にあったゲームである。紆余曲折あって、最近プロジェクトにまた動きがあり、少しだけ盛り上がってきている。
前作からゲームをやっている人は、ゲームの再始動に歓喜した。途中で終わってしまったあのストーリーの続きが読めると思っていた。
前作とはキャラクターの設定が大きく変わっているところがある。それは話の構造上仕方ないところもあったが、キャラ崩壊が著しく見るに耐えない。
そしてやけに文語体で書くので違和感がある。文章が音読する用に書けていない。
ストーリーも、10ウン章までやっておいてまだ話を引き延ばすつもりらしい。話の盛り上がりとしてはまだ起承転結の起にしかたどり着いてなくて、なんの解決もしていないのに。
特徴的な言葉の多用もあるし(ファンの間では一時期それを揶揄した言葉も飛び交った)全体的に、読み進めるのが辛いストーリーになってしまった。
お世辞にも褒められない出来だと思う。少なくとも、もうお金は落としたくないと思ってしまった。
だがもっとクソなのは、そのストーリーでも公式を褒め上げていく信者オタク達だった。
気持ちはわかる。一度終わったと思ったプロジェクト、また再開したなら、いつかいいものが読めるだろうと期待してしまう。
続いて欲しいからこそ、クソストーリーでも褒める。続いてくれないと好きなキャラクターのたどり着く終着点がみられない。
でもそれ、ほんとにそこまで褒められるもの?いくらなんでも限度があるでしょう。ほんとにまともにその話、面白いと思ってる?国語の授業やってきた?マジでこのストーリー、クソだよ。
この信者オタク達は押しが強く、人が適当に呟いた考察にも噛み付いてくる。好きなカップリングには秒で反応する。他のジャンルに比べても、閉塞感が異様で気味が悪く、私はTwitterなどでそのゲームの感想を呟くのをやめた。
あんなクソストーリーを生み出したライターと、ゴーサインを出してる制作側が諸悪の根源だが
ゲーム全体は嫌いになりきれないが、しばらく離れていようと思う。ライトユーザーが離れて、またサービス終了になりませんように。