はてなキーワード: 養子とは
海外であるレズカップルが養子の男の子たちを虐待して、一人いた女の子は無事だったみたいな事件が起きてた
異性親でも娘虐待する一方で息子はベタベタに甘やかす母親とか珍しくないから(西原理恵子とか)、
嫌な話だけど自分の恋愛対象である性別の子供しか大事にできない親が少なからずいるんだろうな
だとしたら、バイセクシャルの親が最高ってことになるんだろうか
一応今も仲良くしてるものの、女親2人っていうのがしんどくて家を出た。ビアンって言えとか主張は各々あるだろうけど、ここではレズって書く。
登場人物は
レズカップルの家庭って言うと「お母さん2人だね」っていい話し風になるんやけど、提供者の精液をスポイトでぶち込むみたいな方法で親1の腹から生まれたので、自分の感覚としては母親+同居してる女の人って感じになる
結局は産んだ方と接する機会が多いし、「母親が2人ですよ」って言われても意外とピンとこなくて、同じように甘えたりはできない。かといってもう1人からは父性みたいなのも感じないから父親代わりじゃないな、みたいな?
家族ってある程度は本能で理解するのであって、理屈じゃないんだなと保育園くらいから思っていた。
うちはレズカップル公表する系の親で、周りもあんま触れんとこみたいな感じで特に問題なく幼少期は過ごした。小学校3年生くらいまでは親2も歳の離れた姉みたいなものだと思えたし、割とみんなで上手くやってたと思う。
でも雲行き怪しくなってきたというか、嫌だなと思い始めてきたのがその少しあとだった。
私の通ってた学校にはクラスメイトの親たちが朝の時間におすすめの本を紹介して読み聞かせをする企画があったんだけど、親2がそこで大人が読む用の虹色系の本を紹介した。
それだけならまだ良かったのに、あげくに誰にも聞かれてもないのに、私がどうやって誕生したのかみたいなことを赤裸々に話し始めたのである。「精子はデリケートだから親1の胸の谷間に挟んで持って帰りました」とかエピソードトークを挟んで。小学校やぞ
これが私はとにかく嫌だった。恥ずかしさのほかに、そもそも親2は出産は無関係だったわけだし、親1と私と精子提供者の男(レズコミュニティの友達の知り合いかなんか)の間のことで、お前は関係ないだろという変な怒りもあった。
親2はアクティブで話が上手くて楽しい人だったけど何かと自己顕示欲強めのレズで、Twitterで同性愛ご意見番みたいなアカウントやってて、フォロワー数千人いるのを最近偶然知った。そのプロフィールに元〇〇(国名)在住って書いてあったけど、それは嘘だ。親2は修学旅行で1回海外に行った話をリアルでも擦り続けてるので、見栄を張りたい気持ちが強すぎる。
話は戻って、親2が教室でやったことは今思えば完全アウトのセクハラの域だったと思う。
だけど何言っても差別になりそうだからか、誰かの親がクレーム出すと思ったら驚くほど無風だった。クラスメイトにからかわれたりとかもなかったけど、あの時本当は誰かに親2を叱って欲しかった。
すっかり学校で腫れ物になった親2は、その後も学校の図書館に虹色系の本を多量に置こうと働きかけ、PTA便りに同性愛カミングアウト怪文書を載せるなどしていた。
あと、親1と学校行事に2人で来て人目も憚らずにイチャついてみたり、「着飾った他のノンケママとは違うのよ」感出したかったのか、授業参観にすっぴんショーパンキャミサンダルで来てみたりとかの奇行も続いた。さすがに児相に通報されたり学校に親が呼び出されたりするレベルじゃないけど、子供からしたら本当に恥ずかしい。
私の学校生活が全部親たちの幸せを審査するのオーディション会場に見えてるみたいだった。
「こんなに理想的な家庭!ナチュラルな私たち!子供達に新しい選択肢を見せてる!」っていう自己陶酔とPRというか。歳が行ってからの子供だったから、その時点でどちらも他の母親より若くはなかったし、女親2人っていう特殊条件の子育てに自信がなかったのかなと思うとかわいそうではあるものの、巻き込まれたこっちはたまったものじゃない。お父さんとお母さんが良かった!とはまた別の感情で、「普通が良かった」とずっと思ってた。
そして親2が男性嫌悪も強めで、男子と仲良くするとあからさまに嫌な顔をしたり、昼休みに男子と外で遊べないようなタイトなスカートを履かせようとしたりするのも当時は悲しかった。小学校時代はスポーツが好きで男子の友達も多かったのに、『運動ができて男女問わず友達がたくさんいる子』よりも、どちらかというと『賢い女友達に囲まれた賢い子』とか『女子を引っ張る強い女』みたいな立場を求められていたんだと思う。
別にお母さんとお父さんのいる家庭でも片親でも、ゲイカップルの子供でも、どの家庭にも多少はあることだろうけど、私はとにかく親2の顔色ばかり伺ってた時期が長くて、影響受けすぎて中学では本気で男嫌いになり、男の先生とかの前だと緊張しすぎて緘黙みたいになっちゃった時もあった。
当時はあまりにも男と話せないから、自分もレズなのかなと思ってた。今は無事に男嫌いが寛解してノンケとして生きてる。彼氏がいることは2人には言えてない。
親も別に私をレズとかバイにしたかったわけでもないと思いたいんだけど(親のコミュニティを見る限りレズとバイは後天的な人も多い)、「自分たちみたいに幸せになってほしい!」みたいな感覚が強かったんじゃないかなと思う。
母数が少ないだけであって私みたいに同性愛者の親の無理解に困ってた子供もいるわけだから、ノンケ親だけを「同性愛に無理解だ」って責めるのも意地が悪い気がする。
うちの親見てる限り、結局自分と違う恋愛趣向とか家族の形を理解できないのはお互い様というか、想像力の限界というか、いくら口では多様性を説いても、経験したものでその人の人生が構築されてるわけだし。
話逸れたけど、そういう学生時代を過ごしてグレはしなかったものの親2への不信感とか、親1の親2への依存とかを見てるのがキツくなってきて、数年前に家を出た。親1は子供に対しても依存心が強くてメンヘラなので説得しきれず、家出まではいかないまでも結構無理やり引越した。
親2のTwitterを見ると私は、早くに自立した最高の娘!一流企業に内定!英才教育でバイリンガル!みたいな扱いになっていて笑えた。近所でも「娘は海外留学した」とか触れ回ってるらしい。実際は職場は早く家出たくて選んだブラックだし、日本語しか喋れませんが。
結局、親2にとっては人生を彩るアクセサリーの1つとして子供欲しかったのかも。好きなところも楽しい時間もあったし、そういう側面だけじゃないのは分かってるけど、どうしても『親じゃない』という気持ちがある。
親1のことは母親だと思ってるけど、いかんせん親2と私にLINEして1時間返事がないと情緒不安定になって仕事を早退して鬼電してくる厄介メンヘラでもあったので、親2を繋ぎ止めるための道具の1つが子供だったのかな、と思わないでもない。
なんでこんな「そんなのノンケ親にもいるだろ!」って突っ込まれるであろう話を長々と書いたかというと、私の親をよう知らん人に「お父さんとお母さんが揃っていても世の中には虐待とかする毒親がいるから、優しいお母さん2人のところに生まれて良かったね!」みたいなことを言われたのがきっかけになる。
それ聞いた時に、「お母さん2人」みたいな優しい雰囲気の言葉とか、同性愛者の聖人化みたいなのはあんまり良くないなと思った。身体的な虐待はなかったと思うけど、毒親か毒親じゃないかで言えばうちの親はかなり毒だったし、同性愛者による虐待事件だって普通にあるし。
私は無事に大人になったけど、周りの差別とか制度とかの話じゃなくて、もっと同性愛を起点とした親の人間性みたいなところで悩むことが多かった。あの家に男で生まれてたらヤバかったんじゃないか、みたいな恐怖感もある。
差別に繋げて欲しいわけでもないから補足すると、学校での出来事以外はどのパターンの家族にも多少形を変えて起こり得ると思う。あと、レズカップルに育てられてハッピーな子供さんもいるでしょう。
でもなんとなく親同士が同性って言うとノンケ夫婦よりも崇高なイメージを持つ人が多いんじゃないかなと。モデルケースが少ないのもそうだろうけど、支援者も当事者も子供を手にしたその先はあまり考えてくれていない気がする。結局、今の技術的にどう頑張っても片方は血が繋がらないわけだし、「海外で暮らして養子をもらいます!」にしたって、家族の人数と役割を揃えたところで全てが上手く動き出すわけじゃないのよ。
社会制度を変えることに必死で、普通に子供を育てること+の難しさがあるって当事者も周りも気づいてない人が多いのかなと思う。あるいは見ないふりをしてるのかな。
圧倒的に不幸なわけでもない。上を見たらキリがないし、育ててもらった恩もあるし、たまに会うくらいならいいけど、1人で暮らすようになって気が楽になった。彼氏と会うのに罪悪感がないし、親が満足するような、レズカップルの正しい子供をずっと演じていた気がする。
最初に書いた通り多少フェイクもあるけど、起きた出来事は基本ノンフィクションです。
これを立場を反転させて「同性愛者が異性愛者の両親に感じている苦痛だ!」って言う人もいるだろうけど、立場でいうと同性愛者の親に育てられたノンケの方がマイノリティになるので、どうかマジョリティ側の体験談に取り込まないでほしいな、と思う。
長年アメリカで暮らしてきたが、何の主義主張もないゲイにとってあそこで生きるのが年々厳しくなっている
ハリウッド作品にLGBTが取り入れられまくっても、欧米の同性愛へのオープンさが持て囃されていても、キリスト教系の同性愛嫌悪が激しすぎるのと、政治と深く関わりすぎて実態はそんなに素晴らしいものじゃないという話をしたい
スペック↓
30代子なしゲイ
結婚はしていない
欧米ではゲイは昔から富裕層の娯楽的な側面もある。そういうインフルエンサーやセレブリティの発信する視点から観たら違うので、夢を壊したら申し訳ないが、市中の話で言えばことアメリカでは同性愛者はもっぱら政治の道具であり、一般市民の敵であることが前提の危うい存在だ
この感覚は日本からだと分かりづらいと思うが、良い悪いではなく現実として、アメリカは貧富の差と教育の格差が激しい
知識が乏しくて精神的に幼い大人が少なくないし、宗教の教えに自分の考えが依存している人も多い。日本で推定ゲイカップル(男同士で電車に乗っただけ)に突然殴りかかる人間はおそらくいないだろうが、アメリカではこれが普通に起きる
なぜなら、「うわ!なんか知らんが男同士で仲良いのきもいから殴ったろ!」を理性で止められない層がかなりの人数存在するからだ
だからこの国で制度を活用してゲイとして生きるためには、わかりやすいテンプレートの「私は無害でかわいそうなゲイです!」という姿で一般市民にお伺いを立てる必要があり、特定政党を支持して「差別反対!」と週末になんらかの活動に勤しんで虹色を身につけていないと訝しがられるのだ
あと独身に異常に厳しく、ゲイノンケ関わらず成人したら家族を持たないと人権がない国だから、養子を取らないゲイカップルは信用度が足りずに家が借りられないことが多いし、実力主義と言いつつ仕事でも出世もしづくなる。同性愛者だろうがノンケの不妊だろうがアメリカ的なテンプレートの家族(人種がバラバラならなお良し)の姿を見せなければ、社会で一人前とは認めてもらえないのだ
都会でも田舎でもある程度の年齢のゲイカップルが子供も育てず、ノンケ夫婦がまったくやらないような子供関連のボランティアに参加しないでいると地域であからさまに差別されるだろう。ゲイへの期待値が高すぎる
「自分は国のことを考え、ノンケのみなさんにご迷惑をかけず、仲間の権利を全力で主張し、安全で子供を愛する真っ当なゲイです」と証明し続けなければいけない社会は、ただの呑気なゲイには重荷なのだ
ここまで書いてきた内容で伝わるといいんだが、結婚が認められているからといって同性愛者に寛容な国だとかまったくそんなことはない。そもそもゲイはあまり結婚したがらない
アメリカでの同性愛をめぐる仕組みや運動は、一見魅力的に見えても、宗教の隙間をぬって一般市民に無害なゲイであると証明し、暴力だとかとんでもない差別をしないでくださいと懇願し、受け入れてもらうための土台でしかない
人種問題についてもそうだが、傷害事件や殺人に発展する規模の差別があるからこそ、守るための制度が育っただけにすぎないのだ
その人たちの宗教観や嫌悪感だけを悪者にしてきた歪みも向こう50年くらいは解消はされないだろう。共存しつつ無関心、という具合が落とし所として理想的だと思ってはいても、この国では既にそれは難しい
アメリカ社会でまっとうな人間として生きようとした時、恋人とただのんびり暮らしたり、その場限りの相手と楽しむだけの気楽なゲイではいられない。
アメリカは同性愛者に寛容なんて本当に夢見ない方がいい、そんなの英語わからんか、その発信で金を稼いでる活動家か、現地の日本人コミュニティに引きこもっているやつらの愉快な妄想だろう
年 | 名称 | 概要 |
---|---|---|
1531年 | 享禄・天文の乱 | 浄土真宗本願寺派の権力闘争である享禄の錯乱。管領・細川晴元が一向一揆を利用したら暴走してしまったので本願寺を討伐した天文の錯乱。 |
1532年 | 北部九州天文の乱 | 大内氏と大友氏が北九州を巡って抗争を行うなかで、大内義隆が大友氏の支援を受けた少弐氏を滅ぼし、豊前・筑前・肥前を平定した。 |
1533年 | 稲村の変 | 安房里見氏当主・里見義豊が、叔父の里見実堯を誅殺したところ、その息子の里見義堯が謀反を起こして義豊を殺し、自らが当主となった。 |
1536年 | 花倉の乱 | 駿河守護・今川氏輝と弟・彦五郎が急死、その他の弟で出家していた玄広恵探と栴岳承芳が後継を争った。栴岳承芳が勝利し今川義元を名乗った。 |
1537年 | 河東の乱 | 北条氏と今川氏は長く同盟を結んでいたが、今川氏が武田氏と手を結んだため、武田氏と争っていた北条氏が今川領に攻め込み河東地域を占領した。 |
1542年 | 天文の乱 | 伊達氏当主・稙宗とその息子・晴宗の内紛。婚姻外交が進んでいた奥州を二分する大乱に発展した。最終的に晴宗が当主となったが伊達氏は衰退した。 |
1550年 | 二階崩れの変 | 豊後の大名・大友氏において、嫡男の義鎮を支持する勢力が、当主の義鑑と三男の塩市丸を襲撃して殺害した。事件後に義鎮が当主となった。 |
1551年 | 大寧寺の変 | 周防の大名・大内義隆に対して、家臣の陶晴賢が謀反、義隆は自害に追い込まれた。後継は大友氏から迎えられ、陶晴賢が実権を握った。 |
1565年 | 永禄の変 | 畿内で勢力を誇る三好氏が、将軍・足利義輝を襲撃して殺害した。その後、将軍の後継争いから、三好氏の内紛へと発展していった。 |
1568年 | 本庄繁長の乱 | 越後上杉家臣・本庄繁長が上杉謙信に対して反乱を起こした。繁長がよく戦い、謙信の被害も大きかったので、繁長は降伏して帰参を許された。 |
1569年 | 本圀寺の変 | 本圀寺にいた将軍・足利義昭を三好三人衆が襲撃した。幕府軍がよく守るあいだに畿内の織田方の勢力が救援に駆けつけたため、三好三人衆は敗れた。 |
1569年 | 大内輝弘の乱 | 九州に侵攻した毛利氏の後方撹乱を狙った大友氏が、大内氏再興を目指す大内輝弘を周防で挙兵させた。毛利元就は九州侵攻を諦めて引き返し鎮圧した。 |
1570年 | 元亀の変 | 伊達晴宗と伊達輝宗の父子が対立するなかで、晴宗に重用されていた中野宗時が謀反の疑いをかけられ、中野一族は粛清・追放された。 |
1574年 | 天正最上の乱 | 出羽最上氏の当主となった最上義光と、その父・義守が対立し、伊達氏が義守に味方して内乱となった。最終的に義光有利で和睦した。 |
1576年 | 三瀬の変 | 伊勢北畠氏は織田氏に降伏し、織田信雄を養子に迎えて家督を譲っていたが、その後も叛意が残っているとされ、そのため北畠一族は粛清された。 |
1578年 | 御館の乱 | 上杉謙信の死後、その甥の景勝と、北条氏から迎えた景虎という、謙信の養子二人で後継争いがあり、武田氏を味方につけた景勝が勝利した。 |
1578年 | 天正伊賀の乱 | 伊勢を掌握した織田信雄が続いて伊賀に攻め込んだが敗退、数年後に織田氏はあらためて大軍で侵攻し、伊賀を平定した。 |
1582年 | 本能寺の変 | 織田家臣・明智光秀が謀反を起こし、本能寺に宿泊していた主君・織田信長を襲撃した。信長は自害した。 |
1582年 | 天正壬午の乱 | 織田信長の死去により武田旧領から織田軍が撤退し、空白地帯となった武田旧領を巡って徳川・北条・上杉が三つ巴で争った。 |
1585年 | 粟ノ巣の変 | 伊達氏に降伏した畠山義継が、前当主・伊達輝宗を拉致した。追いかけた伊達軍により、輝宗ともども義継は討ち果たされた。 |
1591年 | 九戸政実の乱 | 南部晴政の死去に起因する後継争いから南部家臣・九戸政実が反乱を起こした。南部当主・信直は豊臣秀吉に救援を求め、諸大名軍により平定された。 |
1599年 | 庄内の乱 | 島津忠恒が重臣・伊集院忠棟を誅殺した。伊集院氏は籠城して徹底抗戦したが、秀吉死後に実権を握った徳川家康の調停により、最終的に降伏した。 |
1637年 | 島原の乱 | 島原・天草の苛政に耐えかねた領民が、旧領主に仕えていた浪人たちを中心として一揆を起こした。一揆勢は籠城して戦ったが、幕府軍に鎮圧された。 |
1651年 | 慶安の変 | 軍学者の由比正雪が、教え子の浪人たちと共に、幕府転覆の計画をしていたが、事前に幕府側に露見して失敗した。由比正雪は自決した。 |
1652年 | 承応の変 | 軍学者の別木庄左衛門が、仲間の浪人たちと共に、幕府転覆の計画をしていたが、事前に幕府側に露見して失敗した。別木庄左衛門は磔にされた。 |
1837年 | 大塩平八郎の乱 | 腐敗した大坂町奉行所や、飢饉でも米を買い占める豪商に失望した元・町与力の大塩平八郎らが決起し、豪商などを襲撃した。半日で鎮圧された。 |
1837年 | 生田万の乱 | 国学者の生田万が、大塩平八郎の乱に感化され、仲間とともに越後桑名藩の陣屋を襲撃したが、長岡藩によって鎮圧された。 |
1860年 | 桜田門外の変 | 攘夷派の水戸脱藩浪士たちが、安政の大獄を引き起こして水戸藩を圧迫していた開国派の大老・井伊直弼を襲撃し、暗殺した。 |
1862年 | 坂下門外の変 | 攘夷派の水戸脱藩浪士たちが、公武合体を推し進めていた開国派の老中・安藤信正を襲撃し、負傷させた。 |
1863年 | 朔平門外の変 | 破約攘夷派の公家の代表格であった姉小路公知が暗殺され、薩摩藩の田中新兵衛が逮捕されたが、新兵衛が自害したため真相は不明。 |
1863年 | 天誅組の変 | 尊攘派公家による倒幕計画に基づき、尊攘派の「天誅組」が大和国で挙兵したが、幕府に鎮圧された。同時に京では政変があり尊攘派公家が失脚した。 |
1863年 | 生野の変 | 長州の支援を受けた尊攘派浪士らが、天誅組と同様に但馬国で挙兵をしたが、幕府に鎮圧された。 |
1864年 | 天狗党の乱 | 水戸藩内の尊攘過激派「天狗党」が急進的な攘夷を求めて筑波山で挙兵したが、幕府に鎮圧された。この内乱により水戸藩の影響力は低下した。 |
1864年 | 禁門の変 | 前年の政変により京から追放されていた長州藩が、復権を目指して京で挙兵、会津藩や薩摩藩らと戦ったが敗れた。これにより長州征伐が決まった。 |
1874年 | 喰違の変 | 征韓論で失脚した不平士族たちが、征韓反対派の右大臣・岩倉具視を恨みに思い襲撃、負傷させた。下手人らはすぐに逮捕され処刑された。 |
1874年 | 佐賀の乱 | 征韓論で失脚した江藤新平らが中心となって不平士族が佐賀県で挙兵したが、政府軍により鎮圧された。 |
1876年 | 神風連の乱 | 熊本県の不平士族が結成した「敬神党」が廃刀令への反発から挙兵したが、政府の熊本鎮台軍により鎮圧された。 |
1876年 | 秋月の乱 | 神風連の乱に呼応して、福岡県で不平士族が挙兵したが、政府の小倉鎮台軍により鎮圧された。 |
1876年 | 萩の乱 | 神風連の乱に呼応して、山口県で不平士族が挙兵したが、政府の広島鎮台軍により鎮圧された。 |
1877年 | 福岡の変 | 西南戦争に呼応して、福岡県で不平士族が挙兵したが、福岡城に残っていた政府軍などに鎮圧された。 |
1878年 | 紀尾井坂の変 | 石川県の不平士族たちが、内務卿・大久保利通を襲撃、暗殺した。下手人らは自首し、処刑された。 |
(Wikipediaで立項されているものだけまとめた。「〜の変」「〜の乱」という別称があっても、その呼称で立項されていなければ除外している)
明確な定義は決まっていないという前提で、だいたい以下のような基準だと思う。
〜の変:大きな戦闘を伴わない政変。謀反・暗殺・粛清・失脚など。権力の上下は関係ない。成功したか失敗したかは関係ない。
〜の乱:大きな戦闘を伴う内乱。反乱・暴動・後継者争いなど。国家同士の戦争を指すことはほぼ無い。成功したか失敗したかは関係ない。
こういった呼称は「絶対にいずれかに統一しなければならない」というものではないので、「これって乱というより変じゃね?」と思うような事件は、だいたい「変」「乱」どちらで呼んでも通じたりする。たとえば蘇我氏と物部氏の戦いである「丁未の乱」は他に「丁未の変」や「丁未の役」とも呼ばれる。将軍・足利義教が暗殺された事件は、その暗殺の部分だけを見れば「嘉吉の変」と呼ばれ、その後の赤松討伐戦も含めれば「嘉吉の乱」と呼ばれる。
あとついでに。
〜の役:大規模な軍役。必然的に辺境への遠征や対外戦争が多い(がそれに限らない)。例として前九年の役・後三年の役・富山の役・文禄の役・慶長の役など。
〜の陣:長期間の在陣。遠征・戦線の膠着・包囲戦など。例として鈎の陣・志賀の陣・天正の陣・大坂の陣など。
という感じだと思う。「役」と「陣」はなんとなく互換性があり、「小田原の役・小田原の陣」「朝鮮の役・朝鮮の陣」「大坂の役・大坂の陣」などはどちらも用いられる。
いや、マイノリティで普通じゃないからこそのLGBTQ+だろ?
異性愛を普通としない社会って・・・人類滅亡しとるやんけー!(ズコー)
異性愛者が半分、LGBTQ+が半分で男女・男女・女女・男男の組合で仮定しても
全人類の4分の1しかパートナーの子どもを産めないんだけど・・・
1異性愛夫婦でLGBTQ+2組が産まない分を最低4人産まないと人類存続できませんけど・・・?
これは義務化して単純に計算したもので実際は結婚しても子ども産まない異性愛家庭はどんどん増えるから、
「子どもを産む異性愛家庭」の方が本当の意味で保護しないといけないマイノリティになっていくんじゃないの?
というか今の時点で少数派だから先進国で減少してるんじゃないの・・・・・・???
「ゲイのカップルでも養子を育てられる!」その養子を産む子宮の数の話してるんだが。誰かゲイに子宮を支給してあげてー?
「レズのカップルは産める!」子宮2つゲットで計算していいの?男を拒否したレズが男の精子を受け入れるケースなんて相当稀だけど2つ子宮ゲットできんの?
確かに欧米ではゲイやレズがバレたら物理的に危害を加えられて殺される歴史はあった
その反動で過激なことをしているようだけど、それならば江戸時代からホモを容認していた日本を見習えばよくないか?
今の時代は西洋寄りになったからホモの風当たりはまだ強いけど、ホモバレしても腫物扱いされるくらいで殴られたり刺されたり殺されるようなことはない
日本のホモ文化に欧米は学べばいいのに、彼らからすれば劣ったアジア人程度の認識のままなんだろうな
俺個人としてはLGBTQ+の権利が認められること自体は自由の拡大で祝福されるべきことだと理解している
一方でその新しい自由が強力かつ不可逆的に今の先進国の社会を破壊してしまう予感もある
その結果は異性愛者はもちろんLGBTQ+を含むこれから産まれてくる全ての子どもたちが影響を受ける
今の世論の反対派も賛成派も真剣にその問題について考えているのか?
社会的に認めるけど、一般的ではないということを自覚してもらわないとこの流れは止まらない
けれどもLGBTQ+の人たちは元々が精神疾患を持っているため、理解してもらえない
この「精神疾患の権利と自由を認めることによって巻き起こる社会問題」がおそらく今世紀最大のテーマだと俺は思っている
ウィルスや戦争やAIなんかよりもこっちの方が圧倒的に社会を壊す能力がある
「普通」って言ってるけど実際は「普通」も色んな普通があるんだよ
個人個人でどっかしら異常性を持っているけど、みんなはそれを隠して表に出さないようにして普通の仮面をかぶってるだけ
あなたたちLGBTQ+からみて普通だと思ってる人たちは、誰一人同じじゃないし普通ではないんだよ
あなたたちLGBTQ+は一層普通じゃないからこそ、外からみてできるだけ普通に見える文化を作らないといけない
男が男好きでも全然良いよ
でも好きだと告白して断られた人にしつこく付きまとうのはどう考えてもおかしいだろ
一緒に飯食ってるときに「俺、美人がゲロ吐かないと性的興奮しないんだよね」とかカミングアウトしてきたらキッショでLINEグループで拡散するだろ
何が相手にとって地雷になるか分からない、だから俺たちの地雷踏むんじゃねえ
これお前らがいつも他人に言ってることだろうが
デリケートゾーンに踏み込む前に相手がゲロ好きか男好きかくらい、それなりに察しろよ
なんで自分たちはできない、やろうともしないくせに全部相手に押し付けるんだよ
「理解してください」という前にまずお前自身が相手を理解する努力をしろよ
理解してたらトランスジェンダーの元男が女湯にも入りたいとか女トイレに入りたいなんて言えるわけがない
いや、そもそもの話、人間なんてそれぞれで事情があって違いがあるんだから理解なんてできっこない
「何となくこういうルールを決めてお互い理解した気になりましょうね」という薄っすらとした幻想で社会はできてる
それを積極的に破壊しに行くもんだから色々とおかしな問題が出てくる
社会が問題だらけじゃなくてお前が相手を理解しようとしないからどこいっても問題が起きるの自覚してくれ
「普通」の人は実際は異常なのに理解しようと心掛けてるから普通のフリをしてるんだ、できるんだ
そんなときに突然理解する気が無いのに相手に理解を一方的に求めるやつが来たら排除されて当たり前だろ
「自分は普通だ」と思ってる人間の10割がどっかしらに異常性を抱えていて、それが社会的に許された場合は個性になり、反社会的になると異常性になる
エジソンは人格破綻者でテスラは天才だが政治が下手でピカソは社会不適合者でクズは啄木だけどメリットがあれば社会的に異常でも許容される
普通の人間は才能がないから何とかして社会に対してメリットを示そうとしている、これが資本主義社会の異常性の1面でもある
みんな必死に普通の仮面をかぶってるんだよ、産まれつき普通なやつもいないし、普通なんてもんは幻想でしかない
その幻想を社会人で崩れないように守ってる、そうしないと社会が崩壊するから
俺がコミケ打ち上げでゲロフェチなことを話した相手も腹パン好きの紳士と相手見て話してるんだわ今でもそいつとは親友です
何が言いたいのかというとお前らは「性癖が普通じゃないから迫害されている」んじゃなくて
「空気を察したり何を隠さないといけないのか理解したり他人がしてる程度の我慢することができない」から精神疾患であり異常者なんだよ
レズやゲイでも表向きは隠しながら生活して理解者を見つけて社会に変な影響与えないで人生を生きてる人が普通であり健常者なの
そういう生き方を女が好きな男も男が好きな女もみんな色んな我慢して生きてるの
父が死んだ。葬式もした。
喪主ではないし長々としゃべっても飽きられるだけだからここで自分の整理がてら、書いておこう。
父という人間のことはなんといって表現していいかいまだによくわからない。というのは母が強烈すぎるからである。
父は1940年代生まれの日本人男性である。出身地は西の方の川沿いの豊かとはいえない田舎町である。
6番目の息子である。工業高校に通うために下宿がてら養子に出されるまでは、兄の一人に小遣いや親の愛を搾取されていた。
(おそらくそのせいで自分へのいじめにはとてもドライである。いじめが嫌いだし、「ズルイ」という言葉も苦手である。)
工業高校卒業後は、工場のあった景気のいい化学系メーカーに就職した。読書が好きで(速読で)すこし本で勉強すればペーパーテストはたいてい受かる。
職場ではじまった国内留学のような制度の初年度生にえらばれて会社のカネで大学の化学科に進学した。
学費の足りない分や生活費は賭けマージャンで補っていたという。のんびり無口なくせにダマテンかメンタンピンか即降りの雀風である。
趣味は登山で、安くて黒いカメラも一応持っていた。(父が人生でもっともイケイケだった時代かもしれない)
そこで一学年年上にあたる女性と出会った(大学では同学年)。九州で育って浪人して偏差値で選んで入った教育学部にいた女性は、はきはきとしゃべり美人で笑顔が気さくだった。
怒るとまくしたてて手が付けられないが、おこっていなくても気を許した人間の前では延々とラジオのようにしゃべっている。
話すうちに多少の脚色も入って来る。それを父はわかっているのだがいちいち訂正しない程度にはおおらかな父と女性は気が合ったようだ。
1960年代?の大学には学生闘争が(東京でとくに盛んに)あった。田舎の大学にも多少の余波はあったが、両方とも危うきに近寄らずで敬遠していた。
父は卒業後化学企業にもどり、女性は数か月だけ「印刷会社の腰かけ事務職」をして寿退社。初任給で洋裁用ハサミと広辞苑を買ったという。
二人は親へ挨拶をすませ神前式で結婚式をあげた。新婚旅行(国内)ではパンタロンにネッカチーフなど流行の服をきたイケメンの父が観光名所の立て札の前でまぶしそうに笑っている。
1970年代。m市の社宅に二人暮らしで妊娠。里帰り出産でまるまるとふとった増田を生んだ。ぴかぴかの母の笑顔は(そのころまだモノクロ写真しかなかったので)モノクロームである。(追記:よく考えてると写真現像紙の質が悪くて色褪せてただけで新婚旅行も出産も一応カラーだ)
夏だが一般家庭にはクーラーがないころだ。産院にはあったそうだが、おくるみでぎっちりくるんだ写真をみるに母には赤ん坊を薄着にするという考えがなかったようだ。
(なお増田は今も超絶汗かきである。失うはずの汗腺が全部残っている)
二人目もm市在住で西に里帰り出産した。このときは増田も母実家に連れていかれた。
このころ叔父が浪人してから医大に入って実家から通っていた。叔父はマンドリン部に入ったといって増田になにかを弾き語りしてくれた。あと本好きの増田に学研の漫画の植物百科を買ってくれた。
三人目を生む前に父は関東のk市に転勤になった。おそらくこのへんで、父は化学から離れたようだ。(父、転身)
というのは、データベースで父の名を探したことがあるのである。染料の特許か論文かに1-2件だけ名前があってぷつりと途切れた。
というわけでk市で三人目が生まれた。そうして5人乗り自家用車を買っていろんなところにつれていってもらった(なおそのころベビーシートはない)。
だが車内で父はタバコを吸った。車内はひどい匂いでひどく揺れ、子供たちはぐったりしていたし従兄弟などはゲロを吐いたこともある。あまりいい思い出はない。
(母は父に「ニヒルなくせに私にだけやさしい大人の男性」というイメージを抱いていた。一時期はタバコも容認~勧めたことがあったようだ。実際は父のほうが年下で気弱ですらある)
そうしているうちに二人目がアレルギーという未知の病気にかかって(そう、1980年代にはアレルギーによる気管支喘息すら新規だった。父も母も本を買いあさった)、
そのころの(無鉛ガソリンとも限らない)車の排気ガスがアレルギーのもとだ、という説にすっかり怯えてしまい、「もっと田舎っぽい場所に家を買いましょう」となった。
とはいえ社宅だって、そこそこ郊外で、隣は竹の子がとれる竹林だったのだが。
まあ、3人の子育ての忙しさの中で狭い金魚鉢みたいな社宅でのハイソ自慢、愛され自慢だの、昇進自慢に母が飽き飽きしたんだろう。
そこで知ったのだが父はいつのまにか一級建築士になっていたそうだ。意気揚々と自宅を設計し現場監督がてら家族をつれてわくわくとみせにいった。
(このへんで、のこり全部の西にいる親類から「東京の叔父さん」と呼ばれはじめる。後日つくば万博やディズニーランド、成田への前泊などで宿をお貸ししたこともあるようだ。)
お礼にとめてくれる親戚をたどってお盆に西をめぐったこともあったがそう回数は多くない。いつも核家族の5人が一緒であった。
そのあと増田はなんとか就職して、ひきとめたがる母親と喧嘩しながら「自分の金で」一人暮らしをはじめ、あまつさえ恋人ができたというと、
母が「空の巣症候群」というやつでいろいろとヒステリックになりはじめた。
子供が「いやもう自分は大人だから口出しをするな、するなら人生の最後まで口出しする覚悟をしろ。恋人よりよい伴侶候補がいるならいますぐつれてこい」とブチ切れてやると、
父親に「ウエーンくやしい!」と子供のようになきついていた母を思い出す。
その後も「恋人を家につれてこい紹介しろ」というからそのとおりにしたところ「こんにちははじめまして」の二言目に「うちの教育方針は!」とはじめたのでみんなでドードーしたのをおぼえている。
子供を教育することが母の生きる目標だった。母には並列処理はできないのである。教育となったら教育だけをするのだ。
「もういいから子供にかかわらず好きなことをしな」というと……。
しばらくしてようやく、母は広い庭をいじりたいから、もう一軒家を建てて引っ越すといいだしたのだ。
庭で草花をそだてていれば嫌なことはすべてわすれられるという。
父は母のことを浪費家だと数度指摘した由来はこの辺にもあるとおもう。
(ほかにもファッションや作り付け家具など、彼女なりの「上質な暮らし」イメージを達成するために骨身をおしまなかった母だ。
今で言う「お値段以上」なのだろう、「モノはいいモノだから3人の子供に使うのならこの値段は惜しくない」という言葉を母から何度も聞いた。
学校の縄跳びなんか子供向けのすぐ切れるプラスチックじゃなくてボクサーが訓練に使うようなものをもたされ重かった。)
母にしてみれば教育費を払いきれたのは自分の塾のおかげもあり、父はケチだというのである。どちらが正しいかは…。
ところがしばらくすると、父自身が肺の難病にかかった。タバコは肺にはよくないということはわかっていた。
父は早期退職制度で、ただ社外顧問で数回きてくれればという職だけをのこして闘病に入った。
幸い年金ももらえる。子供への仕送りもぱったりとまってお金には余裕がある。
郊外というよりもはや森の中を切り開いてつくった庭の広いおしゃれハウス(建築中)は、たちまち父の療養ハウスに方向転換となった。
手すりやら風呂やら改築し、母は断捨離をし、こだわりより健康を優先し…。
そこで難病なのに20年も生き延びたのは確かに母のおかげであろう。
ただ母はだんだん父が自分より弱い生物になりさがっていくことがなかなか納得できなかったようだ。
母にとっては子供は庇護すべきで、父は母を庇護すべきだったのに、すべてが逆転してしまったのだ。
母の癇癪は昔からものすごく、感情の嵐の生のままの奔流であって、いうことがよくまとまっていない。
Aといった直後にいいかえすとじゃあ反Aだと躊躇なく言えてしまう。もちろんきっかけはあるのだが。
母がなんでタバコを吸ったの!と責めて、理由をはっきりいわないと納得しないので父は「母も勧めたではないか」と言い返すのではなく「社内政治に参加するためだ」と説明した。
「なんで私を浪費家だというの!」「なんで感謝してくれないの!」には、
それぞれ「幼少より母の愛に飢えていたため」などの適当な理由がつけられ、反省書となった。
反省書はなんども日記にかきつけられ、こどもたちへも父がこんなに反省したとメールで送った(母もいつでも読めるようccつき)。
まるで自首後の犯人に動機を言えと迫る刑事のようなやり取りである。さしずめ母は愛情刑事であった。
この「なんで」期の母は2人だけの蜜月のはずがいきなり愛情が枯れ果てたかのようなふるまいをしたので子供たちにも影響があった。
あるときなど増田が呼び出されて母と東京のカフェであった遠かったねよく来たねの二言めで「今日ね、おとうさんをいじめてきたの」というのである。
どのように苦しめたか。それがどれだけ自分の恨みを買った人間の正当な末路なのか。話はじめると30分以上いきつぎもしないでとうとうとやる。
増田や父は、そういう手の付けられない母をどうしていいかいつもわからないで黙っている。
ただただ、ああ、となりのテーブルの客が居心地悪くて逃げたなあときょときょとしながら口をはさむ隙を探す。
やめてくれ。あなたたちは善良で努力家で思いやりある人間だっただろう。泣きたかった。
カフェの次は庭園つきフランス料理で父もいるときにニコニコと「お父さんに遺言をかかせたの。私に全部残させるって」というのである。
増田は遺産も愛も父からはあたえられない子供になったのだと、増田当人にむかって心から嬉しそうにいうのである。
理由を聞いてほしかったようだが「ふーんそう」というのがせいぜいだった。
後日やっぱり何十回もしつこく聞かされた。あれもこれも、…、わたしはケチといわれたのよ!!父は母に愛情がない!
父は平謝りするしかなかったらしい。
でもその場で諭そうにも耳も悪い。
「その話は今聞きたくない」と穏やかに告げるとまるっと無視された(なんなら常にセリフを母にカブせられているし慣れてるけど)。
もう一度はっきり言うと「え?」といわれ、もっと大きい声でいうと「大きな声を出さないで!心臓がどきどきする!」と泣き出すのである。
補聴器をすすめたけど、ぼわんぼわんして不快だとつけたがらない。
それに庭に出ている間も補聴器をつける必要がない(むしろつける必要がないから庭がすき)だから悪くなる一方だ。
子供たちは私を味方してくれない、おとうさんばかり味方して、おとうさんがだましているからだ!ということで本当に手が付けられなかった。
でも素直な母は、父をいじめるだけではなくまっとうに、増田ら子供たちに直接説得も試みた。
ところが増田も子供がうまれて送迎などで忙しいのに、携帯(業務用)に電話をかけることがつづいたのである。
運転中は出られない。うるさくて運転に集中もできない。ガチャギリするしかない。それでもかけてくるのでやむを得ず「固定電話にかけて」と携帯ではブロックをした。
このことは増田に子供の送迎がいらなくなりガラケーとアイフォンをのりかえるまで続いた(のりかえたときにブロックは解除した)が
半ボケ?もとから機械音痴?の母は下の兄弟や増田の伴侶に「増田ちゃんがわたしをブロックしたの!解除するようにいって」と何年も頼み続けた。
父はじわじわと悪くなった。3年に一回ほどのペースで入院するたびに母から死にそうな声で「おとうさんが入院したの、もうだめかも」といわれて子供たちが全国から新幹線などでとんでいった。
父は母に「浪費家だ」といったことを老後一生かけて平謝りし続けた。
酸素マスクが一日中必要になっても、下の世話はしないからと母にいいわたされると一回30分かけてでも一人で家のトイレにいった。
母はトイレにいく父の血中酸素モニターが鳴る音だけはよくきこえたらしくて「いつもピーピーうるさいから本当に止めさせたかった」のだそうである。
ほかにもブザー音がなると死んでいるかもしれないし、地震があると停電したら酸素送風がとまってしまう。そうすればすぐに酸素濃度がさがって窒息死だ、ということで不眠ぎみであったという。
なるほど不眠であれば気が狂うほど老々介護はつらいだろうというのはさっせられた。
途中で増田は「あなた(母)はもう後期高齢者だし、父はさっさと介護認定を受けるべきだ。他人を入れろぜひ入れろ、入院や介護施設はないのか」とアドバイスをしたりもした。
父も早く「介護認定を」といえばよかったのだが母だけに甘えていたかったのかもしれない。
母親の認識は古くて「介護=認知症=施設にいれられ毎朝チーチーパッパと歌わせられる」というなんかアレな印象しかなかったのだが、
父も「自分=強い=介護うけられない」とおもってた節がある。いいコンビだよあんたら。
まあ、実際、肺病で介護認定がそんなに高くなった父という存在はチバラギ地方では珍しく、認知症むけばかり取り揃えられている施設からは選びづらかったようだ。
母は一度、「もうすべてをほうりなげたい。お父さんなんか死んで良い」と増田にドライに告げたので増田は市役所を通じてケアマネに緊急電話をした。
実際病状がすすんでいるのも理由にあったようだ。
父は身の回りを手に取ることすらおぼつかない。あれをとって、かわりにこれを置いて、の命令の繰り返しの24時間。そりゃ気が狂う。
頭がはっきりしているだけに介護をうけておきながら「あの礼状は出したか」などと口うるさいこともこまごまという。
ケアマネ介入後はデイステイのできる施設をいくつかめぐって、母に介護休暇をあたえ父の入浴はステイ先で複数人で介護をうけることにして解決となった。
他人の手が入ったあとはなんとか母の忍耐がたもったようだ。
ラインでこまめに連絡をとると、お互い聞き取れない・聞いてもらえない長話のストレスと徒労感も解消された。
コロナのおかげで世の中全体が肺病に警戒しており、
ストレスのたまった母親の消費欲やお出かけ欲も「コロナは怖いから」と唱えるだけでだいぶ抑制された。
母はユーチューブをおぼえた。
コロナワクチンはふたりともいち早くうけられた。怪我の功名である。
増田の残りの二人の兄弟も子育てに忙しい中でガス抜きに付き合ったらしい。なんとか二人の生活はつづいた。
そうして2*年の闘病、*年の介護認定と酸素マスク、90日の入院のあげく父は体重が半分になって逝去した。
母は感情が高ぶると耳が全くなにも聞こえなくなるので、増田は葬式の打ち合わせに逐一ついていってすべてをメモにして渡してやった。
父がなくなって重荷が下りても母はやはり理不尽であり、やはり葬式の相談のあとにも爆発した。
かねて希望していたように「全部の遺産を母の元に相続させつつ凍結などの不愉快な事態にさせない」ためにはなるべく資金を動かさないほうがよいのに、
母はいますぐ資金をすべて自分の口座に動かそうというのである。
それなら司法書士とか頼んだ方が楽だよというと、母の感情は爆発するのである。「高いでしょう!?」3万でいける「デモデモダッテ」。
今すぐにでもATMにいってお金をおろしてあつめたいというのである。(父は箪笥貯金を高額な葬式分くらいはおいてあったし互助会にも入っていたから葬式費用ではない。)
なぜと問うと、「子供たちに私からお金を送りたいから」。はあ~~~???だよ。じゃあ法定相続割合でよくない?父もそれが一番簡単だからのぞんでいたんでしょう。
しばらく自殺したいと思っていたが、男性をやめる(精巣摘出)すればなんとかなるのではないかと思い始めた。私自身男性性にこだわりはないので、できるものならやってしまいたい。
やめたい理由
1.性欲が強い
何もなくてもすぐシコるし、先日友人を傷つけてしまった。
シコるのは時間と体力の無駄だし、自分の男性性によって友人を傷つけたのが許せないという自罰的な面もある。
性欲がなくなれば彼女ほしいという欲求も別のものに姿を変えるのではないか?
そもそも中性的な容貌をしていて、空気によっては女性が飲むフェーズでも飲まされたりする。友人の中では半ば女性として扱われている雰囲気すらあり、私の中での抵抗感もあまりない。私は女子のメイクというものにも興味があり、堂々とやりたいと思ってもいる。
私はあるスポーツをやっていて、大会などには当然男子として出場しているが、そもそも体格に恵まれていたわけではないためやめた後も男性で出るのは少しチームメイトに申し訳ない。かといってすぐ女性で出るのもどうかとは思う。(そもそも出られるのか?)
世の人間の多数は異性が好きなのであり、男性をやめた後の私は基本的に対象から外れるだろう。セックスに対する欲望自体はなくなっても、人肌恋しさは抜けないと思われるのでパートナー探しに著しく難航する可能性がある。というか多分私の好みとして女の子が好きなのは変わらない。
3.子供ができない
パートナーがいれば、という話にはなるが子供ができなくなる。私は金銭的に困る見込みはないので、これに関しては養子を取ればいいかなーとも思っている。自分の遺伝子を継ぐものがいないのは残念だが。
(4.これは本当にどうでもいいのだが、私のそれは平均より幾分大きいらしく、もったいないと言われそう。それだけ)
性転換手術、またはそれに類する治療を受けている人がいたら体験談を聞きたい。性同一性障害、というわけではないと思うが、私は多少医療の知識があるため詐病は可能と考えている。
水星の魔女のプロスペラがエリクトばっかり見ててスレッタをあんまり顧みない態度で「母親なら等しく愛しなさいよ」ってミオリネさんに言われてるけど、建前として子供が複数人いても親は子供たちを平等に愛さないといけないけれど、実際のところはなんだかんだで子供の間で贔屓や差別があったりするので、思いついたやつを淡々と書いてみる
勇次郎、刃牙に対しては親バカが極まっているけれどジャックに対しては「血が薄い」で扱いが塩なのは、刃牙はまあ主人公だしなんのかんので強いし要所要所でちゃんと勝利しているので、これが戦績が逆だったらジャックの方に親バカが移って刃牙に対して「血が薄い」って言うんだろうなって気もしているんだがそこんとどうなんだろう。刃牙も日に二度負けたら勇次郎から「血が薄い」って言われたりするかもね。
勇次郎、こと女に対しては「強くて面白くて俺の子を産んでくれればヨシッ」っていう考え方っぽいので、別にジェーンと江珠と比べて江珠の方が特別好きって言う訳でもない気がするし
姉弟の近親相姦モノの少女漫画で、母親は主人公たちをどうにかして引き剥がそうとしていて、それ自体はどちらかといえば道徳的には正しい行動なのだけれど、やってることは犯罪じみてるし母親の姉贔屓と弟冷遇がだんだんと目立つようになっていた。
姉は別れた夫(父親)に似ているから好きで、弟は自分(母親)に似ているから嫌い、という理由で弟が嫌いなようだ(見開き2ページで母親と弟の顔をドアップで比較してて「ああ弟は母親似なんだな」って思わされる描写はすげー秀逸だなって思った)。部下っぽいイケメンに「姉のことをどうにかして救ってやりたいっていうけれど弟のことは何にも言いませんよね」って言われてるくらいだからね。
ちなみに似た作品の僕妹は事実上の異父兄妹なのだけれど母親は兄妹をどっちも等しく愛しているっぽかった
主人公は戸籍上は養子として製薬会社の本部長の女性の息子ってことになっていて、他に実子として娘がいて、主人公の実年齢は2歳なので年齢的には圧倒的に娘の方が年上なんだけれど、一応兄妹ってことになっている。
実際のところ主人公は母親の細胞を混ぜて作られた怪人であるので戸籍上は養子だが実質実子である。
この母親は主人公のことを事あるごとに「最高傑作」と評していて、普通だったら死んでる怪我も肉食って全回復してるところを見てほくそ笑むところとか、ものすごく息子にはめっちゃ甘々なのだが(会長にも「最高傑作つってもお前にとっての、でしょ?」って突っ込まれてる)、娘については実子なのに嫌いと言うよりは「どうでもいい」という評価で、娘が駆除班に志願しようが死にかけようが特に心配する素振りを全く見せない。
どいつもこいつもほんと役に立たねぇな使えねえな、みたいなことを言っちゃう冷徹な人間だから、息子に対して「最高傑作」って甘々になるのはだいぶ極まってるよね
創作としては(おそらく)珍しい、実子より養子の方が贔屓されているパターンである。
主人公のライバル蝶野攻爵は将来を嘱望された頭脳の持ち主だったのだが不治の病にかかったせいで父親に見放された(母親とは離婚調停中らしい)。攻爵には弟がいて名前はなんと「次郎」、長男ではないと言う理由で代々受け継がれる「爵」の字も名前に入らず、兄と違って普通の教育を受けさせられて激しく冷遇されていたが、兄の病気を理由に家督を代わりに受け継ぐことなった。作者にも「次郎は悪くない、合掌」とコメントされるくらいだから、めちゃくちゃ歪んだ家庭であることは間違いなく、、、
このまま攻爵が死んじゃったら二代目攻爵みたいな感じで名前を受け継いでいたんだろうなって気はしてる。
ちなみに早坂姉弟は育て(?)の親にはどっちも等しく愛されていたけれど、実の親には「あんなやつに育てられた子供たちなんてもう要らない」みたいなノリだった。
いちおう紅麗は森光蘭の養子ってことになっていて、煉華は紅麗のクローンだがこれまた親子ってことになっているので兄妹?にカウントした。
紅麗はめっちゃ強くてカリスマがあるので組織をまとめあげたり実力行使の時など本当に色々役にたつけれど、自分のことを憎んでもいるのでとりあえず育ての母親を人質にしてはいるものの自分がいつ殺されるかわからないため「紅麗と同じくらい強くて扱いやすい」煉華を作成したそうだ(完成までには早かったがが烈火に負けて消耗しているタイミングならやれると判断して予定を早めに切り上げたので精神的に幼い)。実のところカキタレ兼エサで親子としての愛情はこれっぽちもない上に煉華も煉華で対して強くなくて「烈火にも劣る」と紅麗に酷評されるくらいだから、可哀想だけどそんなに同情を集めるキャラでもない、と言う、、、
追加戦士の少年と敵の少年幹部が実はラスボスの異母兄弟なのだけれど、平等以前にどっちにも愛情ゼロだったな
監督が「もし自分に娘ができたら」を想像して作り上げた姉妹キャラらしいハルルとカララだけれど、姉は男として育てようとしたけれど結局男じゃないから根本的に子育てに失敗しちゃったのでせめて妹は女性らしく育てようとしていいとこの家の坊ちゃんに嫁がせようとしたけれどそれも上手くいかなかった、、、って感じなので、ワッキーが娘ふたりを平等に愛していたかどうかでいうと結構微妙である
自分が見たのは最近で、人間関係がクッソ複雑で色々うろ覚えなんだけど、野田武志と言う男がいて、長女の息子なのだけれど武志は別の男の子供を妊娠した女性と(なぜか)結婚することになり、紆余曲折を経てなぜか別の女と子供を儲け、「やっぱり自分の子供が可愛い」というクッソ身勝手な理由で離婚することになったのをうっすら覚えている