はてなキーワード: 息抜きとは
→単なる息抜きなら何も問題ない。不正があったかどうかは、スマホやPCを提出して一切洗い出せばそれで済む。
→しかし、疑いをかけられた時点で棋士人生にはかなりの影響が出る。
→この疑惑が解決しない限り延焼し続けるが、未だに有効な調査結果は出ていない。
→「不正疑惑のある棋士とは、タイトルを奪われてもいいから、対局したくない」が発言のすべて。
→三浦九段に処分を科すように求めたというのは、その発言の印象からの解釈でしかない。
→連盟が科した処分に、渡辺竜王は一切責任を負える立場にない。
→棋士同士が三浦九段について話し合う場に「将棋ソフトに詳しいから」として呼ばれていた。
上記の「話し合い」の裏でバックギャモンをしていた森内九段か?
兎角世間の人々はリテラシーがないので「ソフトとの一致率が高い」という情報だけで不正疑惑を鵜吞みにする。
それなら対局室から出ていなくとも不正が可能である。スマホを使わなくても可能である。将棋が強ければ。
「離席したタイミングと指し手で判断せよ」という頭の弱い人もいる。離席したら最善手を諦めねばならないのか?
蓋然性を問題にするなら、白黒で語るのはやめて、連盟側の対応は十分か、そちらに頭を使えばいい話だ。
「1億%クロだと思う」と発言した後、「三浦九段を黒と断定したことはない」と発言を翻している。
じゃあ今回一番悪いやつは誰だったのか?橋本をはじめとする、ネットやテレビで印象だけで語りまくる無知蒙昧の人々である。
最近では陰謀論めいた話までネット記事や週刊誌に掲載されている。
証拠がなければ白黒つけられないのは我々も同じなのだから、大人しく黙っていればいいのだ。
信じたいものを信じ、語りたいだけ語る前に、その発言が誰を苦しめているのか少しは考えればいいのだ。
お陰でアヒルアカウントもお休みしてしまって、神のご様子が分からない。まことに残念だ。
田丸九段なんか自分の引退記事の後半ずっと三浦九段の話しなくちゃいけなかったんだぞ?
憶測で語ってはいけない。それをどっかに書いた時点で、証拠もなく疑っているのと同じだ。
僕にはこの問題がどこで決着するのか分からないが、お前らにも分からないのだから、黙っていればいい。
それぐらいはわかる。
君の名は。人気はまだ続くのだろうか。自分は公開2週目位に一度見たきりなのだが、Web上で展開されている
様々な解釈を念頭に置いて、もう一度くらいは劇場に足を運ぼうと思っている。
新海監督の作品は「ほしのこえ」からの自分だが、その中では前作「言の葉の庭」が一番好みである。
50分弱という過不足無い尺。今作では少し鳴りを潜めた、現実よりやや過剰に高められた光の輝き。
ヒロインを失意の闇から救済し、精神的な絆を結びつつも、直接の対価を得ることが無い幕引き。
どれをとっても、新海誠という人物が長年その心象世界に持つ純粋な「私の世界」。
君の名は。を彼のベスト盤であると評した人がいた(本人?)ように思ったが、自分は「言の葉の庭」こそが、
最も正確に彼そのものを表しているように思う。
ただ、そういった作品性とは別に、自分が言の葉の庭を特別なものとして見るのにはもう一つ大きな理由がある。
全くもって個人的な体験に基づくもので、それを他人と共有する事に価値は無いのだとは思うのだが、
40を目前とした今、その記憶がゆるやかに風化していくにつれ、どこかにその記憶を刻んでおきたいという欲求に駆られ、
1日だけの日記としてここに記しておこうと思う。
創作では無い為物語の構成は酷く、起伏にも全く欠けるが、偶然目にする人がいたら、息抜きのつもりで読んでみて欲しい。
20年ほど前、自分は地方の私立大学に通う大学生だった。高校を出て何となくの流れに乗って通う大学生活は、
地方であること。理系であること。あまりハイブロウな属性でないことなどから大きな刺激も無く、
かといって腐ってしまうという程の退屈さもなく、毎日がそこそこのルーティーンとそこそこのイベントによって消費される、
卒業校は大学とほど近い場所にあるため、自分は時折高校時代の恩師の元を訪れ、近況の報告や、
(当時のPC弄りが好きな学生がしばしばそうであるように)師のPCメンテナンスなどを請け負っていた。
ある日いつものように師の元を訪れると、師の隣席に初めて見る顔があった。
師は、新任の先生だと言って彼女を紹介してくれた。
「今度新しく入ったH先生だ。」
「どうも初めまして。Sといいます。」
学校行事でスーツを着ていた自分を、おなじ新任か関連業者の人間と思ったのかもしれない。
彼女…H先生は突然勢いよく椅子から立ち上がり、コンシェルジュのような角度でお辞儀をしながら
と、およそその完璧なお辞儀からは相応しく無い焦り具合で挨拶をしてくれた。
少しだけ長めのボブカット。
そして何より、整った、育ちのよさそうな顔立ち。
(ははぁ。これは生徒に人気がでるだろうなぁ…。)
そう、思った。
「そう言えばH君、パソコンの調子が悪いと言っていたじゃないか。せっかくだからSにみてもらったいい」
これをきっかけに、ほんの短い間ではあるものの、自分とH先生に関係が生まれた。
その後数か月間、自分はH先生のPC周りの面倒を見ることになった。勿論、数か月といっても頻繁では無い。
実のところは、精々5・6度の話でしかなかったと記憶している。そうとは言え、ほんの少しだけ年上の
とびきり可愛らしい女性が相手だ。いつもわくわくしながら通ったのを覚えている。
見かけ通り、H先生はとても可愛らしく純粋だった。
明かりの落とされた職員室。
冷陰極管の青白い光に浮かび上がる横顔。
買ってくれた缶コーヒーの温もり。
年下の自分に中途半端な敬語交じりで話し、ソフトの使い方を教えたり、FEPの不調をメンテしたり、
壊れたFATテーブルをエディタで書き直す程度の事で、H先生はとても喜んでくれた。
見かけによらず、頑固でもあった。
突然の夕立に「いい」と言うのに頑として聞かず、駅まで車に乗せられた。
エアコンが効かず、少し蒸した車内。
一度、何かの為にソフトを借りに実業系科目の教師の所へ顔を出したとき、
と、冗談とも真面目ともとれない顔で言われたこともあった。
…その通りだと思った。
あの時自分はどうして恋に落ちなかったのだろう?
高校時代淡い好意を持っていたクラスの女の子を忘れられなかったからだろうか?
卒業校とは言え、教師という立場の相手に対しての遠慮だったのだろうか?
今となっては思い出すことができない。
ただとにかく、会いに行く時間の胸の高鳴りとは裏腹に、
自分がH先生に対して恋心を抱いたことは無かったように思う。
時が経つにつれて、H先生とは疎遠になった。卒業からしばらくOBとして顔を出していたやつが
いつの間にか顔を見なくなるという、ごくありふれた、普通の流れだった。
勿論、心のどこかで気になってはいたが、明確なきっかけも無いのに顔を出すのも気恥ずかしく、
また、自分という存在が順調に過去となっていく高校に窮屈さを感じ、足が向かなくなるにつれ、
しばらくの後には思い出すことも無くなっていった。
大学生活は相変わらず少々退屈で、授業とバイトの日々が続いていた。バイト先にはコケティッシュに笑う
年下のあざと可愛い女子大生が入り、自分はその子に相当入れあげていた。
そんなある日。
高校の「部室」へ顔を出した。
自分は高校時代ややヲタクなサークルに顔を出していた。それはよくあるアニメやゲーム好きが集まるような
内輪志向の趣味サークルで、正規の部員でこそ無かったものの、殆どコアメンバーのような立場でメンバーとつるんでいた。
先輩も、後輩も、同級生も、自分の高校生時代の交友の半分は、そのサークルに由来している。
部室にはYがいた。
Yは自分が卒業する年に入学した後輩で、少々エキセントリックな性格ではあるものの、
当時の世相でそういったサークルを志向していた女子には珍しく、並以上とは言える容姿と、
その予測不能な反応を示す性格から、OB現役を問わず大層人気があった。当時から近い表現はあったように思うが、
ヲタサーの姫がベターなワードチョイスだ。正確にはサークラ的要素も多分に混じるのだが、
方々穴兄弟にはなったものの、サークルはクラッシュされなかったので、二択であればやはり姫の方が無難であろう。
Yや他の部員たちと軽く挨拶を交わし、部室に置き去りにしたPCエンジンで縦スクロールシューティングに興じていると、
「先輩先輩。先輩はH先生知ってますか?」
驚いた。彼女が新任教師として赴任したのは自分が卒業した後であり、現役生であるYもそれは承知だろう。
卒業後に赴任した教師を話題にあげるという事は、普通滅多なことではしない筈だ。
「ああ、実はちょっとした絡みがあって少しだけ知ってるよ」
事実を答えた。Yが続けた。
「H先生、辞めちゃったんですよ」
公立高校と違い、私立高校では異動というものが殆どない。私立が主体の都会では事情が異なるかもしれないが、
地域内に同業が少ないこともあって、転職という選択をする教師も(教師という手堅い職を選ぶ本人の性向もあってか)
滅多にいなかったと思う。とにかく、短期での退職というものはあまり例が無さそうに思えた。
Yは表情を変え、ゴシップ好きの主婦のような声色を作って次を継いだ。
「それがね、聞いてくださいよ先輩。H先生寿退社…ってことになってるんですが、本当は…」
…
…
「本当は、生徒に強姦されて辞めたんです。」
それから数年の年月が過ぎた。
大学卒業後、氷河期のどん底という頃に地元の小企業に就職したが、ワンマン社長の横暴に嫌気がさし2年と少しで退職。
しばらくアルバイトをしながら職を探したが、高卒でブルーカラー職についたり土建業に入るならともかく、
大卒が志向するようなサービス業的業種にまともな就職先はとても少なく、わずかにある条件のよいポジションは
新卒で滑り込んだ者が既得権化しており、あとはそれこそ公務員くらいしか不満の少ない就職は困難だった。
それを期に、意を決して東京へ出た。
友人の家に転がり込み、転職エージェントを頼りにいくつかの会社を受けた。東京での活動は思いの外順調で、
面接したいくつかの会社から採用通知を受け、そのうち、条件はあまり良く無いものの、基盤の堅い中小企業に入社した。
入社後上司との性格の不和に苦しんだが、前職の事を思えばその程度の問題に対処することは苦労のうちには入らなかった。
給料はとても安(250程度だったと思う)かったが、それも前職に比べれば不満は少なく、初めての東京生活をエンジョイし始めることができた。
そんな矢先。
当時の秋葉原メイドカルチャーは黎明期の出店ラッシュがひと段落し、金の匂いに感づいた風俗業の面々が
続々と出店を始めた位の頃だったと思う。高校を卒業したYは東京の大学へ進学したが、
生来の不安定な性格故順調にメンヘラ属性を手に入れ、真面目な大学生という路線は早々に離脱。
生活の為か趣味かは聞かなかったが、アルバイトとしてメイドを始めた、ということだった。
メールには多少面食らったが、Yの人と成りからすれば、想像には難くなかった。
自分の秋葉原に対するスタンスは単なるパソコンショップ詣の場所で、メイドカフェへ行くことに多少の
戸惑いはあったのだが、後輩に会いに行くと思えばいい。了承の返事を送信した。
「おかえりなさいませ、ご主人様~」
Yの働く店は正確にはカフェではなく、バーだった。
万世橋を渡り少し裏手の路地の扉を開けると、今では手垢どころか擦り切れて表皮が
やや珍しい青と白の照明で彩られた店内(まるで自作PC筐体のようだ)は、多少の安っぽさはあるものの、
常連客との適度なゾーニングもされていて、居心地は悪くなかった。カウンターの向こうで客の相手をする
隣では、この場所にはやや不釣り合いな女性が独り呑んでいた。
「君、初めて?」
声をかけられた。
「そうですよ。高校時代の後輩がいるんで、まぁ付き合いです。」
「そうなんだ。じゃあ私と一緒ね。」
女性(T)は銀座でホステスをしていた。非番の今日は、ここで働く自分の彼女の仕事が終わるまで待っているのだ、
と教えてくれた。自分も自己紹介をし、それからしばらく話をした。ホステスの会話術は流石に巧みで、
後輩に会いに来たことなどすっかり忘れ、仕事の話や高校時代のことなどを話し込んだ。
2杯目のジントニックの氷が溶けるころ、Tがはたと気付いたように自分に聞いた。
「そうですよ。Yは3つ以上下だから、直接一緒になったことはないですけどね」
「そっか。そしたら君…」
…
…
「H先生って…、知ってる?」
ドキリとした。
自分の中で風化し、消えかけていた「H先生」という単語の響きが、急速に記憶の色を取り戻させた。
しかし、こんな偶然があるのだろうか?ここは00年代も半ばの秋葉原。しかも場末のメイドバーだ。
100歩を譲って、自分達の高校が埼玉や神奈川にあったとすれば分からなくもない。
だが、自分達の高校は十分に遠方にあり、増してや、彼女がH先生であったのは6年も7年も前の話なのだ。
ボブのかわいい初々しい先生だったこと
人の消えた職員室で一緒にコーヒーを飲んだこと
大した話ではない。読んでくれている人がいたら申し訳ないが、当事者以外が聞いても何の感慨もない日常の出来事だろう。
Tは、そんな自分の話を穏やかな顔で聞いていた。ひとしきり話を聞いてから、話をしてくれた。
髪型が全然違うこと 化粧が派手だったこと
プレリュードに乗っていたということ
…そして、1年程前まで、自分の彼女だったということ
少しジメジメした夏の終わり頃だったように思う。
日付なんて全く覚えていない。
でも、それくらい、自分にとって忘れられない日の出来事である。
「言の葉の庭」は、ヒロインである雪野先生が、想いを寄せられた男子生徒への対応を誤ったことを
きっかけに物語が構成されている。劇中、男子生徒を奪われ、腹いせに雪野先生の退職を画策
(そしてそれは成功する)した女生徒に主人公が抗議をするシーンがある。
客観的に見るとやや時代錯誤と青臭さがあり、本作で唯一落ち着かない場面ではあるのだが、
このシーンを見ていると、雪野先生とH先生をどうしても重ねてしまう。
勿論、自分が孝雄になる妄想を出来る程今の自分は若くない。ただ、物語は悲恋として終わるものの、
孝雄の存在は、雪野先生の人生において彼女のレールを想定の範囲内におさめる為強力に機能した筈だ。
では彼女は、H先生はどうだ?
H先生に関して一つ書き忘れたことがある。彼女は県下一の、ある業種の創業家の息女である。
名士の娘が地元の高校で教壇に立つ。頃合いをみて結婚。家に入る。
時代錯誤ではあるのだろうが、そんなルートが彼女の想定の範囲だった可能性は高い。
もっとも、実はそれが嫌で飛び出したということも考えられる。
これを読んで、「だからだよバーカ」と舌を出しているかもしれない。
それならそれで、構わない。彼女が想定の範囲の人生を受け入れていたかどうかなどわかるはずもないし、
想定されたルートが幸せだったなど、他人の人生の価値判断を想像でするべきではない。
ただ、人生のターニングポイントにおいて、1人の人間の存在が他の1人の人生に与えうるインパクトの大きさというものは、
現実であっても、いや、現実こそ想像以上に大きい。花澤香菜がワンテイクで録ったというクライマックスを見る度、
そこに感情をぶつける肩のあった雪野先生と、もしかしたら無かったのかもしれないH先生とで、
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…自分語りはこれで終了だ。
最後に少しだけ、素人の新海誠評を書いてみたい。
あくまで想像だと前置きするが、新海監督は幼少から無理目な恋愛ばかりをしてきたのではないだろうか?
恋愛という通常とは比較にならないエネルギーを必要とする行為において
その力を一方的に放出し還流を受けることのできない状況は、人を極端に消耗させる。
ある者は力尽き、ある者は別の誰かから力を得た。
またある者は、運良く力の循環に出逢えることもあるだろう。
監督はどうだ?
監督は恐らく、無から力を生み出すことを選んだ。それが新海誠の作品性の源流であり、
君の名は。の2人は、時空を超えて尚力の循環を得ることが出来たように描かれている。
これをもってして彼の心象世界との乖離を突き、不安視する声がある。かく言う自分も少しばかりは、心配だ。
だが、監督は既に力の循環を知っている。言の葉の庭の2人は、実態としての結末こそハッピーではなかったかもしれないが、
ろくに女性と付き合ったこともなく晩婚だった自分にとって、新婚時代は本当に幸せだった。
人に愛され、頼りにされるということがこれほどまでに充足感のあるものだとは思ってもいなかったのだ。
子供のことは愛しているし心の底からかわいいと思う。だから子供を恨むようなことはない。
ただ、嫁さんは変わってしまった。変わらざるをえないのだと理解しているつもりだ。
当然僕も手伝っているが、それでも限界がある。
そうして追われる日々を送っている嫁さんにしてみれば、極稀にできる時間は自分のための息抜きにしか使われない。
少なくとも、嫁さんにとっては僕との時間はむしろ重荷になっていたのだろう。
二人が愛し合って結婚をしたのだから、当然浮気は罪だと思っている。
実のところ、父親の浮気をあろうことか母親と目撃してしまったことがあり、そのことが一つのトラウマでもある。
だからこそ嫁さんに何度か二人の時間を作ろうと提案してみたのだが、ことごとく断られてしまったどころか、これ以上わたしに期待しないで欲しいと泣き出してしまったことがあった。
誰かに頼られることはもう沢山なのだろう。僕は頼られるほどに頼りがいがあるとは思えないのだろう。
そんな中で僕ばかりが嫁さんに期待しているようでは、それは彼女にとって重荷でしかないというのは分かっていたつもりだ。
でも僕も一人の人間であり男だ。
人に愛されていたいし、人に頼られていたい。
一度その気持ちよさを知ってしまったのだ。今更知らない自分には戻れない。
その前後から浮気をしたいという気持ちが芽生えるようになった。
しかし、その都度そんなことをしても誰ひとりとして幸せになれないと自らの考えを戒めた。
そうして自分を追い込んでは、相手になってくれようともしない嫁さんを恨むようになってしまった。
なぜ自分ばかりがこんな思いをしなくてはいけないのかと嫁さんにきつく当たってしまうことが増えたからだ。
程なくして僕らは離婚をすることになった。
それから数年が経ち、久しぶりにとある同級生と飲む機会があったのだがそこで目からウロコが落ちる話を聞くことになった。
そいつが言うにはそういう時は「浮気してやる!」と思えばいいということなのだ。
はじめは何を言っているのか今ひとつ理解できなかったが、そんなことで自分を責め、相手を責めるくらいなら浮気をしてもいいと考えたほうが遥かにましだというのだ。
そして彼はさらに続けた。
「それにいざ浮気をしてやろうと思ったところでそんなに簡単にできるものではない。その時初めて嫁さんの大切さがわかるんだよ。」と。
まるで鈍器で頭を殴られた気分だった。
確かに自分見たく平凡で面白みのない男に、どうして不倫などというリスクを犯してまで付き合う女性がいようというのか。
自分はいつの間にか、できないことを棚に上げてしない自分を優位な立場に置こうと考えていた。
その証拠に、離婚してからと言うもの未だに彼女の一人もできていないではないか。
最近は授業もほどほどに、個人的にWebアプリを作ったりしてるのがすごく楽しい。
数年後はWeb系のベンチャーでWebサービスを開発していたいなぁと思っている。
そんなこんなで今年の夏は、何社かITベンチャーのインターンに参加した。
どこも1人のインターン生のために1人以上エンジニアさんがメンターとしてつくような
ただ、どこでもそうだったけど、懇親会とかで「趣味とか何かあるの~?」とか「普段何してるの~?」と聞かれることが多くて、
「普段からキーボード叩いてアプリ作ったりするのが楽しいんで、いつもそんな感じです」と答えると、
「いやプログラミングとかじゃなくてさ」という反応が返ってきて、困ることが多かった。
アニメとかもほどほどに見たりするし、NetflixやAmazonビデオとかもみたりするけど
本当にほどほどなので、「なんかおすすめは?」と聞かれて作品を語れるほどハマってもなく、
ゲームも、ソシャゲもやらないし、据え置きゲームもPS4を月一程度にゆるーく楽しんでいる程度。
結果、「うーん、なんですかね…」と尻込みしてしまう。
でもそこから家庭内トラブルの中心だった自分の仕事の問題が解決したことで有耶無耶になり、
なんとなく仲は戻ってマンションを購入したり、子供までできてしまうくらいになった。
めでたしめでたしとなりそうだけど、
結局似たような家庭内の諍いが起こり、家庭内別居みたいな状態になっている。
イクメンがもてはやされる風潮があるけど、
仕事が激務の時に、育休中の嫁に育児を頼るというのはそんなに詰められないといけないようなことなのか?
激務じゃなくても人並み以上には忙しいものの、普段は子供を風呂に入れられるくらいの時間には帰ってるし、
激務で終電で帰ってきた日だって、皿洗い・洗濯物の片付け・ゴミ捨て・朝食の準備など、残っていて深夜でもできる家事はしてるんだけど。
もちろん週末は家事も育児もしてるし、嫁に息抜きに一人ででかけてもらったりと配慮もしてるんだけど。
激務で会社からケツを蹴り上げられるようにしてフラフラになるまで働いて、
家に帰れば嫁に詰められる。
ここは地獄か。
子供はかわいいし失うものは多いけど、この嫁と生涯寄り添っていくのはつらい。
こちらが修羅場な時に限ってヒステリーを起こす、というのさえなければ平常時は問題ないし愛せるけど、
よりによってというタイミングでこちらを背中から切ってくることが起こりすぎて、平常時の愛情ではどうにもならないほど冷め切ってしまった。
http://anond.hatelabo.jp/20160609011058
http://anond.hatelabo.jp/20160611053943
・韓国で実際にあった未解決連続殺人事件を扱った「殺人の追憶」
・女優志望の女と記憶喪失の女が秘密を探るうちに変なことになっていく「マルホランドドライブ」
・エレベータ内に閉じ込められたメンバーに潜む悪魔を探す「デビル」
・孤児院を舞台に幽霊にさらわれた息子を母親が探す「永遠の子どもたち」
・ドライブ中に山から抜け出せなくなった家族に次々怪異が襲いかかる「-less[レス]」
・人体発火殺人の謎を追う「王朝の陰謀 判事ディーと人体発火怪奇事件」
・宇宙的な何かからサインを受け取った家族が落語的にオチをつける「サイン」
・二人を残して街を壊滅させた病原菌の謎を科学者たちが探る「アンドロメダ…」
・記憶を失った搭乗員が襲いくる何かと戦いながら宇宙船の謎を探る「パンドラム」
・五感を体験できる装置を使ったレイプ殺人事件を追う「ストレンジ・デイズ/1999年12月31日」
今となっては昔のことなのだが、20年ほど前俺は池袋西口の地下にある大きなカジノバー(以下Rとする)で働いていた。当時はFromAやanなどのアルバイト情報誌に裏カジノのディーラー募集がごく普通に載っていた。池袋のハコは俺にとっては3軒目で、この店が摘発された後、新宿歌舞伎町の小さなハコで店ぐるみのイカサマに関わったりもするのだが、その話はまた別の機会にして今回は当時の一般的な非合法カジノの話をしたい。
当時はカジノブームが起きていて、表向きアミューズメントを装っているが実は換金しているカジノが新宿・渋谷・池袋・横浜などの都市にはいくつかあった。一般人が可能な非公営賭博としてはパチンコ・パチスロだけが有名ではあるけど、「ゲーム喫茶」と呼ばれるポーカーゲームはカジノブーム以前から今も続いている。「10円ゲーム」などの看板を出して換金できるポーカーだ。裏カジノの業態はゲーム喫茶に近いと思う。
客はチップを$100=1万円で購入する。大体10万ずつ買う人が多い。好きな台で遊んだあと、チェックすると黒服から換金場所を教えてもらって換金しに行く三店方式の店が多かった。自分が当時遊びに行った渋谷や新宿の店はそうだった。Rでもそうだったと思うけど、黒服は最後までディーラーには換金場所を教えなかった。摘発された時にディーラーは善意の第三者であるという建前を守ってくれてたんだね。まあケーサツにそれは通用しないんだけど。前にいた赤坂の小規模な店では黒服が一緒に店外までいってその辺の人目のないとこで換金してた。換金率は100%だったり90%だったり。大きな店は客が入れば儲かるのでここで渋る必要ないと思うんだけどね。
種目はバカラ・ルーレット・ブラックジャック(以下BJ)の3種。BJのお客さんはカジノ初心者が多かった。トランプでルールを知ってるからかな。バカラと違って客対ディーラーになるので、バカラで疲弊した人がBJで息抜きをしたりもする。Rではルーレットの盤面は超ゆっくり回すので、ルーレット大好きな常連さんも結構いた。盤面をグルングルン回すと完全な運ゲームになってしまうが、ルーレットにはボールの落ち始める斜面に4つのピンがあり、どこに当たって落ちるのかを予想しながらやると面白い。盤面は店のオープン前に水平器を使って調整しておくんだけどどうしても日によって傾きが出てしまい、当たりやすいピンが発生する。ディーラーはベルを大音量で鳴らしたりこっそり空気吹きかけたりして客の裏をかこうとする。こうなってくるとただの運ではなくなって来て俄然面白くなる。バカラは要は丁半博打で昔から日本人には大人気。でかい盤面が立つのもバカラ。受けてくれる相手さえいればどんどんベットできるので、俺がさばいた中では最高で1ゲームで200万かけた人もいる。元ヤクザの親分でその日は大負けでヤケになって有り金全部で450万くらい入れようとしたんだけど、受ける相手がいなくてバランス見てカットして200万、顔真っ赤にして怒鳴り散らしてたのにその勝負には勝って微妙な顔をしてた。
普通カジノはタバコ・アルコール・簡単な食事は無料が多かった。これはゲーム喫茶もそう。ただRはアミューズメント気取って大々的にやってたせいか、この辺は厳しくって$10チップ一枚もらってた気がする。もちろん太い客にはタダで寿司とったりしてたけどね。
大きなハコにはだいたいバニーガールがいた。ウェイトレスじゃなくてバニーガール。いわゆる黒いウサギの格好じゃなくて、3ヶ月おきくらいで衣装が変わってた。Rはバニーのレベルが高くて、CMにでてたりグラビアに出てたりするような子が何人かいた。読モなんてこのバニーの中では平均以下レベル。あとお客さん、というかお客さんが連れてくる女の子で元アイドルの子がいて、当時まだ芸能活動してて写真集とか出してたんだけど初見では本当に見とれるくらいかわいかった。芸能界は可愛いだけの子ならいくらでもいるんだろうけど、こんなかわいい子でも大して売れないんだなあって思った。
ディーラーをやってるとイカサマを疑われることがよくあるんだけど、大きなハコで店ぐるみでイカサマをすることはない。どのゲームも確率でいけば胴元が儲かるようにできているので、とにかく客がいっぱい入って場が立っていれば店がマイナスになることはないからだ。危険を犯してまでイカサマをする必要が無い。小さな店とか、大きな店でもディーラー個人がイカサマすることはあって、Rではとあるディーラーが客にチップ横流ししてヤクザに追われる羽目になった。SさんとN村くん、元気にしてるかなあ。
この店が摘発される数週間前、黒服に呼ばれてディーラーの大半がとある居酒屋に集まった。なんでも某月某日に警察の手が入るらしい。黒服には派閥があって別の派閥の人はこのことを知らないらしい。警察と仲がいい人に連絡とって確認したけどそんな情報はないと言われたが、まああっても俺に言うわけ無いだろうし、この事で逆に警察に「情報が漏れてるから予定日を変更する」と思われたかもしれないな。
Xデーはみんな無断欠勤すると言ってた。俺は大事をとってその週ずっと休みにしてた。Xデーの前日が給料日で、俺は休みだけど給料だけ受け取りに店に行った、というか店の上のゲーセンで格ゲーしてたんだ。そしたら黒人の黒服がたまたま俺をみかけて「イマミセイッチャダメー、ゼッタイダメネーイ」え?彼はそのまま逃げていった。
うーん、まあ最悪客のフリすればいっか、と思いエレベータに乗った。店の前で降りると警察に「今ダメだ、帰れ帰れ」と追い返された。しょうがないので店の外で待ってみた。護送車とパトも来てる。チーフディーラーのKさん(大阪人・みんなの人気者)が出てきた。踏み込まれた瞬間に裏口から逃げてきたそうだ。内偵でチーフだということがバレていたらしく警察は「KどこだKはー!」って連呼してたらしい。この人は大阪でヤクザに追われて東京出てきて「もう大阪には帰れない」って行ってたんだけど、別働隊に自宅前見てもらったら警察が張ってるし部屋にあるハッパも見つかるだろうから大阪戻るかあって言ってた。何年も経ってるし警察よりはマシだろって。
別のディーラーも今日休みで給料取りに来たらしいが、裏口ももう塞がれてるとの事だった。しばらくして客が少しずつ出てきた。中で簡単な質問をされたらしい。ある老人客と一緒に中国人の女ディーラーが出てきた。警察が来た瞬間に私服に着替えて客と腕を組み、愛人面してでてきたのだ。頭の回るやつだ。彼女は中国国籍なので捕まって国外退去とかになると確かに面倒だ。俺のタイムカードにも「チーフ」と書いてあったが、Kと違って制服も皆と一緒だし特に探されもしなかったようだ。
ついでバニーガールとウェイトレスも出てきた。夜中になってディーラーも続々出てきた。みんな名札下げて正面と横の写真をとったらしい。いやー貴重な体験うらやましい()。黒服全員と、たまたまその時大きな盤面で撒いてたディーラーが護送車で連れてかれてしまった。しかもかれはまだ入店1ヶ月くらいなのに。その卓はKか俺かその彼くらいしかまかないので、タイミング次第では俺だったかもしれない。ちなみに可哀想なことに21日+α拘束されていた。
Kは友人宅に一泊して翌日大阪に帰るってことでみんな1時頃解散した。俺の部屋は店から徒歩圏内なんだが、夜中3時ごろにチャイムがなった。警察なら俺も捕まるのか?俺は普段部屋に鍵をかけない、ドアノブ回されたら終わりだ。物音を立てないように静かに覗き窓を見たが誰もいない。エレベータはまだ俺の階で止まってる。エレベータで来て階段で帰ったのだろうか?それとも俺が出てくるのは張ってる?家に帰れなかったディーラーなら入れてあげたいがケータイ番号知ってるはずだ。ただ当時はまだケータイは普及してなくて、俺が持ってたのもPHS、大半はポケベルだったから俺の部屋に来たことがあって番号知らないやつもいたかもしれない。
その後音沙汰はなく俺は無事で済んでよかった。給料は後日路上で支払われた。拘束した彼は拘束料上乗せされるべきだと思うんだけど、金がなかったのか逆に少なかったらしい。ひどい。
赤坂の店でのヤリチン韓国人の純情な話とか、歌舞伎町の小さなハコでのイカサマの話とか、10年後にイカサマっぽい店に遊びに行った話とかいろいろ書きたいことがあるんだけど、今日はここまで
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増田の匿名性があるから面白いこともあるとあるけど、続き読むのに不便かなと思ってカクヨミニストになりました。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054881140549#table-of-contents
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給料を払ったのはこのメンバー集めて次にカジノを開く予定があったからかな。あとコメントのリンク先に手入れ三回目で閉店って書いてあるけど一回で閉店してるしそのデイーラーをつかって数カ月後に池袋で中型のハコを開いてるので、別のハコと勘違いされてると思います。
あと沼ってのはカイジ?すみません未読です。福本伸行さんは大好きで、特に西原理恵子に「カッコ良かったんだけどあんな頭が絶壁のキャラ書く人が売れるなんて誰も思わなかったからモテなかった」って言われてるところが好きです。
うつ病は心の風邪というけれど、その大きな要因のひとつに性格/気質があって、なりやすい性格の人となりにくい性格の人がいるという。
真面目で責任感がある人はなりやすく、そうでない人はなりにくい。ということらしい。
遺伝が関連する疾患について、将来罹患する確率が異なるため、遺伝子情報で保険料が変わるかもしれないというニュースが出回っているけど、
鬱に関しても、いずれはそうなるかもしれない。喫煙者の肺がんリスク、肥満の糖尿病リスクなどと同様に、性格による鬱リスクについても、
同じプロジェクトチームに、鬱になりやすい性格の条件にかなりマッチしている人がいる。
真面目で責任感が強く、面倒な仕事を押し付けられても文句を言わずやり、自分の正義やルールを曲げない。
繁忙期など、みなが上手に理由をつけて適度に息抜きしている状況でも、その人は休めと言っても休まない。来るなといっても来る。
そこまでやらなくてもいいと言っても、完璧主義なのでやってしまう。
きちんとやらないほうがストレスですと言わんばかりに。
それで消耗して、フラフラ。
それで倒れらたら意味ないし、そうなったらかなり迷惑なんですけど。
しかもそういう人って、自分を棚上げにして、鬱になりにくいといわれる性格の人のことを、テキトーなやつだと見下してるっぽいんだよなぁ。ひと昔まえのB型disみたいにさ。
http://oryouri.2chblog.jp/archives/9245112.html
給食じゃないんだけど、ワイの工場の社食(味は給食レベル)のメニュー、たまに
とろろご飯が出る。
でも1日あたりのレパートリーが4種類しかないのにそのうち1種類がとろろご飯てなんなの?
選択肢がいきなり狭まるじゃん。
嫌なら食べるなってか?
野菜も少ない、そして炭水化物がっつり、そのうえおかずと呼べないとろろって。
納豆ご飯でないだけまだマシだが、この分だといつ納豆ご飯になってもおかしくないと思ってる。
1ヶ月の売上予想に対して、収益率(予算)が決まってるから、どこかで手を抜こうという。
とろろご飯なんてメニュー選べるかよ。どうせ中国産原料ならもっと食べがいのあるもの出せよ。
どうせ外に出れないだろ?という業者側の魂胆が見え見えだ。
ああ確かに出れないさ。出たところで近隣の飲食店なんてはるか彼方だ。
発注側なのか受注側なのかわかんないけど随分と疲れてるんだな
こういう話が盛り上がる様は知性の堕落だ。きのこたけのこ論争や犬派猫派なんかと同じだ。一見ファイティングポーズを取っているようでいて、その内実は当たり障りのないどうでもいい事だ。みな「そんなの勝手でしょ」で消化できることが暗に分かっているから、空気を読んで安易にノってしまう。そんなぬるま湯に浸かる姿勢は、はてな匿名ダイアリーを愚弄している。もっと人間の心の闇、ネットの闇に切り込む鮮烈な一閃のようなエントリを書くべく、みなが知恵熱を出すべきだ。角が立つような物言いもするだろう。そのための匿名なのだ。その思想を茶化してスカしてみせるような、日和ったネタ、短文のイチャモン、それらは存在してもいいがメインになるべき器ではない。
増田は遊びではない。仕事につかれた人間が息抜きにやるしょうもない作業ゲーの如きものに成り果ててはならない。試行錯誤を繰り返し最適パターンを見いだし、体に刻みこむような、そんな本格的ゲームのように、どっしり腰を据えて、マジになって、世の中や人間に対して、怒りや憎しみや不満を大いにぶちまけてほしい。別に議論にしなくていい。建設的でなくてもいい。狭窄で偏屈な主張でいいから、ただただ本気の筆致を感じる文章を読みたいし、書きたい。少なくとも自分にとって、心に残った増田はすべて本気の熱を感じるものだった。
この論にべつに共感してくれなくてもいい。どうせこのエントリはブクマもトラバも0だ。あってせいぜい「キモっ」だ。そもそも長文で、しかもトラバである時点でまともに読まない人間が多いだろう。暇を持て余したニートが何かほざいてる、とでも察されて、「触れちゃいけない人」感を全員が感じ取り、協調するように何事も起きないままネットの海に埋もれていくのだ。そういう孤立的な状態や無反応を極度に恐れる空気があるから、くだらなくても何か盛り上がるネタや、他人をひっかけるレス乞食のような物言いをする人ばかりになっていく。そして自分の尖った体系的な意見を表に出せる人が極端に少なくなる。言えてせいぜい、感情的な短文の罵倒だ。twitterを想像してもらうといい。これが現代のコミュニケーションの病理であり、他愛無い話がぐんぐん伸びて幅を利かせる理由だ。たまに飛び出る長文ブログがやたらと炎上する理由でもある。だからあえて今ここで、孤独に醜態を晒す。「空気を読まない」を実践する。そんな訓練ができる場が、ここなのだ。
実際この論がかなり偏屈で、他人に無茶を求めていることは自覚している。けれど、世の中にあふれる偏屈を見て見ぬふりして、なあなあにしていると、気づくと自分も何らかの偏屈な思想を一部取り込んでいるものだ。そしてそれに無自覚でいる人が多くなると、ついにはヒトラーやトランプ氏のようなポピュリストの主張が支配的になるような事態に結びつく。だから自分の中の偏屈の種をさらけ出し、また他人がひり出した偏屈の種に向き合って、大真面目に思いを馳せ、「我がふりなおす」時間が大切なのだ。実は、そんな意識は誰しも持っている。誰もが日常のなかで他人の偏った主義主張に触れ、無意識のうちにメタな視点を持っている。だから、他人の考え方につっかかって、自分の中で醸成されたバランス感覚を披露したくなる欲求は常にあるのだ。
元増田も、そういう欲求から生まれたものだ。けれど、下手だ。欲求の発散のさせ方が下手。いや、逆に上手すぎる、適応しすぎているのか。当たり障りなく、適当に手短に欲求を発散させ、かつ反応を引き出しやすいやり方を心得ている。それでもやはり、欲求を満たす機会と時間を、こんなチャチなテーマで消費してしまうのは実にもったいない。「いいや、どんなテーマでも大真面目に普遍化して思考訓練の材料にすることは可能だ」という向きもあろう。でもエビ嫌いdisとカキ嫌いageというテーマで本気になれる人がどれだけいるだろう。それを配慮すると、やはり最初からハードコアな話題を振ったほうが良い。でも大仰なことを書こうとするほど、言い出しっぺにかかる期待と責任は増していく。ここが難しいところだ。本気の増田が求められるほどに束縛感が増して、萎縮を招く。でもある程度そういう風でいいと思うのだ。緊張感が大事だ。
不愉快な正論やご大層な暴論の刃をぶつけあう、殺伐とした場になれるポテンシャルがある。2chよりも。それが増田だ。増田には半匿名のtwitterに馴染めなかった人の受け皿としての側面があるのも分かるが、せっかくダイアリーという形で長文が書けるのだから、たまにはあなたにもこういうクソみたいな長文を書いてほしい。この文章のように、推敲もされておらず、同じことを言い続けた挙句言い逃げする時間泥棒のような文章で構わない。私は読んであげないけどね。
やはりというか最後の2センテンスが理解されなかったようなので、ロックじゃないけど言っておく。文章の中段で書いたように、他人に反応してもらうためではなく、まず自分のために書いてほしいんだ。だから、読者への配慮すらも気にせず、拙い文章でもがむしゃらに書いてほしい。私は読んであげないというのはツンデレのようなもので、誰かに読まれることを期待するような媚びた精神を振り払うための呪文だ。内なる情動から湧いてくる言葉をガーッと綴るときに、自分がどう思われるか、誰に読んでもらえるか、なんて視点は一旦置いておかねばならん。エクスキューズやポリティカル・コレクトネスを脇における機動性が匿名の良さなんだから。それこそ、真意を伝えるためには自分が憎まれるような言い方だってできる。それが、最後の皮肉の意味だ。
「改行くらいしないか」と言われているので前々から思っていたことを書く。増田における改行はpタグの挿入を意味する。つまりパラグラフを区切りたい時に改行するのが正しい。二言三言の簡潔な文章のエントリなら1センテンスごとに改行…という名の段落分けしたほうが見やすいだろうが、このくらいの長文になるとパラグラフごとに改行すべきだ。個別ページでみれば、ちゃんとパラグラフごとに字下げと適切なマージンが取られているのが分かる。これなら一般の書籍と似たスタイルで、読みにくいとは思わないはずだ。ただ、トラバの吊り下げリストを展開した表示だと字下げもマージンも取られずに見づらくなる。それは承知しているが、それははてな側の問題であって、HTML上妥当な書き方をしておいたほうがベターだし保守性もいいだろうという判断でこうしている。だから現状、トラバが長文だと思ったら個別ページを開いて読んでもらうのがいい。
「最後はうんこ漏らした話で締めるのが美学」? それは、このエントリで表現を変えながら主張してきた内容に反する。本当に読まれたのだろうか。まあそれに憤る気はない。私の技量の問題でもあり、読み手にとって巡りあう時ではない文章だったという事もあろう。いずれにしろ主張は変わらない。そうやって読者受けを狙って媚びたおちゃらけで締める事こそ、惰弱な精神の象徴。そういう内輪ノリみたいな軟派なコミュニケーション欲求を排して、最初から最後まで舌鋒鋭く自分の言葉で斬りつける。それが私の思う美学だ。ブコメに応えている時点でそれも揺らいでいるが、コミュニケーションを第一目的とするわけではないからあえてidコールもしていない。書くことで自分を研ぎ澄ませるのが目的だから、本来は「伝わらなかった」ことに苦慮する必要もないのだ。ならローカルのメモ帳でいいという批判もあるだろう。だが、あえて直接的に反応を見ない等と決めていても、自分の残したミームの一部がどこかに化学反応を起こしたら、と考えるとワクワクするだろう。それを物書きの動機付けにする程度なら、良いことだと思う。
なぜそこまでコミュニケーションを、他人の反応を忌避するのかと思うかもしれない。その理由は、効率が悪いからだ。ネット上の他人は年齢も育ちも見識も人格もあまりにも多様すぎて、その差異をカバーすることに労力を使っているとアウトプットの量も質も落ちるからだ。とかく我々は、相手も自分と同じような能力や規範を持っていると勘違いしやすい。だからいちいち説教して回りたくなるものだが、その欲求のために個別に相手をしていたらすぐに人生を使いきってしまう。だから、言いたいことがあったら、このエントリで述べてきたように、増田を利用した放言スタイルで重量級のをカマしてみてはどうか、という話だ。
http://anond.hatelabo.jp/20160225040508
「鉛筆が100円で消しゴムが120円だとする」とかの「とする」と同じように、
鉛筆が100円である世界は必要なく「今言及している鉛筆」が100円であればいいし、
めっちゃ歪んでる。
私なんて数学で赤点とったことがあるくらいだから証明はできない。すまん。
もし仮に半径11の円の円周率がぴったり3.14だった場合の世界って、仮定(あるいは定義)できるんだろうか?
よくわからないんだけど、少なくとも円に内接する96角形の周長よりも、円周のほうが小さいってことでしょ?
違う。非ユークリッド空間で円周率が3.14なら円に内接する96角形は歪んで小さくなる。
まず、円周率が3.14ピッタリの世界で、円に内接する96角形の面積よりも円の面積が大きくなるのか、小さくなるのか、
それすら私にはわからないわけだが。
私にも内接する96角形のほうが大きくなる条件は想定できなかった。
数学屋に聞きたいところだ。
そんなわけのわからん世界である必要はない。他のブコメでも非ユークリッド空間に触れていたが
世界のどこでも同じ円周率である必要はないので適当にゆがんだ空間で
空間内にある条件(円周率が3.14)を満たす範囲があればいいしこれは現実の空間である必要はない。
これはモデル化だと思う。
実際は太郎君は歩くときに早くなったり遅くなったりするだろうし別の太郎君はマッハ4で歩くかもしれないが
今言及している太郎君は平均では時速4㎞と認識しているという意味であり、
消しゴムは100円ショップでは100円だしスーパーなら98円にしそうだが今は100円ということにするという意味だ。
「円周率を3.14とする」は、円周率はπだが私は小数表記で正確なπを記述できないので3.14ということにするという意味だ。
あなたにはπを正確に用いて小数の計算ができるのか?もちろんπ表記のままでは計算したことにならないぞ?
時速4㎞で歩き出すのは加速時間が0となるため理論的に実現不可能だ。
あなたが目の前に円を想定した場合、その円は地球の重力により相対性理論的に歪んで円周率はπではなくなる。
必ず円周率がπである世界は何も存在しない世界である必要があり理論的に実現不可能だ。
一方、πが3.14となる範囲を含む非ユークリッド空間は理論的に実現可能だろうが
数学屋に聞きたいところだ。
残念ながら時速4㎞で歩くのを想像させるのは意外と難しい。
常に一定の速度で歩くのはおかしいとか言い出す子供はたくさんいる。
実際の世界には真理など存在しないし認識もできない。それどころか人間には実際の世界を正しく認識することすらできない。
問題文にない条件を持ち出すことが正しいなんて言い出すくらいなら実際の世界を想定しないほうがマシだ。
そのとおりだ。
書いてあるので汲み取る必要はないというか汲み取ってはいけない。これは国語の問題じゃないんだ。
そうだ、科学に対する姿勢の問題だ。何が正しいかを知っているかではなく、
目の前にある条件から矛盾しない答えを導き出すことこそが科学的な姿勢だ。
私は、どんな世界であれ押し付ける傲慢さをあなたに感じている。
もちろん私も世界を正しく認識できていないがそれを人に押し付けるようなことはしていないつもりだ。
違う。与えた条件と異なる条件を持ち出すと間違った答えになるからだ。
「円周率は3.14と条件を指定したな?あれは嘘だ」と言い出したら
私は今、「洞窟に住む縛られた人々が見ているのは「実体」の「影」であるが、それを実体だと思い込んでいる」
と言ったプラトンの気持ちを痛感している(Wikipediaの引用であり国家の文面そのままではない)。
真理というものがあるとしよう。だがそれをあなたが認識しているものと私が認識しているものは違う。
真理の手掛かりとなる影を認識し集め、お互いの認識を形にし、共有する(モデル化)。そして、この共有したモデルについて話をするんだ。
だから「数学の定義では円周率はπだから私が正しい」というのは成立しない。
これはあくまで数学上のπの定義を共有しているモデル、つまり数学での話であり、
円周率がπではないモデルを共有しているときは円周率がπではない前提で話をすることになる。
例えばここに一見正しい条件がある。
・平面上の平行線は交わらない
実際に昔はこれで十分だった。
「平行線が交わりしかも矛盾しないモデルも作れるんじゃないか?」と工夫したことにより
非ユークリッド幾何学が生まれた。
そして、
・平面上の平行線は交わらない
という条件は
という条件に洗練された。真理に一歩近づいたんだ。
だが、きっと、これでもまだ真理そのものではないだろう。
だがその真理に向けて認識を表明し共有しそれを基に議論することで近づいていくことが大事だとプラトンは説いたんだ。
だからこれには、「今はそんな話をしているんじゃない」としか言いようがない。
今は「円周率が3.14としたときに計算結果はどうなるか」という話をしているんだ。
彼は悔しかっただろう。私もとても悔しい。
我々ちょい古いソフト屋はオブジェクト指向の本質を伝えることに失敗した。
認識を形にすることだということを伝えられなかった。
初めて使うので読みにくいだろうことを申し訳なく思う。