ろくに女性と付き合ったこともなく晩婚だった自分にとって、新婚時代は本当に幸せだった。
人に愛され、頼りにされるということがこれほどまでに充足感のあるものだとは思ってもいなかったのだ。
子供のことは愛しているし心の底からかわいいと思う。だから子供を恨むようなことはない。
ただ、嫁さんは変わってしまった。変わらざるをえないのだと理解しているつもりだ。
当然僕も手伝っているが、それでも限界がある。
そうして追われる日々を送っている嫁さんにしてみれば、極稀にできる時間は自分のための息抜きにしか使われない。
少なくとも、嫁さんにとっては僕との時間はむしろ重荷になっていたのだろう。
二人が愛し合って結婚をしたのだから、当然浮気は罪だと思っている。
実のところ、父親の浮気をあろうことか母親と目撃してしまったことがあり、そのことが一つのトラウマでもある。
だからこそ嫁さんに何度か二人の時間を作ろうと提案してみたのだが、ことごとく断られてしまったどころか、これ以上わたしに期待しないで欲しいと泣き出してしまったことがあった。
誰かに頼られることはもう沢山なのだろう。僕は頼られるほどに頼りがいがあるとは思えないのだろう。
そんな中で僕ばかりが嫁さんに期待しているようでは、それは彼女にとって重荷でしかないというのは分かっていたつもりだ。
でも僕も一人の人間であり男だ。
人に愛されていたいし、人に頼られていたい。
一度その気持ちよさを知ってしまったのだ。今更知らない自分には戻れない。
その前後から浮気をしたいという気持ちが芽生えるようになった。
しかし、その都度そんなことをしても誰ひとりとして幸せになれないと自らの考えを戒めた。
そうして自分を追い込んでは、相手になってくれようともしない嫁さんを恨むようになってしまった。
なぜ自分ばかりがこんな思いをしなくてはいけないのかと嫁さんにきつく当たってしまうことが増えたからだ。
程なくして僕らは離婚をすることになった。
それから数年が経ち、久しぶりにとある同級生と飲む機会があったのだがそこで目からウロコが落ちる話を聞くことになった。
そいつが言うにはそういう時は「浮気してやる!」と思えばいいということなのだ。
はじめは何を言っているのか今ひとつ理解できなかったが、そんなことで自分を責め、相手を責めるくらいなら浮気をしてもいいと考えたほうが遥かにましだというのだ。
そして彼はさらに続けた。
「それにいざ浮気をしてやろうと思ったところでそんなに簡単にできるものではない。その時初めて嫁さんの大切さがわかるんだよ。」と。
まるで鈍器で頭を殴られた気分だった。
確かに自分見たく平凡で面白みのない男に、どうして不倫などというリスクを犯してまで付き合う女性がいようというのか。
自分はいつの間にか、できないことを棚に上げてしない自分を優位な立場に置こうと考えていた。
その証拠に、離婚してからと言うもの未だに彼女の一人もできていないではないか。