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はてなキーワード: 中島とは

2014-09-21

私は働くのが大嫌いです

私は「働く」ことが大嫌いです。少なくとも今の仕事には何のやり甲斐も見い出せません。

それなら何故「働く」のかと言われれば、ひとつ理由として飯を食うための金が必要から、と答えます

夢も希望もないですが現実です。働かなくては生きていけないから


かつては、こんな私のような人間も「働く」ことに対して意欲的になれる環境が整っていたのだと思います

終身雇用制と年功序列制度。人は働けば働くほど給料が上がることが保証されていました。

しかし、ご存知のようにそれはもう遠い昔の話です。「働く」ためのモチヴェーションは失われてしまいました。

幾ら働いても惨めなままで過ごすしかないのであれば、「働く」ことから降りる人間が生まれるのは当たり前の話だと思います

まり、今こそ何故人間は働かなくてはならないかを問うべきである、ということです。


私が「働く」理由にはもうひとつあります。それは働かないでいると人間世間との繋がりが切れてしまうから、というものです。

引きこもって外に出なければ人は実社会のことが分からなくなり、狂気をこじらせてしまます。少なくとも私はそうです。

でも、ここで大事なのは必ずしも引きこもっていることを私は否定しないということです。

「働く」というのは世間とのコミットメント手段ひとつに過ぎません。

引きこもっていても何らかのかたちで「外」と繋がっていれば、それはそれで(もちろん親の経済力に余裕があり、親が寛容であればの話ですが)悪くないことなのではないかと思います

このあたりの議論をする際に、私は中島義道氏のことを思い出します。氏も一時期引きこもっていたことがあったそうです。

しかしその期間中、月に 50 冊の本を読み勤勉に勉強を重ねておられたと聞きます引きこもりは勤勉であれ、というのが中島氏のメッセージです。

そして外との繋がりを断ち切るな、と。このあたりは私自身読んでいて、非常に得心の行くものを感じました。

私自身引きこもっていた時期に図書館大江健三郎全集などを読んで過ごしていたので。


今の私は、基本的貧乏でもあるのでどこに行くことも出来ずに引きこもっています

ただ、日銭を稼ぐ仕事があるのでそれに参加して最低限の税金を収めているだけです。そんな私にはだから引きこもりの人の絶望が分からないです。

ただ、先に書いた半年ほどの引きこもり体験の間に感じていた薄っすらとした絶望は今でも思い出すことが出来ます

私のそういう期間は二十代初めだったので私は何とか辛うじて社会復帰することが出来ましたが、三十代になって引きこもっている人の絶望は大きいものだと思います

私には何も言えません。ただ、「働く」という大嫌いな手段を通して先の見えない人生を送っている男がここにひとり居るということ、

そんな人間引きこもりについてどう考えているか書くのも無駄ではないと思い、メモのようなかたちで残しておくことにします。

2014-09-08

[]

○末松委員 そこはちょっと今度また示してください、どんな研究でどんなことをやっているのかというのを。ぜひそこは開陳していただきたいと思います

 それと、この具体例として、はり、きゅう、マッサージの方々と話すと、やはりかなり大きないろいろな差別を受けているというんですね。例えば、かなり体が悪いから医療サービス消費者としての患者立場から、はり、きゅうに行ったと。もう大変な状況になっていますねと言われても、保険を申請したいと、保険という含みで言ったら、医者に行ってくれ、医者同意がないとだめなんだと言われたというのは、もうごまんとあるわけです、こういう例が。

 西洋医学医者と言われる方々が、どうして東洋医学の、これはシステムとして同意をするということがあるわけですよね、この同意をするということができるのか。東洋医学を彼らは勉強していないはずなんですけれども、それに対してどうしてそこの同意権なるもの必要なんですか。そこはおかしいと思うんですが、いかがでしょうか。

中島政府参考人 ただいまの点でございますが、これは、はり、きゅうとマッサージで若干事情が異なるところもございますので、まず、はり、きゅうの施術につきましては、科学的なメカニズムが必ずしも十分まだ解明されてはおりませんものの、鎮痛等一定の効果経験的に認められるということから、慢性病、例えばリューマチとか神経痛とか、こういったものですけれども、これに対しまして実施される場合であって、また医師による適当治療手段がない場合、こういった場合に限って療養費の支給対象としているわけでございます

 東洋医学に十分な知見を持たない医師同意を与えるのにふさわしいのかという御指摘につきましては、このはり、きゅうについての同意書につきましては、今申し上げましたような慢性病であるということ、それから医師による適当治療手段がないということを保険者確認をするためのものでございまして、必ずしも東洋医学の知見を前提としているものではないわけでございます

 また、マッサージにつきましては、筋麻痺等の麻痺緩解麻痺を緩めるということ、あるいは、関節の拘縮等により制限されています関節の可動域の拡大というようなことを目的として行われる場合等で、医療上の必要があるものにつきまして療養費の支給対象としているということで、今申し上げましたような筋麻痺、関節拘縮等があるということ、それから医療上の必要があるということを保険者確認するということで、この場合も同様に東洋医学の知見を前提としているものでは必ずしもないということでございます

○末松委員 あなたがおっしゃるその東洋医学の知見を前提としているものじゃないということは、つまり東洋医学科学的な知見がないという前提に立っていて、それがわからないから、だから、だめなんだ、だめなんだと言っているにすぎないんですよ。患者立場から見たらどう思うかというと、本当に困るんですよね。

 だって西洋医学医者適当治療例がないと。それは、西洋医学でできない面というのはたくさんありますよ。そういった面がないからといって、では、お医者さんがどんどん向こうへ行きなさいといったら、自分商売上がったりみたいなことも、経営面というのもやはり頭に浮かぶわけですよね。そういったときに、患者権利として、いや、私はちょっとこういったもの東洋医学のものにかかりたいから、だから、そこは患者権利を守る立場から、ここはこういうふうに、私は行きたいので行きますという、つまり、そこで医者同意という行為がなければおかしいと。同意がないというのは、やはりおかしいんですよ。

 そこは、何といいますか、患者権利としてもう少ししっかりとしたものをつくるべきじゃありませんか。

中島政府参考人 これは、現在給付対象を、審議会等の御議論も経てこういった状況に設定をしているということでございまして、このはり、きゅう、マッサージサービスについて、そういった患者権利というようなもの尊重した形式に改めるかどうかということについては、今後の議論だというふうに考えてございます

○末松委員 あなたの言うそ審議会というのは、東洋医学関係者は何人ぐらい、何%ぐらいいるんですか。

中島政府参考人 私の現在思い浮かぶ範囲では、東洋医学を専門としているという方はおられないと思います

○末松委員 つまり、こういうことなんですよ。実際、こういうことなんですよ。だから、そうしたら認めるわけがないですよ。

 だって保険パイ一定なんですよ。そのうちのパイの食い合いみたいな、こういう発想でとらえられたら、国民患者としての権利侵害されているということにぜひ気づいていただきたいんですよ。そこをきちんと見ないと、本当に効果がないからだということだって、結局は、医者がそう言えば一切そういう保険もおりない。私なんか、正直言って、医者にかかりたくないから、逆にそっちの予防の方を重視したい。そういった国民の声をすべて無視ちゃうことになるんですよ。

 厚生行政として、そこはおかしいと思いませんか。そこは、ある程度の反省をすると同時に、さっきの科学的な知見ですか、それは国主導で進めていかないと、やはりそこが一切進まないということになりませんか。もう一度お願いします。

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/162/0058/16204060058002c.html

2014-07-20

http://anond.hatelabo.jp/20140719201818

占い師貢ぐ中島連想した。

生きる意味、どうしたらいいかを、誰かにすがりたい、誰かに教えてほしい、それが根拠なんかなくたって。

人間は弱いし、生きる意味自分で見いだすなんて大変だし、そうやって生きてればいいとおもう

2014-07-14

生理中なので男が知らなそうな生理の話する

あともう一個思い出した。

男が知らなそうなって書いたけど、男が知っても全く役に立たない知識書いてごめん。

追記

割りと反響多くて驚いた。

私をおっさんだと言う人はそう思いたければ思えばいい。

こんなに色んな人が居る世の中だから生理について知識豊富おっさんが居てもおかしくない。

ウィスパーコスモ吸収に興味津々だったり「そうでもない」っていう声もあってやっぱり人それぞれだなと。

個人的には他のナプキンドラゴンボールだったら、コスモ吸収はナメック星ドラゴンボールくらいの違いを感じる。

ドラゴンボールに喩えたのはトイレドラゴンボール単行本があったから)

何がどうすごいのかというとただただ「吸収力がすごい」ってだけなんだけど、とにかくすごい。

シンクロフィット」は私も使ってみたけど常に挟んでおくのが無理だった。やっぱり個人差だな。

オセロの件について指摘ありがとうございます

なんでかわからないけど中島の方だと思い込んでました。

どっちにしても「何でオセロなんだろう」って思った印象が強かったので。

「夏の生理拷問」「熱で寝こむと地獄」はご察しの通りすごく蒸れるから

私はそろそろ終わりだけど、一昨日くらいまでしんどかった。

寝こむと地獄というのは生理中は寝る時が一番落ち着かないんだ。

寝てる時に血が漏れたら最悪シーツにつくからね……。

あとやっぱり生理中の体調不良と熱が重なるのはとてもしんどい

長々とどうでもいい文章読んでくれてありがとう。また何か思い出したら書きます

2014-06-30

塩村文夏が何故都議に当選たか分析

塩村文夏セクハラヤジが発端にした騒動。

塩村文夏の経歴を見てみると都議として何故彼女を選んだかが疑問に残る。

そんな塩村文夏氏の経歴(Wikipediaから引用)。

1978年7月6日生。

広島県福山市出身

就実高等学校共立女子短期大学卒業

高校在学中にスポーツ用品販売会社アルペンイメージガールコンテストに応募し準グランプリ、翌年には「第8回ニューカレドニアプリンセス審査員特別賞。写真集告知のため「熱湯コマーシャル」コーナーに水着で出演。「ミスヤングマガジン準グランプリ」になり多くのグラビア活動

一旦芸能活動を休止しイギリス語学留学帰国後に「恋のから騒ぎ」にて「不倫自慢女」として脚光を浴び、日本テレビ脚本構成作家として活動。「日テレジェニックの穴」などで活躍

2012年になり「維新政治塾の塾生」になるも、2013年に「みんなの党」に入党。

2013年6月23日東京都議会議員選挙世田谷区にて14人中6人目(8人当選)にて当選

塩村文夏の経歴だが、政治家としての活動わずか1年だけという新人

なぜそんな新人東京都議になれたのか、分析しよう。

2013年6月23日東京都議会議員選挙世田谷区結果

http://www.city.setagaya.lg.jp/kurashi/107/788/790/d00127490.html

得票順位 当落 候補者氏名 党派名 得票数

1 当 三宅 しげき 自由民主党 39,952

2 当 小松 ダイスケ 自由民主党 28,778

3 当 大場 やすのぶ 自由民主党 28,638

4 当 栗林 のり子 公明党 24,878

5 当 中島 よしお 公明党 24,506

6 当 塩村 あやか みんなの党 23,621

7 当 里吉 ゆみ 日本共産党 22,541

8 当 西崎 光子 東京・生活者ネットワーク 21,503

9 落 山口 拓 民主党 19,016

10後藤 雄一 行革110番 18,470

11花輪 ともふみ 日本維新の会 17,553

12関口 太一 民主党 16,028

13 落 羽田 圭二 社会民主党 12,948

14 落 えびさわ ゆき 日本維新の会 8,638

落選した議員民主党日本維新の会社会民主党、一人会派

東京都議会議員選挙前の支持政党調査

http://www.nhk.or.jp/bunken/yoron/political/2013.html

http://www.tv-asahi.co.jp/hst/poll/201305/index.html

NHK世論調査では維新の会みんなの党の指示はほぼ一緒、報道ステーションでは維新の会投票するか?というアンケートでは19パーセント

みんなの党2013年5月21日維新の会との連携を解消し、自民党寄り政策渡辺喜美党首が擦り寄っていた。

その結果、2013年7月第23回参議院議員通常選挙では8議席を獲得。

前回2009年東京都議会議員選挙では民主党圧勝から民主党惨敗に変わり共産党よりも議席数が少ない野党になった。

2013年落選した山口氏、花輪氏、関口氏は前回の東京都議会議員選挙世田谷区民主党選出都議トップ当選組で、正に自民復権で手のひら返しの結果。

わずか1年の政治家活動アベノミクスに乗って都議転向なんて凄いですね。

から政治家活動前のツイッターではbotよりも酷い発言ばかり目立つのですね。

押尾のニュースを読んで気分が悪くなる。田中さんの両親、自分の娘の事は棚にあげすぎ。ニュースだけ読むと、一方的被害者のよう。助かってたら、一緒に犯罪者です。「普通の人なら

救急車を呼ぶ!」と主張したようですが、「普通の人なら、妻子ある男と役物不倫しません。知るほどに気分が悪い。

https://twitter.com/shiomura/status/24161021159

使い続けるアレルギー持ちの被害者問題がある気がするわ。「茶のしずく」被害提訴、240万円支払い求め - BIGLOBEニュース

https://twitter.com/shiomura/status/116314165982920704

政治活動中にもこんなツイート

大阪に向かう新幹線なう。 猛烈に咳&喉が痛痒く、これまでに風邪薬抗生物質アレルギーの薬も効かずに辛い。今朝はアレルギーの薬を飲みましたが、そのせいか全身倦怠。 困りました。

https://twitter.com/shiomura/status/239179104342134784

スーパー銭湯のリクライニングチェア。隣は咳の酷い子供。周囲は感染するんじゃないかと不安な顔の人も。親は子供置いてお風呂かなと思っていたら来て「咳治らない?うつるといけないから、ここにいなさい」と。この部屋にいる人には感染っていいということ? 親の教育から必要だわ(´Д` )

https://twitter.com/shiomura/status/285709824472276992

一番酷いツイートはこれ。今回の騒動の平成26年第2回定例会の発言と真逆ツイートとは酷い。

東京は都会であるが故に、周囲との関係希薄で、女性妊娠出産育児に関わる悩みを一人で抱えてしまうという弊害があります。こうした問題を抱える女性たちのサポート東京都積極的に進めていくべきで、特に、周囲に相談できる人がいない妊婦さんを支える仕組みはとても重要であり、私も所属をする厚生委員会で、この件についての充実をお願いしてきました。」で鈴木章浩都議に「早く結婚した方がいいんじゃないの?」とヤジられたが、塩村文夏氏は真逆ツイートに対して記者会見して謝罪すべきでは?

そう。私、倖田來未に同情しましたよ。羊水は腐らないけど、的外れでもないなと。@以前批判されたコウダクミさんの発言、あれは羊水でしたけど、生殖器全体ということなら、あながちウソではないということでしょうか??

https://twitter.com/shiomura/status/12931401590505472

最後に、大卒バイト無職支持率の高い政党地方議員ボランティア奉仕して地方議員選挙立候補すれば余裕に当選出来るんじゃね?お給料だってそこそこ良いんだし知名度アップでWin-Winだぞ。

2014-03-12

はてブ不思議法則

http://b.hatena.ne.jp/entry/bylines.news.yahoo.co.jp/nakajimakei/20140310-00033411/

どこが反日上海の大型書店には日本の本が平積みされていた(中島恵)

ブクマみて、久々に思い出したのは2ちゃんねるのあのコピペ


2ちゃんねるでの不思議な現象

http://anago.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1229870800/

アメリカが叩かれる◆

( ´_ゝ`)フーン

イギリスが叩かれる◆

(´・∀・`)ヘー

朝鮮が叩かれる◆

<;丶`皿´><嫌韓厨うざい!! 右翼化傾向!!

<;丶`Д´><ネットウヨクうざい!! 

<;丶`Д´><同じ日本人として恥ずかしい!!

こういうやつなんだけど、はてブでもそうだなと思った。

上のブクマに当てはめて言うと、アメリカ批判嫌米とか反米かいカテゴライズはせず正義意見とでも思ってるんだろうかね。

嫌中韓がダメとと嘆いてるわりには、こういった意見はないんだよね。

反米本なんてないなんていうやつはいないよね?

この都合のいい立場ってどういう思考なんだろうか

いちど聞いてみたい。


やっぱ思うのは、ほんと右も左も韓国中国利用した自己表現に過ぎないってことなんだよね

馬鹿みたいに叩いて、馬鹿みたいに擁護して

あほらしい



お前らアメリカネタにこんな盛り上がらないもんな

馬鹿にできる相手見つけてたたく馬鹿と、そんな馬鹿馬鹿にする馬鹿という構図で、お互い幸せなんでしょうね

2014-02-03

『心の叫びを歌にしてみた』

『心の叫びを歌にしてみた』

鈴木あなたの代わりは どこにもないけど

矢島】私の代わりは いるみたいだね

【鈴岡】明るく楽しく笑顔がいいね

中島最近なんだか 【萩原】ほめられてる気が

矢島】しないというのも 【岡井】よくないよね

矢島】Ah 【岡井孤独な夜は集まってたり

鈴木】顔が見えない分 おしゃべりです

【全員】心の叫びを歌にしてみたわ 伝わるかしら

岡井】誰にも見せたことない 【全員】All on me

鈴木】心の支えは 【矢島】たったひとつだけ 【岡井あなた あなた

鈴木微妙距離感のまま 【全員】愛してる

【鈴岡】あなたにこれ以上 近づけないのは

中島】嫌われないように 【萩原】私が勝手

岡井】作ってることを 【矢島】わかってるの

岡井】Ah 【矢島】涙の自分浸ってる 【鈴木明日の一限目 さぼろうかな

【全員】心の叫びを文字に起こしたら 結構すごいわ

矢島】誰にも見せたことない 【全員】All on me

岡井】やっぱり答えは 【鈴木】たったひとつだけ 【矢島あなた あなた

岡井】ずっとずっ一緒ならいいな 【全員】愛してる

鈴木】心の叫びを【萩原】歌にしてみたわ 【中島】伝わるかしら

岡井】誰にも見せたことない 【全員】All on me

鈴木】心の支えは 【矢島】たったひとつだけ 【岡井あなた あなた

鈴木微妙距離感のまま 【全員】愛してる

2013-11-18

会話のやり方(忘れないためのメモ

ここ数日中島義道と加藤諦三の本をまとめて何冊か読んでいたのであるが、読んでから自分自身かわったのかな?と実感しているところが3つある。

1つは相手の興味関心があるところへ、または相手が話をもっていこうとしているところへ自分も合わせて乗っていくやり方である

これをやると何が違ってくるかというと、会話中自分の話したいことは全然話せないし、仮に今の話題(文脈レベル、文節レベル単語レベルetc.で)に興味があったとしても次の話題になれば、今度はそちらに合わせなければならないということ。今自分が言おうと思ったことに固執するのではなく、それを気にするのでもない。面倒に思うのではなく、つまらないとイジけるのでもない。それよりも相手のペースを見つけること、つかむこと、そしてそのペースを乱さないことを心がける。つまり話の腰を折らないことを大事にした。

しかするとこれを迎合と思われるかもしれない。でもちょっと違うと思う。なぜなら、やっていると気づくのだが、これが案外楽しいから。気負わず心地よい時間に感じたりもするから。これは元々迎合体質であった僕の率直な感想である

本を読んでからというもの、僕にはこの態度が身についていた。身についていた、と言うのは自分からそうなろうと思ったわけではなく、勝手にそのように振る舞うようになっていたかである。本の影響であることにも違いない。

以前であれば、自分の興味のあるところでしか会話のキャッチボールをする意図がなかった。でもいつも自分の都合(好きなテーマ)で会話を推し進める訳にはいかないらしい。会話とは例えるとキャッチボールであり、相手が投げてきたボールはしっかりとキャッチしないといけないらしい。しかもちゃんと相手の胸元に投げ返さないといけないらしい。そしてこの「胸元に」というのがどうやらとてつもなく重要キーワードであることに気づいた。

キャッチボールの基本は、相手の胸元にボールを投げ返すこと。いきなり遠投をしてはならない。それをすると肩(相手との関係距離感)を壊してしまうからキャッチボールをしたことがある人にとって基本中の基本であり、というかそれ以前に当然のことでもある。でもその「ボール」が「会話」となった途端、そんな当然のことにも全く気がつかなくなるから不思議だ。

キャッチボールでは、いきなり遠投(パーソナルな話題、自己開示メッセージetc.)をしてはならない。先程の肩を壊すからという理由に加え、相手がそのボールを取りに行ってくれなければそこで会話は終わってしまうから(遠投すればボールは遠くの方へ飛んでいってしまう。そのためキャッチボールの相手はそれを走って取りに行く必要がある)。身勝手な遠投を続けると、当然、相手からの反応はどんどん薄くなっていくだろう(相手はボールを取りに走らされる。その分だけ疲れるだろうから。もうこんな人とキャッチボールはしたくないと思うだろうから)。

自分の肩の強さ(例えばトーク力)をアピールしても、それが暴投自己満足)になれば、相手にとっては迷惑なだけである。基本は、相手の胸元にきちんとボールを投げ返すこと。それをずっと続けて、少しずつ投げる距離を伸ばしていく。これが肩をならす(相手との距離を縮める)ということ。遠投をするようになっても相手の胸元を目掛けて投げることにかわりはないだろう。要するに、この話は実践から言って「胸元に」を意識するというただそれだけのことだった。

お互い軽い会話もないまま、いきなりパーソナルな話題に突入してしまうことは危険かもしれない。これは早急に仲よくなろうとする人、すぐに告白したがる人、簡単に信用を得ようとする人にとって陥りやすい罠かもしれない。

試合前の練習では必ずキャッチボールから始める。いきなり試合を始める人はいない。でもそれが会話になると、それを当たり前に思っている人がいる。キャッチボール(2人の会話)もまともにできないのに試合(3人以上の会話)をして、当然負けるのだが、そのことに不満をもってしまう。試合に負けて自分は嫌われたかもしれないと不安に思う。そして徐々に試合をしなくなる。不戦敗を続ける。終いに野球人間関係)をやめる。

僕はこれまでこの例え通りのコミュニケーションをしてきたようである自分が興味のある話、つまり自分の胸元に来たボールしかキャッチしようとしなかった。だからといって自分からボールを投げる時は相手の胸元に投げ返すことなど全く意識したことがなかった。

そんなわけだから、この前の自分はいつもと会話の仕方が違っていて、あとあと考えると上記したようなことを無意識に気づいていたからかもしれないと思った。相手の胸元に投げる、そして投げ返されたボールはちゃんとキャッチする。そんな当たり前とも言える行為は思いのほか楽しかった。

2つ目は、無理に笑顔を作らないこと。笑う門には福来たるだから、いつもニコニコしていることは大事かもしれない。でもこれをやってても自分がちっとも楽しくない。ニコニコしていれば自然と嬉しい気持ちになるということは科学的にも正しいと、どこかで話を読んだような気もする。でもそれは嘘だと思った。

ニコニコ仮面をつけて本当の自分(本当の自分情動感情よりもう一段階深いレベルの何か存在的なものをここで想像する)を隠し続けるのは、人間関係を見かけ上うまく円滑に回すには役立つ。しかしそれでは本当にわかりあえたことにはならない。わかりあえない関係から、それはつまり友達のようでいて友達ではない。具体的には、いざというとき(窮地を救うため相手が報われない犠牲を大いに払わなければならないとき)に助けてくれる友人が一人もいない状況になる。それにニコニコ仮面は疲れる。疲れるからあんまり人と関わりをもちたいと思わなくなる。これは自然感情である。僕としては、顔がひきつってしま自分が嫌だったから、まわりのニコニコ仮面の人たちを見ていて信頼できなかったから、自分はこの仮面を外したいと思った。(あっ、なんかこう今はニコニコ動画というのがあって、あれは動画にもよるけど、けっこう辛辣コメントが書いてあったり、もうどうしようもないくらいの罵詈雑言が飛び交っていたりする。ニコニコ動画なのに。なんとなく現実もこれと同じかもしれないと思った)

そもそもなぜ僕はニコニコ仮面をつけるに至ったか。それはそのほうが得だからである。表面上誰からも嫌われない。安全に生きることができる。ニコニコ仮面ときどき空回る。ニコニコ仮面ときどき顔がひきつる。ニコニコ仮面は実はまわりの人を嫌っている。まわりの人が信用できない。だから社会的に評価が高いとされているニコニコという名の仮面をつけるに至った。仮面の下にある表情は増悪にみちているかもしれない。たまに素でニコニコした表情の人がいるかもしれない。その人は自然であるから、いつもニコニコはしていない。いつもニコニコするのは不自然である。そしてこれが仮面の特長である

というわけで、なぜか突然、仮面を外したい気持ちになった。ニコニコ仮面を外せば、今までの自分が、表面上ではあるが、積み重ねた評価が一気になくなるように思った。だけどこれは幻想だと自分に言い聞かせた。

やったこと自体はすごくシンプルである。いつもニコニコすることをやめた。会話しているとき面白いと感じられたところだけ笑うようにしていた。誘い笑いもできるだけしないように気をつけていた。ばつが悪くても笑ってごまかさないようにしていた。とにかく、できるだけ笑うことを控えようとしていた。

結果、人との会話の中で、久しぶりに心から笑いあったような実感があった。ニコニコ仮面同士ではなく、どちらかというと素の会話ができるようになっていたんだと思う。とても面白かったのはニコニコ仮面をしていたよりも少ない会話数で、感情はより大きく動かされていたこと。共感するってこういうことか…それが懐かしかった。

3つ目は、沈黙を恐れないこと。沈黙時間が続くのが怖い。自分がこう思うとき沈黙意味は、つまり相手にとってあなた自分)との会話がつまらいからであり、あなたとは気が合わないかもしれないということである。みんなから好かれたい自分とって、これは、これだけは何とか阻止しなければならない。つまり沈黙は一切つくってはならない。僕は必要以上に沈黙を恐れていた。友達との会話であれば、話が途切れないよう、いつも次の話題のことも考えながら話していた。

それくらいに沈黙を恐れていたのであるが、ある時、ふっと沈黙があってもいいと考えている自分がいた。そしてそれを素直に実行している自分がいた。そこで気づいたのは、沈黙がある種絶妙スパイスのような働きをしていて、会話の本当の旨味成分を引き出してくれているのではないかということだった。

そういう沈黙があってもいいということを、ふと思わせてくれた(中島加藤の)本だったと今にして思う。人に嫌われることを恐れるのは現実を逃避している証拠であるように感じられた。たぶん絶対何かしらの点では人から嫌われているんだろうなぁ、と素直に納得できた。自分もそうだが、いくら尊敬している人に会っても、いくつか欠点のようなものは必ず露出してくるだろう。それを見たときに感じる何かがあるはずである嫌悪感失望感もそうだろう。それを見てみぬふりをするのは簡単で、相手を信じようとする気持ちと言えば尊い感じがするけど、それがせいで人嫌いになったのではあまりに残念だと思った。

相手の100%を好きだと感じられ、それは将来においても変わらないだろうという考えは、例え確信があっても嘘だと思う。そんな友達は死んでもできない(と、僕は思っている)。一番自然なのは好きなところ50%嫌いなところ50%の配分だろう。そう言っても他人のことなんてよくわからない。そもそも表面上の意識で考えようとしてわかることは限られているのかもしれない。根っこにはもっと大きくて広い世界無意識)があると思う。

しかすると自分が「嫌いな人」に感じる成分配合は→好きなところ49%嫌いなところ51%、「好きな人」→好きなところ51%、嫌いなところ49%と、ほんとにそれくらいの違いしかわかっていないのかもしれない。それくらいのことで好き嫌いを分類しているのかもしれない。

これまでの僕は人の(自分のことも含めて)新しい一面を見ることを恐れていた。自分が誰かに失望してしまうことが怖かった。それが尊敬している人なら特に。そういうわけだから、ある程度仲良くなると自分から人を避けるようなことをしてしまっていた。よく初対面の人の方がむしろ円滑にコミュニケーションを取れると言っている人がいるが、まさにその状態だった。だがそれ(好きな人に対して失望を感じてしまうこと)はもう人付き合いをするうえでどうしても避けられないようである。だったらこの失望いかにしてうまく付き合っていくか。そもそも付き合っていくとすれば相手の(失望の)存在を認めるところから始めなければならないだろう。

これまで人を嫌ってはいけないという考え、信念(毒薬?)に頭をもっていかれていたように思う。今では人を嫌うことは自然感情のように思う。むしろみんなのことが嫌いでもいい。嫌いだけど好きなときもある。そう思って暮らしていると自分も人から嫌われているんだなぁという、それも当たり前の現実が見えてきた。好きな人尊敬している人からも、であるお互い様だったんだ。そう思うだけで気持ちは楽になった。仲がいいっていうのは、相手の嫌いなところはいっぱい知ってるけどそれと同じくらい好きなところもいっぱいあるし、自分もそうやって見られていることを素直に諦めたような関係だと思う。

恐れていたこと(そっと嫌われる)は現実であったけども、その逆(そっと好かれる)も現実だった。

2013-10-01

ちったあ調べりゃいいのに

元記事に情報が不足してるのは確かだけど、これ米国医学会では数年前から知られてたことよ。

以下PDFにまとまった日本語レビューがあるがあるから読んでみ。


人工甘味料と糖代謝 ―2000年以降の臨床研究から―

日本栄養食糧学会誌 第 66 巻 第 2 号 69‒75(2013)

斎藤 雅文,堀 由美子,中島

そんなの知るかって? 日本語で簡単にアクセスできるところにも

色々この話は出てたと思うんだがなあ。

【健百】ノンカロリードリンクは太らない? | あなたの健康百科

2011年米国糖尿病学会で、約9年半の追跡調査の結果、ノンカロリードリンクを飲んでいる人は飲まない人と比べて腹囲が70%以上増加し、ノンカロリードリンクを1日2本以上飲んでいる人は、飲まない人と比べて腹囲の増加率が6倍近くだったとの発表がありました。



記事の論理的思考をどうこうあげつらう指摘を増田に書き連ねる前に

(はっきりいってその指摘も全く的外れだとおもうが)

ファクトベースちょっと確認作業をしてみることのほうが

時間の使い方として有意義なのでは?

http://anond.hatelabo.jp/20130930133806

2013-08-30

いま聴いている言論系番組

最近ネットで欠かさず聴いている言論系ラジオ番組は、

荻上チキ・Session-22ではなく(笑)、コレ↓

 

月刊 中島新聞 

気鋭の政治歴史学者中島岳志さんが、蔓延する単純化とスピード化に徹底的に抗って、いまじっくり考えるべきテーマを、この人ならではのゲストをお迎えして、じっくりと語り合う90分。毎月の時評と書評も出色の、わかりたいあなたの必聴トーク

http://www.radiodays.jp/series/show/52

 

以前から放送されていたけれどだんだん良くなってきた。

有料なのでちょっとという人は、無料番組で試し聞きできます

 

Ustream.tv試聴アーカイブ

月刊 中島新聞2013年6月号 (映像)

http://www.ustream.tv/recorded/34108599

映像ファイル

http://vodp27.ustream.tv/0/1/34/34108/34108599/1_4516521_34108599.flv

 

中島先生は、少し以前、札幌コミュニティFM局・三角山放送で

フライデースピーカーズ」というラジオ番組パーソナリティやっていました。

月刊中島新聞は「フライデースピーカーズ」よりも自由度を増した

いい番組です。

 

2013-08-27

魔法少女プリティ☆ベルは良質な少女凌辱漫画

タイトルなんて釣りに決まってんじゃん?

まぁ強いて言うなら、とある一人の魔法少女が、作者という絶対強者の手によって、自らのアイデンティティを嬲られ続けて。

ただひたすら作者の持論を発表するだけのただのスピーカーキャラにまで成り下がっていく様を1~11巻に渡って楽しむことが出来ます

哀れで可憐な愛すべき我らが魔法少女名前美咲えり

この漫画で2番目に不憫なキャラクターです。

四代目プリティベルとして華々しくデビューするはずが、なぜかおっさんのボディービルダーにその座を奪われてしまう。

その後、表紙との辻褄合わせのためか、取りあえず美咲えりも魔法少女にしたはいいけど、まぁ当然この作品で普通魔法少女普通に活躍する機会なんて与えられるわけもなく、「超膨大な魔力」とか言う鉄球足にはめられて海にドボン

めでたく物語の本筋から強制排除の運びとなりました。

それと前後するようになぜか急に経済学に目覚めたえりちゃん。

最初の方は目をキラキラさせて担任住吉先生経済学の素晴らしさを説くレベルだったんですよ。まぁ、ほほえましいもんですわ。

が、次の場面ではいきなり住吉先生電話口での罵り合い

美咲えりが南軍の学校を見に行ったときディベートの基本についての話聞いて感銘受けてたのは、この電話口での口論の前だったか後だったか……。

10巻では、ついに担任先生ぶっ壊れて学校やめちゃいましたよ。いつの間にか新自由主義者にされてね。

いやぁ、マジで人間が壊れていく様がつぶさに観察できますよ。もちろん壊れてるのは美咲えりの方ね

担任先生も壊れてはいるんだけどね。ここの部分さ一応美咲えりVS住吉先生なわけじゃないですか。

びっくりするぐらい先生側の描写無いですからね。

最初覚醒時には住吉先生は、度胆抜かれて何も言えなかったし、電話での口論のシーンでは美咲えりが一方的にがなりたててる部分しか描かれない。

10巻に至ってはもういない担任先生に向かってひたすら罵詈雑言ぶつけてるだけですからね。

ていうか、住吉先生の態度が負けた「主義者」のそれというなら、美咲えりの態度は勝った主義者のものだよね。

えーと、えりちゃんディベートおい大事ことが何か君は分かってるはずじゃなかったっけ?

やっぱり、理論実践全然違うってことなんですかね。

とにかく徹底して美咲えり(つまり作者)の意見を述べるだけで、新自由主義者であるところの住吉先生意見ほとんど見られない(最後発狂しているで「公共事業乗数効果がある経済合理性がある」と言っているくらい)。まぁ作者が知らないから書けないんだろうけど。

あ、ちなみにこの担任先生この漫画もっとも不憫なキャラクターです。ぶっちぎりでNo.1、たぶん誰も追い越せない。

それこそ登場時はただのモブキャラだったのに作者が(美咲えりというスピーカーを通して)自分意見をぶつけるためのサンドバック役として、急に新自由主義者のラベルを張られ、散々自らの生徒に罵倒された挙句、論争に負けて発狂した間抜けピエロとしてこの物語から葬りさられました。

命を失う描写が描かれなかっただけで、間違いなくこの教師は作者の手で殺されました。魔法少女プリティ☆ベルは彼の死をもっと悼むべき。

そして彼のキャラ紹介欄の半分は新自由主義者共産主義者に対する罵倒で埋められている。

あぁ、そうか住吉先生新自由主義者だけでなく、作者が良しとしないすべての経済理論権化としての属性も与えられていたんだね。

そりゃ、発狂するまでボコボコにするわ。

バトル漫画かませ犬だって、敵の強さを読者に分かりやすく伝えるという物語の進行上での役割を与えられているってのに

このくだりが本編に一体なんの関係があるのんですかね? ここの描写削ったとしてもストーリーに何の影響もないと思んですけど。

んで「勝者側」の美咲えりも11巻では出番無し。

巻末の、なんだこれ? おまけコーナーで、長々~と長文で国家運営における全体視の必要性について語ってました。

作者のスピーカーキャラ美咲えりの完成ですわ。

負けたらお払い箱、勝っても上の人間スピーカー

見事に「主義者」同士での諍いの末路を表しているのは見事だけど、どこまでも本編には関係ないのよね。

ここで美咲えりが語っている内容は、おそらく本編でのイタカ中島説教するシーンで言えなかったこと、書ききれなかったことなんじゃないですかね。

政治経済について語って頂いておおい結構自分意見を反映するのも大いに結構

ただちゃんとやってくれ。

ただスピーカーからだらだら自説を垂れ流すだけなら、漫画でやる必要ないでしょう。

そういうのは今後ブログツイッターでやって下さいな。

2013-08-19

雑感:橋下氏を批判 出版中止 中島評論権力への過剰忖度」/東京新聞

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2013081802000119.html

(魚拓)http://megalodon.jp/2013-0819-0221-34/www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2013081802000119.html

中島岳志」、「森本智之」でググる

中島岳志氏=2013年4月 - 朝日新聞紙面審議委員、 毎日新聞書評委員に就任。ぼっさんに似てなんかいないです。

森本智之氏=若手でイケメンらしい。


2012年

言論誌「表現者」に連載している内容を見たNTT出版が「本にしたい」と申し出た。

2012年10月19日

週刊朝日 連載記事「ハシシタ 奴の本性」同和地区について「不適切な記述」があったとして謝罪を行い、2回目以降の連載を中止を決定。

2012年11月12日

週刊朝日 尾木和晴編集長代行、篠崎朝日新聞出版社長代行、中村正史の三名が橋下のもとを訪れて直接謝罪

http://ja.wikipedia.org/wiki/週刊朝日による橋下徹特集記事問題

2012年末>

編集者から「第三章が社内で問題になっている」「親会社がNTTという公共企業なので、特定の政党政治家への批判は問題」と伝えられた。

http://www.shinchosha.co.jp/book/302752/

リベラル保守」宣言 中島岳志 著

第三章 橋下徹日本維新の会への懐疑

グレイト・リセット」など実行してはならない/ラディカルな破壊主義/「中央政治をぶっ壊す!」という愚行/伝統技術保守すること/具体的伝統を欠いた愛国心危険

2013年2月6日

NTT出版の幹部に呼び出され「第三章全文を削除してほしい」と求められた。中島氏が断ると、「残念です」とその場で出版中止決定。

2013年6月末>

新潮社から刊行



中島岳志

「急に問題視されたので時期的に『週刊朝日』の問題が影響していると思った」と話す。当時、橋下氏をめぐる同誌の連載が不適切な記述のために中止となったことを受け、出版元の朝日新聞出版親会社朝日新聞がたたかれていた。中島氏は「権力への過剰な忖度(そんたく)だ」と批判。新潮社版の「あとがき」で、経緯を詳述した。

え〜っと、あの記事書いちゃったら世間から【たたかれていた】。てへぺろ(・ω<)


NTT出版斎藤博出版部長

「特定の個人や団体の利益になる本も、不利益になる本も出さないことにしており、週刊朝日の問題とは関係ない」と説明。「親会社意向が影響することもない。社として本の内容をきちんと把握できていなかったことが対応遅れの原因」と話し、橋下氏への配慮を否定した。

東京新聞 森本智之氏

NTT出版は今年一月、佐伯啓思(けいし)・京都教授の「文明的野蛮の時代」を出版。その中には、民主党政権を振り返り「友愛などという言葉お茶を濁されては事態は一歩も進まない」「『政治主導』どころではない」などと、厳しい批判を連ねた箇所がある。

相手次第で方針が違うようにもみえるが、斎藤氏は「(佐伯氏の本では民主党を)引き合いに出しているだけで論点は別」と説明する。

確かに民主党政権を批判している"章"は無い。

http://www.nttpub.co.jp/search/books/detail/100002232



東京新聞『橋下氏を批判 出版中止 中島評論権力への過剰忖度」』

橋下氏を批判ってあるけど、何に対して批判してるの?  主語は何?? まさかNTT出版出版中止するように橋下氏が圧力をかけたようにみせかける???

修正:『中島NTT出版を批判 出版中止は「権力への過剰忖度」』



中島氏は「これでは自由な言論活動などできない」
自分の主張と違う意見への寛容度が下がっている。ネット上では特にその傾向が顕著で、すぐに大バッシングにつながる。自由に自分意見を言いにくい時代になってきた」と懸念する。

【自由】って言葉好きです! 反対意見嫌いです! 議論苦手です! "スルー"力 ないです! 自分は間違う事ありません!



参院選でも自民党が大勝した。橋下氏の例を持ち出すまでもないが、権力一極集中すれば、反する主張は言いにくくなり、過剰忖度自己規制の働く余地は大きくなる」

参院選でも民主党が大勝した。小沢氏の例を持ち出すまでもないが、権力一極集中すれば、反する主張は言いにくくなり、過剰忖度自己規制の働く余地は大きくなる」

って言ったっけ?



マガジン9

http://www.magazine9.jp/hacham/111109/

9は憲法9条の9!

2013-08-10

エリート層の厚さが、戦前現代では桁が違う

かなり以前に「戦争会社が始めた」というトゥギャッターがあった。

http://togetter.com/li/536085

自分もその意見同意で、「戦争財閥が始めた」と言い換えた方がより文意は伝わると思った。

(それも三井三菱住友の在来財閥よいうより、鮎川中島のような新興財閥が始めた)

戦前企業人がそのまま多数閣僚や代議士になってたりしてるし、

当時の関係者日記や回想録の類を見たら企業人と軍人政治家の「近さ」を実感できる。

で、この背後にあるのが、

戦前エリート層(財閥幹部・軍人官僚学者)の人数自体が現代よりも遥かに少なくて、

 全員が『知り合いの知り合い』に収まっていたからでは?」と思う。

感覚論だか、戦前エリート人口が1万人程度だったのが、現代では100万人程度に肥大化しているんじゃないか、と思う。

人間、知人友人の数は100~200人程度が上限らしいが、戦前のようにエリート人口が1万人に収まっていれば、

「●●さんは▲▲さんの知り合い」という感じで、割とエリート同士で「一体感」が醸成されていたと思う。

しかし、戦後日本農業国家から工業国家企業国家に転換し、技術者中間管理職が多数必要になったから、

エリート層の人数も増えてきて、1万人じゃ収まらず100万人程度は必要になってしまった。

こうなると、戦前の「旧き良き時代の、エリートインナーサークル」という訳には行かない。

100万人ともなると、「知り合いの知り合いの知り合い・・」という感じ程度でしかなくなる。

一回、戦前の旧東京帝大の学生数と、今の東大学生数を比較したい。

今の方が相当学生数多い気がする。

で、最近低学歴高学歴じゃ、住む世界が違う」的ホッテントリがあるが、

http://anond.hatelabo.jp/20130809115823

高学歴側(エリート側)がいまいちこの内容にピンと来ない一因として、

エリート層が肥大化してしまい、戦前のような一体感喪失しているから」じゃないか、とも思う。

戦前現代も、「エリート層とそうじゃない層だと文化言語も違う」という点では割と共通しているが、

戦前現代の違いといえば「エリート層人数が桁違いに増えているので、彼らの間の連帯感が喪失してるから」という気がする。

フェイスブックは、その辺の連帯感を取り戻すためのツールだったのかも。

2013-01-27

http://anond.hatelabo.jp/20130127173901

元増田はたぶん、このニュースを受けての日記だと思うけど。

http://www.ekikara.jp/newdata/ekijikoku/1101011/up1_11206041.htm

踏切自転車の小5はねられ死亡…遮断機なし

18日午後4時25分頃、埼玉県行田市桜町秩父鉄道踏切で、自転車に乗っていた同市小見、小学5年の中島翼君(11)が、影森羽生行き上り普通電車(3両編成)にはねられ、全身を強く打ち死亡した。

秩父鉄道って、どれくらいの間隔かっていうと、↓を見れば分かる通り、ラッシュ時ですら1時間に4本。平日昼間なら1時間に2本の閑散路線。

http://www.ekikara.jp/newdata/ekijikoku/1101011/up1_11206041.htm

2両目右側に、自転車と接触した跡とみられる傷があった

ことから電車が先に踏切に入って、後から自転車が入っているから、自転車側の過失が大きい。

2013-01-07

http://anond.hatelabo.jp/20130107183202

フランスはそんな感じやね。

パリの女は産んでいる―“恋愛大国フランス”に子供が増えた理由: 中島 さおり」

これ読んで彼女認知を求めてるんだけど認知を渋っている男性の話が出てきてて、まぁフランスにはそういう一面もあるよな、と。

基本的にイケメンは種付けをする。認知はしなくていい(してもいいが)。結婚しなくていい。

複数女性に種付けしたい男性にとっては良い国でもある。

また独身女性の自立心も高くシングルマザーでも就業率は高い。

税金って観点だと特別にブサメンの税率が高いとかはないようだが。

2012-12-17

注意「出会い系詐欺芸能人をの装った悪質な出会い系サイトが急増、

下記は少し古いですが一時期ニュースで騒がれたお笑い芸人オセロの「中島知子」さんを装ったサクラ出会い系詐欺メールです。

[差出人]

芸人中島

[件名]

世間を騒がせてる中島です。相方の松嶋が憎い…

[本文]

現在、外出もしておらずテレビも見ない生活を続けてるのでどういう状況、どういう伝わり方になってるのかは分かりませんが、私は何も悪くない。

しかしこのままだと本当に人との繋がりがなくなってしまいそうなのでサイトに登録しました。面倒、怖そうというイメージを持たれてるかと思いますが私と仲良く接して頂けないでしょうか?

そこでプロフィールをチェックしてみたところ、写真は登録されておりませんでした。

このメールは、間違いなくサクラを使った出会い系詐欺と思います

心身喪失状態と思われる芸能人名前を使うとは、かなり悪質です。

最近この業者は、他にもジャニーズの嵐の松本潤さんや桜井翔さん名前を使ってメールを送信してきます

そのジャニーズ男の子が、どうしても私と仲良くなりたいからと、200万円分のポイントを用意してくれたそうです。

このお知らせはサイト事務局から来ているので、間違いなくサクラ詐欺です。

ちなみに運営会社海外となっています。こういうところをみても悪質な出会い系サイト詐欺だと言えます

芸能人を装う出会い系サイトからメールはまず詐欺と思ったほうがいいと思います

警視庁サイバー犯罪対策課 http://www.keishicho.metro.tokyo.jp/haiteku/

警視庁サイバー犯罪対策課では、サイバー犯罪に係る相談情報提供電話で受け付けています

電話相談 03-3431-8109 受付時間は、平日の午前8時30分から午後5時15分までです。

夜間及び祝日・土日曜日は、相談業務を行っていません。

ロイズ司法書士事務所 http://www.lawiz.net/sagi/deai/

出会い系詐欺の返金を成功報酬にて依頼できる司法書士事務所

無料相談0120-519-511

2012-11-07

俺はサザエさんフリークだ。

日本総国民がサザエさんを見ていると思うが、中でも息の長いファンだと言いたい。

よく、サザエさんを見ないと月曜が始まらないとか言うが

俺としては、四六時中「サザエさん」を録り込んだテープを回してるわけで

いつが月曜だか日曜だか、週感覚がなくなってきている。

うちの旧式のVHSビデオデッキの録画スケジュールから

サザエさん」が消えたことはない。

さて、「サザエさん」は主に2人の脚本家執筆している。

雪室俊一城山昇だ。

1話ごと、この2人のどちらが担当する回かを把握しておくことで

より楽しむことができる。

意識して見ているとだ、よりぬきサザエさんから引っ張ったようなエピソードでも

明らかに傾向が見えてくる。

雪室俊一。68歳の大ベテランで、時折あれ?と思うような昭和の古臭さを醸し出す。

このセンセの回はとりわけ子どもネタ振りに使うことが特徴的だ。

特にタラオ。

タラちゃんが、妙にませた物言いとんちんかんな事を言い始めたら

大抵、雪室作品だ。(2択なんだが)

よくあるパターンは、大人の会話を盗み聞きして、

タラ流なルールで使い始めるというもの

「おじいちゃん、○○は△△なんですぅ」とか自信たっぷりに言うと、

マスオ辺りが真に受けて、ますますタラオが増長し、

今日も磯野家はてんやわんや、、というパターン

幼いタラオをダシにした、微笑ましい大人目線のエピソード

こういった回が俺は大好きなんだが、その楽しみ方はちょっとヒネている。

雪室先生の豪腕は、大抵が超強引なオチ(もしくはオチなし)で締めくくられるからだ。

ドリフだと、セットがどがちゃかに壊れてそのまま次セットと入れ替わるような感じ。

始まったらまずタイトルを確認。

(実際は前の週の予告の時点で、「タラちゃん 小説家になりたい」とか

怪しげなタイトルを見た時点で一週間胸がワクワクしっ放しなんだが)

で、子どもが絡みそうなタイトル且つ、次に脚本家雪室俊一名前を見たら

その回は“当たり”だ。超強引なラストが待ちうけていることが確定。

後は、誰が、どう強引にオトスのかを予想しつつ、そのオチパターン脳内

1話10分の間に『よりぬきサザエさん』の膨大なエピソードの中から探していく。

アニメサザエさん」は、大抵1話の最後に、

その回の流れに かするくらいのエピローグエピソードが入っている。

これ、必ず長谷川町子4コマ漫画オチから引っ張っているんだが、

どれが使われるかなかなか当たらない。

うちにある68巻ぶんの『よりぬきサザエさん』と、

俺の見続けている20年以上の放送傾向の中から探るわけだが

こいつが相当に難しい。過去問だけじゃ試験突破できないということか。

特に最近雪室俊一脚本には新しい傾向が入って来ている。

そいつが、カツオと花沢さんのエピソードだ。

10年、20年前にはなかった、この少年少女が二人きりで行動するような回が

ここ数年の間、頻出している。

進学塾なら講師が花丸つけるくらいの、要注意ポイントだ。

昔、花沢さんがイイ女だ、という話をここで書いた記憶があるが、

最近の花沢さんは、着々とカツオとの二人っきりの時間を持ち、

要所要所でカツオサポートし 磯野家にも頻繁にあがりこむようになってきた。

花沢不動産にて、親のいない間に二人で密談する回なんてざらだ。

もしクラスメートに見られたら噂になっても仕方ない状況だし、

このカップル誕生のお陰で中島カオリちゃんの登場回数が激減している。

こいつは、雪室の陰謀だ。雪室俊一カツオと花沢さんをくっつけたがっている。

そういった目線で見ていると、実に花沢さんのアプローチが的確で、

カツオもまんざらではないという形が出来上がっているか分かってくる。

そんな、脚本家に ひいきにしているキャラクターがいると“思い込んで”見るのも

楽しみ方の一つだ。

そして、ひいきキャラにもブームがあることも覚えておくといい。

実際、今はタラオ>イクラ、だし

(昔昔はイクラが最強だった時代が確かにあった。政権交代したようだ)、

フネノリスケジョーカー的な存在である

ここ最近ノリスケぎゃふんと言わされる回にはまず出会った事がないし、

フネは常にスーパーウーマンだ。

俺の中ではフネ最強伝説がある。

フネ波平を手の平の上で転がし、波平のちょこざいな隠し事なんぞ

フネは全て把握している。

そう“思い込んで”見ると、フネの言動の端々に

ギラッと光るものが隠されているのが見えてくる。おーこわ。

そして、サブキャラ子どもへの思い入れが強いのか、

よく主役であるサザエが置いてきぼりにされる。

続けて意識して見ないと分からいかもしれないが、

サザエはお飾りの存在だと思う。

どうも、雪室俊一は、古典的な話作りが芯にあるのか、

起承転結、序・破・急の構成が強く分かりやすい。

原作通り、実に4コマ的で、出だしから先読みできる。

雪室俊一脚本サザエさんはもう、

予想ゲーム推理ゲーム感覚で割り切って見た方が、断然面白い

子ども中心に見るのと、大人中心に見るのとで、

全く捉え方が変わってくる。

そして今日も、俺はタラオエピソードを心待ちにしている。

カツオと花沢さんの密会にドキドキする。

そして次週予告でじゃんけんの前に

タラオがメインってことは・・・・・・雪室俊一か!」と一人ごちる。

脚本家雪室俊一で見るサザエオススメだ。

2012-05-20

http://anond.hatelabo.jp/20120519222122

もともとの設定が「男性の反対をおしきり、無理やり出産してしまった女性」だからなぁ。

無理やり出産、ってところで「子育て責任女性が負う」って女性側が了承してんじゃないの?

子育て責任を女だけに押し付けてるんだもん。

男性側の意見を汲み取る余地なし、だが責任は負え!ってのはないんじゃないかなぁ。

男が逃げられる仕組みなら女は誰も産まないしいずれセックスもさせなくなるよ。

基本、哺乳類動物のメスはオスを良く吟味するね。95%くらいの哺乳類のオスは育児参加しない。

結果、メスは簡単にはセックスはさせない。

女性性的自由」を訴えてきたのはフェミニズム(上野千鶴子さんとか)だね。 その結果、ずいぶん開放的になったと思う。

君の考えている「セックスもさせなくなるよ」って感覚は、しごく真っ当な感じがするよ。

から律子育て税として税金を徴収して育児をする女性補助金出したら?

子供手当て(育児手当)がそれなんじゃないの?子供の数に応じて補助金を出す。

子供社会が育てる」って考え。その考えは正しいと私は思うよ。

この場合、「男から徴収」ではなく広く国民全員から徴収してるって形だね。未婚、子育てしない女性いるからね。男女平等にね。

手当ての金額が妥当かどうか、は議論されてよいだろうが。。。

あとフランスなんかも「子供社会が育てる」という国らしいね

子供社会によって庇護される(母親が庇護されている訳ではない)。 母子家庭でも母親仕事してるし、育児もできるようになってるらしい。

ので、別に夫に逃げられても平気、というか夫は妻に愛がなくなった段階で離婚して他の女性恋愛関係になる

(母親観点で見ると、それでも子供の養育はできる)

女性にもやさしい、男性恋愛もしやすくする、という形で出生率が徐々に上がってきている、というのがフランスだと思う。

(この話は「パリの女は産んでいる―“恋愛大国フランス”に子供が増えた理由: 中島 さおり」あたりにあったと思う)

まぁ、フランス場合女性の自立心が高い(専業主婦なんてない)、って背景もあるんだろうけどね。

2012-04-11

オウム真理教ナウい教化法”を実践した広瀬死刑囚手紙 vol.1

オウム信者であり、地下鉄サリン事件実行犯の広瀬健一氏が、平成20年大学生へ向けて書いた手紙忠告)をまとめました。

目次はこちら

【vol.1「カルトに係わる契機」】

【vol.2「宗教的経験(前半)」】

【vol.3「宗教的経験(後半)」】

【vol.4「恐怖心の喚起」】

【vol.5「規範意識を変容させる集団」】

【vol.6「まとめ」】

初めに

Q&Aオウム真理教 ―曹洞宗の立場から― | 曹洞宗 曹洞禅ネット SOTOZEN-NET

上記事は1995年に書かれたそうですが、非常に面白かったです。特に、この宗教界からオウム真理教へのAnswerの一つとして

若者たちの超常的ニーズに応えたオウム真理教ナウい教化法

が挙げられていましたね。同様に

若者宗教志向性は今後どのように展開するのか、それにたいして教義・教学はどう対応するのか。こうしたけっして容易でない問題への組織的取り組みこそが、いま教団内で強く求められているのではないでしょうか。

と前述のエントリで書かれていますが、一般人である私たちこそ(まさに自分も学ぶべきだと)理解すべき項目は全く逆で、特定の宗教比較した“教義や教化法の差”ではなく、それを信じてしま人間側の“信仰生成過程不可思議さ”でしょう。何故なら人は何かを“信じる”ことなしに、決して生きられず、常にオウムのような組織や教化法と隣合わせに生活しているからです。一度信仰を持った人にとって、その世界観は絶対であり、いくら一般的な通念に反した教義だとしても、自分の方が正しい生き方を貫いていると固辞してしまます

では頑な信仰は、一体どのように形成されていくのでしょうか?そして今の時代を生きる若者宗教志向性は、時代によって変化しているのでしょうか?

この問いの核心に迫り、私が最近読んで非常に共感した文章があります。それがオウム信者であり、地下鉄サリン事件実行犯、広瀬健一氏の獄中手記です。

ところで、この文章を執筆している私ですが、昭和平成のちょうど狭間くらいに生まれました。“地下鉄サリン事件”は、平成7年1995年)に起こり、当時から今でも語り継がれている重大な事件です。ただ、私が育って物心がちょうど付いた頃くらいから“オウム真理教”や“松本智津夫被告”という言葉TVから流れており、事件の顛末は当事者としてあまり覚えておらず、どちらかと言うと阪神淡路大震災TVニュースの方が記憶に残っていますしかし、私と宗教との関わりは、大学生活が始まってから急速に近づきました。端的に言えば、一般的に「カルト」と呼ばれる宗教団体出会い(当初は、そんな様子を見せずに近づいてきた)、教えを受け、それを忠実に守る人生を送るところだったからです。途中で教えている内容に懐疑を持ち、ネット検索して団体の性質を知り、自ら関わりを絶って忠実な信徒になることを避けられました。ただ、まさか自分カルトにハマるとは思っておらず、今考えるとかなり勉強不足、世間知らずの人間でした。それから自分でも宗教人間信仰・思考に関する本を読み漁っており、つい半年程前に広瀬氏の文章に出会いました。

『オウム元信者広瀬健一氏の手記「学生の皆様へ」』(2008年公開)

※綺麗な字ですね。ちなみにvol.6の最後に、関係するリンク先を全て記載しています

この文章は獄中に居る広瀬氏が平成20年執筆した文章で、総量はA4で59枚、約3万文字もあります。この手記自体はフェリス女学院大学学生に向けてカルト予防のための講義を行うに当たり、藤田庄市という方がその資料として広瀬氏に執筆をお願いし実現したそうです。昭和63年頃、まだオウム無名の団体だった頃。自らが、“オウム真理教ナウい教化法”にハマり、染まり、ついには地下鉄サリン事件の実行犯になってしまった広瀬氏。オウムと係わる中で、どんな心理状況に陥ったのか。広瀬氏は本や研究論文も参考にしながら自身の宗教経験に言及しています。(実際に読みたい方のために、各項目できる限りAmazonや記事のリンクも記載しました。)オウムと禅の比較や、カルト組織の特徴、スピリチュアルにも言及されており、非常に貴重で興味深い内容です。最近オセロ中島氏と占い師との共依存関係が話題になり、洗脳マインドコントロールの話も耳にするようになりましたね。この文章は長いので、時間がある際にじっくり読んでもらい、もう一度カルト存在洗脳信仰に対する認知を深めてもらいたいです。

そしてできるなら、FacebookTwitterでこの記事をシェアしてもらえないでしょうか?大学に入ったばかりの新入生は、カルト存在にリアリティを感じられないはず。サークルの勧誘期間中は、カルト教団の一番活動し易い時期だからこそ、この警告を全国の大学生にも読んでもらいたいのです。本当に、私の二の舞になって欲しくありません。また、原文を忠実にテキスト化していますが、他人の文章のため間違っている箇所があればぜひ指摘して下さい。(何箇所か英文もテキスト化できていません。どなたかテキストにしてもらえませんか?追記致します。)

最後に、地下鉄サリン事件を通じて亡くなった方のご冥福をお祈りすると共に、オウム真理教、並びに全国のカルト教団を通じて被害を被った方々の苦痛が、一刻も早く和らぐよう祈っています

学生の皆様へ

 「生きる意味は何か」―皆様は、この問いが心に浮かんだことはありますか。

 この質問から私が始めた理由は、それが皆様の年ごろの人たちが抱きがちな問題であり、また、若者が「カルト」に係わる契機ともなるからです。

 オウム真理教による事件以降も、「カルト」に対する警戒の呼びかけにもかかわらず、その被害が跡を絶たないようです。そのために、「カルト」に関する講座が貴公に開設されたのでしょう。そして、講師の方からカルトへの入会を防止するための手紙」を皆さま宛に書くようお話がありましたので、引き受けさせていただきました。それが私の責務と思われたからです。

 私は地下鉄サリン事件の実行犯として、被害関係者の皆さまを筆舌に尽くし難い惨苦にあわせてしまいました。そのことは心から申し訳なく思い、謝罪の言葉も見つかりません。また、社会の皆さまにも多大なご迷惑をおかけ致しました。その贖罪は、私がいかなる刑に服そうとかなわないと存じております。せめて、このような悲惨な事件の再発を防止するための一助になることを願い、私の経験を述べさせていただきたく思います

カルトに係わる契機

 前述のように、「カルトへの入会を防止するための手紙」を依頼されたのですが、いわゆるカルトメンバーとしては、私はオウム真理教信徒経験しかありませんので、主にオウム真理教(以下、オウムまた教団)の話になります

カルトは多様なことがらを提示して入会の勧誘をするそうです。オウムもその唯一の目的である解脱悟りだけでなく、ヨガによる健康法や能力開発の方向からも勧誘するよう私どもに指示していました。そのため、信徒の入信理由は様ざまでした。

 しかし、信徒の入信理由の特徴は、たとえば「生きる意味」に対する問いのような、解決が極めて困難な問題に関係があったことではないでしょうか。ただし、この「生きる意味」は、仕事に対する生きがいなどの日常的なことではありません。たとえば、「生まれてきた目的」に係わるような、形而上的ともいえることです。それゆえ、この問題はこの世における解決が困難です。仕事に対して生きがいが感じられないならば、適当仕事を探せばよいのですが、「生まれてきた目的」などはその存在自体問題になることでしょう。

 ところが、オウムは「超越的世界観」を有し、この類の問題を解決する機能がありました。これは、日常を超えたオウム世界観においては、「生きる意味」や「生まれてきた目的」の解答が与えられており、信徒がその世界観を受容すると問題が解決するということです。他方、この世界観は非現実であるために、それを受容した信徒は一般的社会における生活に適応しにくくなり、家族学校会社から離れて出家していきました。さらに、教団で集団生活をしているうちに、規範意識まで非現実的な教義に沿うものになり、ついに違法行為をするまでに至りました。

 このように、「生きる意味」に対する問いはカルトに係わる契機にもなるので、その心理状態への適切な対処を考える受容があると思います。そのためにまず、その具体例をお話します。

 私自身は、高校三年生とき、「生きる意味」の問題を明確に意識するようになりました。そのきっかけは、家電商店で値引処分された商品を見たことでした。商品価値がたちまち失われる光景を観て、むなしさを感じたのです。ところが、それ以来、私はこの「むなしさの風情」を通して世界を見るようになってしまったのです。事あるごとに、物事の価値が気にかかりました。結局は、宇宙論のいうように、すべては無に帰してしまうだけではないのか…との思いが浮かぶこともありました。そして私は「生きる意味」―絶対的な価値に関心を持つようになったのです。そのときは、それまでは大仰に思えた、「朝に道を聞けば夕べに死すとも可なり」と述べた孔子の気持ちがわかるような気がしました。

 このような心情に関しては、文献を調べますと、古今東西、類似の経験をした人が多数存在するようです。

 スピノザは著書『知性改善論』の冒頭で次のように述べています

 一般生活において通常見られるもののすべてが空虚で無価値であることを経験によって教えられ、また私にとって恐れの原因であり対象であったもののすべてが、それ自体では善でも悪でもなく、ただ心がそれによって動かされた限りにおいてのみ善あるいは悪を含むことを知った時、私はついに決心した。我々のあずかり得る真の善で、他のすべてを捨ててただそれによってのみ心が動かされるような或るもの存在しないかどうか、いやむしろ、一たびそれを発見し獲得した上は、不断最高の喜びを永遠に享受できるような或るもの存在しないかどうかを探求してみようと。

スピノザ『知性改善論』畠中尚志 訳 岩波文庫

 トルストイもその一人です。当時五十歳だった彼は、外面的には申し分なく幸福な状況でしたが、価値観崩壊から「生きる意味」の模索を始めています。そのときの心情を、彼は著書『懺悔』に記しています

 何やらひどく、奇妙な状態が、時おり私の内部に起こるようになってきた。いかに生くべきか、何をなすべきか、まるで見当がつかないような懐疑の瞬間、生活の運行が停止してしまうような瞬間が、私の上にやってくるようになったのである。そこで私は度を失い、憂苦の底に沈むのであった。が、こうした状態はまもなくすぎさり、私はふたたび従前のような生活を続けていた。と、やがて、こういう懐疑の瞬間が、一層頻繁に、いつも同一の形をとって、反復されるようになって来た。生活の運行が停止してしまったようなこの状態においては、いつも「何のために?」「で、それから先は?」という同一の疑問が湧き起るのであった。

 この時分に最も私の心をとらえていた農事に関する考察の間に、突然、つぎのような疑問が起こってくるのだった。

 「よろしい、お前はサマーラ県に六千デシャチーナの土地と、三百頭の馬を持っている。が、それでどうしたというんだ?……」そして私はしどろもどろになってしまって、それからさき何を考えてよいのか、わからなくなるのだ。またある時は、子供自分はどういう具合に教育しているかということを考えているうちに、「何のために?」こう自分に言うのであった。それからさらに、どんなにしたら民衆幸福を獲得させることができるだろうということを考察しているうちに、「だが俺にそれが何のかかわりがある?」突然こう自問せざるを得なくなった。また、私の著作が私にもたらす名声について考える時には、こう自分に向って反問せざるを得なくなった。「よろしい、お前は、ゴーゴリや、プーシキンや、シェークスピアや、モリエールや、その他、世界中のあらゆる作家よりも素晴らしい名声を得るかもしれない。が、それがどうしたというんだ?……」これに対して私は何一つ答えることができなかった。この疑問は悠々と答えを待ってなどいない。すぐに解答しなければならぬ。答えがなければ、生きて行くことができないのだ。しかも答えはないのだった。

 自分の立っている地盤がめちゃめちゃになったような気持ちがした。そして立つべき何物もないような気持ちがした。今まで生きてきた生活の根底が、もはやなくなってしまったような気持ちがした。今や自分には、生きていくべき何物もないような気持ちがした。

トルストイ『懺悔』原久一朗 訳 岩波文庫

 以上の記述は、当時の私の心情に共通する点が多々あり、この種の心理状態の特徴をよく表現していると思います特に自分の立っている地盤がめちゃめちゃになったような気持ちがした。そして、立つべき何者もないような気持ちがした。」という表現には共感を覚えます。それゆえに、絶対的な価値を求める心理になるのではないでしょうか。

 その後、私は哲学書や宗教書を渉猟したり、宗教実践者の話を聞いたりしました。高校三年生ですと、大学受験の時期ですが、私は大学付属高校に通っており、いわゆるエスカレーター式に学部に進学する予定でしたから、時間はふんだんに使えたのです。

 哲学については、話は論理的に進行しているのですが、その根本の部分―数学でいえば公理―は哲学者個人の感性によって「真理」とみなしているように思えたので、私にはなじめませんでした。宗教についても、私に反射的に生じる反応は、「真偽をどのように確かめるのか」という抵抗でした。教義の核心が非現実的に思われ、根拠なしにはそれを受容できませんでした。

 こうして、私の「生きる意味」の探求は行き詰まってしまったのです。そもそも、絶対的な価値を求めることが、ないものねだりであることは半ばわかっていました。しかし、宗教界をはじめとして、それを体得したという人が存在する限りは、自分で確かめざるを得ない心境だったのです。

 結局私は、むなしさを感じなくして済む、実行可能な「生きる意味」を定めることによって、心のバランスをとるようにしました。私は理系の分野に関心があったので、将来の職業はその方面以外考えられませんでした。ですから私は、物理法則を応用して、基礎的な技術を開発する研究を目指すことにしました。理想なのは半導体素子の発明のような研究だと思いました。このような仕事ならすぐに価値がなくなることはなく、また、それなりに世の中の役にも立つとの考えでした。それより先のことについては、これを考えると何もできなくなるので、目をつむるしかありませんでした。

 このように、何年かの間、私は「生きる意味」の問いを棚上げして過ごしていました。しかし、のちに、その問いの影響によって宗教経験が起き、オウムに入信することになりました。その契機については後述致します。

 次に、「生きる意味」の問いが起こる原因についてですが、以下のように、この種の問いは生理的不安定に起因することもあるようです。

 思春期から十代後半(ときには二十代始めに入る)まで、成長しつつある人は重大な生理的不安定(すなわちストレス)を示す。ストレスホルモンは、後の成人時代の安定期に比較して有意に増加する。青年期に典型的な大きな気分の揺れは、この不安定さに結びついている。若者は取るに足らない欲求不満があると、多幸福のある熱狂から自暴自棄的に落ち込むかもしれない

 人生のこの期間に問われる典型的な問いは次のものである。“それが一体何になるのか”“人生より何か重要なことがあるのではないか”このもどかしい衝動自己認識の危機の問いで極まる。“私は一体何か”“何が現実か”

引用英語で分からず。)

 また、心理学者ウイリアム・ジェイムズも、人生のあらゆる価値に対する欲望が失われていく「憂うつ」状態から、心休まることのない問いに駆り立てられ、人が宗教哲学に向かうことを指摘していますウイリアム・ジェイムズ『宗教的経験の諸相上』桝田啓三郎 訳 岩波文庫

 「生きる意味」に対する問いが純粋知的ものならば、それは当人に健全精神の成長をもたらすかもしれません。しかし、以上のような要因のものならば、無意味なことなので、自覚してそれに巻き込まれない必要があると思います。そのような心理に関する知識があるだけでも、ある程度の予防になるかもしれません。場合によっては、専門家相談する必要もあるでしょう。特に、その問いにこだわりや煩わしさを感じるならば、注意すべきです。性急な解決を図りがちになり、それだけカルトに接近する危険があるからです。

 それでも、「生きる意味」の問い―あるいは、ほかの問題―の解決を、宗教をはじめとするある思想に求めるならば、その選択には細心の注意を払うべきです。前述のように、その解決は「超絶的世界観」に訴えざるを得ないので、その現実生活への影響が懸念されるからです。

 ある伝統宗教などはそうだと思いますが、その安全性、有益性が歴史によって検証されている場合は問題ないでしょう。しかし、以下の要素を含むものについては避けるべきと思います


【vol.2「宗教的経験(前半)」】へ続く。

2012-03-21

http://anond.hatelabo.jp/20120321212341

そういうのはオセロ中島みたいなものだと思って(信じたいものだけ信じる、宗教にハマる、占いにハマる)ほうっておくのが吉。

今の若者責任感がないというか、責任は取る必要がないものと思ってしまますニュースとかみてると。そうでしたっけ? ウフフフフみたいな。

2012-02-29

オセロ中島

芸能界に復帰してほしいなぁ。

口も達者で気の利いたコメントできるし、場を仕切れる女芸人ってそんなにいない。

時間かかっても、戻ってきてほしい。

詩吟とかもまた聞きたい.

2012-02-27

http://anond.hatelabo.jp/20120227143029

やってることは「気違いオモロー!」だよ

でもそのまんまそう言ったら放送できないし見るほうも気兼ねがある

から中島さん可愛そう」って強調するだけ

ワイドショー

なんでみんなこんなに中島知子に同情してんの?

詐欺師マインドコントロールなんてよくある話だし、ワイドショーとしてはメシのタネの動向を生暖かく見守るくらいのスタンスでよさそうなものなのに

気持ち悪いくらい中島さんカワイソウ、詐欺師憎しの雰囲気

2012-02-09

オセロ中島

どうせ変なのにはまるなら

まだ創価の方がマシだったな

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