はてなキーワード: 企業国家とは
かなり以前に「戦争は会社が始めた」というトゥギャッターがあった。
自分もその意見に同意で、「戦争は財閥が始めた」と言い換えた方がより文意は伝わると思った。
(それも三井三菱住友の在来財閥よいうより、鮎川や中島のような新興財閥が始めた)
戦前は企業人がそのまま多数閣僚や代議士になってたりしてるし、
当時の関係者の日記や回想録の類を見たら企業人と軍人政治家の「近さ」を実感できる。
で、この背後にあるのが、
「戦前はエリート層(財閥幹部・軍人・官僚・学者)の人数自体が現代よりも遥かに少なくて、
全員が『知り合いの知り合い』に収まっていたからでは?」と思う。
感覚論だか、戦前はエリート層人口が1万人程度だったのが、現代では100万人程度に肥大化しているんじゃないか、と思う。
人間、知人友人の数は100~200人程度が上限らしいが、戦前のようにエリート人口が1万人に収まっていれば、
「●●さんは▲▲さんの知り合い」という感じで、割とエリート同士で「一体感」が醸成されていたと思う。
しかし、戦後日本が農業国家から工業国家、企業国家に転換し、技術者や中間管理職が多数必要になったから、
エリート層の人数も増えてきて、1万人じゃ収まらず100万人程度は必要になってしまった。
こうなると、戦前の「旧き良き時代の、エリートインナーサークル」という訳には行かない。
100万人ともなると、「知り合いの知り合いの知り合い・・」という感じ程度でしかなくなる。
一回、戦前の旧東京帝大の学生数と、今の東大の学生数を比較したい。
今の方が相当学生数多い気がする。
で、最近「低学歴と高学歴じゃ、住む世界が違う」的ホッテントリがあるが、
http://anond.hatelabo.jp/20130809115823
高学歴側(エリート側)がいまいちこの内容にピンと来ない一因として、
「エリート層が肥大化してしまい、戦前のような一体感が喪失しているから」じゃないか、とも思う。
戦前も現代も、「エリート層とそうじゃない層だと文化も言語も違う」という点では割と共通しているが、