2013-08-10

エリート層の厚さが、戦前現代では桁が違う

かなり以前に「戦争会社が始めた」というトゥギャッターがあった。

http://togetter.com/li/536085

自分もその意見同意で、「戦争財閥が始めた」と言い換えた方がより文意は伝わると思った。

(それも三井三菱住友の在来財閥よいうより、鮎川中島のような新興財閥が始めた)

戦前企業人がそのまま多数閣僚や代議士になってたりしてるし、

当時の関係者日記や回想録の類を見たら企業人と軍人政治家の「近さ」を実感できる。

で、この背後にあるのが、

戦前エリート層(財閥幹部・軍人官僚学者)の人数自体が現代よりも遥かに少なくて、

 全員が『知り合いの知り合い』に収まっていたからでは?」と思う。

感覚論だか、戦前エリート人口が1万人程度だったのが、現代では100万人程度に肥大化しているんじゃないか、と思う。

人間、知人友人の数は100~200人程度が上限らしいが、戦前のようにエリート人口が1万人に収まっていれば、

「●●さんは▲▲さんの知り合い」という感じで、割とエリート同士で「一体感」が醸成されていたと思う。

しかし、戦後日本農業国家から工業国家企業国家に転換し、技術者中間管理職が多数必要になったから、

エリート層の人数も増えてきて、1万人じゃ収まらず100万人程度は必要になってしまった。

こうなると、戦前の「旧き良き時代の、エリートインナーサークル」という訳には行かない。

100万人ともなると、「知り合いの知り合いの知り合い・・」という感じ程度でしかなくなる。

一回、戦前の旧東京帝大の学生数と、今の東大学生数を比較したい。

今の方が相当学生数多い気がする。

で、最近低学歴高学歴じゃ、住む世界が違う」的ホッテントリがあるが、

http://anond.hatelabo.jp/20130809115823

高学歴側(エリート側)がいまいちこの内容にピンと来ない一因として、

エリート層が肥大化してしまい、戦前のような一体感喪失しているから」じゃないか、とも思う。

戦前現代も、「エリート層とそうじゃない層だと文化言語も違う」という点では割と共通しているが、

戦前現代の違いといえば「エリート層人数が桁違いに増えているので、彼らの間の連帯感が喪失してるから」という気がする。

フェイスブックは、その辺の連帯感を取り戻すためのツールだったのかも。

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