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2021-10-04

anond:20211003125552


26歳(95年生まれ)だけどオタク差別社会特に学校から衰潮していく様をリアル体感したわ

小学校の時に電車男が大流行して、オタクという概念への認知が生まれ

そしてドラマ舞台であった秋葉原では路上ハルヒダンスを展開するオタクニュースにもなった

秋葉原オタク秋葉系みたいな概念世間に浸透していった時期だと思う

しかし、中学に上がる前にその秋葉原秋葉原通り魔事件が起きた

宮崎努ほどではないと思うけど、この時にメディアでは「犯人加藤オタクだった」といった報道が展開され、世間でもオタク危険人物みたいな風潮が強まった

でも、それは大人にとっての世間の話であり当時の小学生達にとってはあまり影響はなかったと思う

しろ、当時の小学生の間ではおもしろフラッシュ倉庫を起点にフラッシュ動画流行っていたのでオタク文化イメージはこれらフラッシュ動画の方に強く影響を受けていたと思う

そして中学では満を持してニコニコ動画流行った

その影響でボーカロイド流行ったし、ひぐらし流行った

当時ひぐらしは既に出題編と解答編のテレビアニメは終了していたのだが、ニコ動MAD動画経由で再びブームに火がついた

そして物語シリーズけいおん!、あとやっぱりハルヒ流行った

影の薄い生徒(当時は陰キャは使われてなかった)のみならずクラスの人気者でもこれらのサブカルチャーに親しむ人が増えてきた時期だった

この頃のお昼の放送

AKB系列ジャニーズ系列、ボーカロイドアニソン(主にけいおん!ハルヒ)、いきものがかりその他JPOP……みたいなカオスな曲目だった

けいおん!オリコン1位をとってMステで紹介されたのもこの頃だった記憶

高校でも相変わらずアニメは盛況でこの時期はマドまぎやSAOを筆頭に後の世まで語られる有名アニメが沢山排出された

たこの頃はスマートフォンが本格的にガラケーから世代交代を開始した時期とも重なり、俺が高2の頃は既にクラス過半数スマートフォンになっていた

そして何より重要なのがソーシャルゲーム流行だと思う

当時はソシャゲ黎明期パズドラ寡占市場だった

みんな暇があったらパズドラやってた

そしてこうしたソシャゲアニメを見ない人達アニメキャラへの耐性をつける役割を買ったと思われる

ソシャゲキャラクターにはいわゆる萌え系のデザインキャラが少なくなく、アニメを見ない人達もそうしたデザイン自然と親しむ様になった

これはパチンコ好きのヤンキーエヴァアクエリオン抵抗なくなる現象に近いと思う

それを未成年世界にも引き起こしたのがソーシャルゲームで、現代アニオタを語る上ではこのソーシャルゲームの影響は無視できないと思ってる

こんな感じで高校までの自分学生時代を振り返ると、アニメ若者文化メインストリームにめちゃくちゃ接近してきた時代だったなと思う

今の10代はもっと当たり前にアニメを消費しているので、俺もその感覚を前にすると当惑を隠せなかったりする

現代若者オタクという属性に対して差別心を抱かない

単純にキモい奴、暗い奴、ノリが悪い奴を陰キャ、チー牛として差別するだけ

「お前が差別されるのはオタクからではなく、お前がキモいからだ」という時代の到来は、果たして旧来のオタクが望んだ世界だったのか疑問ではあるけど

追記

衰微と退潮がごちゃ混ぜになって衰潮と書いてしまった……恥ずかしい……

2021-10-03

地方格差:ブルーピリオド現実を教えてやるよ

 ブルーピリオドかい地方格差経済格差ガン無視アニメを見たか

 ありゃ酷いぞ

 まず予備校

 藝大の油画科は関東の三つの予備校が独占してる。すいどーばた美術学院新宿美術学院湘南美術学院、この三校だ。

 データを出そう。

 藝大油画の定員は55人。

 去年の三校から合格者はすいどーばたから14人、新宿から8人、湘南から10

 55/32がこの三校出身となる。半数以上だ。どう考えても異常な数値。

 関東美術予備校がこの三校しかないならまだ分かるが、関東にある美術予備校の数は20以上ある訳だ。

 よーするに関東在住で前述の三校に通えなければ合格確率は減る。

 

 次に予備校学費主人公が通ってる予備校モデルとされる新宿美術学院学費は約51万。主人公冬季講習も夏期講習も受けてたから年間で約70万の学費が掛かる。

 主人公の八虎ってのはさ、ぶっちゃけまれてんだよ。

 予備校学費を出せる親を持ち、都内一戸建ての家庭で、有名な美術予備校にも通える地域に住んでる、親ガチャまれガチャ大成功人間なんだわ。

 その上コミュ力も高くて頭もいい。

 そんな人間が才能がどうだの努力があーだのと語ってやがる。

 ブルーピリオドって漫画はな、生まれ育ちが大成功の才能ヤンキーが他の受験生チートスキル努力」で蹴散らす漫画なんだよ。

 なろう小説さながらだ。

 で、現実の話。

 藝大志望者の現実はな、予備校学費を出すために風俗行く奴とか、9浪しても受からん奴とか、絵を描く以外なにも出来ん、会話することすら怪しい自閉症ガイジとか、そんなんばっかだ。

 八虎みたいに一年予備校に通うだけで藝大受かるなら地方の藝大合格者が数人しか居ないのはなぜだ?

 努力なんてもんは皆やってんだよ。睡眠時間は三時間風呂便所と飯以外は常に絵をについて考えてる人でも、地方貧乏人じゃ藝大に受からないのが現実なんだよ。

 ブルーピリオドリアルな藝大受漫画・・・なんかじゃない。

 あれはなろう作品なんだ。

 親ガチャSSRの才能ヤンキーが受かるという、あまりにも残酷漫画なんだ

 

2021-10-02

anond:20211002154349

20年ほど前(2000年代初頭)はネットだとネオ麦茶事件話題になってたね。

世界事件だとアメリカ同時多発テロとか。

これは今の感覚からすれば、昔過ぎて別の時代だと思うくらいだよ。

単純な時間の隔たりだけでなく、なんというか、文化的な部分での断絶が大きい。

40年ほど前はジョンレノン暗殺ヤンキー文化好調なめねこブーム、初代ファミコン発売とかか。

2021-10-01

アルゼンチンへの憧れがデカくなってきた

趣味スペイン語音楽をちょいちょい聴いてるんだけど、アップルミュージックで色々聴いてみる中でいちばん自分に合ってたのがアルゼンチン音楽だった

アルヘンティーナっていうんスよ、まず 

響きがいいよね

首都ブエノスアイレスは、「いい風」「いい空気」みたいな意味合い

なんか、いいじゃないすか

アルゼンチンスペイン語は、llとかyの音が、ジャとかヤとかじゃなく、シャになるんですよ

スペインらしいスペイン語だと、「私の名前は○○です」は、(ジョ・)メ・ジャモ・○○なんだが、これがアルゼンチン語だと(ショ・)メ・シャモになる

いいんだよなあ!

Llorar(泣く)って単語、けっこういろんな歌に出てくんだけどさ、ショラールって響きがいいよな

ジョラールだとあんまりグッとこねえわけ

泣くなよ、ってときに、ノ・ジョレスなんつっても、心に響かねえの

ノ・ショレスはかなり良い 響きが優しいよ

そんで、二人称だってちがうんだぜ

トゥじゃなくて、ボスなんすよ

からさ、「君と僕」なんかアルゼンチン語と正統スペイン語で比べるとほぼ全部違う

正統:tú y yo (トゥ・イ・ジョ)

アルゼンチン:vos y yo (ボス・イ・ショ)

これはもう、断然ボスイショでしょ

Esperando el armagedon, vos y yo(終末を待っている、君と僕で)ですよ

むちゃくちゃエモい

ブエノスアイレス、huracán(ハリケーン)が来るらしいんだよな

親しみが持てる

あとなんか、ラプラタ川下流に吹く強い風sudestada(スデスターダ)っていう謎の概念があるらしい

絶対浴びたいよな

なんかこう、(おそらく)ブエノスアイレスを描いた歌のあらゆる描写が魅力的なんだよ

キイチゴアイスチャリに乗ってひとりで食う」

ジャスミンの花を手折って、夏の匂いに途方に暮れる」

友達スケートして、川の近くでなんか食う」

「川を行き交う船を見る」

そういうのがサラッと出てくる

いいんだよなあ

🇦🇷っていう国旗もいい

なんか、淡いんだよな

淡いんすわ

行ったことないから分かんないし、完全に偏見なんすけど、そういう淡さみたいなのを感じるんだよ、アルゼンチン

チリ方言なんかはさ、sが消えまくって、怖いわけ エッタノーチェ、のか言っちゃって、ヤンキーっていうか、ヤクザっていうか、なんか怖いんだよ

🇦🇷はボス・メ・ケレスとか言ってるのがすごいいい感じある

ケレ↑スとか、テネ↑スとか、いいよな

この感じをちょうどよくわかってくれる相手がほしいんだよな

ガチ勢だと、たぶん俺の夢を破壊するようなことを言ってきたりする

それ以外だと、そもそも話が通じない

俺の低次元アルゼンチンへの憧れをわかってほしいんですよね

たぶんアニメ見て日本に憧れてるようなもんか、それ以下なんだよ、俺のアルゼンチンへの解像度

でも、そのくらいがいいのかもしれん

Bajamos por el sótano y me mostrás ropa vieja de color que coleccionás (僕らは地下室に降りて、君は集めている鮮やかな古着を見せてくれる)とか、すっげえいいよな

地下室のことソタノって言うらしい

メチャクチャいい

いいんだよな

2021-09-29

東京マジ卍の彼女

あんなんただの理解ある彼女ちゃんじゃんと思ってしまい無理…ヤンキー彼女ヤンキーの女と相場が決まってんだよ、ほんと気持ち悪いわ〜

も〜また喧嘩したのぉ?とか、は?は?

無理〜と思ってリタイアしてしまった

以上。

2021-09-26

女子ヤンキーというか、ギャルというか

化粧したり、エロい格好したりすんの、あれ、男に媚びたり、性消費されるためにやってんの?

anond:20210923081710

特定層に対する媚びが露骨デザインや展開っていうのは

違和感気持ち悪さとして感じる」

なるほど!!

ヤンキー向けデザインと感じる最近自動車

違和感をとても感じるので納得した。

自分場合

男性向けなデザイン違和感を感じるが、

女性向けなデザインや展開は認識しづらい。

少女漫画のような物くらいしかからない。

2021-09-24

anond:20210924150224

人間本質的にはみなヤンキー

でもオタク特有オタクノリに乗っかることは皆多かれ少なかれできる

その練度の差があるだけだ

空想架空常識への適応力ってやつだな

anond:20210924150018

まりオタクなんてものはごく一部しかいなくて、アニメ漫画にのめりこんでるやつはガチ恋キモヤンキーばっかりってことやな

anond:20210924145814

しろ面白がる、オタクとは面白がる才能の塊なのだ

ついてこれないやつからオタクじゃなくなる

自分がただの勘違いガチ恋キモヤンキーだったと気づくだけさ

anond:20210924131732

あいエロ広告に釣られてよく分からんマイナーソシャゲ始めるのはオタクじゃなくヤンキー

ちょっとエッチ漫画につられてコミックアプリとか使ってるのもヤンキー

オタクは手堅い大手の「覇権ゲームを好むしそういう有名ゲーム露骨広告は出さな

オタクは慣れてるからそもそも広告を押したりしないしなんなら非表示にしてる

2021-09-20

闇金怖かった話

峯岸みなみ熱愛で思い出したから書く

10年前に治安悪めの街のコンビニで働いてて

その向かいビルの何階かに闇金があると言われてた

というか実際絶対そうだったと思う

ヤンキーというかキャバ嬢みたいな見た目の女の人がボロボロかつ坊主で出てきてた

(俺は暇かつレジにいることが多かったから見えてた)

坊主って言っても綺麗な坊主ではなく峯岸みなみのあれみたいな長さバラバラかつ長い髪残ってるやつ

多分暴れたりなんなりして無理やりやられたんだろうなという

一回タバコ買いに来たロングヘア女の人が坊主になってもう一度来て水を買っていったことがあって確信に変わった(金使うなよ)

怖かった

その街未だに行けない

anond:20210920165259

撮り鉄

https://twitter.com/host1451zamurai/status/1424917705556041728

あん撮り鉄馬鹿にするのもどうかと思うわ

格闘技やってる奴も結構いるし高校ヤンチャしてた奴もいるよ

キレたら止まらなくなるバーサーカーもいるし挑発するのはどうかな

実際

https://togetter.com/li/1613558

終電後の小田急線座間駅侵入しRSE甲種輸送撮影したら乗務員に追いかけられ、逃走先で待ち伏せしていた地元ヤンキーに絡まれボコボコ返り討ちにされるしょうもない撮り鉄

ものすごくいい加減なディズニー映画史

ディズニー映画に埋もれた名作などというもの存在せず、有名なやつは出来がよく、無名なやつは出来が悪い。

以下、備忘録をかねてウォルト・ディズニーアニメーションスタジオ制作長編アニメ映画史を概観したい。

メイクマインミュージック』以外はディズニープラスで全部見れる。

1. ディズニー黎明期白雪姫』(1937年からバンビ』(1942年)まで

おすすめ作品:『白雪姫』『ファンタジア』(ミッキーのやつだけ)『ダンボ

ディズニー長編アニメ歴史アニメ史に残る傑作『白雪姫』とともに幕を開ける。この作品はとにかく作画が凄まじく、戦後日本人が衝撃を受けたという逸話も納得の出来である著作権が切れているのでYoutube等でも見れるが、できるだけきれいな画質で見たほうがいい。7人の小人たちの非モテ自助コミュニティ描写ピカイチで、増田を見ているような人々は目を通しておいて損はないと思う。

ディズニー映画はこの頃から一貫して「教育的で」「社会的にただしいとされる」物語を描こうというはっきりとした意思を見て取ることができる。そのため、作品の背景には常に制作された時代価値観垣間見える。

例えば『白雪姫』の3年後に公開された『ピノキオ』では、主人公ピノキオを導く良心象徴としてジミニークリケットという名前コオロギが登場する。この「ジミニークリケット」という名前ジーザスクライストの言い換え語らしく、つまりここでは創造主の似姿として作られた人形が様々な誘惑と戦いながらも最終的にはイエス・キリストに導かれ、ただしい人間性を獲得するという物語が展開されるわけだ。

ピノキオ自体は退屈な作品ではあるものの、歴史時代背景を含めて見ていくと別の発見があり、それはそれで豊かな体験である。ちなみに当時のディズニー自身はむしろできるだけ宗教色を薄めたいと思っていたらしく、この辺は社会要請されてやむなくという側面が強いのかもしれない。

ほか『ファンタジア』中の「魔法使いの弟子」と『ダンボ』は見ていて単純にたのしい良作。『ダンボ』のお母さんの健気さは泣ける。

2. 最初の低迷期 『ラテンアメリカの旅』(1942年からイカボードトード氏』(1947年)まで

おすすめ作品:なし

バンビ』のあと『シンデレラ』まで長編物語映画はなく、とくにおもしろ作品はない。とはいえ日本人としては、バリバリ総力戦をやりながらアニメを量産していたアメリカの国力にむしろ驚くべきかもしれない。

この頃の作品群には「丁寧な植民地主義」とでも呼ぶべき傾向があり、具体的にはアメリカ開拓時代の美化とラテンアメリカへの観光的関心、キリスト教的な価値観三位一体となった教育映画制作されている。この辺はおそらく当時のアメリカ外交安全保障戦略と密接に結びついており、いわばアメリカ流の国策映画だったのではないだろうか。

丁寧な植民地主義的な傾向はこの後も非常に根強く、形を変え品を変え、ディズニーらしさの1つの要素として受け継がれていくことになる。

3. ディズニー復活期 『シンデレラ』(1951年から眠れる森の美女』(1959年)まで

おすすめ作品:『ふしぎの国のアリス』『眠れる森の美女

シンデレラ』は物語の大半を出来の悪いトムとジェリードタバタ展開が占め、あまりおもしろくはないもの興行的には大成功を収め、低迷期の脱出成功する。

眠れる森の美女』は『白雪姫』以来の超絶作画であり、これ以降の作品と見比べてもダントツクオリティが高い。一方で興行的には制作費の回収すらできず、総じて失敗作と見なされたようだ。ディズニー作品作画技法は『眠れる森の美女』でひとつの頂点に達し、以降はべつの方法論を模索していくことになる。

ほか『ふしぎの国のアリス』のチェシャ猫や芋虫悪夢的な描写は見たものに強いインパクトを与える。一方で登場人物にだれ1人としてまともに会話の通じるキャラがおらず、集中力の維持が非常にむずかしい作品でもある。

ピーター・パン』では全能感と成熟の拒絶というYoutuberの原型のようなヒーロー像が描かれる。ピーター・パン症候群とはよく言ったもので、本家ピーター・パン未成年淫行炎上する未来を強く予感させるキャラクターだった。

わんわん物語』では都市自由謳歌していた野良犬ペットとして不自由幸福を手に入れて物語が終わる。ここで描かれるペットたちのむき出しの奴隷根性は、前述の植民地主義無関係ではない。『ピーター・パン』『わんわん物語』ともにおもしろくはないが、それぞれ見どころのある作品となっている。

4. えんぴつ作画期 『101匹わんちゃん』(1961年からくまのプーさん 完全保存版』(1977年)まで

おすすめ作品:『101匹わんちゃん』『くまのプーさん 完全保存版』

眠れる森の美女』のアーティスティックで洗練された描線から一転、『101匹わんちゃん』以降はえんぴつで描かれたかのようなラフ描線作品構成されていく。『眠れる森の美女』以上のものを作り出すことが現実的不可能であり、見劣りを避けるという意図があるのか、あるいは端的に制作資金が枯渇しただけかもしれない。

技法的にはやはり『くまのプーさん 完全保存版』でひとつの完結を迎え、以降ディズニー映画は再び模索と低迷の季節を迎えることになる。

『おしゃれキャット』は金持ちペット使用人をブチのめす話で、一方『ロビン・フッド』は貧乏人が金持ちをブチ殺す話だ。この時期のディズニー節操のなさがすごい。

5. 模索時代ビアンカの大冒険』(1977年からオリバー ニューヨーク子猫ものがたり』(1988年)まで

おすすめ作品:『オリビアちゃんの大冒険

この時期の作品群の特徴を一言で言い表すならば、「リアリティへの接近」ということばになるだろう。それは一方では作画技法への3DCGの導入というかたちで現れ、他方で物語上では善と悪の単純な二項対立の脱却が図られることになる。

前者は『コルドロン』の奥行きのある大胆なカメラワーク作画法、『オリビアちゃんの大冒険』『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』での部分的3DCGの導入に見られる。後者は『きつねと猟犬』での人種対立メタファーとして描かれた動物間の争いや、多人種共生する複雑な現実を猫の姿を借りて描いた『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』に象徴である

『きつねと猟犬』はこれまでのディズニー作品に見られた家畜たちの奴隷根性を初めて批判的に描いた作品であり、『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』と合わせて「社会的にただしいとされる」物語像の変容を見て取ることができるだろう。ただしこの時期の作品群は総じて地味で魅力がない。どうやら創業者ウォルト・ディズニーの死や主要スタッフの大量離脱の影響があったようだ。『コルドロン』は興行的にも大コケし、ディズニーの低迷を象徴する作品となった。

シャーロック・ホームズ翻案であるオリビアちゃんの大冒険』がかろうじて見ていられるという程度で、単品の映画作品としておもしろものは少ない。『オリビアちゃんの大冒険』では、冒頭からネズミ女児パンチラという一体どこに需要があるのかわからない謎サービスカットがあり、視聴者集中力が乱される。

6. ディズニールネサンスリトル・マーメイド』(1989年からターザン』(1999年)まで

おすすめ作品:『リトル・マーメイド』『美女と野獣』『アラジン

この時期ディズニー批評評価興行収入の両面で復活を遂げ、一般に「ディズニールネサンス」と呼ばれているらしい。本稿でもその表現に従う。

しか作品クオリティ過去10年とは比べものにならないほど高く、ルネサンスと呼ばれるのも納得の時期である。一方で技術革新価値観の変容は停滞気味で、歴史の流れとしてはさほどおもしろくないというのが正直なところ。ルネサンス言葉通り、ある種の保守回帰時代に当たる。

おそらくこの時期、真に革新的だったのは、作品の表層に現れる技術テーマ設定ではなく、安定して高品質作品を量産する社内の体制組織づくりの技術にあったのではないか

個別作品として語れる部分は非常に多く、『リトル・マーメイド』は作画がよく、『アラジン』は見ていてたのしい。

美女と野獣』でははっきりと他者理解テーマに打ち出し、また女性主人公男性から求婚を拒絶する主体性を獲得するなどプリンセスものとして出色の出来栄え他者尊重することを覚えた野獣が救われ、他者存在最後まで容認できなかった村のヤンキー破滅する。主人公読書好きでヤンキーと話が合わないインテリとして描かれる点も珍しい。ただしこの他者理解プリンセス側に一方的負担を強いるかたちとなっている側面が強くあり、なかなかむずかしい部分もある。

ポカホンタス』は白人によるアメリカ侵略植民地化を矮小化し美化するかなり最悪のお話で、案の定ネイティブアメリカン民族団体にかなり怒られたようだ。引き続き怒られてほしい。

ターザン』もインディアンゴリラに変えただけで『ポカホンタス』とほぼ同類型のお話ではあるが、最後白人研究者たちがゴリラ部落に居残ることでギリギリバランスを取っている。ここにはターザンポカホンタスの男女差が絡んでおり、単純にターザンのほうがいいとも言いがたい。

ノートルダムの鐘』は強引にハッピーエンド化されているという不満はあるものの、子供向けの大作映画障害者活躍を描いた点は積極的評価されてよいだろう。そもそもディズニー作品には『ノートルダムの鐘』以外にも障害者がやたらとよく出てくる。アメリカ社会には障害者積極的に受け入れる土壌があるからできるのだとは思うのだが、日本コンテンツおよび社会全体でも頑張ってほしいポイントである東京ディズニーランドでもべつに障害者見かけないし。

そのほか『ムーラン』『ターザン』ではそれぞれ3D技術進歩を見て取ることができる。

7. 3Dへの過渡期 『ファンタジア2000』(2000年)からホーム・オン・ザ・レンジ にぎやか農場を救え!』(2004年)まで

おすすめ作品:『リロ・アンド・スティッチ

みたび低迷期である。『ダイナソー』に代表されるように3D映画への本格的な移行が始まり2D映画最後の全盛期に当たる。

作品としては『リロ・アンド・スティッチ』がずば抜けてすばらしい仕上がりで、商業的にも大成功を収めた。『リロ・アンド・スティッチ』は王子様に救われるというプリンセスもの物語類型とは異なる、弱者同士が助け合う疑似家族モデルを明確に示した重要作品である

自分欲求をうまくコントロールできない少女リロと、破壊衝動を植え付けられ誕生した人工生命スティッチが、貧困家庭ネグレクト問題SFアクションを背景に成長していく姿が描かれる。キャラクターデザインはかわいらしく、作画からかい小ネタに至るまで非常に丁寧に作られており、娯楽作品としてもすばらしい。リロの姉・ナニの恋人もいいヤツで好感が持てる。

残念ながらディズニー映画ではこのあと疑似家族的な想像力は発展せず、プリンセスものという旧来の枠組みのなかで無理やり「価値観アップデート」を図ることになっていく。

アトランティス 失われた帝国』はディズニー映画には珍しく人がバンバン死ぬ作品で、ふしぎの海のナディア宮崎作品みたいなものアメリカ人が真似して作るとこうなるのかといった印象。ガバガバ設定とご都合主義が目につき、リアル路線なのかファンタジー路線なのかどっちつかずの失敗作だった。ただし主人公オタク青年採用されている点は注目が必要で、これ以降ディズニー主人公イケメンマッチョではなく非モテオタク主体となっていく。

白雪姫』で人間扱いされていなかった非モテ小人たちが「社会的にただしいとされる」物語主人公となる時代を迎え、しかもそれが日本アニメの強い影響化で発生しているわけで、価値観の大きな変化を感じ取ることができる。ただし、『白雪姫』の王子様はあれはあれで人間味のかけらもない平板キャラクターではあるので、モテ非モテという面ではそこまで単純明快な話ではない。

ブラザーベア』は殺した相手の子を育てるというなかなか攻めたお話ではあるのだが、最終的にファンタジーに着地するせいでどうも軸がブレる。

続く

https://anond.hatelabo.jp/20210920162554

2021-09-19

100点、100%正義だという考えがある

瞬発力、ヤンキー力、学力経済力モテコミュニケーション能力など低い水準はみくびられる

いじめられないためには小さい、いくつかのお山を作って大将になることが求められる

2021-09-18

アニメとかのオタクキャラでもヤンキーとかヤクザとかみたいな味付けをされてるキャラしか好きにならない女って確かにいるよな。

あいうひとらはDV被害者予備軍だよね。

2021-09-17

奴隷チキンレース、いつまで続けるつもりなの?

私はよくできた増田なので、結論から先に言うね。

原則として動物利己的で、人間動物で、だから人間利己的な存在だ。

人間利己的な存在である、この前提で制度設計されるのが理想だと考える。

利己的な動物である人間に対して、ルールを守らせるには、守った方が得をする設計を用意することだ。

欲望コントロールしようと思うなら、動物を鞭で打つのではなくて仕組みの方を見直さないとならない。

これが本日の論旨となります

正直結構ムカついてまして、ここから垂れ流す駄文には言葉が乱れてる部分もあろうかと思いますんで、以上のことに少しでも思いを馳せていただけましたらば、ここで読むのを辞めていただいても結構です。


こないだ撮影済みの古い「写ルンです」が見つかった。

現像すると、10年以上前も、私がまだ高校生だった頃、友達キャンプした時の写真だった。

思いがけず掘り起こされた若かりし自分たち写真から、仲間内では大層盛り上がり、思い出話に花が咲いた。

そのうちの一つは、道中での出来事だ。

キャンプの最寄り駅は、今現存してたら秘境スポットとして話題になりそうなほどにオンボロの無人駅だった。

今みたいな簡易改札機もなく、木造りの台が設置されているだけ。そこにめいめいが、切符や、差額がある場合は不足分を置いていくというシステムだ。

細部は覚えてないけど、とりあえず適当切符を買って、着いた先で精算するつもりだったんだと思う。

地元から目的地まで、乗り越し精算で2000円ほどの差額だろう。今なら乗り換え案内アプリで瞬時に計算できるけどそんな時代でもなく、駅員もいない。たしか両替機も置かれてなかった。

最初からそんなつもりだったわけじゃない。誰も目的地が無人駅だなんて知らなかった。でも、ほとんどタダ同然で遠くまで来れちゃった。ラッキー

ということで、私たち無賃で駅を降りた。ただ一人、律儀にお金を置いていった人間がいる。そいつは、今では警察官として働いている。

曲がったことが本当に嫌いで、空気を読まずに正しい行いができるそいつ以上に、警察になるのに相応しい人物を私は知らないし、仲間や知り合いで、警察になったのは後にも先にもそいつだけだ。

逆を言えば、警察になるくらい正義感の強い人物でもない限り、分別のつかないガキが自ら進んで真っ当な行いをするなんてのは珍しい。

私たちは、とりたてて優等生でもなければ、かといって犯罪上等!喧嘩上等!卍!みたいなヤンキーというわけでもなかった。

日本高校生としての分布図で言えば、年相応に頭が悪く分別がつかないという点も含めて、ごくごく平均的なクソガキだったに過ぎない。

自分の行いを正当化する気は一切ない。遠方まで運んでもらった見返りとして払われるべき対価を払わない。クソだなと思う。今なら私も、絶対に支払う。

けど、一方でこうも思う。果たして、誰にも咎められずに自分が得する機会が舞い込んできた時、わざわざ身銭を切れる人間はどれだけいるだろう、と。

誰しも自分が一番大事で、余裕があれば善行もするけど、自分の目先の欲望よりも他人を思い遣るのは難しい。

私は、漫画海賊版サイト流行した時にも同じことを主張した。何かを抑止しようとする時、利用者側に良識ある行動を呼びかけたところで効力がない、と。

本気で人の行動を抑制するには、良識に頼むのではなく仕組みで解決するしかない。

まず謝っておきます、実はここからが本題です。

感染対策意識がザルで、開催地だった愛知県知事常滑市長、および国民の皆様を激怒させた「NAMIMONOGATARI」がいまだに話題ですね。

大変申し訳ありませんでした。本当なら私も参加してました。

たまたまその時の私には“良識”が働いて参加を見送っただけで、出演していたラッパーほとんどを好きなので、気分次第では実際に参加してたでしょう。ですので、重ねてお詫びいたします。

続きを話す前に、私が“良識ある大人”に成長したことアピールするため、「あいち医療応援基金」に、ささやかではあります反省の意を込めてチケ代に相当する額を募金したことをあらかじめここにご報告しておきます

以下からふるさと納税の返礼品を希望しない形で募金し、額と支払い情報を確定させると、使い道を指定する画面が出てきます。ご興味のある方は是非。

そしてこの基金存在を知るきっかけをくれた、Awich、CIMBA、CREAM感謝👍

https://www.satofull.jp/static/oenkifu/corona_virus_pref-aichi.php

さて、「NAMIMONOGATARI」ね。書きづらいからもう波物語でいいよね。西尾維新作品みたいに見えちゃうけどね。これこそ風評被害だね。

このご時世に、イベントに参加して、お酒を飲んで、大騒ぎして。全くケシカランですよね。

再三の呼びかけを無視して開催を強行。現場コントロールできず、判明しているだけで数十人に上るクラスターを出してしまったのは波物語主催者責任でしょう。

聞きましたか? 蓋を開けてみれば、当日の参加者緊急事態宣言下の人制限5,000人を大きく上回って8,000人ですってよ。あり得ないっすねー。

何より、行政補助金申請してたのにガイドラインを守ってなかったのがヤバすぎ。

ガイドラインを守る見返りに補助金がもらえるわけで、それは取引として成り立ってない不正行為でしょ。まるで高校生の私みたいですね(笑)

その愚行は、慎重に開催してる他のイベント事業者の足を引っ張ることになるでしょう。大きな禍根を残したと言えます

そして、ノーマスクで浮かれて、ゴミの始末もしない参加者ヒートアップして観客を煽ってシンガロングさせる演者

杜撰体制の責を負うべきは主催だけど、それぞれも、心当たりがあれば自分の行いを省みる必要があるのではないでしょうか(ルールを守った参加者ルールを守るよう呼びかけた演者もいます)。

ただ、それは各々がやればいいし、波物語単体が問題だったわけなのであとはもう発生したクラスター対応などを粛々とするしかない。

しかし、波物語は今もなお、なぜか“日本ヒップホップ代表”して延々と叩かれてる。

いわく、ヒップホップフェスから。いわく、ヒップホップファン民度が低いから云々。

は? 正気か? なんだその雑なレッテル貼りは?

この件については、とにかく主語デカい。みんな、普段はこういうレッテル貼りは良くないと呼びかけるくせに、なんでヒップホップだけはこんなに雑に叩いて良いと思ってんだ?

これについては、擁護派のせいもある。「これがヒップホップだ」みたいな頭の悪い反論がむしろきみたちが守りたいお仲間を後ろから刺してるのに気付いてねーのかYO。後ろ見とけ後ろ。

それでさ、みんな、どういう理屈で、他人我慢を呼びかけてんの?

医療崩壊してる。それはそうだ。未曾有のパンデミック対応できるように設計されてないし、日本医療にかける予算世界的にも決して少ないわけではないけど、それでもこの異常事態に耐えられるだけの人出も病床数もなかった。

新たに深刻な感染症が生まれた以上、そのしわ寄せはいろんな形で発生する。それはとても悲しく不幸なことだと私は心から思うけど、これからも人は死に続ける。それは私かもしれないし私の大切な人かもしれない。けどもうそん時はそん時、天命と諦めてコロナと付き合うしかない。

定期的に交通事故で人は死ぬけど、誰も「車に乗るのをやめよう」とはならない。多くは良識的な振る舞いを守ってるけど、交通違反をする人間が定期的に現れるから人類から車社会をぶっ潰そう、とはならない。それを望ましくないと思う人間が、黙って車に乗らないだけだ。

車は生きるために必要不可欠だから?じゃあ、イベントがその人にとって必要不可欠じゃないって誰が言える?何が不要不急か、他人のてめえが決めんなよ。

ワクチン派は、ワクチンを打たない人間自分本位で身勝手人間だと蔑む。

ワクチン派は、陰謀論と結託してワクチン接種しないように呼びかける。陰謀論者は頭おかしいと思うけど、他人の行動を縛ろうとする点ではどっちも変わらなくないか

法律問題で、日本では欧米のようなロックダウンはできないと。だから政府国民に“お願い”をする。

この2年で、何度「正念場」という言葉を聞いてきたか。何度「国民の皆様へのお願い」を耳にしてきたか

しかし、政治家会合も会食も辞められない。政府広報である報道機関新聞社テレビ局も、全国津々浦々を飛び回り、取材に出向き、毎日まり続ける。

毎日通勤で、満員電車全然なくならない。

リモートワークができない職種もあるが、IT企業でさえも当たり前のように出勤させ続けてるところがある。理由簡単で、その方が会社利益になると考えてるからだ。

私も必要とあれば人に会うし会社にも出向くし出張にも行く。

守っても“利益”がなければ、お願いは守られない。飯を食っていくために、リスクと天秤にかけて仕事をする。みんな一緒だね。

我慢するメリット提供できない以上、要請無視して営業を続ける飲食店もある。開催を強行するイベントもある。それで飯を食ってるから

物語補助金申請してたけど、補助金なんて要らないから開催するよ、というスタンスイベントはこれまでもあったしこれからもあるだろう。これはどの業界でも起こってることだ。我慢するよりしない方が利益になるなら、そっちに傾くのは容易に想定できることだった。

五輪はやる。無観客とは言え、世界205カ国から選手だけで1万人以上が参加し、関係者海外から数万人が来日した(https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-58133532)。

五輪を開催した7月訪日外国人数は51,100人。五輪開催前の6月訪日外国人数9,300人から、6倍に膨れ上がった(https://www.jnto.go.jp/jpn/news/press_releases/210818_monthly.pdf)。

緊急事態宣言下、無観客開催なのに五輪閉会式に集まったのは9,350人(https://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000224902.html)。あれ? 波物語よりも多くね?

政府および委員会いわく「安心安全な開催ができた」五輪だけど、みんなオリパラ関連の陽性者の数、知ってる? 最新の発表、878人だよ(https://mainichi.jp/articles/20210909/ddm/035/040/036000c)。でも「五輪コロナを抑え込んで成功した」ってさ。

そしたらさ、あんたらはどのツラ下げて波物語糾弾すんのよ。大村知事あんたは立派だけど、五輪開催については反対してなかったくね?

パラ観戦にも、結局多くのガキが駆り出された。にも関わらず、遠足運動会修学旅行禁止って。わけがからないYO

人は原則損得勘定で動く。そこから外れる領域は、社会から要請にどれだけ自分を擦り合わせられるかっていう善意良識の話だ。

人によってこの良識の振れ幅がデカすぎるもんだから、いろんなところで分断が起きる。

国家ビジョンを示せず、政治家が範を垂れない。制度見直し経済崩壊スピードに追いつかない。こんな国にしてしまったのは、私たち選択の積み重ねでもあるのだけど、国民への“お願い”は、誰もが望んでなかった監視社会をついに令和のこの時代爆誕させてしまった。

みんなそれでもお願いを受け取って、自分のできる範囲で、自分なりに我慢をしてる。

ジジイジジイなりに、ババアババアなりに、ガキはガキなりに、ラッパーラッパーなりに、政治家政治家なりに、みんな我慢してるんだろ。人によって我慢閾値が違いすぎるってだけの話で。

いつまでヒップホップがどうとか言ってんだ。

物語のあの場では、演者も観客も、あの振る舞いが精一杯の我慢だったんだろ。

から、あの場所をつくり出した主催者が悪いし、ルール度外視支援金を掠めとろうとしたツケは払わないといけない。

そんで、繰り返しになるけど、そもそもそんなザルな申請を通した制度の方を批判するべきだ。どう考えても、強行できるようになってるシステム問題があるだろ。

みんながこぞって口にする「自分我慢してるのになんで?」っていう発想がそもそもおかしくて、我慢の対価を用意できない制度の方に問題がある。

特別措置法なんてものをこしらえても、罰金科されてでも要請を突っぱねた方が得するならそりゃもう制度として破綻してる。それは制度脆弱性であって、その脆弱性に目を瞑って人の善意に頼むのは無茶だ。

善意良識がこれほど強く求められる空気蔓延した時代を、私は知らない。

何度でも繰り返すぞ。人間の行動を善意(や理性や良識)で制限することはできない。それを守ることで得をする、というインセンティブしか欲望制御できない。

良識ある人間馬鹿を見る状況を是正したいと本気で思うなら、(真面目な人間から見れば)良識のない人間に矛先を向けるのではなく、煮え切らない対策方針国民同士を監視牽制させる状況にさせてる制度批判するべきだ。

こんなことまじで言いたかないんだけど、この2年、政府自治体は、何をしてくれた? 提供されたのは、ごく限定的補償と、わずかばかりの給付金とみすぼらしいマスク。それと引き換えに政府から“お願い”されてるのは、自分たち生活すべてを犠牲にすることだ。

人と会うのを控えてほしい、外食を控えてほしい、旅行を控えてほしい、対面授業を控えてほしい、修学旅行を控えてほしい、映画鑑賞を控えてほしい、ライブを控えてほしい云々。

それももう当たり前ながらとっくに我慢限界だ。このままじゃ死ぬってなったら好き勝手にやるしかない。

食えなきゃ死ぬんだが? 品行方正な店や会社は今もガンガン潰れてるんだが?

自分と同じように苦しんでる人間に石投げて、足引っ張りあって何のつもりなん?

他人様に迷惑かけるくらいなら指くわえて死んどけなんてさ、俺も俺のことが一番大切だから、とてもじゃないけど口が裂けても言えねーわ。あんたら悪魔かよ。

いがみ合ってる国民ほど、国家にとって管理が用意な大衆もいないですね。このままじゃまじでディストピア一直線だぞ。

奴隷自分の鎖の大きさを自慢するっての、ありゃガチだったんすね。

いや、奴隷たちのチキンレースって言った方がいいか主催自分たち自身でもある。

世間が言うように、ラッパーはもしかしたら、コロナへの警戒心が薄い(ように見える)人が多いのかもしれない。

ただ、最初にこのクソみたいなチキンレースから降りたのが誰であろうと、降りた人を叩いたところで状況は何一つ良くならない。

そこら中に亀裂が走ってボロボロになったこ社会に、また一つ新しい分断が生まれるだけだ。

2021-09-16

いい歳してブスであることを受け入れられない

考えすぎてもはや自分容姿客観的にどうなのかよく分からないけど、素は結構なブスでばっちりメイクして着飾れば普通かちょいブスくらいだと思う。

そんな容姿で数十年生きていれば普通はブスなりの諦めとか処世術とか身についてくるんだろうけど、私は未だに自分のブスさに悩み、絶望し続けている。

思い当たる原因はある。思春期まで続いた多大なハンデだ。

私は幼稚園の頃から眼鏡をかけていた。小学校も半ばになるととんでもない癖毛が発現した。当時はナル〇ヤ系ブランド流行っていて、『もどき』のちょっと派手な服をたまたま一着買い与えられた。これはちょっと似合わないような気がする。でも鏡を見ない限り服だけが目に入る。可愛いテンション上がる!

キドキしながら学校に着て行ったら、

「えっ……それ、〇〇ちゃん自分で選んだの?」

と引かれた。「お母さんが勝手に買ってきたんだよ」と強がった。

おしゃれをすることと、可愛らしい格好をすることが怖くなった。ぐりぐりの癖っ毛をショートカットにし、お下がりボロボロパーカージーンズを着た。眼鏡はなぜか無難な横長のレンズじゃなくてまんまるなやつをかけさせられていた。おまけに度が強いのでめちゃくちゃ目が小さく見える。

それでも私は密かに希望を抱いていた。なぜなら、それらは言わば足枷からだ。

眼鏡を外した自分の顔を鏡で見ると、なかなか可愛かった。鼻はちょっと大きいけど、見慣れれば平気なレベル。目はぱっちり二重だし悪くないんじゃない? コンタクトにして縮毛矯正をかけられる時が来たら……見てろよ!

似たような経験のある人にはお分かりだと思うが、これはかなり危険勘違いだ。鏡の前では誰しも『良い顔』を作ってしまう。しかも私の場合裸眼だと鏡にかなり顔を近づけなければよく見えなかったので、至近距離からパーツごとに凝視していたことになる。全体のバランスが全く見えていなかった。

中学に上がったらもっとからさまにブス扱いされ始めた。クラスヤンキーから陰で変なあだ名をつけられてクスクス笑われていたらしい(何ヶ月も続いた後にようやく知らされた)。あと、ブスハブりというか、差別いじめと言うほど積極的ではないにしろクラス可愛い子達、運動ができる子達、コミュ力の高い子達からスッと避けられる。あとに残った、(私の脳内では私より)極端に根暗な子達と仲良くするしかない。友達を選ぶ権利もない。いじめではないからどうにもできないが、私にとってはこれが一番堪えた。

それでも希望はある。高校に入ったらコンタクトにして縮毛矯正許可するって親が言ってくれた。卒業まで耐えれば大逆転待ったなし!!

そして待ちに待った高校入学した。私は美少女に生まれ変わった。いや、これが本来の姿だったのだ。さあ、今後毎日弁当を食べるグループが決まる瞬間。隣の席の可愛い子、その前の席の可愛い子、後ろのいかにも運動部な子よ、仲間になろっ!

……ダメだった。彼女達は私など視界にも入らないかのように三人で机をくっつけてお昼を食べ始めた。私はあれよあれよと言う間に近くの席の変わり者達に取り込まれ一年間そのグループごはんを食べた。これでは中学校と同じではないか。一体なぜ。

行事の際に集合写真を撮った。そこに写った自分美少女ではなく、能面みたいな顔だった。丸顔なんだか面長なんだかよく分からない縦にも横にもデカい顔に『見慣れれば平気』どころじゃない巨大な鼻とそれを際立たせるちんまりとした口。大きくて綺麗だと思い込んでいた目は巨顔に占める比率で言えばむしろ細く、まりもっこりみたいな三白眼かまぼこ形だった。それらのハーモニーが最高に気色悪かった。

さて、ようやく自分がブスであることを悟った私は希望を失い、それまで以上にブス扱いに傷つくこととなった。

メイクファッションを学び、失敗を繰り返しながらも徐々にマシにはなった。しかメイクには限界があり、鏡の前で「お! イケてるんじゃない?」と思っても他人から見れば誤差のレベルで、特に複数人の中で比較されてしまえばほとんど意味はない。大人になれば流石に真っ向からブース!」と罵られることはないが、一緒にいる可愛い同僚だけ毎日褒められたり、とある男性社員からブスとデブだけ嫌がらせを受けていることに気づいたりして、その度に深く傷ついた。ブスならそんなのよくあることだし、そもそも毎回褒めそやしてもらえるほどの美人の方が少数派でブスがそれを望むなんてちゃんちゃらおかしいと頭では分かっているのだが、思春期までずっと「私は本当は可愛い」と思い込んでいたせいで余計に受け入れられない。新しいコミュニティに入るたびに、ついつい美人扱いを期待してはがっかりしてしまう。本当に馬鹿げている。

整形すればいいのでは? と思われるかもしれないが、そこまで大掛かりでない整形で何とかなりそうなのが鼻くらいしかない。顔も頭も大きい、目の位置は高い、顎はない、酷い巻き肩が治らないのも悩みだし、手足はかなり短い。肌質も髪質も声質もゴミだ。よくアイドルなんかが「顔の輪郭を髪でごまかしている」と馬鹿にされているがご存知だろうか、輪郭を髪で隠すにも素質が必要なのだ。顔が生え際から大きくせり出しているとほとんど隠せない。

それに鼻って弄るとすぐにバレる。あくま私自身のことに限定した考え方だが、知人に整形したとバレたら美人くそもないではないか。年に一回くらいのペースで会う美人の先輩が、会うたびに「また綺麗になったね」と褒めてくれる。私のゴッテゴテの化粧から美人になりたい!! 綺麗って言って!!」感を読み取って言ってくれているのだろうなと思ってたまらなく恥ずかしくなる。そういうくだらない自意識も捨てられない。美人になりたいブスのくせに。

「人柄が顔に表れる」という言葉がある。本当に? 顔に出るにしたって限界があるだろう。もともと吊り目の人と垂れ目の人が同じくらいニコニコしていたとして、どちらの方が柔和に見えるかなんて分かりきったことじゃないか。『目つき』って何だ、結局目の形や黒目の大きさによるものじゃないか

「女芸人のあの人は美人じゃなくてもいつもニコニコしているから可愛らしいじゃないか」もよく聞くけれど話にならない。芸能人なんてのは美人じゃなかったとしてもなんだかんだ好印象な顔、『様になる』顔なのだ。私のような不快感を与えるタイプのブスなんて見たことがない。

そう、私は多分なんとも不快タイプのブスだ。香椎〇宇っていたでしょう。彼女はもちろん美人だったけど、彼女の目つきがきつい感じ、お堅そうな感じだけを持ち合わせたブスがいたとしたら……それが私。どこへ行ってもまず第一印象は良くないし、良くてくそ真面目に見られてしまう。滅多に打ち解けられないし、一つ失敗したらすごく失望されるし、みんなと一緒になってはしゃいだら苦笑いされるかギョッとされる。悲しい。寂しい。性格ブスが進んで雰囲気ますますブスになる。せめて好印象な顔になりたかった。

最後に、なんで都会ってスタイルの良い人がやたら多いの? ただの健康診断の会場ですら私より小さい人が見当たらなくて愕然とした。身長だけで言えば私はごく平均的なはずなのに。何というかみんな頭身が高い。『モーニング』の世界に一人だけ『コロコロコミック』のキャラが迷い込んだみたいで恥ずかしかった。じゃあね。

anond:20210916112435

しか解体工事とか鳶とか足場屋とかダンプ運転手とかのおじさんたち、「俺は昔ワルだったんだよォ」って自分の口から言わなそうというイメージある。

平成の頃は「ヤンキー」って呼ばれて煙たがられて邪険にされてたけど、その時代バイク乗りとか服装とか素行がよくない人がマジョリティだったからかな?

放火とかの前科のあるヤンキーとかDQN地元で楽しく暮らしているみたい

自分はもう生きていけそうにない

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