はてなキーワード: モチとは
本ギルドの人に戦い方とか色々教えてもらって成長してたんだ
本ギルドに欠員が出たから昇格出来て本ギルドに移って色々と戦ったなぁ
敵のギルドのスパイによる人狼ゲームじみたやり取りやロシアギルド、中国ギルドとの戦闘、鯖一位のギルドになって常に常勝に至る
楽しかったなぁ
鯖一位になってしばらく平定してたら元ギルドの離脱組が戦争仕掛けてきて、ギルドの欠員が出た理由はその時の離脱組がリーダーから離れたためだった
離脱組は旧知の仲だったから襲わずにスルーしてたら表に出て来ずにひっそりと育成してたみたい
元ギルドメンバーとの戦闘も勝利してそいつらは引退して今度はロシアの戦力一位プレイヤーをギルドの仲間にするかで揉めて分裂してしまった
その後ギルド内で日本人プレイヤーが減ってトルコの富豪プレイヤーが仲間になったりと国際色豊かなギルドになった
鯖一位になると刺激がなくなって、ギルドが分裂したりと対人関係で揉めてたりでギルドリーダーが義務ログインみたいになっていて発言力が薄れていった
リーダーを週替わりでやろうということになって俺もギルドリーダーになったこともある
でもダレてきた
絶えず鯖一位で何ヶ月もやってると飽きる
それで別の日本ギルドがギルド戦で仕掛けて来てダレてきてた中戦力差もあって負けてしまった
もうみんなやる気無かったんだと思う
それで敗戦を重ねて傘下に入ることで終戦締結してモチベが落ちて俺はログインしなくなった
うーむもっと俺に文章力があればもっと楽しい思い出として語れるんだが
よく留年しなかったなと思う
成績は落ちたけどね
今朝、通勤中に思いついた。
女性の人権を軽くすれば、可能であればゼロに近づけることで少子化問題は解決に向かう。
厚労省の統計によると、50年前の出生率は今の3倍はあったようだ。その理由のひとつとして、女性の権利が今よりも制限されていたのが大きい。
ある昭和のⅤシネマで、ケツモチがソープランドにみかじめ料をもらいに行っていた。店内に接客スタッフはおらず、嬢が1人だけいた。ケツモチが店に誰もいないことを嬢に確かめると、それから実時間で十秒もしない間に強姦が始まった。
行為が終わった後に嬢は泣いているのだが、男が慰めるとまんざらでもない表情をする。そして、劇中時間で1~2週間後には2人の清い交際がスタートする。
今の時代に、こういう演出はできるのだろうか? 日本映画では難しいように思うし、作れたとしてもテレビ放送は無理だろう。クレームが殺到して、ツイッターやはてなブログのフェミニストに袋叩きにされそうな気がする。
でも、女性の権利レベルを低くすると、できればそこらへんを歩いてる犬猫くらいにすると、恋愛的・結婚的な意味で日本社会のためになるのではないか。理由は以下のふたつだ。
理由①
男が女を強引に誘えるようになる。今の時代は、嫌がる女性をしつこく食人に誘ったり、嫌がる女性を車の中に押し込んで、河川敷の駐車場(または住宅団地のできるだけ高いところ)に連れていって無理やり性交するとセクハラが成立する。
でも、嫌がっているからといって、恋愛不成立ということで本当にいいんだろうか? 女って、いい感じの男から誘われても嫌がることがあるんじゃないか? 本当は好きでも。そういう、いわゆる『好き避けの壁』を突破できた男だけが自分の遺伝子を残せる。
今ではそれがやりにくくなっている。上記のセクハラ問題だ。今の男は、昔の男に比べて女を強引に誘うことができない。無理して食事なんかに誘うことはできても、結果が悪ければハラスメントで訴えられて社会的な立場が危うくなる。
理由②
エロ漫画では強姦の扱いが軽い。あっちの世界でも強姦は重犯罪なんだろうが、登場人物はお構いなく無理やりなセックスに走る。
これが、もし現実化したら……例えば、学校でも職場でも、好きな時に女の手を握れて、好きな時にキスができて、好きな時に胸を触れて、好きな時にセックスできて、好きな時に子どもを産ませることができたら――それで、産婦人科での堕胎手術を禁止にしたら……それらが当たり前になったら、日本の出生率が上がる確率は100%だ。
え? 望まぬ子ができたらどうする? 国が面倒を見るんだよ。赤ちゃんポストの拡充を行って、親がいらないと判断した子どもは公共的な組織で育てるようにする。
大昔は、親から愛情を注がれなかった子どもは間引きされていた。それは人間の世界でも、動物の世界でも一緒だ。今だって、多くの親が子どもを殺してるじゃないか。間引きされるくらいだったら、自由に子どもを捨てられるようにすれば、あの子らだって生き延びることができたのに。
100年前に比べて、人間一人当りの価値は確実に上がっている。
昔だったら、いらない子どもは生まれた時に産婆に殺してもらったり、何年か育てた後に人買いに売ったり、誰にも知られずに始末すればよかったかもしれないが、今ではそれらの行為は犯罪として処される。
人間も、ペットも、エビみたいな食物でさえも、あらゆる命の価値が上がり過ぎている。ペットを傷つけるのはすでに犯罪だし、こないだようつべでエビかカニを生きたままミキサー機にかけて殺す動画をアップした人が糾弾を受けたというニュースを目にした気がする。
昔の女は、例えば、大学の掲示板に貼ってある求職カードの雇用条件のところに、「新卒の場合、女子は満24歳まで」「女性社員は30歳が定年です」「女性が応募できる職種は事務のみです」みたいなことが平気で書いてあったんだろう? 大学の先生が言っていた。
今でもそういう文化はある。例えば、総合商社の受付に行ってみろよ。大抵は美人がいる。あれって、男性社員へのサービスの一環として可愛い子を雇ってるんだろ? それで、女も高年収の男に出会うことができる。WinWinWinだ。
女性の社会進出や、男性との雇用条件の均等化が叫ばれて久しい。俺が生まれた時点ですでにそういう文化だった。でも、それじゃだめだ。女が貧乏じゃないと男と結婚しないだろうが! 女は結婚できない限り、社会的弱者でいてもらわないと世界が困るんだよ…泣
少子化に勝てる文明なんてあるものか。このままでは世界は滅びる。
だってそうだろ。科学や政治や経済が進歩して、豊かになればなるほど、結婚せずに1人でいることの幸せ感が高まっていくんだぞ? 異性と出会わなくても、アニメや漫画やゲームの世界で満足できてしまうんだぞ? ヒプノシスマイクてめーだよ。アニメ面白いじゃねーか。
女を誘っても、自分が本当に嫌われてるかを知る頃にはセクハラ事犯だ。誰が恋愛に挑むんだよ。誰が子どもなんて作ろうとするかよ。
俺はまだ学生だ。でも、これから新卒社会人になって、中堅社員の仲間入りをして、もしかしたら管理職になって、そんなこんなでおじさんになって、還暦になって、会社を定年退職して、おじいさんになる過程のどこかで、男も女も楽しめるセックスができるロボットか、セックスを脳内体験できるゲームが発明される確率はとても高い。9%だ。
そんなことになったら、人間としての男の価値も女の価値もゼロになってしまうじゃないか。
年老いた後の未来が怖い。どんなに恐ろしい世界が待っているんだろうか。公民館や集会所に行っても、プールに行っても、ゲームセンターに行っても、カピバラ園に行っても、月にできた観光施設に行っても、ジジイやババアだらけなんだぞ。
俺が50年後に生きていたとすると、そういう世界になっているだろう。
もう誰も見ていないと思いますが。
軽い気持ちで書いたエントリを思った以上の方に見て貰えて嬉しかったです。
似たような状況に置かれている方、色んなジャンルで世界にたくさんいるような気がします。人が集まっちゃいけなくなるって、そういうことですからね。頑張りましょう。
ただ深く考えないで書いた文だったんで不快に思われた方もいたかと思います。申し訳ありませんでした。
で、なんの競技かなんですが、ごめんなさい。このまま消えさせてください。
なにか状況動いたらまた書かせてもらうかも知れません。次はもうちょい配慮して書きます、、では。
読み返したらコメントされている通り自己顕示欲丸出しみたいな一文があったので修正しました。
マイナーさを自虐的に表現しただけのつもりだったんですけど、はい。
できることといったら、来年の大会に参加する用意(あるのかな、、、望み薄な気がする)を金銭身体面でしておくだけです。
もしホントに国内で大会開くところまで行ったら派生元競技の知人とかを通じてリアルで活動したりしなくてはとか思っていましたが、
今はインターネット老人会の本能的に、名無しのままでいたいです。
タイトルまんまなんですが。
私がここ数年サラリーマン生活の傍ら取り組んできたマイナースポーツがこのままだと消滅しそうだなウケるwと思ったので書きます。
超マイナー故に、競技名バレると本名年齢、顔までバレかねないのでぼかしつつ書くことをご容赦ください。
というような超小規模な世界なので「ワールドカップ」と言っても大会の雰囲気はアットホームなもんです
殆どの大会主催者は引退した競技者で、商売でやっている団体って殆どない(一部大会は、スポーツイベント主催会社が取り仕切っているけど)
複数回参加する人はほぼ知り合い、「オーまた会ったね!」みたいな感じで、ここで「今度は負けないぞ!」みたいな会話はほぼない。気楽なもんである。
特にアジア人は珍しくて、私はアジア人としてもかなり華奢な体格してるので、向こうのでかい競技者に交じると大人と子供、ほぼマスコット扱いされてるような気もするがまぁいいか。
全然レベルは違うけど、カーリングとかフィギュアスケートで各国代表同士は親しい友人だ、て感覚こんな感じ、、?と思っていた。
この「世界に同志ができる感覚」がたまらなくて、競技を続けていたのはある。
さて、このような生ぬるい小さな世界だが、どんな世界でも「世界のトップ」というのはマジですごい人がいる。
なんで他の競技でもオリンピック競技者レベルだと言えるかと言うと、競技の特性上、プロフィールとして陸上の記録とかが出てくるからだ。
私も一番鍛えていたときは生活全てが競技成績向上のために組み立てられていた、、、ので、自分の体の性能の95%位は引き出せたと思っている。
曲がりなりにもそのへんまで自分の能力開発をすると、逆に生まれ持ったものが違う人との差というものを痛感することになる。
ちょっとやそっとの差じゃなくて、これは絶対に埋まらないと思うほどの差だ。
大学院の時、頭の中で論理回路組み立てながそれをそのままコーディングする離れ業を見たときにも俺には絶対に無理だと思ったけど、それに近い。
一般人でも、体育で4以上もらったことがない人でも、真面目に鍛えれば想像もつかないぐらいの力を身につけられるもんだが、
彼らは最初から一般人と同じ次元にいないと言うか、一般的な意味での鍛えてたどり着ける延長線上にはいない感じ。
ですが不思議と、そういうことは悔しいとか、そういう気持ちにはならない。
「アイツらの本当の凄さを理解できるのは俺達だけ」みたいな感覚が、トップ層の下にくっついている集団にあったような気がする。
この感覚は宝物だ。
さて、そのような私の愛していた大会だが、当然ながら今年はどこも中止だ。
そして、前述したように主催者側は「ほぼ利潤の出ない手弁当の大会開催」「ましてや協会には収益なんてほぼない」状況であり
参加者の大半は「それほど真剣に取組んでいない層」なのに加え、「参加費が非常に高い」という事情があるため、
どのくらい高いかと言うと、開催される国の物価によるが30万円~10万円である。
スタッフ(というか主催者の友達のお手伝い)の日当、宿泊費、食費まで参加費から出すんだから当然そうなる。
今だとまだ規模が多少大きくなり、主催者側が「大会開催用資材」を既に持っているケースがあるのでこれでも多少安くなった以前は50万円とかあったらしい。まじかよ。
基本的に金持ちの遊びである。私は金も時間もほぼ全振りして参加していた。まあ、ついでに世界を旅行してた感じなので、
すると、このようなドミノが想定される
大会がなくなる
↓
↓
体力低下
↓
完遂の見込みが薄いのに参加費出すか、、?そもそもやるのか?
(あまり関係ないがこれまでの所感として、アメリカ人は完遂の見込み薄くてもチャレンジ的に参加し、ヨーロッパ人はきちんとトレーニングしてから参加したがるイメージだった。)
↓
参加費が集まらない
↓
↓
上位層はとてもやる気のある人達が多いので、顔本とか見てると個人で模擬競技やってたりするけど、正直コミュニティ全体の盛り下がりは否めない。
私も後2-3年競技者としてコミットしたら、台湾、シンガポールの友人とアジア分会を盛り上げていこう、次はアジアから協会理事を出してアジアで大会を開こう!とか盛り上がっていたところなので
なんともなんとも悲しいもんがある。
しかし、再来年となると、、、本当に今のコミュニティの消滅が現実味を帯びてくる。
コロナめ、、、
運動だけでは痩せない。運動3、食事7くらいで頑張るのが目安。
運動は基礎代謝をあげて脂肪燃焼しやすい体つくりのため、やせた後リバウンドしないための体つくりのため、生活習慣の改善のため。
食事は3食たべた方がいい。食後は血糖値が上がって徐々に落ちるけど、ゆるやかに3回をコントロールする方が体にいい。
代謝以上の血糖値が上がるプロセスが脂肪を蓄えることになるので、下げる機能がない夜の20時以降の食事は取らない方がいい。
仕事や生活習慣で3食が多い人(デスクワークで普段動かないような人)は回数を減らすのではなく1回あたりの量を減らして3回に分ける方がいい。
お菓子と間食は危険。お菓子は小さいくせに糖類がめちゃくちゃ多い。間食は何を食べるにしても1日中血糖値が上がることにつながるのでよくない。
野菜は糖質をゆっくり消化してくれる助けになるので、多めにとる&食事の最初にとるといい。
野菜は両手に乗る分が1食分の目安。定食につくサラダでは全然足りてないので外食派の人は生活スタイルを見直す必要がある。
糖質は液体になるほど急速に血糖値が上がるので、ごはん→パン類やラーメンなど→ジュースの順に推奨らしい。(ジュースは糖類が多すぎて基本NGだけど)
具体的な食事量はそれぞれの年齢や性別、基礎代謝の量とかで変わってくる。栄養士さんと面談する機会があればすぐ電卓弾いて1日あたり/1食あたりの具体的な答えを教えてくれる。
運動量も人によって(今の肥満度)違うので栄養士さんに相談するのがいい。
病院によっては肥満外来があるので何やっても痩せないって人は聞いてみた方がいいかも。
だいたいは1年で10キロ程度痩せるラインでの指導だと思うけど、1年で10キロ減はゆるすぎてモチベが続かない。なので俺は指導してもらった内容を元にもうちょっと詰めて(指導内容から食事の量をさらに減らして運動量を増やした)半年で10キロ、1年で計15キロ減らした。
その後油断して70キロまでリバウンドしてしまい、指導内容にそって68キロ前後を維持しているのがこの1年。
リバウンドは好きじゃなかった野菜を減らして大好きなラーメンをまた食べるようになったのが原因だと思う。そこをまた改めて生活に無理のない68キロ前後で維持してる。
運動はやってみるとわりと苦にならないのでずっと続けている。しかし運動だけではリバウンドは防げない。
軽い運動でも長く続けてると減量のおかげで、ある程度体のシルエットにメリハリも出て、お腹に薄く陰影もつくようになった。風呂上がりに見るとかなり自分に酔えるのでモチベにつながる。
どの行動取っても、あるいは現状維持でも、とにかく全部間違いしかなくて八方塞がりみたいな状況
一個でも崩そうと思えば全部崩れるみたいな状況
あるよね
現状についてメモ帳に小論文書いてみたけど、どうやっても詰んでる
___
でも正論で殴ってもお互いに傷つくだけ
せめてどうにかしようという気が自分以外にもあればいいが、そんなことはない
全部投げ出したい気分
___
振り返ってみれば人生ずっとそんな感じだった
頑張って取り繕うか、投げ出して逃げるかの二択をいつも迫られた
自分が取り繕ってるソレに対して一緒にケツモチしようって人が居ないんだけど、それって魅力が足りてないとかそういうのなんだろうか
例えば誰かが持ってきた仕事において、最終的になぜか自分がケツモチしてたり
例えば世の中を良くするサービスを作りたいと言われて、作ってあげた結果なぜか自分がケツモチしてたり
例えば勉強を教えてくれと言われて、教えてあげるんだけど本人の方が先に飽きていたり
せめて自分が言い出したことなら自分で選択するけど、いつも我慢するか投了するかの選択権をいつの間にか持っている
気づけば自分以外は飽きてる
取り繕っても投げ出しても気づけばまた孤独になる
今回はそれでも一生面倒を見る気で頑張ろうと思ったんだけど
やっぱり本人が飽きたら無理だよね
また無理やり取り繕うか投げ出すかの二択になってる
結構長いこと支えてきたけど、そろそろ破綻の足音が聞こえてきた
今回は投げ出す勇気がない、どうなるだろうなあ
タイトルのとおりなんだけど
小学校はサッカー部で先輩後輩なく楽しくやってたんだけど、中学校になってどうもおかしな気配を感じた。
普通の公立中学校だったからなのか、サッカー部なんかド不良の集まりで、先輩は絶対みたいな雰囲気だった。
パシリとか当たり前で、体育会系でよくある理不尽な命令みたいなのも普通にあった。
最初はみんなで「先輩怖いね~」みたいな話ししてたような気がするけど
なんか途中から同級生同士でも力関係みたいなのが発生して、クソ雑魚の僕はすぐにいじめみたいな感じになった。
もともとサッカーは特別好きではなかったし、はじめた理由もちょうどJリーグ開幕の年前後に小学校に上がったからみたいな感じだったと思う。
未練はなかったし、
何より怖かったのが、先輩>同級生>僕 みたいな非常に明確な構図ができあがってしまっていた事、
さらに先輩の上には先輩がいてさらにサッカー部顧問の先生がいる。さらにその上に外部から監督が来てて
その監督見た目はジーコみたいなんだけど、キレたら頭のテッペンから声が出る狂犬みたいなヒステリーおっさんだった。
まあ何が言いたいかというと、順当に順位を上げるのはムリダナと思ったわけです。
あまりに壁が高すぎる。とても正攻法では太刀打ちできない。と中1にして悟ったんですね。
くわえて以前から親父にも「お前は闘争心がない」とのご指摘を再三賜っていたので、その自覚はあったし特に悪いことだとも思わなかった。
幸いにしてそれほど頭は悪くなかったので、ぴゃーっと部活をやめて勉強にシフトすることにした。
で難なく進学校に進んで、今度は好きなことしようと思って
男女がいたからなのか、マイナースポーツゆえなのか、先輩後輩の関係もゆるく、待ち時間に漫画読んだり、ゲームしたり、夏休みに生徒だけで勝手に合宿したり、女の子に好きになられたり、そのまま仲良くなったり、楽しく過ごしました。
で、肝心のお勉強の方なんですけれども3年になると雲行きが怪しくなって来るんですね。1,2年時は強化クラスみたいなところにいたんですけれども、3年で普通クラスに落ちたんですね。
理系には有能男子学生が集まり、頭が悪くないくらいで勉強しない僕のような生徒が第一線張れるようなところではありませんでした。そういう環境では順当に行けば勉強頑張るか、となるんでしょうけれども、僕は戦いませんでした。そう文転です。
中学の経験から逃げが身についているのか、僕はさらに逃げます。そう私大です。
センター併用とかなんとかでごまかして、有名私大文系学部にするりと合格してしまうわけですね。下手に頑張って駅弁大学いくよか随分良い選択をしたと我ながら思うね。
これはもはや弱者の戦略と言って良いでしょう。勝敗が決する前に別の戦場に移るという画期的な戦法を身に着けてしまったわけです。その姿は強い相手と対戦しないように減量する計量前のボクサーのような美しさがあります。
でですね、大学でも難を避けて暮らして、今度は就活なんですけど、やっぱり理系企業に行きたいんですよね。ほんとはIT関連に行きたいんですよね。
無謀ですよね。競争ですよね。勉強してないのに。なのであきらめました。
じゃあどこいこうかなと思ったとき、僕が選んだのは女性が活躍できる職場(男性が誰も入ってこないくらいのブラック企業)でした。当時はブラック企業情報などもあまり溢れていない環境だったかと思いますが、親兄弟からも反対されるほど名のしれたブラック企業でした。
なぜそこに入ったのか。おそらくそこしか入れなかったのでしょう。規模が大きく、成長性があり、労働環境最悪―――というのは、なんとなく自分には向いてそう、という感覚がありました。実際その会社の労働環境は凄惨を極め、朝から夜まで働き詰めで1年めの年間休日は30日とかだったと思います。(もち全部サビ残だよ)
なんか書くの飽きてきたな。増田に長編書くモチベってなんなの?
で何が言いたいかというと、女性が多い職場にうら若き男が入ると、めっちゃかわいがってくれるんですね。んでもって女性が多いからといって女性が出世できるわけではないので、大卒の男性なんて勝手に出世するんですね。女の人って大変ですね。
しかも、もともとが時代遅れのブラック企業なので、成功した他社のやり方持ってくるだけでポンポン成績が上がるわけです。面白かったですね。
そんなこんなで出世して20代のうちにちゃっちゃっと結婚して子ども生まれて、まさにヌルゲー人生を謳歌しているわけですけれども。ここでふと気づくわけですね。
なにか仕事でヤバいトラブルがあったとか、乗り越えられない壁があったとか、めっちゃすごい人物にあてられたとか、一切そういうことはなくて、ふと振り返ったときに自分の歩んできた道の軽薄さに恐怖するんですね。
今までは「戦略的撤退」だと言い聞かせてきたんだけど、今、退路を探してもどこにも見当たらないんですよ。スキルも積まず、努力もせず、社会の盲点みたいなところ一点突破してきた自分が、出世だけして家族を背負い、綱渡りしている事に気付いてしまったんですよ。
手に職つけず。年だけ食って。もう35だよ。転職するにも公務員試験も受けられないよ。
退路がないと言ったけれども、僕、前進する方法も知らないんですよ。
どうしたらいいですか?
僕は何を恐れてるんだろうか?
どうしたらいいんだ。
こんなオチにするつもりで書いてたんじゃなかったのに。
「嫌なら逃げればいいじゃん」っていう軽い感じで書いてたはずなのに。
なんだこれ。最悪じゃん。
もう寝よ。最悪だ。
○ご飯
朝:サンドイッチ。昼:高菜弁当。夜:人参と玉ねぎと大根とシメジととき卵のスープ。納豆。間食:モナカアイス。柿の種。チーズ。チョコ。
○調子
むきゅーはややー。仕事はそれなりー。
雨が降ってたので、散歩はおやすみん。散歩したくてたまらない、散歩中毒だよ、散歩したい散歩したい散歩したい。
○グラブル
復刻イベントの周回。カスカス、ガチャチケ、指輪、アーカルムポイントを交換した。あとは半汁とエレメント交換したら終わりだけど、モチベないからこの辺でいいや。
自ジャンルは全体的になんだか妙にお気持ち表明が多いように感じる
神絵描きや字書きがお気持ち表明→垢消しとか、作品消しなどなど
その際に「感想がプレッシャーだった」「自分の作品が気に食わないから消す」とか、そんなお気持ち表明もあれば「この解釈が合わない」と今まで仲良くしていた人に砂かけして去っていった人もいる
そしてお気持ち表明に対してTLで私の感想が悪かったのかな、そんなことないよよしよし、といった空リプ祭りが毎度起こる
その風潮がめんどくせ~~~~~~~~~~~~~という結局はお気持ち表明だ
自作品が気に食わないに対し、私の感想が負担だったかな、とか落ち込み続けてそれに対し作品を消した本人は感想自体は嬉しかったと言うのに結局複数名のアカウントが「負担をかけたのがしんどいので」と消える
そんなのが月に1回程度半年ほど続いたので感想を送りにくい空気が生まれてしまったのが一番しんどい
私は感想めちゃくちゃ送りたいし貰いたいのに、今まで三か月に一回は貰えていた感想がぱたりと来なくなった
底辺絵描きではあるが貰えていた感想に生かされていたのでしんどい
描いているものが悪くなったのかもしれないが、いいね数は変わらないのでそういう訳ではないと思いたい
他人のモチベを自分のモチベにする人が多すぎるのでまじでやめてほしい
やるなら自分の中だけで完結してお気持ち表明とかしないでほしい
自分がTwitter上でお気持ち表明をする際は、誰かを間接的に貶したりはしたくないものだと改めて思った
言っても言わなくても勝手に落ち込むなら言わない方が楽だが、しかし作品や垢を消すとなると自分のせいだと邪推する人が多すぎて面倒くさい
作品は作者のものなんだから自由に消したりさせろ~~~~~~~~~~~~!!!!!!
■ゴール
いわゆる自炊が一通り出来るようになる。
■やったこと
変なアレンジはしない。
不満はない。美味しかった。(若干甘くね?ってレシピもあったが砂糖も指示通りだ。)
で、次はどうするんだ?
1.もう一周
→モチベが続かない気がするぞ
2.ダシから作る
→運用的に無理。そこは避けたい
この日記は今日「マイ日記」というアプリで完全プライベートで書きはじめたものだが、思いのほか長文が書けたのでこのクソを人に浴びせかけるとどういう心の動きになるか、どんな文句を言われるか発達障害者(ADHD)が認識の歪みを治したい半分好奇心半分で匿名ダイアリーに投稿するものである。
日記をつけることにした。このアプリはタイトルをつけなくていいのが良い。タイトルは頭を使う。それはともかく、非常にダラダラした1日だった。昼夜逆転し、やる気が起きず、テレワーク始業の時間になってようやく眠気が来るという有様だった。寝てはいけないとは思いつつ、そのモチベーションが保てずAmazonプライムをダラダラ見ながらというか聴きながら就寝。
14時あたりに起きるがこの体たらくに罪悪感、金曜から返信していない取引先から怒られる恐怖(実際この程度の遅れで怒る人間はいないが、見てるのに返信していないという罪悪感が被害妄想を駆り立てる)、全力を出しても生活を立ち直す未来がみえない絶望などから、今やるべきことを無視してまたAmazonプライムを観る。
コンサータが切れそうなので病院を予約したが、上記の理由と「黙って業務時間中に行くのは会社に悪い」という謎の罪悪感が伴ってやはり動けない。散々現実逃避でサボってたくせにである。
いや、単純に億劫なだけなのを「会社に悪い」という後付の理由で真人間っぽく取り繕っているだけだな。自分への言い訳だ。なんとなく頭の片隅では見苦しい言い訳だと感じつつも、結局はこの期に及んでいい人ぶりたいんだなという事実に今気づいて少し発見だった。さらに、日記でこれを赤裸々に書くことで自虐的な気持ち良さにも浸っているのかもしれない。そういうのは思春期の学生のときに卒業しとけよ。と別の自分が突っ込んでいる。でもこれは赤裸々に書くものと決めたから。
というわけで、とてつもなく億劫だったのでとりあえず気持ちの良いことをとオナニーに逃げる。野原ひろみさんのエロ漫画でシコりつつ決め手にかけるのでエンジェル倶楽部を流し見するも結局は中途半端はところでイく。「こんな世界に生きれたら」と願った。
その後一服して遅れつつも心療内科に行きコンサータをもらう。27から36に増えた。これでなんとか動けるようになれば良いのだが…。とは感じつつも同時に薬に頼るのも限界があるという事実が脳裏にへばりついている。
今日の進歩はこの日記をつけようと思ったことだ。日本語がおかしくてもいいので思考を客観的に見れるよう、ハードルを低く設定して続けていきたい。「今日はダメだった」の一言でもいい。日記が書けないほどのモチベーションの低下がみられるという事実が記録されるからだ。(この理屈だと何も書かなくても事実として書けなかった、という記録が残ることにはなるのだがそれはあまりにもその日を思い出すきっかけがなさすぎる)
あまり「頑張らなきゃ」と思わないように意識したい。てにをはや語尾の統一、表記揺れなどは気にしなくていい。ここに至っては自由なのだから、自分でその拙さを許せるかどうかだけだ。(とはいいつつ、見直して流石に変だと思うところはちょっと直してしまう)
しかし初日で単なる思いつきにも関わらず、(あるいは初日だから?)誰にも見せなくていいという気楽さからか結構長文が書ける。これは意外だった。自分の中は空っぽだと思っていたが、他人に相談するより吐き出すほうが向いているタイプなのかもしれない。既にもっともっと書きたいと思っているが、この気持ちが続くかというと謎である。寝て起きるとリセットされるのが常だから。むしろ家に帰ったら別のことがしたくなるだろう。そのほうが楽だから。場に気分が左右されすぎだ。自分がない。アイデンティティを得たい。
※結果、家に帰る途中でコンビニの寿司と豚汁を買い、タバコを吸いこの日記の追記をしている。金ないのに寿司なんか買うな自制心ないボケナスと思いつつ、追記するモチベが保てているのは褒めたい。これから深夜までサボった分の仕事も取り戻そうと思っているし。
だけど、思えば中学のころから辛い気持ちを吐き出すために絵を描いていた。僕の表現の本質は排泄なのだ。うんこを他人にぶっかけるわけにはいかない。この年になって自覚するとは、頭が悪いにもほどがあるな。自分の文章をみてすこしすっきりするのは「こんな大きいうんこした」という満足感と相似するものだろう。
昔からクリエイターに向いているとアールキャップなどでも診断されるが、今のエンターテイメントは数が多すぎてレッドオーシャンだし、全体的に洗練されすぎていて、上質な作品さえも話題性がないと見てもらえない。この手の診断のクリエイターとは社会不適合者の言い換えであることは理解している。
というか、クリエイターはたいてい締め切りがあって、よほどの大物であるか、かけがえのない技術がない場合はクライアントの要望や市場を的確に把握しつつも個性を出す必要があるので、普通のサラリーマンよりコミュ力や自制心が必要だと思うのだが。なぜ社会不適合な解答をするとクリエイターを勧められるのか。検査を作ってる人間はクリエイティブな仕事の内実をきちんと理解しているのか?発想力や企画力が必要だからこれじゃない?知らんけど。レベルにしか思えないのだが。
しかし、小学生のころはアホだがよく笑い、運動も好きで、友達も結構いてなおかつ可愛げがあったと思うのに、どうしてこうなった。理由は明白、中高時代の荒んだ生活のせいなのだが。
中学校に行くのが本当に嫌だった。不良に弄られる、遊びで殴られる恐怖に支配されていた。また、小学校時代の友人たちがどんどん環境に適応していき、若干の攻撃性を帯びていくのも嫌だった。とは言っても不良になったわけでもなく、一般的にみて普通だったのだが。超個人的な細かい部分の変化だ。ちょっと口が悪くなったりメダルゲームの競馬で遊んだりエロくなったりしただけだ。むしろそれはポジティブなことで、健全でたくましい成長と言い換えてもいい。僕が自意識だけ肥大して、強くなれなかっただけだ。
なにはともあれここで自己肯定感(自己肯定感なのかな?ともかく人格形成において何かしらの重要な要素が欠落したのはたしかだ。なにもやる気が起きなくなった。)がなくなり根暗となる。
それを引きずり高校に進学したあと友達が出来ず、マイナーなジャンルの音楽を聴いてアイデンティティを保っていた。良さは全然わかってなかったのに、みんなにないものをもっていると思いたかった。いわゆる中二病というやつだ。実際、あんなに聴いていたのに曲の展開や歌詞などうろ覚えだ。下手するとそのジャンルの有名なバンド名も出てこない時がある。聴いていたというより聞き流していた。
三年になると優しいオタクたちが仲間に入れてくれたが、彼らのパッとしなさに内心見下していたので「僕はこいつらとは違う」と一線引いていた。客観的に見れば同じどころか僕のほうが気色悪くてヤバいやつなのに。今でも交流はあるものの、話が合わなさすぎてやはり見下している部分があるのは否定できない。というか、純朴すぎて自分が社会不適合者であるにもかかわらず「社会でやっていけているのだろうか…」と最悪すぎる心配をしている。何目線なんだ。いや、最悪すぎると自虐して予防線を張るのやめたほうがいいよとまたもや別の自分が言っている。はあ。
大学に関しては楽しかったと思わないと自分が保てない。実際はコミュ障すぎてサークルでも「そこにいた」だけなのだが、それを弄ってもらえたおかげでなんとなく存在感は出せていた気がするので、青春は経験した、というカウントにしておきたい。そうしないと僕の人生悲惨すぎるので。彼女はいなかったが。ただ、尊敬できる人間には少なからず出会えた。うーん、こんな赤裸々な日記でも大学生活に関しては脳のリミッターが解除しきれず、曖昧に擁護してしまっている。恐らく尊敬出来る人たちと同種の人間なんだと思いたい心が、まだある。
話しはエンタメに戻るが、昔も話題性が重要というところは変わらないかもしれないが、私小説は排泄に近い表現がゴロゴロあるからなあ。とはいっても、詳しくはないからイメージの話だ。したり顔である「からなあ」じゃあない。しかし昔のほうが荒っぽい、素材そのままみたいな表現が許されていたのはたしかだろう。
売れる売れないはともかくとして有効なデータなど取れないし、今ほど娯楽が多くないのでともかく試してみようという機運と余裕があっただろうと思われる。知らんけどきっとそうだろう。そのかわり、働き方はめちゃくちゃだっただろうけど。その荒っぽさにはついていけなかっただろうから、どっちにしろ詰んでいる。というか、そもそもクリエイターなれるほど上等なクソは捻り出せない。そんな面白人間ではないし、根気もこだわりもない。
僕はどこへ向かい、どこに落ち着くのだろう。一生落ち着かないのかもしれない(むしろそれが濃厚である。なんせ学歴も私立文系偏差値50程度、仕事もできない、生活も破綻している発達障害者なのだから)今日も明日も多少の見栄と死の恐怖によって死んだように生きている。本能と少しばかりの社会性によって辛うじて生かされている。タバコを吸ってゆるやかに自殺しているが、体調が悪化するとやめてしまうことの繰り返しだ。
こんな中途半端な自分でもどうか、少しでも幸せな人生になりますように。わがままにも祈らざるを得ない。アーメン。
ああ、掃除をしなければ。
偉そうなことをいうと、増田の練習への熱意はすごいし当然絵もうまくなったと思うけど、「周囲との比較」で自分の絵柄に自信をなくしたなら、それこそ「うまいと思う人の模写」ももっとやった方がいいのかもと思った。
(控えめな性格で謙遜してるのかもしれないけど、「上手くなったかどうか」の記述が少なくてなんかモンヤリしてるのかと思ったので)
増田には「人体作画のスキルアップ」って目標があったけど、デッサンや美術解剖のスキルって「持っていてもイラストに生かすにはまた別のスキルが必要」なんだよね。
例えばテルマエロマエの作者なんて美術留学でイタリアまでいってて、ほとんどの漫画家やイラストレーターより美術的にはうまいはずだけどあの絵だし。
もちろん本人がああいう絵でいいと思ってるんだろうけど、他の美大出身の漫画家もめちゃくちゃリアルに書き込んでるのに結構「え?」っていう絵の人が多い。
(今は上手くても初期の漫画だと目の上下位置すらずれてて、これで美大?と愕然とする人もいた)
逆に、漫画やイラストがすごく上手い人でもデッサンやらせると「こんなもんなの?」ってレベルだったりするし。
だから、地道な基礎練習ができることはもうそれだけで尊敬に値するけど(1日平均3時間は普通にすごい)、周りの絵に圧倒されたなら、同時に「最新のうまい・きれい・かっこいい絵」を模写するのも結構大事かも、と。
そういう「漫画やイラストのスキルと美術的なスキル」を合体させる技術って、模写やトレス以外に学べる方法って他にないんじゃないかなあ。
「ここ10年で絵のスキルがあがった」っていうのも、みんなが地道な勉強をやったっていうより、ネットで模写とかの参考にできる絵が増えた、あんちょこ的なショートカットが共有されたことも大きいんじゃないかなあ。
基礎的な画力の高さより、「よく見ると歪だけど、めちゃくちゃ魅力的なイラスト」ってのがすごい増えた印象がある。
模写はちゃんと考えられる人がやると理解度が全然違うし、「センスや流行を理解しそれに乗る」ってのもイラスト的に超大事な高等スキルだし、増田ならすごい速度で吸収できると思う。
線一本で表現の深さが段違いになる世界だし、漫画やイラストはそれこそ知識よりセンスで書く人が多いからこそ、美術的な知識で考えてもわからないスキルだらけなんだよね。
「なんでガタガタの線で綺麗な肌を表現できるの?!」とか、「この線がなくなっただけで全然違う絵になる!」とか、「よくわかんないけどここに細い線が2本重なってるのがかっこいい!」とか、模写やトレス練習すると予想外の気づきがある。
あと、絵自体は下手でも構図とかで「前後のストーリー」や「感情」を表現するのが上手い人とかもいるからね。
自分より下手でも「なんか気になる絵のひと」は、何らかの能力がめちゃくちゃ高いんだよね多分。
漫画は特にコマ割りで語るものだし、絵の技術だけでは推し量れない部分が多いからね、そういう人の漫画や絵をトレスすると新たな視点を手に入れられるかも。
不思議だけど、見てるだけじゃだめで自分の手で描いてはじめて気づくことも多いんだよね。
地道な練習も大事だけど、新しいことを知る刺激は単純に楽しいし!
だから、漫画を描くことが目的なら、他の漫画やイラストを模写を増やして絶対損はしないと思う。
流行とかセンスって、頭で学ぼうとするよりも実際に体を動かしてやってみる方が圧倒的に理解度が高いし。
まあ単純に頭の切り替えにもなるし、よかったらやってみた方がいいんじゃないかなあ、と偉そうに思ったり。
俺今45。人生振り返って、これまで挫折らしい挫折した経験がない。
学校の勉強、スポ少、習い事、なんでも出だしはそこそこのレベルでこなして、ぼちぼちの出番を与えてもらって。でも何かにずば抜けているわけでもなく、そこそこの成長したら頭打ちで、モチベ下がって、でも叱られるのや失望されるのは嫌だから顔だけは真面目になんとかこなして。大きく成功しないからそんなに目立つことなく、妬まれることもない。ベストじゃないけど、でもまあいっか、次に期待って言えるレベルで踏みとどまるから、露骨にがっかりされることもない。小さい頃思い描いていたまんまではないけど、広い意味でやりたかったことやれているし、ここで人生終わってもまあ良かったねと言えなくもない。出会うべき人にも多分巡り会えて、子供こそいないけど結婚もできたし、裕福ではないけど、ここに至るまで不自由したこともなく、環境にも恵まれて、巡り合わせにも周りに支えられてきたことにも感謝でいっぱいだ。このまま枯れていっても、幸せだと思いながら死んでいけるだろう。でもこの生き方で面白いのか?って、ここ10年単位でなんか引っかかってた。
病気、災害、失業、いじめ、身内の不幸、周りはみんな何か一つは鉄板の苦労話を持っていて、でも自分にはない。いくら無い物ねだりでも、不幸は望まない。死ぬまでぬるま湯に浸かって暮らせるなら、そうしたい。でももし、誰もが一度は大きな不幸に見舞われるなら、遅かれ早かれいつか自分にもその日がやってくるんじゃなかろうか。挫折を知らず、そこから立ち上がる訓練も受けずに、ずっと年取ってからいきなりどん底に突き落とされるくらいなら、早い方が良かった。大人になってからおたふくに罹るとしんどい、みたいな後になるほどしんどい痛みがいつかやってくるんじゃないかと、漠然とした不安が拭えない。
多分、日本で生まれ育ったなら、ほぼもれなくどっかで災害を体験していて、非常事態の自分の心の動き、辛さを共感しあえる部分で繋がっているんだろう。でもそれすら運がいいことに(引越が多かった)、自分は晒されずに回避してここまできているものだから、被災した誰かに心から共感できてる気がしない。いざという時の備えに対して緊張感ももてず、貪欲さもないから、どのコミュニティーにいてもアウェー感が否めない。何を語るにしても表面的で所詮お前には他人事だろう?と思われてるんじゃないかってコンプレックスが湧いて、どうしても一歩引いてしまう自分がいる。きっとみんなどこかで苦難を乗り越えたからこそ、今、強く生きていて輝いてみえるんだろうな、と観客のような気分でこの世界、この時代を生きてた。のうのうと。
で今年、コロナが起きた。
世界的な非常事態となって、客観的に見ても間違いなく、初めて自分が、この特殊な状況の当事者になった。そして案の定、苦労してない俺は、挫折に弱かった。3ヶ月間、職場に行けず、ほとんど出歩けず、家で過ごす非日常の日々を体験してわかった。俺はいざとなったら、いや、いざとなっても、危機感がなさすぎて動けない。失敗体験が少なすぎて、行動して状況を悪化させるくらいなら、何もしない。何かを考えようという発想がない、世の中になんの影響も与えられない人間だった。同じ境遇に置かれた周りを見渡すと、環境にすぐ対応して新しい生活習慣に移行して、ネットワークを活用して、自分に何が必要で、何が提供できるか考えて、みんな行動に移していた。なるほど、挫折経験が産むものはそういう思考回路なのか。それに比べて自分は何やってるんだろうな。コロナの前も後も変わらず、何の価値も生み出してない。引きこもり期間、ずっとそういう思考に陥ってどんどん落ち込んでいった。今思えばそれすらも、何か不幸な自分をファッションで演じてみたかったんだろうなと、恥ずかしい気持ちになるけど。とにかく、ようやくまわりと同じ境遇になったと自覚して改めてわかったが、自分の挫折を感じるセンサーはとても鈍い。実際自分よりもっとしんどい思いをしている人はいつだって絶えないけども、同じ境遇を逆境だと受け止める人がいて、さらにその中には、それを自分への挑戦だと受け止めて、立ち向かっていく人たちが世界を変えている、支えている。それを未だ自分は恵まれているとしか思えないから、敗れて悔しくてそこから這い上がるっていう体験につながらない。そういう思考が育たない。
生き延びるために今を必死に生きている人間がいて、そういう人たちに向かって手を差し伸べることができるサバイバーが多分世の中にたくさんいて、それを求める人が大半なんだろう。それと比べると、挫折のない人間が挫折してこなかった結果どうなるかを語るような場面はほぼない。死ぬほどの苦しみを味わったことがない人の、うすぼんやりした悩みなんて悩みとすら言えないんだろう。そうやって行き場のないモヤモヤを受け止める場所、手を差し伸べてくれる先人はなかなか見当たらない。でも、それこそ自分がずっと知りたかったことだし、もし自分に価値を与えるなら、そういうニッチな生き方の語り部としてのテメエの分際くらいしかない。流されて生きてきた事例、チャレンジせずにサバイブする方法、これからも目立たないように、でもほどほどに必要とされて生きていくために、情熱のない情熱大陸みたいな話を一応書き留めておこう、いつか必要としている誰かにそっと手渡せるように。とようやく心の整理がついて、ひとまず持ち直し今に至る。