はてなキーワード: ヘテロセクシャルとは
導入はセックスとジェンダー、性自認と性的指向についての解説から。そしてLGBTQは1クラスに1人以上いるので他人事ではないという話。ここまでは良かった。実際そこで初めて明確に性自認や性的指向という単語を認識した覚えがある。
次に性自認と性的指向の様々な組み合わせについて話は移っていった。
性自認が女性で性的指向が男性な人・性自認が男性で性的指向が女性な人:異性愛者・ヘテロセクシャル
講師「ではクイズ! 性自認が男性で性的指向が男性な人は何と言うでしょうか?」
異性愛者、ゲイ、レズビアン、バイの選択肢が出され、「ゲイ」で一斉に手を挙げる学生達。当然自分もゲイで手を挙げた。勿論正解はゲイ。そこからレズビアンやバイ、異性愛者、トランスジェンダーへと問題は進み、見た所学生達の正答率は100%だった。
講師「では次の問題!身体的には男性だが、性自認は女性で、性的指向も女性な人は何と言うでしょうか?」
少しざわつく教室。選択肢はいくつかあったが、「異性愛者」を選ぶ学生が最も多かった。
「『異性愛者』が一番多かったですが……みなさん不正解! 正解は『レズビアン』です!」
教室中に「???????」の空気が流れたと思うのは自分の気のせいだろうか。
少なくとも自分は全く納得できなかった。頭の中は(まぁ性別適合手術をして性器や胸部が女性のようになった元男性ならレズビアンとも言えなくもないか?しかし未手術でただ心で女だと思ってるだけの人までレズビアンと呼べるのか?というかレズビアンの人はこういう人をレズビアンと認めてるの?)と疑問で一杯になった。しかし講師は「性自認が女性で性的指向が女性な人は、身体の性に関わらずレズビアンと言うんですよ〜。タメになりましたね!」くらいのあっさりとした説明で次の問題に移ってしまう。
講師「じゃあこれはどうかな〜。身体的には女性だが、性自認は男性で、性的指向も男性な人は何と言うでしょうか?異性愛者だと思う人?」
学生「…………」
学生(全員が手を挙げる)
講師「正解〜!いや〜、やっと分かってきたね」
満足げに笑う講師を見て、「これは学問ではない。洗脳だ」と感じた。
要はこのクイズは「講師の顔色窺いクイズ」であり、授業自体が「講師が正しいと思ったことが正しく、正しくないと思ったことは正しくない」という論理に従って構成された、ただの政治演説・洗脳装置だったんだと感じた。そして心からガッカリした。教育学部の授業だったので「こんなんだから教師の質が上がんねーんだよ」という悪態も心の中でついてしまった。
その日1日はこの授業への疑問が頭を離れなかった。以来、性的マイノリティについて関心を持ち能動的に記事や当事者の発言をチェックしているが、今でもあの授業に対しての疑問は消えていない。
トランスジェンダー女性をレズビアンと呼んだり、トランスジェンダー男性をゲイと呼んだりする、その主義主張は全面的には支持出来ないが、そういう捉え方をする人間もいるということは理解出来る。
しかし、大学で授業をするのに、常識から逸脱したことを根拠も示さず「これが正解だから」だけで真実かのように取り扱い、学生に考え方を強制するのは、異常と言うほかない。
そんな増田には『エロイカより愛をこめて』オススメだよ! イギリスの怪盗とドイツの軍人がソ連の情報部員も交えて冷戦下のヨーロッパでスパイ合戦を繰り広げるお話だよ! めっちゃ頭脳戦要素あるよ! あんまり性描写もないよ! ただ冷戦終わってからあんま面白くなくなったから作中で冷戦終わってからは別に読まなくてもいいと思うな!(個人で判断したい派だったら余計なアドバイスしてごめんね!)
以下で元増田の感想にかこつけての自分語りするね! ちなみにワイはヘテロセクシャルの男な!
これめっちゃわかる。根本的に面白くないのよねヲタ恋。ワイは割と恋愛脳というか恋愛漫画好きだけどヲタ恋はそもそも恋愛漫画として微妙な出来だと思う。pixivで無料連載されてたときに読んで「まあ無料ならそこそこ読めるかな~」って感じだったけど書籍化とか映画化とかされてるの見てびっくりした。ワイはあれをお金払ってまで見ようとは思わなかったので……
これ少女漫画なのか?
良い悪いよりまずそこを論じ直す必要がある気が。
田村由美は少女漫画描いてきた作家なんだし少女漫画雑誌で連載されて少女漫画レーベルから単行本出てるから少女漫画でいいんじゃね。
個人的に昨今の『ミステリと言う勿れ』叩きにはイマイチ乗り切れないというか、ワイも好きじゃないんだけど、田村由美漫画に説教ばかりと文句を言うのは『ToLoveる。』がパンチラ乳揉みお色気ばかりと文句を言うようなもので、これはそういうのをウリにしてる作家さんの漫画だから! って感じになるよなぁ。いや『BASARA』とかはまあ、そこまで説教臭くはないかもしれんが(いや、うーん……)、短編集とか見るとクッソ説教臭いから、『ミステリと言う勿れ』が説教臭いと言われても「それは西尾維新作品のキャラの名前が奇天烈でよく喋るのと一緒やで」って言いたくなる。
ゲームの世界で未来を知っていることを利用して勝利するという話はね、自分がコントローラー握ってれば楽しめるんだが他人がやってると冷めた目で見てしまうんだ。
悪役令嬢ものでもゲームの世界で無双するやつばっかりじゃないよ! 原作は小説だけど、『悪役令嬢後宮物語』は現地主人公ものだから未来知ってて私TUEEEEEではないよ! ただ『悪役令嬢後宮物語』は後宮内でのギスギスがメインコンテンツだから元増田にはまったく合わないと思うのでオススメしないけど……。関係ないけど「現地主人公」って画期的なレトロニムだよな。
あと『ツンデレ悪役令嬢リーゼロッテと実況の遠藤くんと解説の小林さん』は現代の男女がゲーム内の人間関係に無理やり上位存在として介入する作品だからこれも主人公の私TUEEEEとは言えないとは思うけどまあこれも恋愛がメインコンテンツだからあんまり元増田には刺さらなさそう。
ちなみに悪役令嬢ものだと第二部あたりで「主人公が元の世界で死んだ後に発売されたファンディスクの内容を知ってて主人公に向かって知識チートを仕掛けてくる第2の転生者」みたいなのが出てくることも割と多いよ! 『悪役令嬢なのでラスボスを飼ってみました』とかはそんな話だね!(ネタバレ)
ブコメで『図書館戦争』勧めてるやつがいるけどいくつかの理由でオススメしないよ!
第一に、漫画版『図書館戦争』はサブタイがLOVE & WARになってる通りめっちゃ恋愛要素がフィーチャーされてて、原作の時点でも割と恋愛要素強めなのにそれが更に強まってるから恋愛もの苦手だと読むのしんどいと思う。
第二に、『図書館戦争』のコミカライズって実は2種類あって、今の花とゆめ版の他にもう1つ少年漫画寄りの絵柄のやつがあったんだよね。ところが後者は長続きしなかった。問題は後者の絵柄の方が原作のイメージに近かったことなんだよ。花とゆめ版はめっちゃ原作から受けるイメージと違うというか玄田隊長がただの上品なイケオジに見える。ち~~~が~~~う~~~の~~~玄田隊長はもっとゴリラ感あるキャラデザじゃないとい~~~や~~~な~~~の~~~!!!1!(地面に寝転がって手足をバタバタさせながら)
第三に、花とゆめ版は割と原作の描写を改変してて解釈違いというか「はぁ?」ってなることが多々ある。『図書館戦争~革命のつばさ~』とかいう原作レイプクソアニメもあったし、このシリーズのメディアミックスは率直に言って微妙だから素直に原作読んだ方がいい。まあ原作も元増田に向いてるとは思わんが……
男同士だと「貧乳好きが巨乳アピールでおっぱいばかり写すいAV見ても「いいから顔と下半身を写してくれよ」となるあの感覚だわ」で通じるんだが女さんにどう説明すればいいやら……
すまん、よくわからん。三次元のAVは見ないので二次元の話をすると、エロ漫画はおっぱいの大きさじゃなくシチュで選んでるからその喩えはあんまり刺さらんところはある。何だろうな、自分に響くように置き換えると「陵辱ものだと思って読み始めたのになぜか途中で愛が芽生えてて『期待してた陵辱ものと違う』ってなるあの感覚」かな?
オタク向けのロリエロ漫画やBLの「表現の自由」を、弱者・少数派の権利擁護を重視する現代の「リベラル」思想は認めない。
ロリエロ漫画やBLで色情狂のように描かれる女児やゲイは明らかに社会的な弱者・少数派であり、それらを楽しんでいる読者の多くは強者・多数派に属する男性やヘテロセクシャル(ストレートの女性)だからだ。
弱者・少数派を過度に性的に描いた歪んだ表象を強者・多数派が娯楽として消費するのを許すリベラルというのはあり得ない。
ロリエロ漫画やBLはフィクションであっても弱者・少数派を貶め偏見を助長するヘイトスピーチと同様に禁止される。ヨーロッパ諸国でナチス賛美が法規制されているように。
成人男性にレイプされて喜ぶ女児を描くロリエロ漫画(読者の多くは男性)=白人にレイプされて喜ぶ黒人を描く漫画(読者の多くは白人)
ゲイ同士の恋愛とセックスが主題のBL(作家も読者も多くはヘテロセクシャル女性)=黒人同士の恋愛とセックスが主題の漫画(作家も読者も多くは白人)
と置き換えると分かりやすい。
そのような黒人差別的な作品が米国で商業流通できるはずがないというのは簡単に想像できるだろう。
たとえ不快に感じる人や未成年の目に触れないように気を遣って会員制のサイトで18歳以上のみに販売するとゾーニングしても潰される。黒人への偏見を煽り差別を助長すると。
白人の愛好家が、自分たちは実在の黒人への差別意識は持っておらずあくまで作り話として架空の黒人の物語を楽しんでいるだけなのだ、と言い訳しても許されない。
「リベラルは検閲は求めない。適切なゾーニングさえすれば現在のロリエロ漫画のような作品も商業流通できる」という主張を目にすることがあるが、それは「黒人を虐め殺すことを娯楽として描いている作品もゾーニングさえすればアメリカで商業流通できる。問題ない」と言うのと同じ馬鹿げた考えだ。
リベラルは、強者・多数派(男性・ヘテロセクシャル・白人)が弱者・少数派(女性・子ども・ゲイ・黒人)を「性的消費」する表現はフィクションであってもゾーニングしても許さない。
「オタク向けのズリネタ表現の自由」と「リベラル思想」は共存できない。
リベラルが全面的に弱者・少数派への差別的な表現を規制した社会で許されるポルノ表現は
・女性作家が成人女性の肉体美やセクシュアリティをポジティブに描いた作品
・マイノリティ当事者である同性愛者の作家が同性愛者の読者向けに描いた作品
といった類のものだけになると予想する。
・18歳未満に見える少女キャラが性的虐待を受けて喜ぶロリエロ漫画
頼んでもないのに妻が嫁が旦那がってわざわざヘテロセクシャルだってカミングアウトしてくる上に金払わせてヘテロセクシャルだからお前らと違って結婚して税制優遇受けられま〜すということをアピールする宴まで開催する始末。
自分の傲慢さにも気づくことも出来ないのにLGBTに関する施策の話出ると優遇するなとか言い出す。
腹立つどころかなんか馬鹿すぎて呆れてる。
みたいな主張をまあまあ見るんだけど……
そりゃ、「恋愛だ!」って確定させる描写ではないことは理解できるんだが
「恋愛じゃない」ってことも確定してるとは思えない場合が結構有ってな……
そういう一言で言えない空気感だからこそ作品描写によって表現してるとも言えるわけだし
そもそも「恋愛」というものだって人対人の関係なわけだから、組み合わせによって在り方なんて千差万別であって、
本人たちの意識下で「恋愛かどうか」が判断基準になるべきだと思うんだよな
例えば肉体関係が有ったって、本人たちの定義と外れていれば恋愛ではないし、
当人たちがアセクシャルで有った場合(アセクシャルにも色々あるけど)は、ヘテロセクシャルから見て「恋愛しているような記号的表現」が無い場合でもしっかり恋愛していることってあると思う
その「本人たちの意識下」、というこちらの主観では測れない物を作品の中の描写から少しずつ拾い上げてやっと、「恋愛なのかそうじゃないのか」が判断できるのに、
「恋愛じゃない!」という発言をしている人の主張って大体「自分の考えている(今まで見てきた)恋愛に当てはまらない」というものばかりで何だかモヤモヤしてしまう
まあそうじゃない人もいるのかもしれないけど、繰り返しがっかりさせられてきてしまったんだよね
恋愛が主題の作品でなくても、登場人物たちには出来事や対峙する相手への感情ってのは当然にあるわけで。
その感情が当人の基準で、ストーリーの流れの上で恋愛に当てはまることだってあるんじゃないのか?
だって、ストーリーの盛り上がりには、強い感情が付き物だろう。
その強い感情が恋愛感情とは限らない。友情である場合も、友とは別の仲間意識である場合も、敵にしか抱けない信頼であることもある。それと同量の可能性として、恋愛感情だって存在するわけで。
そうすると、「恋愛感情だけ」を必死に可能性として排除しようとしている方が、過敏すぎる気がしてくるんだよな。
「恋愛じゃない!」の主張で枕詞的に使われてる「安易な恋愛表現」ていう文字列も、必要以上の侮蔑を感じてなんだか戸惑う。
安易ってなんなんだ……。そんなに恋愛感情を簡単でシンプルで解しやすいものだと思っているということか?
恋愛観だって友情の形だって人それぞれで、その人同士の組み合わせになったら、他のどの関係とも同じように「その関係でしか成り立たない形」になるのに……?
よく「他の人に迷惑をかけないために、公共の場ではマナーを守りましょう」と言う。
たとえ、大声を出したくても我慢をするし、衝動的に踊りたくなっても我慢する。
心が女と言われても、見るからにヘテロセクシャルの身体性男が 銭湯に入ってきたら、ギョッとするどころではない。迷わずに通報する。
心が男と言われても、身体性女の人が男子トイレを使ったら…「今だけ男にしてやー」と入る人がいるらしいが、迷惑だろ。
じゃあ身体性にあわせて、トイレや公衆浴場を使えというと違う。
それはそれで、その本人に対しての配慮がない。
結論を言うと、LGBTの人は、性別が分かれた公衆トイレや公衆浴場を使うことは諦めてほしい。
それが、今のところマナーだ。
じゃあ、かつて「チンポをしゃぶったことのある」男はどうなったかということを、これから書いていこうと思う。
女性やゲイといった、具体例がわかない人には【大島薫】という人の人生を読んてほしい。俺は彼ではないけど、男なのにチンポをしゃぶって、しゃぶられて、彼女だけをつくって、ちんぽでアクメして、されて、女とだけと結婚して、自分の子供が欲しいし、射精と前立腺の快楽を享受したかった、ということを書く。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%B3%B6%E8%96%AB
いきなりカミング・アウトすると、俺は「中年童貞で、益田界隈では(KKO)で結婚してはいけない、社会最下層のヘテロセクシャルなオッサン」である。それでも、かつてはバイ・セクシャルだったし、性の究極点を求めていたのだ。それが、なぜにヘテロ・セクシャルに落ち着いたのかを、つらつら書いていくことにする。今となっては、増田の「毛の生えたちんぽを舐めたい」なんて反吐が出るし、つまりはゲイ野郎も大嫌いだし、エロは「女に当然に中出し、漫画に至っては受精シーン」を要求する。それでも「中1までに男と女にセックスをして、ついでに男に掘られて前立腺刺激からの射精で気持ちよくなる」ということができなかった人生は後悔しているのだ。だから、元バイ・セクシャルの懺悔を書いていこうと思う。
ところで、俺もちんぽをしゃぶったことある。12歳ぐらいのときに、日能研に通っていた同期の男の子のペニスをしゃぶってみたんだよ。理由は思い出せないけど、受験で疲れていたからだと思う。彼はまだ毛が生えてなかった。その時は、包茎ちんぽを剥いて勃起させてハードにジュポジュポしてみて、途中で「ヤバいのがくる」からやめろって言われて、ストップさせられたから彼を精通させられなかったけどね。今となっては、もったいないことをしたと思う。当時はちょっと塩っぽい、カウパー腺の分泌液をもってして、他人のチンポってこんな感じか、と思ったものよ。いまとなっては、そこを超えれば精通させてあげれたし、他人の精液ってこんな味かと知る機会を失った。そして、増田の言うとおりチンポの感触は忘れられないのも、事実だ。
ただ、自分は当時、プラトニックな関係の彼女がいたのだ。それで、チンポをしゃぶったあとで後ろめたさはあった。ただ、匿名でこんなことを言うのはあれだけど、神に誓っても良い。チンポをしゃぶったことがあるのは、本当にこのときの1回限りだ。
そんで、中学受験の果に、中学に入って、当時はオナニーを知らなかったから、同期(♂)にオナニーの方法を「手コキされて」教えてもらって、あまつさえ別の同期(♂)に「フェラされて」抜いてもらったことある。いま思い出すと、キツネ目で女顔の中1男子に「いま、イッタでしょ?」ってニヤニヤしながら「手からドロっと滴るマイ精子をみせつけられたシーン」とか懐かしいし、そいつの無理やりシコシコする手コキは痛かったし、さらに別のヤツに「いきそう!」といった瞬間に激しくなったフェラは下手くそだったけど、おっさんとなったいま思うと、青春だったと思う。当時の「オイラのペニスはでかい」っていう噂を聞きつけて、何人かの男子にマイ・チンポを手コキかフェラで「抜いて」もらうイベントが発生した。概ね、施設か公園の多目的トイレに入って、まずはチンポをフルボッキさせるのね、お互いに。オイラのちんぽは中1で 14cm あって、しかも太くて、長さと太さで負けたことはなかった。なんだったかな、チンポはオナニーすると腹側が伸びるから、努力しろってアドバイスもらったけ?そんなこんなで、かぶと合わせしたり、触らせてー、舐めてみても良い?、となって手コキかフェラでシコシコしてもらって、オイラが射精したら、お開きというのがルーティンだったかな。そんなときに限って「あっ///」みたいな、こもった声が出ちゃうのだ。自分でシコるときには声が出ないのにね。そんなこんなで、男に手コキとフェラで抜いてもらう経験を、1年間で 6人に 10回ぐらいやってもらったのだった。
もちろん、抜いてもらった瞬間はすごく気持ちが良かったが、当然にイジメの対象になった。たしか、ちんぽデカ夫、とか言われたっけ? それで辛くて、『性』が嫌いになったよね。チンコがでかくて、ホモが近づいてくる、そんなヤバイやつというのが当時の俺の評判だった。女にも「ちんこでかいの?」「誰に抜いてもらったの?」と聞かれたっけ。どいつもこいつも「私(女)とセックスしよう」というやつはいなかったが。そんでもって、未だに童貞であるし、そのことに不満はないが、それでも後悔しているのが、男の同期にちんぽを尻穴に突っ込むか、突っ込んでもらって男色の世界を知ろうとするチャンスをロストしたことだと思う。当時は、絶頂の果てに罪悪感がマックスになっていただろうが、性欲マックスのあの頃にしかできないであろう、男のケツで射精するのはこんな感じであるとか、他人のチンポを穴に入れられると気持ちいいとか、あのときに知っておきたかった。当時は性欲でホモになるのが怖かったし、自分の子供ができるのも怖かった。エレクチオン・バトルしたあとに、自分の射精を終えたあとで「お礼に」ケツ穴を差し出せば良かったのだろうか。中高を通してヤリ目的の彼女はできそうだったが、ヤった後で振る方法がわかんなくて、デートが続かなかった。ヘテロなセックスは子供ができるのが、どうしても怖かったのだ。それに、小6のときの本当に好きだったあの娘と橋の下でキスしたあとに、無理やり押し倒してセックスをやれば脱童貞の果に、子供ができたとしても良かったのだろうか、という気持ちが「女に対する性欲」を打ち消してくれたのは、自覚的だった。俺は、今もあの娘のことが好きだ。消息は知らないし、今の俺に彼女を幸せにできる余裕はないが、彼女の笑窪はどうしても忘れられない。
中1までに性欲の向けた先の限界を知れば、のこりの中高5年間を勉強に突っ走り、その後の人生は安泰だったのかもしれなかったが、もはや KKO になってしまったので過去はどうでも良い。童貞ではあるけど、風俗店なんかに絶対に行かないのは、小6・中1のときの自分に戻って「タダで男と女にセックスできる」可能性が「自分にはあった」ので満足しているし、オッサンとなった今では「子供がほしいから女とセックスしたい」という気持ちだけが残ってしまったので、おそらく『今は』ヘテロ・セクシャルだろう。だから、増田のように「成人男子のチンポをしゃぶりたい」というのはわかんないけど、俺のような「若い頃はちんぽをシャブリ、シャブられた果に、ヘテロセクシャルなオッサンができあがるよ」というのは教えてあげたいと思ったのだ。だから、この駄文を書いている。
これからは、ヘテロ・セクシャルなおっさんが、男色に無関心となっていく理由を書いていこうと思う。今は、男性器が嫌いというか、少なくとも舐めたいとすら思わない。要は、他人のちんぽにそそられる理由が、年齢と比例して低下する根拠を書く。それなのに、相変わらずマンコは舐めたいし、ペニスでワギナに射精はしたいのだ。これはどういうことなのか?はやい話が、オッサンになったのだ、この俺が。
確かに、俺は小6のときに「毛の生えていない包茎ちんぽを無理やり剥いてフェラして、あと少しで射精できただろうという経験」は忘れられないが、今は全然に興味が無い。少なくとも、無料で、無罪で、日本がアフガンみたいな世界になっても「絶対にしない」と思う。なんというか、「あのときに」新品のチンポを舐めたという記憶が、性体験として自分の中では至高であっても、「ガキのチンポ?、全く興味ないよ」って言える。何故か?
たとえば、覚醒剤中毒者が「至高のエクスタシー」を知っているかもしれない。俺も、若いときには「それを知ってみたかった」のだ。だって、これだけ批判されるのに、彼らは消えないからね。ただし、逮捕は嫌だったから絶対に手を出さなかったが。でも、アナルなら逮捕されないらしいので、試してみることにした。芸能人にホモだから追放された人は、少ないからね。
それで、結果として、ゲイの連中も覚醒剤中毒者が主張するような、前立腺という「肛門性交は中毒性があって、ノンケであってもハマるし、知ってしまえばマンコはアナルに劣る」という主張が、無理だったことに気がついちゃったのよ。主に2つの理由で。
ひとつめの理由は、ホモになる努力、たとえば前立腺で絶頂することに投資してみたけど、巷で言われるほど気持ち良い体験が得られなかったのだ。デイルドーで突いてみたけど、ウンコと血が混じったものが出てきて、そりゃゲイは HIV にかかるわー、とすら思った。そして、受け側のゲイでも全員が肛門性交で絶頂できていないことが 5-MeO-DIPT という「ホモ御用達」の薬物が違法化された事件で明らかになった。つまり、被挿入されるゲイの連中は、実は全員が絶頂できていないことに、俺は衝撃を受けたのだ。ホモは嘘つき、ってね。
ふたつめの根拠は、俺はどう頑張ってもマンコが大好き人間で、マンコが気持ちいいだけでなく、次世代を生み出す「ゲイには絶対に提供できない」偉大さに気がついてしまったのだ。マンコは偉大。なんと言っても、男の俺が持ち得ない子どもを提供してくれるからだ。どうしても、ホモは妊娠できないからね。
まぁ、なんだ、自分が「ホモでは無い」ことは死ぬまでわからんと思うよ。俺もわかないし。俺も「ちんぽを舐めたい」と思ったのは、小6から中1までだもん。個人的には、冒頭のように「誰かを射精させて、精子を飲んでみたかった」時期がありました、ってことは事実だし、実際にやった過去はありました。今はヘテロ・セクシャルを自覚してるし、当時はチンポを舐めると「歓んでくれる」人が周りにいただけで、本当は「チンポが好きじゃなかった」ということに今はしている。それに、俺には、もう「チンポを舐めると歓ぶ」人がいないだよ。なぜかというと、俺はオッサンになって、もうチンポを舐める価値があると思える人は、誰かのものになってしまって、奪うと確実に「恨まれちゃう」年齢になってしまったのだ。それで、おっさんになった俺が「こいつのチンポをしゃぶりたい!」ってヤツと、俺に「こいつならチンポをしゃぶらせよう!」ってやつもいなくなったのよ。つまり、バイ・セクシャルの「男☓男」「女☓男」は、前者の方が早期にマッチしなくなるのだと気がついたのは、おっさんになってからでした。あ~あ。
というわけで、おっさんからみたら、「マンコ」が好きな男は、若いうちは「チンポ」が好きでも問題ない。そんでもって、おっさんになっても超越した性的経験で「オーバーライドされて、ホモセクシャル化」されることは、すくなくとも俺はなかったし、ネットではみかけないし、大丈夫なんじゃないかと思う。仮にホモになっても、子供がほしけりゃ、精巣に注射して、静止を取りだして顕微鏡で受精卵を作って、子宮に戻せば良いだけだ。ただし、産んでくれる相手がいたらな。
... 以上、つらつらとオッサンの後悔を書いてきたわけだが、結語として「もし俺が小6に戻れたとしたら、どう生きるか?」ということを書く。まぁ、そりゃ、小6のときにコンドームを薬局の自販機で手に入れて、あの日に橋の下でキスした後に好きだったあの娘を押し倒してセックス漬けの日々を過ごし、それと同時に塾では「浮気して」チンポを貪り食い、中学に入ったら小学校の関係を捨て、更にはアナルでイクことを教えてもらって、中高大はマンコするだけの彼女をつくってヤりたい時にマンコしつつ、その一方で発展場でアナルの皆楽を貪り、資格をとって社会的に安定を獲得し、ちょうど『バイ』な性欲が両立できなくなった頃に「子供がほしいから」という理由で『ヘテロ』セクシャルに転換し、若くて美人で貞淑な女性を娶る、って人生になったわけだ。それは、それで地獄だな、って書いていて思う。そして、そんなことしてたら愛の無い子供をつくるか、H*V 拡散者になってただろうから、しなくて KKO と言われても全く恥ずかしくない。でも、いま小6に戻れたら「男に与えられた、前立腺の歓び」と「男に与えられた、射精の悦び」と「男に与えられた、孕ませる喜び」の3つを全力で獲得しにいく。絶対にだ。
結論。男においては「男好き」と「女好き」は両立する。それに、「男好き」の対義語は「女好き」ではない。それだけは、理解してほしい。あとは、自分で考えろ。そして、後悔しない行動をとれ。なんと言っても、時間は巻き戻せない。
増田がイライラする気持ちもわかる。でもこの文章には賛同できない。
・フェミニストと「ツイフェミ」と分けて非難するのはアンチフェミニストがしばしば行うやり方。「ツイフェミ」の何がいけないか?という増田の意見は、①差別発言だから(差別をするな)、②内心で留めるべきことを公に発言しているから(口に出すなSNSで書くな)、③乱暴な言葉遣いだから(丁寧に書け)だと判断したけど、①以外は他人に指図できることではないと思う。特に③は「トーンポリシング」になりやすいから、自分が心がけるのは良いけど他人に押し付けてはいけない。
(この文章も例文で書いていたような丁寧口調ではないけれども、おそらくはTwitterで発言をする人たちも、増田のように「批判は承知の上で」書いているのではないか)
・「フェミニスト=厄介な人たち」というイメージは、本当に「ツイフェミ」だけのせいなのか?「バックラッシュ」という現象があるけれども、女性が自分達の権利を回復するために声をあげること自体を不満に思い、「口うるさい厄介なおばさんたち」と反発する人たちは非常に多い。今はTwitterで差別的な思想が混じった発言も可視化されやすくなったけれど、それ以上にフェミニストやフェミニズムをよく知らずに馬鹿にし、マイナスのイメージを植え付ける人たちも可視化されるようになったことも大きいのではないだろうか。
(「あなたが批判しているフェミニストって誰?」「そういう風に考えるようになったのは、どういうメディアからの情報?」と聞いてみたらどうだろうか。芸能人・政治家・Youtuber・まとめサイトなどが極端な発言だけを取り上げてあげつらっている現状を考えると、そういう人たちとは見聞きする情報に大きく差があると感じる。)
・男性の権利についても考えるのは意義のあることだと思うけれど、「男性専用車両」は本当に男性の権利のためになるものだろうか?そもそも女性専用車両自体が乗車客を選別する、差別的なものだという批判は昔からある。しかし、痴漢やトラブル対策に有効である監視カメラの設置や車内パトロールは要望があっても設置されず、消極的に女性専用車両が維持されているのが現状である。男性の痴漢被害防止も含めて考えるのであれば、上記の対策や被害者の性別を問わない痴漢の厳罰化、被害者への偏見をなくす啓蒙活動などが必要なのではないかと考えている。痴漢冤罪については、そもそもの元凶である痴漢をなくすことで減っていくものだと思うし(監視カメラの映像を証拠にできればリスクは減少する)、痴漢冤罪にばかりフォーカスすることで、多数の被害が出ている・物的証拠(微物検査など)も状況証拠もあるような痴漢被害であっても軽視されてしまうことも問題視されている。どうせ冤罪だろという偏見が強まることで、立場の弱い被害者や支援者が声を上げられなくなる自体はあってはならないと思う。
(実際に、痴漢加害者が罪を逃れるために冤罪を訴えたことで、被害者がバッシングされる事件も少なくない。)
・他の男性の権利を侵害している事例も、性別の区別なくという考えには賛同するが、そもそもが「健常・ヘテロセクシャル・シスジェンダー・既婚かつ専業主婦の妻がいる……という男性がデフォルト」という社会構造によって一部男性も不利益を負っているのだ、という前提は忘れてはいけない。女性の権利を不当に奪い男性にリソースを与えているという社会構造上、女性の権利を向上させるときに男性の既得権益が減ってしまうことは避け得ないことである。差別的・ミサンドリー的な方向に発言が寄ってしまうことに不満があるのには同意だけれども、こういう考えも否定しないでほしいというのが個人的な意見。
ヘテロセクシャルなインセル桃尻太郎は、女との恋愛資本格差を嘆いていた。
折しも都市部では、レズヶ島のレズ達が女体の自家消費によって女体供給を減らすことに対する弱者男性の怒りが鬱積していた。
これを知った桃尻太郎はレズ退治の志を抱き、レズヶ島へと旅立ったが、道中、両親より授かった団子を食べさせイヌ・猿・雉を仲間としてくわえた。
かくして桃尻太郎はレズヶ島に着くまでには同性愛への理解を深め、女が悪いのではない、人を人として尊重しない風潮こそが問題であると気付くに至ったのである。
桃尻太郎はレズヶ島に到達したが、もはや弱者男性の真の敵はレズビアンでは無いことを知っていた。ただ一部のレズがノンケ女に無邪気に手を出すのはセクハラに他ならぬ、その点のみ糾弾し、レズ達を改心させた。レズヶ島のレズ達は反省し、手を出すのはレズ又はバイ(潜在的バイセクシャルを含む)に限ることを約束した。
東京オリンピック2020。
本人達がそうだと明言してないのに、そういう質問するのはセクハラでしょ。
同性のペア或いはチームの選手達が勝利の瞬間に抱き合ったとしても「あなた達デキてるの?」とは聞かないじゃん。
何の前提もなしに相手をヘテロセクシャルと決め付けて質問してOK、って空気がマイノリティを生きづらくさせると気付かないの?
最近、好きな人がいます。ただ、他の人にそれを言うことができないので、ここに書きます。でも、絶対に不倫ではないし、一般的な意味での浮気とも少し違う気がする。
ごく簡単に状況を説明すると、私は既婚者で夫と子供がいます。ヘテロセクシャル寄りのバイセクシャルで、実際に関係を持ったことがあるのは、夫と元彼のみです。
好きになってしまった人は女性です。でも、彼女の性自認は多分曖昧な感じ、そしていわゆる「アセクシャル」(他者に性的欲求を抱かないセクシャリティ)に近い感じの方。
元々はツイッターを介して知り合いました。きっかけは、ざっくり言うと趣味繋がりです。コロナ禍ではありますが、まだましだった去年の秋頃、一度だけ会いました。もちろん、その時点では
私は恋愛感情を持っていませんでした。でも、会ってから、完全に堕ちてしまった。いや、厳密に言うとそれだけではなく、ネット上での会話や音声通話をその後も積み重ねるうちに、ですが。
ものすごく迷った末、音声通話時に私は告白しました。貴女が好きだと。馬鹿ですよね、本当に馬鹿。何を考えているのか、と自分でも思います。私は既婚者、子供もいます。
正直、夫との関係は問題があり過ぎる感じではありますが、離婚というような予定は無く。でも、詳細は省きますが、もはや隠し続けることができない状態だったので。
彼女の答えは予想通りというか、予想できる中では最高のものでした。「分かりました」と。「気持ちは受け取りました」と。
当たり前です。それ以上、言えるはずがない。恋愛感情を(ほとんど)抱いたことのない彼女にとって、私の言葉は迷惑でしょう。彼女は独身とはいえ、私は既婚者。
この「好き」の向こうに何かがあるわけではないのです。決して。
その後、私は変わらず彼女と音声通話を続けています。週に1回くらいですが。「もう無理です」と言われ、通話を拒否されるかもしれないと思って告白したことを思えば、
上出来の結果でしょう。通話に出てもらえること、趣味の話や色々な話題について、本音で話せること―、とても幸せです。
ただ、いつも不安です。
この先に何があるのだろう?
この関係性の発展形はどんな形?
今後、誰かと結婚する可能性が0ではない彼女にとって、私の存在は迷惑では?(現状、その予定はないと彼女は言いましたが)
私はいつか彼女を「友人」として、落ち着いて見ることができるのだろうか。不安です。
不倫や浮気ではない、と思います。少なくとも、一度しか会っていないし、指1本触れたこともありません。今後会えたとしても、いわゆる性的な接触をすることはないでしょう。
また、お互いマスク姿で会ったため、顔の認識も曖昧です。私は彼女の声に恋しているのかもしれない。
よく分かりません。
プリキュアのルッキズムとかその他もろもろなんか思うことがあったりする。
「かわいい」っていうのをプリキュアが見た目だけのことを言いたいんじゃないんだろうけどそれを人生経験片手程度の子どもたちに伝わるようにつくっているか?とか、「子どもたち(主に女の子たち)のために」っていうスタンスをどのくらい本気でやってるんだろうってのは前からちょっと考えている。
「かわいい」がすべてではないことを大人は知っているけど子どもたちはこれからそれを学んでいく過渡期にいるので、メインターゲットを未就学児~小学生くらい?に据えてる時点でプリキュア制作側は伝えるメッセージやその伝え方に慎重にならないといけない。可愛くないからプリキュアになれない、とか○○だから(たとえばメガネだから、髪型がこうだから、とか)プリキュアになれないと思ってしまったり他の子にそう言ってしまったりするきっかけを与えてはいけない。
プリキュアやその仲間が「かわいくないからプリキュアになれない」と発言しても大人は「あら、今のプリキュアそんなこと言うんかい」で済ませることができるけど
知識や人生経験の少ない子どもたちにはその言葉がもっと大きなインパクトをもって伝わる可能性ってのを考えなきゃいけない。
フィクションと現実は地続きにあるし、子どもたちにとってはよりその垣根は低い。
ルッキズムに限ったことじゃないんだけどメインターゲット女児先輩は気にしないからあれこれ言うな!そんなもん扱わなくていいんだ!って問題ないじゃないんだよね。
そこをメインターゲットに据えた時点で責任持って作品つくらなきゃいけないんだよって話で。
大人と違って判断できる知識や経験が少ないので良いことも悪いこともそのまま吸収してしまう危うさがあって、大人が鬼滅を面白いと思いつつ子どもにはあまり見せたくない(暴力的だったりちょっとグロかったりするから)って親もいるでしょう。クレヨンしんちゃんとか芸人の発言やバラエティの演出もそうだけど。
テレビでやってるから悪いことじゃない、みたいな感じで面白がって人のこと嘲笑したりときに暴力をふるってしまったり。それを矯正するのも親の義務っていうけど、1回テレビやなんかで見て覚えたものをなぜ良くないのかわかるように言い聞かせて矯正するってすごく、すごく大変でしょ。見て学ぶのは一瞬で、それを言って聞かせ理解させ…ってところにかかる労力、対等ではない…。親の立場からしたらいい加減にしてくれって話だよね。
何度教育したってテレビで人の尊厳を踏みにじって笑い取るようなことやられまくってたら親の教育もいたちごっこの連続だし、悲しいことにちゃんとしつけする親ばっかでもないし。大人の立場で見てても楽しくないしね暴力とか嘲笑とか。
それからメインターゲットが保育園~小学生くらいの女児、だとしたらその中にはシスジェンダーでもヘテロセクシャルでもない女児や障害をもった女児も当然含まれるんだよ。
過去作品だけどHUGっとプリキュアでは男の子もプリキュアになれるとか、アンリと正っていう友情なのかBLなのかみたいな感じで男性二人の関係を出しつつ最終話で生々しい出産描写もやるの先進的とか言われてたけどまったくそんなことはないと思っていて、
むしろ女性への出生賛美をうたってほまれのヘテロセクシャル要素をゴリゴリに出しておいて性的マイノリティーについてはほのめかすだけにするっていうの、あらゆるセクシャリティを対等に扱ってない。
都合良く使える部分だけいただいて、まぁ、さわりだけやっておけば先進的と思ってもらえるラッキー(笑)みたいな。
あ~男の子もプリキュアになれる、お姫様になれるってとこまではできたのに、残念だなぁ、扱うなら正面切ってやれば評価されるのに…って思ってしまった。
こう思ってしまうのはうちの姪っ子がいま同じ保育園の女の子のお友達を大好きだとよく話してくれるからで、もちろんママだいすき、プリキュアだいすきと同じ感覚のだいすきなのか、恋愛としてのだいすきなのかわからないけど、もし後者であった場合にプリキュアが姪っ子や同性愛当事者のメインターゲットの子を傷つける存在になってほしくない、むしろ勇気づける存在であってほしいと思うから。
異性愛者としての描写も出産シーンも生々しくないけど同性愛っぽい描写は生々しいの?子供に見せられないものなの?
あらゆるセクシャリティ・ジェンダーについて一体どういう考えで作品をつくっているの?って思うよ。
ターゲットとしている層にもマイノリティに該当する子は含まれているのに。
スタートゥインクルプリキュアでは肌の色が違うことで受け入れてもらえなかった過去のあるキャラクターのことを扱ってた話があって、それは良かったなって思う。(スタプリは全部をきちんと見てないので全体としてどうかはわかんないんだけど)
わざわざ同性愛者だ障害者だ外国籍だってマイノリティを出すならそうだとはっきり分かる描写を出す必要があるのか、と言われたら出さないことで存在しないことにしている。のけものにしているってことなので、その年令の女の子たち(子どもたち)のことを考えて作品作りしているというスタンスを出すなら見て見ぬ振りやおためごかしはもうやめてほしい。
そんな表現は大人の自己満足だっていうけど、むしろマイノリティを無視する作品って子どもに一体何のメリットがあるのか…?
自分がマイノリティについて気にしなくて済むカテゴリーだ、マジョリティである、強者だって指摘されるようで居心地悪いだけなんじゃない?
女性の仮面ライダーいたんだし男の子のプリキュアもレギュラーメンバーで出せば良いし、仮面ライダーも赤ちゃん育てたらいいんじゃないの(仮面ライダー全部見てないからもう子育て要素とか取り組んでたらごめん)
売れないとか商業的に…っていうけどそれならもう「子どもたち(女の子たち)のために」つくっているっていうスタンスも見直したほうが良いんじゃないかな。
玩具購入資金源の親がそんなもん喜ばないだろ!っていう意見出そうだけどそれもおかしな話で、
それはつまり親が自分の子どもはマイノリティであるはずがないしそんなもの目にもいれさせたくもないし
目に入れさせてマイノリティに目覚めさせたくない、そんなやつらのことは理解させる気もない、ということにもなるんじゃないの。(あえてちょっと強いことばにしてしまったけど)
親としては子どもがマイノリティである可能性を思えば(誰しもがその可能性がある)ロールモデルにできる存在や勇気をもらえる存在(それこそエンパワメントされるような)を小さい頃から見せてあげて「大丈夫だよ」と伝えてあげたいし、本人がマイノリティでなくても身近にそういうお友達がいる可能性もあるから寄り添える人になってほしいと思う。
もし身近にマイノリティなんていねえよって思う人は、あなたの態度や発言を見聞きしてマイノリティ当事者はあなたにカミングアウトも相談もしたくないと思ってる、だから周りにマイノリティがいない、と考えたほうが良いかもしれない。
いわゆるLGBTQに該当する人が血液型のAB型や左利きと同じくらい、だいたいクラスに一人くらいの割合でいるそうなので。
つまり、そのくらいいるとなると総勢50人を超えてきたプリキュアにもいてもおかしくないって話にもなるわけで。
アニメとはちょっと違うけどセサミストリートだと障害のある子や同性愛者のキャラクターがいるし、ディズニーでも扱ってたよね。
なんかコスメでエンパワメントよりも、というか同時に考えたほうがいいんじゃないかとプリキュア…と思ってしまったりする…。
「[『フェミニスト原則』は女性の権利に言及していない」という意見をTwitterやToggeterで見かけた。
全ての人に普遍的な権利を主張するばかりでこれでは"feminism"ではなく"humanism"である、と。
フェミニズムは"female"から来ている言葉だろうしそう主張するのも当然だ。
Black Lives MatterがAll Lives Matterに変わっていった時と同じ違和感をTwitterやTogetterで活動するフェミニストの方々も抱いているのだと思う。
ここで私も『共同声明「フェミニスト原則の再確認を呼びかける」』を読んで抱いた考えを書いていく。
日本語翻訳版を上から読んで思ったことを順に書いていくのと体調の不具合で言語能力が落ちているので読みにくかったらすみません。
まだ社会に広く受け入れられていないセクシャリティを持つ女性が自身に向けられた差別や認められていない権利について訴えても何もおかしくはない。
「LGBTQIにはペドフィリアも居る」という意見を見かけたが、どのようなセクシャリティの人であろうと他人を傷つけてまで欲を満たすことを声明は肯定していないと思う。
それはホモセクシャルもヘテロセクシャルもトランスジェンダーもシスジェンダーもみんな同じだ。
この部分が最も女性の権利について言及しているところだと思う。
宣言の中の「家父長制の権力」や「西洋的な二元的ジェンダーと性別の構造」はシスジェンダーかつヘテロセクシャルの男性中心に作られた社会構造のことを言っているのだと思う。
その社会構造こそ、ずっと昔から今に至るまで女性から権利と身の安全と社会参画を奪ってきたものではないか。
女性だからと低賃金の仕事を割り当てられたり、結婚・出産時に転職や退職を迫られたり、男性の支配欲求や性欲を受け止めて当然とプレッシャーをかけられたり、ハラスメントや性暴力の被害を訴えても自己責任にされたりしてしまうのも、全部全部「家父長制の権力」のせいだ。
序文の最後の方に「私たちのフェミニズムは、ジェンダー、性別、セクシュアリティの経験には均質性などなく、様々な人々がそれぞれのレベルの差別や抑圧、特権を経験していると認識することから生まれる力を確認します。」とある。
つまり、どんな人もある場面では弱者であり、別の場面では強者にもなるということを言っているのだろう。
例をあげると、母親に比べて父親は子どもの保護者会やPTAなどの学校行事に参加しにくい、子どもと外で遊んでいると周りに不審者扱いされるというものがあると思う。
男性は他の場所で絶大的な権威を持っているのだからと父親の育児参加を妨げていると、結果的に女性の不利にもなると思う。
母親ばかりが子どものために仕事を休み、それを別の低賃金で働く女性が穴埋めするというのはよくある光景のはず。
実際のところジェンダーだけでなく地域、人種、階級、信仰、経済状況など色々な要素が複雑にからみ合って「それぞれのレベルの差別や抑圧、特権を経験」をすることになるのだと思う。
あと「私たちのフェミニズムは~」という一文は、同じ属性であっても同じ差別を経験するとは限らないということも言っていると思う。
SNS上だと全ての女性は痴漢被害を経験しているような雰囲気があるが、痴漢被害に遭ったことがない女性だって当然居る。
しかし、同じ経験をしていなくても共通の目的を持って「家父長制の権力と闘」うことはできるはずだ。
経済的困窮や社会の混乱によって女性がセックスワークに就かなければいけないのは私も反対。
ましてやセックスワークをする女性が妊娠や性病、暴力などのリスクにさらされるのは論外。
ただ、心身の安全を保障された上での職業選択の自由はあるべきだと思う。
それはセックスワークも同じだ。
「ジェンダーを自己決定できる自由」が女性愛者が女湯に入るためや、男性が女性アスリートになって無双するために行使されるべきではない。
誰かの自由を認めることで他の誰かの権利や安全が脅かされてはならない。
そもそもの話、性自認は私利私欲のために簡単に変えられるものではない。
覗きをするためや金メダルを手に入れるためにトランスジェンダーになることなどできない。
自身の持つジェンダーが法やその他の圧力によって歪められるのは誰でも居心地悪いと思う。
宣言の第三項、ここでは主にトランスジェンダーやインターセックスの人に対する手術について言及している。
ただ、「特定の人々やグループへの、植民地的で家父長制的な医療化」はシスジェンダーの女性にも起こりうる。
「女性器切除(FGM)」というものがアフリカなどの一部地域で行われている。
女性性器切除(FGM) | 子どもの保護 | ユニセフの主な活動分野 | 日本ユニセフ協会
「本当にそんな風習があるのか?」と思った方は上のサイトを見ていただければと思います。Wikipediaの方はやや刺激の強い画像がありますが。
日本でも生理不順の治療などで使う低用量ピルの承認が遅かったり、今でも一か月分のピルの値段が三千円弱したりと女性が「家父長制的な医療」に支配されている状況にある。
他にも例を挙げればキリが無いが、「誰もを受け入れ、思いやりのあるヘルスケアは、商品や特権ではなく人権です。」という文言にはLGBTQIではない女性も同意できるはずだ。
第八項のこの部分はまるでフェミニストが女性を見捨てたように感じる。
女性が女性の権利のために始めたフェミニズムが男性やセクシャルマイノリティまで相手にし始めるのは裏切り行為にさえ思える。
この項は見方を変えれば「女性という属性だけを見てその人が経験した差別や抑圧を推測することはできない」とも読めると思う。
「女性であれば誰しも」「全ての女性は」「女性というものは」といった言葉から始まる意見に反発や孤独感を感じたことがあるかもしれない。
それらの意見は女性という存在を理解していないのではなく、女性の中にも様々な意見やライフスタイルを持つ人が居るということを理解していないのだ。
だからこそフェミニストは一人一派としてそれぞれが受けた差別や抑圧を発信していくのではないだろうか。
その発信が「「男性」対「女性」、若者 対 年配者、世界の南 対 世界の北」の対立になることは避けなければならないが。
フェミニズムの活動が「家父長制の権力」の解体を目標とする限り、シスジェンダーの女性以外のLGBTQIも活動の恩恵が得られることは必然だ。
目標と得られる恩恵がおなじならば、フェミニストとLGBTQIが協力すればより良い社会は更に近くなるだろう。
それぞれ辛いことはあるかもしれないが、それぞれが思うことを、どこかの誰かをむやみに傷つけない範囲で、ため込まずに発信していきたい。
『フェミニスト原則』はその発信をより効果的にするために必要な宣言になるはずだ。
最後まで読みにくい長文を読んでいただきありがとうございます。
中高大と全くモテることはなかった。容姿はもちろんのこと、陰気で卑屈な性格が災いしていた。
恋愛する資格すら与えられないような、集団の中にいても最初から選択肢に入っていないような空気のような存在だった。
二十歳くらいの頃にはすでに、もう私は一生セックスなんてする機会なんてないんじゃないか、と薄ぼんやりと思っていた。
今で言う自撮り裏垢のようなものであり、肌色が多かったり体のラインが露骨に強調されるような服を着た写真を撮っては投稿するようになった。
今までは毒にも薬にもならないような日記を書いていたことはあったのだが、陰気な内容であり知人以外で見る人もなかった。
それに対して、裏垢のブログはそこそこアクセスされるようになり(一日1500ページビューくらい)、コメントもつくようになった。
人に言えない趣味が増えたな、と私は思った。
しかし、そのブログを起点として、私は他人と肉体を重ね合わせるようになった。
ブログのコメント欄の常連の人であり、簡素なやりとりからチャットに発展してオフで会うことになった。
仕事の出張がてら関東に行き、新宿アルタ前の喫茶店で待ち合わせをした。そのままホテルに行き裸になって体を重ねたが、本番には至らなかった。
相手のよだれの臭いと重なったときの相手の体の重さを覚えている(相手の方が遥かに大柄であった)。
その後1回だけ会うことがあったが、それきりとなった。特に恋愛感情はなかった。
一人目と同じように、ブログのコメント欄をきっかけとしてやりとりを行うようになった。
一人目と同じように、出張がてら関東に行き、そのままホテルに行ったが、本番には至らなかった。
そもそもそういったことを目的にしたわけではなく、写真撮影を行いという相手の申し出があったのだ。
当日は年甲斐もなく女子高生の制服を着て2時間くらい写真を撮られた。もちろん両者の合意に基づいている。
この頃、ブログからTwitterに移行していて、そこからメールでやりとりをするようになった。
数回の事務的なやり取りの後、会うことになった。この時は自宅に相手を招き入れたが、本番には至らなかった。
私の部屋で相手は全裸になると、私はブーツを履いたまま相手の性器を踏みつけた。そういったプレイであり、もちろん両者の合意に基づいている。
このとき部屋では、coldplayのviva la vidaという曲が流れていたのだが、この曲のサビで流れている鐘の音に合わせて相手の性器を踏んづけていたら楽しくなった。
相手とは、新年にはあけおめメールのやりとりを行ったりしている。
街中で偶然声をかけられて、しつこくついてくるので渋々食事を一緒にとった。
その後もずっとついてきて、なぜかその流れで大阪の堂山あたりのホテルに入ることになった。
この時も本番には至らなかったのであるが、相手が性器を出してきたので私はそれを口に咥えた。
フェラチオは初めての経験だったが、そのまま相手は私の口の中で射精に至った。
それを飲み込むことはせず、洗面所で全部吐き出して口を濯いでいたら、相手もすっかり興醒めになったようであった。
私は終電で帰り、それきりとなった。
Twitterのやりとりから発展して会うことになった。神戸三宮で待ち合わせをして、その後自宅へ招き入れた。
着衣のままお互いに股間を弄りあったが、やはり本番には至らなかった。
そのときの相手はかなりの巨根であり、乳首でも感じることができる素質を有していた。
私が相手の胸を触ると喘ぐ姿を見て、男性でもこんなに乳首で感じるんだな、といった小学生並みの感想を抱いた。
が、その後会うことはなくそれきりとなった。
こちらもTwitterのやりとりをきっかけで会うことになった。大阪難波の個室ビデオ屋で待ち合わせをして、そのままの流れで行為に至った。
相手は緊縛が趣味であり、両腕をアームサックで固定し、口枷をはめられた状態で挿入に至った。もちろん両者の合意に基づいている。
五人目にして初めての挿入であったが、気持ち良いということはなく、相手の体重の重さと挿入に伴う鈍痛をいまだに覚えている。
このときの相手ともそれきりとなった。この頃から自分は不感症ではないかと思うようになった。
Facebookのアカウントを持っており、そちらのやりとりから会うことになった。
会うのは初めてではなく、大阪あたりのアングラ風味のイベントで何度か顔を合わせていた。
神戸の高台の方の街で待ち合わせをして、相手の自宅にお邪魔することになった。
相手はラバーフェチだったので、自分もラバーキャットスーツというものを着て胸とかを弄りあった。
行為としてはそれきりであるが、その後何度かイベントなどで会っている。
いずれの相手も恋愛感情も湧かず、心から気持ち良いと思えることもなかった。
このような経験を通して、自分はもしかしたらアセクシャルなのではないかと思うようになっていた。
しかし、転職した先の職場で見かけた同僚の女性に恋愛感情を初めて抱いたのである。
「キャラを勝手にホモにするな腐女子キモイ」を言った口で「陰キャ腐女子と陽キャギャルの百合すこ」とか言うのダブスタすぎるだろ
「原作で明言されてないキャラのセクシャリティを勝手に決めつけるな!クソ腐女子!」とか言わずに、最初から「俺はホモフォビア的思想を持っているのでBL嫌い」と言ってBLアカウント先行ブロックしてろ
わざわざ嫌いな相手の方に近づいてきてクソみたいな言葉吐いてくんなボケ
上で百合を例にあげたけど、BLGLHL(へテロラブ)その他含めすべて自由に楽しんでいいものだと思ってるけど、人の楽しんでるものにケチつけといて自分の好きなものだけおキレイなままで済ませられると思ったら大間違いだからな
腐女子に「勝手にキャラをホモにしてセクシャリティ決めつけるな」と言ったとき、腐女子から「勝手にキャラをヘテロセクシャル・レズビアンにしてセクシャリティ決めつけるな」と言われる覚悟もないやつは黙ってろ
あと腐女子=シスへテロ女性しか存在しないし現実の同性愛についてなんら考えていない集団だと決めつけてくるのもやめろ
腐女子はセクシャルマイノリティを勝手におもちゃにしてる!って言いながら、本心ではセクシャルマイノリティのことなんて全く興味なくただただ腐女子という自分の嫌いな相手に対して自由に振り回せる武器にしてる奴が一番ムカつく
(セクシャルマイノリティや現実の同性愛についての議論はBLクラスタ内でたびたび行われているから、そういうところで真面目に議論してくれるのは歓迎するよ)