はてなキーワード: インターセックスとは
ニコラオーッス
本日はインターセックス啓発デー、日本においては原子力の日、柿の日、デニムの日、歴史シミュレーションゲームの日、どぶろくの日、きしめんの日、アルファベットチョコレートの日となっております。
あまり詳しくないものについて語る時はどうしようかなぁと思いながら書いております。
特に他人のパーソナルな部分について語る時はほんとどうしよっかなぁと思いながら書いています。
そういう時は書かずに適当に誤魔化すのが最適ですね。
あと、普通に一対一で静かに話した方がいいんじゃないかなと思ってもいます。
とはいえそれも話す人語られる人の状況次第でございますから、やっぱりあまり詳しくないものについて適当に語っちゃうとどこかで汗を搔くことになるんだろうなぁと思っています。
いい感じに上手いことやっていきましょう。
いい感じよいか!いい感じヨシ!
ジギスモントーッス
本日はインターセックス啓発デー、スイスではナショナルデー、日本では原子力の日、デニムの日、歴史シミュレーションゲームの日です。
そして翌日書かれるテディベアの日とかいうものは翌日の、十月二十七日の祝日なのです。
まぁ改めて書き直すことによって日付間違いをしたという出来事がよくわからないことになっておりますが
つまりその当時では前日に書いた日記に書いてあった祝日がその翌日のもので、だからあえて入れ替える為にその前日にある祝日の名前を書いたって感じですね。
ややこしいですね。
まぁ祝日というか記念日というかそんな感じの日を幾つも書いておりますが。
というかまぁそこまで厳密に書いてないのがこの朝礼、この日記だったりします。
掛け声も緩いですからね。
この日記は十月二十七日が過ぎた十月二十八日の夕方にで十月二十六日の物と入れ替えました。
ということで本日は【作業手順の確認よいか】でいきたいと思います。
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
---|---|---|---|---|
00 | 67 | 9502 | 141.8 | 46 |
01 | 76 | 7925 | 104.3 | 51 |
02 | 40 | 6326 | 158.2 | 22.5 |
03 | 58 | 4637 | 79.9 | 30 |
04 | 24 | 4455 | 185.6 | 48.5 |
05 | 23 | 4652 | 202.3 | 71 |
06 | 13 | 2284 | 175.7 | 55 |
07 | 61 | 3661 | 60.0 | 35 |
08 | 87 | 12772 | 146.8 | 36 |
09 | 107 | 8194 | 76.6 | 38 |
10 | 163 | 18119 | 111.2 | 43 |
11 | 165 | 18586 | 112.6 | 35 |
12 | 221 | 17860 | 80.8 | 32 |
13 | 151 | 15431 | 102.2 | 44 |
14 | 154 | 14501 | 94.2 | 47.5 |
15 | 154 | 12145 | 78.9 | 37.5 |
16 | 219 | 16404 | 74.9 | 34 |
17 | 189 | 19797 | 104.7 | 45 |
18 | 166 | 14318 | 86.3 | 47 |
19 | 151 | 13526 | 89.6 | 44 |
20 | 103 | 11887 | 115.4 | 48 |
21 | 128 | 15714 | 122.8 | 47 |
22 | 182 | 16001 | 87.9 | 36.5 |
23 | 150 | 20365 | 135.8 | 49 |
1日 | 2852 | 289062 | 101.4 | 41 |
チャンミ(7), 小山田(32), 小山田圭吾(49), コーネリアス(14), koritsumuen(6), インターセックス(4), セックスワーク(28), ウィザード(3), 2W(12), シュクメルリ(5), 精神薄弱(4), ひろゆき(79), ミュージシャン(13), ⭕(13), ワニ(13), いじめっ子(10), アーティスト(18), インタビュー(21), 内臓(7), プリン(7), 50歳(8), いじめ(61), P(15), 真っ当(10), 解(11), 原則(13), 尊厳(9), イジメ(13), 老害(21), 課金(18), オリンピック(58), 音楽(35), 五輪(23), 売る(19), 若者(44), 自民(18), c(15)
■何故ひろゆきが支持されているか理解できない老害共へ /20210715063023(41), ■セックスワーク差別は無知からやってくる /20210714185723(34), ■小山田圭吾の過去のいじめをずっと言っているやつって何がしたいの? /20210715150820(28), ■作品名に人数が入っていると必ず面白い説 /20210715001433(28), ■小山田圭吾さん、おめでとう! /20210715112920(26), ■ワクチン予約サイトがゴミすぎる /20210715120904(11), ■ /20210714190525(10), ■フェミって男女比の事しか頭に無いの? /20210715113301(10), ■ゴミみたいな町だけど生きやすい /20210715150648(9), ■「セックスワーク差別は無知からやってくる」というけれど… /20210715130237(9), ■借金返せる現金が貯まったら返した方がいいのか /20210715181356(8), ■ひろゆきが人気なのは他の大人がひろゆきよりダサいからだよ /20210714200902(8), ■人は完璧でいないと叩かれる /20210715161839(7), ■コロナ禍明けないでくれ頼む /20210713225608(6), ■非モテが努力してみた話 /20210714042820(6), ■anond:20210714114025 /20210714222549(6), ■プリンに醤油かけるとウニの味になる /20210715004842(6), ■こういうのなんていうの? /20210715174620(6), ■軽度アスペルガーかもしれない /20210715185918(6), ■anond:20210715154306 /20210715154605(5), ■萩の月を始めて食べた🌕 /20210714191923(5), ■押し付けてるのではなく奪われてるんだが? /20210715163216(5), ■自分の意志で性産業に従事している人間は存在しないと思っている /20210715220628(5), ■「信号機倒壊原因は『犬の尿』by科捜研」の記事はバカニュースの類か /20210714180449(5), ■ボーナス貰ったけどあまり嬉しくない /20210715220711(5), ■いじめっていつになったら許されるんだよ、そしたら /20210715214709(5), ■作り手の都合で適正価格を主張することもまた違わん? /20210715215235(5), (タイトル不明) /20210715100818(5), (タイトル不明) /20210715001010(5)
「[『フェミニスト原則』は女性の権利に言及していない」という意見をTwitterやToggeterで見かけた。
全ての人に普遍的な権利を主張するばかりでこれでは"feminism"ではなく"humanism"である、と。
フェミニズムは"female"から来ている言葉だろうしそう主張するのも当然だ。
Black Lives MatterがAll Lives Matterに変わっていった時と同じ違和感をTwitterやTogetterで活動するフェミニストの方々も抱いているのだと思う。
ここで私も『共同声明「フェミニスト原則の再確認を呼びかける」』を読んで抱いた考えを書いていく。
日本語翻訳版を上から読んで思ったことを順に書いていくのと体調の不具合で言語能力が落ちているので読みにくかったらすみません。
まだ社会に広く受け入れられていないセクシャリティを持つ女性が自身に向けられた差別や認められていない権利について訴えても何もおかしくはない。
「LGBTQIにはペドフィリアも居る」という意見を見かけたが、どのようなセクシャリティの人であろうと他人を傷つけてまで欲を満たすことを声明は肯定していないと思う。
それはホモセクシャルもヘテロセクシャルもトランスジェンダーもシスジェンダーもみんな同じだ。
この部分が最も女性の権利について言及しているところだと思う。
宣言の中の「家父長制の権力」や「西洋的な二元的ジェンダーと性別の構造」はシスジェンダーかつヘテロセクシャルの男性中心に作られた社会構造のことを言っているのだと思う。
その社会構造こそ、ずっと昔から今に至るまで女性から権利と身の安全と社会参画を奪ってきたものではないか。
女性だからと低賃金の仕事を割り当てられたり、結婚・出産時に転職や退職を迫られたり、男性の支配欲求や性欲を受け止めて当然とプレッシャーをかけられたり、ハラスメントや性暴力の被害を訴えても自己責任にされたりしてしまうのも、全部全部「家父長制の権力」のせいだ。
序文の最後の方に「私たちのフェミニズムは、ジェンダー、性別、セクシュアリティの経験には均質性などなく、様々な人々がそれぞれのレベルの差別や抑圧、特権を経験していると認識することから生まれる力を確認します。」とある。
つまり、どんな人もある場面では弱者であり、別の場面では強者にもなるということを言っているのだろう。
例をあげると、母親に比べて父親は子どもの保護者会やPTAなどの学校行事に参加しにくい、子どもと外で遊んでいると周りに不審者扱いされるというものがあると思う。
男性は他の場所で絶大的な権威を持っているのだからと父親の育児参加を妨げていると、結果的に女性の不利にもなると思う。
母親ばかりが子どものために仕事を休み、それを別の低賃金で働く女性が穴埋めするというのはよくある光景のはず。
実際のところジェンダーだけでなく地域、人種、階級、信仰、経済状況など色々な要素が複雑にからみ合って「それぞれのレベルの差別や抑圧、特権を経験」をすることになるのだと思う。
あと「私たちのフェミニズムは~」という一文は、同じ属性であっても同じ差別を経験するとは限らないということも言っていると思う。
SNS上だと全ての女性は痴漢被害を経験しているような雰囲気があるが、痴漢被害に遭ったことがない女性だって当然居る。
しかし、同じ経験をしていなくても共通の目的を持って「家父長制の権力と闘」うことはできるはずだ。
経済的困窮や社会の混乱によって女性がセックスワークに就かなければいけないのは私も反対。
ましてやセックスワークをする女性が妊娠や性病、暴力などのリスクにさらされるのは論外。
ただ、心身の安全を保障された上での職業選択の自由はあるべきだと思う。
それはセックスワークも同じだ。
「ジェンダーを自己決定できる自由」が女性愛者が女湯に入るためや、男性が女性アスリートになって無双するために行使されるべきではない。
誰かの自由を認めることで他の誰かの権利や安全が脅かされてはならない。
そもそもの話、性自認は私利私欲のために簡単に変えられるものではない。
覗きをするためや金メダルを手に入れるためにトランスジェンダーになることなどできない。
自身の持つジェンダーが法やその他の圧力によって歪められるのは誰でも居心地悪いと思う。
宣言の第三項、ここでは主にトランスジェンダーやインターセックスの人に対する手術について言及している。
ただ、「特定の人々やグループへの、植民地的で家父長制的な医療化」はシスジェンダーの女性にも起こりうる。
「女性器切除(FGM)」というものがアフリカなどの一部地域で行われている。
女性性器切除(FGM) | 子どもの保護 | ユニセフの主な活動分野 | 日本ユニセフ協会
「本当にそんな風習があるのか?」と思った方は上のサイトを見ていただければと思います。Wikipediaの方はやや刺激の強い画像がありますが。
日本でも生理不順の治療などで使う低用量ピルの承認が遅かったり、今でも一か月分のピルの値段が三千円弱したりと女性が「家父長制的な医療」に支配されている状況にある。
他にも例を挙げればキリが無いが、「誰もを受け入れ、思いやりのあるヘルスケアは、商品や特権ではなく人権です。」という文言にはLGBTQIではない女性も同意できるはずだ。
第八項のこの部分はまるでフェミニストが女性を見捨てたように感じる。
女性が女性の権利のために始めたフェミニズムが男性やセクシャルマイノリティまで相手にし始めるのは裏切り行為にさえ思える。
この項は見方を変えれば「女性という属性だけを見てその人が経験した差別や抑圧を推測することはできない」とも読めると思う。
「女性であれば誰しも」「全ての女性は」「女性というものは」といった言葉から始まる意見に反発や孤独感を感じたことがあるかもしれない。
それらの意見は女性という存在を理解していないのではなく、女性の中にも様々な意見やライフスタイルを持つ人が居るということを理解していないのだ。
だからこそフェミニストは一人一派としてそれぞれが受けた差別や抑圧を発信していくのではないだろうか。
その発信が「「男性」対「女性」、若者 対 年配者、世界の南 対 世界の北」の対立になることは避けなければならないが。
フェミニズムの活動が「家父長制の権力」の解体を目標とする限り、シスジェンダーの女性以外のLGBTQIも活動の恩恵が得られることは必然だ。
目標と得られる恩恵がおなじならば、フェミニストとLGBTQIが協力すればより良い社会は更に近くなるだろう。
それぞれ辛いことはあるかもしれないが、それぞれが思うことを、どこかの誰かをむやみに傷つけない範囲で、ため込まずに発信していきたい。
『フェミニスト原則』はその発信をより効果的にするために必要な宣言になるはずだ。
最後まで読みにくい長文を読んでいただきありがとうございます。
正確には「フェミニズム原則のある部分に対して疑問を投げかけている左翼男性が(観測範囲内では)一人もいないのを見て、左翼男性がいかに差別に無頓着であるかが分かった」
彼らにしてみれば「インターセックス」は性自認や性的指向の問題なんだな
そうでなければ「インターセックス」の当事者の声を聞こうとも思ったことがないんだろう
「インターセックス」と呼ばれる人間が抱えて来た感情も知らない、知ろうとしない人間が、「フェミニズムは全ての人権を守れ!ツイフェミ反対!俺は全てのジェンダー差別に反対だ!」と叫ぶ
この惨状を見て、左翼男性が性差別やジェンダー差別に対して全く興味がなく、アクセサリーとしか思ってないことがよく分かった
彼らは今日も、「『女装したシス男性』と『性自認が女性のトランス女性』を見分ける方法がないので、セルフIDを元にしたトイレや浴場の区分には反対します」という女性を、差別主義者だとバッシングしながら、「インターセックス」への差別に反対してるのかな
「All Lives Matterはただの挑発!クソ差別主義者くらいしか使わない!」→「女の人権の前に男性やLGBTQ+の人権を尊重しろ!ツイフェミは害!」
「低収入男性への差別は許せない!」→「ネトウヨは貧乏!貧乏の不満を外国人にぶつけてる!」
「萌えキャラは性的ではない!巨乳女性を差別するな!」→「女Youtuberがサムネでエロ釣りをしている!エロで釣れると思っている男性差別だ!」
番外
「トランスジェンダーに対する差別は許さない!」→「DSDs?あぁ両性具有のことね?海外ではインターセックスって呼ぶんだよ!インターセックスの人権を尊重するフェミニズム原則に賛同!」
クローゼット(英語: Closeted、および英語: in the closet)は、ゲイやレズビアン、バイセクシャル、トランスジェンダー、クィア、クエスチョニング、インターセックス(LGBTQI)の人々で自身の性的指向や性同一性を公表していない状態を暗喩する言葉である。
言葉の背景
20世紀後半のアメリカでは「クローゼット」はゲイの歴史学や社会動態を把握するための重要なメタファーになっている。クローゼットの概念はカミングアウトのそれと切り離せないものがある。衣類を仕舞う「クローゼット」を当人の心に見たてて、「(性的指向を)隠している状態」(in the closet)と「表に出した状態」(come out of the closet)の二つの状態を暗喩して、当人の性的指向や性同一性の扱いを二元論的に示している。この背景から「クローゼット」な人物は「偽って暮らしている」「不幸な人生」という皮肉の意味でしばしば用いられている[1]。
前述の意味での「クローゼット」は第二次世界大戦後となる1950年代のアメリカで始まったとされる。「第一次世界大戦後のゲイの人々は…今の "coming out" という表現を使っていなかったが、 "into"という表現(同性愛社会やゲイの世界の『中に』入る)はあった。その当時も世間は大きくて人々の交流も盛んだったから…まさにクローゼットに隠しているようなものだった」(Chauncey 1994, emphasis added)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%BC%E3%83%83%E3%83%88_(%E6%80%A7%E7%9A%84%E6%8C%87%E5%90%91)
J.K.ローリングが出版した本が物議を醸して、あちらでは大炎上だそうであるが、この記事ではローリングが自身の主張をどうにかして正当化しようとして失敗しているということが書いてあるようだ。しかし、私はこの混乱の方がトランスジェンダーを認めるより遥かに理解できる。
“ジェンダー移行を後悔する人が増えている”発言が与える大きな誤解 - フロントロウ -海外セレブ情報を発信
最近ではGID、要するに性同一性「障害」という言い方は不適当だそうだ。障害じゃなくて、トランスジェンダーは自身が主張する通りの性別なのだという。でも、正直、何を言っているのか私には理解出来ない。英国ではセルフID法と言って、性別移行要件としては一応は色々取り決めはあるものの、原則として本人がそう申請すれば、公的にその性別となる。日本では戸籍変更における性別変更では、まだ手術要件は撤廃になっていない。でもそのうち撤廃になるだろうことは間違いはないだろう。だから、世界的流れはもはやトランスジェンダーを認めるという流れでしかなく、疑問を述べたところで何も変わりはしないだろう。
でも、どう考えても納得できない。性別とは、生物学的に定まるものでしかなく、自己主張で変更できるものであるはずがない。例えば、私は国籍を変更できても人種を変えることは絶対に出来ない。私は黄色人種でありアジア系でありジャパニーズである。年齢だって絶対に変更できないし、あたり前のことだが血縁関係も変更できない。なのにどうして性別だけが変更できるのであろうか?
そんなの勝手にすればいいし、特殊事情でもない限り(ムスリムであるとか)、してはいけないという理由もない。よく「自身を異性だとしか思えない」という性別移行理由を聞くけど、そう思うのであれば自主的にその様に振る舞えばいいのである。これに関しては、広く一般の人がそうした人がいるという認知を普遍的に持つことで、偏見を持たないようにはすべきではある。
常識で考えれや、という話。ペニス付き・なしで温浴施設に異性側に入ることは出来ない。更衣室だってそんなことを権利のレベルで認めたら揉め事になる。トイレだと、生物学的女性なのに男性と見間違えられる見かけの女性ですらも揉めることがあるのだから、原則、公共の場所では多目的トイレを使え、であろう。これらはそもそも生物学的性別区分で分けているのである。
問題はこれである。どうして自身の生物学的性別を無視するのか。この権利主張こそが混乱を生み出しているのである。上で述べたけどトイレなど女性専用スペースに明らかに男性にしか見えない人がいて、移行手術も受けていない生物学的男性でもある人が、「私は女性であるから女子トイレに入る権利がある」と主張するのは意味不明でしかない。生物学的な区分に基づいて専用区分があるのを、トランスジェンダーなるこれまでとは違った概念をそれに無理やり同調させるというような考え方はあり得ないと言わざるを得ない。生物学的区分と、セルフID的概念区分は全く別のものである。
昔でいう半陰陽と呼ばれたような染色体異常(良くは知らないが)のような人で、陸上競技では有名なセメンヤ選手などのことである。この人たちが自身の性別に違和を感じるということはほとんどないのだそうである。あったとしてもおそらくは、一般的な性別違和率と変わらないと思われる。このことから分かるのは、生物学的な性別的特徴の異常があっても、性別の自己認識には異常をもたらさないということである。
詳細な内容はすっかり忘れたが、ともかくある男の子で幼少の頃に何か事故があって、ペニスを喪失し、ある研究者がその親に「女の子として育てればいいんじゃない?」と言って、その研究者は半ば人体実験のように扱ったのである。その研究者は性別は後天的に決定される(ジェンダーの初期的な考え方)と考えたらしい。ところが、そのブレンダと呼ばれた少年は、女の子として育てられたにもかかわらず、成長して自身の性別がどう考えても男だとしか思えなかったというのである。この研究者はそのことを伏せて「性別は後天的に決定される」のような発表をしたらしいが、本人に暴露されてしまい、スキャンダルとなった。この事例をトランスジェンダーの人は、「当然じゃん、自認こそ性別なんだから」と考えるらしいがそれは誤りである。何故ならば、ブレンダはそもそもが生物学的に男だからである。インターセックス同様に、自身の性別をただ、正しく認識しているだけなのである。
以上の例からわかるのは、結局トランスジェンダーがほんとにあるとするならば、それは自己性別の「誤認」に他ならない、としか思えないということだ。今現時点でさえも、その医学的原因は全くの不明である。だが、未知の病は他にもたくさんある。それと同じだと捉えて何故いけないのか? 障害者というのは、健常者は通常こうであるというような曖昧ではあるが常識的な観念が定義のようなものであり、そこから医学的な分類として逸脱していて、かつ社会的な不都合のある人のことをいうのだと思う。しかしながら、手足が不自由であるとか、脳に障害があるとか、他にもたくさんあるけど、それら障害者はその障害の治癒は別として、一生障害と付き合っていかねばならないし、障害があるのに「障害者ではない」と主張する人などいない筈である。なのに何故トランスジェンダーは障害ではないというのだろうか? 障害者が障害のままで別に生きていっても良い社会なのに、トランスジェンダーは障害でないと主張するのは何故なのだろうか?
これもよく聞く主張である。「私達トランスジェンダーは、なりたくてなったわけじゃない」のような主張である。だが、私だって自身の性別になりたくてなったわけじゃない。そもそも性別は自身の意思では選択不可能なものである。私は性別違和こそ感じることはないが、異性になりたくて、自身の性が嫌だと思ったことはいくらでもある。どうしてこの性で生まれてきたのか、と思春期には悩んだものである。でも、そんな事悩んだって変えられないものはしょうがないと諦めるしかない。なのに、どうしてトランスジェンダーは、そう主張しさえすれば性別を変更できるのか。これはほんとにそうらしくて、病院でも結局はその人自身の主張を信じるしかないのだそうだ。だから、ほんとにそうなの? と考える人がいても不思議はない。つまり、変態的犯罪者が存在し得るということである。トランスジェンダーを認めてしまうことは、そうした変態的犯罪者を許容しなければならなくなるし、実際に犯罪は起きている。
要するに、ローリングのような人がいるということを認めよ、に他ならない。トランスジェンダーを差別せず、不当に扱わないが、男女区分は生物学的なもの以外にはあり得ない、という人がいることを認めて欲しい。それは、どんな人も変更不可能な人種や年齢と同じようなものなのである。確かに、最初にも言ったように国際的な流れとして、もはやトランスジェンダー、性の自己決定を認める他はないだろう。でも、言わばそうした古い主張だって存在してもいいではないか。それをどうして「差別」と非難し、TERFとレッテルを貼って攻撃するのだろうか。私はそれはおかしいと思う。
セクシャルマイノリティはLGBTだけじゃない!あなたは"LGBTTQQIAAP"という言葉を知っていますか?
この記事読んだ。
LGBTはご存知の通り以下の4つ。
Transsexual(トランスセクシュアル、性別違和)
Queer(クイア、当事者がセクシュアルマイノリティ全てを包括する言葉(総称)として抵抗運動(クィア・ムーブメント)や連帯の合言葉)
Questioning(クエスチョニング、性自認や社会的な性、性的指向が確立できず、自問している人)
Intersex(インターセックス、身体的な性別(体の性)を男性・女性どちらにも分類できず、性染色体に異常がみられる。両性具有など)
Asexual(アセクシャル、恋愛感情を抱くことがなく、性的に興奮することもない)
え、おかしくない?
なんで「アライ」とかが平然と入ってるの?「クィア」?連帯の合言葉ってなんだよ。
これ、性的少数者の分類じゃねーじゃん。ただ自分の味方とか認めてるやつを並べてるだけじゃん。
しかもしれっと「PZN」(ペド、ズー、ネクロ)とかを省いてる。
PZNも性的少数者なんだけど?「アライ」なんかより優先順位が下だってのか?
おかしいでしょ。そこまでして性的少数者内で差別を続けたいの?
はっきり言わしてもらうけど、こういう不誠実なダブスタ差別を続けてる限り、LGBTには何の正義もないよ。
蜘蛛の糸の犍陀多。救われようとしてるくせに、他の性的少数者を蹴落とそうとしてる。
セクシャルマイノリティの理解は我々日本人にはまだまだ足りていない部分が多いと思います。
現状では、セクシャルマイノリティの方々が安心して普通に暮らせる環境がまだ整っていません。
誰もが自分らしく生きていける世の中にするために、一人一人がセクシャルマイノリティの理解を深めていく必要があると思います。
そうだな。まずお前が理解足りてないよ。
この国で、いや世界で一番差別を受けてる性的少数者の分類は何か。
Pだよ。paedophilia。
佐村河内事件を覚えている人はいるだろうか?そう。あの「耳が聞こえない奇跡の音楽家」だ。彼は確かに軽い聴覚障害はあったのかもしれない。しかし大げさに全く聞こえないと言ったのだろう。いつの時代も自分を大げさに宣伝し売り出そうとする輩はいるものである。
漫画家のA。インターセックス(生まれつきの中性の体)を名乗り、今まで両性具有や半陰陽や中性や「性別がない」と名乗っている。最近はドキュメンタリー映画で全国上映もされた。
https://motion-gallery.net/projects/zfact01
今では本人は隠しているらしいが、女流漫画家名義の時のマンガでは、Aは子供の頃から自分を男だと感じたり女だと感じたりし、陰核が勃起して(女性でも陰核は勃起する)自分は性同一性障害か半陰陽かと思い、それを確かめる前に「中性を目指そう」と何度か男性ホルモン注射を受け、胸を取る手術も受けている。そしてその後の検査で「男性ホルモンが普通の女性の10倍になっていた」「調べてみたら、X染色体が1つのXOモノソミー(ターナー症候群)だった」とマンガでは書いていた。
しかしまず男性ホルモンの注射を受け続けているのだから男性ホルモンが10倍くらいになるのは当たり前で、ターナー症候群というのは性染色体がXが1つだけの女性の染色体疾患で、もしターナー症候群であれば生理も乳房発達もないはずなのだ。
しかもそれは女性ホルモン不足によるもので、ターナー症候群だから男性ホルモンが出るということはまったくない。ターナー症候群だから性同一性障害になりやすいということもまったくない。逆に不妊で悩んでいる人がほとんどである。もちろん「性別があいまい」とも、インターセックス(両性具有)だと名乗ることもない。男女両方の器官があるわけでもない。
https://h-navi.jp/column/article/35026314
Aはその後2004年に「性同一性障害30人のカミングアウト」という本でも「Xがひとつのターナー症候群」と名乗っている。
しかしここでは、Aは小2で生理が始まり小4までには胸もDカップになったとも書いているのだ。だとしたらターナー症候群でもXが1つの細胞と、XXの細胞のモザイクであるはずだ(Xが1つでは第二次性徴は起こらないがXXの細胞が混じっていれば女性の第二次性徴は起こる)。なおさら男性化するということはない。
しかも前の本では男性ホルモンを何度も打った後男性ホルモン値が増えたと言っていたが、この本では男性ホルモンを打つ前から男性ホルモン値が高かったと言い換えている。
この本では確かに「ターナー症候群は男性化しない」とも言っているが、今度はその代りに医者から「副腎異常か精巣があるかもしれない」と言われたとも言い換えている。
副腎異常で女性でも男性ホルモンが多く出ることはあるが、女児の場合生まれる前から病気の副腎から男性ホルモンがたくさん出て陰核肥大で生まれ、検査して女児だと分かるようになる。しかしこの副腎の異常は生命の危険があるもので一生服薬が必要のはず。副腎異常は染色体とは全く関係ない。
http://nrichd.ncchd.go.jp/endocrinology/seibunka/images/guidebook.pdf
Aは生まれた時に外性器の異常があったとも言っておらず命に関わる病気があるとも言っていない。
思春期から後に発症する副腎異常もあるが、日本では女性の400万人に1人しかいない症例(つまり日本で30人)で、ターナー症候群と副腎異常の2つの確率からしても不自然に感じる。
この後更に詳しい検査をしたとも言っていない。結局「副腎異常か精巣がある可能性」というのは書くだけ書いて曖昧なままにしている。
2005年から現在の名義に変えて「性別がない!両性具有の物語」というマンガを連載し始め「両性具有」「インターセックス」だと売り込み始めているが、この頃から自分がターナー症候群だということに一切触れず、「体が男性化して、染色体検査で両性具有・インターセックスと判明」としか言わなくなっている。
つまりこの人物は、本当はターナー症候群(そして偶然性同一性障害が重なっただけ)かもしれないが、それでは両性具有でも中性でもなく、男性ホルモンを何度も打った後にホルモン値が上昇した(当たり前だ)ことを、打つ前から男性ホルモン値が高かったとし、自分の体の話を曖昧にし、今度は副腎異常だと言っている可能性を考えねばならない。
あなたやそのお友達がそう思うと、LGBTの権利が守られるべきか否かはまったく別問題ですし、
LGBTの方に共感できない、と、ここでわたしに言われても、「へーそうっすか」としか思えないです。
とりあえず青識亜論氏が「LGBT」とラノベ表紙を置換可能としたのは論理的におかしい、
なぜならラノベ表紙は表現の自由の話だが、「LGBT」は表現の自由の話ではない。
もしかしたら「LGBT」は、性的指向つまり内心の話であり表現の自由だ、という主張はあるかもしれないが、
「LGBT」の「T」トランスジェンダーのインターセックスは、内心の話ではない身体的特徴を備えている。
よって青識亜論氏の「LGB『T』」とラノベ表紙は置換可能は論理的におかしい。
ということは証明されたということでよろしいですな。
「LGBT」は便宜上という使ったというのも、相手のミスにつけ込んだ搦め手だというのは自覚していますが、
青識亜論氏がさんざんそういうことやってきた人だからね。
別にわたしはこれで「論破!」とか思ってるわけではなく、「LGBT」の生存権の筋はちゃんとこれからも考えていきますよ。
とりあえず妥協的に、ここまで。
少々長くなりますのでご了承ください。
新たなる代用語として充てられている感はあるが、
それでも依然として、
同性愛・性同一性障害・ニューハーフ・トランスジェンダー/トランスセクシャル・インターセックス(両性具有者)
といったセクシャルマイノリティと混同している人が目立つ。
各々の定義は、とりあえず現在はwikipediaに記載された定義が最もベターだと思う。
(実態と異なる部分も少なからずあるが、うまく区分けされまとめられているように思う)
ニューハーフという定義だけは曖昧で、厳密にはLGBTのセクシャルマイノリティには当てはまらず、
性自認が男であろうと、恋愛対象が女性であろうと、性ホルモンを投与してなかろうと女性の恰好や仕草をして
それを売りにして"水商売・風俗産業"に従事する者達を指す言葉なのだが、
近年は「将来的に女性として生きる事を目指していて、性ホルモンを投与していて見た目も女性らしく見える人」を指す言葉でもあるようなので、
広義的にLGBTのセクシャルマイノリティに分類しても良いかと思っている。
仕事のためや趣味だけでニューハーフをやっている者もいるので、LGBTに含まれないニューハーフがいるのも事実だが。
ここで、その「LGBT」とは?
セクシャルマイノリティの区分けを大別して国際的に以下のように区分される。
T・・・トランスジェンダー/トランスセクシャル (性別変更者)
※セクシャルをセクシュアルと呼ぶ事もあるが、
さて、現実世界で男の娘と定義されるようになったかつての女装子達。
一般理念としては、「身体の性別が男性で、性同一性障害ではなく性ホルモンも投与しておらず、
ただのファションの一環としてや性的嗜好により女性の服装を纏ったり化粧をする者」という定義だと思う。
しかし中には性同一性障害の人で、女性化の一歩として女装から入る人もいる。
まだ性ホルモン等もやっていないので周りから見れば女装にしか見えない。
本人に性自認を聞かない限り判断はできない。
そういう人は外観から見れば女装者だが、正しくは「性同一性障害のトランスジェンダー」という区分けになる。
性同一性障害であろうとなかろうと、性ホルモン投与を始めたり、
身体の手術を行えば、「ニューハーフ」という区分になる。
(ここで、ニューハーフとは水商売・風俗産業に従事する者という定義に当てはめれば、
性ホルモン投与を開始しても、一般職だったり学生だったり無職であればニューハーフではなく
「トランスジェンダー」という区分になる。広義的な意味ではニューハーフという区分でもいいかもしれない)
トランスジェンダーは、まだ完全に工事が終わってなく女性化の途中段階の人で
トランスセクシャルは性転換手術も完全に終えた人を指す。法律と性器の外観以外にこの2者に大きな違いはない。
(同じトランスジェンダーの中でも性ホルモン投与が始めたてで身体の肉付きがまだ女性的になっていない場合は見た目の違いは顕著な事も多い)
同性愛とは周りからの判断で決まるものではなく、本人の性自認によって委ねられる。
本人が「自分は男だ」と自認していて、かつ同性を好きになる事が同性愛。
本人が性同一性障害などで「私は女だ」と認識していて男性を好きになる行為は
本人にとっては「異性愛」。これらは「性的指向」と呼ばれるもので、
見た目や仕草に決まりがあるというわけではない。
冒頭で書いたように、女装を嗜んだり、女言葉を使ったりしていても
当事者が「自分は男だ」と自認した上で男性を好きになる事は同性愛であるし、
まだ見た目は男のままでも、性同一性障害であるなら異性愛という認識になる。
「幼い頃から自身を女性だと思っていて、それまで男として暮らしてきてもいずれ女性の恰好をして性ホルモンや性転換などの治療を受け、
なおかつ24時間女性として暮らす事を望む者」という事が精神医学のガイドラインで決まっていて、恋愛対象が男か女かは特に問われない。
実状としては性同一性障害にも関わらず親との関係や環境上の理由により、男の姿のまま一生を全うする者もいるので
一概にどうと言えない。
しかしそういった者の中で男性が恋愛対象の性同一性障害者は、周りからは「同性愛者の男性」であると思われても仕方のない部分もある。
また、中には性同一性障害ではないのにも関わらず、自己判断で性ホルモンを投与したりいずれ手術に望む者もいる。
そういう者もトランスジェンダー/トランスセクシャルに分別されるが、精神医学上では「異性化願望症」と判断される。
ちなみに、性同一性障害の当事者からは、そういった異性化願望症の当事者を嫌悪/排他する傾向にある。
元々は、「普通の男性なのだが見た目が美少女にしか見えない少年」
といった意味であるようなのだが、創作世界から現実世界に派生し、
一部では、綺麗で女性らしい見た目であれば
性自認も恋愛対象も関係なく一律に男の娘と呼ぶとする者もいるが、
いったいどこまでを定義していいのか、当事者達にとっても悩ましい問題である。
そもそも、創作世界においての萌えに限定しては混同してもいいのかもしれないが、
現実世界においてのセクシャルマイノリティや性的嗜好を一括りするのは禁忌であると思う。
なぜならば現実世界においてセクシャルマイノリティの分野はデリケートな問題であるからだ。
当事者間においては、趣味で女装を嗜むだけの者にとってはニューハーフと同一視されたくない、
ニューハーフや性同一性障害のトランスジェンダー/トランスセクシャル者にとっては、
趣味で女装をしているだけの者と同一視されたくないというデリケートな思いがあるからである。
近年においては、ニューハーフ職に属していないトランスジェンダーやトランスセクシャルも大勢いる。
そういったニューハーフに属していないトランスジェンダー/トランスセクシャルと女装少年を同一視して男の娘と区分してしまっている傾向はある。
はたから見れば、どちらも同じく男性に生まれ女性の恰好をしたり生活をしている者と見えてしまうのだが、
それでも性同一性障害などで性ホルモン投与をしたり女性として暮らしている当事者と、ファッションや趣味だけで女装を楽しんでいる者とは大きく異なる。例えこの両者が、見た目がすごく綺麗な女性である前提としても。
または現実世界でも「セクシャルマイノリティではないし女装もしてないが女性のような顔つきをした者」だけに限定して使う事が望ましい。
1歩譲って、女装を嗜む者も含んでもいいと思うが、現在、現実世界でメディアに男の娘と区分されている者の中に、
性同一性障害者や、性ホルモン投与者などがいるなら、男の娘という区分からは外して分けて考えるべきなのだ。
そういう者はトランスジェンダーであり、いくら綺麗でも女装を嗜むだけの者とは異なる。
困った事に、セクシャルマイノリティの当事者の中でも、綺麗な女装男子といっしょになって「自分は男の娘」だと呼称している者もいるということ。
見た目が綺麗で女性的だという褒め言葉的な称号の名の元には同じなのかもしれないが、
見方を変えれば、あなた方が性同一性障害で苦労しようが、性ホルモンや外科手術によって頑張ろうが、
世間にとってはいつまで経っても、ノンケだけどただ女装を嗜んでいる者達と同一視されてもしょうがないという事。
逆に言えば、ただファッションとして女装を楽しんでいる者も、セクシャルマイノリティの当事者といっしょになって男の娘だなんて言ってるうちは、
あなた方も、「男が好きなの?」「女として生きてくの?」「手術するの?」「性同一性障害なの?」と言われてもしょうがないという事。
元増です。
いい質問ですね、よくネット上でも違いが分からないとの意見を目にします。
実はセクシャルマイノリティの世界でも、人それぞれ定義や意識が違います。
(なので余計混乱を招くのでしょうが・・・)
私自身の認識と、wikipedhiaなどからの内容を元に大別してみます。
まず、性自認(自分がどの性だと思ってるか)と性指向(どの性別が恋愛対象か)は違うので
セクシャルマイノリティそのものの種類ですが、大別すると
性自認が男で、性指向も男が対象
性自認も性指向も人それぞれだが、ホルモン療法や外的手術などにより
生まれ持った戸籍と逆の性に体を近づけ、その性での人生を歩む者
しかし性同一性障害は手術やホルモン投与などで肉体に手を加えているか否かは関係ない。
外見は別で、生まれもった性と自身の性自認で差異があり、自分の性自認の性として生きたいと望む内面的なもの。
性自認が女で、性指向も女が対象
性自認は関係なく、性指向が男も女も対象に入る
生まれながらにして、男女両性の特徴を持った方(または両性の特徴を持たぬ者)。
特徴とは外性器であったり内性器であったり、性染色体(遺伝子)であったり。
これは性自認や性指向など関係なく先天的な肉体上の病気なので、
一般的に言われるセクシャルマイノリティとは異なる。
性自認も性指向も生まれ持ったままだが、
なのでセクシャルマイノリティには入らない。
大別すると以上のような感じですが、
質問されたような方々ですが、上のセクシャルマイノリティの方々でも
女装が好きで、女っぽい言葉遣いや生き方が好きなだけという人もいれば
ちなみに、ゲイの方はもれなくムキムキの人で
トランスセクシャル/ジェンダーの人はもれなく女以上に女らしく
言葉遣いも、性別関係なく人それぞれ異なるように
ゲイでもトランスセクシャルでも、しいては普通の男性や女性でも
オネエ言葉と言われてるような喋り方を好む人もいれば、使わない方もいます。
よって、外から見ただけじゃ判断できずに、
本人の口から言われないと正確に判断できない・・・というのが正解でしょう。
しかし、本人曰く「自分は性同一性障害で心は女です」と言っておきながら
体には手を加えたくないらしくホルモン療法も手術もするつもりもなく、
見た目はまるっきり男性なのに男性が好きでオネエ言葉も使う・・・なんて方もいたりするので
はたから見れば女言葉を使うゲイなのですが、ゲイは自身を男だと思っているので
例え見た目が男でも本人がそう思ってなければ性同一性障害なのでしょう。
ただしそういう方は体に手を加えておらず、そのつもりもないのでトランスセクシャル/ジェンダー、
いわゆるニューハーフとは呼びません。
難しいですね^^;
http://anond.hatelabo.jp/20090907225448
今まで他で聞いたことがないので、300人に1人もなるものなのか?と思ってググってみたら、たしかにそうらしい。
軽重はあるようだが、300人に1人なら、増田の中にも当然いるはずだ。
ペニスが小さいだとか包茎だとかなら、まだ(ネット上であれば)ネタにしやすいかもしれないが、
未だかつて尿道下裂の人の話を小耳に挟んだことはない(積極的に探したこともないが)。
尿道下裂で悩んでいる人のために、そして尿道下裂を知らない人(当然女性もだ)のために、
あくまで俺個人の例ではあるが、書き連ねてみよう。下世話な話もあるが、よかったら読んで欲しい。
酔っている(自分にではない、ビールにだ。夜中に飲んだのがまだ残っている)ので、多少読みづらい点があるかも知れないが、ご容赦を。
最初に付き合った彼女にでさえ、一部しか話していないことだ。
「おい、ちんちんみせろ」
当たり前のように言われ、当たり前のように見せていたので、特にこれと言った感情はない。
オヤジは尿道のあたりやら、むき出しの亀頭を見ては、納得したようなしてないような雰囲気だった。
今思えば、オヤジとしては自分の子どもが「尿道下裂」という得体の知れない病気であることは、
もしかしたら「こんな風に生んでしまって申し訳ない」という罪悪感と、
しかし「なんでこうなってしまったんだ」と認めたくない拒絶感を覚えていたのかもしれない。
ネットのない時代、情報もろくに集められずに不安で、不安で、不安でしかたがなかっただろう。
こう書くとすぐ差別だ云々いう奴が出てくるだろうが、俺と両親と、将来生まれるである俺の息子の問題である。
そこに差別はないと断言する。
同じく尿道下裂で悩む人をどうこう言うつもりはないし、その親を否定するつもりも皆無だ。
俺は両親を否定するつもりもない。ただ、自分の息子が尿道下裂であったら、それは申し訳ないと思う。
今は彼女がいないが、将来的に結婚する前に、ちゃんと彼女にも尿道下裂のことを説明し、息子に遺伝するかもしれないリスクを説明するつもりだ。
そして万一息子が尿道下裂だった場合は、オヤジがしてくれたように、息子に手術を受けさせようと思う。
話が横道にそれたが、尿道下裂のせいか、俺は子どものころから通常時でも亀頭が出ていた。
そのため、「むけた・むけない」の話が理解できなかった。
また、勃起したときには、下向き、横から見るとへの字型に勃起した。
だからマンガで勃起のシーンがあっても、「何故上部に盛り上がるのだろう?」と、いまいちピンとこなかった。
いくつかの性器への疑問と、風呂場でのオヤジとの「儀式」、そして夏休みに検査のために病院へ行く。
診察してもらったのは泌尿器科だった。
糖尿病の老人が多かったので、待合室にいるのはひどく恥ずかしかった。
一度だけ患者に「糖尿病?お若いのに大変ね」と言われたことがあり、違う、と思ってもうまく説明できないもどかしさがあった。
今ググって確認してみたら俺の症状は、尿道は尿道で存在し、その上でペニスの中ほどに尿道がもうひとつある「亀頭部下裂」だったようだ。
たしかに入院前くらいには、小便をする際に、勢いが強いときだと少し真ん中から洩れていた。
(「ニョウドウカレツ」という病名を受け入れるのに精一杯で、難しい用語は覚えていない。
漢字でさえ、ネットを始めてから改めてこれだったと思い出したくらいだ。)
また前述の通り、下向きに勃起し、
(外尿道口から包皮小体にかけて陰茎索といわれる結合組織束を伴うため、陰茎は腹側に弯曲するそうだ)、またペニスが短いという点がある。通常時で7センチ程度、勃起時で11センチ程度だ。
日本人男性のペニスの大きさは~などというが、そのサイズが通常時なのか勃起時なのかで非常に困る。
エロ本買う時は、完全に勃起している。短いから血が巡りやすいだけかもしれないが(笑)。
なお、元増田は胸が膨らむなど女性ホルモンの影響があったようだが、俺にはなかった。
元増田より軽度なのかもしれない。
亀頭は幼いころからむけていたので、「皮がむけたのがいつ」というのはないが、
陰毛が生えたのは遅く、中三~高一の頃だったと思う。
背は小さい方で、いじめられっ子だったので、そう言った点で多少「女々しい」のはあったかもしれないが、環境と性格的な部分に起因すると思う。
経緯は覚えていない。
手術の経過が分かるのも怖いので、全身麻酔をしてもらったが、手術後、もの凄い痛みで目が覚めたのを未だに覚えている。
それまでの入院生活がなんだったのかと思えるほどの、地獄のような痛み。
「明日になれば楽になる、楽になる」とひたすら念じていた。
手術前後に言われたのは、今後成長にともないペニスが大きくなるにつれ、下向きに勃起するためセックスがしづらい可能性があるということ、
手術後もペニスの真ん中から尿が激しく漏れるようだったら、再度手術する必要があるということだった。
一番気になったのが、「遺伝するか」。
当時は「遺伝はしない」と言われたが、ネットで見る限り、しないと断言できるわけではなさそうだ。
将来もし俺の息子が手術するようだったら、オヤジに相談しようと思う。
そして何十年越しになってしまうが、「手術を受けさせてくれてありがとう」と御礼を言いたい。
もうひとつの尿道からの、洩れは、まだ少しある。尿の排泄時に、雫が垂れる程度に。
いいのかどうかわからないが、あまり気にしないようにしている。
ただ、セックスは問題ない。
彼女には「子どもの頃ペニスの病気で手術した、下向きに勃起するが気にしないでくれ」と言ってから、セックスをした。
下向きに勃起するわ短小だわで、コンプレックスは強かったが、挿入はもちろんできたし、彼女もちゃんと感じてくれた。
その後の付き合いでも、つまらないケンカはしたが、セックスで問題になるようなことはなかった。
汚い話もすれば、風俗で遊んだこともあるが、特に何か言われたこともない。
相手もプロだから、わざわざ傷つくようなことを言わないのは当然だ(まれにそうでもないらしいが)。
だから、もしペニスが小さかったり、下向きに勃起したりする増田がいても、気にせず遊べばいい。
また女性の増田で、もし彼氏が下向きに勃起していたとしても、驚かないであげて欲しい。
下向きに勃起している=尿道下裂とは限らないと思う。そういう人もいると、受け止めてあげて欲しい。
難点としては、尿道を手術しているので、性感帯としては弱いし、痛くなりやすい程度だろうか。
風俗に行くときはアルコールが入ってからのことが多いせいもあるかもしれないが、勃起はするが射精しづらい。
そのため素股やフェラではいきづらいので、仕方なしに慣れた自分の手で処理することが多々ある
(ローションをつけていても、すぐ手コキも痛くなってしまう)。
思ったより長くなってしまったのでまとめよう。
鬱がわかりづらいように、病気や障害というと、どうしても目に見える範囲のものを思い浮かべてしまう。
だが目に見えない部分で、人には言えない部分で悩みを抱えている人もいる。
性器のことであれば、なおさら人には相談できない。
でもそういった人たちにも、極力コンプレックスなく、セックスを楽しんで欲しい。
それが(女性は嫌がるだろうが)風俗だろうと、彼女とのセックスだろうと。
言うまでもないが性欲は人間の三大本能と言われるくらいで、それを抑え付けたままにしようというのは、大変なストレスだ。
ペニスへのコンプレックスよりも、性欲の解消の方が重要で、とにかく人肌が恋しくて仕方がなかった。
女を抱かないと気が狂いそうだった。
そう言った意味で、風俗嬢には非常に感謝しているし、彼女らを侮蔑する言動は好まない。
敢えて人目にさらすことで、自信をつけたかったのもあるかもしれない。
いじめられっ子で下半身丸裸にされた経験もあり、余計下半身にはコンプレックスを持っていたが、おかげでだいぶ和らいだ。
露悪的すぎるくらいにあれこれ赤裸々に書いてしまったかもしれないが、こういったことは病院のサイトでは説明されていない。
重度の尿道下裂だとまた問題が違うかも知れないが、
俺の例を通して、尿道下裂の人やその他性器にコンプレックスを持ってる人が、少しでも楽になってもらえればと願っている。
なおWikipediaによると、
とのことである。
2000人に1人いるという半陰陽、インターセックスについては、六花 チヨのマンガ『IS~男でも女でもない性~』が素晴らしい。
丁寧な取材と温かい目で描かれた、笑って泣ける傑作だ。是非手にとって欲しい。
あ、まったくコンプレックスが解消されたわけではないので、短小乙とか言わないでくれよな!