はてなキーワード: 田都とは
数年間お世話になった。
好き好んで選んだ場所というより、物件の家賃とか設備で都合良さそうなところ選んだら最寄りが二子玉川だった。
「ニコタマ」って聞いた時に思い浮かぶようなおしゃれなイメージが漂ってるのは駅前と二子玉川ライズだけ。
だから駅から少し歩けば普通の街になる。言うまでもなく増田が住んでたのはニコタマじゃなくて普通の街。家賃もリーズナブル。
メルセデス、ポルシェ、BMW、アウディ、その他諸々の高級輸入車への遭遇率が半端なかった。それもエントリーモデルの小型車じゃなくてわりとグレードが高いやつ。デカいセダンだったりSUVだったり。
なんなら二子玉川にある自動車学校は教習車がアウディだった。これは流石にエントリーモデルだったけど。
駐車場も道幅も狭いのにみんなよく頑張るね。増田ならぶつけるのが怖くて軽にしちゃいそう。
ここに住んでたら少子高齢化とか全く感じないと思う。
夜が静かな街。おしゃれでいい感じの店は腐るほどあるんだけど、大抵早く閉まる。24時間営業の店はコンビニくらいしかない。
9時5時で働くホワイトなサラリーマンとかその奥様には過ごしやすいだろうけど、夜型生活をする学生の単身者には厳しいものがあった。
消耗品購入とかできないからAmazonのヘビーユーザーになるのは避けられなかった。
リアル店舗で何か見たい物があるときは渋谷とか川崎に行くしかない。
我々は一人の英雄を失った。しかし、これは敗北を意味するのか?否!始まりなのだ!
リーマンどもに比べ、我がスケベな女に出会いたいだけの50代は30分の1以下である。
にもかかわらず今日までひとりで正気を保って抜いてこられたのは何故か?
諸君!我がスケベな女に出会いたいだけの50代たちの戦争目的が正義だからだ。
これは諸君らが一番知っている。
我々は窓際を追われ、渋谷TSUTAYA前移民者にさせられた。
そして、一握りのリーマンらが神泉にまで膨れ上がったニガー達とポールダンサーを支配して50余年、蒲田に住む我々が自由を要求して何度踏みにじられたか。
スケベな女に出会いたいだけの50代の掲げる人類一人一人の自由のための戦いを神が見捨てるはずはない。
私の弟!諸君らが愛してくれた岩◯竜◯は死んだ。
何故だ!?
…
新しい時代の覇権を選ばれたドスケベが得るは、歴史の必然である。
ならば、我らは下の頭を硬くし、この戦局を打開しなければならぬ。
我々は過酷な田都を暇つぶしの場としながらも共に苦悩し、錬磨して今日の文化を築き上げてきた。
かつて、ワカバ・コシーキは人類の革新は田都の民たる我々から始まると言った。
しかしながらリーマンのモグラ共は、自分たちがスケベな女たちの支配権を有すると増長し我々に抗戦する。
諸君の父も、その息子(もちろんそういう意味で)もそのリーマンの無思慮な抵抗の前に死んでいったのだ!
この悲しみも怒りも忘れてはならない!それを、◯二は!死をもって我々に示してくれた!
我々は今、この怒りを結集し、どうせ私服はガイアが輝けと囁いてるリーマンに叩きつけて、初めて真の勝利を得ることができる。
西郷隆盛とその下の息子たちよ立て!悲しみを怒りに変えて、立てよ!アソコよ! がんばっぺ福島!
我らスケベな女に出会いたいだけの隆盛たちこそ選ばれた民であることを忘れないでほしいのだ。
優良種である我らこそ巨乳のポールダンサーたちを救い得るのである。
やぱやぱ〜
http://anond.hatelabo.jp/20130822113352
「首都圏痛勤ナンバーワン路線で、かつ高年収ゾーンでもある田都沿線住民が、
職住近接に否定的」という皮肉な結果が出ている。
田都住民は、
「年収的には、都心のタワーマンションを買える経済力があるにもかかわらず、
『敢えて』痛勤路線である田都沿線を選んでいる」という人種で、
「勤務先が丸の内や港区から、二子玉川ライズとかに近づくことを、有りがたがらない」人種らしい。
また、三浦展氏は
「女性の大卒比率はかなり低い(=短大卒、高卒の専業主婦が多い)」として
・ダンナが丸の内や港区などの「ブランドエリア」に勤務していることをステイタスに感じていて、
・ダンナが「痛勤」していることについては、「大変ね」とも思ってない、
むしろ「ダンナの『家族への自己犠牲』を確認できるモノサシ、象徴」とすら感じている