はてなキーワード: 人いきれとは
最後に異性と身体的接触を行ったのは二十歳のときで、それを最後に、三十歳の今に至るまでそういった行為をしていない。
※ここで言う「身体的接触」とは、手を繋ぐ以上の行為を指します。
女の子でも、たまにやたらおっぱいを触りたがったり頭撫でてきたり腕組んできたりする人がいるが、正直嫌だった。
恐らく私は、パーソナルスペースとやらが広いのだと思う。
当然恋人なんていないわけだけれど、異性と会う機会が少ないわけではない。
なんだかんだで男性とは結構出かけたり食事に行ったりしているほうだと思う。
だが、お酒を飲んでいるときや、並んで歩いているときに親密な空気が流れると、途端に警戒してしまう。
何かの拍子で肩が触れ合うだけでもぞわっとする。
(その人が生理的に無理とかではなくて、多分単純に私が人に触られるのがダメなだけなのだと思う)
二十歳の頃の私がどうやって、そしてどういう気持ちで他人と身体的接触を行っていたのか、今となってはもう思い出せない。
このまま独り身のままなんだろうなーと思っていたある日の帰り道、
いつも使っている路線で人身事故が起こったらしく、到着した電車はぎゅうぎゅう詰めだった。
うんざりしながら乗り込むと、さっそく、周囲のくたびれたおじさんと体のいろんな面をくっつけあって立つことになった。
それが、不思議と嫌じゃなかった。
遅れている電車を待っていた駅のプラットホームは北風が冷たくて寒かった。
でも、電車の中は人いきれで少し熱いくらいで、隣の人の体温が服を通して伝わってきて、体がぽかぽかしてきた。
恐らく乗車率200%近い殺気立った空間の中で、横のおじさんに肩をスマホ置きにされながら、私は奇妙な安らぎをおぼえていた。
帰宅してからもその余韻は残っていて、今誰かが私の手を強く引いて抱きしめてくれたらどんなにいいかと思った。
これが、人肌恋しくて淋しい という気持ちなのだと初めてわかった気がした。
どうしていきなりこんな気分になったのかは、よくわからないけれど。
その日から、何となく大きな流れのようなものに飲み込まれつつある気がする。
何故か、毎日ボノボについてネットで調べたり、ボノボの本を読んだり、ボノボの映像を見ている自分がいる。ちょっと怖い。
あまりにも生殖活動をさぼっていたせいで、私の中の動物的な部分が目覚め、生殖本能に訴えているのではないかと思う。
今まで知的活動こそが人間としての喜びだと考えていたが、何でもセックスで解決してしまうボノボは幸せそうで、少しうらやましい。
週末の、もう土曜だったか金曜だったか忘れたが、とにかく次の日が休みの日だった。
赤羽からでた最終列車。池袋に到着。下車すれば大いなる酔客の群れ。上り階段に座り込む男。イチャイチャする初老の男女。「お持ち帰り」を狙う若い学生。
タクシー乗り場には長蛇の列。ストリートミュージシャン。人いきれ。8月末の暑苦しい夜のことだ。
喧噪を尻目に帰路につく。向原付近のビルの谷間に、くのいちがいた。正確に言うとエアコンの排気ダストの蔭にもたれ込んでいた。
あの例のお約束の、裾の短い装束。あわてて小刀を携えるが、私が一般人だとすぐに認識して警戒を解き、去るように眼で促す。
私はこの時点で此奴はコスプレでやってるんじゃあない、ガチだ、と認識した。それだけの説得力が、彼女のその少ない仕草から充分に伺い得たのだ。
読者諸君は「まさか」と思うだろう。しかし諸君のなかで実際ガチのくのいちに会ったことある人、どれだけいるだろうか。そこんとこ、よーく考えて欲しい。
彼女は怪我をしていた。右の脇腹に少しく血が滲んでいた。夜なので黒く見えた。
私の来ていたシャツを彼女に着せた。私は下にタンクトップを着用していたから違和感はない。
徒歩2分の私のマンションに連れて行く旨を短く説明すると、彼女は逡巡して、言葉少なくそれを諒解した。
私のシャツを着た彼女の服装にそれほど違和感がないこと、任務中には一般人と決して一緒にならないこと、そして緊急事態ゆえに今はそれを逆手にとることを手短に伝えられた。
恋人のように一緒に歩く。脇腹の外傷の他に、どうやら打撃によるダメージがあるようだった。
万が一の際には全力を尽くすが、もしそうなってしまったら申し訳ない、とのこと。
マンションに到着。蛍光灯の下で見る彼女は、修行のせいだろう、スポーツ選手のようなとても美しい身体をしていた。
くのいちがよく履いているニーハイソックスみたいなくつしたが汚れており、部屋に入ったところで慌ててそれを脱いでいた。
その仕草、とてもアトラクティヴで、昔、初めて交際相手を家に招いたときのことを思い起こさせた。
彼女は池袋午前1時半の酔客と同じくらい汗をかき、それに加えて泥まみれ(あるいは血にもまみれていたのかも知れない)だった。
怪我がひどくなければお風呂に入るのはどうか、と促した。彼女は怪我の様子も確認したいとのことでお風呂へ。
タオルの位置とかお湯の出し方を伝える内に、すぐに出てきた。元の装束を着るのは仕方の無いことだ。うちに換えのくのいち装束はない。
何となく、おなかが減っているのでは? と問うた。
少しの間があって空腹の旨を伝えられた。冷蔵庫にはタッパーに入ったポトフがある。電子レンジを用いる。
くのいちもポトフを食べるのだ。当たり前と言えば当たり前だが。どうしても短い裾で、お姉さん座りする美脚に眼が…行っちゃうんだなこれが!
ブルックスのコーヒーを一緒に飲む。時間をずらして出立したいとのこと。一緒に寝るのは論外。シュラフを出す。
私がシュラフで寝ようとすると一生懸命に私がそちらで寝ます、と訴える。このときに気付いたが年上のようだ。
結局私はベッドで寝て、彼女はシュラフで。数分で寝息を立てていたが、すぐに起きた様だ。寝ずに体を休めているだけにしようと判断したのだろう。
朝起きると彼女は居なくなっていた……訳ではなく、まだシュラフで横になっていた。私が起きるのにあわせて起き上がり、感謝の礼を述べて、出て行った。
シュラフには彼女の残り香。当然、二度と出会うことはなかった。彼女の生死やその任務がどうなったかなど知るよしもない。
ただし、毎年8月のあの時期になると、差し出し不明の小荷物が届く。お茶だとか、かぶら漬けだとか、杉谷なすびだとか。引っ越ししても、ちゃんと今でも届く。
甲賀の忍びだったのだろう。
十年くらい前の話。
当時の自分は、人間関係がうまくいかず仕事を辞め、食い詰め者と化していた。
辞めた職場がなぜか離職票の用意とか一切してなくて、半月くらい遅れを取ったものの、ようやく失業保険の受給申請へと漕ぎ着けた。
説明会があるという川口ハロワの二階集会室は超満員で、人いきれで窓が曇ってたのを覚えてる。
で、壇上に登場した若い職員がいきなり発した言葉が、上のタイトル。
なんでも失業保険は保険じゃないから失業したら必ず貰えるわけではないんだってさ。
え?って思ったね。
が、イヤなこと一杯あってもがんばって働いて、安い給料でも我慢して働いて、給与明細から天引きで引かれる失業保険の項目を毎月見てきた。
そして矢折れ刀尽き、職場を去らざるを得なかった敗北者が、窮して失業保険の受給申請をしたら「失業保険は保険じゃありません」。
わかる。
言いたいことは理解できる。
けど、もっと他に言い方はなかったのだろうか。
ホームの向こう側で、室内の明かりを全て消して止まっている回送電車が怖かった。
シルクスクリーンを貼ったように中を見通せないところも、グリーン車の廊下の非常灯のみが点々としているところも。
そう遠くはない昔、不意に消えた室内灯の影で友達の手を握って
ホームに入ったところでほどいたことを思い出した。
手袋のごわごわした感じに、マフラーのしまい場所を思い出しながら歩いていたらいつの間にか家へ。
玄関の鍵を開けて中廊下の明かりをつけると、中扉の曇りガラスごしに
ルーターが赤く明滅するのが見えた。
誰かが奥にいたら、逆に怖い。さっきの電車みたいに。
明かりは人のいるところにしか灯らない。
けれども、自分には久しく忘れていた理だった。
朝は人いきれに疲れて、夜は人がいないことに身をすくめる。
ただただ疲れた。
http://d.hatena.ne.jp/nakakzs/20080601/1212324621
この文章で何かを思い出したので書いておく。ぼくの最初にして最後(になるかはまだわからないけど)の同人イベント参加がこのこみパだった。
このイベントが唯一の体験なのでほかとの比較ができないのだけれど、とにかく長い時間ほとんど進まない列の中にいて、ようやく入場できたと思ったら、その混雑具合と人いきれでうんざりして、けっきょく何も買わずに出てきた覚えがある(カタログ?はまだ部屋にあると思う。大きめのイラストが3枚ほどついていた)。まあぼく自身にわかもいいところで、ゲームは一通りやったけれど、まあ面白かったなぐらいの感想で、こみパにいったのも、友人に誘われたというそれだけの理由からだった。
まあそんなこんなで、初めてこういうイベントに行っての感想としては、みんながんばるなー、体力あるなー、ついてけねーというところだった。それ以来、こういうイベントからは足が遠のいている。と、ここまで書いて特におちもないのだけれど、これで終わり。
さっき起きたらいきなり脳の中にこの詩が出来上がっていたので、思い切って公表することにします。照れますが。
僕らは勝手だったよ
雨だれを拭き取るワイパーの往復を
バスの座席から眺めながら
百年先にもやっぱり人類は
際限なく雨を拭い続けるのかと思った
大気圏をH2Oが循環するように
僕らのやり取りも結局はぐるぐる回って
全部間違っているかそれともとりあえずは
まだ間違いを証明できないことを絶えず確かめ続けるか
なにもかも止まらないまま不均衡に安定して
自分の衝動を書き留めることにおおわらわで
僕らの感情のすれ違いを
改めて見直す時間もないけど
かつて僕らの感じたシンパシーを
事後的に現実にするために
君が同意するかわからない解釈で
目に見える世界を記録しておく
つくづく勝手な気持ちだけれど
そっちはそっちでどうぞご存分に
ディスコミュニケーションをメタで解釈しようとできる
僕らは勝手だったよ
僕らは自由だったよ