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2020-01-15

若い子は金がないか子供を育てられない問題」の具体的解決

端的に言うと、「実家に頼る」のが一番現実的解決策だ。

歴史的に見ても、現在核家族化になったのはつい最近の一時期の事で、その一時の、皆が豊かだった頃の価値観をまだ引きずってる日本社会おかしい。

経済的に見ても、現在の状況というのは「年寄りが金を持っていて、若い世代が金を持っていない(断絶してる)」というより、

「親が金を持っていて、子供貧乏(一家あたりの金は多い)」な状況。

親が子の金を吸い取っている状況だ。大学進学率等々や一人当たりにかかる金額は30年前より上がっているのに、子の世代収入は減っているのがそれを示している。

自分たち身の回りを見ても、「若いけれど服装教育はしっかり受けられている」という状況だろう。

子供が車等のぜいたく品を買わないというより、そもそも親が持っているので必要ないという場合が多い。

昔はそもそも、親が車が無いので若者が買う、買い与えるという状況だった。

同義的に見ても、今の状況は親が金を持ちすぎて、子から搾取している状態なのだから、子が親に金を無心してもおかしくない。子供搾取されている状態からだ。

親孝行というのも、現在の状況では不可能に近いので、親が子へ与えるのは当然だ。

「金が無い」「育てる人が居ない」というのは、実家に頼れば全て解決できる問題だ。

親が金が無く、子供も金がない。こういう人たちには政府積極的支援必要だと思う。若者個人で見るのではなく、一家全体で収入判断するべきなのだ

「親に頼らず子育てしたい」なんてのは、確かに今の親の世代が作り上げた状況だとは言え、現状はただのワガママだろう。

だが金銭支援、労力を出しているからと言って、親のいう事を一から聞く必要はない。先ほど言った通り、子供搾取されている状態からだ。

金が無いなら親に頼れ。これが結論。それが嫌なら、親を貧しくさせて子供支援させる状況にしなきゃいけない。

2020-01-12

anond:20200112012135

横だけど

同じだとは言ってなくて、

次に起こりそうで回避すべき戦争がもし太平洋戦争よりガリア戦争に近い性質を持つなら、学ぶべきはガリア戦争だし、

じゃあ一つ一つの歴史がどういう性質で、そこにどういう教訓があって、というのを事前に網羅しておくべきで、

そう考えると今の歴史的教訓って、近代日本視点偏りすぎてない?それでほんとに次、変化した状況に対応できるの?

って話なんじゃない?

2020-01-09

[] #82-10「壱弐参拝」

≪ 前

一応、参拝くらいは丁寧にやろうとする。

「えーと、二礼二拍手だっけか」

「どこかで一礼も必要だったはず」

賽銭と鈴を鳴らすのって、どのタイミング?」

しかし、そのやり方を誰も覚えておらず、賽銭箱の前でまごつく。

携帯端末ネット検索すれば分かるかもしれないが、そこまでして調べたい意識だとかは俺たちにない。

「ここの神社は一礼一拍手でいいですよ」

そんな俺たちに助け舟を出したのは、同じく参拝に来ていた男だった。

最初賽銭ゆっくり入れます。鈴は鳴らさなくても大丈夫です」

羽織から手を覗かせると、男は自然所作で参拝をやってのける。

俺たちは、それを見よう見まねでやってみた。

「なんだか、もっと複雑だった記憶があるんだけど、こんなに簡単だったっけ」

神社によりけりですね。本当はもっと長い方法があるのですが、参拝客向きではないとして一礼一拍手にしているようですね」

「本当はどうやるの?」

「ここの神社場合だと、まず一礼一拍手をして賽銭を捧げて鈴を鳴らします。これで神を呼び起こすわけです。そして再び一礼し、次に八拍手して神を讃えます。ここで祈りを聞き入れてもらうための賽銭を入れます。一度目に入れた賽銭よりも金額を多めにすると良いでしょう。そして再び一礼ですが、この時は前屈運動じゃないかってくらい深々と……あ、徹底するなら禊も最初にやっておくべきですね」

新手の記憶ゲームだろうか。

「ややこしいなあ」

ホームページなどを見れば書いてありますよ」

だとしても覚える気力が湧かないし、一般人はそういう所のホームページなんて見ようとも思わない。

もし覚えられたとしても、ひとつひとつ丁寧にやっていくと数分はかかるぞ。

「つまり混雑対策で参拝方法を簡略化したってわけか」

「そんな理由で、やり方決めちゃっていいの?」

作法は、あくま手段にすぎませんから。神を敬い、讃えるために祈ることが大切なんです」

この男性は振る舞いが敬虔というか何というか。

頭は丸めていないが、実はどこかの宗派だったりするのだろうか。

「それでは、私はこれで」

弟は目が線になるくらいに細めて、去っていく男性の後ろ姿を凝視する。

「んー……どこかで見たことがあるような」

正直、俺もデジャブを感じてはいたが、あまりジロジロ見るのもどうかと思って避けていた。

「あ! 教祖だよ教祖! 生活教の!」

弟に言われて、俺とウサクもようやっと気づいた。

「ああ、そうだ!」

あいつだたか

街頭演説で見かける格好と違ったから分からなかった。

ましてや、初詣に他宗教施設を利用するなんて思いもよらないし。

「あの感じからして、かなり定期的にやってるっぽいぞ」

生活教のくせに何やってんだよ、あいつ」

「まあ歴史的に見ても、新興宗教既存宗教つまみ食いしたがるものだ」

そういえば、ハロウィンとかも普通に参加してたな、あの教祖

以前、どこかで「生活教は他宗教にも寛容です」だとかのたまっていたが、単に節操がないだけじゃないのか。

俺たち兄弟は呆れ気味だったが、ひとりウサクだけは少し神妙な面持ちをしていた。

とはいえある意味で我々も似たようなものかもしれない」

そして突拍子もないことを言い出した。

無宗教の俺たちが、あの教祖と似てるなんて笑えない冗談だ。

次 ≫

2020-01-07

anond:20200107080143

母国では逮捕される人もいるんですよ。

まあ韓国中国に限った話ではないけど。だから欧米辺りのオタクもやっぱり日本語を使いたがるよね。ただ地理歴史的理由から日本語勉強やすいのはやっぱりアジア圏の人々なんだろう。

国内少数民族」と「外国人」の混同、あるいは「日本人」の定義

国内少数民族」と「外国人」を混同している人を見かけた。

政権に就いたことのある世界少数民族政党 - 歴ログ -世界史専門ブログ- 』

https://reki.hatenablog.com/entry/190107-World-Minority-Party

日本では外国人選挙権被選挙権が認められていないため、国や自治体政治において国内少数民族利益代表する政治団体というもの存在しません。

この文章はおそらく国政政党として「琉球民族党」とか「アイヌ人民党」とかそういったもの存在しないことを指摘しているのだろうとは思うが、

少なくともその理由は「外国人参政権がないから」ではない。

また文末には以下のような記述も見える。

急速に「移民」が増えている日本でも、いつの日か外国人選挙権被選挙権を与える日が来るかもしれません。諸外国の事例をしっかり学んでおきたいところです。

ここに至ってこのブログを書いた方が「外国人」という単語をおそらくは「異民族」くらいの意味合いで用いていることが読み取れる。

ただし、この記事目的上記ブログの誤りを指摘することではなく、

誤った認識の背景に心当たりがあるのでその点について話したい。

  

結論から言えば、「日本人」という言葉が2つの定義を持ってしまっている点に問題があるように思う。

1つは、国籍帰属

日本国籍を持っている人を「日本人」と呼ぶ。

当然、少数民族だろうが何だろうが日本国籍を持っていれば「日本人」であり、現時点で既に参政権があり、結社の自由もある。

  

2つ目は、民族的帰属

大和民族和人などとも呼ばれる。歴史的経緯としては縄文人弥生人の混血らしい。

  

これらははっきりと区別するべきだ。

もっと言えば混乱を避けるために前者(国籍)の意味においてのみ日本人という単語を使うべきだ。

逆に、日本国籍を取得したにもかかわらず肌が黒いとか白いとか、目が青いとかそういった理由で「日本人」とみなさず、

外国人」と呼ばれる人々がいるのはかなり不合理で、差別的ですらある。

おそらく上記ブログ執筆者勘違いもこの辺に原因があるのだろう。

  

とはいえ自身民族的出自愛着や誇りを感じていて、ぜひ名乗りたいという人もいるだろう。

そのような場合国籍帰属とは分けて、

大和日本人」とか「フィリピン系日本人」とか、あるいは「ブラジル系」「朝鮮系」「琉球系」「アイヌ系」等々、好きなように名乗ればよかろう。

もっとこだわりがあるなら「ブラジルルーツもつアフリカ日本人」などと名乗ってもよい。

(逆に例えば大和日本人が日本国籍離脱してアメリカ帰化したなら大和米国人がよかろう。歴史的には日系と呼ばれているが)

  

まとめ

  

単語を再定義すべき時が来ている。

2020-01-06

anond:20200106161531

歴史的にはそういう時は「暴力」という技を使っていたんだが、濫用されすぎるし副作用もでかいから現代ではだめになってしまったな。

なので正直言って、(暴力を除けば)方法はないです。

 

そういう大人って時として福祉受給者だったりするので、プロ福祉関係者が頭を悩ませまくっているが、まあ方法が出てこない。それぐらい無い。

強いて言えば、本人が何らかのきっかけで考えを変えるのに期待するしかない。

何らかのきっかけをこちらで用意する、という手法は無くもないが、相手も完全にバカじゃないか誘導ぐらい気付くしな。

2020-01-02

クラシックに美味しい

某高級ふりかけは、おかかと刻み昆布をメインに、醤油みりんで味付けし、白ごま・松の実をアクセントにしている。

まさに日本人の舌に合う、美味しいふりかけなのだが、同時に昔ながらのふりかけだと思わされた。


というのも、歴史的本来ふりかけは、鰹と昆布の合わせ出汁の出し殻の有効活用という側面があったから。

まあ上述のふりかけが今でも出し殻ベースなわけはないが、それっぽさを現代に残していることは特筆に値すると思う。

2020-01-01

100分de名著シリーズバックナンバー約100冊を読破したら人生変わった

補足書きました

思った以上の反応を頂いて驚いてます

コメントへの返信など、追記しようかと思ったのですが、長くなったので別記事しました。

興味あったら見てください。

https://anond.hatelabo.jp/20200102201209

はしがき

釣りっぽく書いたけどほんと。

結構色んな意味読書知識というものに関する意識が変わったので、なんかアウトプットしたくなった

なお、名著そのものを知ったことに関する感銘とかは今更私が言うまでもないので省きます

書きたいのは100分de名著シリーズ対象にした読書を集中して実施したことに関するメタ効果に関して。

ちなみに、読破したと言っても読破したのはあくま解説本。

スペシャル版とか、ブックス版はもう少し厚いけど。どれも約120ページで、読書慣れしてる人なら2-3時間で読める量だと思う。

いやそれじゃ読んだことにならないだろ原典あたれよ、って思うよね。私もそう思っていた。

から最初20冊くらいは解説本を読んで、原典にあたって、と繰り返していたけど、以下の2つのことに気づいて一気に解説本を読む方向に転換した。

原典を読むのは、それが終わってからでも遅くないと感じた。

本の解説で繰り返し取り上げられる要素(人名思想歴史上の出来事など)があることがわかった

勉強とか、何でもそうだと思うんだけど、繰り返し出てくるものって記憶に定着しやすくなる。

さらに、その要素が「影響を与えられた」もの解説として出てきたり「影響を与えた」もの解説として出てきたりする。

何でもそうだと思うんだけど、流れというか構造の中にある知識って単発の知識より遥かに定着しやすくなる。

なので、バックナンバーの中で関連のありそうな同時代、同地域、同分野の本をグループ化して間開けずに読んでいくのが効果的に思えた。

原典が全16巻とか(おまけに明治時代の訳だったり)あるものがあった

まぁ要するに、それを読むだけで半年とかかかりそうなものがチラホラあったということ。

そこに突っかかっているうちに飽きて来ることを懸念した。

実に20年ぶりくらいに読書エンジンがかかっていることを実感していたので、これに水を指したくなかった。

約1年かけてバックナンバー読破して効用として感じていることは、、、


文系学問価値理解できるようになった

ちなみに私は理系出身

よく「文系は作者の気持ちでも考えてろ」と言われるけど、「本気で作者の気持ちを考える」ってのは実に尊い活動だと考えられるようになったこと。

今みたいにリアルタイム意見のやり取りが出来るわけでもないのに、驚くほど人間の考えや意識ってのは「繋がって」いることがわかった。

ある偉い人がいいことを言うに至った過程を忘れてしまうのは人類の損失だなと。というか、理系と一緒なんだよね。

アインシュタイン相対性理論だって洞窟暮らしていたアインシュタインがある日突然思いついたわけじゃない。

それに、曖昧さを嫌い、論理にはもととなる論理が明確に存在する理系学問「ですら」そうなんだけれど、

現時点の主流見解は現時点の正解ですらなくて、考え直しが迫られるのはよくある。

そういうとき、どこから間違っていたかどこから考え直すためにも歴史的な思考の経緯は絶対に失わせてはいけない。

文系学問の究極の目的は、新しい思考を生み出すことと思っているけど、新しいものを生み出すために今までの流れを知ることも必要だ。

果実を生み出すのがポンと生まれてきた天才的な作家哲学者だけれど、

天才誕生を待つ間その過程を丁寧に残すのがむしろ普通文学者役割で、

アカデミズムとしての文系学問の真髄はそちらにあるのかもしれないと思った。

これ、理系ブレイクスルーを起こす天才待ちと同じ構図だよね。

天才、と呼ばれる人間自身の業績についてちょっと違う視点物事を捉えただけ、とかちょっと違う組み合わせを思いついただけ、と語るのはよくあることだ。)

大学教育意味について捉え直せた

バックナンバーの消化も終わりに近づいたことろ、私は思った

「かなりいい勉強になった」

大学生の頃にこういうことをやっておくべきだった」

「というか大学でこういう講義あってもいいのに」

「あ、でもこんな事やってたらそれだけで四年間終わっちゃうか?」と。

そこで計算した。

100分deというくらいなので上記解説本一冊は、約100分の映像となる(補足説明踏めると1-2割、解説本のほうが情報量多い気がするけど)。

以下、とても雑な計算だけれど。

大学はだいたい15時間講義で1単位とされる。

まり900分だ。上記解説本でいうと、9冊。

100冊なら、約11単位計算してみて驚いたが、たったそれだけ。

一般的大学生は1年に20-30単位取得するだろうし、卒業には120単位程度必要だ。

定義サボり気味の大学生の半期分程度の勉強しかしていないことになる。

嘘でしょ?

驚いたついでにもっと攻めた想定をしてみる。

こんなことを意識している大学生はほとんどいないと思うけど、15時間講義には、30時間の事前学習と30時間の事後学習が想定されているらしい。

http://www.ohshiro.tuis.ac.jp/~ohshiro/univlaw.html

1冊辺り6時間程度の読書時間が追加で想定できるわけで、

原典には上記したとおり全16巻あるものもあれば、100ページもないものもあるから、慣らすとだいたいそれで読めてしまうとする。

するとつまり大学とは本来

「最も頭の冴えた4年間に」「専門家が選んだ良質なテキストを」「専門家解説付きで、必要なら質問し放題の環境で」「1200-1300冊読んで理解する」

場所だ、ということだ。

ああ、確かにそれをこなせば立派な「学士様」になれたろうと思う。

私は修士を持っているが、この10分の1も学士になれた気はしない。俺はなぜあん無駄時間を、、、

可能なら、放送大学なりでもう一度大学生をやってみたいと思う。

叶うなら今度こそ、学士になりたいものだ。

読書習慣と、読書をする体力を取り戻せた

なんというか、これから実施していきたい諸種のおもーい本を含む読書に挑む筋トレというかジョギングと言うか、基礎体力を作ってくれた感ある。

活字を追う体力、意味を捉え続ける体力みたいなのがないと、ほんとうの意味読書趣味にすることは出来ないと思った。

ていうか、楽しむ余裕がない。

スポーツと一緒で、やる気と勢いだけでやっても続かないと言うか。

この1年やってきたことは運動部の1年生が実施するような、練習をするための練習。これがまず必要だったとろこで、その役割果たしてくれたと思う。

練習のための練習として、この「解説読破」が有用だったと思う理由は以下の2つ

2-3時間で1冊終わること

週末、朝と夕方に一時間読む気でいればその日のうちに「また1冊読めた」と思って寝れる。

平日でも、風呂に入ってる30分で読めば25%終わり、はっきりと進んだ位置しおりを挟んで寝ることが出来る。

進捗が目に見え、さらにすぐ終わりが見えるというのは精神的に楽だ。

無駄足にならないこと

価値保証されている書物を、その書物についての深い理解があることが保証されている著者が解説する本であるということは、

読んでいた時間無駄になることはない(たとえ激烈につまらなくても3時間で終わるし、つまらなければ原典を読む必要はないという判断ができるということだ。)

という確信を持って取り組めるということだから、これも精神的に楽だった。

つらいだけのうさぎ跳びとかしたくないのよ。

今後読書を続ける動機づけになった

いろいろな本の中で語られていたことだが、

日々「モヤッと」してることはたいてい昔の人も同じこと感じていることがわかった。

下手の考え休むに似たりではないが、自分程度が疑問に思ったことはきっと昔の頭の良い人が一生かけて考え抜いているので

自分の中で結論出そうとするより同じ疑問を持っているであろう偉人の著書にあたったほうが

考えを前進させる上でコスパが遥かに良いことが芯から理解できた。

実はこれが一番の収穫だと思っている。

これから

というわけで、これから年末にかけていよいよ原典にあたっていこうと思う。

の前に

山川日本史世界史を買った。

解説読破の中で出てきたいろいろな付随知識、これがまとまりそうで纏まらなかった。

これをまとめてからの方が、今後の知識吸収速度が格段に上がりそうな気がすると思って、適切な本を暫く求めていたが結論まさか高校教科書だった。

今読むととんでもなく面白い本だ。まさに私の求めていたものだった。無論完璧じゃないが、知識統合がすすむすすむ。

なぜ俺はあん無駄時間を、、、と思うけど、おそらく解説読破と順番が逆じゃだめだったろう、OKOK。

さて、年末山川をやっつけたあと、原典の中で特に気になっていたものを30冊ほど買った。解説本で実施した筋トレ効果で読むスピードが上がっているが、

途中で気になった関連書籍とかその年気になった本とかをはさみつつ、100冊(巻数でいうと200近い)読み終わるのは3年後くらいの想定だ。

来年シリーズは続いていくので、積ん読もどんどん増えるだろう。

やりたいことが増えていくともっと若くからやっときゃよかったと思うことばかりだけど、

何もすることが無いよりはいいか、、、

とりあえず、今買った30冊とプラスαくらいは、今年の年末までに読み終わっておきたいところだ。たぶん出来る気がする

ここ10年でデジタル分野以外で画期的発明ってあったの?

機械学習AR/VRスマフォのようなデジタル関係話題になるんだけど、それ以外の分野であったの?

紙や活版印刷のような歴史的発明ってのがあったのか。

生物だとCRISPR-Cas9?

2019-12-31

スター・ウォーズスカイウォーカー夜明け」感想

(とりあえず年内中に吐き出したかったので、すべて記憶に頼って書いてる。間違いがあったらすまない。)

ネタバレ注意。)

 

一言でいうと「やっぱり無理だったか」。

 

そもそも、ep6の続きを作るなんて、本質的に無理だと思っていた。

スター・ウォーズ世界は、その全てがルーク・スカイウォーカー活躍させるために構築されている。

ep6でルークが「あがり」をむかえ、わだかまりが解消された以上、もう「めでたしめでたし」で終わった話なのである。その先には、もう何も残されていない。

から正史の続きの映画シリーズが作られると聞いたとき大丈夫なのかと心配になった。プリクエル(前日譚)でもスピンオフでもなくep6の続きを、ドラマシリーズでもアニメでもビデオゲームでもなく実写映画でなんて、完璧にやったとしても二番煎じしかならなそうなのに、どうすんだと。

何か勝算があるのかと思った。正史の隙間を埋める二次創作しかできない部外者と違って、公式ならばどんな飛び道具でも使える。これならいけるぞというアイデアが何かあるのかなと。

そしてep9が終わってみてわかった。結局、何もなかったのだ。

 

全てがルーク・スカイウォーカー活躍させるために構築されている、というのは、たとえば血統によってジェダイになったこと。

スターウォーズ世界設定では、ジェダイ世襲ではない。ジェダイの掟は恋愛結婚を禁じている。ep1~ep3では、たくさんのジェダイがワチャワチャ出てきたが、誰の血縁だなんて話は特になかった。作品世界歴史においてはep4~ep6の出来事例外的なのである

また、親父が一代にしてレジェンドになった傑物、というのも重要だ。考えてみてほしいが、ルーク家系が代々続くジェダイ家系だった、なんて設定だったら楽しくないのだ。幼いころから厳しい修行を強いられ、偉大な先祖比較されて品定めされ……ウンザリするだけだろう。堅苦しい伝統とは無縁でありながら、血の繋がりによってスゴい能力を授かっている、というのが心地よいのだ。

ジェダイが滅ぼされたというのも重要である。同世代ライバルと競わされ選別されることはない。「あいつがいから、おまえいらない」と言われる心配が無い。

ルークはただジェダイなのではない。歴史的にも特別ジェダイなのである

 

ジェダイだのフォースだのも、ルーク活躍支援するために存在する。

超能力チャンバラ! うわ超かっけえ、文句なしだ。

ジェダイ思想? そんなもんクソどうでもいい。ep5で、ルーク師匠の言うことに逆らってハンを助けに行く。頭の固い年寄りの言うことを従順に聞く主人公なんて魅力的ではないのだ。ジェダイの掟なんぞは、友情を引き立てるダシにしとけばいい。(余談だが、あのあとヨーダとオビワンはわりと辛辣に「あいつはダメだ」って批判してた気がする。)

 

帝国も、ルークのために用意されたものである

悪の帝国を倒せ。うん、わかりやすい。

ストームトルーパーも、顔が見えないので、人を殺している感じがしない。(スターウォーズを初めて見た幼少期の私は、ロボットだと思っていた。ep4のデススター侵入でアーマーを奪って着たりとか、叫び声がドロイドとは違う感じになってるとかで、「推理」することはできたが、あまり実感はなかった。直接的な描写は避けられていたように記憶している。)

反乱軍兵士は顔出ししていて、その死は人の死として弔われるが、帝国兵はそうではない。

 

ライトセイバービームブラスターも、鉄の刃や弾丸による戦闘と違って、血が出ない。生々しい人死にの感触はいらないのだ。

 

このように、ルーク活躍ストレスフリーで鑑賞するための仕掛けに満ちている。

 

そんな、ルーク・スカイウォーカーのための世界は、ep6の後どうなるだろう。

たとえば、帝国が倒れて銀河平和が戻ったらどうなるだろう。

ジェダイは、子供たちに嫌われる習い事みたいになるだろう。健康診断で素質ありとなったら、ジェダイスクールに通わされる。遊ぶ時間も奪われる。

そんな退屈な平和映画の観客にとっては退屈だが、そこの世界で暮らす人々にとっては尊い平和

ep6の続きが作られることになったため、平和は訪れなかった。

観客は退屈な平和なんて見たくないのだ。

 

カイロ・レンが生まれたのも、観客を退屈させないためだ。レイアとハンの子供が順風満帆ジェダイになるなんて話が見たいか

みんな大好き「血統物語」だが、前述の通り「親はポッと出」「他と比較されない」といった要素と組み合わさった場合にだけ楽しいのだ。ep4~ep6でそれは消費されてしまったため、ep7~ep9では使えない。そのせいでベン・ソロは歪んでしまった。

ベン・ソロダークサイドに堕ちるに足る理由なんぞ、結局、何もなかった。意外性を出すためにダークサイドにしよう、と、それだけ。

無理やり悪をやらされてる感があって気の毒なのであった。だが、そのどっちつかずな感じが「何かある」という錯覚を生み、それらしい苦悩の描写と、アダム・ドライバーの熱演もあって、妙な奥深さを感じさせていた。ep8までは。

ep9で痛感した、「やっぱり無理だったか」。

マスクの扱いが象徴であるダースベイダーにとって、マスク生命維持装置でもあり、必要があってかぶっていた。カイロ・レンにとっては、マスク特に必要ない。ダースベイダーの表層的なモノマネに過ぎない。これが、「必要ないのにマスクをつけてるワナビー(なりたがりの未熟者)である」という意味をなしていた。

ep8でスノークはこれを看破して、マスクをボロクソに貶したのだろう。マスクを捨て、カイロ・レンは悪として成長を見せた。劇場で見た当時の私は、期待を込めて「ep9では完成した悪としてついに大成するであろう。ただ、その後すぐ死んでしまうだろう」などと書いていた。

ep9でカイロ・レンは再びマスクをつけた。ep8での成長を経て一体どういう心境なのだろうかと注目していたが、特に意味はなかった。

結局、最後最後までワナビーしかなかった。

 

みんなep4~ep6が楽しすぎたせいで目が眩んでるのだろうが、血統物語のオイシイところはもう使い切っちゃったし、スターウォーズ血統物語じゃなくてもいいんだよ。

ep8で、レイは「何者でもない」としたのは、慧眼だと思った。ep1~ep3の頃のノリに戻るだけだし。だが一部のファンには不評だったようである。ep9で台無しにされた。

 

ep9は、ep8の良かったところを台無しにした。

ep8は野心的だがガタついてる印象がある。ベン・ソロダークサイド転向したきっかけとか、ワープ特攻とか、無茶すぎる。だが、フィンとローズのバディムービーっぷりとか、カイロ・レンの成長とか、レイ出自とか、レイロ(レイカイロ・レンのカップリング)とかは良かった。

特にレイロ。ep9の意趣返しについては、べつに好きにやったらええよアンタの映画だし、という気分だが、レイロだけは違う。ep8は最高のバトンを渡して来たんだから、他のなにもかも台無しにしてでも、そこだけはちゃんと引き継いでほしかった。

なんであの程度でカイロ・レンからベン・ソロに戻るのかと。ep7で父殺し、ep8で師匠殺しを達成して、これは過去正史映画で誰も成しえなかったことなのに(ep6のは、ベイダーからアナキンに戻ってるので何か違うじゃないすか)。

みんな小物だとバカにしていて、実際小物な面もあるんだけど、それでもやることやってんだなあ、というところが、見るから威圧的尊大なふるまい一辺倒の悪役よりも「新しい」気がして感心していたのに。

ep9で大成すると期待してたのに、なんだか小さくまとまって終わっちゃって。ああ、ワナビーのままだったな、と。

カイロ・レンが締まらなかったせいで、レイもなんだか微妙な感じになってしまった。悪い意味で揺るぎねえから自分ダークサイドに堕ちるかもしれないッス、ってシーンでも「ふーん」って感じで。ep7,ep8のカイロ・レンの方がまだ、こいつライトサイドに戻っちゃうんじゃねえのとハラハラした。

レイシリーズを通して成長しているが、カイロ・レンもまた成長していた。極まった二人の力がぶつかり合う瞬間を楽しみにしていた。だが、二人の対決は、なんか普通ライトセイバー戦で終わってしまった。

で、キスちゃうのな。レイロ勢に媚びた安易な燃料投下だと感じたが、まあ、対決が不発だったうえに燃料投下も無かったらマジで残念な感じになるので、ダメージコントロールとしてアリだったのかもしれない。(少なくとも、「ローグ・ワン」やep8の無意味キスシーンよりはマシだったし。)

 

ラストシーンも締まらなかった。

レイ自分のことを「レイスカイウォーカー」と名乗ったが、なんだか釈然としない。

ep8の頃の「何者でもない」レイだったら、納得できたかもしれない。スカイウォーカーの魂は血縁を超えて継承されていくんだなあ的な。だが、シディアスの孫とかやっちゃったのにそれは。

かといって、レイパルパティーンとか名乗られても、銀河悪名高いシス名前からちょっと不穏すぎる。

このシーンで私は、「ハン・ソロ」でソロファミリーネームが成り行きで決まってしまうシーンを思い出した。だがレイソロって名乗るも、やっぱり違う。

書いてて気付いたのだが、母方の姓を名乗るのが無難な気がしてきた。でもそんなん名乗っても、観客としては「何?」だろう。

 

まあ、ぶっちゃけスターウォーズ人間ドラマにはそれほど期待してないので、レイロが微妙でもメカの出来さえよければ満足だった。私の原体験がそれだからスターウォーズを初めて見たのは幼少期の頃で、ストーリーとかまったくわからなかったのだが、それでもメカ活劇に夢中になった。光る剣。宇宙疾走する戦闘機や艦船。月のように大きな要塞

だがメカ描写はずっと低調だった。

ep7で、レイスターデストロイヤーの残骸を漁ってるシーンと、カイロ・レンが焼けただれたダース・ベイダーマスクを拝むシーンには、制作陣の「我々はこうやって偉大なる旧作の遺産を食いつぶして細々とやっていくしかないのだ」という諦めの入ったメッセージ言葉ではなく映像で叩きつけられたような気がして、ちょっとビビった。新しいものを作るんだっていう虚勢を張るもんだと思ってたら、こんな赤裸々に弱音を吐くんだ、って。

ep7~ep9のメカを振り返ってみて、旧作から続投しているものを省けば、記憶に残ったのはbb-8とカイロレンのマスクくらいだ。

ep9は特に低調だった。なんだファイナル・オーダーって。あの世界の乗り物は、製造されてるわけじゃないですか。「ローグワン」とep4でデススター設計者・設計図を巡るドラマがあった。「ソロ」では、製造中のスターデストロイヤーを望むシーンとか、ファルコン号を巡るドラマがあった。それが、念力を込めたら地中からボコボコ出てくるとか。ただでさえスターデストロイヤーをたくさん並べただけという芸の無さがキツいのに、もうちょっと真面目にやってほしかった。

 

できれば、メカデザイン体系を新しくしてほしかった。

ep1では、ep4~ep6とは明らかに違ったデザイン体系のメカがでてくる(アールヌーヴォーって言うの?)。ep2,ep3と話が進むにつれてep4の体系に近づいていくというのが、帝国の勃興とメカデザインが連動していておもしろかった。

帝国という魅力的な装置はep6で使い切っちゃったので、ep7~ep9ではなんの変化もなかった。

面白い新作メカを作る余地はあったと思う。現在、「トポロジー最適化」「ジェネレーティデザイン」といったものが登場したので、それを取り入れるとか。

あと、バトルドロイド可能性は掘りつくしてない気がする。ep5で少し登場しただけの賞金稼ぎロイドには妙な存在感があった。ep1でドロイデカの登場には、なるほどこれはep4~ep6制作当時のVFX技術じゃ作れなかっただろうと興奮した。ep1より後に作られた「ローグ・ワン」のk-2soといい「ハン・ソロ」のl3-37といい、キャラが濃くて面白かった。ep7~ep9で、改めてバトルドロイドを登場させたら良かったかもしれない。

だが、「こんなのスターウォーズじゃない」と不評に終わる可能性が高いだろう。それが予想できたから、きっと冒険しなかったのだろう。

 

というわけで、ep9の感想は「やっぱり無理だったか」。

スターウォーズはep6で完結してたんだなあ、という思いを新たにした。

anond:20191231094304

歴史的に元から酷い国だったが、安倍になってからは本当に悪くなった

はいソースなし

anond:20191231093727

同感だね

日本経済では一時期強かったが、それ以外は現在進行系であらゆる点で野蛮だよ

歴史的に元から酷い国だったが、安倍になってからは本当に悪くなった

自分外国人だったらあまり関わり合いになりたくない

古代ギリシャ日本少年愛研究する教授解雇を求める声高まる

そーす

古代ギリシャ日本の「ぺデラスティ」(成人男性10代の少年社会的に認められた恋愛関係)を研究する教授解雇しろとの声が高まる [377482965]

https://leia.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1577736060/

1 番組の途中ですがアフィサイトへの転載禁止です (ワッチョイW 44c5-bVs5) 2019/12/31(火) 05:01:00.01 ID:29JPDHLA0 BE:377482965-2BP(1000)

Students Want Thomas Hubbard Fired for Work on ‘Pederasty’ but University of Texas Says It’s Protected Speech

https://www.thedailybeast.com/students-want-thomas-hubbard-fired-for-work-on-pederasty-but-university-of-texas-says-its-protected-speech


2 番組の途中ですがアフィサイトへの転載禁止です (ワッチョイW 44c5-bVs5) 2019/12/31(火) 05:01:11.87 ID:29JPDHLA0 BE:377482965-2BP(1000)

テキサス大学学生グループは、古代ギリシャの「ぺデラスティ」(成人男性10代の少年たちの社会的に認められた恋愛関係)について広範囲に渡って書いた古典教授解雇を求めています

学生は、Thomas Hubbardの学術研究は「10代の少年に対する暴力犯罪擁護者」であり、小児性愛を促進するオンラインコミュニティで称賛されていると主張しています

衝突について最初に報告したThe Austin American-Statemanによってレビューされた文章の中で、UT教養学部古典教授は、古代社会男性少年の肉体関係を「適切な学習経験」と呼びます

それとは別に2010年に、Hubbardは、古代若い男の子性的同意分析する記事を書いたと伝えられており、現在同意年齢法は禁止匹敵する「素朴で独善的時代」の「悲しい副産物」と呼んでいます

Hubbardは査読雑誌「Thymos: Boyhood Studies」に「現代アメリカ法は、後期ビクトリア朝時代進歩主義時代思想先入観時代遅れのジェンダー構造に由来する『性的関係に対する子ども無能力』に基づいている」と書いたと報道された。

私たち少年少女の「同意年齢」は異なる事を考慮する必要があります


3 番組の途中ですがアフィサイトへの転載禁止です (ワッチョイW 44c5-bVs5) 2019/12/31(火) 05:01:22.18 ID:29JPDHLA0 BE:377482965-2BP(1000)

Students for Safetyと呼ばれるグループは先月、Hubbardが「未成年少年を捕食することを望んでいる人たちのコミュニティを促進するために彼の立場を利用し」彼の著作が「これらの違法行為奨励している」と主張するプレスリリースを発行しました

10代の少年に対する暴力犯罪擁護する者には、明日指導者に教える権利はない」とこの発表は述べています

テキサス大学は、学生安全健康福祉念頭に置いていないことは明らかです。」

私たちは、この男性小児性愛を促進するために彼の地位使用している間、我慢することを拒否します」とグループは言いました。

Hubbardに対する告発を率いる学生の1人であるSarah Blakemoreは、The Austin American-Statemanに、教授の「アカデミックライセンス」は「法律違反」を促進するため、公立大学では容認されるべきではないと語った。

Hubbardの研究は、North American Man/Boy Love Association (NAMBLA) を含む男性少年関係を促進するオンラインコミュニティ好意的に受け取られていることを引用して、Blakemoreはこう付け加えました。

世界最大の小児性愛擁護グループが私の本を支持するなら、私は人生再考します」


4 番組の途中ですがアフィサイトへの転載禁止です (ワッチョイW 44c5-bVs5) 2019/12/31(火) 05:01:31.38 ID:29JPDHLA0 BE:377482965-2BP(1000)

Hubbardは、The Daily Beastコメントリクエストにすぐに応答しませんでした。

The Austin American-Statemanへの声明の中で、古典教授は「少数の学生」の懸念却下し、「この主題に関する私の執筆の全範囲の慎重な調査に基づくものではない」と述べた。

彼の作品は、NAMBLAの「法改正への特異なアプローチ」を実施せず、メンバー性的指向を共有していません。

Students for SafetyのプレスリリースソーシャルメディアUT学生に配布された後、Hubbardは書面によるQ&Aで自分研究擁護し、ぺデラスティ小児性愛とは異なると主張し、「同意年齢がより低年齢の国で精神健康への悪影響の証拠はない」と示唆しました」

Hubbardは「私は主に古代ギリシャ、「小児性愛」(精神医学の診断および統計マニュアル第5版で定義)が文化記録の一部ではない、について書いています」とハバードは言いました。

古代ギリシャ漢王朝中国ルネッサンスフローレンスサムライ時代日本、同様にメラネシアアジアアフリカ部族文化などの複雑な歴史文化実践された、思春期男性恋愛交際「ぺデラスティ」の非常に異なる現象について議論します」

さらに、「10代のセクシュアリティをどのように規制し、法律違反処罰すべきかは、研究者と公共政策専門家の間での正当な研究議論の分野です。

そのような議論には、歴史的および異文化間の証拠がある」と加えました。

以下略

2019-12-26

anond:20191226154521

横だけど、加害者殺意を持つのは当たり前だから、応報感情考慮されて歴史的に様々な法律が出来てきたんだよ

君は病院行かれては?

2019-12-24

anond:20191224165159

魔法使いの嫁とか、メインドインアビスとか、宝石の国とか、本好きは元増田にも挙がってるが、本来少女漫画誌でやってた内容だと思う。

言及されてる4作品も、薬屋のひとりごとも好きで読んでいるが、

メイドインアビスもそうなのか?

歴史的類似作品って例えば何があるの?

神は死んだ

狭いコミュニティに、小さな宗教があった。

青少年時代絶対的な、神のような存在がいたならば、縋りたくなるのかもしれない。

それとも単に流されていただけかもしれない。

逃げ出すことをしなければ、洗脳され、崇拝し、盲目的になり、排他的になる。そうしてますます絶対感が増し、信仰心高まる

部活動顧問と、生徒の話だ。

あれは、まごうことな宗教だった。

私は神のことを信じられず、けれどとある理由から逃げることも出来なかったので、そのコミュニティに身を寄せていた。

クソガキという異分子だった私は狭い世界で浮いていた。

からは集中攻撃に遭い、背後から信者に刺される。そんな日々だった。

結果という形で力を持っていた私は立場が低いわけではなかったので、一人で異分子派として居座っていたけれど。

いいや、何人か異分子はいたのだ。

しろ表面上は私と同じように振る舞う人間が多かったように思う。肩身が狭い中、彼らは仲間だとは思っていた。

一度、事件が起きた。

神がその立場追放される、そんな歴史的な日があった。

実に晴れやかな気分だった。荒れた土地の整理は面倒だなあと思ったけれど。

裏腹に、困ったのは信者たちだ。

流されるままに生きてきた彼らは、憐れな程に狼狽え、悲しんだ。

やがて、神を戻すべきだと立ち上がった。

分子だと思っていた人間とともに。

そう。真の異分子は私だけだったのだ。

これには裏切られた悲しみよりも、面白さの方がやって来た。

まず初めに鎖国して、国交を断裂した。卒業まで半年の頃だった。

ニセモノの異分子たちは、正式に神の信者になる者と、異分子ですが?という顔をしてこちら側に来た者に別れた。

卒業までそれは続いた。私は鎖国したまま、しれっと卒業した。

私は卒業してから一度だけ礼儀として挨拶に来たが、それ以降そのコミュニティに顔を出すことをしなかった。

信者や、ニセモノの異分子たちは、仲睦まじく傷を舐め合うような関係を保っていたようだけれど。

解放されて少しして、神が死んだと連絡が来た。

重大なそのニュースは、後輩である信者の、恋人から知らされた。

どうでもいいと思って聞き流した。

けれど、少しだけ連絡のとっていた信者確認したところ、連絡が来ていないというのだ。

信者たちだけで形成された連絡手段があるというのに、だ。

信者の後輩が私の友人でなければ、私も知ることは無かっただろう。

使える僅かなツテで、各地に散っている信者に連絡をしろと伝えた。

お前たちの神なのだから最期は見届けるべきだ。私は見届けないけれど、役目を果たしたのだから十分だろう。

もう奇跡の復活はない。

神は死んだ

何も出来ない愚かな信者だけを残して。

2019-12-23

anond:20191223210819

弱者度」が何に基づいて算定されるものかは一概になんとも言えなくて、現時点ではうまく扱いかねるが。

シスヘテ女性は、生殖を通じてこの社会の中では必要な部分として社会構造上必ずみなされる。

そこがマイノリティでありつつも、マジョリティとしての権力性に近しいところ。

母性主義的な主張は子を抱え込む母としての立場を、国や社会が認めざるを得ないところを接点として出てきている。

日本フェミニズム」は主流は今も昔も圧倒的に「日本人の」「母性表象をもって主張されてきた。

からこそ、90年代性的少数者からの、在日女性からの異議申し立てがなされた。

2000年代バックラッシュ騒動の時にもそこは必ずしも改善されず。

2010年代にはトランスへイトを煽動する勢力をそのうちから排泄した。

歴史的健忘症に陥りやすいツイフェミが、「私は一時期ネトウヨだった」とか平然とブログに書いてるのを見れば、何も学んでないんだな、と思う。

2019-12-22

インターネット老人のネットウォッチの思い出とotuneの事

インターネット老人と言うからには少なくともこれぐらいの前の話をしないとかなと思い、もちろん当時の情報網羅とは言えない私個人の限られた範囲ネットウォッチの昔話をしてみます

ネットウォッチはそれこそNIFTYなどの商用パソコン通信の頃から行われていて、インターネット歴史と共に綿々と続いてきたものです。

パソコン通信などやる人はギークナードな人しかいないので、変人ばかりで、中には我を通すために他人の心情など関係ないといったタイプもたくさんいました。

多くの人が自分も我がままな人間なのに小さいなコミュニティを守るため我慢してる中、傍若無人な振る舞いをする人に、あいつムカつくよなとか、なんとか揚げ足取ってやろうとか、中にはリアル情報を集めて何とか酷い仕打ちをしてやろうという人も出てきました。

今と違って、このコミュニティが気に入らないから別の場所と言えるほどネット世界は広くなく、ヘイトのるつぼになりがちな状況でしたが、逆にネットウォッチ的なもの情報集約コミュニティというものも皆無に等しく、あったとしてもNIFTYのPatioなど仲間内クローズドもの限定されてました。

私がこの界隈にうろつき始めたきっかけの山田AGパソコン通信東京BBSで暴れてた変人で、非常識言動で多くの人を困らせていました。

彼に接した全ての人間が彼に不愉快な思いをさせられたといっても過言でなく、有名なvoidさんのようにその態度はないけど理屈はわかるといった救いもない人でした。

そんな中、インターネットに「ネットワーカー研究所」(通称ネ研)が現れ、パソコン通信やあちこちBBS群などの困った人たちの情報を集めたサイトができました。

中身は個人情報などもありましたが、騒動の生ログが羅列されているものほとんどなので、事情を知らない人にはなかなか簡単理解できないものが多かった記憶があります

私がネ研を知ったのは1998年1999年の頃で、あめぞうにもあやしいわーるどにも出入りをしてない健全生活(2ちゃんねるは一応存在してたけど、私は知らなかった)を送っており、山田AG周りの情報のみを見てたので、それ以外の人の話はあまり見ていませんでした。

前述の通り、生ログ収集がメインだったので状況把握が面倒で、おそらくですが、ネ研を見てた人の多くに横のつながりはなかったんじゃないかと思います

otuneさんもここを見てたはずだし、どこかのBBSですれ違ったりしてたとは思うのですが、全く見た覚えがなく、少なくともこの頃は有名なネットウォッチャーという扱いではなかったと思います

とはいえ検索で引っかかるようなオープン場所で、特定の誰かだけでなく多くの情報を集約したネットウォッチ活動の場として実際多くの人が見に来るサイトは他になかった気がします。

ただ、IP抜かれるのは死に値するため閲覧にすら串差してた時代個人管理サイトに気軽に書き込んだりメールして情報提供する人は多くなく、情報の新鮮さにはかけていました。

そして2000年5月ネオ麦茶事件が起こり、2ch知名度が一気に上がり、私もそこで初めてネットウォッチ板(通称ヲチ板)を知るわけです。

山田AGヲチ活動2chに移り、私も入り浸り、彼以外の人も覗き見するようになりました。

そこで体験したことはきりがないので、個々の出来事は避けます

その当時、どのスレを見てもヲチ板モットーウォッチ先 さわらず荒らさず まったりと」というのが徹底されていて、少しでも当人接触しようものなら酷く叩かれてました。

この標語、私がヲチ板に来た頃から言われていたと思うので、最初からあったものだと思います

ネットウォッチ本来ネット活動倫理からは外れる全うでないものから、せめてヲチ対象を含めた他人迷惑をかけてはいけない、という建て前もあったけど、私を含めネットウォッチする人はヲチ対象不愉快な思いをさせられた事がきっかけだったりするので、人に迷惑をかける行動はヲチ対象と同レベルに成り下がる、同じ肥溜めの中にいるにしても顔ぐらいは外に出しておきたいという気持ちもありました。

そういった意識があったせいかヲチ対象に対するネガティブ言葉もせめて笑えるものお笑いツッコミのようにエンターテイメントになるようなもの理屈で殴るようなものより喜ばれてました。

ツッコミ面白くなるのはそれはもうヲチ対象に直接言う方が面白い事が多く、住人であることを隠してツッコミを入れる人もいたけど、それをスレで「あれは俺だ」と報告しようもんなら袋だたきにあうという、自己顕示欲が強い人にはなかなか難しい感じでした。

さて、そんな中、その均衡が崩れたのが古式若葉で、スレ住人がネカマになってヲチ対象をいじり倒す事があり、それが面白いと人気に。

からヲチ板住人の苦々しい視線もよそに、ネット上のおかしな人をいじって遊ぶがネットウォッチ意味に含まれるようになっていきました。

その後、1ch.tvなどでもヲチ対象突撃するという手法が取られたけど、ヲチ板では最初はそういうのはよその板でやっくれないかという人もたくさんいました。

今でもヲチ板代表的出来事としてこの二つが上げられたりしますが、ヲチ板原理主義者としては少々不服ではあります

長くなって来たので歴史的な話はこの辺りにしますが、その後、ヲチ板ネット一般的になっていくうち、多少の頭おかしい人がいても目立たなくなり、隔離することも自分の逃げ場もつくれるので、そういった事が難しいネットゲームの世界だけになっていくのでした。

ただ、ネットウォッチ的なものがなくなった訳でなく、それが普通場所普通に行われてるため、ネットウォッチゲスな事だと認識されないまま広まっているように見えます

そのため、逆にネットウォッチと名の付くからには自分たちの普段やっているものよりも更に酷くゲスな事をやっているものだという印象を与えてしまいがちです。

個人的には本来ならネットウォッチという言葉ヲチ板衰退と共に消えていくべきものだと思っており、それに意義をこじつけ延命させる行為は歓迎できません。

ネットウォッチャーotuneさんの事ですが、私の記憶だとネットウォッチャーと言い出したのは本人でなく、周りが面白がって言い始めたことで、上記の通り、ネットウォッチは影に潜んでこっそりやるゲス行為ということをよく理解してる人なので、一番最初蔑称だったと思います

本人がそう名乗った時は少し驚きましたが、自虐的ものだろうし、今でもその意味で使ってると思うので、ネットウォッチのすごい人って言われてるのを見ると私としてはずーっと悪口言われてる人のように見えてます

本人も苦々しく思ってるかと思いきや、ここ数年だとは思うのですが、自虐的ながらもまんざらでもない様子が出てきて、ちょっとおかしな感じになってきました。

きちんとヲチしてるわけではないので何かきっかけがあったのか分かりませんが、ネットウォッチというもの本質を知っているはずなのに、あえて都合がいいようにズレた意味合いに動かし始め、遂には商売をはじめ、そもそもネットウォッチ自己顕示欲は相反するものという意識が強い昔の人から冷ややかな目で見られるようになっています

彼をネットウォッチャー的観点でいうと、「ネットウォッチの原点を知らない人に俺は昔から知ってるというマウントを使ってズレた事をしているネットゴロ、とはいえ、まだまだ手の施しようが無くなるほどひどいとこまでは行ってない(行くほど儲けてない)ので、熟成するまでまだもう少し」という感じです。

さて、増田とはいえ、私もヲチャとしてはあるまじき自己顕示欲を出してしまったので、深く反省をし、これからも「ウォッチ先 さわらず荒らさず まったりと」を実践していきたいと思います

2019-12-21

anond:20191220114838

名前を間違えられると怒る人いるけど、それが致命的な不利益を被る商売をしてるわけでもないのにそんなに怒るのかわからん

なんか日本にはそういう歴史的な経緯でもあるんだろうか。

私も間違えられまくるけど、基本は放置する。

どーでもいいか

ポリコレとかポリコレ棒って言葉が急に流行ったのなんで?

歴史的には40年以上前に生まれ言葉だし、PCが行きすぎてるという指摘は1990年代アメリカではすでにあった。自分ポリコレをしったのは1990年代シンプソンズアニメ揶揄されてるのを見た記憶がある。

なんか日本が30年くらい遅れてるんじゃないか?って気がしてがっかりするね。実際には精神分裂病統合失調症に変わったり、看護師って言葉が生まれたり、よい面もたくさんあるんだけど。

2019-12-20

anond:20191220084044

こんにちは通りすがり日本語警察です。増田さんじゃなくて済みません。

まず【――めく】は「接尾語」と言って、他の言葉(主に名詞)のあとについて動詞を作る言葉です。意味は「~のような状態になる」。よって

 「春めく/夏めく」=春らしい/夏らしい状態になる

という意味です。「きらめく」も、本来「綺羅(きら)」というのは外国から渡ってきたキラキラする布のことですから

 「きらめく」=きらびやかな服を着るようなきらきらしい状態になる

という意味になります

ときめく」は少し難しく、昔は、対象が「時機を得ている様子(絶頂期にある)」ことを意味する「時めく」だったのですが、時代が下がると「(そういう対象を見る側の気持ちが)どきどきする」ことを意味する言葉になりました。「○○さんはとてもときめいています(いまが絶頂期でとてもきらびやかな様子です)」が、「○○さんはときめきます」になり「○○さんってときめく!(見てるとどきどきする)」になるわけですね。こういう例は古文などを読んでいると時々あります。有名な例で言えば「情けない」など(本来対象に「人情がない様子」を表す形容詞だったのですが、時代が下がると「(人情のない対象を見る側の気持ちが)つらい」ことを意味する語になりました。)。

ですから、これもまた上と同じく、元々は接尾語「――めく」からまれ言葉なので、質問のお答えとしては「同じ」でOKです。

ちなみに、これを書くために調べていて、江戸時代には「めく」だけで「いかにもそれっぽく見える」という動詞用法もあったことを知りました。「あいつは『めかない』なァ(頑張ってもそれっぽくならないなあ)」みたいな使い方だそうです。面白いですね。

[追記]"めくるめく"の意味について

めくるめくのってのもめくったような状態になるってことなんだろうか。とおもってぐぐってみたけど目がくらむとか書いてあってなんか俺の知ってるめくるめくとちがってた。めくるめくってなんだよ警察教えてくれ (https://b.hatena.ne.jp/entry/4678900173722597602/comment/watarux

質問がありましたので追記します。「めくるめく」は「目がくらむ+めく」で生まれた語というのは、歴史的にはほぼ確実です。このため、現在も「目がくらむような」以上の説明をしている辞書ほとんどありません。では、ブクマさんの「俺の知ってるのと違う」という感覚おかしいのでしょうか? …いえ、そう簡単には解決したくありません。なぜなら、私にもブクマさんと同じ違和感があるからです。現在の「めくるめく」は、本義の「めまいがする」意味で用いられることはほとんどなく、主として転義である肯定的意味で用いられているように思います

では、いつごろからこうなったのでしょうか。

参考になるのは、大辞林(1988)の「(転じて)強い刺激を言うこともある」という説明です。その用例をみると、「めくるめくような日々」とあり、どうやら比喩的に用いられることで「強い刺激」の意味が生まれてきたことが推察されます

では、そのルーツは? 調べてみると、「めくるめく」が比喩的に用いられて今日見られるような意味を持ち始めたのは、現代日本語がその形を成し始めた大正期の詩の世界からのようです。たとえば次の用例に見える「めくるめく」の語の印象は、現代のそれにかなり近いように感じます

その豊饒な、杯から溢れ出すほどの過剰な美は、ことにその紅色の花にあって彼の心をひきつけた。そのめくるめくばかりの重い香は彼には最初接吻の甘美を思い起こさせるものであった。(「田園の憂鬱佐藤春夫大正7(新字新仮名に改めた))

このように詩の世界で用いられた比喩的用法が、その後徐々に一般化して、今日見られる形に近づいてきたた、ということではないでしょうか。

…と、ここまで書いてまた興味深いのは、「――めく」自体本来は「~のような」という意味であったという事実です。つまり今日の「めくるめく」の意味を生んだ「めくるめくばかりの」という用例は「~のようであるような状態」という意味になり、「重複」ですね。語の破格な用法がその意味拡張することの一例と言えるかもしれません。

2019-12-19

歴史的史料”に市職員が…油性ペン書き込み

https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/ann?a=20191217-00000068-ann-soci

こんな感じのことをやってめちゃくちゃ怒られた

器物破損ではないんだけど

正直、非正規人間雇って

引き継ぎもろくにせず

ここの担当あなただけだから聞かれても分かんないからね~あなたが全部考えてやってね~

で済ましてきた正職員の人らにも責任があると思ってている

非正規フルタイムじゃない、任用期間も短い、手取り10万、福利厚生別にしっかりしてない、正規雇用のためのレールなんて一切用意されてない

でも市の職員なんだから市民のために正規雇用私たちみたいに当たり前にサビ残してね~責任も重いからね~って

今まで雑だったあんたのツケだ!と言わんばかりに怒られたけどこっちだってお前らのツケを払う時が来たんだよと言いたいね

2019-12-18

anond:20191218100527

日本では、歴史的にみて卑属殺はむしろ普通殺人よりも軽く扱われており

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