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2021-03-17

anond:20210317152304

暫定的憲法違反だって裁判所が認めたわけだろ

勝ち誇っていいだろ、突きつけられるだろ

2021-03-01

夫婦別姓婚の当事者に聞く、子供の姓をどうするか(2032年3月

 早いもので、2020年代の初頭に選択夫婦別姓法律で認可されて以来もう数年が経とうとしています

 市役所調査によりますと、現在では別姓婚を選択した人は32%と、かなり社会に浸透しているように感じられます現在婚約をされている方の中にも、別姓婚を選択しようと考えている方も多いのではないでしょうか。

 さて、そこで見落としがちなのが子供の姓です。父親母親の姓は別、では子供の姓はどうするのか。意外とそこで夫婦間の意見に食い違いが起きる場合があるようです。

 予め子供の姓について話し合いがあっても、例えば一人目や二人目までは決めていても三人目をどうするかで揉めたり、あるいは経済的子供を作らない選択をしていた人が、昨今の好景気子供を作る方針に変えた結果、姓の方針議論が起きたりなど――。

 そこで今回は子供の姓に悩む皆様の参考になればと、夫婦別姓選択したうえで第三の選択を選んだ、譲さん真矢さんのご夫妻に話を伺いました。


 ―― 初めまして。譲さんと真矢さんはお子様に、お二人の姓とは別の、まったく新しい姓をつけたとお伺いしました。法律で認められているとはいえ夫婦どちらでもないまったく別の姓を付ける方は珍しいそうです。その新しい姓は、どなたがお決めになったのでしょう?

 真矢さん 分からないんです。

 ―― 分からない、とは?

 譲さん 最初は、私たちは全く新しい姓を付けるつもりはなかったんです。夫婦で話し合った結果、私の姓を子供に与えるつもりでした。ですが……。

 真矢さん この子が生まれときのことです。私たちは人工子宮による妊娠を選んだので、産科医の先生に呼ばれて二人で出産に立ち会いました。手術医をいただいて、子宮が切開されるところを見守っていたら、息子の顔が見えたところで――。

 譲さん 息子が、自分の姓を宣言したんです。

 ―― なんと。失礼ですが、それは聞き間違いや勘違いなどではなく?

 真矢さん はっきりとした発声でした。産科医の先生証言してくださったので、間違いはないと思います

 ―― なるほど、それで、今までの話し合いを捨て、赤ちゃん宣言した姓を選んだという事ですね。

 譲さん はい、息子の意思尊重しました。できれば名前の方も意思確認たかったのですが、それ以来まだ息子ははっきりとした言葉を喋っていないので夫婦暫定的つけました。

 ―― それにより、何か変わったことはありましたか

 真矢さん 目立ったことはないと思います。夫の両親も私の両親も、私達の選択尊重してくれました。ただ、時々自分の子供がほんとうに自分の子供なのか、分からなくなることがあるんです。

 ―― それは、夫婦どちらとも姓が異なるという理由ですか?

 譲さん いいえ。姓が異なるという事は問題ではありません。ただ、子供自分で姓を宣言したという事は、私達でなくほかの誰かから事前に姓を付けられていたのでは、と考えてしまうのです。そして私たちから与えられる姓を拒絶した、とも。

 真矢さん そうなると、この子には両親より大切な「自分に姓を与えた誰か」がいて、真の両親とはそちらの方なのではないか、と考えてしまうんです。

 ―― なるほど。名前とは親が最初に与える子供へのプレゼント、という考え方ですね。大変興味深いです。本日ありがとうございました。

 いかがでしたでしょうか。子供名前と姓、それらを取り巻く複雑な問題について読者の方の理解一助になれば幸いです。

 人生においては様々な選択と、それに伴う後悔が付きまとうものです。少なくとも姓の選択においては、両親だけでなく子供にも後悔のない選択が選ばれるように祈っております

 (了)

 (写真は穏やかな顔で眠る天上天下唯我独尊 仏陀ちゃん(1歳))

2021-01-20

日本唯一の丸まるである宣伝するには日本中をくまなく探して丸まると同一のものがないことを調べないといけないがそんな手間は現実的でないので丸まるを反証として挙げられていないことを根拠として暫定的にこれは唯一の丸まるである表現するのが限界であることを鑑みる日本唯一の丸まるという宣伝文句はいささか誇張を含んでいるのではないかと思う次第なのである

2021-01-12

新型コロナ新型インフルエンザ等に分類するというニュースが出た

https://this.kiji.is/721673423781806080

「去年新コロを新型インフルに入れるかどうかでもめてたけど、あれとどう違うの?」

と思っている諸兄もいるだろうから解説する。

去年もめてたのは、新型インフルエンザ対策特別措置法を改正せずに新型コロナ適応できるかどうか。

野党は「新型インフルエンザ"等"とついているのだから適応するのに法改正必要ない」と主張。

政府は「新型インフルエンザ等とは新型インフルエンザと再興型インフルエンザと新感染症の事で、新型コロナ指定感染症に分類されるから適応させるためには法改正必要」と主張。

結局新型インフルエンザ対策特別措置法は改正されて決着した。

今回のニュースは去年もめた新型インフルエンザ対策特別措置法ではなく、感染症法の話。

感染症法では感染症を一類〜五類と新型インフルエンザ等と指定感染症と新感染症に分類している。

新型コロナ指定感染症に分類されてるんだけど、指定感染症は最大2年までしか使えない暫定的分類。だから2年以内に一類〜五類、新型インフルエンザ等のどれかに分類し直さなければいけない。

なので政府は新型コロナを現状と同等の対策が取れる新型インフルエンザ等に分類しなおす法改正を考えているというのが今回のニュース。(一類〜五類のどれを選んでも今よりも取れる対策は狭まってしまう)

じゃあはじめから新型インフルエンザ等に分類しろよと思うだろうが、はじめのうちはどれくらいの対策必要か分からなかったか暫定的指定感染症に分類した。

どれくらいの対策必要かある程度分かってきたので分類しなおすというわけ。(個人的には現状の対策では全然足らないとは思う)

2021-01-11

悼む、に近い、適当言葉がない感情を捧げる話

何年か前の話、たまたま目に入ったブログ文章が好きで更新されるたびに読んでいた。

それを書いていた人はまだ若く、自らについて十代の後半ぐらいと語っていた。そして、俺は自分自身偏見さらすのを承知で言うんだけども、その人は高校もまともに卒業していないらしく、誰かの文学に触れた様子もうかがえず、ただただ、日々流れるように遊び暮らしている生活しかブログに記録されていない…にも関わらず、おそろしく情感のこもった、美しく、それでいて痛快な文章を書いた。

ブログによって世間に向かって書いている以上、読んでいる側を面白がらせよう、関心を持たせよう、という気持ちは当然あっただろうけど、表面ではまったくそれを感じさせない文章だった。その人は、言葉がそう並べられるべき順番で、美しく、愉快なセンテンスを、平然と書くことができた(というように見えた。少なくとも)。

俺は、まぎれもなくこれは才能だと思った。シンプルに文才というやつだ。

俺と同じように感じていた人間も多かったようで、その人のブログ購読者数はあっという間にどんどん増えた。しかし、あるとき特に予告もなく、その人はブログ更新を止めてしまったのだった。

数年が経って、その人は、止めたときと同じように突然に更新を再開した。

俺は喜んだが、その人の文章が昔と変わってしまっていることに気がついた。

ブログには、実生活で色々と大変なことがあった、と赤裸々に報告されていた。そういう経緯が影響を及ぼしたものかわからないが、かつてそうだった、奇跡のようなその人の文章は決定的に失われていた。新しい文章は過剰に説明的になり、どこか言い訳くさく、言葉の隙間から読む側をじっとうかがうような息苦しさがあった。

いつか時間が経てば、その人の文章は元に戻るのだろうか? 例えば、病から人間回復するように。あるいは、もう戻らないのかな? 誰も加齢で失っていくものは取り戻せないのと同じように。

増田で聞いても「知らんがな」だろうし、これが俺の想定となれば猶更「知らんがな!」だろうが、俺は、たぶん戻らないだろうな、という気がする。

そういうわけで、おそらくあの才能は永遠にこの世から失われてしまった。

当たり前だが、ブログを書いている本人はまだ生きているし、その中の才能が消えて去ることを「死んだ」と形容するのが適当かどうかわからないのだが、俺の中に惜しいとか悲しいとかを超えた大きな寂寞があって、暫定的に悼むという表現を使うことにします。

2020-12-20

Discordトラブル観測した話

とある対人型のネットゲームを3年ぐらい遊んでいたのだが、途中で日本サーバーが新設されて日本人が増えたので

Discordを使って他の日本人と一緒にゲームをやってみたいと思った。そしていろんなコミュニティに参加した話

ゲームの内容は5人で1チームの、赤チームと青チームに分かれて戦うチームワークが重視されるゲームMOBA系で分かる人は分かる

FPSと同じぐらい戦況を細かく把握する必要があるジャンルで、ライトに遊ぶ人と同じぐらいガチ勢が多いゲーム



・CASE1 『男性 VS 女性

募集をかけたらやってきた男性3人と女性1人。自分を含めて全員で5人だったのだが意気投合したので、またやりましょうと言って解散をした

そうしたら後日ケンカになったらしいお話

ケンカ内容は「女が悪い」VS「男が一方的悪口を言ってきた」という、すごいどうでもいい内容だったのだが

男側の意見は「女は前から甘ったれてて嫌だった」と言っていた。自分はそう見えなかったが、他の男性からすると甘ったれて見えてたらしい

女側の意見は「そういうつもりはなかった。これが自分の実力」と言っていた。まあ当然の言い分である

自分はちょうどログインしていない日で、男3女1の計4人で遊んだらしいので実際どうだったのかは知らない

女性の味方になれば、自分は唯一の味方だしもっと仲良くなれたかもしれない

男性の味方になれば、男同士でもっと楽しく遊べたかもしれない

結論としては、そのサーバー管理者を務めてた自分は、サーバーを爆破して事なきを得た

もちろん全員をブロック設定にしてゲーム内のフレンドも切った。要するにどっちの味方をするのも面倒だったのだ

率直な意見で言えば、上手い下手で暴言を吐くのはおかしいと思うから女性側を擁護たかった

しかしそうすると男性陣は文句が出るだろうし、仲裁に入りたくないと思う程度にはコミュ障なので、第三の選択肢を選んだ





・CASE2 『お気に入りしか遊ばない古参 VS 募集を見てやってきた新参たち』

自分コミュニティを作ると管理運営が面倒だなと思ったので、他所コミュニティ(40人規模)に入ってみたのだが

新参者が募集をかけると反応が鈍いのだが、古参募集をかけるとすぐに参加してくれるというサーバーだった

この時点でいろいろと察したが新しく探すのも面倒だったので普通に遊んでたら事件は起きた

とある日、サーバー管理者から全体に向けてメッセージがあった。「女性暴言を吐いた人間が居たのでBAN(サーバーから追放)をした」という内容だった

前述の通り40人規模のサーバーなので誰がBANされたのか分からなかったし、まあいいやと思ってたら、一緒に何度か遊んだから自分宛にメッセージが飛んできた。「今お話しできませんか?」

話を要約すると「いつの間にかBANされていた。何か聞いてないか?」ということだった


包み隠さずに事実を伝えたら以下のように反応が返ってきた

「たしか女性に向かって窘めるようなことは言った。しかしそれでBANされるのはおかしい。暴言を吐いたつもりはない

女性側が明らかに話を盛っている。その話を信用しないでほしい」

と、言われたが自分そもそも無関係なので「そうですか」としか返せなかった。どっちが正しいのかは判断つかなかったが

女性サーバー管理者お気に入りの1人だったので、まあ女性側の言葉が信用されるだろうなとは思った

この事件をキッカケに古参新参の溝は決定的なものとなって、古参古参で固まり新参新参で固まって遊ぶようになった

ここも潮時だなと考えていた時に新参同士で新しいコミュニティを発足しないかという誘いを受けたのがCASE3



・CASE3 『他人 VS 自分

何の間違いか、懲りずにまたコミュニティを作ったお話。今回は自分当事者なので、かなり主観が混じる

CASE2の新参者たちでコミュニティを作ろうという話になったのだが、創設メンバーはA、B、C、D、自分だった

しかしDの性格があまりきじゃない自分としては、そこまで乗り気じゃなかったが嫌なら抜ければいいやと思ってコミュニティを作った

コミュニティを作るからにはCASE2のような古参新参で溝を作るようなコミュニティにはしたくない。誰でも気軽に遊べる場所を作ろうというコンセプトで始動したのだが

ハッキリ言ってそこまでやる気があったのはAと自分だけだった。この時点で既にズレを感じてたが、自分我慢すればいい話なので我慢した。土台作りも自分が9割を引き受けた

土台を作り始めた時点で、一応言い出しっぺのAだけには「Dのことあんまりきじゃないから抜けたら察してね」と言っておいた

自分のせいでコミュニティ空気が悪くなるのは後味が悪いからだ

案の定、土台を作って募集をかけて、新しい人たちがコミュニティにやってきた辺りで我慢限界だった

Dの性格は分かりやすく言えば、実力史上主義でそれをネタにイジってくるし他人に指示を出すタイプだった

自分はどちらかといえば自分の好きにやりたい人間で、チームプレイ大事ゲームとはいえ自分判断して自分で考えたい人間だった

とはいえ自分我慢すればいい話なので、これも我慢した。というかこれだけならまだ我慢できた


決定的な一打は、とある日のことだった

ゲームの途中でAから「助けに来て欲しい」とヘルプを出されていたが、他のメンバーフォローで手一杯だったので

おちゃらけた感じで「そっちは頑張ってくれ」とやんわり断った。Aは奮闘したようだが、多勢に無勢で負けてしまったらしい

助けに行かなかったことについてイジられたが、良い感じに攻防を繰り広げてるタイミングだったので自分はクソマジメに

「あの状態でAを助けに行っても共倒れするから、それなら他所フォローして他を攻めた方がいいと思ったからそうやって動いた」とマジレスしてしまった

そうしたら自分の機嫌を損ねたと思ってしまったAは、勝敗が決まった瞬間にすぐログアウトしてしまった

後日、そのことについて謝ろうとしたのだが、Aは「いいよいいよ、だって機嫌が悪かったんでしょ。大丈夫だって」と取り付く島もなく

それ以降は自分が何を言ってもまともに取り合ってくれることはなかった。この時点で、このコミュニティで遊ぶ気力が完全に無くなった

暫定的にまとめ役と雑用係とリーダー兼任していたが、とりあえずAに全てを押し付け自分コミュニティから縁を切った


その後、偶然にもBと遭遇した自分は、自分が抜けた後のコミュニティはどうなってるのか尋ねてみたところ

自分が縁を切った後にどうやら崩壊してしまったらしい。何が原因なのかは知らないが、自分が原因ではないかと考えて少し罪悪感を覚えた。おわり

2020-11-22

大上段の原理原則現場では使えない!と思うかもしれないが

大上段の原理原則を忘れたら、それはもうリベラルじゃないんじゃないかなとも思う。

今ある何かのやり方が大上段の原理原則で見て、うーんあんまり良くないねってんなら、それはいつか発展的に解消されるべき暫定的対応しかないんだ。

現場としては、君たちの今のやり方は完璧じゃないねって言われてるも同然だから気に食わないだろうし

日々を乗り越えるためには暫定的対応をこれでいいんだ、そして明日は昨日はこれで乗り切れたからこのままでいいんだと思考停止したほうが苦は少なくはあるんだけれども。

そこに固執し、原理原則を忘れ、ここまでこれでやれてきたんだからと変化を厭うと、頑迷保守の完成って寸法よ、おお怖い怖い。

2020-11-09

anond:20201109002537

着地点だとは一度も表現されてない。本人にも向上心はあるし、リナちゃんボードが最終的な理想形だとは言われていない。

ただ、苦手があってもいい、かすみんが言ってたように「ダメなところも武器に変えるのが一人前のアイドル」を、事前に作ってたキャラクターをなぞった見た目にすることで見事その通り強みに変えて、暫定的ではあるがパフォーマンス昇華したのが6話の演出

ラブライブシリーズはずっと、拙くても良い、動き出そう的ないわゆる寛容がひとつテーマになっていて、今回もそれに沿うものだった。

一般的感覚に引きずられると、やはりアイドルとして一人だけ顔を隠しているというのは異質に映るかもしれないが、あのボードは隠すためではなく見せるための一種ソリューション、ということが一話通して伝わったと思うので、そこまでネガティブに捉えるべきものでもないと分かるはず。

それでも(他アイドルと並んで立つ場を想像すれば)一人だけともすれば浮いて見えることには変わらないが、それも許容される、優しい世界がそこにあることは、俺は感動的に捉えるべきだと思うね。

2020-10-26

anond:20201026085408

実写映画とか興味ない俺だが、今期の「神様になった日」を最新話まで見た感想もそれと同じだな。

声優演技力と顔芸に頼るばかりで、特に見どころが見当たらない。まあこれは完結していないので暫定的感想にすぎないが。

2020-10-14

オタケド=オタクだったもの

オタクはもう現在進行系でない。オタク過去形のような言葉必要だろう。暫定的にオタケドとしよう。

2020-10-04

オタク時代遅れ

オタクが正しいとか間違ってるとか、正義とか悪とか、有益とか有害とか、全部的外れ

オタク時代遅れなんだ。

近頃ではオタク話題になるのは炎上するときばかり。

それも所謂ラッキースケベ」に代表される時代遅れ感性が発端となることがとても多い。

仮に、いいニュースと悪いニュースで半々であれば「活気がある」と表現できただろう。

最近オタク関連でいいニュースを耳にしたことは?

世間も「こいつらいつも炎上してるな」と思っているのではないか

度重なる炎上ネット論客祭り好きな人喧嘩屋、活動家を引き寄せるという負のスパイラルだ。

かつてはオタクという言葉さながらゴールドラッシュのように未開拓フロンティアだったから人々は熱中してきたんだ。

今じゃあ夢見る若者ツルハシを売りつけるような山師跋扈する現状だ。

一目置かれることを夢見るワナビ声優志望、漫画家志望自称ゲームクリエイターアニメーター地下アイドルコスプレイヤー

オタク界隈は、どこもそんな調子だ。

オタクのろくでもない実態世間に知れ渡ってしまったのだ。

落ちて割れた卵のように、もう元には戻らない。

もはやオタク活動とやらに価値を見出すような時代じゃないんだ。

特に令和に入って以降、オタク時代遅れ感は急速に加速した。

イキリオタクキモオタなどの古い言葉は今となっては現状を表してはいない。

新たにオタク時代遅れ感を一目瞭然に知らしめるための言葉必要だ。

時代遅れオタク、老化したオタク村社会化するオタク風習に従うオタク盲目的なオタク、腐ったオタク、錆びたオタク情熱を失ったオタク昭和オタク平成オタク絶滅寸前のオタク

暫定的にナマクラオタク(※ナマクラ=鈍ら)としよう。

いやオタクとつける必要もないな。

やつらは、ナマクラ

まりはナマクラであるということなんだ。

わたしからは以上だ。

2020-09-29

ネギトロ」は「ねぎ取る」に由来するのか?

anond:20200929031443

RRD 皮や骨についた身は物理的に刺身に出来ず、貝殻や匙で剥ぎ取ったものがすきみ。剥ぎ取ることを古語で「ねぎ取る」と言ったところからネギトロという。

これは巷間まことしやかに囁かれる雑学だが本当なのだろうか。

ネギトロ発祥東京浅草の金太楼鮨とされる。

ところが、その肝心の金太楼鮨では「ねぎ取る」説が採用されていない。

ネギトロ - Wikipedia

ネギトロ巻きの誕生は、1964年昭和39年)、浅草本店がある『金太楼鮨』とされる。三ノ輪店で残った寿司種を手巻き寿司にして賄いで食していたが、鉄火巻きに使用する中落ち・すき身にネギを加えると、マグロの脂っぽさが打ち消された。それを客に提供したところ好評で、常連客を通じて本店にも伝わり、本店メニュー採用された。

偶然にできた寿司ネタ「ネギトロ」その由来の秘密(週刊現代) | 現代ビジネス | 講談社

ねぎとろ発祥の店と言われているのが、東京浅草に店を構える大正13年創業の金太楼鮨。昭和39年、当時の会長だった間根山貞雄氏が考案したという。その開発の経緯はこうだ。

同店ではまぐろ毎日大量に仕入れていたが、筋の部分は食感が悪く、刺身寿司に使えず、余っていた。叩いてペースト状にして食べれば、脂がのってトロトロで美味いが、今度は歯応えが皆無。

そこで仕方なく、巻きに使おうとしたところ、昼食用に茹でていたそばうどんに使うネギワサビなどの薬味を筋の部分にぶちまけてしまう。やむを得ず、ご飯にのせて醤油をかけて食したところ、これが美味い。そこで、大当たり間違いなしと、店で出すことに決めたという。

思いがけず生まれた新しい寿司ネタ。その命名について、間根山氏はこう語っている。

浅草には『麦とろ』という名前とろろ飯を売る店が戦前からあり、専門店としては珍しいので土地では一応知られていた。よし、これだと、麦とろ→ねぎとろと語呂を合わせて決定した」

というわけで、この説明によれば「葱」+「(麦)とろ」である

例の「チコちゃんに叱られる!」でもこの説が採用されたらしい。

ただし、この説明が本当に正しいかは分からない。

牽強付会な印象も無いではないし、「銀ブラ銀座ブラジルコーヒー」のように店が積極的デマを流している可能性もある。

この場合は、昭和39年1964年)以前に「ねぎとろ」という用例があれば、金太楼鮨の説明は疑わしいということになるはずだ。

が、そう都合よく見つかるはずもない。誰か探してくれ。

追記

国立国会図書館デジタルコレクション検索した。

1972年12月の『食の科学』。

青ジソは香りのよさが好まれてよく使われ、イカのにぎりの場合など、一葉添えられることが多くなった。この青ジソの葉を細く切っていりゴマを加えた、シソ巻ずしを台東区東浅草の金太楼鮨でやっている。また、生ネギトロとを巻いた「ネギトロ」も、ここの名物である。生ネギをすしに使うなどはなかなか思いつかないことなのだが、このネギトロというのが相性がいい。

1973年4月の『週刊文春』。

浅草の東、鮨·金太楼本店。(中略)「ねぎトロ」が日に、キロ以上とれて、さばけて行くのですからご立派。ちっと解説させて頂くなら、ねぎトロトロとは、まぐろをさばいたあと、皮や骨についている肉をこそげ取った身を寄せ集めたものです。(中略)ねぎトロは、いまいったトロにきざんだねぎを混ぜ、ゴマを加えたもの

1975年1月の『信用金庫』。

信用金庫 29(1) - 国立国会図書館デジタルコレクション

先日、仕事関係があって、浅草のあるおすし屋さんを訪ねた。そこで、ネギトロというものをたべた。たいへんおいしかったので、ほかであまりきかないけど、おたくだけのものときいてみた。若いご主人は次のように話してくれた。そうです。実はわたしたちも、すしにネギは禁物だと教わってきたのです。ところが、ネギのとても好きなお客さんがいらして、ネギを巻いてみてくれというご注文なのです、ついでにトロも一緒に入れてくれというので、試しに巻いたのです。ところが、これがなかなかいけるのですね。それで、その後いろいろ工夫してみました。トロをよくたたいてアブラをうかし、スジをとって、それからネギと一緒に巻くのです。これをわたしのところのレパートリーに加えました。ですから、これはお客さんに教えていただいたものといえますね。

いずれも「ネギ」が入っていることは明らかである

というより「生ネギをすしに使うなどはなかなか思いつかない」「すしにネギは禁物だと教わってきた」といった記述からすると、ネギを使うことこそがネギトロオリジナリティのようである

週刊文春記述からは、いわゆる腹部の「トロ」ではなく、現在のように中落ちや皮ぎしの肉を使っていたことがわかる。

信用金庫』の記述もかなり有力な証言だ。

浅草おすし屋さん」というのはおそらく金太楼鮨のことだろうが、現在説明されているネギトロ誕生経緯とはだいぶ異なっている。

追記終わり。

別の方向から考えてみよう。

RRD氏は「剥ぎ取ることを古語で『ねぎ取る』と言った」と書いている。

しか古語辞典にはその用法は載っていない。

ねぐの意味 - 古文辞書 - Weblio古語辞典

ね・ぐ 【労ぐ】

ねぎらう。いたわる。

ね・ぐ 【祈ぐ】

祈る。祈願する。

「ねぐ」は、神社の「禰宜ねぎ)」や、「労う(ねぎらう)」「願う(ねがう)」といった言葉語源である

ちなみにヤマトタケル伝説で、景行天皇が、息子の大碓命が会食に出てこないことを懸念し、その弟の小碓命(=ヤマトタケル)に「ねぎ教へ覚せ」と命じた、という話がある。

この「ねぎ教へ覚せ」の「ねぎ」は、まさに「ねぎらう・いたわる」で、「(会食に出るよう)優しく教え諭せ」といった意味になる。

ところがヤマトタケルはこの命令を取り違え、兄の手足を引きちぎって殺してしまった。

「手足をねぎ取った」ということだろうか?

このときヤマトタケルがどう取り違えたかというのは「根切る」や「ねじ切る」といった説があるようだが、さすがに「剥ぎ取る」と結びつけることはないようである

というわけで「剥ぎ取ることを古語で『ねぎ取る』と言った」という説はかなり怪しい。

しか古語ではなくとも「ねぎ取る」という言葉があった可能性はある。

別の記事では「ねぎ取るは建築用語だ」とする説が紹介されている。

知ってた? “ネギトロ”は葱とマグロのトロの意味じゃない! “ねぎま”も焼き鳥じゃない | ガジェット通信 GetNews

元の語源建築用語で、地下構造物を作る時、地面より下の土を掘ることを「根切り」と呼んでおり、それが寿司業界にも広まりネギトロ」が誕生

建築用語としての「根切り」は確かにある。

根切り - Wikipedia

そもそも「根切り葉切り」という言葉もあるように、「根切り」には「根こそぎ」という意味があり、骨から肉をこそぎ落とすようなイメージは分からないでもない。

しかし、それが「ねぎ取る」に変化するだろうか?

そもそもねぎ取る」で検索しても「ネギトロ」以外の文脈ではほとんど引っかからない。

中間形態としてありそうな「根切り取る」などもやはり引っかからないのである

寿司屋の隠語なので表には出なかったのだろうか?

こちらは「俺は寿司屋をやって数十年の者だが『ねぎ取る』という言葉は確かにあるぜ」という人が出てきてくれれば確かめられるはずだ。

というわけで、1964年以前の「ねぎとろ」用例や、古くから寿司屋で「ねぎ取る」を使っていたという人が出てこないかぎり、暫定的に「葱」+「トロ」説を採用したい。

何をして生きるのが一番楽しいと思う?

これには人それぞれの答えがあるだろう。貴様の答えはなんだ?ただちに答えを出せるか?

そうだな、俺様暫定的にだが、オンラインゲームに浸って生きるのが一番楽しいだろうな。

ただしそれには、旧き良きオンラインゲームで良いコミュニティに恵まれて、という但し書きがつく。

おそらく現代オンラインゲームに俺の席はない。

ソロでは満ち足りることがないから、増田にいるわけだ。さてどうするか。

2020-09-05

anond:20200904235343

ダメじゃないかもしれないこともないであろうケースが存在することもない可能性が僅かないし微妙存在する蓋然性が高いと言うべきかむしろ微粒子レベル存在することは確定的に明らかくらいのレベル感で推移しつつあり暫定的にこれは見切り発車で「確からしい」と結論付けてもよかろうということにしておこうと思う

2020-09-03

石破さんだけはやめてほしいなあ

約1年間の暫定的政権なのは皆分かっているけど、来年オリンピック開会式で新首相が全世界に対して挨拶するわけだよね。

その新首相の顔がチーズ牛丼なのはちょっと・・・

いや、チー牛の期待の星としての石破さんなのはいいけど、オリンピックが終わってからにして欲しい。

2020-08-30

anond:20200830184337

からないなりに自分でも考えて暫定的な答えを出してみることに価値があるとは思わない?

まず自分はどう認識しているのか。

そういう魂の叫びアウトプットすることで自分認識のクセを残酷なまでに自覚する効果があると思うわけだよ。

そのプロセスを横着して省略し、他人に委ねるということは、自分認識を明らかにすることよりも恐ろしい結果につながる可能性がなきにしもあらず。

そういう危惧を込めているわけだよ。

お分かりになりましたか

2020-08-18

思い出を共有したことがない人生だった(消しました)

ここまでのトラバ

🔥🐉💩

              

あっそ

              

遺書』でデビューでもすんのかよ?

                

うんちがつきましたね。あまりお気持ちは書いてなかったけど、長かったからでしょうか…。

         

 あっそ、とは攻撃力高いです。

何を言われたら人が傷つくかよくわかってる。

読まずに長さもしくはタイトルにあっそなのか…もしかして読んであっそならば、あっそしか感想のないものを読んでしまって…わざわざあっそと書きたくなるほどに…。

              

デビューでもするのか、と、こんな文章で決してデビューなど出来はしないのを承知で書くのは煽るのが好きだからでしょうか…。遺書は当たらずとも遠からず。人生終盤に入りかけ、色々縮小しているので…自分用の暫定的遺書かもしれない。

2020-07-31

コロッケには何をつけるべきなのか?

あるいは何もつけないべきなのか?

そしてどのタイミングで食べるべきなのか?

あるいは食べるべきではないのか?

俺は謎を抱えたまま――とりあえず3時のおやつ白だしを垂らしてチンしたコロッケを食べる――これが暫定的ベストコロッケイクスピアリアンスだと思っている。

2020-07-11

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/rita0222/status/1281386228118466560

初期はWebアプリケーションブラウザは不可分だったかHTMLの出力=ブラウザへのレンダリングと考えて差し支えなかったのだろう

その後ステップが分かれてHTMLの出力とブラウザレンダリング間には直接的な関係性が無くなった(というよりはクローラのような各種サービススクレイピングのような二次的なデータの利用方法が生まれた)が, 語が再定義されることはなかったため、Server Side Renderingと(In browserの)レンダリング暫定的区別をつけられて今に至る

のかな?

個人想像です

2020-06-29

エガオノダイカを見終わったので微弱に擁護する

増田で糞アニメとして名高いので一体どんなもんかなと思って視聴終了。

概要

このアニメを簡潔に述べると、まず政治・経済的な前提なしで帝国とソレイ王国の開戦状態からまります。片方の国ソレイユの姫様ユウキ最初戦争状態にあるとは知らされていません。しか彼女は幼馴染の死から真実を知らされ、なんとか両国人間が死なないように軍を指揮しようとします。その作戦手法とは主に両国兵士たちが最小限の犠牲で済むというものでした。いろいろ省略して最終的には両軍の兵器エネルギー源を止める方法が見つかり、両軍の兵器沈黙して終了、仕方ないか両国の国交が暫定的回復するという話です。

背景

で、そこそこ背景があります。まずソレイユ国。これは新型兵器クラルス(作中であまり触れられないが、動力源。動いてるロボの名称別にある)を擁していて、この動力源はもともとベル公国仲介して帝国とソレイユが共同開発していたものでした。そして12年前にテロ事件が起こるのですが、ソレイユの幹部が「帝国のせいにしちまって新兵器動力源はうちに牽引しようぜ」、と画策します。このやり口が帝国逆鱗に触れて戦争状態となります

感想

まあ政治的背景を真面目に考えりゃソレイユが資源独占して相手帝国主義だったのは、なんかかみ合わせ悪かったねとしか思えまえん。というよりソレイユが資源を独占しようとしたという背景が姫側近のレイから伏線で話されるのですけど、帝国からしたら王国資源独占した挙げ句攻め込んだら全部破棄にされた話でしかなく、そういう側面から考えるとちょっと身も蓋もない感じがしました。ソレイユって国家としては悪じゃんと。背景には明らかに利益綱引きがあったと思うんですけど、冷戦構造みたいなものは全く無い描かれ方をしている。だけど途中で第二次世界大戦モデルにしたような描写は出てくるので、多分作品としてやりたいことが違うんでしょう。あと、共同開発していた新動力へのテロリズム一方的に強大な敵国のせいだ、としてしまえる外交手腕って何なんでしょうか。素人目に日本アメリカモデルにして考えても、まずありえない行動です。

心理ドラマ

ただこれ、いわゆる戦略戦術政治の面から見るもんではなく、全体の逼迫した状況下で個人の思いが殺されてゆく話だと思うわけです。かつてのアニメでいえばヤマトガンダム銀英伝のような敵の事情もはっきりわかった上でどっちも死んでほしくない、という感情を想起させてゆく作りではあります(必ずそうなるとはいってませんけど)。ヤマト場合好敵手、ガンダム銀英伝場合主義思想の違いで殺し合うわけですが、エガオノダイカにはなぜ殺し合うかというテーマ希薄です。実際に武人生き様のために死ぬ、という描写は控えめですし、そういった時代錯誤的な意志の強さはあまり重視されません。それはテーマが "生きる" ことに集約されているからです。

テーマ

ステラは常に生き方を探します。ユウキ戦時でも生かすことを見出しゲイル孤児を引き取りながらメンバーを活かすことを考えて行動します。イザナの子戦争の途中で父の死と引き換えに生まれてきます。このように戦争状態という皆が嫌々参加している状態からキャラクターたちは生きることを見出します。このため前項における全体的な利益のために死ぬ武人、という自己犠牲的な生き方は重視されていません。そんな意味ユウキというキャラクターは最も自己犠牲であるにも関わらず、最後まで両軍を生かすために我を通した、という意味でコンセプトは一貫していました(戦争中にあん指揮官いたら嫌ですけど)。反面帝国は死を利用してプロパガンダを行い、分隊隊長の死など気にもとめません。このへんの対比はやりたいことが出来てるとは思います

ただ、視聴者的に言えばハロルドゲイルという二大キャラがなぜ衝突しなかったのか、と思うことしきりだったでしょう、参謀的なイザナがモブに撃ち殺される、というあっけなさもよくありません。

タイトルのエガオノダイカは自明で、沢山の笑顔犠牲になって平和が訪れた、あるいはたくさんの犠牲により笑顔がもたらされた、という意味です。

科学の扱い

戦争をやめる=科学否定する、という流れになりがちなのは、多分脚本家アレルギーなのではなく、おそらくそう見せたほうが演出として開放的からでしょう。実際にそうなってしまえば作中でステラ疑問視したように文明自体が後退してゆきますし。

最後

独断偏見で選ぶ2010年代クソアニメ10作』

というエントリにあったような読み方は流石にまずいかなと。一応コンセプトと設定とキャラクターの持つテーマはしっかりつくっていってるのでそこは読んだ上でケチつけたほうがいいかなと思いました。

あと、我ながら暇人かなと思います

2020-06-22

anond:20200622100639

いろいろ むずかしいなーって

たぶん どっちがどっちか?と聞かれたとき

グリップ力が高いタイヤ速いよね・・・いや いらなくね?そのグリップ

 速いのはわかるけど シートも変えたし、メーターも変えたし やりゃできるけど

 いるか

普通そういうでしょ

乗用車に1万回転なんていらねーだろって

すると

乗用車はこのタイムで峠を下りません。

いや

下ってるだろって

このタイムで峠を下れるのであれば、それは乗用車ではない。

排気量だけで定義をしたいままでの方法が間違えていた可能性について、検討を開始

 

排気量だけで3ナンバー定義できると考えていたが、実証データを積み上げた結果、

ナンバー定義を変えたほうがいい可能性を否定しきれないため

 

より新定義暫定的にすると このタイムで峠を下れるものが3ナンバー

ドライバーによるブーストの誤差が 無視できない 領域に 現実問題として 存在し得たため

ただし ドライバーによるブースト性能を加味する

 

旧の方で 車検などがちゃんとしていたばあい

ランエボをぶち抜ける7000回転の86は3ナンバーか? > どうみても 3ナンバー

 

限定免許のようなものだが

あのドライバーが乗った場合 この車は 熟達したドライバーが乗るランエボをぶち抜く ゆえに 3ナンバーをつけろ

ゆえに 法制度を変更すべきか 検討せよ・・・アニメ

 

法制度を大きく変更すると面倒だから

1つはエンジンを1万回転に変えてくれというのもあるけど

そういうドライバー普通にそのへんで街乗りをしていた場合

とりあえず 逮捕して

とりあえず ナンバーを3ナンバーに変更する

なにかもんだいがあるかわからない。

 

あなたが、個人的に 個別対応ナンバープレート変えてくれるだけで

簡単問題かいけつするの!!

そうじゃないと道交法根本から変えないといけないの 数人のために

2020-06-21

総合的に見ても、IT業界の最大の障壁過労死しか頭脳労働なので、いわゆる過労死とは違う、テクノストレスと呼ばれる独特の症状になり、端的な症例としてはノイローゼうつ病と呼ばれている。

スポーツで言えば、衝撃による骨折よりも、累積疲労による骨折のほうが症状が重いというのにちかい。ようするにIT業界現在の最大の障壁というより、2000年以前から障壁の1つは、医学的な問題。これらは非常にパーソナルな問題を含むため会社も介入しづらい。だが、IT業界といえばうつ病というのは、よく聞く話。実際は、うつ病ではなくテクノストレスとでも呼ぶべきだが、業界外部には説明しづらいため、うつ病総称で呼ばれる。まぁノイローゼとでも言う方が近い。

ただ、いずれにしろ医学的な問題であり、理学系は理系であるがゆえに若干の共感はするが医学ではないため少佐はわからない。

だが、プログラムは人が作っている異常医学過労死と切っても切り離せないし、ここ数十年。

是非はあるが、すくなくとも管理職相当にとっては常識であり、1つの相談窓口としてはそのとおりである

本当に進路IT業界でいいの?

写真しろ絵画しろ パソコンを使うことも多くなったし

ホームページを作ろうというのも1つの流れ

美術系が、絵を書くしごととしては適切だろうし、IT業界への参入というのはあくまでも絵を書くといういみで参入ならそりゃそうだろう。

が、先ほどから述べているようにテクノストレスによる死亡事故というのは現実問題であり

参入でも、ITに深入りするのであれば、先生必要

たとえれば、富士山に軽装で登るというのは『プロの犯行』であり、初心者が軽装で富士登山ともなれば、場合によっては周囲の人間がよってたかって拘束することも起き得る。

ブラックジャックは無免許です

さまざまな個別事情戦場帰りということがあり、

ライセンスのものはあるんだが、どこの国が発行するか?というはなしがあり

事実上ライセンスはあるが

事実上本人が受け取れていないだけ

コロナ給付金と同じ。国はすべての国民相当に配布すると約束しているが、事務手続き上まだ、本人が受け取り手続きを完了できていないだけ

事実上 医師免許があることは 確認できるが

では どこの国が発行した医師免許なのか?というのを事実関係がわからないもの

おたくのくにですか?とといあわせたところで 回答不能というのがあり

手続き上 どこの国の医師免許か?というのが不明であるためアメリカ日本可能性が高いが、本人の意志無視してその国が回答できない場合が多いため非常に難しい。

結論

ブラックジャックはどう考えても 医師免許を所有していて 

どう考えても 日本とは少なくとも 互換性がある。

だが、事務手続き上 確認が取れたわけではないので

事務手続き上 緊急事態を覗いて 一旦は 特例措置確認できない場合は あくまでも 事務手続き上 確認がとれるまでのあいだは

暫定的に無免許相当とするしかない。

 

※むしろ国内に関しては少なくとも医師免許を発行したほうが簡単ではあるが、諸事情

アイルトン・セナ(もとF1ドライバー)が国内免許証を持っていないと言われた場合の 警視庁対応

免許証は発行しているが、国際的事情で本人が日本国内免許センターに受け取りに来ていないだけ

警視庁としての見解は、彼は免許不携帯だが、国際的な状況で日本まで取りに来ていないのは忙しいだろし仕方がない

2020-06-15

改造110円バーガー

マックの110円ハンバーガーを買ってきて、レタストマトマヨネーズを足して食う

うまい 350〜500円くらいのハンバーガーの味になる 野菜もたくさんとれる レタスの食感、トマトの酸味にピクルスの風味とパテのジャンクさ、添えられた刻み玉ねぎの辛さ それをマヨネーズがまとめあげる 最高

 

110円バーガー唯一の弱点はハンバーガー下さいって頼むときに蔑みの視線を向けられる(被害妄想)ことだったが、アプリからモバイルオーダーすることでそれは完全に解決されてしま

店につきかかってるところで注文すれば、入ったらもうできてる 受け取るだけだ 蔑みの視線を浴びる時間はかなり短い

 

ハンバーガーに関する完全なソリューションを見つけてしまったよ俺は

ーーー

価格計算

トマト:中サイズ4つで税抜199円のを使ってる ひと玉でバーガー2つ分にはなるので、4玉で8つ バーガーひとつにつき29円くらい

 

レタス:ひと玉いくらか忘れたけど200円はしなかった 8つでは効かない量のバーガーができるぞ 暫定的200円で16個分としよう ひとつにつき17円くらい

 

マヨネーズ:これもわかんねえな キューピーのやつは定価で450g350円 たしか値引きされてたけど、まあよくわからんから税抜き価格くらいってことにしよう ひとつあったら…まあ少なくともバーガー20個分くらいにはなるはずだ ひとつにつき18円としよう

 

110+29+17+18=174!

どうだ!!!まいった!!!!!!なんならもっと安いぞ、厳しめに計算たからな!!

ふははははははははは

2020-06-06

WHOゥ!

なぜ 君が機会を得られたにもかかわらずPHEICの宣言を一度見送ったのか!

なぜ 渡航制限を推奨しなかったのか!

なぜ 中国露骨に媚びるのか!

その答えは

なぜPHEICの宣言を一度見送ったのか?

IHR緊急委員会(15名 from 13ヶ国 [1])が国際的懸念される公衆衛生上の緊急事態(PHEIC)宣言に足るだけのエビデンスを見出せなかったから。

1月21、22日時点では中国外の感染者数が4~6人だけであり[2]、ヒト‐ヒト感染の強さも不明で、暫定的にR0は1.4〜2.5(季節性インフルエンザ新型インフルエンザくらい)と推定されていた。(後の研究で、R0は4.7~6.6(天然痘風疹レベル)くらいだと推定されている[3]。)

また、ちょうどWHO専門家武漢入りして調査を開始したところであり、その結果を待つ意味もあった。

そういうわけで「今はデータが足りないから保留。10日以内にもっかい検討するからその時にまた呼んで」との結論に至ったわけだ。

この見送り中国への忖度と呼ぶ向きもあるが、過去のPHEIC宣言比較してもそこに特別な違いは見られない。

また、「PHEIC宣言は時期尚早」というのは当時の緊急委員会が至った結論であり、それに同意たからといってテドロス局長を責めるのもお門違いであろう。

また個人的感想だが、PHEIC見送りに関する非難には、人々のPHEICに対する認識もかかわっているのではないか

「PHEIC宣言がなされなければ各国は対策の取りようがない」等々、PHEICを疫病対策の“起点”としてとらえるような認識だ。

一方のWHO、PHEICは“最後の切り札”と考えている模様[4]

データ提供する、ガイドラインも制定する、ガイダンスだって発布するから、あとは各国で適切な対応をしてくれ。もし怠るようならPHEIC宣言でケツ蹴っ飛ばしたる」と、そんな感じ。

エビデンスは無いけど念のため」程度で宣言できるほどPHEICは軽くないのだ。

ただし、そういう時に使える“軽い警告”を制定するべきだとの議論は以前からあったため、それはそれでWHOの怠慢と言えなくもない。

なぜ渡航制限を推奨しなかったのか?

長年のWHO方針である2009年に初めてPHEICを宣言した際も渡航制限を推奨していない[5]

その理由は、渡航制限パンデミックの防止に寄与するというエビデンスが乏しく、むしろ条件によっては有害ですらあるからだ(※)。

複数研究[6][7][8][9][10]――2014年にはWHO自身23研究を用いたレビュー論文を出している[11]――によれば、厳しい渡航制限(全渡航の90~99%をシャットダウン)は感染拡大を数週間ほど遅らせる可能性があるが、最終的な感染者数と規模は据え置きである

※ PHEICが宣言されるような状況に限れば。感染発生の最初期であれば話は別。例えば昨年11月末に全世界渡航制限が行われていれば新型コロナ流行はなかっただろう。

研究をまとめると、

渡航制限メリット

患者の総数が変わらないとしても、時間当たりの患者数は減るため、対応能力の低い国においてキャパシティオバーを緩和できる。

予防接種治療薬が存在している場合、それらの準備を整えるまでの時間稼ぎになる。(今回のコロナ禍には当てはまらない)

渡航制限デメリット

流行期間が延びるため、社会的対応(ロックダウン等)の継続時間も延びる。

サプライチェーン(特に医療品)の深刻な寸断、専門家交流の途絶、国際支援の遅延または減少。

・↑2つと部分的に被るが、経済コストが非常に高くなる。

感染の発生を隠ぺいするインセンティブが働く。

WHO的に、渡航制限は高い経済コスト、低い効果、そしていくつかのデメリット存在から推奨されない。

全く無意味というわけではないが、より有効政策――手洗い等の徹底、適切なスクリーニング及び隔離ソーシャルディスタンシング(社会的距離をもたせるような政策ロックダウンも含む)――にその分のリソースを振り分けるのが好ましい。

これらはあくま過去エビデンスに基づいており、将来の研究にて今回の新型コロナについては渡航制限有効であったとのエビデンスが出るかもしれない。

しかし、“エビデンスに基づき結果的に間違った”対処を貶め、“エビデンスに基づかないが結果的に正しかった”対処を褒めることには同意できない。


なぜ中国露骨に媚びるのか?

諸君は↑の2項目について「中国への媚」と思っていたのだろうが(あとは台湾への対応か)、実際のところエビデンスベース判断であり、発生国中国以外でもWHO対応は同じだった可能性が高い。

しかし、中国への批判を控えたり、台湾冷遇、ちょくちょくあるリップサービス等、WHO医学とは別の領域において中国へ甘い対応をしているのは事実

なぜか?

テドロス局長場合簡単だ。政治的支持基盤が主にアフリカ系とアジア系であり中国存在が非常にでかい。なので中国批判はあまりしないし、リップサービスもする。 中国を称賛した回数はトランプのがテドロスより多いのだが[12]

WHO全体でみるとどうか。金に媚びてることはない。チャイナマネーとは比べ物にならないほどのアメリカマネーゲイツマジェスティWHOに注ぎ込まれている。

では何がWHO中国寄りにしているのか?

データである中国から提供される疫病情報である

WHOの宿痾として、情報提供加盟国善意に頼るしかないという問題がある。専門家/調査員を送り込むにも当該国の許可がいるため、独自情報収集もできない。

中国批判してデータが出てくる――「中国さん。あなた隠ぺいしてますね」「はい申し訳ありません。これが隠ぺい前のデータです」――なんてことはない。

ゆえに政治義理人情感情に惑わされず医学的なベストを尽くすなら、中国を刺激せずに気持ちよくデータを渡してもらうことが最適解になる。(本当のベスト中国が正直に全データ差し出してくれることだが、実現不可能な案に拘泥するのはワーストである)

これはWHOの根幹に関わる極めて深い問題だ。

「(WHOは)何のための組織なんだ」「政治より医学を優先しろ」という感じのブコメも見かけたが、医学を最優先とし、組織の使命を突き詰めて、そうして達する結論が“中国のご機嫌とり”にならざるを得ないこの地獄よ。

オーストラリアなんかはこの問題を正確に認識していて、「(拠出金削減よりも)WHO権限をより強化し、強制的査察権の付与等をすべきだ」という提言をしている[13]

ちなみに「中国抜きで新組織作れよ」的な冗談も目にしたが、それまた現実的ではない。

中国世界最大の人口、広大な国土に加え多数の国と国境を接している。国際的な人の出入りは膨大な数に上り貿易も盛んだ。民間レベル医療水準は高くなく、貧富の差が激しく、人々は頻繁に生きた動物接触する。そのうえ、国家は隠ぺい体質だ。

疫病、特に人獣共通感染症の発生源として絶対無視し得ない国、それが中国

今回のコロナ禍で中国から情報が一切なければどうなっていたかを考えれば答えは明らかだろう。まさに大地獄

故に切れない。切ってはいけない。

参考URL

[1] ttps://www.who.int/ihr/procedures/novel-coronavirus-2019/ec-22012020-members/en/

[2] ttps://www.who.int/emergencies/diseases/novel-coronavirus-2019/situation-reports

[3] ttps://doi.org/10.1101/2020.02.07.20021154

[4] ttps://doi.org/10.4000%2Fpoldev.2178

[5] ttps://www.who.int/csr/disease/swineflu/guidance/public_health/travel_advice/en/

[6] ttps://doi.org/10.1038/nm0506-497

[7] ttps://dx.doi.org/10.1371%2Fjournal.pmed.0030212

[8] ttps://dx.doi.org/10.1371%2Fjournal.pone.0000401

[9] ttps://doi.org/10.1371/journal.pone.0016591

[10] ttps://doi.org/10.2807/1560-7917.ES2014.19.42.20936

[11] ttps://www.who.int/bulletin/volumes/92/12/14-135590/en/

[12] ttps://www.politico.com/news/2020/04/15/trump-china-coronavirus-188736

[13] ttps://www.smh.com.au/politics/federal/australia-wants-who-to-have-same-powers-of-weapons-inspectors-20200422-p54m7i.html

2020-06-04

こばるさん(@sha_k_br)のブログを読んでの感想

私は、ただの通りすがりである

====

今までは、ただ荒れている海を時たま平和なところから眺めていただけだった。

そして、たまたま見かけた漂流物に対して思ったことを気まぐれに書いて見ようと思った。

ここから書くことは、現段階書いている私には公開するかもわからない文章であり、該当のブログ記事に対して思ったことを気ままに書くだけなので何かを伝えるというつもりは一切ない。自分のなかのことを整理しようと思っただけのことで、こばるさんが何を思おうと私は興味はないし、これを読めというつもりもない。

発端はそのブログであっても、おそらくは私の思ったことまとめに終始すると思われるからである

以上のことを踏まえて読むかを決めてもらいたい。

これは自己保身という人もいるかもしれないが、私にそのつもりはない。

匿名で、なんの影響を被ることもない場所で、ただ書き散らかす文章から一切の重みはないということを読んだ人皆に伝えるという意図の、私の責任感の表れと取ってほしい。この文章はただの電子ごみだ。

さて、まず該当ブログurlを貼らせてもらう。

ヌメさんへのネットリンチに加担し続けている人たちへ

私は、このブログ題名名前があがっている方のCFにまつわる問題を時たま眺めていた。最近出来事などの一連も一通り見ていたつもりではある。

私には、一切法律的知識CF知識はないため、収支報告を求めるものに、「まあそりゃあ疑念が湧いたら事実確認をしたくなるよね」程度のことを思うことしかできない。これは、お使いに行かせた子供お金をちょろまかしていないか確認したい、というような感覚と似ているのでCF適用できるのかは私には判断はつかない。

私はここで、この方の問題について白黒をつけたことを書くつもりはない。あくまで、こばるさんのブログについて思ったことを書くというつもりだからだ。

このブログ記事は「CFした方がネットリンチをされている」という前提で書かれている。(題名からしてそう)

なので私がそのことについて書くということは、その前提に対して物申すということになってしまう。

そうなると、私の考えたいことと外れていくと思うのでとりあえずそこは保留にしておく。

以下、本文を引用しながら書いていく。

ヌメさんへのネットリンチに加担し続けている人たちへ。

あなたたちは愚かです。

優しさに賢さが追いついていない人、賢さに優しさが追いついていない人、その両方が見受けられます

優しさに賢さが追いついていない人は、大局を見る能力がありません。「優しい」という自己イメージに捉われて、その表面的な振る舞いからはみ出す勇気がないだけの愚か者です。

賢さに優しさが追いついていない人は、あなたが学んできた知識を、愛情を持って世界還元しないところを見ますと、やはり愚かだと思います

あなたのための寛容な世界づくりを、自ら放棄し続けているあなた方は、全く賢くありません。

声を上げる人の、精神高潔さを知りなさい。

そしてあなた自身の恥を知り、愛を知りなさい。


正直言うと、私はこの「優しさ」や「賢さ」という言葉が何を指しているのかがわからないため、ここは飛ばす。

ただ、「寛容な世界づくり」という言葉から弱者にやさしい世界をということなのだろうかということを何となく推察するに、この人々は強者に当たるのだろう。そのあとの、声を上げる、などは最近話題トーンポリシングもろといった感じである。これ以降のところで語気語調で判断するな、といった内容のことが書いてあることだし。

トーンポリシングに関しては、議論の場は対等な人同士が様々なものを用いて議論をするという理想があるが、そこにも権力関係があるのだということを自覚しよう、といったものであると私は認識している。(何かで読んだ、何だっただろう…)

恥を知り愛を知る、は、まあちょっとよくわからない。思いやりだろうか。悔い改めるとかだろうか。

あなたは愚かです。しかあなたの愚かさは許されます

5年後、10年後に、あなた自分自身の行いを恥じたとき過去あなたの行いを誰も責めてはいけません。

もちろん、今あなたがそれを行なっているならば、咎められるでしょう。法に基づき裁かれることもあるでしょう。

あなた積極的または消極的加害行為が、今、あなたからの加害を受けている人の心の安寧よりも、優先して認められることはありません。

しかし、あなたの今の幼稚さは許されます

あなたはかわいそうです。然るべき手段で裁かれた後、あなたあなた自身からも許されることを願っています


これはまあ、おおむね一般的な考え方であるように思われる。罪は裁かれ償いをしたら一種チャラである。あとは良心問題

まずあなたは、あなたが何に依らなくても、あなた自身が当たり前に存在してよいのだということを、深く理解してください。

これはまず一番最初に、あなたの心の底の底に置いておくべきあなた自己肯定感です。

あなたが今それを得られていないなら、とても悲しく、残念なことです。

自分自身の心を明かし、賛同でなくとも肯定されることが、あなた世界を信頼できる根拠になるということを、ぜひ知ってほしいと思います

自分自身の心を明かす勇気を、あなたの愛する、信頼できる人に向けてください。

その信頼が報われたときあなたあなたのための自己肯定感を得られるはずです。

その経験を得たとき、その自己肯定感や誇りが、他者にとっても同じ、誰にも脅かされてはならないものだということを、想像できる人になってください。


ここはいささか唐突に思われた。なぜここで自己肯定感の話なのだろうと率直に思った。

自己肯定感がないからこそ、曰く「愚か」な行為をしているという考えであるのかと推察するが、「自分自身の心を明かし、賛同でなくとも肯定されることが、あなた世界を信頼できる根拠になる」という点では、賛同/肯定をされた時点でその賛同/肯定されたものが、結論として善であろうと悪であろうとその内容はかまわないように受け取られる。

それとも、「愚か」なことであってもその自己肯定感が生まれたらばそれ以降回心できるはずといったようなことなのだろうか、私には少々やはり呑み込めない。

ある層に受けることを言ってしまったらその承認におぼれてしまい、そこから抜け出せないこともあるのではないか、等々考えてしまう。

まあやっぱりよくわからない。

また、「中立」の立場をとり、自分を冷静だと思っている方へ。

あなたが行動をしない限り、あなたは無敵です。

あなたが何かを決めない限り、あなたは誰にもジャッジされることはありません。

あなたは、いつでも世情に合わせて、怒られないための「正解」を選ぶことができます

あなた卑怯です。安全場所で、物事を見定めているつもりになっている自分自身のことを恥じてください。

あなた対立する勇気を持っていないのなら、あなたは有力な参謀にはなり得ません。

そのことを理解し、自身のことを省みてください。


私としてはここが一番の山場であった。ここで、こばるさんは他者に対して「対立する勇気」求めている。

私はここが一番引っかかった。

意見を表明する勇気」ではなく、「対立する勇気」であり、「中立」、決めかねるという一つの判断否定していると思うからだ。

以下は、浅い知識によるものから最初に書いたことを思い返して、あまり真に受けないで読んでもらいたい。

私は、この言葉を読んだとき、エポケーという言葉を思い出した。

エポケーは、判断停止や判断中止とも言われる。これは、懐疑的もの見方として生まれもので、常識などを棚上げし、事実を見るというようなことである。「これまではそうだった、だからこれからも違いない」ここに対して待ったをかけるようなものと私は習った記憶がある。思考停止とも違うということも。

判断を停止するということは、結論を下すことを中止するということで、こうだった場合にどうなるかといった想定をしてその場合結論としてはどうなるか、と考えることをやめるわけではない。

判断停止をし、意見表明をしないということは確かに叩かれるものがないという点で「無敵」かもしれない。

しかし、むやみに敵を作るような行為は慎んだほうがよいのではないだろうか。対話可能と思えないのならば、口をつぐむということも選択肢に入って来るのではないだろうか。そこで人は絶対意見を言わねばならないというのは酷であると私は思う。

立場を明らかに意見を表明できないのは、冷笑主義でもない限りそれ相応の判断停止の理由があるのではないか

または、明らかにするほどのことではないという一種の”判断”でもあるだろう。

ここをおして判断を迫るのならそれ相応の論拠を明確に提示していく必要があるだろう。

また、全貌を知らないままに下した判断には危険性があるのではないかと言いたい。

ヨクシラという言葉があるが、ヨクシラで首を突っ込み盲目的に突っ走るというのは恐ろしいことである。むやみやたらに判断を求めたらいいというものではないと考える。

ただ、これはヨクシラで判断を下し動いている人々に対して判断を下し行動することをやめろといいたいのではなく、その判断に基づいて物事を見ることに固執しかねない、という危険性を留意しておくべきではないかという意味であり、柔軟性があるのなら、意見を表明するという言語化を通して自身の考えをまとめることができ、それを叩き台にしていろいろの人との対話をすることで自身の知見を深めることができるため、それ自体をすべて悪いとは思わない。

これはヨクシラでない人であっても同様のことがいえると思っている。固執することは恐ろしいことである

そして、これらの話はどちらか、いずれか、なんらかの想定されるコミュニティに与するという話ではないと思う。

私は、「対立する勇気」という言い方にどうしても、二項対立ですべてを説明しようとする姿勢が見えてならない。

人々はそうそ一枚岩ではないだろう。学校クラスの分裂ですら、賛成反対と大きく分けてみた中をのぞけば、容易にその中の分裂が見える。

「有力な参謀」という言い方も、ある組織構造を持った何かを想定しているように思える。

ここ以降は、声を上げるリスクについての説明などで、黒人男性黒人若者に対し言っていた言葉彷彿とさせるものだった。

以降に関しては特に思うところはない。しいて言うなら、「数は力」という言葉と、黒人差別意識させること自体だろうか。(全体な気がしてきた)

「数は力」に関しては正当性があると思ってのこの書き方なのかもしれないが、それはマイノリティマジョリティの流動にしかならないのではと思ってしまう。

数は結果であることが望ましいのではと、素朴に思う。まあ、綺麗事なのはわかる。正当に数を得られるように頑張ってほしいものだ。

政治について学んでおらず、社会学に関しても知見が浅いので、これは当たらないかもしれない。(田中角栄しかでてこない程度の知識である。)

黒人差別意識させる書き方をしてることが引っかかるのは、これは黒人差別と同じものではないからだ。

ここからは本格的に蛇足であるが、考えたので残しておく。

ネットリンチは悪いものだ。

差別だって犯罪だってそう名のつくものは悪いものだ。だってリンチ差別犯罪からネットリンチ批判することに是非は問われないだろう。

ただ、ネットリンチというレッテルを誰か他者に貼ることはどうだろうか。

私は、この悪者としてのレッテル他者に貼ることが端的に言って怖い。

これを叩かれるのが怖いということだとは勘違いはして欲しくない。

ここでは、叩かれることは問題ではない、他者レッテルを貼ることが問題なのだ

それをするのは、覚悟必要だ。

その時周りなどは関係ない。私とその人との問題しかない。間違っていた場合のことを考え、極力それをしないように努めなければならないと私は考える。気分としては推定無罪、のような感じだ。自分責任を取れないと思うから責任を持って私はどちらに加担することもしない。

私は当事者でもその近くでもないからだ。

誰かが言ってるから、そんなことで自分の行動を決めてはならない。

大勢迎合することも好ましくない。責任に欠ける。

こばるさんのこのブログ記事は、前提がもう、ネットリンチというレッテルを誰かに貼っている。

想定されているだろう個別具体的な人々はいるのだろうが明確にはされていないから、私にはわからない。ネットリンチは無くさねばならない。

しかに当該の方にネットリンチと(法的、公的に)されることをしている人はいるのかもしれない。

それならば、その人は然るべき罰を受けるべきだ。

私もそのネットリンチをしている人々に対してのみに当てられたものだったら特に何も言おうとは思わなかった。

しかしこの記事では、ネットリンチとこばるさんが思うものについて、ネットリンチだと断定しない人間(中立)への批判がされていた。

私はそこにとても引っかかりこんな長文乱文を迷いながら書いている。

繰り返しになるが、ネットリンチだと判断するのは、ネットリンチ批判するその個人がしなければならないと私は思う。少なくとも、公的な場で決まりきっていないなら、そうなる。

それはしかし、「どう見ても正しさの欠片もないもの」と「正しいけど程度として問題があるように思えること」など、いろいろなものがあるのではないだろうか。私刑は正しいことではない。

少なくとも私は、ネットリンチというレッテルは、どこまでいったら貼って良いものなのかの知識はない。

こばるさんはそのような発言をして批判をするのなら、せめて、明確にネットリンチがなされていると自分が思う根拠を示す必要があったのではないかと思う。

このブログは、黒人差別問題彷彿とさせる。

しかし、黒人差別と同等なほどに、誰がみても、正当性を持って、ネットリンチと言えるものなのだろうか。こばるさんがネットリンチだと思っているものは。

ネットリンチというレッテルを使わずに、自分が目に余ると思う行為をしてる人たちについての問題提起をするということだって、一考の余地はなかっただろうか。ネットリンチとされなくても、人道的に嗜められるべき行為などはある。

私は少なくとも、一連を見てて何に義があるかというのは、簡単に言えるものではないと思っている。

いろいろなひとがいろいろなところでいろいろのスタンスで話してるのを見かけるからだ。

そこまで注視してない私ですら様々な意見を目にするのだからもっと様々な人がいるだろう。

私が見てる中にも、見てない中にも、ネットリンチに当たる行為があるのかもしれない。

ただ、私は誰かから困っていると言われたら、然るべき対応を、としか言えない。

手に余ることをするのは、無責任だ。

デマの流布をしないことが、一番私としては誠実な態度だと考える。

こばるさんの想定には私のような問題を外部から眺めている人間などが入ってないのかもしれない。ただ、この書き方はあまりにも広範な人を巻き込んでの批判ではないかと思う。

声を上げることそのもの正義、ではないと私は思う。

後半の論調的にはネットリンチ気づきつつ口をつぐんでいるサイレントマジョリティーを想定されているようにも感じられたし、基本的にこのブログ記事は、正義は我にあり、と信じて書かれているように思われる。

なので、正当な判断をしたらきっとこばるさんの側につくとこばるさんは信じているのだろう。

個人的には、正義は我にありと信じてやまない、揺らがない態度というのは、少々怖いものだと思う。

たとえ考えが変わらなく思えても、問い続けることは大事ではないだろうか。

乱文なので、また編集をすると思います。ここまで読んだ人がいたら、お疲れ様です。文意通らないとこあるかもだけど許してちょんまげです。

頓珍漢なこと書いている気もするけど、暫定的に。

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