2021-01-11

悼む、に近い、適当言葉がない感情を捧げる話

何年か前の話、たまたま目に入ったブログ文章が好きで更新されるたびに読んでいた。

それを書いていた人はまだ若く、自らについて十代の後半ぐらいと語っていた。そして、俺は自分自身偏見さらすのを承知で言うんだけども、その人は高校もまともに卒業していないらしく、誰かの文学に触れた様子もうかがえず、ただただ、日々流れるように遊び暮らしている生活しかブログに記録されていない…にも関わらず、おそろしく情感のこもった、美しく、それでいて痛快な文章を書いた。

ブログによって世間に向かって書いている以上、読んでいる側を面白がらせよう、関心を持たせよう、という気持ちは当然あっただろうけど、表面ではまったくそれを感じさせない文章だった。その人は、言葉がそう並べられるべき順番で、美しく、愉快なセンテンスを、平然と書くことができた(というように見えた。少なくとも)。

俺は、まぎれもなくこれは才能だと思った。シンプルに文才というやつだ。

俺と同じように感じていた人間も多かったようで、その人のブログ購読者数はあっという間にどんどん増えた。しかし、あるとき特に予告もなく、その人はブログ更新を止めてしまったのだった。

数年が経って、その人は、止めたときと同じように突然に更新を再開した。

俺は喜んだが、その人の文章が昔と変わってしまっていることに気がついた。

ブログには、実生活で色々と大変なことがあった、と赤裸々に報告されていた。そういう経緯が影響を及ぼしたものかわからないが、かつてそうだった、奇跡のようなその人の文章は決定的に失われていた。新しい文章は過剰に説明的になり、どこか言い訳くさく、言葉の隙間から読む側をじっとうかがうような息苦しさがあった。

いつか時間が経てば、その人の文章は元に戻るのだろうか? 例えば、病から人間回復するように。あるいは、もう戻らないのかな? 誰も加齢で失っていくものは取り戻せないのと同じように。

増田で聞いても「知らんがな」だろうし、これが俺の想定となれば猶更「知らんがな!」だろうが、俺は、たぶん戻らないだろうな、という気がする。

そういうわけで、おそらくあの才能は永遠にこの世から失われてしまった。

当たり前だが、ブログを書いている本人はまだ生きているし、その中の才能が消えて去ることを「死んだ」と形容するのが適当かどうかわからないのだが、俺の中に惜しいとか悲しいとかを超えた大きな寂寞があって、暫定的に悼むという表現を使うことにします。

  • プロの作家でも作風なんて大体どんどん変化するし、なんならデビュー作で出し切ってしまって後はひたすら後退していくだけって作家もいる。で、基本的には〈元には戻らない〉。な...

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